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私の投稿した原稿用紙7枚の わたしの宝物 をここで掲載します。。
わたしの宝物
毎年、バラの花が咲き始める頃、可愛いピンクの綺麗な花びらをみていると、上品なエレンさんの笑顔を思い出します。
丸顔でニコっと笑うと周りの人たちを魅了する素敵な笑顔の老婦人でした。
エレンさんは、アメリカに住んでいたイギリス人でした。
今から二十年前、私は、アメリカ ロスアンゼルスの郊外のニューポートビーチに住んでいました。
英語もできず、アメリカで生活するとはおもいもよりませんでしたが、でも嬉しくて、わくわく どきどき、びくびくしながらアメリカへ渡りました。
住んでいたアパートは、海の見える景色のいいところでした。日本では、山に囲まれたところに住んでいたので、朝、昼、夕方、気候などにより、海の色の変化に驚いたものです。
昼間は一人で居ることが多く、英語が話せなくても買い物ぐらいはできるので一人で出掛けていました。
アパートの近くには、シニアセンターがありました。そこでお年寄りと少しでもお話ができたらと思い飛び込んでみると、私の拙い英語が通じたのか、問題もなく、シニアセンターに通うことができるようになりました。
シニアセンターでは、事務職は若い人たちがサラリーをもらい、少人数で、企画、新聞発行などの仕事をして、その他諸々の仕事はシニアの人たちのボランティアで運営されていました。
私もここで何かお手伝いをしたいと申し出ると、ランチ時間前のキッチン内でのお手伝いをすることになりました。
最初のボランティアをする日には、働いている人たちを紹介されました。
そこで初めてエレンさんにお会いしました。
その時、エレンさんは八十九歳でした。
ランチ時間前のキッチン内のボランティアは、希望した曜日をきめてお手伝いをしていました。私はエレンさんと同じ曜日にきめて、少し早めにキッチンにはいると、いつもエレンはきていました。
先ずあいさつからはじまり、少しずつ会話ができるようになりました。エレンさんのご主人は、英独戦争の時に亡くなり、その当時、子供が小さかったので大変だったことを話していました。
そして、次男と一緒にニューポートビーチで暮らしていました。私の英語は簡単な質問のみで、聞き取りが出来ず、メモ用紙に書いてもらい、どうにかこうにか話は通じていました。
つづく