久々に明日香村のまほろばさんからのお便りです
古代遺跡が現代に語りかけるもの
明日香村・甘樫丘の発掘調査から見え隠れする歴史の事実正統な歴史とは何か。

《突如として私は、自分がこれまで歴史というものをどこか根本的なところで思い違いしていたに違いないと思い始めていた。
知識としての歴史はフェイクである。学校の教壇で教えられた歴史。歴史書の中の歴史。歴史家の説く歴史。記録や資料の中に残された歴史。それらは全てフェイクである。
最も正統な歴史は、記録されざる歴史、語られざる歴史、後世の人が何も知らない歴史なのではあるまいか。》
まさに今、この事が、奈良の明日香村の飛鳥遺跡発掘調査の過程で起こりつつある。
しかし、飛鳥で発掘された遺跡が真相を語り始めた。
甘樫丘から現れた入鹿邸跡は、豪邸ではなく、掘っ建て柱の質素な建物群で、さらに蘇我馬子邸や飛鳥寺の調査から、蘇我氏は自らが盾になり王権を守っていた可能性が強まってきたという。
蘇我氏は当時、東アジア情勢に最もすぐれた見識を持ち、唐の脅威をいち早く察知して、外交、軍事の両面から備えを強化する戦略をとっていた人物であったことが次第に明らかになってきた。
それに対して、中大兄皇子の側は、保守的な現状擁護派であり、入鹿の外交戦略と鋭く対立していた。
実際に、大化の改新は、645年蘇我入鹿暗殺のクーデターで始まったのではなく、それから18年後、唐と新羅の連合軍に大敗した白村江の戦い以後に、強力な軍事面の強化に迫られ、中央集権国家を作る必要があった。そのため唐の律令制に模して行われた一連の改革が「大化の改新」であるという事実が見え始めた。
まさに飛鳥遺跡の発掘が「大化改新」の従来の歴史観を覆そうとしている。
蘇我入鹿の広い視野にたった革新性、進歩性は、後世の人々には省みられず、明治時代には、入鹿をご本尊として祭る入鹿神社は国賊とみなされ、神社名の変更とスサノオノミコトを祭るように軍に強要されたという。
これは「日本書紀」を正史とみなす、歴史観からである。
まさに記述された歴史、歴史書の歴史はフェイクである。
飛鳥遺跡は、そのほとんどが今も尚、地下に眠ったままである。
ほんの数パーセントが、私達の前に姿をかいま見せただけである。
《最も正統な歴史は、記録されざる歴史、語られなかった歴史、後世の人が何も知らない歴史なのではあるまいか》という立花隆の問いは重い。
古代の歴史を自分の権力を維持強化するために利用しようとする勢力は、今もなお執拗に「美しい国」などといって、歴史の事実を捻じ曲げている。
秋の野の草咲き満つ明日香 2008.09.21
山城のお城祭り(奈良・大和郡山城) 2006.04.02 コメント(1)
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