*Muku* Blog
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天候はとかく不順ですが、今年もツツジの花が彩られる季節になりました。さて 長い連休が始まりますが、私が若かりし頃の奇妙な体験をお話することにします。20代から30代にかけて、3人の子育て真っ最中だった私は、子供にとって自然体験が一番大事だと思い、夫婦で春夏のキャンプを始め星座の観測施設での宿泊、各地の動物園、各種体験教室など、仕事をしながらも日々大奮闘していました。 愛媛県砥部焼絵付け体験産卵のために激しく傷つきながらも川を遡る鮭の夫婦のような気持ちで毎日を生きていました。住み家は、三重県の県境、宇陀川流れる山里の一軒家(現奈良県宇陀市)を借り、夫は趣味を兼ね日曜大工を、私は内職で靴下作り、初夏は敷地内の1本の梅の木から梅を収穫し梅干しを漬けたり梅酒を作ったり、子供の衣類や持ち物のために手芸をしたり週末にはバザーに出かけたりしていました。幼い息子たちは小学校へ行く距離も近く、放課後は友達と野山を自転車で走り回っていました。1)ある深夜1時頃、2階で子供たちと眠っていると物凄い轟音に飛び起こされました。その轟音があまりにも大きかったので何が起きているのか電気をつけてきょろきょろしました。それは家の真上で何か大きな物体がホバーリングをしているような音でした・・不思議なことに子供たちは熟睡していて全く起きないので、窓辺のベッドで寝ていた長女を揺り起こし「物凄い音、響いてるけど何だと思う?」って聞いたら、「すごいけど何やろうね・・・」 私が「もうすぐ近所の人たちが外に出て来ると思うから、人の声がしたらお母さんも外に出てみるわ・・」って言った後、数分経っても一向に人が外に出て来る気配がなかったので私は怖くなって、もし窓を開けてUFOだったら上空に吸い込まれていくんじゃないかと思い、『幼い子供を残しては行けません』と真剣に念じ息を潜めて耐えていたら突如轟音は無音になりました。夜7時には暗い闇と夜行性の鳥の声しか聞こえない山里の村で、いったいあれは何だったんだろうと考えていました。どうしても夢や錯覚とは思えなかったから。でも朝になって長女と話すと彼女には轟音の記憶はありませんでした。余談ですが、今から数年前、YouTubeの動画で自民党参議院議員の青山繁晴さんが、共同通信の記者時代、徳島で生活していた頃、家の上空に轟音がして外に飛び出たら何も無かった!?というような話をされて「同じような体験をしている人もいるんだな」って不思議に思ったことがありました。(私の記憶違いだったらすみません。)2)轟音の体験からほどなく、足りない生活の糧に知人の伝手を頼り、県境を越え渓谷沿いの国道を走り三重県で販売関係の仕事をしていた私はその帰り道、居眠り運転で曲道のガードレールに激突。車は勢いよく横転し、反対車線を塞ぎ大破。フロントガラスとサイドミラーが粉々になり、逆さま状態で頭が抑えつけられた状態になりました。(車は4ドアのセダン)意識朦朧で、かろうじて見える手は血だらけだったので 『死んだ・・』と思いました。国道で車通りの多い夕刻だったのに対向車線の大型トラックは急ブレーキをかけて止まり、私の後部車両は車間距離を取っていたので無事で、到着した警察はこの交通事故を私の単独事故として処理しました。事故直後、ガソリン漏れの発火を恐れてか、周りの車はしばらく様子を見ていましたが、ひとりの男性が「今、助けたるからな!」と言って潰れた狭い車内に潜り込んできてくれました。シートベルトを外し逆さまになっている私を車外に引き出しガードレールの空いたスペースに寝かせてくれました。でもその頼もしい男性はすぐにいなくなりました。搬送中は記憶がありませんでした。救急病院の検査室で目覚めた時、確かに頭からも出血していたのに医師がどこを探しても傷跡が見当たらないと呟きました。それどころか脳波も心電図も内蔵も骨にも異常が無く打撲も無く脈拍も正常で、知らせを聞いて駆け付けた家族も安心した顔になってその日のうちに帰宅できました。翌日も後遺症が出なかったので職場に連絡もせず人手不足のため電車を使い普通に出勤しました。あんな事があったのに嘘みたいでした・・3)それから1年後、後遺症のようなものが出てきて無気力になり何もやる気が出なくなってしまい仕事を休みがちになりました。ある夜、半分眠っているような状態の中、もやのようなものが立ち込めて頭の中に声がしました。『何歳まで生きたいか?』 え? 『○○歳か、○○歳か』 私はなぜか少ない方を選びました。(具体的な数字が示されたので)そうすると部屋の空気がもとに戻り意識もハッキリしました。 何? 今の・・ それから交通事故の後遺症なのか、偏頭痛に悩まされ体調が悪くなりました。明確に判断できる病院も無く環境を変えるため三重に移り専業主婦に徹し3年後、奈良のペットショップでシルバーのトイプードル、ムクに出会いました。ところが、ムクが病気になりものすごく悲しかったのに、不思議なことに私の体調は反比例していきました。 タイムムクは先天性の癲癇発作を持つ可哀そうな子犬でした。とても賢くて愛くるしい子犬でしたが1才の時に発症して7才まで生きました。死ぬまで病院通いの日々でした。でも生きることに旺盛で、病を抱えていてもお散歩や旅行が大好きで元気な時は公園をものすごいスピードで走りました。ドッグレースで優勝するんじゃないかと思うくらいに。朝になると階段を駆け上がり家族を起こすことがムクの仕事でした。途中2006年に思いつきでこのMukuブログを開設し、私の普通の日常や旅行、興味を持ったこと、心に残った映画や本、面白かったTV番組、応援したYouTubeなどを書きました。人に読んでもらう自分新聞みたいなものです。思い出のムク日記も書きました。もやの中で選んだ少ない方の寿命もまだまだ年月があるので最近は日本人の持つ天性の道徳観や縄文人の謎、若い世代の優れた考え方を応援できるようなYouTubeを検索することが日々の楽しみになっています。
2023.04.27