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2025.11.27
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カテゴリ: 鈴木藤三郎
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※「 余の理想の人物 」(「実業之日本」(明治40年1月1日号)を「黎明日本の一開拓者」鈴木五郎著25~31頁で引用。旧仮名遣いを新仮名づかいにしたりするなど読みやすくした。)

○大いに金を貯めることとした

 お恥ずかしい話ですが、私は明治9年22歳になるまで理想などということは少しも持たなかった。その時までは、極めて単純の生活をしていたのである。8歳の時より12歳まで寺子屋に通学の時はいつも先生からほめられていたが、父はほめられるだけに心配して、菓子屋の子に学問は不必要だといって、13歳の春から家業を手伝い隔日に荷を持って近所に商っていた。私は勝気の性質として、朝は暗いうちに起きて夜の明けぬ前に1,2里くらいを歩かねば承知ができず、終日の奔走でくたびれたために夜明けて後に覚めるときは終日商いに出かけなかった。

 この時までは頭はボンヤリとして運動する機械のようでいたが、19歳の時ふと思いついたことがある。自分は菓子の商いをしているが今後いかなるのであるか。近所の人を見れば旦那と尊ばれているが、菓子商いなどしていては、幾日たっても発達の見込みがない。旦那といわれる人は皆金を貯めた人であるから、自分も大いに金を作らねばならぬ。当時、製茶は横浜市場のおもな輸出品で、遠州は茶の産地だけに私の郷里森町でも富者となった人は茶商人に多かったので、私も富者となるには茶商となるのほかなしと決心し、父に相談したところ、茶商は10年くらいは小僧で見習いしなければならぬのに、中途から従事しても無駄であるというて最初は聴かなかったが、私の決心が固かったので幾らかの資本を他から借りてくれ、私は菓子商いに関係なく独立して茶業に従事していた。最初の1年は見習いに過ぎなかったが、2年目からは各地方に出かけ四日市、豊橋等にまで行って買い集め、これを横浜に送っていた。

    ○初めて報徳主義を知る

 茶の鑑定その他のことがひととおり了解せられ、相当の利益もあったが、22歳の正月に実家へ年始に行ったところが二宮という本があった。何のことかと聞くと、二宮尊徳翁の御説を書いたものだという。私も報徳ということは聞いていたが、それは単に金をケチに貯めるとこととか、朝は早く起きるとかいうに止まり、その教えが書籍になっているとは思わなかった。これを借りて帰って読んでみると、すこぶる面白い。その大体は、こうである。

人は何ゆえにこの世に生まれてきたのであるか。いかにして生くるのであるか。金銭も名誉もその目的とするものではない。人は国家社会のために、その利益を増進する仕事をなすべきものである。過去の人がなしておくことを、今人は更に増殖してこれを後世子孫に伝え、もって国家社会の利益を増進する。いい換えれば、代々の人はその消費するよりも以上の仕事をして、前人から受け継いだほかに更に増して子孫に伝える。何事もせずして先人の事を後人に伝えるのは、恩義の賊である。されば人間は個々としては生まれたり死んだりするが、大体よりいえば人間は生きているのである。この目的は一人にてはできぬ、また一代二代にてできるものでない。すべての人間が、この目的に向って勤労する。その個人が分担して行うのが各自の職務となる。されば職務は人の賢愚不肖によって異なってはいるが、国家社会を利するという大目的に比べれば同一で、その間に上下尊卑の区別があるべきはずがない。ただ自分の職務とするところを遺憾なく尽くして明らかならしむべきである。いわゆる天地の秘をあばくべきである。これが人生の大目的で、また人が禽獣と異なるゆえんである。

 この人生の大目的の一分を達するために各人はその職務に全力を傾注するときは、たとえ自己の利益栄達を主としなくても、これらはその職務の遂行に伴って自ら発達して来るものである。この主義を服膺(ふくよう)する間におのずから自己も発達せられる という意味であった。

    ○神のごとき二宮先生

 この書を読んで、 私は豁然(かつぜん)として悟った。 今まで 金さえ貯ればよしといた思想は全く誤り であることを発見し、 報徳主義の甚だ大切なことを知ることができた。 自分は、ここに 初めて人間の道ということを知ることを得た。 まさに大河を渡らんとしたときに船を得た心地がしたので、今度はいかにしてこの道を進むべきかという問題を解くこととなった。

 それからは、毎月開かれる報徳の集会には出席する。会日以外にも行って種々なことを質問し議論する。狂熱のようになって報徳主義を研究した。報徳記も当時はわずかに写本ばかりで、それすら容易に見ることはできなかったが、特に読まして貰った。

 同時に他の方面の研究をする必要もあったので、また書見を始めた。12歳から以来全くやめていた経書などをあさり読み、23歳の時には夜学に通って勉強し、研究すればするほど他と対照して報徳主義が立派な教えとなり、ついには二宮先生は人間以上の、神のようなものに思われて来た。

    ○明治10年より再生す

 かく研究すればするほど過去の我が身の過ちを発見し、新生活を開く必要を感じたので、明治10年1月1日を紀元とし自分は全く生まれ変わりたるものとして新生活に入ることを決心し、今もなおその決心に随って続けて行っているつもりである。もとより他人から見たら間違っていることがあるかも知らねども、自分では報徳の教えに随って進み行っているつもりである。

その後もなお書見は続け支那の経書は勿論、仏書も少しは読んで見たが、これは単に報徳主義を明らかにする道具に使われたもので、報徳主義の大切なことは依然として異ならぬ。否、むしろますますその光輝を発揮するように思われる。

大工は曲尺(かねじゃく)一挺(ちょう)で9尺2間の小屋も建てれば、堂々たる大厦(たいか)高楼をも建てる。造り上げた物は大いに異なっているが、詮ずるところ、ただ曲尺一挺を使用したに過ぎぬのである。 二宮先生の報徳主義も、一たび会得すれば人間万物に応用して最も有効に活用することができる と思う。

    ○人間の最大目的に直進せよ

 で、自分は己に多年の覚悟として守り、また青年の決心すべきものとして常にこういっているのである。

人間は、その本分として皆尽くすべきだけの職務を持っている。国家社会の利益を増進するために、分業して相共に天地の秘をあばくまでも勤勉すべきである。これがためには全力を発揮して勤めねばならぬ。もし職務のために死ぬことがあれば、これは名誉の戦死である。軍人が征戦に死ぬと異なることはない。己れを棄てて全力を発揮すれば、目的を達すると共に立身や栄達はこれは副産物である。初めから目的物として望むべきことではない。人はこの職務ということを知り、これに全力を注がなくてはならぬ。知るということは表面のみではなく、これを明らめ尽して少しの遺憾なきに至らねばならぬ。世間では「知っている」といって、しかも実行の伴わぬものが多い。知っていれば行われなければならぬのである。それが実行せられぬのは、とりもなおさず真に知らぬのである。知っているというのは間違いである。人間がこの世に生まれてきた以上は、飽くまでもその職務本位とすることを知りおかねばならぬ。真の仕事はできぬのである。

    ○人の元値を知れ

 強固な意志を有する者も困難に堪え煩悶に忍ぶことができる。けれども、これは一種の我慢である。一定の程度に達すれば、制限を受けることを免れぬ。つまり普通の人は十まで忍ぶことができるが、意志の強固な人は十二とか十五まで忍ぶというに過ぎぬ。二十、三十、いくらでもということはできぬ。しかし、道理に基いた意志は水火の中をも辞せぬ。いわんや困難辛苦をやである。いかなる所にまでも忍び達するのである。

普通にいう困難ということは分かりきったことである。古来の人々が既に久しく出会って嘗め来った事柄である。別段に新しき困難の発明があるのではない。これは人がこの世に生まれて来れば免れざることで、七難九厄に会うのは当然のことである。聖賢とても免れざることである。

何事をするにも元値を知ることが必要である。元値とは、人は生まれたからは死すということである。必ず死ぬときまっているものは、いつ死んでも仕方がないのに、今日もまた、今日も生きているというのは儲けものである。その他百事百般皆もうけの上のもうけなりと一大覚悟さえすれば、一生涯に苦痛とすることはない。

これが、報徳主義の活悟道であると思う。世間では悟道は3年も坐禅をするか、たくさん書見をせねばできぬようにいうが、そのようにむずかしいことなれば大道とはいえぬ、小路とでもいわねばならぬ。道路も大なるものは、老人子どもでも差支えなく行けるから大道路である。また修行せねば歩けぬ極小路というは糸の道である。これは熟練した軽業師でなければ行けぬ。

(「実業之日本」明治40年1月1日号63~66頁)






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最終更新日  2025.11.27 03:30:03


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