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体操女子種目別ゆか決勝 杉原愛子が金メダル アジア大会■体操女子 種目別決勝 ・床(25日、名古屋市総合体育館〔レインボーホール〕)体操女子の種目別決勝・ゆかが行われ、杉原愛子(27、アローヴラボ/TRyAS)が金メダルに輝き、個人総合に続き大会2冠を達成した。西山実沙(16、相愛高/なんば体操クラブ-ngc)も銀メダルを獲得し、日本勢がワンツーフィニッシュを飾る快挙を達成した。8人で争われた決勝に日本からは杉原と西山の2人が出場した。3番目に登場した杉原はこの日、平均台に続き2種目目の挑戦となった。予選をトップで通過した杉原、序盤で伸身の2回宙返りを見せたが、ラインオーバー。それでも笑顔で客席に手拍子を求め、伸身の前宙もきれいに決めるなど、演技終了後はガッツポーズも見せた。14.033の得点が出ると、笑顔を見せ、ジャンプして喜んだ。6番目に登場した西山。今大会の個人総合で銅メダル、段違い平行棒では銀メダルを獲得している。西山は、後方の抱え込み2回宙返りを決めるなど、曲に合わせた伸びやかな演技を披露、会場からも大きな拍手が送られた。演技終了後、杉原と笑顔で抱き合った西山の得点は、13.900をマークした。【体操女子種目別・ゆか結果】金)杉原愛子 14.033銀)西山実沙 13.900銅)張怡涵(中国) 13.566
2026.09.26
陸上100mで17歳女子が「11秒06」の衝撃 爆発的な加速「正気の沙汰じゃない」中国の逸材が大会新【アジア大会】9/26(土) 愛知・名古屋アジア大会は25日、パロマ瑞穂スタジアムで陸上の女子100メートル決勝が行われた。優勝したのは中国の17歳チェン・ユージエ。11秒06(-0.4)の大会新記録をたたき出し、生中継したTBS系列などで視聴していた日本ファンも衝撃を受けていた。アジアの若き才能が、愛知で驚異的なタイムをたたき出した。チェンはスタート直後から先頭に立つと、グングン加速。後続を引き離し、大会新記録の11秒06。ゴール直後に両手を突き上げ、優勝を喜んだ。動画 20歳以下のアジア記録も塗り替えた。17歳の爆発的なスピードにX上の視聴者も仰天。「これまたとんでもない歴史的な選手になりそう」「17歳で11秒0台とか正気の沙汰じゃない」「まだ17歳とか末恐ろしすぎる」「すごい速さ」などと反応していた。
2026.09.26
「ユマニチュード」という革命 p.214 ユマニチュードの4つの柱「4 立つ」その1「見る・話す・触れる」の基本となる柱に加え、ユマチチュードが第4の柱として重視しているのは、「立つ」ということです。子供が初めて立ったとき、周りの人はとても祝福してくれます。本人にとっても、「自分もまた同じ人間なのだ」と誇らしく感じる瞬間かもしれません。立つことは間違いなく、人がアイデンティティを確立していく基礎となっています。それだけ私たちにとって立位はとても大切なものです。 ユマニチュードの定義を思い出してください。ケアする人は健康に問題のある人のケアを行います。あなたがその人をケアするのは、その人が美しいからでも、感じがいいからでもありません。あなたがプロフェッショナルだからです。そうであるならば、立つことが健康に対してどういう影響を与えるかをきちんと理解しておく必要があります。 立位は骨や関節、呼吸器、心臓などの循環器系、皮膚などに影響を与えています。 たとえば、関節の滑らかな動きにかかせない軟骨を見てみましょう。軟骨の80パーセントは水分です。そのため膝であれば、立ち上がると軟骨に圧力がかかり、水がギュッと押し出されます。その水はどこへ行くかというと、骨の中です。骨には栄養分が多く含まれており、そこに水が浸透していきます。かかっていた圧力が弱まると今度は水に溶けた栄養分が軟骨に吸引されます。つまり負荷がかかることによって、軟骨に栄養が行き渡るメカニズムなのです。ですから動くことがなければ軟骨は栄養不足に陥ります。全身の関節に栄養を行き渡らせたい。さて、どうすればいいでしょうか?立って歩くことは骨や関節に重みをかけることができ、全身の運動になります。 それに48時間、寝たままでいると靭帯は固まり、関節の可動範囲が狭まってきます。柔らかくするためには立たせたり、歩かせたりしなければなりません。筋肉はどうでしょうか。80歳を過ぎた人が1週間動かないと、筋力は15パーセント低下し、それが3週間になると45パーセント程度低下します。筋肉を維持するには、やはり歩く必要があります。 骨はどうでしょう。力が加わったときにその負荷をキャッチするセンサーが骨に備わっています。圧力に応じて骨は自ら強くしようと働きます。やはり固い骨をつくろうと思うなら立って歩かなければなりません。 また、寝たきりの状態になると呼吸機能は低下します。立ったり、歩いたりすると肺の容積は広がり、機能が活発になります。そうすることで肺炎のリスクを減らすことができます。 次に循環器系です。血液は心臓によって圧力をかけられて血管を流れていきます。ただし、静脈には圧力がかかっていません。足の裏には静脈網が広がっており。立って歩くと、そこに圧力がかかります。足の裏の静脈のポンプが立って歩くことで押さえつけられ、その圧力によって血液が上がっていきます。さらに脚の筋肉の収縮運動によって血液が上がっていきます。さらに脚の筋肉の収縮運動によって下肢の血液は心臓へと還流します。つまり、血流のために立つこと、歩くことは欠かせないのです。 最後に皮膚への影響はどうでしょうか。入院の大きな問題のひとつが褥瘡です。これは血の流れの停滞が原因です。歩いていれば、血液は体をちゃんと巡りますから、褥瘡はできません。 患者に対していちばんやってはいけないことは、動かないよう拘束することです。徘徊を抑える神経系の薬を飲ませるのも同じです。 人間にとって、立って歩くことは知性の要でもあります。赤ちゃんは手あたり次第、いろいろなものに触ります。そうすることで、いまの手や腕の動き、また自身が空間に占める位置を感覚的に得ています。立って歩くという運動と感覚によって知能は向上し、距離や時間を学んでいくのです。 赤ちゃんにとっては、お腹が痛いこととお母さんがいないこととのあいだには違いがありません。また、撫でられたり、自分に向けられた笑顔を「心地いい」と感じます。しかしそれとミルクの温かさとの違いがまだわかりません。だんだんと距離感を学んでいき、やがて母親と自分は違うとわかるようになります。「自分は独自で唯一の人間である」という認識は、「私は立って歩く独立した存在なのだ」という感覚的な理解が導くのです。 立って歩くことは知性の要だと言いました。実際、長らく歩いていなかった人に歩いてもらうと急に話し出します。体を動かす。歩くことは知性の根幹であり、また人間であることの証でもあるのです。このような事実を、ケアする人には是非わかってほしいと思います。ナーレ杉並上井草 ホームブログ「立つ」ことの重要性 ~ユマニチュードの技法を実践した認知症ケアへの取り組み~今回はこの「立つ」ことについての当ホームでの取り組みをご紹介いたします。ある日、車椅子のご入居者が、作業療法士(OT)の指導のもと、歩行訓練を開始されました。最初はまず、立つことから始めます。「ではAさん、よろしくお願いしますね」OTの声掛けにゆっくりうなずかれるAさん。足を肩幅に開き、両手で平行棒をしっかりとつかみます。「いいですよ。ではお辞儀をするようにゆっくりと頭を下げて、腰を浮かせていきましょう」横で手を添えていてくれているOTの声掛けに従いながら、ご自身のペースで立ち上がっていくAさん。足に力を入れて、しっかりと立位が取れました。「いいですよ!では支えていますから、右足から一歩前に出してみましょう。大丈夫!」真剣な表情のAさん。固唾を飲んで見守るOT。一瞬の沈黙ののち、第一歩が踏み出されました。一歩前進!そしてAさんは、足元からゆっくり視線を上げて、満面の笑みと共にこのガッツポーズです。どうだ!といわんばかりに。「Aさんすごいです!やりましたね」とのOTの声掛けに笑顔でうなずくAさん。Aさんの生活背景も含めた包括的な理解に努め、お気持ちに寄り添う声掛けや身体への触れ方でご本人の「立ちたい」「歩きたい」という内発的な意欲を引き出し、実現に導いたOT。Aさんが示したガッツポーズは、自己の尊厳を実感できた喜びの表れであり、私たちに究極の喜びをももたらしてくださいました。ユマニチュードで最も大切なのは「相手を深く理解する」ことだと思います。この方は「どのような人生を送られ、何をすることがお好きだったんだろう...」等と思いを巡らせ、少しずつ相手のことを知りながら、一人の人として関係性を築いていくこと。それがその方らしさを大切にできるケアにつながっていくのではないでしょうか。そして、この技法は、私たちソナーレが取り組む"Life Focus"の実現にも通ずるものがあると思っています。ソナーレでは、高齢者の方々との関わりから得られた"気づき"と、そこから実際のケアにつながる事例をたくさん掲載した「目で見てわかる認知症ケア」という本を監修しています。ぜひ、こちらもご覧ください
2026.09.26
大智禅師偈頌講話 澤木興道偶作 その9【偶作】 寂光明土娑婆界 (寂光明土娑婆界)色裏膠青水上波 (色裏の膠青水上の波)浩浩村歌兼社舞 (浩浩たる村歌と社舞と)負恩者少報恩多 (恩に負く者は少なく恩を報いるは多し) それを下の二句で「浩浩たる村歌と社舞と」といっておる。この浩浩たる村歌というのは、これは田舎の百姓が濁酒(どぶろく)を飲んで歌う歌のことである。別にドレミファという音楽に合うのでもなければなんでもない。ただなんとなしに、節なしで口ずさむ。それが浩浩たる村歌である。 それから「社舞」というのは、お宮さんの太鼓を叩いて踊ることをいう。あるいは盆踊りでもいい。それ故「浩浩たる村歌と社舞」というのは、通常民衆の一切の生活のことである。一切の生活が、どれも悪いということはなんにもない。泣くも笑うも、寝るも起きるも、一切がそれでどれも悪うない。「恩に負く者は少なく恩を報いるは多し」ということは、その身そのまま、これが仏作仏行である。その身そのまま、そのなりでいい。ただ心の持ちよう一つであるということである。同じ坐禅でも、させられるのは、なんでもない話である。 たまたま坐禅するところがあれば、そこには大抵坐禅させられておるやつがおる。後から出欠を取って歩いておる。本山あたりではー。出席簿を持って、坐禅の帳面を持って歩いておる。駒澤大学でわたしは坐禅を必修科にしたが、今日になってみると、えらいことをしたと思っておる。わたしは最初はしたい者にさしておったが、後に出欠を取って必修科にしたところが、しとうてする者はのうなった。ぜひともさせられるから、もうはや、しとうてする者はのうなった。 昔われわれが勉強するのは、大抵勉強しとうてしたが、今の書生は勉強させられる。それは、大抵、勉強嫌いじゃもの。勉強の好きなやつは、滅多に今の書生におらん。それだから碌なやつは出ん。このごろ出るやつはついついと出てしまう。やっと試験さえ通ったらいい。昔の者は勉強の嫌いなやつはせん。好きでやるのだから偉いやつが出ておる。 ところが、この頃は慢性になっておる。勉強嫌いが学生なみ。それで試験、「ウワー、仕方がない」一週間やる。それでもいかんやつは、カンニングをする。そんなことをしても、どうでもこうでも通らんならん。それだから勉強地獄もある。勉強がいやで勉強するんだから学校というものも地獄である。そこで、坐禅もさせられるなら、坐禅地獄、念仏もいやいやさせられたら念仏地獄、坊主もいやいやしておるなら、坊主地獄である。 そうすれば、好きでしておれば、土方でも仲仕でも、そこに浄土があるわけである。それが極楽である。だから、娑婆即寂光浄土というのは、そういう生活をいう。その身そのままだから、「恩に負く者は少なく恩を報いるは多し」である。これは偶作である。大智禅師がとりとめもなくこれを作られた。 だからそこに、人間はどう工夫して生きんならんか、どう生き方が本当か、その一番大切なことがこの一つの偈頌の中に、そっくり出ておる。だから人人は、これは自分のこととして、深く味わわねばならぬ。(大智禅師偈頌講話p.209-211)
2026.09.26
余が菓子商として五年間に売上高を十倍にしたる営業法 その2 次に家政経費調べをした これより先き、私は報徳教を聞いてから、どうかこれを己の身分相当に自分の執る仕事の上に実行してみたいと思った。それにはそうすればよいか。二宮先生が小田原侯から野州桜町の四千石の領地興復を命ぜられたとき「決して金はいりませぬ。この荒蕪を興すには荒蕪の力をもって興します。我が国が開闢以来今日までに開けたのは決して外国から金を入れたということはない。やはり我が国は我が国の力で開けたのである。で、この開闢元始の道に基づいて四千石の興復をいたしますから金は決していりませぬ」とお答えをして開墾が出来上がったのである。これは農業であるが、しかし天下の事業はすべてこの通りでなくてはならぬ。この精神をもって、この法に基づいてどうか自分も実行してみたいと思った。そこで先生の四句の文に従い、あしたには暁星を戴いて起き、終日仕事をして更に夜なべまでして三更深くまでも勤労をし、自分の分を守り、堅く無益の費用を省いて分度を立て、一年の利益があればこれを次年に送り、次年の製品を安く売って、いわゆる推譲をしようと決心し、先ず毎年の経費を調査した。 調査の結果経費の二割を節約した 私の家の経済は養父も別に心得がなかったので、一切不明であった。そこで自分で調査して見ると、家の経費が二百六十円で一ヶ年の売上金額が千三百五十円である。これで計算すると現在の純益歩合が二割五分ということになる。しかし菓子商で二割五分の利益とは少し困難である。確実な計算とすれば二割であろうと思った。そうすれば一ヶ年の得るところ二百余円で五十円ばかりの不足となる。しかし明治十年からは自分という一人の労働が新たに加わる。のみならず入費も不整頓であるから、これを聖噸すればいくらかの節約が出来るに相違ないと思ったので、先生の仕法に基づいた家政経費調という書類を借りてきて、これを先例として自分の家政を分析してみた。その結果、食物衣類等経費の項目がおよそ三百余種あったが、その中には是非とも欠くべからざるものと欠いても左まで苦にならぬものとがあった。それを一々より分けて節約の出来る経費がちょうど五十円位あることが解った。 次に残した金で商品の価を安くした 明治十年からは新しい人間になった積りである。一方には身を節し用を省いて専心経済を治め、他方には「勤労を主とす」る主義に則って未明から夜半まで働いた。さてその年の暮れになって計算して見ると一ヶ年の売上金額が千九百円まり、二千円足らずで、経費は予算の通りであったから、節約した五十円の外に計算外の利益五十円を得て、合せて百円の金が残った。そこで翌年はこの金を二百五十円とするには既に内、百円が手元にあるから、差引百五十円を二千円の売上金から残せばよいのである。二千円に対する百五十円といえば、ざっと七分に当る。先ず一割の利益を得ればよいというソロバンが立つ。そのソロバンに合うだけに品物の値を安くすることが出来る。値が他店に比べて安いのであるから売上高がズット増加して第二年の終りには三千五百円となった。従来の商いの口銭(こうせん)は単に外々の同業者の振合い見て競争に堪えられる限り一杯の値に売っていたのであるが、私は荒地主義で分外を利用して安く売ったのであるから、得意はたちまちにふえ、売上高が増加したのである。 五年間に売上高が十倍になった この筆法で五ヶ年間、商業を続けたところが、第五年目には売上金が一万円、利益は僅かに五分取っても沢山になって来た。資本金も始めは二百六十何円しかなかったのが、五年の終りには千三百何円となった。これで私は荒蕪の力を以て荒地を拓くという主義は何の事業にも応用される、天下これに由りて起らぬ事業なしという先生の説に一点の疑いもなくなった。 その後、私はこの五ヶ年間の帳簿とその着手当時の計算書とを持参して岡田良一郎氏―氏の父は二宮先生の高弟で、氏もまた先生の道を修め、始終先生の教えを諸方に伝えることに尽瘁され、斯道(しどう)の泰斗(たいと)として師事された人であるーの所へ行き、始終の話をした時、岡田氏も至極賛成されて、自分も多年この道を講じ、自分も行い、人にも勧めたけれども君の如くに荒蕪の主義を商業に応用したもののあるを聞かぬ、実に斯道の模範であると激賞された。
2026.09.26
下館談話記【四】その1(現代語訳のこころみ)【4】尊徳先生が衣笠に言われた。「むかし、曾子は(死ぬ時に)門人に告げて『わが手をひらけ、わが足をひらけ、戦々恐々として深淵に臨むがごとく、薄氷を踏むがごとし、今まぬがるることを知るや、小子』と言われた。桜町亡所を復興した実業を見て、下館2万石復興のことを委任されてから、身を忘れ、財をなげうって、日夜のわずらわしい仕事や苦労を厭わず、盛衰・存亡・栄枯の根源を明らかに調査して、その中を執って、国家の政務の大本を立て、数万の借金を消し去る道を立てて、衰廃再興の道を行って以来、既に10有余年、その成果も少なくありません。そうであるのに善と見て強く行うことなく、またあえて廃することもしないで、ゆったりとして惰弱に流れる、つまり道を廃するの基である。どうしてこれならば、始終一のごとく憤発勉強しないのか。もしよくないならばどうしてすぐに止めて私に委任した荷を除かないのか。 【四】先せん生せい衣きぬ笠がさ子しに謂いいて曰いわく、昔せき時じ曾そう子し門もん人じんに告つげて曰いわく、「我わが手てを啓ひらけ、我わが足あしを啓ひらけ、戦せん々せん兢きょう々きょう深しん淵えんに臨のぞむが如ごとく、薄はく氷ひょうを踏ふむが如ごとし、今いま免まぬがるるを知しる、小しょう子し」と云いえり。桜さくら町まち亡ぼう所しょを興おこせし実じつ業ぎょうを見みて二万まん石ごく興こう復ふくの事ことを委い任にんありしより、身みを忘わすれ、財ざいを抛なげうち、日にち夜やの労ろう煩はん辛しん苦くを厭いとわず、盛せい衰すい存そん亡ぼう栄えい枯この根こん源げんを明あきらかに調しらべ、其その中ちゅうを執とり、国こく家か政せい務むの大だい本ほんを立たて、数すう万まんの借しゃく債ざいを消しょう除じょするの道みちを立たて、衰すい廃はい再さい興こうの道みちを行おこなひし以い後ご既すでに十有ゆう余よ年ねん、其その功こう験けんも少すくなからず。然しかるを善ぜんと見みて強つよく行おこなわず、亦また敢あえて廃はいせず、悠ゆう々ゆう緩かん々かんして惰だ弱じゃくに流ながれ、詰つまり道みちを廃はいするの基もといなり。何なんぞ是これならば始し終じゅう一の如ごとく憤ふん発ぱつ勉べん強きょうせざるや。若もし非ひならば何なんぞ速すみやかに止やめて我われに任にんずるの荷にを除のぞかざるや。
2026.09.26
下館談話記【四】その2(現代語訳のこころみ)戌年以来の諸帳面を閲覧して、これもよくない、あれもよくない、実行に足るものはないというならば残らず焼き捨てるべきである。一書も余すことなく焼いてその後に私もまた(曾子と同じように)下館のことを免れるを知るといえよう。善を見て行わないのも勇気が無いからだ、不善を見て捨てないのも勇気がないからだ。人生は限りが有る、いずれの時を期して一定しないのか。そもそも戌年の頃、下館藩の急難は極まっていた。あの時にこの仕法がなければ、困窮は月々に増し、歳々に迫っていたであろう。上が困窮すれば下が取る財がない。下の限りがある財で限りのない望みに供する、数年もたたないで国中が衰微し、民は飢寒を免れないようになろう。このようになっては国があるといってもどうして亡国に異なろうか。そうであるのにこの大患を免れただけでなく、10年以上無難に年月を経て、それだけでなく数万両の借金を払って、今日に至る。その事の功績は平常のことではない。もし仕法がない時には市中の財は尽きて、困窮した民が離散することは疑いない。今、家々が潤っていることは戌年以前に倍している。中兵(下館藩の御用商人)が才能があったとしても、どうしてこのような豪邸を造ることができよう。ほかの7人衆もどうして今日の安泰が得られよう。これは皆、国の憂いを私が背負ったから人々の幸せが存するのではないか。一藩もまた同じだ。戌いぬ年とし以い来らいの諸しょ帳ちょう面めんを閲えっし、是これも不ふ可か也なり。彼かれも非ひ也なり。行おこなうに足たるものなしといはば残のこらず焼やき捨すつべし。一書しょも余あまさず焼やきて然しかる後のち、我われも亦また下しも館だての事ことを免まぬがるを知しれり。善ぜんを見みて行おこなわざるも勇ゆう無なき也なり。不ふ善ぜんを見みて棄すてざるも勇ゆう無なき也なり。人じん生せい限かぎり有あり、何いずれの時ときを期きして一定ていせざるや。夫それ戌いぬ年としの頃ころ一国こくの急きゅう難なん極きわまれり。彼かの時ときをして此この仕し法ほうなくんば、困こん迫ぱく月つき々づきに増まし、歳さい々さいに迫せまらん。上かみ困こんすれば下しもに取とる事こと度どなし。下しも限かぎりある財ざいを以もって限かぎりなき望のぞみに供きょうす。数すう年ねんならずして国こく中ちゅう衰すい微びし、民たみ飢き寒かんを免まぬがれざるに至いたらん。斯かくの如ごときは国くにありといへども何なんぞ亡ぼう国こくに異ことならんや。然しかるを此この大たい患かんを免まぬがるのみならず、拾じゅう有ゆう余よ年ねん無ぶ難なん星せい霜そうを経へ、剰あまつさえ数すう万まん金きんの借しゃく債さいを贖あがなひ今こん日にちに至いたる。其その事じ功こう平へい常じょうの事ことにあらず。若もし仕し法ほうなき時ときは市し中ちゅうの財ざい尽つき、困こん民みん離り散さん疑うたがいなし。今いま市し塵じんを見みれば戸こ々この潤じゅん沢たく戌いぬ年とし以い前ぜんに倍ばいせり。中ちゅう兵へい才さいありとも如い何かにて斯かくの如ごときの花はな屋おく(豪邸)を造つくるを得えん。外ほか七人にんのもの何なにを以もって今こん日にちの安やすきを得えん。是これ皆みな国くにの憂うれいを我われ背せ負おいたる故ゆえに衆しゅう人じんの幸さいわい存そんせり。一藩はんも亦また然しかり。
2026.09.26
「遠州報徳の師父と鈴木藤三郎」の本は、初版(2016/12)と「報徳の師父第一集」と附した改訂版(2022/12)がある。静岡県の公共図書館では21館で35冊蔵書となっている。御殿場市2件遠州報徳の師父と鈴木藤三郎 報徳の師父第一集遠州報徳の師父と鈴木藤三郎河津町1件遠州報徳の師父と鈴木藤三郎東伊豆町1件遠州報徳の師父と鈴木藤三郎 ―報徳の師父第一集森町2件遠州報徳の師父と鈴木藤三郎 -報徳の師父第1集ー遠州報徳の師父と鈴木藤三郎袋井市3件遠州報徳の師父と鈴木藤三郎遠州報徳の師父と鈴木藤三郎 報徳の師父第一集遠州報徳の師父と鈴木藤三郎小山町1件遠州報徳の師父と鈴木藤三郎富士市1件遠州報徳の師父と鈴木藤三郎静岡県立農林環境専門職大学2件遠州報徳の師父と鈴木藤三郎遠州報徳の師父と鈴木藤三郎 報徳の師父第一集掛川市2件遠州報徳の師父と鈴木藤三郎 新版遠州報徳の師父と鈴木藤三郎磐田市1件遠州報徳の師父と鈴木藤三郎静岡市2件遠州報徳の師父と鈴木藤三郎 (報徳の師父 第1集)遠州報徳の師父と鈴木藤三郎裾野市1件遠州報徳の師父と鈴木藤三郎静岡県立中央図書館2件遠州報徳の師父と鈴木藤三郎 報徳の師父 第1集遠州報徳の師父と鈴木藤三郎三島市1件遠州報徳の師父と鈴木藤三郎菊川市2件遠州報徳の師父と鈴木藤三郎 新版遠州報徳の師父と鈴木藤三郎沼津市1件遠州報徳の師父と鈴木藤三郎下田市1件遠州報徳の父と鈴木藤三郎湖西市2件遠州報徳の師父と鈴木藤三郎 ー報徳の師父第1集ー遠州報徳の師父と鈴木藤三郎浜松市2件遠州報徳の師父と鈴木藤三郎 報徳の師父 第1集遠州報徳の師父と鈴木藤三郎牧之原市3件遠州報徳の師父と鈴木藤三郎 報徳の師父 第1集遠州報徳の師父と鈴木藤三郎遠州報徳の師父と鈴木藤三郎 -報徳の師父第1集- 新版藤枝市2件遠州報徳の師父と鈴木藤三郎 新版(報徳の師父)遠州報徳の師父と鈴木藤三郎💛「風薫る」の最終回のひとつ前でシマケンがりんに看護についての本を書くよう勧める場面が出て来る。そして最終回に出来上がった『実地看護法』が登場する。シマケンの言葉はリンの心に届いたのだ。「いつか僕らはいなくなっても、本は残る」「その本は、あとに続く人の道標(みちしるべ)になる」実に「遠州報徳の師父と鈴木藤三郎」から始まる「報徳の師父」シリーズが「あとに続く人の道標(みちしるべ)」になればいいなあ(^^)「遠州報徳の師父と鈴木藤三郎」目次一 訳注「静岡県報徳社事蹟」(遠州地方)・・・ 2(一)二宮尊徳小伝 ・・・・・・・・ 4(二)報徳の起源 ・・・・・・・・ 12 (三)報徳の大意 ・・・・・・・・ 13(四)安居院庄七の伝 ・・・・・・・・ 15(五)静岡県における報徳の沿革 ・・・・・・ 22(六)遠江国報徳社 ・・・・・・・・ 23(七)報徳遠譲社 ・・・・・・・・ 29(八)報 本 社 ・・・・・・・・ 37二 遠州報徳七人衆 ・・・・・・・・ 43三 福山滝助翁 ・・・・・・・・ 47四 岡田佐平治翁小伝 ・・・・・・・・ 62五 山中家報徳三兄弟略伝 ・・・・・・・・ 82六 鈴木藤三郎(一)鈴木藤三郎君立志画談 ・・・・・・・・ 103(二)米欧旅行帰国後の鈴木藤三郎 ・・・・ 122(三)「ドラマ発明王鈴木藤三郎の報徳」 ・・ 131「遠州報徳の師父と鈴木藤三郎」の構想は何度も試みては中断を繰り返していて、12月17日講演会テキストとして最後の編集にあたっていて、あらあら目次が出来上がって来た。当初は報徳教師荒木由蔵なども資料集に入れるつもりだったが、史料の典拠を確認できず、またページ数がふくれあがってしまうため、資料集としては福山滝助、岡田佐平治、山中家報徳三兄弟に絞った。本集は「鈴木藤三郎顕彰シリーズ」の第二集の資料編にも相当する。「鈴木藤三郎顕彰シリーズ」は、砂糖王鈴木藤三郎をテーマにしたもので第3集として一番最初に発刊した。次に報徳社徒鈴木藤三郎をテーマとした第一集を刊行した。当時よく「なぜ最初の本が第3集なのですか?」と聞かれたものである。実は森町で第2集のもととなる「鈴木藤三郎を産んだ遠州報徳」のテーマで講演したことがあって、その資料集が 第2集 がシリーズの構成の一部をなしていたので、最初の本を第三集としたのである。第三集を台湾の高雄で印刷するについて大変お世話になった利先生がお亡くなりになって、日本の友人を代表して告別の会(キリスト教式)に出席し、台北に戻ってきたとき、Jさんと夜会食したことがあった。Jさんが「第2集でなぜ過去にさかのぼるのですか?」と聞かれ、「スターウォーズでエピソード、サーガの世界、祖父の世界にさかのぼるようなものです」と答えたら、笑ってそのたとえを喜んでくれた。実は第二集の刊行は森の元気屋さんに托してあり、幻の第2集のものであるが、このたび、袋井市講演会のテーマを「遠州報徳の師父と鈴木藤三郎」としたことから、幾度も試みては断念した鈴木藤三郎シリーズ顕彰第2集の資料編の構想をなんとか実現するにいたった。いろいろと不備はあるのだが、遠州報徳を史料集(読んでわかりやすくするために現代語訳とした)として世に提供することは意義のあることであろう。本資料集が全国の大学図書館・公共図書館で蔵書となることは、実は「報徳記を読む」を補う別集(静岡県における報徳運動)となることにほかならない。本資料集によって日本全国に遠州報徳と山中家報徳三兄弟、その土壌から生まれ出た鈴木藤三郎の「報徳の精神」を顕彰できよう。鈴木藤三郎の「願文」に感動したことから鈴木藤三郎顕彰シリーズは始まった。実に感動こそが人間における本当の事業の推進力にほかならない。
2026.09.25

【競泳】ガラガラ声の池江璃花子 本命種目・50mバタで銅メダル死守「とにかく取りたかった」9/25(金)体調不良でも戦い抜いた。愛知・名古屋アジア大会競泳女子50メールバタフライ決勝(25日、東京アクアティクスセンター)、池江璃花子(横浜ゴム)が25秒97をマーク。本命種目で銅メダルを獲得した。 前日の50メートル自由形は前日体調不良を理由に棄権。それでも、この日は粘り強い泳ぎで表彰台を勝ち取り、今大会2個目のメダルを手にした。「タイムは置いておいて、とにかくメダルを取りたかったのでうれしい」と安堵の表情を見せた。取材時の声はガラガラ。万全な体調ではなかったが、強い気持ちで耐え抜いた。「あまり上手く泳げずに詰まったところもあった。大丈夫かなと思ったけど、タッチまで絶対にメダルを取ると思って泳いだ。今日は体調を言い訳でずに全力で泳いだ。タイム的には良いわけじゃないけど、今回はメダルを取ること、前回大会よりもいい記録で終わることが目標だったので、どっちも達成できてよかった」と笑みを浮かべた。
2026.09.25
内村第一四信(英文封書) 東京下谷徒士町 宮部金吾殿行 札幌 内村鑑三 内村鑑三日記書簡全集5三七頁一八八二年(明治一五年)六月二五日 札幌祭の日札幌にて 親愛なる兄弟宮部 前便以来大分たった。ご承知のとおり、明年開催の水産博覧会へ出品する品を集めるために東部地方海岸へずいぶん長い旅行をしてきた。まれに見る興味深い旅で、役所の仕事に関するたくさんの経験を得たばかりか、人間性について学ぶ機会をたっぷり与えられた。天然は限りなくうるわしかった。札幌をたった時にはニー三フィートの雪の上を進まなければならなかった。しかし、石狩盆地をはなれると、たちまちういういしい春に出あった。貧弱な北海道産の馬を走らせると間もなく、室蘭半島に出た。そこで初めて花をつけた草や木を見た。それにもまして、この地方にたくさんいウグイスの歌声は実にうれしかった。旅行について残らず書くことは長すぎてできない。白雪のモクレンと真紅のカツラのつぼみ、まだ葉ばかりの山みちをかざる二種のサクラソウ(これは札幌でふつうに見かけるのとは違うと思ったので、ここに君に送る)、エゾ松におおわれた様似と幌泉の深緑の山々なぞが、僕の植物学の勉強から得た新しい喜びの一部だった。さわがしく鳴くシギ、歌うヒヨドリ、小さなツバクラスズメ(二種)、コマドリ、アカハラコマドリなどが、鳥類学における楽しみであった。花が咲いたような腔腸動物、サンゴ虫類、棘皮動物などのいっぱいいる海岸は限りなくうるわしかった。しかし、天然はかくも素晴しくすぐれ、みちあふれ、かつ完成しているのに、人間と呼ばれるところの自然の最も崇高な部分は、僕の目には、くされ、堕落し、端的にいえば、獣のようである。仏教と売春とは、二つのはなれ難い仲間同志として、僕の旅行中いたるところで見かけられた。宿屋、《駅逓》から甚だしきは、村役場に至るまで、どこでも、ウソばかりである。われわれは国内至るところで腐敗堕落を実見することができる。しかしその最も甚だしい堕落ぶりを実感し、かつ経験するには、北海道にまさるところはないと思う。(略:旅行中、五月五日の大暴風雨にあい、島松で倒れた。帰宅後、肺炎で二三日間病床にいた。しかし神のとりたもう道は不思議である。僕は救われた。神に感謝す!) 現在の僕の役人としての職場は、イヤな、たえがたい、不満足な、不正だらけなところである。目下何もすることがない。事情は後日話すから、ドーか僕を狂った人間、新奇と変化を愛する人間と思わないでくれたまえ。自分の将来について考えるため、僕は今秋東京へ行かなければならない。誠実な科学の研究がしたいのか。札幌県を去れ!三〇円は無為の役人たちには高すぎる。(略:ジョセフ・クックの講演のこと。生物学とキリスト教との関係の勉強のこと。)キリストに在りて愛される兄弟なるヨナタン・内村鑑三内村第一五信(英文封書)東京下谷徒士町 宮部金吾殿行 札幌 内村鑑三 内村鑑三日記書簡全集5四〇頁一八八二年(明治一五年)一一月二三日 札幌にて 親愛なる四年間の同室の友 和田〔健三〕君に託して送ってくれた手紙感謝にたえない。非常に面白く、力づけられ、心を打たれた。君がいつも誠実に研究に励んでいることを喜ぶ。君のためにキチンキチンと祈っている。日曜日と水曜日は君のために祈る僕の特別祈祷日である。 一八八二年は僕にとり旅行年だった。今日までに三〇〇里を海岸や河川にそって旅行した。この春病気に妨げられなかったら、六百里以上旅行できたろうと思う。(略:昨日石狩から帰った。「一年の四分の一以上を外で過す事のたのしさ!」ジョン・グレーの詩を引用する美しい自然描写。「1882年はほとんど終ろうとしている。」アワビの人工生殖の実験。)海のすなどり、今までのところ成功だった。しかし「人のすなどり」という大きな特権の方も、役所の時間をさいての僅かなひまに楽しんできたが、恵まれて正当な未を結んだ。(略:一五名の新会員が加わった。教会の借金は返せることになった。)科学の名において十字架を弁護するために立ち上がるという高貴な計画に関するお手紙、拝見した。ブラボー!兄弟よ!僕の目的も同じだ。われわれは若いうちに、神の完全な武器をつけ、真理もて腰をかため、平和の福音を足にはき、時到らば勇気と意気をもって立ち上り、無敵の「キリストの道」を進めようではないか。キリストは聖手もて十字架の輝くしるしを、まっただ中に、高々とかかげたもう。君は(そして僕も)この聖きしるしをば、解剖刀、小刀、ケンビ鏡の城壁で守りつつ、ほえたける「人間の子ら」を追い払うことができる。彼らはヘッケル、ビュクネル、チンダル、スペンサーのような、(彼ら自身死ぬべき運命にある)、弱い頼りない指導の下に、「いと聖き者」を辱めんと試みつつあるものである。僕の暇な時間は、全部生物学の研究に費やされている。今年は東京に行ったら、モット本を買うつもりである。(略:足立元太郎と内田瀞の結婚のこと)君に愛せらるる ヨナタン・内村鑑三
2026.09.25
「ユマニチュード」という革命 ユマチチュードの4つの柱「3 触れる」その4p.212 ケアする人が仕事で最も使うツールは手です。しかしながら、その手をどう使ったらいいかという授業を受けていません。しかも触診は減り、すぐにCTスキャンや血液検査が行われます。手で相手の体の声を聞く機会はほとんどないのです。 私は機械工のアルバイトをしていたことがあります。機械にヤスリをかけることから習いました。それにはヤスリをどう持つかを学び、慣れなくてはいけません。同じくケアをする人も手の使い方を学ぶ必要があります。 たとえば、看護師ならば背中を撫でて、「あ、ここが痛いんですね」ということを感じなければいけません。ケアの方向がいるも「してあげる」と与える側であれば、手で相手からの情報を感じ取ることができません。ユマニチュードを学んだ看護師のほぼ全員がこう言います。「触れたら相手が喜んでいるか痛がっているのか、わかるようになった」 ケアの最中に患者が叫ぶときがあります。でも、叫び声が出る前に、実は体で「いやだ、いやだ」と10回ぐらい伝えているはずです。しかし、触れ方の研修を受けると、それがわかるようになります。 日本人は幼児のころはともかく、大人になると互いに親密に接触する機会があまりないにもかかわらず、ユマニチュードの触れ方に対して戸惑う人はほとんどいません。理由のひとつは、看護師・介護士は義務感がとても強いからです。「これは仕事です。この人はこういう触れ方をすることによって心地よくなります。ご本人が必要としているのです」と言えば、この重要性を理解し、真面目にそれを実行してくれるのです。 もうひとつは、日本人は触れることへの渇望があるからだと思います。実際、看護師・介護士は患者に触れる、優しく抱くことをすごく喜びに感じています。ほかの国よりもその傾向は強いと思います。「このようにやさしく触れてもいいのだ」という気づきが、従来のケアのあり方を見直すきっかけになっているようです。看護師や介護士の人たちはすごく自由に感じているのです。日本人は触れること、触れられる機会が少ないだけに、それらをすごく大きな贈り物だと感じているのだと思います。フランス発「魔法の」認知症ケア 「ユマニチュード」考案者 イヴ・ジネスト氏 毎日新聞2018年8月20日 東京朝刊 ――ユマニチュードはどのように生まれたのですか。 ユマニチュード(humanitude)は、人間らしさを取り戻すことを意味するフランス語の造語です。具体的には400を超えるケアの技術があり、それらは、「見る・話す・触れる・立つ」に関するユマニチュードの四つの柱=1=を基に考えられています。私は大学で体育学を修め、フランスの公立学校で体育教師をしていました。介護の現場に関わるきっかけは1979年、フランス国内の病院で働く看護師らの腰痛対策に取り組んだことです。政府から職員の教育担当として派遣され、患者の動かし方に関する研修を行うのですが、現場で目にしたのは、とてもショッキングな光景でした。当時、暴れる患者を拘束するのは当たり前。動く患者は面倒なので、寝たきりになることをよしとしていました。患者は「重たい荷物」と同じで、移動させるため多くの看護師が腰痛に苦しんでいたのです。私が学んできた体育学では「動くことが健康である」というのが大前提でしたから、強い疑問を感じました。そこで私は、寝たきりの患者を起こすことを決意しました。亡くなるその日まで、人間として他者から見つめられ、触れられ、話しかけられ、自分の足で立つべきだと考えたのです。それを実現するために、同僚とともに患者との関わり方を見直し、さまざまなケアを試行錯誤しながら生まれたのが、ユマニチュードです。 ――導入した病院などから、暴力や歩き回りといった認知症の「行動・心理症状」の軽減も報告されています。 認知症になると、食事や入浴を拒んだり、暴力的になったりといった、理解不能な行動をすると考えていませんか。そうした行動には必ず理由があるのです。認知症は新しい記憶を保つことができなくなる病気です。進行すると、自分がいる場所や、人の認識ができなくなります。認識できる視野も狭まり、すぐ隣で話しかけられても気づきません。そんな状況で、オムツを替えると言って、突然、知らない人の手が下着をはがそうとしたらどうでしょうか。知らない人から手をつかまれたら? 怖く、不安なはずです。認知症の方の視点で考えると、患者の抵抗のほとんどは自然な「防御」なのです。ユマニチュードは、出会いから別れまでを五つのステップ=2=に分け、一連の手順を踏むことでこうした不安を和らげ、相手の心をつかみます。関係を築いた上でケアを行うのです。 現状では多くの場合、こうした行動・心理症状を薬で抑えようとします。認知症者への薬物の過剰な処方が世界的に問題になっていますが、ユマニチュードは薬を減らす上でも大きな成果を上げています。パリのある高齢者専門病院では、ユマニチュード導入前(2005年)と導入3年後(08年)の比較で、抗うつ薬や抗不安薬といった向精神薬の処方が88%も減りました。 ――ユマニチュードの実践施設では、患者の過ごし方も違うと聞きます。 実は私の両親も認知症でした。困ったのは、2人が一緒のベッドで過ごせる施設がないことでした。両親は70年間、毎晩同じベッドで寝ていたので、一緒に寝ないことは考えられませんでした。しかし、病院の伝統として、一つのベッドに1人の人間という「常識」があるんですね。認知症になって施設に入ると、愛する人やペットと過ごせないのは当たり前で、ほとんどの場合は飲酒も禁止です。特に誰も気にしていないようですが、これらは深刻な人権侵害だと私は思うのです。結局、母が亡くなるまで両親は施設に入らず、家で過ごしました。ユマニチュードを実践するフランスの施設では、愛する人と同じベッドで寝ることは、もちろん許されます。ペットと暮らすこともできます。人権は、認知症になっても全く変わらず続きますから。 ――日本の施設も数多く視察していますが、改善すべき点はありますか。 初めて日本に招かれた12年以降、数十の施設を視察しました。ベッドで終日過ごす高齢者は多く、身体を固定するケースも非常に多いと感じました。こうした身体の抑制は転倒を防ぐために行われていますが、逆に本人の立つ能力を奪っています。日本の看護師や介護士が「認知症者の尊厳を重要視していない」とは思いません。みな強い使命感を持ち、優しい心で患者に接しています。ただ、技術が足りないだけなのです。 そのような中、日本でも、6年間で4000人を超える看護・介護の専門職がユマニチュードの研修を受け、20施設以上が本格的な導入を進めています。また、福岡市は16年から、市の認知症対策にユマニチュードを取り入れています。家族介護者を対象にした研修では、介護の負担感が軽減されたという結果が出ており、今年4月からは、市内の小中学校や地域の一般市民への研修が順次始まっています。自治体としては世界初の取り組みです。 ――日本ではまだ「認知症イコール絶望」といったイメージが強いです。 認知症の人が家族を認識できなくなると、家族は愛する人を失ったような悲しみに襲われます。しかし、その人の中に、子や夫、妻を愛した感情は残っています。92歳で亡くなった母は、私が息子だと分からなくなっても、息子を愛する気持ちを忘れることはありませんでした。母の2年後に94歳で亡くなった父は、介護をする私に毎日「愛している」と言ってくれて、私自身も初めて父に「愛している」と直接伝えることができました。認知症は、介護する家族をより深い人間に成長させてくれる贈り物だと考えています。 聞いて一言 自分や家族がいつか認知症になると想像することは、私にとって恐怖だった。認知症は人間としての尊厳を奪い、周囲の人を疲弊させると思い込んでいたためだ。しかし、ジネスト氏の話を聞き、こうしたイメージは、周囲の無知や不適切な対応によって生み出された誤解であると気付かされた。人は認知症になっても、最期までその人らしく生きることができる。多くの人がこうした考え方を知り、接し方の技術を学べば、「認知症イコール絶望」ではなくなるだろう。 ■ことば 1 ユマニチュードの四つの柱 正面から、同じ目線の高さで、長く見つめる▽ 優しく、歌うように、ポジティブな言葉で話しかけ続ける▽ 手のひら全体で、ゆっくり、包み込むように触れる▽ 1日に計20分は立つ時間を作り、患者が寝たきりになるのを防ぐ --という基本技術。これらを組み合わせて相手とコミュニケーションをとる。 2 5つのステップ 相手と良い関係を築くため、 (1)ノックなどで来訪を知らせる (2)正面から視線を合わせ「あなたに会いに来た」と伝える (3)見る・話す・触れる技術を常に二つ以上使ってケアを行う (4)受け入れてくれたことへの感謝などを伝え、ポジティブな感情を残す (5)また来ることを伝える--といったアプローチ方法。
2026.09.25
大智禅師偈頌講話 澤木興道偶作 その8【偶作】 寂光明土娑婆界 (寂光明土娑婆界)色裏膠青水上波 (色裏の膠青水上の波)浩浩村歌兼社舞 (浩浩たる村歌と社舞と)負恩者少報恩多 (恩に負く者は少なく恩を報いるは多し) だから、娑婆即寂光浄土というよりも、寂光明土娑婆界という方がおもしろい。寂光明土の真っただ中で娑婆のことをやっておる。仏さんが「その身即心即仏」といわれる。だが、その即心即仏が仏さんになるようにやっておるかというと、嫁さんのことよりなんにもない。金貯めるよりなんにもない。そういうふうになんで金を貯めるか。月給が十円でも多うなるように、南無月給大明神。なんで働く。月給を貰うから、月給という鞭でどやされておる。 寂光明土の真っただ中において、月給という一つの鎖で括られておる。「そんならもう月給貰わん」といって、すぐに辞表を出して、「どこぞいいとこー」けれども、そんなとこ、どこにもありやせん。今おるところが娑婆世界か、寂光浄土か、どちらかという、そこがわれわれの工夫なんである。 そうすると、主観的事実はどちらか、自分はいったいどこにおるのか。境界はどこら辺にあるのか。これを考えるのが、われわれの毎日毎日の仕事なのである。これは人間なればこそ、こういう工夫がある。猫や犬の出来ることではない。娑婆を極楽にする。それをだいたいは、極楽を娑婆にしておる。「色裏の膠青(こうしょう)水上の波」ここに、一枚の絵がある。ここに膠青というのは、まあ極彩色の絵である。種々な色で美しく書かれてある。青いという字だけであるけれども、これは青だけに限らぬ、あらゆる色のことをいう。それで色裏の膠青で、そこに種々の色が現れているが、その色は膠を離れていない。色は現象、膠は実在である。あるいは水上の波。水即波であり、水の外に波はなく、波の外に水はない。波は現象、水は実在、現象即実在である。これを『華厳経』の中には、「よく諸の五蘊をえがく、心仏及衆生、是三無差別、三界唯一心、心外無別法」とある。こういうことが色裏の膠青水上の波―。現象実在、心と仏と衆生、この三無差別なんである。その理屈は分っておる。だがそこが本当に分るのは、これはわれわれの日常生活の工夫による。それゆえわれわれは、いかにすればいいかを考えねばならぬ。それは娑婆を浄土にすることである。浄土を娑婆にすることじゃない。(大智禅師偈頌講話p.208-209)
2026.09.25
余が菓子商として五年間に売上高を十倍にしたる営業法(大日本醤油醸造会社長鈴木藤三郎「実業日本」一一(二〇)) 十年の元旦から生れ返って大奮発 私はふとした機会で報徳教を耳にすることになった。そうすると私が今まで是(ぜ)であると信じていた考えは甚だ人道にそむいているということが解ったので、爾来四、五年間は必死になって報徳を研究した。元来私は物に熱しやすい性質であったから、自然人よりも多く疑問を抱き、またこの疑問が腑に落ちるまでは、どこでもうるさく尋ね、時には議論さえしたことも少なくない。報徳主義の人には謙譲の美徳を尊敬して、人と議論するなどということは少しもない。それを私が目上の人であろうが、さしつかえあることがあるにも係らずにやるので、自然私のことを『論客』とあだ名されるようになった。 当時私は製茶の販売をやっていたので、相当に稼いではいたが、出盛りの時は外は用もないので朝寝をすることがある。養父は報徳主義を聴いた人ではないが職業には熱心勤勉な方で、朝早く一仕事してからも未だ私が寝ているのを見、私の枕元へ来て『何だ、朝寝の報徳というがあるか』と責める。私も理論を研究している時である。なかなか口は達者なもので、即座に「朝寝の報徳もあります。物事には順序というものがあります。大工が板を削る前には必ず鉋(かんな)を磨いてからかかる、理髪主(とこや)が顔を剃るにも必ずその前にかみそりを磨きます。それが物の順序というのです。諺にも寝勘弁というではありませんか。一通り将来の新計画を立てて段々に実行に着手する。私は大工鉋を磨き、理髪主がかみそりを磨いてるのと同じく、今は実行に着手する準備です。今は年の半ばですから、明年の一月一日を紀元として新しい人間になって働くつもりです。それまでは容赦しておいて下さい。その代り来年からは余り働き過ぎるななどとご心配をなさらないようにして下さい」と言った。 先ず買って来たのは目覚し時計 報徳の教えを聞いてから職業の大切なこと、人間に尊卑の区別あるは誠心のいかんによるので、その執る職業には少しも関係せぬことを悟ったので、今まで独立してやっていた製茶事業をやめて再び家業の菓子製造業に従事することにした。 そして第一に朝は五時に起きることに決めた。しかし困ったことには今までは朝寝の癖がついたので、なかなか目がさめない。人に起こして貰うのは嫌だし、何か機械的に自分で慣習を改める法はあるまいかと考えていた。その頃目覚し時計というものがあるとは聞いていたが、まだ見た人も少ない。然るに浜松の宮代屋という小間物屋が名古屋から買って来て持っていると聞いたので、無理に七円五十銭かで譲って貰い、いよいよ明治十年一月一日からこの目覚し時計で五時には必ず起きて仕事に着手した。今まで朝寝さえしたこののある私が五時にはキチンと起き、しかも元日から仕事をするので家の人はビックリしている。
2026.09.25
下館談話記【三】その2(現代語訳のこころみ)何を疑い何を惑うことがありましょうか。自然の理は人作をもって変ずることができないことはこのようなのに、往々にして草木の繁茂を欲してその根を断つたぐいは延々と絶えません。常に小人はこれを好んで、君子はこれを悲しみます。そもそも木の根を切るならば、その憂いがすぐに達するは必ず芯に至って、枝や葉の憂いは急ではありません。そうであれ民を虐げればその憂いはすぐに人君に帰します。その害が人臣に及ぶにはまた時間がたって緩やかです。借財は領民と関係がないようですがそうではありません。一国の聚斂(しゅうれん:きびしく租税を取り立てること)が不足して他の財を借りるのは、なお木の根を遠くさして水を運ぶようなものです。この理は根を切ればたちまち木の芯が萎れます。だから借財をあがなわないでこれを踏み倒し、貸す者の恩を棄てて一時の安きを求めるならば、その害が国君に帰する事は恐るべき至りです。世の才がある者は往々このゆおな謀(はかりごと)をして、かえって自ら国の憂いを除いたとし、君もまたこれをほめます。人君が禍を受けるに及んで何のためかを知りません。大変嘆くべきことではありませんか。およそ人臣が君に災いをもたらす、不忠はこれより大きいものはありません。そうであれば、君につかえる者はよく国家の大体を明らかにし、節倹を行い、分度を守り、国民を恵み、借財があればあえてこれをあがなって、君に多くの幸いを生じ、国家に永久の憂いがないようにするのが忠臣の行いです。」下館藩の家老はこれを聞いて非常に称嘆した。何なにをか疑うたがひ何なにをか惑まどはんや。自し然ぜんの理り人にん作さを以もって変へんずべからざること斯かくの如ごとしといへども、往おう々おう草そう木もくの繁はん茂もを欲ほっして其その根ねを断たつの類たぐい絡らく繹えきとして絶たたず。常つねに小しょう人じんは是これを好このみ、君くん子しは是これを悲かなしむ。夫それ木きの根ねを切きれば、其その憂うれいの直じきに達たっするは必かならずしん(芯)に至いたり、枝し葉ようの憂うれいは急きゅうならず。然しからば民たみを虐しいたぐれば其その憂うれひ直じかに人じん君くんに帰きす。其その害がいの人じん臣しんに及およぶは亦また時ときを経へてゆるし。借しゃく財ざいは領りょう民みんに与あずからざるものに似にて左さにはあらず。一国こくの聚しゅう斂れん不ふ足そくして他たの財ざいを借かるは、猶なお木きの根ね遠とおくさして水みずを運はこぶが如ごとし。此この理り根ねを切きれば怱たちまち木きのしん(芯)しを(萎)る。故ゆえに借しゃく財ざいを贖あがなわずして是これをたを(倒)し、貸かす者ものの恩おんを棄すて一朝ちょうの安やすきを求もとめば、其その害がい国こく君くんに帰きする事こと恐おそるべきの至いたり也なり。世よの才さいあるもの往おう々おう斯かくの如ごときの謀はかりごとを為なし、却かえって自みずから国くにの憂うれいを除のぞきたりとし、君きみも亦また是これを賞しょうす。人じん君くん禍わざわいを受うけるに及およんでは何なんの故ゆえを知しらず。嘆なげくべきの甚はなはだしきにあらずや。凡およそ人じん臣しん為となり君きみの災わざわいを成なす、不ふ忠ちゅう是これより大だいなるはなし。然しからば、君きみに事つかふるもの能よく国こく家かの大だい体たいを明あきらかにし、節せつ倹けんを行おこなひ、分ぶん度どを守まもり、国こく民みんを恵めぐみ、借しゃく財ざいあらば敢あえて是これを贖あがなひ、君きみの多た福ふくを生しょうじ、国こく家か永えい久きゅうの憂うれいなからしむるもの、忠ちゅう臣しんの行おこない也なり。下しも館だて大たい夫ふ是これを聞ききて大おおいに嘆たん称しょうす。
2026.09.25
卓球男子団体、日本が中国を撃破し60年ぶり金メダル!張本智和が2勝の活躍、44年ぶりの決勝で悲願達成【アジア大会】9/24(木) ■第20回アジア競技大会 卓球男子団体 決勝 日本 3ー2 中国(24日、スカイホール豊田)卓球の男子団体決勝が行われ、日本は中国と対戦。3戦先勝方式のなか3勝2敗で勝利し、1966年バンコク大会以来、60年ぶりとなる金メダルを獲得した。日本は前日の準決勝で韓国を3ー0で下し、1982年ニューデリー大会以来44年ぶりに決勝進出。今年5月の世界卓球団体決勝では0ー3で敗れた中国との再戦を制し、地元開催のアジア大会で悲願の頂点に立った。第1試合に登場したのはチーム最年少となる19歳の松島輝空。対するのは、8連覇中の中国で世界ランキング1位の王楚欽(26)とあって、会場は日本にもかかわらず中国の大声援が響き渡った。同ランク3位の松島は序盤から積極的に仕掛け、バックハンドが冴えわたった。第1、2ゲームを連取。第3、4ゲームはフットワークを活かした王に連取され第5ゲームへ。ゲームカウント2-2となり、第5ゲームは一進一退の攻防。先に5点目を奪うと、コートチェンジし、2連続失点でタイムアウト。気持ちを切り替えて、渾身のカウンターショットが決まるなど同点とした。しかしマッチポイントを先に奪われ、そのまま振り切られた。第2試合の張本智和(23)も第1ゲームを奪い、流れを引き寄せたかったが、温瑞博(19)に第2ゲームを奪われるなど接戦。第3ゲームを11-4と圧倒すると、第4ゲームを取り切り1勝1敗とした。第3試合は戸上隼輔(25)が元世界ランク1位の林詩棟(21)と対戦。第1ゲームを連続ポイントでリードするも追いつかれ、逆転を許し9-11と先取された。第2ゲームは11-4で奪い、ゲームカウントを1-1に戻した。第3ゲームでは連続スマッシュで先制したが、中盤で逆転されて、落とすと第4ゲームも奪われた。後がなくなった日本は第4試合に再び張本が登場し、対する中国も世界1位の王楚欽がコートに立った。第1ゲームは序盤リードされるも、同点に追いつくとそのまま11-7で先取。さらに第2ゲームも11-4で連取すると、第3ゲームは王の反撃に遭うも振り切った。日本は2勝2敗とし、第5試合は松島と温の同世代対決となった。第1ゲームから手に汗握る展開。第1試合で世界1位に善戦した松島がこの試合でも積極的な攻めを見せ、11-7で先取。第2ゲームは出だしからリードされるとそのまま逃げ切られた。ゲームカウント1-1となり、第3ゲームはチキータで2点のリードを奪うと、一気にたたみかけ、11-6で奪い、60年ぶりの金メダルにあと1ゲームと迫った。そして第4ゲームで3-2とリードすると、温も焦り連続失点。松島が勢いそのままにこの試合を制し、日本に金メダルをもたらした。💛張本選手2勝 温選手に3-1、王選手に3-0最後松島選手が温選手に3-1勝利 で3-2で日本金メダル見ごたえのある素晴らしい試合👏
2026.09.24
シナモンは血糖値を下げるのか!血糖値は、空腹時と食後で変動しますが、血糖値が高い状態が続くと糖尿病や心筋梗塞などの病気を発症する危険性があります。このような病気を発症しないようにするためには、血糖値の安定化が不可欠です。血糖値を安定させるには、食事療法や運動療法がありますが、実は香辛料であるシナモンが血糖値の安定化に効果があるといわれています。血糖値が上昇すると、膵臓からインスリンが分泌されます。血糖値が下がる仕組みインスリンとインスリン受容体が結合する1.細胞内にブドウ糖を取り入れる2.血液中に過剰にあるブドウ糖は肝臓に貯蔵される3.血液中のブドウ糖が減る4.血糖値が下がる細胞にブドウ糖を取り込み、血液中のブドウ糖濃度を減らして血糖値を下げる役目がインスリンです。高血糖が続く場合は、インスリン分泌からブドウ糖を細胞に取り込むまでの過程に何かしらの異常があります。ブドウ糖を細胞に取り込めない原因は、以下のとおりです。インスリンの働きが悪い、インスリン抵抗性インスリン分泌不足インスリンの働きが悪く高血糖が続くと、膵臓はもっとインスリンを分泌させて、血糖値を下げようと頑張ります。そして、頑張りすぎた膵臓は疲弊し、インスリンの分泌が追いつかずに血糖値を制御できなくなります。そうなると、血液診断で空腹時血糖値やヘモグロビンA1c(HbA1c)の値が高くなり、糖尿病と診断される可能性があります。シナモンは、インスリンの働きを改善させる効果があり、血糖値の安定化に役立ちます。シナモンが血糖値を下げるといわれている理由は、以下のとおりです。インスリン抵抗性の改善インスリン感受性の向上、細胞がインスリンに反応する能力向上インスリン抵抗性は、インスリンの分泌量は十分に保たれているが、インスリン受容体がうまく機能しないために細胞内にブドウ糖を取り込めない状態を指します。インスリン抵抗性の原因は、肥満や内臓脂肪の蓄積です。脂肪を過剰蓄積して大きくなった脂肪細胞は、インスリン作用を妨害する因子の分泌を上昇させます。そして、インスリン作用を促進する因子の分泌を減少させるため、インスリンの反応性が低下します。ここで、インスリンの作用を助けてくれるシナモンの出番です。シナモンに含まれるプロアントシアニジンは、インスリンの分泌を促して効力を高める作用があるため、インスリン抵抗性を改善させます。インスリン抵抗性が改善すると、インスリン感受性が向上して効果的にブドウ糖を細胞に取り込めるため、血糖値の安定化につながります。◎「シナモン」シナモンの名称で流通2種類「セイロンシナモン」と「カシア」シナモンのシンナムアルデヒドがインスリン感受性を高め食後の血糖スパイクを抑えるはちみつのグルコン酸と組み合わせると腸内善玉菌が増えてインスリン感受性がさらに高まる
2026.09.24

大橋信、200m平泳ぎで衝撃の世界新記録!17歳のスーパー高校生が100mと2冠、28年ロス五輪に期待【アジア大会/競泳】9/24(木) 32年ぶりに日本で開催されている愛知・名古屋アジア大会は9月24日、東京アクアティクスセンターで競泳5日目が行なわれ、男子200メートル平泳ぎ決勝で17歳の大橋信が2分04秒83の世界新記録を叩き出して金メダルを獲得した。競泳ニッポンの超新星が大仕事をやってのけた!大橋はスタートから飛ばして、前半の100メートルは59秒89で通過。1分を切る超高速タイムでターンすると、ここからはもう大橋の独壇場。150メートルも1分32秒40をマーク。世界記録ペースでいくと会場はどよめいた。 大橋は最後まで一切スピードが落ちず、電光掲示板のWRラインを上回ると、会場はさらに大盛り上がり。日本記録(2分06秒40)どころか、世界記録更新に大橋は驚きのリアクションとともに力強いガッツポーズをみせ笑顔が弾けた。 ▼男子200m平泳ぎ決勝金 大橋信 2:04.83 世界記録銀 デニス・ペトラショフ(カザフスタン) 2:08.67 銅 チョ・ソンジェ(韓国) 2:08.76
2026.09.24
「余は如何にしてキリスト信徒になりしか」内村鑑三「第三章 初期の教会」より抜粋 我々が我々の私室において形成した小さな「教会」について述べる前に、私はここにその会員たちの個性的な特性の若干を記さなければならない。(A)我々のうちの最年長者はヒュー〔藤田九三郎〕であった。彼は数学者であり技術者だった。常に実際的であった。そして現生の金銭を目的とした、もちろんキリスト教徒的目的をもってであるが。実務において人を公明正大にすることができれば、彼はキリスト教の理由を大いに研究することを必要としなかった。彼はあらゆる種類の卑屈と偽善とを嫌悪した。そして彼が豊富に貯えておいた巧妙なジョークがしばしば「教会」の中で飛び出し、特に手痛い傷をその犠牲者にこうむらせた。彼は常に教会の信頼すべき財政維持者で、しばしばその会計係りだった。そして何年かの後には我々の新しい教会堂のために「材料の強度」を計算した。(B)次に年齢の順ではエドウィン〔足立元太郎〕であった。彼はよい心の男であった。何事にも率先し、同情が呼び起こされればすぐに涙ぐみ、そして常に「事務総長」として調法であった。クリスマスに献堂式に、彼はあらゆるものを立派にきれいに見せようと、しばしば「食事を忘れた」ものであった。神学の勉強は彼の得意ではなかった。「絵入りキリスト教週刊」のなかのいくつかの物語は、バトラーの「アナロジー」やリッドンの「バムプトン講演集」にある名論卓説よりも彼を多く感動させ、彼の豊富な涙をより多く引き出した。(C)フランシス〔宮部〕は我らのうちでもっとも円満な性格をもっていた。『何者にも悪意を向けず、全ての人に対し思いやりをもち』(リンカーンの第二期大統領就任演説)である。『彼は天性善人である』とわれわれは言うのを常とした。『そして彼は善人であろうと努力する必要がない。』彼の存在が平和であった。そして初期の教会が会員間の不和や神学者の憎悪のためにまさに崩壊しようとした時、彼は北極星(the cynosure:ラテン語 Cynosūra 小熊座)であって、我々はその周りをもう一度平和と調和をもって回転しはじめたのである。彼は国中第一の植物学者となるようになった。そしてキリスト教平信徒として彼の奉仕はその国人のあいだに神の国を前進させるにあたり、常に計り知れないほど貴重なものであった。(D)フレデリック〔高木〕は、ヒューのように、実際家であったが同年輩の少年に珍しい機敏さと眼識とを備えていた。彼が特に愛した学問は化学であった。そして彼は国中一流の技術者の一人となった。彼の学問の上達は相当のものであった。彼は教師の助けなしにドイツ語、フランス語に上達し、シルレル、ミルトン、シャークスピアを楽しむことができた。彼はキリスト教の根本教義のうちのあるものには疑惑をいだいたが、しかし自らそれにあたってこのような難問をことごとく解決することができないことを早くからさとった。彼は『純粋無垢な生涯』をめざして前進していった。そして人間の判断の及ぶかぎりにおいてはそれを達成したのである。彼のあまりに実際的すぎる常識は時には『教会』の子どもらしい空気とははなはだ合致しないことがあった。しまも彼は耐えた、そしてわれわれも耐えた。そして4年の長い間に彼はきわめて稀にしか集まりを欠席しなかった。(E)パウロ〔新渡戸〕は『学者』であった。彼はしばしば神経痛に悩んだ。また近眼であった。彼はすべての事を疑うことができ、新しい疑問を製造することができた。そして何事も自分がそれを受取ることのできる前に吟味し証明しなければならなかった。彼は自分の別名をトマスとつけるべきであった。しかし彼の眼鏡といかにも気取った学者的風采にもかかわらず、彼は心に偽りのない少年であった。そして安息日の朝の集まりでは摂理と予定について陰鬱複雑な懐疑をもって「教会」の熱心を冷却させた後に、その日の午後の桜の花の下の野遊びには仲間と一緒に参加することができた。(F) チャールズ〔広井〕は複合的性格であった。彼はその機敏な常識においてわずかにフレデリックに劣るだけであったが、しかしキリスト教に対する知識的態度においてはいっそうに似ていた。彼は多くの熱心な青年のように神と宇宙とを彼の知識の助けをかりて理解し、自分自身の努力によって神の永遠の律法に文字通り自分自身を一致せしめようと試みたが、それに失敗して彼はキリスト教のまったく異なった一面に傾き、「善きわざの福音」を信ずる彼の信仰に落ち着いた。彼は学識ある技術者となるようになった。そして実質的な形をもってする彼の同情は、教会の内部たると外部たると何か実際的の善事が意図されているとき、つねに信頼することができる。(『ボーイズ・ビー・アンビシャス第四集』二二頁)Before entering into the description of the little "church" we formed in our private rooms,I must notice here some of the personal traits of its members.(A) The eldest of us was Hugh. He was a Mathematician and Engineer; was always practical, and had solid cash in view, of course with Christian aim. He need not inquire much into the reasons of Christianity, provided it could make men fair and square in business. He hated meanness and hypocrisy of all sorts, and his tact in tricks, of which he had a fertile resource, often cropped out in the "church," inflicting peculiarly painful wounds upon his victims. He has ever been a reliable financial supporter of the church, has often been its treasurer, and calculated "strength of materials" for our new church-building some years afterward.(B) Next in age came Edwin. He was a good-hearted fellow, foremost in everything, ready with his tears when his sympathy was called for, and was always serviceable as "Commissioner for Arrangement." At Christmas, in Dedication services, he would often "forget his meals" to have all things look nice and pretty. Dig in theology was not his. Some stories from the Illustrated Christian Weeklies impressed him more and drew more of his abundant tears than the best argument in Butler's Analogy or Liddon's Bampton Lectures.(C) Next in age came Edwin. He was a good-hearted fellow, foremost in everything, ready with his tears when his sympathy was called for, and was always serviceable as "Commissioner for Arrangement." At Christmas, in Dedication services, he would often "forget his meals " to have all things look nice and pretty. Dig in theology was not his. Some stories from the Illustrated Christian Weeklies impressed him more and drew more of his abundant tears than the best argument in Butler's Analogy or Liddon's Bampton Lectures.(D) Francis had the roundest character among us, with " malice toward none, and charity toward all." " He is naturally good," we used to say, " and he need not exert himself to be good." His presence was peace, and when the incipient church was on the point of dissolution on account of personal animosities or odium theologicum among its members, he was the cynosure around which we began to revolve once more in peace and harmony. He turned to be the best Botanist in the country, and as a Christian layman his service has always been invaluable in the advancement of God's kingdom among his countrymen. (E)Frederick, like Hugh, was a practical man, but with shrewdness and insight uncommon with a boy of his age. His favorite study was Chemistry, and he became one of the foremost Technologists in the country. His literary accomplishment was considerable. He mastered German and French without the help of instructors, and could enjoy Schiller, Milton, and Shakespeare. He doubted some of the fundamental teachings of Christianity, but he early saw the impossibility of disposing all such difficulties by applying himself at them. He pressed on with a "pure, spotless life" in view, and as far as human judgement goes, he attained it. His too-much practical common-sense was sometimes not very congenial with the boyish air of the "church." Still he bore, and we bore, and for four long years, he very seldom was absent from the meeting.
2026.09.24

「ユマニチュード」という革命 ユマチチュードの4つの柱「3 触れる」その3p.209 触れるという行為には3つのタイプがあります。ひとつは「認証」として、相手に受け入れられ、意味や喜びを分かち合う触れ方です。肩を組んだり、ハグしたりするのは、この例です。 ふたつめは「攻撃」としての触れ方です。怒りに任せて掴んだり、ゆさぶったりするなど、相手からの同意を得ずに粗暴に扱います。この触れ方には不快な感じが伴います。 三つ目は「必要性のある」触れ方です。病院に行けば医師に体を触れられます。触れられたくない部位でそれを不快に感じても、「必要なのだ」と思えば合意はできmす。 ケアは「必要性のある触れ方」です。そこで問題が生じます。「必要だから触れられている」と受け止めるためには、認知機能が必要です。意識がしっかりしていれば問題ありません。しかしその人が認知症だとしたらどうでしょう。認知症の人に対するケアにおいては「必要でないのに触られている」「自分が攻撃されている」と受け取られている可能性が高いということです。 認知症の人は日々、必要性に基づいた触り方しかされていないのにもかかわらず、それがわからない。ケアをする人は普通のケアを行っているつもりなのに、それを受け取る側は常に攻撃されていると感じているわけです。しかも縛られることもあるわけですから、本人にとっては地獄のような体験です。だからこそ、私たちには「触れる」技術が必要なのです。 まず親指をかけてわしづかみにしない。指先だけで触れない。強制力を感じさせ、圧力が高くなるような、攻撃を意味する触れ方はしてはなりません。 ついで最も敏感ではないところから順に触れます。清拭は背中からはじめて、次に腕そして脚へと移ります。感覚がそれほど鋭くないところからはじめると、相手はケアを受け入れやすくなります。 そして常に触れていることです。人というものは、感覚的な関係を結んだときにそれが断絶されるのが好きではありません。ずっと継続してほしいと思うのです。ですから、ケアの最中、あなたは岩登りをしていると思ってください。両手を離すと落ちます。そのため、常に一方の手は触れているように努めます。そして、広く、ゆっくり触ることが肝心です。 ケアの現場では衛生や効率から考えた動作は教えられています。けれども「掴んではいけない」といった、関係をつなぐための触れ方は教えられてはいません。ですから、いつも人間関係を築く触れ方に注意を払ってください。「私はあなたに触れることがとても好きなんですよ。あなたは私の友だちです」というメッセージを相手に常に届けるための触れ方です。 ユマチチュードの触れ方の特徴は、決して力づくではないところです。患者の体の移動については10歳程度の子供以上の力しか必要としません。触れる場所を選ぶ。とにかく優しく、広く触れる。これがユマニチュードの触れ方です。https://holdings.panasonic/jp/corporate/universal-design/ikiiki/index_25.htmlユマニチュードは体育学の専門家である私とロゼット・マレスコッティが考案したケアの技法です。私たちは医療や介護の専門職員の腰痛を予防してほしいというフランス政府の依頼を受け、この分野での仕事を始めました。その後、さまざまな病院や介護施設において、もっともケアが難しいと思われている10人の人をリストアップしてもらって、その人たちにどんなケアを行えば問題が解決できるかを試行錯誤しながら40年間取り組んできました。そんな現場の経験の中から400ほどの技術と「人間らしさとは何か」を問うユマニチュードの哲学が誕生しました。ユマニチュードとはフランス語で「人間らしさを取り戻す」という意味の造語です。ケアの困難さを解消するには、技術を上手に使っていくための哲学がなければうまくいきません。ユマニチュードの基本的な哲学は、「愛」と「優しさ」と「自由」を大切な価値として実現していくことです。ご家庭で認知症の方を介護している方は、ご本人にできるだけ自由に過ごしてもらいたい、優しく接したいと思ってらっしゃると思います。けれども、認知症の症状が進んで、不可解なふるまいをするようになると、つい大声で叱ったりしてしまいます。本当はそんなことはしたくないのに。そうした課題を解決するためには、相手を大切に思っていることを相手が理解できる形で届ける技術が必要です。私たちは介護の現場において、その技術を創り出してきました。ユマニチュードは認知症の方に限らず、新生児から高齢者まであらゆる年代の“ケアが必要な方”と“ケアをする方”がよい関係を結ぶための技術であり、誰もがそれを学び、実践することができます。ユマニチュードの基本となるのは、「見る」「話す」「触れる」「立つ」の4つの柱です。「見る」「話す」「触れる」などあたりまえのことだと思われるかもしれませんが、介護をしているときには作業に集中してしまって、「あなたのことを大切に思っている」ことを伝えるためのコミュニケーションの技術を使うことを人は忘れてしまいます。一生懸命なあまりに手元ばかりを見てしまったり、黙々と介護をしたり、テキパキと相手の体を動かしてしまったりすることは、どなたも経験があると思います。でも、それでは「あなたのことを大切に思っている」気持ちを相手に届けることができないのです。相手とよい関係を結ぶためには、「あなたのことを大切に思っています」ということを相手が理解できる形で伝える必要があります。つまり、相手のそばに近づいて目と目を合わせ、優しい言葉をかけ、優しく触れること。このようなふるまいは、実は私たちが生まれたばかりの赤ちゃんに対して本能的に行っていることです。赤ちゃんだけではありません。人は誰もが大好きな人と会うとき、目と目を見交わし、優しく語らい、優しく体に触れたくなります。無意識にそうすることで、あなたのことが大事だと伝え、実際にそれが相手に伝わることで良い関係を結ぶことができます。介護においても、相手とよい関係を結ぶために、私たちが大切な人に対して無意識に行っている行為を意識的に行う必要があります。そうすれば、相手の体内に信頼感を与える「オキシトシン」というホルモンが分泌され、不安が穏やかで安らぎに満ちた気分へと変わっていきます。優しさを伝える技術が生理学的な変化を起こすのです。なぜ介護において「見る」「話す」「触れる」というコミュニケーションが重要なのでしょうか。それは他者と良い関係を結ぶことが人間らしさを回復させる鍵だからです。すべての動物には生物学的な誕生と社会学的な誕生があります。犬は赤ちゃんを産むと、そのからだを舐めます。キレイにするためではなく、舐めることで「あなたは私と同じ犬だ」と教えている、動物行動学に基づいた社会学的な誕生です。母犬に舐められない仔犬は母乳を飲みに行けず、やがて死んでしまいます。哺乳類が生きていくためには、生物学的な誕生だけでなく、他者によって認められる社会学的な誕生が欠かせないのです。人間にも同じことが言えます。生まれたての赤ちゃんはまだ自分が人間であることを知りません。赤ちゃんに自分が人間であることをわからせるために、人は、舐める代わりに、赤ちゃんを見つめ、優しい言葉をかけ、抱きしめたり頬ずりしたりするのです。そのことによって、人は人らしさを獲得していきます。ところが、介護が必要な状況になり、まなざしを向けられたり、言葉をかけられたり、やさしく触れられたりする機会が少なくなると、人は“人間として扱われている”という感覚を失ってしまうおそれがあります。人間は二足歩行する動物です。解剖学的に、人間の脳は脊髄の上に載ることによって機能するようにできています。生理学的にも、立つことで肺が広がって吸い込める空気の量を増やせます。立つことによって健康を維持できると同時に、人としての尊厳を保つことができます。ところが転んだりすることを心配するあまりに、相手に良かれと思ってベッドまで食事を運んだり、ベッドに横たわった状態で体を拭いたりすることが、実は介護される方の健康を損なっていることに私たちは気づかなければなりません。立つ理由がなくなれば、誰しも自分から立とうとはしなくなります。そして次第に立って動く能力を失ってしまうのです。だからといって、単に「立つことは大事だから立ちましょう」と促しても、「立ちたくない」と言われるかもしれません。その時は、たとえば「一緒に料理をしましょう」「シャワーを浴びてすっきりしましょう」など“ご本人にとって楽しくなる立つ理由”を提案してください。筋肉は伸ばす力よりも曲がろうとする力の方が強いので、動かない状態が長く続くと曲がったままになってしまい、拘縮と呼ばれる状態になってしまいます。そうならないように、できるだけ立つ機会を設けることが大切です。1日に合計で20分立つ機会を設けることができれば、死ぬその日まで立つ能力を維持することができます。認知症の症状が進んでくると、不可解な行動が目立つようになります。例えば夕方、90歳のお母さんが「子どもを迎えに行かなきゃ」と外に出ようとする。そんなときに「どこへ行くの?」「迎えに行く子どもなんていないでしょ!」「危ないから止めて!」と咎めてしまうと、お母さんには理解できず、不安を感じて、ますます状況が悪くなってしまいます。認知症の特徴を知っておくことが、このような状況の解決にとても役に立ちます。小さな子どもは居ないのに「子どもを迎えに行かなきゃ」と言われた時、「お母さんは今何歳ですか?」と聞いてみてください。もしかすると「30歳」と答えるかもしれません。今不安を感じでいるので、自分が元気で家族のみんなから頼りにされていた時代、安心だった時代に記憶が戻ってしまっているのです。そんな時に、「いいえ、お母さんは今90歳ですよ」と間違いを正したりすると、お母さんはますます混乱し、不安になってしまいます。子供を迎えに行こうとしているお母さんにとって、ご自分の年齢が30代に戻っているのなら、「ダメよ!」という代わりに、「じゃあ、一緒にいきましょう。5分待ってくれる?」と言ってみてはどうでしょう。お母さんは5分後には出かけることを忘れてしまっていらっしゃるでしょうから、実際に出かける必要はありません。でも、自分が拒絶されずに、良い関係を持ったという心地よい感情はご本人に残ります。相手が不安な状況にいることを理解して、「あなたのことを大切に思っています。私が一緒にいるから大丈夫」と意識的に伝えるようにすることで、お母さんの不安は解消し、穏やかな関係を長く続けることができます。認知症の方の言動は一見脈絡がなく理解しにくいので、ご家族にとっては困惑することもあるでしょう。ただ、認知症の方の理解力は認知症の進行と共に低下しても、感情は最後まで残ります。この感情にどのように働きかけるかによって、ご本人の反応は大きく異なってきます。ご家族や周りの方が、認知症について理解を深め、適切なケアの技術を知ることで、認知症の方が安心して暮らせる環境が育まれていくことを願っています。
2026.09.24
大智禅師偈頌講話 澤木興道偶作 その7【偶作】 寂光明土娑婆界 (寂光明土娑婆界)色裏膠青水上波 (色裏の膠青水上の波)浩浩村歌兼社舞 (浩浩たる村歌と社舞と)負恩者少報恩多 (恩に負く者は少なく恩を報いるは多し) わたしは小菅の刑務所に行ったことがある。あすこはもう長期の刑者ばかりおる。短期の人はおらん。十年、十五年という人ばかり、あるいは一生、娑婆へ出られんという人もおる。ああいう人達はちょっとも妄想分別がない。 酒一杯飲みたいと思ったことがない。たばこ一服吸いたいと思ったことがない。わたしはあすこに十年、囚人と一緒に置いて貰うたら、本当に立派な人間が出来やせんかと思った。そうすれば地獄の中にも極楽はある。 提婆達多が地獄へ落ちておる時に、阿難が見舞いに行った。「提婆、苦しいか」これは兄弟だからー。ところが、提婆は「なにをいうておるか貴様の知ったことではない。おれはここにおって、三十三天の妙薬を受けておる。こんな愉快なことはない」と、こういった。実に提婆というやつは痛快なやつである。けっして地獄の中で苦しんでいない。そこの要領である。そこの要領を一口にいうたのが、この「寂光明土娑婆界」である。 娑婆即寂光浄土というと、極楽は西にあると思っておる人がある。よう「極楽は西にある」こういう人があるけれども、そこの道理、西にある道理、それはわかっておる。が、また一休にいわすと、 極楽は西にもあれば東にも きた道探せみんなみにあり これはおもしろい。これは漢字で書いてはいかん。「極楽は西にもあれば東にも、きた道探せみんなみにあり」いわゆる三界は唯一心である。わたしは、これを主観的事実であるという。めいめい極楽におるか、地獄におるか。人間にまごついておるか。餓鬼道にまごついておるか。飯を食い過ぎて、腹八分と分っておるのに、十二分食いよる。それは餓鬼道なんだ。気兼ねする人がないと、食い過ぎるという。えろう気兼ねをする人に睨んでおって貰わんと。食い過ぎる。よう食うやつと思われんと、食い過ぎる。「なんの病気しておる」「食い過ぎておる」それで青瓢箪みたいにー。 うまいものなら十二三杯食う。味ないものなら、二杯くらいクチャクチャ食うておる。それでついに栄養不良、それで、いろいろな病気につけこまれる。これは人間の弱点である。それで、まあこれは主観的の事実。本当にうまいか、本当に味ないか。本当に極楽か、本当に地獄か。これは人は分らん。極楽のつもりで餓鬼道におる。人間のつもりで地獄におる。二本の足で歩いて、餓鬼道をやっておる。畜生道をやっておる。極楽の真っただ中で娑婆をやっておる。娑婆を演じておる。(大智禅師偈頌講話p.206-208)
2026.09.24
「報徳社の元祖 下石田村報徳社の由来」(「大日本報徳学友会報第五十九号」) そもそも当報徳社の発端は、相州大住郡蓑毛村安居院庄七殿、浅田勇次郎殿の両人、普く万人のため、伊勢皇大神宮太々講厚く御世話なされ、休泊取定め置き諸国御取弘め遊ばされ候処、惜しいかな、遠州において知人なく、為に取弘め候義相成らず候段、三州藤川宿菱屋長右衛門に向い物語られしにより、長右衛門答えて言う。遠州浜松住下石田村神谷与平治と申す信者あり。伊勢両宮参拝のため長上講と称し、我ら定宿仰せ付けられ、知音のお方に候えば、彼方に訪問ご相談遊ばされなば、ご志願たる遠州筋取り弘めの義成功致し申すべき由を陳述ありしを以て、両氏大いに喜び、弘化元年、当村神谷与平治方へご訪問、段々ご志願の旨趣御頼談これ有り。御滞在中相州足柄上郡栢山村二宮金次郎先生、ご発起有られ候報徳善種のご理解これ有り聴聞仕り候処、いずれも人道の大本にて大いに感服仕り随気少なからず候。然る処、両先生共、相州御帰路の事故、来春を約して同家を辞し帰途に就かる。その翌弘化四丁未年早春、両先生共再び同家を訪問せらる。前回同様ご講話を拝聴しなお感佩し、直ちに長男丑太郎君をして両先生に随伴致させ、伊勢皇大神宮太々講御神楽執行に罷り出、奏楽を了して後、御神前において、報徳の道当国に施行の善否御くじを伺い奉りしに、奇なるかな、善なるかな、大吉の御くじを得たるを以て、丑太郎君大いに喜び欣喜置くあたわず、両氏に請い私宅へ御同伴仕り、村内同志の者を集め、二宮先生報徳の旨ご理解拝聴致させ候処、一同感服仕り、ここにおいて熱心不動の者僅かに取り結び、善門に随従し、いよいよ天道人道の大本に基づき、本業余業怠る無く勤行致し、驕奢を省き弊風を改め、余財を積み報徳善種金と称し、窮民撫育致すべき段前約致し、弘化化四丁未年三月、勤行義連印帳を作り、記名調印して一社を設立す。その時与平治森之歌を詠じて曰く 花さかは蕾のうちに気をつけよさくとおもへばちると思へよ と、これを当社の創始とす。
2026.09.24
下館談話記【三】その1(現代語訳のこころみ)下館談話記【3】先生は下館藩の家老に語っていわれた。「草木が栄えるか枯れるかはその根が盛んか衰えるかにあります。ですから根を肥やすときには枝や葉や花や実は栄え、根を伐れば枯れます。一木を永く栄えることを求めるならば、その根に肥料をやるほかに方法はありません。その根を伐って枝や葉が栄えることを求めるならば、人はこれを狂人といいましょう。万物は一つです。草木の栄枯と国家の盛衰は同じです。国の根は百姓です。人君・臣下は花実枝葉です。君の永安を求めるときは、百姓を恵みあわれむべきです。百姓が足りるならば人君の安富・尊栄は求めなくても来ることは必然です。農民が五穀を生育するときには、肥料をやってその根を厚くします。身の労を厭わないで五穀を養うものは多くの実りを得ます。安逸をだけ求めて五穀を養わないものは、実りは少なく飢渇の憂いを免れません。堯舜禹湯文武(中国古代の聖帝・賢王、堯・舜・禹・湯王・文王・武王)は万慮を尽くして、兆民を恵みあわれんで身の幸いを求めませんでした。そして天下の幸福はこれに帰したのです。桀紂(けっちゅう:桀は中国古代の夏の最後の王、紂は殷の最後の王で悪王として並び称される)は一身が富み栄えることを求めて、民に取ることに限度がなく、万民の艱苦で一身を富まそうとしました。だから天禄は永く終って国が亡んだのです。その求めるところと至るところがあい反する事、古今不易の常理歴然として明らかです。 【三】先せん生せい下した館だて大たい夫ふに語かたって曰いわく、草そう木もくの栄えい枯こは其その根ねの盛せい衰すいにあり。故ゆえに根ねを肥こやす時ときは随したがって枝し葉よう花か実じつ栄さかへ、根ねを伐きれば随したがって枯かる。一木ぼくの永ながく栄さかえん事ことを求もとめば、其その根ねに糞ふん培ばいするの外ほかに術じゅつなし。其その根ねを伐きって枝し葉ようの栄さかへを求もとめば、人ひと是これを狂きょう人じんといわん。万物ばんぶつは一なり。草そう木もくの栄えい枯こと国こく家かの盛せい衰すいと同おなじ。それ国くにの根ねは百ひゃく姓しょうなり。人じん君くん臣しん下かは花か実じつ枝し葉ようなり。君きみの永えい安あんを求もとむる時ときは、百ひゃく姓しょうを恵けい恤じゅつすべし。百ひゃく姓しょう足たらば人じん君くんの安あん富ぷ尊そん栄えい求もとめずして至いたる事こと必ひっせり。農民のうみんの五穀こくを生せい育いくするや、糞ふん培ばい以もって其その根ねを厚あつふす。身みの労ろうを厭いとわずして五穀こくを養やしなふものは多おおくの実み法のりを得え、安あん逸いつをのみ求もとめて五穀こくを養やしなわざるもの、実みのり少すくのふして飢き渇かつの憂うれいを免まぬがれず。堯ぎょう舜しゅん禹う湯とう文ぶん武ぶ(中国古代の聖帝・賢王)万ばん慮りょを尽つくし、兆ちょう民みんを撫ぶ恤じゅつして身みの幸さいわいを求もとめず、然しかして天てん下かの幸こう福ふく是これに帰きす。桀けつ紂ちゅう(桀・紂は中国古代の悪王)一身しんの富ふ栄えいを求もとめ、民たみに取とる事こと度ど無なく、万ばん民みんの艱かん苦くを以もって一身しんを富とまさんとす。故ゆえに天てん禄ろく永ながく終おわり国くに亡ほろぶ。其その求もとむる所ところと至いたる所ところと相あい反はんする事こと、古こ今こん不ふ易えきの常じょう理り歴れき然ぜんとして明あきらか也なり。
2026.09.24
内村第一四信(英文封書) 東京下谷徒士町 宮部金吾殿行 札幌 内村鑑三 内村鑑三日記書簡全集5三七頁一八八二年(明治一五年)六月二五日 札幌祭の日札幌にて 親愛なる兄弟宮部 前便以来大分たった。ご承知のとおり、明年開催の水産博覧会へ出品する品を集めるために東部地方海岸へずいぶん長い旅行をしてきた。まれに見る興味深い旅で、役所の仕事に関するたくさんの経験を得たばかりか、人間性について学ぶ機会をたっぷり与えられた。天然は限りなくうるわしかった。札幌をたった時にはニー三フィートの雪の上を進まなければならなかった。しかし、石狩盆地をはなれると、たちまちういういしい春に出あった。貧弱な北海道産の馬を走らせると間もなく、室蘭半島に出た。そこで初めて花をつけた草や木を見た。それにもまして、この地方にたくさんいウグイスの歌声は実にうれしかった。旅行について残らず書くことは長すぎてできない。白雪のモクレンと真紅のカツラのつぼみ、まだ葉ばかりの山みちをかざる二種のサクラソウ(これは札幌でふつうに見かけるのとは違うと思ったので、ここに君に送る)、エゾ松におおわれた様似と幌泉の深緑の山々なぞが、僕の植物学の勉強から得た新しい喜びの一部だった。さわがしく鳴くシギ、歌うヒヨドリ、小さなツバクラスズメ(二種)、コマドリ、アカハラコマドリなどが、鳥類学における楽しみであった。花が咲いたような腔腸動物、サンゴ虫類、棘皮動物などのいっぱいいる海岸は限りなくうるわしかった。しかし、天然はかくも素晴しくすぐれ、みちあふれ、かつ完成しているのに、人間と呼ばれるところの自然の最も崇高な部分は、僕の目には、くされ、堕落し、端的にいえば、獣のようである。仏教と売春とは、二つのはなれ難い仲間同志として、僕の旅行中いたるところで見かけられた。宿屋、《駅逓》から甚だしきは、村役場に至るまで、どこでも、ウソばかりである。われわれは国内至るところで腐敗堕落を実見することができる。しかしその最も甚だしい堕落ぶりを実感し、かつ経験するには、北海道にまさるところはないと思う。(略:旅行中、五月五日の大暴風雨にあい、島松で倒れた。帰宅後、肺炎で二三日間病床にいた。しかし神のとりたもう道は不思議である。僕は救われた。神に感謝す!) 現在の僕の役人としての職場は、イヤな、たえがたい、不満足な、不正だらけなところである。目下何もすることがない。事情は後日話すから、ドーか僕を狂った人間、新奇と変化を愛する人間と思わないでくれたまえ。自分の将来について考えるため、僕は今秋東京へ行かなければならない。誠実な科学の研究がしたいのか。札幌県を去れ!三〇円は無為の役人たちには高すぎる。(略:ジョセフ・クックの講演のこと。生物学とキリスト教との関係の勉強のこと。)キリストに在りて愛される兄弟なるヨナタン・内村鑑三内村第一五信(英文封書)東京下谷徒士町 宮部金吾殿行 札幌 内村鑑三 内村鑑三日記書簡全集5四〇頁一八八二年(明治一五年)一一月二三日 札幌にて 親愛なる四年間の同室の友 和田〔健三〕君に託して送ってくれた手紙感謝にたえない。非常に面白く、力づけられ、心を打たれた。君がいつも誠実に研究に励んでいることを喜ぶ。君のためにキチンキチンと祈っている。日曜日と水曜日は君のために祈る僕の特別祈祷日である。 一八八二年は僕にとり旅行年だった。今日までに三〇〇里を海岸や河川にそって旅行した。この春病気に妨げられなかったら、六百里以上旅行できたろうと思う。(略:昨日石狩から帰った。「一年の四分の一以上を外で過す事のたのしさ!」ジョン・グレーの詩を引用する美しい自然描写。「1882年はほとんど終ろうとしている。」アワビの人工生殖の実験。)海のすなどり、今までのところ成功だった。しかし「人のすなどり」という大きな特権の方も、役所の時間をさいての僅かなひまに楽しんできたが、恵まれて正当な未を結んだ。(略:一五名の新会員が加わった。教会の借金は返せることになった。)科学の名において十字架を弁護するために立ち上がるという高貴な計画に関するお手紙、拝見した。ブラボー!兄弟よ!僕の目的も同じだ。われわれは若いうちに、神の完全な武器をつけ、真理もて腰をかため、平和の福音を足にはき、時到らば勇気と意気をもって立ち上り、無敵の「キリストの道」を進めようではないか。キリストは聖手もて十字架の輝くしるしを、まっただ中に、高々とかかげたもう。君は(そして僕も)この聖きしるしをば、解剖刀、小刀、ケンビ鏡の城壁で守りつつ、ほえたける「人間の子ら」を追い払うことができる。彼らはヘッケル、ビュクネル、チンダル、スペンサーのような、(彼ら自身死ぬべき運命にある)、弱い頼りない指導の下に、「いと聖き者」を辱めんと試みつつあるものである。僕の暇な時間は、全部生物学の研究に費やされている。今年は東京に行ったら、モット本を買うつもりである。(略:足立元太郎と内田瀞の結婚のこと)君に愛せらるる ヨナタン・内村鑑三
2026.09.23
「朝の10分が血圧を変える」医師たちが勧める健康ルーティン5つ米国では成人の約半数が高血圧を抱えているとされる中、研究チームが血圧管理に役立つ朝の習慣を紹介した。英紙デイリー・メールによると、医療従事者や研究者が共通して勧める血圧管理に役立つ朝の習慣は次の通り1まず、目覚めてすぐにスマートフォンを確認する習慣は避けた方がよい。ニュースやSNSに触れるとストレス反応が引き起こされ、交感神経が活性化される。その結果、アドレナリンの分泌が促され、心拍数や血圧が上昇する可能性がある。最近の研究でも、画面を見る時間が長いほど血圧上昇のリスクが高まる傾向が確認されており、その背景には睡眠の質の低下やストレスの増加などがあると分析されている。2呼吸をゆっくり整えることも効果的だ。呼吸は、心拍や血管の緊張を調整する自律神経系と密接に関わっている。特に、吸う時間より吐く時間を長くすると、体を落ち着かせる副交感神経が活性化される。例えば、4秒かけて吸い、6秒かけて吐く方法が代表的で、こうした呼吸法が血圧を下げるのに効果があるとする研究結果もある。3起床後にコップ1杯の水を飲む習慣も有益だ。睡眠中に体内の水分が減ると血液が濃くなり、心臓への負担が大きくなって血圧が上昇する可能性がある。この時に水分を補給すれば、血流が改善し、朝の時間帯の血圧上昇を和らげるのに役立つ。長期的には、心血管疾患のリスク低下にもつながるとされる。4カリウムが豊富な食品を取ることも重要だ。血圧管理には、塩分摂取を減らすことに加え、カリウムを十分に取ることで、血管の拡張やナトリウムの排出を促す効果が期待できる。特に朝は、腎臓のナトリウム排出機能が活発になるため、カリウムの摂取に適した時間帯とされる。バナナ、アボカド、ホウレンソウ、豆類などが代表例だ。5最後に、朝日を浴びることも効果的だ。日光は血管を広げる一酸化窒素の生成を促し、血圧を下げるのに役立つ。同時に体内時計を整え、自律神経のバランスを保ち、交感神経の過剰な働きを抑える助けにもなる。
2026.09.23
「ユマニチュード」という革命 ユマチチュードの4つの柱「3 触れる」その2p.206 ユマチチュードでは相手に触れるにあたって、顔から触れないと決めています。衛生の問題だけではありません。相手に安心してもらうためには、顔ではなくまず背中からはじめたほうがいいからです。 相手とよい関係を築くためには一定の手順があります。そのために知っておくべきは、最初は顔や胸、陰部といったプライベートゾーンにいきんり触れてはいけない、ということです。では、他のところんらどこでも構わないし、どういう触り方でもいいかといえばそうではありません。 顔にはさまざまな神経が集中しており、非常に知覚が敏感なエリアです。その顔にいきなり触ろうとすれば、無礼に感じたり、恐怖心を抱きますから、相手に拒絶されても当然です。 ケアの場に限らず、私たちは誰かと会ったら「こんにちは」の挨拶からはじめます。そして握手をし、親密になればハグをします。文化によって、触れてもいい場所や順番は決まっていますが、なぜそのような段階を踏んで人に触れているのでしょうか。 それは、私たちが触れているのは皮膚ではなく、ある意味では「脳」だからです。皮膚を通じて脳が理解し、「この相手は危険なのか。それとも身を預けていいのか」を判断しています。 実際、体の部位と脳の領域はつながっており、特に顔や手からの情報はその他の部位からよりも多くの脳細胞が使われています。つまり感覚が鋭いのです。感覚が鋭いために、馴染みのない誰かがいきなり顔を触ることに対して拒絶反応が起きるのです。 一方、背中や肩は単位面積あたりの神経が少ない。つまり、顔や手に比べると鈍いのです。相手からの信頼を得るために段階を置いて触れるにあたっては、まず背中からはじめて肩、腕、腹、胸と進み、最後は手、顔というふうに進んだほうがいいのです。 たとえば、誰かに背中に鉛筆1本か2本で触れてもらってください。「1本で触っている」と感じても2本だったり、その反対だったりと、はっきりとわからないはずです。 今度は触れる場所を指先に変えてもらいます。目をつぶってもらい、接触点が1箇所か2箇所かを問うと、間違える人はいあmせん。私たちが挨拶で手を握るのは、それだけ多くの情報を送り出し、受け取ることができるからです。ぎゅっと押し付けたりしなくても、軽く触れる程度のことでいろんな情報がわかります。それに対して背中にはあまり神経が集中していないため、情報を伝えるには、ずっと広く大きい範囲で触れる必要があります。イヴ・ジネスト氏から直接学んだ「ユマニチュード」私はユマニチュードの共同創始者である イヴ・ジネスト氏ご本人の講義を受けました。約400名の受講者が集まり、穏やかな語り口でありながら、一言一言に“ケアの哲学”が凝縮された時間でした。その中で印象に残った言葉、そして自分の中で芽生えた気づきをここにまとめます。「見る・話す・触れる」から始まるケアジネスト氏はこう言いました。「ケアは“すること”ではなく、“関わること”です。」処置や介助を“行為”として捉えるのではなく、人と人との関係の中にあるケアを大切にする。ユマニチュードの基本となる4本柱のうちのひとつが「見る」こと。“見る”という行為は、「あなたを大切に思っています」と伝える最初のメッセージ。目を合わせる、微笑む、その一瞬に“尊厳の回復”が宿ります。⸻🧍♂️「立つ」という行為がもつ意味ジネスト氏は、「立つ」ことを“リハビリ”ではなく人としての姿勢を取り戻す行為として語っていました。「人は立ってこそ、“自分が自分である”と感じられる」寝たきりや座位での生活が続く高齢者にとって、“立つ”支援は身体機能の維持だけでなく、“自分らしく生きる力”を取り戻すケア。これは私たち看護師・介護士が、もっと意識的に取り入れるべき支援だと感じました。⸻🩶「倫理的ケア」と「感情的ケア」の違いもうひとつ印象的だったのは、ジネスト氏のこの言葉。「ケアは“感情”ではなく、“倫理”で行うものです。」感情で動くケア(かわいそう・好きだから)ではなく、相手の人間としての価値を尊重する“倫理的ケア”が必要。倫理的ケアは、感情的ケアよりも関係を安定させる力がある。科学でも感情でもなく、“人としての理性”に基づくケアの在り方に、私は強く心を動かされました。⸻🤝「触れる」は科学であり、信頼を伝える手段ジネスト氏は「触れることの科学」についても語りました。それは単なるスキンシップではなく、相手の緊張を和らげる“信号”。「触れ方ひとつで、安心にも、恐怖にもなる。」私たちの“忙しさ”や“慣れ”が、時に無意識のうちに相手に冷たさを伝えてしまうことがある。“触れる”という行為をもう一度、丁寧に見直す必要があると感じました。⸻🌿「ともに生きる」というケアの原点講義の最後に、ジネスト氏が静かに語った言葉が心に残りました。「ケアすることは、生かすことではなく、“ともに生きる”ことです。」この言葉が、すべてを物語っていました。ケアは「助ける側と助けられる側」という一方通行ではなく、“共に時間を生きる”という相互の関係性。ケアを通して、私たちは「人と人として向き合う」尊さを学ぶのだと改めて感じました。
2026.09.23
大智禅師偈頌講話 澤木興道偶作 その6【偶作】 寂光明土娑婆界 (寂光明土娑婆界)色裏膠青水上波 (色裏の膠青水上の波)浩浩村歌兼社舞 (浩浩たる村歌と社舞と)負恩者少報恩多 (恩に負く者は少なく恩を報いるは多し) 人間というものは、自己の幸福を探し求めておる。だが、どんなところに、この幸福というものがあるのか、それが問題である。 わたしは、いつでもそう思う。動物園のゴリラがよう病気をする。ゴリラとは限らんが、大蛇が病気をしても、ゴリラが病気をしても、動物園の方では大変な心配である。アフリカの砂漠から、大変な大仕掛けで捕えて来たやつ。あるいは南洋から捕えて来て、そいつを高い銭を出して買うたやつ。そういつを死なかしては大変じゃ。それだから、ゴリラが病気をすると、博士に三人も五人も診て貰う。われわれが病気をしても、そんな博士に三人も五人も診て貰わん。 わたしは診て貰うたけれども、ただじゃ。わたしは入院したが、内科のお医者さん、外科のお医者さん、外科の科長、院長さん、漢方の大阪の人、皆それはただじゃ。銭出しててよう診て貰わん。銭はありやせん。最初からもうチャンとただ診て貰う。ゴリラさんなどに銭を出して博士に診て貰うてござる。そうするとわれわれは、これはゴリラさんよりは貧乏なんだ。そんな博士の診察料を貯めてはおらん。どちらが幸福か。どちらが幸福かということは、これは人の知ったことではない。ゴリラはそんなことはなにも知らん。 ところが人間は、この人間の最上最高の使命を果たすべく、この使命に向かって努力しなければならん。そしてそれによって、「本当におれは幸福だ」と思う。この自覚を持たねばならん。これは人間に限る。例えば吉田松陰は食わんと死んでも、首を斬られて死んでも決して死なん人である。それ故、本当に幸福な人である。牢屋の中におっても、牢屋の中を一つの教場として、牢番はじめ皆これを教化する。 ここから見ると、教育家としては、吉田松陰以上の教育家というものは、近世には見つからんような気がする。吉田松陰は、道を説く上においては本当に使命を果たした人である。また本当の幸福を、牢屋の中で味わった人である。牢屋の中を一つの教室と心得ておる。月給を取りに行く教室と違う。そうすると、そこが娑婆即寂光浄土であることは申すまでもない。(大智禅師偈頌講話p.205-206)
2026.09.23
岡田無息軒翁一代記 岡田淡山 その515、掛川領邑の難村立入等の命を蒙る また別に百両の献金あり、官またこれを開墾撫育の資に加え、あわせてこれを報徳金と称し、次いで永遠に伝えんとする。ここにおいて領主その奇特を賞し、刀を帯びるを許し、五人口を給す。領邑に布達すらく。「岡田佐平治へ難村立入並びに荒地起返し等取扱い、仰せ付けられ候間、立ち行きがたき程の難村、かつ荒地起返し新開等の願い、これある村々は佐平治へ便り申し出ずべし。」 爾来数年その領邑、報徳の法を施し、賑貸救恤するもの、佐野郡印内村、増田村、栃沢村、飛鳥村、細田村、平野村、北西郷村、城東郡桶田村、山名郡不入斗村、豊田郡篠原村、その他の数村に及ぶ。ここに於いてか、佐平治の名、遠近に伝う。この年、長子良一郎歳十六、二お宮尊徳の門に入る。六年にして家に帰る。 文久二年壬辰、五十一才のとき、子孫永代俸三人口を増給され、士籍に入る。初め清忠の俸を受くるや、素よりその志にあらず、故にこれを別途に備え、以て不慮の公用をまつ、積んで百五十両に至る。この年、城主太田侯非常の需(もと)め、あるに遭う。すなわちその金を献納する。ここに於いてこの賞あり。而して爾後受くる処の俸米、慶応四戊辰に至りて、積んで二百両に至る。この四月を以てまた悉く、これを納めて国用に供す。而して維新の際に至る。16、幡鎌村、中野村の仕法を行う 明治三年庚午(かのえうま)、五十九才にして、静岡藩の命を受けて、佐野郡幡鎌村、山名郡中野村、旧復の法を施す。 幡鎌村は当時掛川支庁の所轄たり。村高三百四十七石、戸数四十三にして、借財金三千百両に達し、中野村は中泉支庁の所轄にて、村高五百九十三石、戸数九十二にして、借財金五千七百両に及び、両村ともおのおの水旱の被害しきりに至り、ために衰退窮迫もっとも甚だし。これをもって先の領主のときより、しきりに救恤を歎訴すると雖も、時は維新の変革に際会し、上下騒擾の中にあって、いずれの国君もまたこれを顧みるにいとまあらず。ここに至ってこれを静岡藩庁に切願する。藩庁はもと二宮尊徳の法あるを知る。而して清忠のこれを篤信してやまざるを聞き、二村の請願をゆるし、清忠に命じて、これを治めしむ。清忠年老すと雖も、敢えて屈せず。曰く、「われ二村をもって、わが業の終りとせん」と、まず幡鎌村に臨み、ついで中野村に及ぶ、諭すに徳をもって徳に報ゆるの道をもってし、励ますに勤倹の業をもってし、その借財の額を詳らかにし、毎戸の生計を予算し、日掛縄ないの法を立て、勧農の田を置き、その租財を弁償し、毎年入札して力作者に作徳せしむ。債主に懇説して、金額を減損し、旧債を一洗して地を掃う。このとき私金をもって、低利貸付するもの、幡鎌村へ四百三十二両余、中野村へ七百両、各々年賦償還をもって完済を期することとした。 また官庁は幡鎌村へ報徳金を貸付くること、千百両(二割元済六年賦)仕法年限中に悪地余荷(よない・割増)金を年々金百四十八両を下与された清忠はまた別に勤農の田、地価十五両を幡鎌村へ、百十両を中野村へ出して譲田となす。数ヶ月にして方法整理なる村民大いに歓躍して、また奇特の譲田を出すもの数名に及び、隣里もみなその法の厳にして、かつ仁なるを歎称せざるはなし。爾来数年にして両村の民、風儀一変して、志を家業に励み、生計日に安く、貢納期を移さず、民費の賦課徴集、日を期して至る。而して二村今に至ってますます進歩するものは中野村を最とする。 けだしその社中に深見村伊藤七郎平、戸長秋野貞次郎の両人の勧奨怠らざるの致すところなり。清忠の法を施す多しと雖も、その全く功を奏するもの、中野村をもって大尾(たいび:最後)となす。この年九月、上下一具、ラシャ二反を藩庁より賜う。幡鎌村の功を賞するなり。明年正月また白木綿二十五反を賜う。中野村の功を賞するなり。
2026.09.23
Q.最近注目されているという「ヨーグルトファースト」とは、どんな食べ方ですか。なぜヨーグルトなのでしょうか。市原さん「ヨーグルトに含まれるタンパク質が、インスリンの分泌量を増やす『GLP-1(グルカゴン様ペプチド-1)』という腸管ホルモンの分泌を促すので、食後の血糖値の上昇を緩やかにすることが期待できます。食後に食べるよりも、最初に食べることでGLP-1の分泌はより促されます」食事の最初にヨーグルトを食べる“ヨーグルトファースト” 食後血糖値の抑制効果がヒト試験で明らかに名古屋大学名誉教授の大澤俊彦氏「先行研究でもたんぱく質や脂質の含まれるものを食前に摂取することで食後血糖値の急激な上昇を抑えることが研究されており、たんぱく質や脂質を含むヨーグルトが消化吸収を緩やかにすることで食後血糖値の上昇が抑えられたと考えられる」【試験方法】 健康な20~40代男女各10名に、A~Dの4パターンの食事を規定の時間で食べてもらい、食後の血糖値を経時的に測定し、血糖値(平均値)の時間経過による変化を調べた。 A 包装米飯150gを摂取 B サラダ101gを摂取したのち、包装米飯を138g摂取 C 包装米飯120gを摂取したのち、ヨーグルトを200g摂取 D ヨーグルト200gを摂取したのち、包装米飯120gを摂取 【試験結果①】ヨーグルトの血糖値上昇抑制効果 白米だけを食べた(黒)時に比べ、ヨーグルトを一緒に食べた(黄、赤)時のほうが血糖値の上下動を抑えることができた。さらに、白米の後にヨーグルトを食べた(黄)時に比べ、ヨーグルトを先に食べた(赤)時の方が、血糖値の上がり方が緩やかになった。【試験結果②】ベジタブルファーストとの比較 ヨーグルトファースト(赤)は、ベジタブルファースト(緑)と同等もしくはそれ以上の血糖値抑制効果があった。また、食後2時間経過時の血糖値はヨーグルトの方が抑えられた。
2026.09.23
下館談話記【二】その2(現代語訳のこころみ)たとえば医者が病毒を治すように、その毒が浅い時に除くのは易しく、その病毒が骨髄に入ってはどのような名医であっても施術できません。借財は元利が年々に増倍し、国の大害となるのは、微毒をすぐに除かないで人身に満ち、ついに治すことができないようなものです。ですから名医は病者の一時の痛苦を顧みないで病を治して、永安を得させることを主とします。よく国を治める者は凡情の怨み言にかかわらないで、その害のまだ深くないうちに除いて、万世の平安を計るのです。おおよそ事物の道理は今いいようで、後に大変よくないものもあります。今よくないようで後に非常な幸いとなるものもあります。このところがはっきりと分からないようではどのような良法も行うことが難しいのです。このたび、皆様方が始めに志が有る面々が、給与された扶持1ヶ年分を残らず差し出され、立直ることを厚く心願される趣きはもっともの至りです。人臣として誠の心があれば、君上の分度にない借財で渡されたものを受けては、一日も安心はできないはずで、もっともなことです。しかしながら戌年以来組み立てて差上げた当然の道を守ることなく流れて、なおまたこのたびいたずらに依頼されても取り計らうことはできないことから、ご一藩で相談した上で、これまで分度にないものを頂戴したのは間違いですから、この後に2割8分を減じても、一切異論が無く、ご趣意を押したてたときの決心が有るか、またはご重役衆で一同何と申されても、ご家政が立ち直るまでは一切異論いたしませんとか、大丈夫のご決心が有るならば、どのようにもご安堵の道も開けることでしょう」と道理を説かれた。家老は言った。「謹んで命を聞きました、今一応相談しお答えに及びましょう。」と、退散した。 譬たとえば医いの病びょう毒どくを治ちするが如ごとく、其その毒どく浅あさき時ときに除のぞくは易やすく、其その病びょう毒どく骨こつ髄ずいに入いりては如い何か成なる名めい医いといへども術じゅつを施ほどこす所ところなし。借しゃく財ざい元がん利り年ねん々ねんに増ぞう倍ばいし、国くにの大だい害がいとなるは、微び毒どく速すみやかに除のぞかずして人じん身しんに満みち、終ついに治ちすべからざるに至いたるが如ごとし。故ゆえに名めい医いは病びょう者しゃ一朝ちょうの痛つう苦くを顧かえりみず病やまい治ちして、永えい安あんを得えせしむるを主しゅとす。能よく国くにを治おさむる者ものは凡ぼん情じょうの怨えん言げんに拘かかわらず、其その害がいの未いまだ深ふかからざるに除のぞき、万ばん世せいの平へい安あんを計はかるなり。凡およそ事じ物ぶつの道どう理りは今いま可かに似にて、後のち大おおいに不可ふかなるものあり。今いま不ふ可かに似にて後のち大おおいに幸さいわいとなるものあり。此この処ところの御おん弁べん明めい相あい立たたず候そうろうては如い何か成なる良りょう法ほうも行おこなわれ難がたく候そうろう。此この度たび各かく方ほう始はじめ有ゆう志しの面めん々めん、御おん給きゅう扶ふ持ち一ヶ年ねん分ぶん残のこらず差さし上あげられ、御おん立たて直なおしの儀ぎ厚あつく心しん願がん致いたされ候そうろう趣おもむき御ご尤もっともの至いたりに候そうろう。人じん臣しんとして誠まことの心こころあらば、君くん上じょうの御おん分ぶん台だいになき御おん借しゃく財ざいを以もって御おん渡わたし成なされ候そうろうものを受うけ、一日にちも安あん心しんは致いたされ難がたき筈はずに付つき、左さも御ご座ざ有あるべし。然しかし乍ながら戌いぬ年とし以い来らい組くみ立たて差さし上あげ候そうろう当とう然ぜんの道みち御おん守まもり之これ無なく相あい流ながれ、猶なお又また此この度たび徒いたずらに御おん頼たのみと申もうし候そうろうても取とり計はからい兼かね候そうろう間あいだ、御おん一藩ぱん御おん相そう談だんの上うえ、是これ迄まで御おん分ぶん限げんになきものを頂ちょう戴だいありしは間ま違ちがいに付つき、此この後のち二割わり八分ぶん減げんじ相あい掛かかり候そうろうとも、一切さい異い論ろん之これ無なく、御おん趣しゅ意いを押おし立たて度たしとの御ご決けっ心しん之これ有あり候そうろうか、又または御おん重じゅう役やく衆しゅうにて一同どう何なんと申もうし出で候そうろうとも、御おん家か政せい御おん立たち直なおり迄までは一切さい異い論ろん為なし致いたし間ま敷じくとか、大だい丈じょう夫ぶの御ご決けっ心しん之これ有あり候そうらはば、如い何か様よう共とも御おん安あん堵どの道みち相あい開ひらけ申もうすべしとの理り解かいあり。大たい夫ふ曰いわく、謹つつしんで命めいを聞きく、今いま一応おう談だんを遂とげ御おん答こたえ及およぶべしと。退たい散さんす。
2026.09.23

「カーボラスト」という考え方血糖値を一番大きく動かすのは、炭水化物(糖質)です。ごはん、パン、麺類、甘い飲み物。ここは避けて通れません。だからこそ大切なのは、炭水化物を食事の後ろに回すこと。これを「カーボラスト」と呼びます。アメリカ・ニューヨークのウェイル・コーネル医科大学の研究では、食べる順番を変えただけで、血糖値の動きが大きく変わったという報告がなされている①カーボファースト:パンとジュース → 10分後に肉とサラダ②カーボラスト:肉とサラダ → 10分後にパンとジュース③三角食べ:すべてを少しずつ交互に食べるこの中で、血糖値の上昇が最も穏やかだったのは②カーボラスト。急上昇が抑えられ、波も小さい。◎2016年に、関西電力病院のグループが、ごはん→魚よりも、魚→ごはんや、肉→ごはんの順番のほうが、食後の血糖値上昇を緩やかにすると発表。あわせて、胃から腸への食べ物の排泄遅延が、魚→ごはんや、肉→ごはんといった食べ順で確認されており、魚や肉といったたんぱく質を先に食べることで、ごはん(炭水化物・糖質)の胃から腸への排泄遅延を引き起こし、急激な血糖上昇を防ぐことも報告2017年末、米・ニューヨークのウェイル・コーネル医科大学のグループがこの食べ順について、新たな研究結果を発表しました。発表での食事実験内容は以下のとおりです。オレンジジュース、パン(オリーブオイルを塗ったもの)、鶏肉(皮なしグリル)、野菜サラダ(レタス、トマト、キュウリ、ノンオイルドレッシング)これらを次の3つのパターンで食べてもらい、血糖値の上昇具合を観察しました。パターン1(カーボファースト)① パン(オリーブオイルを塗ったもの)とオレンジジュース② 10分休憩③ 鶏肉(皮なしグリル)と野菜サラダパターン2(カーボラスト)① 鶏肉(皮なしグリル)と野菜サラダ② 10分休憩③ パン(オリーブオイルを塗ったもの)とオレンジジュースパターン3(三角食べ)① 鶏肉(皮なしグリル)と野菜サラダ、パン(オリーブオイルを塗ったもの)、オレンジジュースをそれぞれ半分食べる② 10分休憩③ 残りの半分を食べるこれら3パターンの血糖値の変化グラフが以下のようになります。グラフから読み取れるように、炭水化物を最後に食べるパターン2(カーボラスト)の場合、血糖値の変動がとても緩やかで急上昇を防いでいることがわかります。食後高血糖と呼ばれる急激に血糖値を上げる食べ方は、臓器に負担をかけ、肥満につながります。要は、野菜とメインディッシュ(たんぱく質の入った料理:肉料理、魚料理、卵料理、豆料理や豆腐納豆)から食べ始め、そのあと、炭水化物(カーボ)を食べるという順序が、血糖値の急激なアップダウンを防ぐ食べ方「カーボラスト」太りにくい食べ方!ということです。
2026.09.22
内村第七信(英文封書)東京、太田稲造あて 札幌より 内村鑑三日記書簡集第5巻一八頁親愛なるパウロ〔新渡戸稲造〕 われわれが約一か月前に、苫小牧で経験した悲しい光景は、今もなお、そのままのように、あざやかである。君は東へ去り、僕は西に向かった。君は病み、僕は元気に(神の恵みにより)、君は泣き、僕も泣いた。この世には言葉には現せない何かがある。僕が君をあの旅館にのこしたままで《郡役所》へ行かねばならなかった時のあの感慨は、そうした性質のものだった。こんな風景はとても愉快だと君はくり返し言った。しかし、ああ!君にはそうかも知れないが、僕にはつらい時だった。君は僕が君の不幸にほとんど同情していないと思ったかも知れないが、しかし僕としては君を慰めるために全精力を使わざるを得なかったのだ。千歳の一夜はつらかった。僕は君に質問したが、君はほとんど答えてくれなかった。君は僕について知りつくしている。僕の気性も知っている。他人が僕を快く思っていないらしく見える時に、僕がどんなに心配するかは君も知っている。君との長い兄弟の交わりの間に僕が経験した一番つらかった、一番悲しかった時は、と聞かれるなら、千歳に宿った時、と答えるだろう。 僕の東海岸地方の淋しい旅行については、すでに宮部へ書き送った。われわれは目下、君の陸路と海路の旅行に関するしらせを待っているところだ。〔新渡戸の一二月分の俸給一二円を同封する。病気の具合を聞く。「君はしばしばジョン・スチュワート・ミルに頼る」未来を信ぜず、救い主を待たずしては、人は満足なき人たらざるを得ない。キリストの福音以外の方法によって満足しようとすれば君はいよいよ混乱してしまう。君はひとたびは神の恩寵へ召されたのである。われわれはその召しが空しくならぬようにと祈っている。兄弟よ、立ち上がってくれたまえ。君の望みをさらに高く、さらに深く、さらに広くしてくれたまえ。君の眼を上へ向けて開いてくれたまえ。君の眼光をハッキリさせ、いわゆる「誤れる学問」でそこなわないようにしてくれたまえ。我々は結構楽しくやっている。僕は目下役所の仕事がないので、魚類を研究するため、農学校の博物館へ行かせてほしいと細川氏に申し出たところ、許されたので、再び農学校へ毎日通っている。カッター博士〔John C.Cutter.札幌農学校教師。生理、獣医、動物、英語、水産を担当〕が顕微鏡学の指導をしてくれるだろう。一月中旬頃タラ漁視察のため、再び西海岸地方へ行かねばならぬが、それまでたぶん、農学校の博物館へかようだろう。年も暮れようとして、我々の財政状態はよくない。燃料は騰貴し、米も同じ。「餅」もつかねばならず、借金も返さねばならぬ。靴は新調せねばならず、衣類も補修せねばならぬ。広井〔勇〕は靴のことを思案し、藤田〔九三郎〕は全神経をランプに集中している。〔足立元太郎は男女の愛に駆られている〕宮部へは1週間ほど前に手紙を出した。〔新渡戸の父への伝言〕教会とキリスト教青年会とは非常に有望だ。今月二九日に大《親睦会》を、また一月八日に新教会の開堂式を催すことに決定した。僕は例によって委員にされ、目下非常に忙しい。近くまた書こう。 いつも霊と体と精神において 君の好意を受けている兄弟なる ヨナタン・内村鑑三文字がこまかすぎるなら、デコキンに読ませてくれたまえ。僕は郵便切手に多く支出できない。
2026.09.22
糖質より先に制限すべきものがある…大学教授が「がんの悪性化を加速させる」と警告する"意外な真犯人"9/21(月) がんの予防や進行を抑えるために、食生活で気をつけるべきことは何か。東京工科大学教授の佐藤拓己さんは「糖質を減らすことが有効だと考える人も少なくないが、糖質を一律に制限することには危険がある。がんとの長期的な共存を目指すには、がんの原発巣を小さくすることよりも、悪性化や転移をいかに抑えるかが重要だ」という―― 正常細胞はブドウ糖だけでなく、アミノ酸、脂肪酸、脂肪など、多様な物質を酸化し、エネルギーを得ている。このとき、酸素を使ってエネルギーを大量に生み出すことができる。 細胞ががん化すると、酸素を使わず、ブドウ糖を使った「解糖系」という代謝経路だけに頼ってエネルギー生産を行なうようになる。これは「ワールブルグ効果」(※1)と呼ばれる。この性質は、がんの研究のなかで中心的な課題だった。また治療への応用も検討されてきた。 がん細胞を兵糧(ひょうろう)攻めにするためには、ブドウ糖をがん細胞に与えないようにすればよいという意見が、一部のがんの臨床医を中心に今でも根強くある。がん細胞へのブドウ糖の供給を絶てば、がん細胞はエネルギー不足で死ぬだろう。これは、がん治療に糖質制限を用いる医師の理論的な根拠だ。 ただし、この方法は、2つの理由で現実的ではない。 1つは、糖質制限をしても血糖値はほとんど下がらない。絶食を数日間持続すると、ほんの少し下がる程度だ。だからがん細胞の微小環境において、ブドウ糖の濃度は低下しない。たとえ低下してもほんのわずかである。肝臓が血糖値を一定に保つために、ブドウ糖を生産して血中に放出するからだ。 もう1つは、がん患者に糖質制限を用いることは、大変に危険だということだ。がんの患者が糖質制限をすると、急激にやせて体力を失い、かえってがんの悪性化を進める危険が大きい。がんの原発巣が縮小する前に、あちこちに転移巣が出現して、患者の命が危険になる可能性の方がはるかに高い。 がんは、無限に増殖する細胞だ。ただ、がんの原発巣が出現しただけでは人間は死なない。人が死ぬのは、がんが悪性化するからだ。悪性化すると転移や浸潤(しんじゅん)が起こり、じっさいに腹膜、肝臓、肺や骨などに転移するため、人間の命を奪う。 だからがんの悪性化を抑制できれば、がんとの長期間の共存も可能だ。悪性化さえしなければ、家族と一緒の生活を何年も続けることが可能だ。「糖質制限」を行って、がんの原発巣を縮小することに躍起になるよりも、「果糖制限」を行って、がんの悪性化を抑制する方策を取るほうがはるかに生産的だろう。 がん細胞による果糖の利用は、転移を促進する。果糖ががんの悪性化を誘導することを実証した画期的な論文がある(図表1)。ヒトではまだ十分に検証されてはいないが、果糖制限ががんの悪性化を止める可能性は高い。 最新の研究成果によれば、がん細胞は、2段階のエネルギー代謝の変容を起こす。----------がん化:ブドウ糖だけをエネルギー生産に利用する。悪性化:果糖だけをエネルギー生産に利用する。 がんの悪性化を止めれば、がん細胞との平和共存を可能にするだろう。このためには、がん細胞による果糖の利用を最小限にする必要がある。 果糖はGLUT5(グルット5)(※4)という膜タンパク質を通って体内に入る。GLUT5は腸管の上皮などに発現している。もしGLUT5の阻害剤があれば、それはがんの悪性化を抑制し得る。じつは、GLUT5阻害剤(※5)は、創薬科学の最もホットな部分だ。がん細胞が悪性化するとき、何が起こるのか? これはまだ正確にはわからない。少なくとも、果糖の取り込みの増加が、悪性化を決めている可能性は高い。がん細胞(とくに消化器系のがん細胞)が悪性化すると、果糖の取り込みを担うGLUT5が強発現するからだ がんが悪性化すると、果糖だけを取り込んで、これをエネルギー基質とする異常なエネルギー生産を行なう。 GLUT5阻害剤は、ステージ4のがんを抑制する可能性が高まっている。じっさいに基礎研究のレベルでは、GLUT5阻害剤は、膵臓(すいぞう)がんや大腸がんをはじめとして、多くの悪性度の高いがんを抑制することが多数報告されている。 卵巣がんの患者で比較すると、明らかに、転移したがんの方がGLUT5の発現が高い。また、GLUT5の発現によって、生存率が大きく異なる。GLUT5の発現が強いほど、生存率は下がる。 果糖を取り込めないようにしてやれば、がんが縮小する可能性は高い。もっと具体的にいえば、GLUT5の阻害剤が、がんの悪性化を止める可能性はある(図表4)。 何よりも、GLUT5阻害剤の実用化が待たれる。まだ基礎研究の段階で、ヒトの臨床研究にさえ入っていない。市場に出るまでには、最低でもあと10年以上は必要だ。また、ヒトの臨床試験で脱落する薬剤も多いので、ここは時間をおいて見守るしかない。 しかし、落胆することはない。GLUT5阻害剤と同じ効果を、すぐに得ることができる。それは簡単なことだ。糖質のバカ食いさえしなければ、果糖は体内ではほとんど合成されない。体外から入ってくる果糖をなくせばよい。すなわち果糖制限をすればよい。
2026.09.22
海外では課税され広告規制されるのに…日本人がガブガブ飲んでいる、肝臓外科医が警鐘鳴らす"身近な飲み物"9/21(月) 世界でも肥満、糖尿病対策のために、砂糖水=加糖飲料を減らす動きが進んでいます。 2016年10月、WHO(世界保健機関)は、糖分を多く含む飲料に課税するように加盟国に呼びかけました。 課税により商品の価格を引き上げれば、消費量を抑えることができ、肥満や糖尿病、虫歯の患者を減らすのに効果があると訴えたのです。 報告書によると、税金で飲料価格を2割引き上げれば、消費量は2割以上減るという研究成果が紹介されています。 実際、アメリカのカリフォルニア州バークレー市、ペンシルバニア州フィラデルフィア市、フランス、イギリスで、この通称「ソーダ税」は導入されています。 アジアでもタイで2017年に、フィリピンでも2018年に清涼飲料水に課税を始めています。 シンガポールでは、糖含有量などに応じたNutri-Grade表示制度が導入され、糖分などが多いD評価の飲料については広告が禁止されています。 砂糖含有量が100ml中5g以上でオレンジ色、10g以上で赤色のラベルを表示、さらに赤ラベルはテレビCMなどの広告が規制されることになります。 したがって、ポカリスエット以上の砂糖含有量でオレンジラベル、コカ・コーラ以上で赤ラベルということになります。 2021年の東京オリンピックでは、赤ラベルにあたる飲料のテレビCMが毎日流れていましたが、健康に悪影響のある飲料のCMを法律で禁止している国があることを知っておいてください。 ラベル表示が日本で施行されたら、コンビニの飲料コーナーは、オレンジ色と赤色に染まることでしょう。 スマート外来では「水分はお茶か水だけでとっています」と自己申告される方にも、加糖飲料を一つひとつ丁寧に、飲んでいないかどうかを確認しています。 患者さまはカラダによいと信じて、エナジードリンク、乳酸菌飲料、100%果物・野菜ジュースなどの加糖飲料を常飲しています。 そのため、肥満・脂肪肝の最大の原因となっているという認識がない方がほとんどなのです。健康を扱ったテレビ番組や雑誌の健康特集でも、加糖飲料の弊害については、ほとんど取り上げられることがありません。 以前、ローカルテレビ局の健康番組に出演した際、加糖飲料の弊害を話そうとしたところ、番組製作者側からストップがかかったことがあります。 その健康番組は、専門医が自分の専門分野の疾患について、毎日5分程度の解説を5日間行うという内容で、私は脂肪肝についての講義を担当させていただきました。 製作者の依頼で出演前にあらかじめ講義に用いるすべてのスライドとその解説原稿を作成し、番組担当者に送りました。 そのうち、「脂肪肝の最大の原因は加糖飲料である」ということを解説する回のスライドと原稿が、まるまるボツになって返ってきたのです。 担当ディレクターから「スポンサーへの説明を要する可能性があるので、別の内容に差し替えてほしい」とのメールが届きました。 私は「加糖飲料をやめること」が脂肪肝を改善させる最重要のメッセージだという自分の考えを説明し、「差し替えることはできません。この内容をお伝えできないのであれば、出演も辞退させてください」とメールしました。 幸い製作者の方の理解を得ることができ、ボツになることなく番組で解説することができました。そのときの一度ボツになりかけたスライドが図表3です。 メディアは健康になるための情報を求める視聴者、購読者を対象としていても、スポンサーの利益を優先させることがあります。 スポンサーが自社の商品の売り上げに悪影響がある可能性のある情報を、あえてカットするのは当然の行為ですし、製作者がスポンサーの意向にこたえることは、仕方のないことかもしれません。 本書が健康によいものをおすすめすること以上に、健康に害があるものについての情報を強調しているのは理由があります。 自分のチカラで伝えられていない情報に気づくことは、伝えられている情報の間違いを見つけることより、はるかに難しいことだからです。 オレンジをむいて食べることや、野菜を調理して食べることと、オレンジジュース、野菜ジュースを飲むことには、肝臓への影響に違いがあるのでしょうか? 体の中に入ってしまえば同じと考えてしまいそうですが、実は液体でとった場合のほうが、肝臓への悪影響が大きくなることがわかっています。 すなわち、果糖は、急速に摂取すると直接肝臓を傷つけ、ゆっくり摂取すると小腸細胞の作用によりブドウ糖に変換されることが判明したのです。 この新知見は2018年、プリンストン大学の研究チームから報告されました。研究チームは、食べた糖が、体の中でどのように代謝されていくかを精密に調べるために、炭素13の安定同位体で標識したブドウ糖や果糖をマウスに摂取させる実験を行ったのです。 この実験により果糖は摂取する量が少ないと、小腸細胞内の酵素で処理されてブドウ糖と有機酸に変換されること、また、摂取する量が多いと、小腸での処理能力には限界があるため、ブドウ糖や有機酸に変換しきれずあふれ出して、果糖として直接肝臓に向かうことが判明しました。 これまで摂取された果糖は、小腸から吸収されて、ほぼ100%肝臓に向かい、肝臓だけで代謝されると考えられていました。今回の実験で、この通説が間違いであることが証明されたのです。 果糖をブドウ糖や有機酸に変換しているのは、小腸の細胞内にあるケトヘキソキナーゼという酵素であることも明らかになりました。 実際にこの酵素をノックアウトしたマウス(遺伝子操作によりこの酵素を分泌できなくなったマウスのこと)は、果糖がそのまま門脈経由で肝臓に行くことがわかりました。 つまり、小腸細胞には果糖が直接肝臓にいくのを防ぐ役割があることが判明したのです。この論文を読むといくつかの疑問が湧いてきます。 まず、ヒトではどのくらいの量の果糖が、小腸で処理できるのかということです。 処理できる許容量を知ることができれば、果糖による直接的な肝障害や肝臓の脂肪化を予防することができそうです。 もう1つは、果糖をより肝毒性の少ないブドウ糖に変換する酵素の活性を上げる、あるいは内服薬によって酵素の量を増やすことはできるのかということです。 砂糖たっぷりのスイーツを食べてしまった後に、小腸の果糖代謝機能を上げる薬があればいいと思いませんか? この文章を書いている2022年6月の時点では、ヒトを対象にした研究で、上記のいずれの質問に対する答えもまだ出ておりません。 しかし、マウスによる研究結果であっても、果糖による直接的な肝障害を防ぐ対策が見えてきました。 果糖を最も急速に小腸に送り込む方法は、多量の砂糖あるいは果糖ブドウ糖液糖を水に溶かして飲むことです。 市販のオレンジジュースや野菜ジュースは、製造の過程で糖の吸収を遅らせる作用のある不溶性食物繊維がほとんどすべて取り除かれています。 ゆえに砂糖水として一気に小腸に向かい、ブドウ糖に変換されずにあふれた果糖が肝障害を起こすのです。 一方、グラス1杯の果汁分のオレンジを食べるにはジュースを飲むよりも、時間がかかります。 さらに果汁は不溶性食物繊維の粒の中に閉じ込められているため、小腸で吸収されるには時間がかかるのです。ゆっくり摂取されると果糖はブドウ糖に変換され、肝臓への直接的なダメージは軽減されます。 一度に小腸に到達する砂糖、果糖ブドウ糖液糖が多いほど肝臓が脂肪化し、肝障害が起こるのです。もう、加糖飲料は怖くて飲めませんよね。----------1 肝臓を脂肪化させているのは、過剰な「糖質」である2 糖質の中でも、砂糖と果糖ブドウ糖液糖が特に脂肪化を促進し、肝障害を与えている3 砂糖、果糖ブドウ糖液糖の成分の中でも、果糖が特に肝臓に毒である4 加糖飲料を飲むことが、最も肝臓に悪影響を及ぼす
2026.09.22

「ユマニチュード」という革命 p.202 ユマチチュードの4つの柱「3 触れる」 優しさ、喜び、慈愛、信頼、愛情を表すとき、人はどのような触れ方をするでしょうk。やはり赤ちゃんを触るときのようになるでしょう。技術的にいうと、広く、柔らかく、ゆっくり撫でながら包み込むように触れます。このように広範囲に触れるとやさしい触れ方になります。たとえば同じ10キロの力を使うとしても、指先で触るのと、手全体で触るのとでは違います。触れる面積の違いは、単位面積あたりにかかる力の違いとなりました。そしてそれは相手に届く優しさの表現の違いでもあります。 つまり、優しさというのは心がこもっていればいいというものではなく、物理的なものなのです。これをケアする人にはわかってほしいのです。彼女がケアをすると穏やかなのに、どうして私が同じことをするの、あの人は叫ぶのだろう。そういう経験はありませんか。もしかすると、彼女とあなたとでは触れ方が違うのかもしれません。 手や顔は感覚のセンサーが多い部位です。神経が豊富にあり、少し触れただけでも大量の情報が脳に送られます。「ちょっと触っただけなのに患者が叫び出した」といった場合、そうした敏感なところに触れてしまった可能性があります。本人にとって、「すごくたくさん触られた」という感覚になっています。つまり「触れる」と「触れられている」という事実にズレがあるのかもしれないということです。「触れられる」ことについていえば、胎児は妊娠4か月目くらいから、痛みや喜びを伝える神経のシステムが作られ、7か月くらいに完成すると言われています。つまり私たちは生まれる前から「触られる」という情報を受け取ることができるわけです。それに伴う喜びと苦しみも感じることができます。私たちは生まれた直後から、「自分はいま撫でられている」と理解できる能力をあらかじめ備えているわけです。この事実から何が言えるでしょうか。 フランスでは、友だち同士で、体をよく撫であったり、キスをします。アフリカでは誰かにあったときに腕を回して抱き合います。アメリカもそうで、体の接触は頻繁に行います。日本のように人が触れ合わないのは稀かもしれません。 ただし、日本の赤ちゃんは生後すぐから5歳くらいまでの非常に長いあいだ、お母さんと一緒に寝ています。ヨーロッパでは生まれた次の日には、子供部屋で寝かせています。それだけ日本の赤ちゃんは撫でられたり、優しくされるということを、子供時代に十分経験しているわけです。それは幸いなことだと思います。日本人は触れ合うという喜び、また触れてもらうという喜びを幼いころに育んでいるのかもしれません。 ともあれ、そうしたポジティブな感覚をつくるときには、私たちは広い面積で相手と接します。これは赤ちゃんに触れるときも同じですし、恋人同士もそうです。そして、「愛しているよ」「いい匂いがするね」と、優しい言葉をかけます。「第2の誕生」で用いるのと同じ技術を使っているのです。 ネガティブな関係では、まったく逆のことをします。あまり触りたくもないので、狭く速い触れ方をします。しかし、それよりも悪いことがあります。最悪なのは触れないことです。 恋人や夫婦が言葉を交わさなくなったり、目を合わさなくなると、その関係はかなり危ういと言えます。その上、まったく触れなくなったら、これはもうkップルではなくなります。相手が存在していないのと同じです。ふたりの人間がいるだけです。では、脆弱で誰かの助けが必要な高齢者はどうでしょうか。 ある認知症の女性はケアしようとすると看護師や布団を掴んで放さないなど、「攻撃的」でした。でも、仮に彼女がされているように布団を突然がぱっと剥ぎ取られたら、あなたはどう反応するでしょう。看護師には攻撃する意図はありません。けれども。この女性が布団を掴むからという律腕、引き剥がそうとします。その際、彼女と瞳を合わせることはありませんし、言葉もかけません。力づくです。 忘れていけないのは、こうした接触のたびにケアを受ける人は、「嫌いだ」「怖い」といった感情の分析を常に行っているということです。つまり、自分の体に触れられるということ自体が意味を持っています。言葉によらないメッセージが届けられているのです。話しかけない、瞳を合わせない、力づくで腕を掴んで上げさせる。これは相手を罰しようとするときの行いです。まして女性に近づき、おむつを確認しようと脚を開かせたらどうでしょう。そのとき相手が閉じようとしたら、それは「嫌だ」という表明です。それでも無理やり開こうとしたら、それはレイプです。 つまり彼女にとってはオムツ交換のたびに毎回レイプされているのと同じなのです。もちろんケアをする人たちには、そんなつもりはまったくありません。 この女性はケアをしているつもりの人から自分を守ろうとして、その人たち対抗しています。防御しているだけなのに、攻撃的だとか、「認知症の行動心理状況が出ている」と言われてしまっているのです。「映画館は“ボディ”だ」濱口竜介、三宅唱、三浦哲哉が「急に具合が悪くなる」ロングラン上映を記念して特別鼎談イベントを実施 その69/8(火)https://news.yahoo.co.jp/articles/fbab5f602d46e7951fec8ad98b5a13a022453477お金と制作現場をめぐるやや重いテーマをくぐると、鼎談は次回作についての話題となり、一気に軽やかな企画会議のような時間へと転じた。三宅が「濱口さん、次は何撮ればいいですかね。何が見たいですかね」と三浦に振ると、三浦は「僕やっぱり小津のリメイクはやってほしいなと思うんですよね」と提案。濱口は「いやいやいや。ちょっとスッと流していいですか」とかわし、会場の空気は再びくだけていく。さらに三宅は濱口に「宇宙人と遭遇する映画」を撮ってほしいと提案。濱口も「SFとは違う、コミュニケーションが成り立たないものとどう関わっていくのかっていうことには非常に興味があります」と応じる。すると今度は濱口から三宅に「市井の人たちの暮らしの中にすっと出てくるようなアクション映画を撮ってほしいと思ったけれど、それはすでにいろいろなところでやっていると思うから、アクション映画を撮っている映画」を撮ってほしいという提案が返ってくる。三宅は「それは面白そう、いいね」とまんざらでもない様子。気がつけば予定の1時間が経過。会場のお客さんも、密度の高い鼎談に満足してそれぞれ何かを持ち帰ったように感じられた。締めの挨拶で、三浦は「本当に何回見ても面白い映画です。『かみのたね』の記事もとても面白いので、読んで、また見てください」と語り、三宅は、「今日は映画館がボディということがよくわかって良かったなと思いますので、また映画館でお会いしましょう」と続ける。濱口は「このメンバーで話すと、単純に話すのは楽しくなってしまって。またどこかで私たちの話を目にする機会があるかと思いますが、皆さん楽しんでいる私たちを見て楽しんでいただけたら嬉しい」と締めくくった。映画館で映画について楽しく語り、それによって新たな映画の見方や観客を生み出していく。まさに映画館こそ「ボディ」だと思えるような時間は、なごやかな雰囲気で幕を閉じた。
2026.09.22
大智禅師偈頌講話 澤木興道偶作 その5【偶作】 寂光明土娑婆界 (寂光明土娑婆界)色裏膠青水上波 (色裏の膠青水上の波)浩浩村歌兼社舞 (浩浩たる村歌と社舞と)負恩者少報恩多 (恩に負く者は少なく恩を報いるは多し) わたしは坐禅の会を、丸の内の有楽町駅の傍らの蚕糸会館の七階でやった。あすこは恐らく、まあ日本一やかましいところであろう。とにかく、省線はシューッと通る。急行列車はゴウーと通る。その下のぐるり界隈をチューチュー、パッパ通る。電車はチンチンガタンガタン通る。夕刊売りはチリンチリン鈴を振っておる、それはまあ、とにかく世界中の騒音をひと所へ集めたような、実にやかましいところじゃ。そればかりならいいけれども、隣りの部屋では碁の会を行なっておるやつがある。こっちの部屋では謡をやっておる。こっちは坐禅の会をやっておる。かなわん。そうすると、その謡のやつのところに能の会があって、その稽古をやっておる。「おーおー」「そこで右の足をトンとー」とか言うてー。それが襖一つ向こうじゃ。襖のこっちは坐禅をやっておる。まったくかなわん。吹き出すわけにいかん。黙って坐っておる間は、向こうは誰もおらんと思うて、それこそ傍若無人にやっておった。ところが、坐禅がすむと、今度はこっちが「大智禅師発願文―」と大きな声でやったから、向こうびっくりして迷惑したことであろう。わたしは味噌の腐るような声でやっておるのと違う。このドラ声でやりたくる。提唱をする。とにかく、あすこは非常に足がかりは便利じゃけれども、坐禅をするにはいいところではない。いいところ悪いところというても、何をするのにいいところかというのが問題である。昼寝をするのにいいところもある。徹夜で勉強するのにいいところもあるし、坐禅するのにいいところもある。だから、一つの世界がいろいろに見える。それだから十界互具。十界というのは、地獄・餓鬼・畜生・修羅・人間・天上・声聞・縁覚・菩薩・仏。この十界に、互いにどこでも十界がある。地獄にもある。餓鬼にもある。人間にも地獄・餓鬼・畜生・修羅・人間・天上・声聞・縁覚・菩薩・仏―。でたらめにきめたものではない。ここからここが地獄、ここからここが餓鬼、ここからここが修羅、もっと端的にいえば、人間の生活態度、または考え方によって、そこに十界というものが出来る。だから、この十界のうち、どこの世界にいても、自分のおるところを浄土にしよう。自分の踏みしめておるところを極楽にしようというのが、われわれの修行である。よう浄土宗の仏さんを見ると、両方の足に蓮花の花を受けておるのがある。あれは、おもしろいと思う。それは、自分の足の踏みしめるところに、蓮花の花があるという、こういう意味を、表現したものであろうと思う。(大智禅師偈頌講話p.203-205)
2026.09.22
岡田無息軒翁一代記 岡田淡山 その413、遠州七人衆と共に二宮先生を日光に訪問す この年、八月同志数人とはかり、下野に行き二宮尊徳を日光山の旅館に見る。清忠かつて思う。数年、報徳の道を学ぶといえども、これみな安居院兄弟に聞くことにして、けだし未だその真を得るあたわず。もしそれ二宮氏に親炙(しんしゃ)して、その教誨をうく、益を得ること必ず多からんと。即ち同志、森町村山村里助、中村常蔵、下石田村神谷久太郎、影森村内田啓助、気賀町竹田兵左衛門、松井藤太夫らとはかり、行李(こうり)を治(おさ)む。六人の者はみな報徳の信者なり。 すなわち先ず相州蓑毛村に至り、安居院庄七が家を訪い、又尊徳の弟子、同州曾比村剣持広吉らを聞訊し、討論数日、報徳の書数巻を写録し、遂に庄七を紹介となし、日光山の麓に到り、二宮尊徳を桜秀房に於いて謁見するを得。桜秀房は尊徳の旅館なり。これより先、尊徳幕府の命を受け、日光神領興復の事に任ずる。その方法の書たる、これを陰陽未判の始めに基づき、これを無尽の終りに帰す。勤惰の得失を詳らかにし、因果の応報を明らかにし、積小為大の実を開示し、興国安民を述べる。その起算、上(かみ)鸕草不合尊(うがやふきあえずのみこと)の元年より、下(しも)嘉永五年癸丑(みずのとうし)に至る。これを偏して八十四巻と為す。九年にて成る。以て、幕府にたてまつる。けだし尊徳一世の力を尽して編述する所にして、その精神全くここにあり。 ここに於いて幕府これに命じて曰く「日光御神領荒地起返し難村旧復の仕法申し付くる間、見込の通り御料私領、手広に取り行え」と。尊徳この年を以て日光に至り、はじめてここに興復の業を開く。清忠尊徳に面し、親しく宿志を陳べ、口授を受くること数日、未だ聞かざる事を聴き、益を得ること、はなはだ多し。家則を改正する法を問う。二宮氏清忠の所持する、田圃、家入の多少と年間の有余と不足とをつぶさに問訊し、かつて制定するところの、相州大住郡片岡村、大沢小才太が家則を出し、これを指示して曰く、「この法以て範と為すべし」と。清忠謹んでこれを謄写し、また同行とともに、その撰述の書数巻を謄写す。かつ清忠自ら尊徳の容顔非凡なるを観、その像を戸隙よりうかがい、間を得てその真を写し欣然として笈裏(きゅうり)に納め、遂に告辞して去る。清忠の教えを信ずる事これより、ますます深し。同志数輩また今に至ってその志かわらざるなり。 14、家則を改定して大いに推譲を行う 安政改元甲寅四十三才、家則を改定し、報徳米献納の法を定める。俸五人口を賜う。清忠の家に帰るや、尊徳の訓えを思い、小才太が家則に模倣し、家則を改定して、子孫永世に遺さんと欲す。而して熟考するに、一己の定めるところ、子孫もまた一己に改めることあらん。かくの如きは、これ永久の法と為すべからず。すなわち親類とはかり、管司の臨監を乞い、数日にして成る。雲仍遺範(うんじょういはん)と号す。 その制たる歳入歳出を詳らかにし嘉永六年より天保五年にさかのぼり二十年間その豊凶を平均して、倹侈剰余を通考し、その中に執り歳出を節制して、およそ元服、嫁娶喪祭の大事より衣食居住衣服の用に至るまで、これを予算しその度を超過するなからしむ。而して生ずるところの剰余若干、非常の余裕を除く外、なお剰余あるを得べし。すなわちこれを窮民撫育の資に譲らんとする。歳々米五十俵六十年間上納し、その封内(ほうだい)の窮民撫恤、新旧田畑開墾の資に供せんことを懇願する。領主太田備中守その殊勝なるを感じ、速やかにこれを許可する。
2026.09.22
報徳記巻之六【4】先生下館の分度を定む その2(現代語訳) 家老以下非常に至当の論を感激してこの事を行いましょうと言い、下館藩に帰ってまず君に申し上げて、次に一藩に示して減少当然の必要な費用を立てることができた。分度が既に定まって一藩が艱難に対処して行った。家老以下は再び桜町に来てこれを先生に告げた。先生は喜ばれて言われた。「下館の君臣上下が天命を知ってその本が既に定まった。この時に当って負債を償却する道を設けなければなりません。」と。ここに数日沈思黙慮してついに数巻の書を作成して、これを家老以下に示して言われた。「今、君臣ともに艱苦に安んじ年々利子を支払う道が備ったといっても、元金3万両はいずれの時に減少することがありましょう。減少しない時には国に患いは消え除く時はありません。しかしながらこれを減じようとするのに一金でさえ出所がありません。やむを得ず、元金減少の道をあれこれ考えるにここに一つあります。来年の1月2月の両月の国用の米財に私の仕法の米金を贈ってこれを補い、7月8月の両月の米財は下館の町の富な商人は常に君家の用財を処理してきたもの8戸でこれを補い、さらに宗家石川侯は慈仁で憐れみの心が深い。今、下館藩の君臣が艱難を尽して以前からの衰弊を挙げて永安の政治を行おうとすることをくわしく述べれば、必ず補助をなされることでしょう。そうであれば3月4月5月6月の4ヶ月の用財を補ってくださるよう求めるべきです。下館藩が再復するならばその時になって本家並びに商家の出財を償うことははなはだやさしい。このようにして当年は下館領村の租税で借金を償うべきです。そうであれば元金の数多くを減じて、従来利子として支払っていた金のうち数多くの財が余るようになるでしょう。これで毎年に元金を償却するならば、ついに3万両の借金を償却することは難しくありません。」 と。家老以下先生が仁でありさらにすぐれた知恵を備えていることを感嘆して、非常に喜んでこの事をくわしく本家に申上げた。本家は先生の誠意に感銘して4ヶ月の用財を贈られた。先生はまた下館の商家8人を呼んで、国家を再盛し上下の艱難を除いて、永安の道を得る大理を教え諭し、前のように告げた。富商たちは非常に感激して言った。「私たちの家の財産をことごとく出しても、君命であれば承諾しなければなりません。今、先生が下館藩における、少しも縁も理由もないのにこれを旧復するために多くの苦しみを尽し、そればかりでなく数多くの米財を贈られることはその恩に感謝する所を知りません。私たちの出財はもとから願う所です。」と言う。ここで一年の貢税で遅延することが難しい負債を先立ってこれを償却し、元金の数多くを減じた。これが3万余両の負債を償却した始めである。大夫(たいふ)以下大いに至當(したう)の論を感激し此の事を行はんと云ひ、下館(しもたて)に歸(かへ)り先づ君(きみ)に言上し、次に一藩に示して減少當然(たうぜん)の用度(ようど)を立つることを得たり。分度既に定れり一藩艱難に處(しょ)して行ふ。大夫(たいふ)以下再び櫻町に至り之を先生に告ぐ。先生悦びて曰く、下館上下天命を知り其の本(もと)既に定れり。此の時に當(あた)りて負債償却の道を設(まう)けずんばある可らず と。是(これ)に於て數日(すうじつ)沈思黙慮して遂(つひ)に數巻(すうかん)の書を成し、之を大夫(たいふ)以下に示して曰く、今君臣共に艱苦に安んじ年々利濟(りさい)の道備れりと雖も、元金三萬(まん)何(いづ)れの時か減ずることを得ん。減ぜざる時は國患(こくくわん)消除の時あるべからず。然れども之を減ぜんとするに一金の出所(しゆつしょ)あらず。已(や)むを得ず、元金減少の道を案ずるに此(こゝ)に一あり。來(らい)亥年(いどし)正月二月兩月(りやうげつ)の國用(こくよう)米財(べいざい)我が仕法の米金を贈り之を補ひ、七八兩月(りやうげつ)の米財は下館市井(しせい)の富商常に君家(くんか)の用財を辨(べん)じ來るもの八戸(こ)にて之を補ひ、且(かつ)宗家(そうけ)石川候は慈仁にして憐恕(れんじよ)深し。今下館君臣艱難を盡(つく)し舊來(きうらい)の衰弊を擧(あ)げ永安の政(せい)を行はんとすることを具陳(ぐちん)せば、必ず補助を爲(な)し玉はんか。然らば三四五六四ヶ月(げつ)の用財を補ひ玉はんことを請(こ)ふべし。下館再復せば其の時に至りて本家並に商家の出財を償はんこと甚だ易し。此の如くして當(たう)戌年(いぬとし)下館領邑(いふ)の租税を以て借債を償ふべし。然らば元金許多(きよた)を減じ、從來(じゆうらい)利濟金(りさいきん)の内幾多(いくた)の財を餘(あま)すに至る。之を以て毎年に元金を償はゞ、遂に三萬(まん)の借債を償却する難きにあらず と。大夫(たいふ)以下先生の仁にして且(かつ)大知なることを感歎し、大いに悦びて此の事を具(つぶ)さに本家に聞(ぶん)す。本家先生の誠意を感じ四ヶ月の用財を贈り玉ふ。
2026.09.22
下館談話記【二】その1(現代語訳のこころみ)【2】同(嘉永3年10月)9日、下館藩の家老(筆頭家老牧志摩。他に家老柴田利兵衛・雨森頼母、奉行衣笠兵大夫・鈴木源八郎など7名が同座)が来て言った。「先生の厚い思し召しで御談話下された趣きを一同評議しましたところ、衰廃を再復する道は元からお願いしたことで、あえてなおざりにする心得では無かったのですが、自然に手ぬるくなってしまい、再び借財がかさんだ次第で、外に方法もございませんから、戌年に立ち戻って、どのようにも屈身しますから、借財を返済の道は、初めのお願いした通り御世話願いたい。」先生は言われた。「御再復の仕法は今改めて申すまでもなく、お願い以前の桜町の仕法の実状はご承知の上で依頼され、それ以来はなおさら国家復興について、微細に論議して、やっと再び栄える仕法を組み立て、米金まで差出しお世話申し上げました。その後10有余年の今日に至って、善悪を論じなければ納得できないということも有りますまいから、最初の談判で定まったとおり取り行っていけば、日に月に増倍し、憂いは消えて、幸福は集まることは疑いの無いところが、かえって借財がかさんでご当惑となったのはほかでもありません。衰時の天命を守られなかったからです。天自然としての衰時の分度は、どのような不足になっても、領内から生ずる生財より外に得るものは無いのですから、患難に素して患難に行うと論語にある聖言の通り、収納のうち、大借の利払いのために年々減じた上は、減じた所が艱難中の分度です。ですから一藩中へ減少しただけの割渡しするしかありません。扶持として2割8分を減じたのは人作としてなすところではなく、数年の難渋で借財がかさんで、自然の衰時に随ってそれぞれの恩禄も減じたのですから、何の迷いがありましょうか。どうにもしようはありません、この時に当っては上下とも貧困の分を守って、どのようにも屈身丹精の力で不足を補って、有志の人々は再復するように心力を尽し、そのほかは艱難に安んじ、再復を得られるということは、天命に随う当然の道で、御一同も承知の上で決定して実行したことであり、違約することなく、引き続いて実行していけば、どのような大借であっても無借になるところを、何となく俸禄を渡すことを緩め、一たんの喜びを計らうために分度から引いて足らず、年々暮し方が不足するようになり、したがって他から借金で補って俸禄を渡されるから、皆済して安堵になるべき時節にかえって増借し当惑するようになり、このような処置で凌がれるようでは、年々歳々借金が嵩んで国中が空虚に成って、上下も永々の艱難に陥いるようでは、いずれの時に復興の時期が有りましょうか。いたずらに今日を明日に何となく送られるならば、どのような大きな患らいも気づかず、一たん始終の禍福はいかがになることでしょう。今はこのような憂いも少ないようですが、積もれば大山のような国の憂いと成るであろうと前後をお考えになれば、今日の安らかさもかえって一刻の安心もできないことでしょう。昔から忠臣・義士は、国の憂いを除くべき時に当れば、身命をチリアクタよりも軽んじて、憤発勉励しどのような難場でも押し切って、速やかに行なうのは、その禍がますます広大となっては、百年の力を尽くしても除くことができないようになることを恐れるためです。【二】同どう九日か下しも館だて大たい夫ふ来きたりて曰いわく、先せん生せい厚あつき思おぼし召めしを以もって御おん談だんじ下くだされ候そうろう趣おもむき一同どう評ひょう議ぎに及および候そうろう処ところ、衰すい廃はい再さい復ふくの道みち元もとより御おん願ねがい仕つかまつり候そうろう儀ぎ、敢あえて等とう閑かん候そうろう心こころ得えには之これ無なき候そうら得え共ども、自し然ぜん手て緩ゆるに罷まかり成なり、再ふたたび借しゃく財ざい相あい嵩かさみ候そうろう次し第だい、外ほかに致いたし方かたも御ご座ざ無なき候そうろう間あいだ、戌いぬ年としに立たち戻もどり、如い何か様ようにも屈くっ身しん仕つかまつるべき間あいだ、借しゃく財ざい返へん済さいの道みち、初はじめ御ご存ぞん意い通とおりり御おん世せ話わ相あい願ねがい候そうろう。先せん生せい曰いわく、御おん再さい復ふくの仕し法ほう今いま改あらためて申もうす迄までも之これ無なく、御おん願ねがいの以い前ぜん桜さくら町まち仕し法ほうの実じつ事じ御ご承しょう知ちの上うえ御お願ねがいに相あい成なり、其それ以い来らいは猶なお更さら国こく家か興こう復ふくの儀ぎ微び細さいに御ご論ろん判ぱんに及および、弥いよいよ御おん再さい栄えいの仕し法ほう組くみ立たて、米べい金きん迄まで差さし出だし御お世せ話わ申もうし上あげ候そうろう後のち、拾じゅう有ゆう余よ年ねんの今こん日にちに至いたり、善ぜん悪あくを論ろんぜずば御おん得とく道どう参まいらずと申もうす儀ぎも之これ有ある間ま敷じく、初しょ発はつ御おん談だん判ぱん御おん治ち定じょうの通とおり御おん取とり行おこないに候そうら得えば、日ひに増まし月つきに倍ばいし御おん憂うれいは消しょう除じょ仕つかまつり、御おん幸こう福ふくは集あつまり候そうろう儀ぎ疑うたがい無なきの処ところ、却かえって御おん借しゃく財ざい相あい嵩かさみ御おん当とう惑わくと罷まかり成なり候そうろうは別べつ儀ぎに御ご座ざ無なく、衰すい時じの天てん命めいを御おん守まもり成なされず候そうろう故ゆえの儀ぎに御ご座ざ候そうろう。天てん自し然ぜんに成なり行ゆき候そうろう衰すい時じの御おん分ぶん度どは、如い何か様よう御ご不ふ足そくに候そうろう共とも、御おん領りょう中ちゅうより生しょうずる生せい財ざいより外ほかに得うべきもの之これ無なき候そうらへば、患かん難なんに素そして患かん難なんに行おこなうと宣のたまふ聖せい言げんの通とおり、惣そう御おん収しゅう納のうの内うち、御おん大たい借しゃく利り払ばらいの為ために年ねん々ねん相あい減げんじ候そうろう上うえは、減げんじたる所ところ御おん艱かん難なん中ちゅうの御おん分ぶん度どなり。夫それより御おん一藩ぱん中ちゅうえ減げん少しょう丈だけの御おん割わり渡わたしにて、面めん扶ふ持ちえ二割わり八分ぶの減げんじ相あい掛かかり候そうろうは人にん作さの致いたす処ところに御ご座ざ無なく、数すう年ねんの御おん難なん渋じゅう御おん借しゃく財ざい相あい嵩かさみ、自し然ぜんの御おん衰すい時じに付つき、随したがって御おん銘めい々めいの恩おん禄ろくも減げんじ候そうろう儀ぎ、何なんの迷まよいかあらんや。如い何かにせん、此この時ときに当あたりては上じょう下げ貧ひん困こんの分ぶんを守まもり、如い何か様ようにも屈くつ身しん丹たん精せいの力ちからを以もって不ふ足そくを補おぎなひ、有ゆう志しの面めん々めんは御おん再さい復ふくの通とおりに心しん力りょくを尽つくされ、其その余よは艱かん難なんに安やすんじ、御おん再さい復ふくを得えられ候そうろう義ぎ、天てん命めいに随したがひ候そうろう当とう然ぜんの道みちに御ご座ざ候そうろう間あいだ、御ご一同どう御ご承しょう知ちの上うえ御おん決けっ定ていにて御おん取とり行おこない成なされ候そうろう儀ぎに付つき、御ご違い約やくなく、引ひき続つづき御おん取とり行おこない之これ有あり候そうらはば、如い何か成なる御おん大たい借しゃくも御おん無む借しゃくに相あい成なるべき処ところ、何なにとなく御おん渡わたし方かた御おん緩ゆるめ、一旦たんの安あん喜きを取とり計はからい候そうろう故ゆえ忽たちまち御おん分ぶん度ど引ひき足たし申もうさず、年ねん々ねん御おん暮くらし方かた御おん不ふ足そく相あい立たち、随したがって御おん他た借しゃくを以もって御おん補おぎない為なし渡わたされ候そうろうに付つき、御おん皆かい済さい御おん安あん堵どにも至いたるべき御おん時じ節せつに却かえって御おん増ぞう借しゃく御おん当とう惑わくに相あい成なり、斯かくの如ごとき御おん処しょ置ちを以もって御おん凌しのぎ御ご座ざ候そうろうはば、年ねん々ねん歳さい々さい相あい嵩かさみ御おん国こく中ちゅう空くう虚きょに相あい成なり、御おん上じょう下げ永えい々えいの御おん艱かん難なんに陥おちいり、何いずれの時ときか御おん興こう復ふくの期き有あるべく御ご座ざ候そうろうか。徒いたずらに今こん日にちを明みょう日にちに何なんとなく送おくり候そうらへば、如い何か様ようの大だい患かんも心こころ付つかず候そうらへ共ども、一旦たん始し終じゅうの禍か福ふくは如い何かん。今いまは此この如ごとき憂うれい少しょうなるに似にたれども、積つもれば大おお山やまの如ごとき国くにの憂うれいと成なるべきや否いなと前ぜん後ご勘かん弁べん致いたし見み候そうらへば、今こん日にちの安やすきも却かえって一刻こくの安あん心しん致いたし難がたき儀ぎに付つき、古いにしえより忠ちゅう臣しん義ぎ士し国くにの憂うれいを除のぞくべき時ときに当あたれば、身しん命めいを塵じん芥かいよりも軽かろんじ、憤ふん発ぱつ勉べん励れいして如い何か成なる難なん場ばといへども押おし切きり、速すみやかに行おこなひは其その禍わざわいの益ます々ます広こう大だいに及および候そうろうては、百年ねんの力ちからを尽つくし候そうろう共とも除のぞくべからざるに至いたらんを恐おそるるが故ゆえ也なり。
2026.09.22
1 宮部から新渡戸へ(封書、英文)明治一四年(一八八一)九月二四日、東京御徒町から盛岡へ 東京・御徒町 一八八一年九月二四日 親愛なる太田、 年下の姪から君の手紙を渡されたちょうどその時、僕は東京の乾湿交替する天候に二百日さらされたため、かびと縮みで傷んでしまったー少なからず傷んだー僕の植物標本を並べ修復するものに忙殺されていた。標本を一枚一枚調べると、きまって僕の心は、あるいは憤りで、あるいは後悔で、あるいは慰めで充たされるのだ。ー任に当たった役人の無知のため、学者の笑い物になるほど悪い管理で、何と傷められたことか、何と非体系的に非科学的に並べられたか(しかし物理でいう補色の原則にはかなって、紫のあとに緑、黄色のあとに紫ーこれは科学的)を思ってだ。しかし、石狩渓谷の豊かな植物相を一般民衆に見せて、大いに役立ったことを思うと、またかりに千人の中の一人でもが、乾いた葉や干からびた花から、北海道の土壌の豊沃と多様性、気候の大体、農業成功の可能性、森林の豊かな富を読み取ってくれた人がいたとしたら、さらにまた何人かの人の心が自然への愛にかき立てられて、自然の神秘の探求に向かうとすれば、あるいは大いに満足をおぼえ、慰められ、幸福を感じるとすれば、またたまたま何人かの人が、神の創造のミイラのような残留物から、その「神の永遠の力と威厳」をたどろうという気になったとしたらーもうこの辺でやめにして他の話にうつろう。「札幌からの手紙」、おお!太田からの手紙!こう言いながら、筆を置いて貪るように封を切って、まずはゆっくりと、大喜びで、西洋手品師の神秘の壺のように、その中身が、知恵と機智のワインと兄弟愛のブランデーを、また君の厳しい男らしい、この世と自分自身に対する闘いの強い黒ビールを、さらに君の高き志のりんご酒を、君のキリスト信仰のシャンパンを(これらは皆、僕の好みにぴったりだが)、一滴ずつ読み味わい、さらに注意をこめて再読し、ペンを取り、僕の考えと返事を今書いているのだ。 僕たちは皆、君たちがみんな無事目的地に着いたときいて嬉しい。君の乗船が函館へ出航したあと、すぐに、銚子あたりから報せを送ったー先月三〇日、海は大荒れだったと。だから隅田丸が無事函館に時間どおりに着いたとの電報をもらうまで、僕たちはみな心配だった。 ここに君の新しい家がある。君はそこですっかり家庭的に感じているかい?冬が近づいている、ストーブはあるかい、それとも火鉢で我慢かい。君は良い家と良い友だちを選んだよ。権兵衛とニュー〔藤田九三郎〕は料理上手だし、君自身ときたら大飯食らいだ。権兵衛はどうしている。いつも親切で、勤勉で、幸福で、性格も習慣も変わりはせず、いつも単純かい。今日は彼にも他の人たちにも手紙は書かない。君だけだ。だから皆によろしく。権兵衛に、先日僕が彼のフジマエの実家へ行って、ゴチソウニナッタと言ってくれたまえ。高木〔玉太郎〕の実家へは二度行った。だから僕は宮崎氏のお茶には責任があるので、最初の機会に送るつもりだと高木に言ってくれたまえ。ニューは今は調査はしていない。彼は幸福にちがいない。ー彼の敏速な示唆と機械的才能は、今や真の応用を見いだしているのだから、それらが十分に発達するように願っている。仕事だ!歩くんだ!一歩一歩が上記の人々を前進させる。そしてしばしば旗竿や地均道具は大黒の小槌のようなもので振れば振るほど黄金が出てくるのだ。友よ、僕はこんなことをのべて間違っているかもしれない。君は書きよこした「金は力なりとのフランクリンの言葉は正しい」と。またこうも言った。「当地の人々は金のことしか、滅んでしまう賤しい鉄のことしか頭にない。彼らの迷った眼には、金は人間の幸せの究極目的と見え、彼らの働きの憧れの的なのだ!!」それで結構、金はじつに力のあるものだ。金は社会の主な原動力だ。金は人を刺激して他人と闘わせる。金は主の似姿であり、測り知れぬ価値ある魂の救いを、「滅んでしまう卑しい鉄」で買う働きによって、宗教の聖なる名さえも損なってしまう。金はむしろ不正な目的へ、不正な手段で人を追いやる。正しい目的へ動かすことはあまりない。しかし義務ー神に対する義務、同胞に対する義務、親族に対する義務、友人や国に対する義務こそ、人間の真の義務でなければならない。「義務こそ人の全存在を包むのだ。」 今、僕は新番町教会へ青年会演説をききに行かねばならない。残りは帰ってから書くよ。チョットイッテキマス。 唯今行テキマシタ。しかしすっかりがっかりした。会合なんかなかったんだ。ありえないんだ、というのも、僕が部屋に入ると、会のメンバーはたった四人しか来ていなかった。奥野〔昌綱:麹町教会牧師〕氏、平岩〔愃保:日本メソジスト教会第2代監督〕氏、井深〔梶之助:麹町教会牧師〕氏それに僕の兄だ。聴衆は内村と彼の弟と僕だけ。この不都合は、会員に手紙なり公の新聞なりで知らせるのを、会の役員が怠ったためだった。その上、今日午後僕たちには、福地〔源一郎〕とその同志の政治講演に出るか、または明治会堂での仏教説話をききに行く選択もあるんだ。どの講演も午後二時という同じ時刻に始まる。内村と一緒に麻生飯倉に本を探しに行った。広井〔勇〕君は今月中旬に家を出発するから、彼には久しく会えないと思う。池田氏は今月はじめ長崎に向かった。君の眼のことは本当に気の毒だ。君の大事な習慣のほうは犠牲にしてでも、これ以上悪くならないように眼を守りたまえ。 開拓使の存続について、黒田と彼の大事な目的について、そして国会についての噂がたくさんある。今では東京人の共通の話題の一つとなっている。今日はこれらの問題についての現在の輿論を君に書くつもりはない。それには時間がとてもかかり、紙もうんといるからね。 先日、SAC〔札幌農学校〕の生徒たちが、農学校からの(一時的?)退学願を学校へ提出するよう指示されたと聞いた。そんな動きが何かあるのかい?どうか僕に知らせてくれたまえ。農学校のほかの事柄についても、できれば僕の地位についても。 天気が許せば、明日はロン〔内村鑑三〕と大島〔正健〕一家、オノシマといっしょに出かけるつもりだ。ロンシャン君は一週間以内位に札幌へ向かうだろう。僕の状態や東京の教会の状況は、みなロンから聞いてくれたまえ。 君のつねに熱心な友人 F・K・宮部 乱筆失敬旧新農学生及ヒ在校の諸君へ宜敷御鶴声を乞う*1 「ゴチソウニナッタ」「チョットイッテキマス」「唯今行テキマシタ」は邦文。*2 乱筆以下邦文
2026.09.21
卓球中国にとって「まさに壁」 日本の28歳が世界5位粉砕 地元ファン震撼「このままでは…」9/21(月)卓球の国際大会、WTTスターコンテンダー・アスタナは20日、カザフスタン・アスタナで行われた。女子シングルスで世界ランク13位の佐藤瞳は準優勝。準決勝では世界5位の王芸迪(中国)を撃破し、中国メディアを震えあがらせた。 日本が誇る世界屈指のカットマン、佐藤が世界5位から金星を挙げた。2ゲーム連取されて崖っぷちに立たされたが、ここから猛反撃して大逆転。決勝で日本の木原美悠に敗れたものの、中国メディアに衝撃を与えた。「新浪新聞」が「このカットマンは、中国代表の大部分の女子選手にとってまさに『壁』である」と伝えれば、「ジーボーバ」は「日本が女子シングルスの金銀を独占することとなった」とした。 ネット上の中国人ファンも反応。「王芸迪は日本選手によく負けるし、カットマンにも弱い」「中国代表チームはやはりカットマン対策をもっとしっかりした方がいい」「中国代表の打法は変化に乏しいし、変わった打法に対する対応力も劣っている。このままでは様々な打法で迫ってくる外国人選手を打ち負かせなくなる」「日本女子卓球選手は張本美和を中心として、人材があふれるほどいる」などの声が上がっていた。
2026.09.21

大型で強い台風25号は、21日(月)午前10時現在、八丈島の西南西約110キロにあって、時速20キロで北東へ進んでいます。この台風は今後も北よりに進み、21日昼過ぎから夜遅くにかけて、関東甲信にかなり接近する見込みです。💛台風、午前10時は午前4時に比べて、岸よりになってきたような。外の雨風はそんなにはひどくない。これから?大型で強い台風25号は、今日21日(月・敬老の日)午前4時現在、八丈島の南西約240キロにあって、1時間に約20キロの速さで北に進んでいます。四国から関東、北陸と東北の一部は風速15メートル以上の強風域に入っていて、台風接近前から大雨になっている所があります。💛台風上陸しないで、早めに去ってく?雨降ってるけど、風もなく静か
2026.09.21
「ユマニチュード」という革命 ユマチチュードの4つの柱「2 話す」その3p.199 オートフィードバックの原則には2つあります。まず最初に、まったく反応しない人であっても、自分で動くように依頼します。たとえば、「腕を上げてください」と言って3秒待ちます。これを「老年医学の待ち時間」と、私は読んでいます。脳が反応するまでの時間は平均して3秒くらい必要だからです。 一度頼んでみて3秒数えます。それから、またお願いして3秒待ちます。2回とも反応がないと、今度は、「私の頬を触ってください」 「天井のほうに手を上げてください」と言葉を換えてみます。 それでも反応がなければ、「これから腕を洗いますね」 と予告し、「腕を上げます。左腕からです。手の甲から洗いますね」とケアを行う手の動きを実況していきます。 実況は、認知症高齢者の感情記憶に働きかけるようなポシティブな言葉で手の動きを表現します。「腕を上げてください」「ほっぺたを触ってみてください」「私があなたの腕を優しく上げてみます」「肩を撫でています。気持ちがいいですね」「では、石鹸をとります」「お湯をかけますね。お湯って気持ちがいいでしょう」「今度はタオルで拭いて乾かしますね」 最初の段階ではまるで反応がなかった人でも「腕を上げてください」とお願いすると協力してくれることが突然起きたりします。オートフィードバックでこちらが話し続けていくことで相手からの反応を引き出せるようになることを数多く経験しています。 ある患者は入院してから1年経ちますが、そのあいだまったく反応がありませんでした。その人にオートフィードバックを用いてケアした際、周りにいた人たちは初めてその人の声を聞きました。その高齢者は、「熱い」と言ったのです。 なぜこのような結果が起きるかは十分に解明されていません。想像するに、ポジティブな状態で感情記憶にずっと刺激を与え続けたので、内部の沈黙からその人は出てきたのかもしれません。 確かなことは、最初に出会ったときとまったく眼差しが違ってきたことです。空虚だった瞳に光が宿り、生き生きとしています。反応がないからといって聞こえていないわけではなかったのです。この技術を使うことで、あなたを大切に思っている、というメッセージをケアの間中ずっと伝え続けることができ、そのメッセージに相手が反応してくれたのです。 ただしオートフィードバックは容易ではありません。これには正確な技術がが必要で、ちゃんとした研修を受け、最低3か月の訓練がなければ、身につけられません。まったく反応のない人へのケアの場に、言葉を常にあふれさせることを、自発的に、自然にできる人はいないからです。「映画館は“ボディ”だ」濱口竜介、三宅唱、三浦哲哉が「急に具合が悪くなる」ロングラン上映を記念して特別鼎談イベントを実施 その59/8(火)https://news.yahoo.co.jp/articles/fbab5f602d46e7951fec8ad98b5a13a022453477トークショーも後半に入り、話題は映画にかかるお金へと移った。三宅は「濱口さんはいくらあれば映画作れるみたいな感じはありますか?」と尋ねる。濱口は「題材による」としながらも、スタッフやキャストに「ちゃんと払わなきゃいけないから、必要以上に予算を小さくすることはできない」と語った。ちなみに「急に具合が悪くなる」は、濱口監督作のなかでも最も高額な予算がかけられているが、「予算が少ないからといって、その作品がより悪い映画になるかというと、きっとそうではないだろうと思っているから、難しい」と語る。三宅も「もはや20代のころの金額では撮れない。それは当然だけど、めちゃくちゃ必要かっていうとそうでもない」と応答する。三宅は、回収することを考えたら、もっと予算をかけるべきなのか? と悩ましさを吐露しながら、「10年前といまでは回収できる場所(映画館)やお客さんの状況が変わっている。自分の映画を見てくれる人は増えたかもしれないけど、そもそもどうやって回収するかの感覚も変わってしまって」と語る。そこで三浦が持ち出したのが、(「急に具合が悪くなる」の劇中でホワイトボードに書かれる)「ボディ」という言葉だった。三浦は、例のホワイトボードのシーンになぞらえて、「制作費がちゃんと回収ができればいい(資本主義が回ればいい)っていう話ではなくて、仕事に携わる人の身体(ボディ)であるとか、ネイチャー、そういうものがきちんと養われないと、たとえ規模が大きくなっても結局は行き詰まるっていう話ですね」と話す。さらに「それで言うと、例えば映画館がちゃんとあって、人を集めて見せていくことも大事で」と広げると、三宅が「映画館がボディだということですかね」と受けた。濱口は、週二日が撮休だった今回のフランスでの経験をふまえて、「ちゃんと休んで、ちゃんと回復していくサイクルは、根本的になくてはならない」と語る。「本当に遅まきながら、自分自身が40代で回復も遅くなってきて、無理がきかなくなってくるという状況の中で、回復がないと、単純に自分もこれからどんどん撮ることができなくなってしまうし、若い人たちもそんな状態のところに来るはずがないと思うので。『悪は存在しない』と『急に具合が悪くなる』では、そうした状況に対する応答を、単純に言葉だけじゃなくて、ある種の実感として、制作体制とか全部含めて、果たそうとやっているとは思います」と濱口。映画を支えるものは、作品の中だけでなく、それを作り、観て、受け継いでいく身体の側にもあるのだ。
2026.09.21
大智禅師偈頌講話 澤木興道偶作 その4【偶作】 寂光明土娑婆界 (寂光明土娑婆界)色裏膠青水上波 (色裏の膠青水上の波)浩浩村歌兼社舞 (浩浩たる村歌と社舞と)負恩者少報恩多 (恩に負く者は少なく恩を報いるは多し) そうすれば、寂光明土というのは、けっして、これは地理的のもの、固定したものではない。極楽の真っ只中で苦しんでおる。極楽へ行ったら、窮屈でしようがない。朝も晩も坐禅で休みなし。ちょっと浅草まで行って、鯉コクを食ってくるという調子に行きやせん。ちょっと上野まで出て、精進アゲを食ってくるという調子に行きやせん。だから極楽というところが地獄か、地獄というところが極楽か、それはわけが分らん。 地獄というところは、ごく気楽なところ、破廉恥のところで、どんなことをしても恥ずかしゅうないところである。小便はし放題、糞はたれ放題、鼻歌はうなり放題。極楽へ行くと、鼻歌どころか、ドスンと一つ音をさして歩いても、「シーッ」といわれんならん。極楽というところはタマッタものではない。それで、どちらがいいか。悪いか。 ここに「娑婆即寂光浄土」という言葉がある。それを転換して作ってある。「寂光明土娑婆界」すなわち現象世界であるならば、無自性。無自性であるならば皆空。だから、皆空を皆空とすれば、そこが寂光明土。どうでもない。それを人間というやつは、バタバタ逃げたり、追うたりしておる。鬼ごっこをやっておる。大騒動―。逃げんならんところがあるかというと、逃げんならんところはない。追うところもない。逃げて逃げて終せるものではない、追うて追いつけるものではない。それをヤッサモッサやっておるのが、この世界なのである。 この中身の作り替え。わたしはいつでも懐中時計のネジを右に回せば、すぐしまる。左へ、回しておれば、何万年回してもしまる気づかいはないという。それと同時に、同じ世界でも、見方によっていろいろに違う。(大智禅師偈頌講話p.202-203)
2026.09.21
岡田無息軒翁一代記 岡田淡山 その311、居村に報徳社を起して村里の振興に当る この年十二月、清忠、居村報徳入社のもの、積縄法及び社中勤業の約を定める。けだしこれ今日の牛岡組報徳社の発端である。 一戸毎朝縄一房、草鞋、草履その自由に任す。これを積んで度外の財となし、以て永遠に及ぼし、貧をにぎわし窮を救う。清忠即ち地方用達給米六俵、庄屋給料米五俵一斗四升を以て度外となし、年々その積金に加える。六年癸丑に至る。また別に金四十二両を出して善種金となし、社中に分賦し、勉励をたすく、然り而して社中業を怠りやすきを憂い、この月を以て始めとし、癸丑に至る満五年、毎朝未明その社中二十戸を廻り、その積縄を集める。寒暑雪霜風雨を論ぜず露脚(雪中と雖も、足袋股引を用いざるなり)草鞋一朝も怠るなし、未だ起きざるものあれば戸を叩いてこれを呼び、これを以てその脚の至らざる処と雖も、自ら戒め、当時敢てその暗を欺むくなきに至れる。12、報徳仕法を各地に施す この年、佐野郡領家村(掛川市領家)某等数名興復の法を企てる。六年にして粗(ほぼ)旧に復する。領家村は困窮疲弊して頗る産業を落とすものあり。里正万之助来たりて報徳の教えに従わんと乞う。ために法を施し、業を勤める。このとき薄利十年賦返済の定めを以て貸付け、金百七両三分に達し、施し与える金二十四両三分余に及ぶ。 嘉永五年壬子(みずのえね)、清忠四十一才、佐野郡上西郷村戸塚の窮民数戸に興復の法をたて、更に同郡細田、沢田両村のために、堀貫井戸数ケ所を穿ち、用水を便する。この両村の地たる平坦にして、灌田の溜池を築くべきなし。累年の旱魃(かんばつ)にて作毛(さくもう・田畑の収穫)みのらず百姓は滞納多くして、困窮急迫、活計の術殆(ほと)んど尽きる。清忠ために熟考して堀貫井戸を試みんと欲す。即ち井工を呼び、氏神の神籤を探り、井地を画定し、その工を施す。鉄錐(てっすい)地中に入ること、八九丈(一丈は約三メートル)ばかり、井水躍然として迸(ほとばし)り出ず。両村の民始めて愁眉を開き、その喜び限りなし。衆みな以て神助となす。その水を称して神水と云う。清忠もまた大いに喜び、その費用金十八両一分、永百二十二文一分を施し与える。これより以来、井工各所に及び、その沢、頗る広し。細田村に今日井工数名あるは、これがためなり。この年果してまた大いに旱(かん)する。而してその井水の及ぶ処、稲禾(とうか・稲)特に熟す。以て飢饉免れることを得たという。清忠の事を挙げる、神籤(おみくじ)を以て吉凶を卜するもの、往々これあり。而してその籤頗る験あり。ひそかに神明の不測に感ずる、後にこれに馴れるの、神徳を汚すを恐れ、これを敬して、敢て漫(みだ)りに近よらずと云う。 嘉永六年癸丑(みずのとうし)四十二才にして、豊田郡深見村の興復の法を施す。十年に」して旧に復す。深見村は太田川を跨(またが)り、村高九百五十二石余戸数百十三戸、而して連年堤防破壊して水害治まらず、田園荒蕪、戸口生計に苦しみ、貢租を乱発して、公私の借財山の如し。利子年に積みて、屋漏(おくろう)塞(ふさ)がず、頽垣(たいえん・垣根のくずれ)修めず。人気兇暴、隣保互に相仇する。居ること数年、領良太田摂津守(せっつのかみ)大いにこれを憂い、興復治村の法を地方用達に命ずる。 ここに於いて清忠これを担任して邑(むら)に臨み、老少男女を会して、諭すに報徳の道を以てし、借債を集計して、その公金額千七百八十両余を得ていた。私借もまた之に倍し、公私各々返債の期を定め、積縄日課の法をたて、以てこれを償却せしむ。而して作業精力の者を選択して、農具を賞与し、窮者を撫恤して産業につかしめ、村吏を正し、規矩(きく)を革めて民費を省減し、官に乞い、堤防を修築して荒蕪を開き、若干年に至り、借債を償却して毎戸全く旧に復す。即ち他村へ典売(質入)するところの田園は、おのおの故主に復し、耕地尚民力に不足するが如きに至れる。ここに於いて、人気一変してまた前日の兇児なし。清忠の法を施すもの多しと雖も、全くその功を終るもの、深見村を首となすと云う。
2026.09.21
下館談話記【一】 その2(現代語訳のこころみ)またいよいよ拡張すべき道ではあるが、何となく流れててしまい次第に借財も増すようであれば、やり方によっては借金皆済の道も立つようにしましょう。去る天保9年に御依頼になったときも外にやり方が座無く、下館藩の過去の帳簿類を調査して、平均の分度を定め、再興の仕法を作成いたしました。このたび成不成の根元を明らかにして、拡張しても、畳置きになろうと、10ヶ年以来の成果を、きちんと取調べて見れば、論を待たないで明白に分かることでしょう。先日なぜそれ以来の調査ができないのかと衣笠氏へ尋ねましたところ、奉行の鈴木源八郎氏が長く病気で遅れて、病床にあるのに調査の進み具合を尋ねるのも病気にさわるので、やむなくそのまま流れておりますとのお話。これは何という事でしょうか。御仕法の調べは私事ではなく、一国の興廃にかかわる大事であるのを、一人の病気にかかわり、捨て置かれているとは、指の小さなキズを憂えて、全身の大きな患らいを捨てておくのと同様ではありませんか。一身の憂いを除く為には10本の指も切り落としても顧みないものではありませんか。これは大小軽重のためには、国家の大で事あれば、このために一命をも棄てるのが臣たる者の常道ではありませんか。御家の興復の大業を病人のために実行できなず、廃しおかれるとはあまりの心得違いではありませんか。これは全くそうではなく、復興の志願がないためです。復興の志が無いようならすぐに止めるべきところ、何となく歳月を送っては、依頼された方では差支えもないでしょうが、年来世話いたしてきた私において、今日の幕府での仕事を続けるべきか当惑しているところで、いずれかに定めたいと思ってまかり出ました。鈴木氏や大嶋儀左衛門の両士がまだ桜町に出張されない時も明細の調査をいたして差上げました。いわんやその後の調べは誰かいなくても、分ららない事は無いところです。早々に調査してご覧にもいれましょう。その上でよろしくないということであれば、残る所なく焼き捨てて、お互いにこれまでの事などは取り棄てましょう。それとも調査するにも及ばないで、このままで止めてくれよとの思召しならその通りにいたしましょう。またますます押し立てたいと天保9年のように借財を皆済し領中を再復したいので取り計らいたいというご依頼であれば、最初どうしようもないほどの極難の状態でさえ承知して仕法を組み立ててあげたのですから、今は借金はだいぶ減っただけでなく、領内も自然と豊かになったのですから、引き受けて無借の道を取り計らうこともやさしい事です。最初の半分ほどの状況でも無いのですから、安心できるよう取り計らいましょう。そもそも先君の厚い仁心で家政を取り直したい、領民を恵み育てたいと頼まれたのですから、思いがけず御逝去になり愁歎は限りなく、しかしながら思召しは当君が幼年でありますが、父君の思し召しを無に遊ばされるような不孝の思し召しは全くないことでしょう。いわんやおのおの方には先君の思し召しを継いで、幼君を補佐し、国家の永安にする政治を実施し、死に仕える事、生に仕えるような忠義に励み勤められることは当然として、いよいよ先君の思し召し通り借財を皆済し領分の復興の道を押し立てられれば、先君の尊霊を安らかにし、当君への忠義もしっかりと立ち、2万石を永久にする大きな幸いこれに過ぎないことになるでしょう。このように厚く実行しさえすれば、まず皆済の道も立つようにいたしましょう。私の方は最初からとにかく思いは無いことですから、どちらでも決めてくだされば、その旨をそれぞれへ伝達して、一身の進退をいたしましょう」と申されたところ、特に異論もなく、相談の上でごあいさつに及びましょうということで退散しましたとの事。若もし又また弥いよいよ押おし立たつべき道みちに候そうら得え共ども、何なんとなく相あい流ながれ居おり候そうろう故ゆえ、次し第だいに御おん借しゃく財ざいも相あい増まし候そうろう儀ぎに御ご座ざ候そうらはば、致いたし方かたにより御おん皆かい済さいの道みちも相あい立たつべし。左さ候そうらはば是これ迄まで相あい流ながれ候そうろう処ところは是ぜ非ひ無なき儀ぎに付つき、戌いぬ年とし御おん頼たのみの節せつに立たち戻もどり取とり調しらべ、如い何か様ようにも御おん皆かい済さい御おん安あん心しんの事ことに取とり計はからい差さし上あぐべし。去さり乍ながら元もと々もと私わたし方かたより御おん難なん渋じゅう御おん立たて直なおしの儀ぎ、求もとめて取とり計はからい候そうろう儀ぎに之これ無なく、頻しきりに御おん頼たのみに依よって余よ儀ぎ無なく御おん世せ話わ仕つかまつり候そうろう事こと故ゆえ、私わたくし存そん意いにて取とり計はからうべき筋すじに御ご座ざ無なく候そうろう間あいだ御ご相そう談だんに及および候そうろう。去さる戌いぬ年とし御おん頼たのみの砌みぎりも外ほかに致いたし方かた御ご座ざ無なく、当とう表おもて御おん暮くらし向むき過すぎ去さり候そうろう有あり形かたの実じつ事じ取とり調しらべ見み、過か不ふ及きゅう平へい均きんを以もつて御おん規き則そくを相あい定さだめ、御おん再さい興こうの道みち仕し法ほう付つけ仕つかまつり候そうらへば、此この度たび成せい不ふ成せいの根こん元げんを明あきらかに致いたし、御おん押おし立たて成なされ候そうろう共とも、御おん畳たたみ置おきに相あい成なり候そうろう共とも、拾じっヶ年ねん以い来らいの成なり行ゆき、篤しかと取とり調しらべ見み候そうらはば、論ろんを待またずして明めい白はくに相あい分わかり申もうすべし。過か日じつ何なに故ゆえに其それ以い来らいの御おん取とり調しらべ出で来きず候そうろう哉やと衣きぬ笠がさ氏しえ尋たずね候そうろう処ところ、鈴すず木き氏し(奉行鈴木源八郎)長なが病わずらいにて相あい後おくれ、病びょう症しょう柄がら調しらべ向むきの儀ぎ相あい尋たずね候そうらへば病びょう気きに障さわり候そうろう故ゆえ、拠よんどころ無なく其その侭ままに流ながれ居おり候そうろうとの御おん咄はなし、是これ何なんの事ことぞや。御ご仕し法ほうの調しらべは私し事じにあらず。一国こくの御ご興こう廃はいに拘かかわり候そうろう大だい事じを、一人りの病やまいに拘かかわり捨すて置おかれ候そうろうとは一指しの小しょう瘡そうを憂うれいて、惣そう身しんの大だい患かんを捨すつるが同どう様ようには之これ無なき哉や。一身しんの憂うれいを除のぞく為ためには十指しを落おとすも顧かえりみざる時とき宜よろしく之これ有あるべし。是これは大だい小しょう軽けい重ちょうの為ためには人じん臣しんは病やまずとも、何なんぞ国こく家かの大だい事じあらば、是これが為ために一命めいをも棄すて候そうろうは臣しん為たる者ものの常じょう道どうに候そうろう処ところ、御おん家いえ御おん興こう復ふくの大たい業ぎょうを病びょう人にんの為ために懸け念ねん致いたされ、御おん廃はいし置おかれ候そうろうとは余あまりの御おん心こころ得え違ちがいには御ご座ざ無なき哉や。是これ全まったく左さにはあらず、御おん興こう復ふくの御ご志し願がんなきが故ゆえ也なり。御おん興こう復ふくの思おぼし召めし之これ無なき候そうらはば速すみやかに御おん止やめ成なさるべきの処ところ、何なんとなく歳さい月げつを送おくり候そうろうては、御おん頼たのみの方ほうにては御おん差さし支つかえも之これ有ある間ま敷じき哉や、年ねん来らい御おん世せ話わ仕つかまつり候そうろう拙せっ者しゃに於おいて、今こん日にちの御ご奉ほう公こう進しん退たいにも当とう惑わく致いたし候そうろう間あいだ、何いずれか取とり訳わけ治ち定じょう仕つかまつり度たく罷まかり出で候そうろう。鈴木すずき・大嶋おおしま(下級藩士大嶋儀左衛門)両りょう士し未いまだ桜さくら町まちに出しゅっ張ちょう之これ無なきの時ときだも明細めいさいの取とり調しらべ致いたし差さし上あげ候そうろう儀ぎ、況いわんや其その後ごの調しらべ誰だれか居おられず候そうろう共とも、相あい分わからざる事ことは之これ無なき候そうろうに付つき、早そう々そう取とり調しらべ、御お目めに掛かけるべし。其その上うえにて逸いつ々いつ宜よろしからず候そうらはば、残のこる所ところなく焼やき棄すて、御おん互たがいに是これ迄までの事こと共ども取とり棄すて申もうすべし。夫それ共とも調しらべ候そうろうにも及およばず、此この侭ままにて相あい止とめ呉くれよとの思おぼし召めしに候そうらはば、其その通とおりに仕つかまつるべし。又また弥いよいよ押立おしたつべき道みちに付つき戌いぬ年としの如ごとく御おん借しゃく財ざい皆かい済さい御おん領りょう中ちゅう御おん再さい復ふくの儀ぎ取とり計はからい申もうすべしとの御おん頼たのみに候そうらはば、初しょ発はつ致いたし方かたも御ご座ざ無なく、極ごく御おん難なん場ばにてさへ御ご承しょう知ちの通とおり仕し法ほう組くみ立たて差さし上あげ候そうろう儀ぎを、今いまは多た分ぶんの御おん減げん借しゃくに相あい成なり居おり候そうろうのみならず、御おん領りょう中ちゅう自し然ぜん潤じゅん沢たく致いたし居おり候そうろう場ばに候そうらへば、下げ拙せつ一人りにて引ひき受うけ、御おん無む借しゃくの道みち取とり計はからい候そうろう共とも心こころ易やすき事こと、初しょ発はつの半なかばにも御ご座ざ無なく候そうろう間あいだ、御おん安あん堵どの道みち取とり計はからい申もうすべし。抑そもそも先せん君くん厚あつき御ご仁じん心しんを以もって御おん家か政せい御おん取とり直なおし御おん領りょう民みん御おん撫ぶ育いくの道みち御おん頼たのみ仰おおせ入いられ候そうろう処ところ、計はからずも御ご逝せい去きょ愁しゅう歎たん限かぎり無なく、乍去さりながら思おぼし召めしは当とう領りょう分ぶん有あらん限かぎり減げんじ申もうさず、当とう君くん御おん幼よう年ねんに為なし渉わたられ候そうろう共とも、御父君ごふくんの思おぼし召めしを無むに遊あそばされ候そうろう御ご不ふ孝こうの思おぼし召めしは毛もう頭とう御ご座ざ有ある間ま敷じく、況いわんや各かく方ほうには先せん君くんの思おぼし召めしを継つぎ、幼よう君くんを補ほ佐さし、御おん国こく家か御おん永えい安あんの政まつりごとを布しかれ、死しに事つかえる生せいに事つかえる如ごとくの御おん忠ちゅう義ぎ御おん励はげみ勤つとめ成なさるべきは申もうす迄までも之これ無なき儀ぎに付つき、弥いよいよ先せん君くん思おぼし召めし通とおり御おん借しゃく財ざい御おん皆かい済さい御おん領りょう分ぶん御おん興こう復ふくの道みち御おん押おし立たてに相あい成なり候そうらはば、先せん君くんの尊そん霊れいを安やすんじ奉たてまつり、当とう君くんえの御ご忠ちゅう義ぎ確かっ乎ことして相あい立たち、二万まん石ごく永えい久きゅうの大たい幸こう過すぎざるの義ぎに御ご座ざ候そうろう間あいだ、厚あつく御おん取とり行おこない成なされ候そうらはば、先まず御おん皆かい済さいの道みち相あい立たち差さし上あぐべし。私わたし方かたは初しょ発はつより兎とに角かくの存そん意い御ご座ざ無なき儀ぎに付つき、何いずれにても御おん治ち定じょう下くだされ候そうらへば、其その段だん向むこう々むこうえ相あい達たっし、一身しん進しん退たい仕つかまつるべく候そうろうとありければ、何いずれも別べつの異い論ろんなく、相談そうだんの上うえ御挨拶ごあいさつに及およぶべき旨むねにて退散たいさんの事こと。
2026.09.21
報徳記巻之六【4】先生下館の分度を定む その1(現代語訳)報徳記 巻之六 【4】先生下館の分度を定む 下館藩の過去10年の租税を調べ、その中をとって過不及のない所の分度が既に定まった。しかし年々3万有余両の負債に対し、2千有余両の利息を支払っていた。このために租税の過半を失っていた。先生は家老以下にこう言われた。「年々負債の利子のため多くの米金が消え、何10年にわたって幾万両を出したとしてもその利息を補うだけで元金3万両は少しも減じることがない。それだけでなく必要な費用に節度がなく雑費は倍増し、なお借金でこれを補おうとする。このようにして歳月を送るならば、ついに国の租税で負債の利息に充てるに足りなくなることでしょう。そうであれば、2万石の名があってもその実態はすでに亡国に異なりません。なんと嘆くべき限りではありませんか。一日も早くこの大きな禍を除かなければ、後に悔やんでも及ぶことができません。そして今この重い病を除くのに、どうして他の方法がありましょうか。ただ君臣上下がいわゆる「艱難に素(そ)して艱難に安(やす)んじ」(中庸)、内部の経費を節約してこの憂いを消すことだけです。そうであるのに坐して艱苦を免れることを私に請求しても、私は他国の貢税を取ってきて下館の不足を補うことはできません。また借金を踏み倒して下館藩の憂いを除くこともできません。また私の区々たる微力で、諸侯の不足を年々補うことができないことはもとから論を待ちません。そうであれば大小の家臣がそれぞれ節倹を行って艱難をしのぎ、上下が一致して心をこめて実行すればどのような憂いでも除こうとするほかに他の方法はありません。もし敵国が兵を挙げて下館領内を攻撃することがあるならば、一藩がこれを傍観して国家の滅亡を待ちましょうか。それとも一身をなげうって粉骨の苦戦を尽して国家を全うしようとするでしょうか、国が危い時に当って国家のために命を棄てることは、もとから人臣の常道であって誰が憤激戦闘の労を尽さないことがありましょうか。そうであるのに今、借金のために領内の多くの租税を失って、君はこのために心を安らかにできず、臣下もまたこのために困窮に迫られている。事は異なるようだが紛乱の世に当って、敵のために領内をうち取られることに異なりません。そうであるに手をつかねて年を送るならば、一国を失うのに等しい大害となることでしょう。このような危い時に当って、藩士が身命を顧みないで国家の再復に心力を尽すのが人臣の常ではありませんか。そうであるのにこれを憂えないでただ目の前の経済的に援助する不足を憂えて、国家に生じることのない米穀を豊かに受けることを望むならば、どうしてこれを忠としましょう、義としましょうか。惑いのはなはだしいものといわないわけにいきません。おおよそ国家の衰弊が極まるというのは、君は君の道を失い、臣は臣の道を失うためです。これを再復しようと欲する時は、君は群臣に先立って艱難を尽し、臣下は恩禄を辞退し、自己の勤労で生計の道を立て、一致した力で国の憂いを除く時には、たとえ何十万の借金であっても償却すること十年を待ちません。このようにして上下の永安を得るに及ぶならば、君臣ともに「艱難に素(そ)して艱難を行いたり」というべきでしょう。そしてこれを争戦粉骨の労に比するならば、なおやさしいことは同日の論ではありません。どうして成就しがたい事がありましょう。たとえ人情が世も末となり君の経済的に援助を残らず辞退して、この事を成就することができないとしても、国の米穀が減少して経済的に援助する米や金がなく、他から借金してこれを渡し、このために年をたつに随って危亡に瀕しようとしている。そして経済的に援助を受けて自分は安心しているに及んでは、間違いもまたはなはだしいではありませんか。君も国家の憂いを次第に大きくして一藩を経済的に援助しようとするのは君の過ちです。たとえ君が過ってこのようにされても、臣下はどうしてこれを受けるべき道が有りましょう。これは君臣ともに至当の道を失っているというのは誤りでしょうか。今、国の患いを消除するに他はありません。君はこの道理を明らかにして一藩に示し、国にないものを取ろうとする心を改めて、艱難の天命に随って大借を皆済するならば、必ず艱難を免れることは疑いありません。このために借金1年の利息分を上下の必要な費用として計上し、その減少を計算すると平均の分度の内2割8分を減少するのに相当します。これが自然の天命であって人間が勝手に作ったわけではありません。この減数で君の必要な費用、一藩の経済的な援助を節制し、その余は決して得るべき道がない事を説明し、艱難を尽して年々利息を支払うならば、3万両の借債は減ずることができなくても、毎年に増借のわざわいは免れるでしょう。もしこの自然の分度に安んずることができなければ、国家一粒の出る所がなくなるに及ばなければ止むことがないでしょう。」と教えさとされた。報徳記巻之六【4】(2)先生下館の分度を定む凡(およ)そ國家(こくか)の衰弊(すゐへい)極まるもの君(きみ)は君(きみ)の道を失ひ臣は臣の道を失ふが故なり。之を再復せんと欲する時は、君(きみ)は群臣に先立ち艱難を盡(つく)し、臣下は恩禄を辭(じ)し、自己の勤勞(きんらう)を以て活計の道となし、一致の力を以て國(くに)の憂ひを除く時は、僻令(たとひ)何十萬(まん)の借債(しやくざい)と雖も償却せんこと十年を待つ可(べか)らず。此(こ)の如くにして上下(じやうげ)の永安を得るに至らば、君臣共に艱難に素(そ)して艱難を行ひたりと云(い)ふべし。而(しか)して之を爭戰(さうせん)粉骨の勞(らう)に比(ひ)せば、猶(なほ)易々(いい)たること同日の論に非(あら)ず。何(なん)ぞ成し難き事か之有らん。僻令(たとひ)叔世(しゆくせい)の人情(にんじやう)君の扶助(ふじよ)を殘(のこ)らず辭(じ)して、此(こ)の事を成すこと能はずと雖(いへど)も、國(くに)の米粟(べいぞく)減少して扶助の米金(べいきん)なく、他の財を借りて之を渡し、之が爲(ため)に年を經(ふ)るに隨ひ危亡に瀕(ひん)せんとす。而(しか)して之を受けて自ら安しとするに至りては亦(また)甚しからずや。君(きみ)も國家(こくか)の憂ひを増長して一藩を扶助せんとし玉ふは君の過ちなり。僻令(たとひ)君(きみ)過ちて此(こ)の如くし玉ふと雖も、臣下何を以(もつ)て之を受くべきの道有らん。之を君臣共に至當(したう)の道を失ひたりと云ふは非邪(ひか)。今國患(こくくわん)を消除(せいぢょ)する他(た)なし。君(きみ)此の道理を明かにし一藩に示し、國(くに)になきものを取らんとするの心を改め、艱難の天命に隨(したが)ひ大借(たいしやく)を皆濟(かいさい)せば、必ず艱難を免れんこと疑ひあるべからず。是の故に借債一年の利息を出(いだ)せるものを上下(じやうげ)の用度(ようど)に配し、其の減少を算(さん)するに平均分度(ぶんど)の内二割八分の減(げん)じに當(あた)れり。是(これ)自然の天命にして人作(じんさ)に出るにあらず。此の減數(げんすう)を以て君の用度(ようど)一藩の扶助を制し、其の餘(よ)は決して得(う)べきの道なき事を辨明(べんめい)し、艱難を盡(つく)し年々利息(りそく)を送らば、三萬金(まんきん)の借債(しやくざい)は減ずることを得(え)ずと雖も、毎年(まいねん)に増借の殃(わざはひ)を免(まぬが)るべし。若(も)し此の自然の度(ど)に安んずることあたはずんば、國家(こくか)一粒(りふ)の出所なきに至らずんば止むべからず と教誨(けうくわい)す
2026.09.21
バレー日本で「存在感が増してる」175cm25歳女子の正体 苦戦の裏で期待増幅「いいな~って 」9/20(日) 愛知・名古屋アジア大会のバレーボール女子1次リーグが18日、小牧市スポーツ公園総合体育館で行われ、日本がインドネシアを3-1(25-19、25-13、23-25、25-23)で破った。チーム最多タイ11得点の25歳に注目が集まっている。 日本は序盤から主導権を握り、2セットを先取。第3セットを落とし、第4セットも苦しんだが、なんとか取り切って勝利を手にした。 世界ランク53位(日本は6位)のインドネシアに思わぬ大苦戦。そんな中、和田由紀子、佐藤淑乃と並んでチーム最多タイ11得点をマークしたのが鴫原ひなただ。 8月のアジア選手権でもX上のファンから「ニューヒロインの予感」との声が上がっていた身長175センチの25歳。アジア大会でも存在感を示しており、Xには様々なコメントが寄せられた。「若干トスが乱れても打ち切ってくれる鴫原はいいな~って思っちゃう」「鴫原選手から凄く熱が伝わってきて、見ていてとても気持ちが良かったです」「鴫原選手が活躍してくれて嬉しい」「まじで佐藤淑乃イタリアで成長しないと鴫原に喰われそう、鴫原気持ち感じてめちゃくちゃ良い」「代表チームで鴫原選手の存在感が増してるのはうれしい」 日本は1次リーグA組を1位で突破。20日の準々決勝で台湾と対戦する。鴫原ファン増殖中 まじでチーム、個人力上げないと トーナメントヤバい>.<
2026.09.20
なぜ「ノーベル賞」の日本人受賞者は多いのか? ノーベル化学賞「白川英樹博士」が賛辞を惜しまなかった“先人たちの奮闘”と、“母語で学問を学べる”という恩恵白川氏は東京工業大学の研究室で実験中、触媒濃度を取り違えたことがきっかけで、偶然に常識を覆す膜状の物質を得た。さらに9年間、地をはうような地道な研究を続け、米ペンシルバニア大学の研究室で劇的な導電性を持つ物質の製法を発見し、産業応用への道を切り開いたのだった。 白川氏は、津山藩の藩医で蘭学者だった宇田川榕庵(うだがわようあん1798年~1846年)を高く評価する。「私自身、化学研究で大変お世話になった人」だという。どういう人物だったのか。「津山藩は当時とても先進的で、榕庵は化学と生物学に非常に興味を持っていました。英国の化学者ウィリアム・ヘンリーが英語で書いた教科書が、ドイツ語から更にオランダ語に翻訳されて長崎にもたらされた。それを和訳して「舎密開宗(せいみかいそう)」全21巻を出版しました。その中で彼は、酸素、水素、窒素、炭素、白金、元素、酸化、還元、溶解、分析といった化学用語を生み出しました。どの単語も見ただけでその意味が分かり、視覚的にイメージできるよう、漢字の組み合わせが実に的確に工夫されている。現代の私たちもそのまま容易に理解でき、利用しているのです」「榕庵は、植物学についても、根、幹、茎、枝、葉、花、果実などの部位を、その機能によって細かく分け、属などの分類を行い、内部構造にも細胞などの名前を付けました。これは薬草の学問として発展してきた本草学とは大きく異なります。このように近代西洋植物学を日本に初めて紹介したのが宇田川榕庵なのです。解体新書もそうですが、日本人にはもともと、外観だけでなく内部の仕組みも正しく観察しようとする考え方や精神風土があったのだと思います」こうした西洋の知識の吸収・翻訳に努める日本人の姿勢は、明治になっても引き継がれた。お雇い外国人を2690人も採用したのはその1例である。高給取りの外国人をこれほど大量に雇うエネルギーは一体どこから湧いてきたのか。 江戸時代から明治維新を経て、先人たちはあらゆる学問分野で、オランダ語・ドイツ語・英語などの文献と取り組み、思考を巡らせて的確な日本語に翻訳してきた。 例えば、キリスト教神学の用語は、明治6年(1873年)に江戸時代の禁教令が廃止されたことを受けて、外国人宣教師と日本人研究者の共同作業によって翻訳が始まり、明治13年に日本語の新約聖書がようやく完成した。「そうした言葉と概念によって、日本の学問や文化が過去から今の時代へとつながっている。現代の日本人は、日本語で学ぶことを当たり前だと思って気にも留めませんが、先人たちの大きな恩恵に浴していることを忘れてはいけません」「グローバル化はますます深化しており、世界共通語である英語をコミュニケーションの道具として学ぶのは当然のことです。しかし、それは母語である日本語をしっかり身に付けた上でのこと。まず日本語でしっかり考え、理解し、それを的確に伝達できるようにする。日本語で論理的に説明できない人が、英語で論理的に説明できるはずがありません。英語はコミュニケーション言語としてとても大事ですが、科学者であれ、ビジネスマンであれ、日本語がしっかり身に付いている人ほど、一層核心に迫った理解ができるし、発想の自由度が大きいと体験的に感じています」
2026.09.20
「ユマニチュード」という革命 ユマチチュードの4つの柱「2 話す」その2p.197 言葉を返してくれない認知症高齢者を前に、私は考えました。そして言葉と結び付けられるような音楽を探そうということを思いつきました。たとえば、フランスの国家「ラ・マルセイエーズ」を鼻歌で歌えば、フランス人なら頭の中で歌詞やメロディーが浮かんできます。それと同じようなことができないかと考えんした。 ケアをするとき、流れ続ける音楽に相当するものがあります。それは手です。ケアをしているあいだ、ずっと私の手が動き続けています。ひらめいたのは、自分の手が何をしているかを言葉で表現しようということでした。 これなら、私と相手とのあいだに回路がつくれます。「オートフィードバック」という名前を付けました。返事がないから黙るのでは、エネルギーの循環はつくれません。相手からの返答で充電するのではなく、自分の手の動きを言葉にすることで、自分にエネルギーを与えるのです。フィードバックの場合は相手がエネルギーを供給してくれましたが、オートフィードバックは自分の頭上にソーラーパネルを置き、それによって自分のエネルギーを自家発電しているようなものです。 まずは質問します。そのときに返事がないか、意図した反応や答えが返ってこないときには、オートフィードバックを始めます。言葉ではなく、私の手が語ります。「いまから背中を洗いますよ」とか、「いま、右腕を触っています」といった内容です。自分のすることを実況中継のようにしゃべるのは、独り言のように見えます。けれども、この行為は相手がいないと成立しません。相手に行うことを言葉にするのですから、私と相手のとのあいだで起きているコミュニケーションなのです。 これを行うことで、コミュニケーションの時間はものすごく増えます。場合によっては15倍になったケースもあります。このようにしていけば、沈黙することなく言葉を発し続けることで、ケアの場に言葉をあふれさせることができます。「映画館は“ボディ”だ」濱口竜介、三宅唱、三浦哲哉が「急に具合が悪くなる」ロングラン上映を記念して特別鼎談イベントを実施 その49/8(火)https://news.yahoo.co.jp/articles/fbab5f602d46e7951fec8ad98b5a13a022453477映画中盤の大きな山場として語られたのが、長塚京三演じる清宮吾朗が、急に具合が悪くなった真理の部屋を訪れ言葉を交わす一連のロングテイク(長回し)だった。三浦はその場面について、「長塚さんの芝居がものすごく素晴らしくて、あそこで本当に魅力の全容が現れる。本当に素敵なシーンで、僕らがどれだけ感動したか」と熱を込める。ベッドの真理を見つめる長塚、窓から差し込むようなオレンジ色の光、木の影が揺れ、途中から青い光へと変化していく、そこへ智樹が入ってきて「おかえりなさあい」と言葉になっているかどうか微妙な声を発しながら現れ、さらに入れ替わるようにマリー=ルーが現れる。三浦から、このワンショットでたくさんのことが起きるシーンがどう撮られたかを尋ねられた濱口は、「実際に施設の部屋に照明を作って流し込んで、それをだんだん絞っていくというのを、芝居の進行と合わせながらやった」と説明。照明部にはかなりの苦労を強いたが、明らかに人工的な照明になっており、「(演出として)果たして成功しているかと言われたら、分からない」としながらも、そこは「この映画で、時間の推移に関してはぜんぶ変で構わない」と割り切ったという。「この映画には、マジックアワー的な時間がものすごくたくさんあるんですけど、実際の光の具合とはだいぶ違う。特に(前半の)セーヌの岸辺の場面と、(終盤の)京都の山の場面ですけど、あれは2時間くらいの光の変化が10分くらいの場面に圧縮されてるわけです。実際に体験してみたら、あんな風に日は暮れていかないし、あんな風に夜明けは明るくならない。でも『映画ってそういうもんでしょう』っていうスタンスでやっているところがあり、その延長として、(長塚さんの)照明で作ったシーンもいいんじゃないかと思っています」と濱口。この場面は、吾朗が次の公演に出るため、真理との最後の別れになる可能性がある場面でもある。三宅は、「俳優としては、当然その感情のレベルを用意してくる。もしそれが何かのきっかけで崩れてしまうと考えると、夕陽なんかやってる場合じゃないと考えることもできると思う」と指摘。にもかかわらず照明作りを実行した濱口に対し、「そういう監督の人でなしの部分と、現場の両立って、どう考えているんですか」と問う。濱口は、あの場面の演技が簡単ではないことは十分理解したうえで、「なんども繰り返せるように」あの照明を採用したとし、そのうえで、「ああいう場面は、リアリズムに基づく強度とは違う、自分がこれまで見てきた映画としての強度、どっちかというとフィクションとしての強度っていうのが求められているっていう感じがある」と語る。あの長塚演じる吾朗が本当に信じられる存在として見えるためには、俳優の演技がベストであることに加え、フィクション的な要素も必要で、その両方がすごく大事だったと言うのだ。なお、この場面では、何も残せずに死んでいくと話す真理に対し、吾朗が「何も残さなくてもいいじゃないですか。あなたと稽古していた時間は楽しかったですよ、その一瞬一瞬以外に何がありますか」という、本作屈指の名台詞を発する。濱口はこの場面も、(正面ショットではないにもかかわらず)「編集しながら泣いてしまう場面」だったと明かす。
2026.09.20
大智禅師偈頌講話 澤木興道偶作 その3【偶作】 寂光明土娑婆界 (寂光明土娑婆界)色裏膠青水上波 (色裏の膠青水上の波)浩浩村歌兼社舞 (浩浩たる村歌と社舞と)負恩者少報恩多 (恩に負く者は少なく恩を報いるは多し) それが、この感じによって違う。わたしの顔がいろいろに見える。わたしの顔は、ヘチャじゃ。わたしはこれまで「あんた男前がいい」と言われたことは滅多にない。若い時に、永平寺でわたしらのところに、三十位の非常にきれいなやつが来ておった。始終禅師に可愛がられて、行者(あんじゃ)をして、学費を出して貰うて来ておる。それが二十位に見える。ところが、こちらはちょっと仏頂面をしておったので、「おお、何某君は沢木君と同じ年じゃ。そうして見ると沢木君は老けて見えるな」これはある時、煎餅を食うて雑談をしていた時の話だ。 そうしたら、もう一人が、わたしの耳の傍らで小さい声で「君は男前が悪いから老けて見える」といった。なるほど、そんなところから「沢木さんというものは男前が悪い」ということが証明される。わたしもそう思っておった。「これも因縁生じゃ。そんな美しい顔をしたやつがおるから、男前が悪う見える。もっと汚いやつのところへ行ったら、これが男前がよう見えるから、悲観する必要はない」と。 ところが、後にわたしのことを、「沢木さんはホンマにまあ美しい」そういうてくれるグループがあった。どこかというたら、養老院じゃ。肥前の佐賀の養老院。そこの婆さんたちは、大抵口開いたら塞がんような爺さんばかりを見慣れておる。クチャクチャの全身不随やら、半身不随やら、眼は瞬きもせんような、そんな人ばっかり見慣れておる。そこへわたしが行ったら、わたしみたいなシャンとした爺さんを見たことがないのでいい男前に見える。「ホンに沢木さんは美しゅうて、いつでもホンに元気でー」という。 そうすると、これは因縁生。養老院の婆さんから見ると、わたしは本当に元気な美僧に見える。しかし、若い娘さんから見ると、頑固な羅漢面の爺に見えるに違いない。そうすると、眼の癖なんだ。だから、眼には、きまった形はない。時間もない。空間もない。(大智禅師偈頌講話p.201-202)
2026.09.20
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