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まるで大沖縄展が終わるのを待っていたかの大雪となった。吹雪と強風でついに高速道路も全面通行止めとなり、市内は全域に渡り大渋滞が続いている。朝の交通情報のテロップに「佐渡汽船のジェットフォイル時下で欠航」と流れた。「時下(じか)?」って、なんだろうと辞書を引いてみたら「このごろ。このせつ」。う~ん、わからん、と職場でその話をしたら「もしかしてそれ、時化(しけ)の事じゃない」で納得。見間違えたのかな(笑)。毎日の雪のけ(雪かきの事。新潟の雪は重いので、この方言になったのかも知れない)で、よっぱら(嫌)になっている。その疲れで頸椎症が出たらしく、昨夜から、左手左足が異常に冷たくなってしまった。通常35.4度の体温が34.8度になり、今朝は33.8度まで下がって、首用ホッカロンも効果がない。まいった。(H)
Feb 2, 2012

初日を除いて通った伊勢丹の大沖縄展も、明日がついに最終日となった。ma-yun2daysに続き、昨日はA.M.G(アート・モア・グルーヴィ)の熱い熱いステージとひとりひとりに語りかけてくれてのあの美しい歌声で皆を惹きつけた砂川恵理歌のステージを、三線サークルゆんたくのメンバーとオリオン生ビール片手に過ごした。新潟初登場のチャーリー多幸寿(たこす)のチキンタコス(タコは入っていない・笑)、なかなか美味だったが、具材がこぼれ落ちるので、箱の上で食べるのが望ましいようだ。今日は元ティンクティンクのボーカリストだった宮城梓と花城舞。これまでカラオケが随分と続いていた事もあり、民謡好きな私にとって、三線と島太鼓の生演奏は最高だった。久しぶりにお会いしたOKIONのFさんと子孫ともども唐船ドーイでのカチャーシーもご一緒した。それにしても、砂川恵理歌も宮城梓もしゃべりが本当すっごく巧い。見習わなくっちゃ。凍てつく道を歩いて通っていたので、緊張からか脚の筋肉がこわ張って痛い。今日は湿布を貼って休む事にしよう。(H)
Jan 29, 2012

YouTubeで「ma-yun まゆん」を検索してみたら、「ミルクミナリ」が最初にヒットした。大好きな日出克のあの名曲だ。2010年7月の松戸伊勢丹沖縄物産展特設ステージ~新宿エイサーでの炎舞太鼓と共に歌う姿が映った。そして、おなじみの「沖縄に行こう」。それに「島立ちの歌」とライヴ告知の4本しか見れなかったが、エイサー好きの私としては、もうこれは行くしかないと、凍結した道路をものともせず、一目散に会場へと向かった。石垣島出身の屋嘉部恵子・光恵姉妹(うない)ユニット「ma-yun(マユン)」。ユニット名の由来は、来訪神「マユンガナシー(真世加那志)」にちなみ、唄や琉球文化を携えて幸を届けに行くと言う意味。前身であるCoi-naが創り上げた神歌、古謡の世界観を引き継ぎながら…とチラシには書いてある。前にステージで見たCoi-naの記憶が蘇ってきた。最初は空きの目立った席も、司会者の「7階のステージに美人姉妹が…」の再三の呼びかけで始まる頃には満席で立ち見も出た。スタートは「てぃんさぐぬ花」。妹のコーラスは思いもしない重なりで、大変参考になった。それぞれがボーカリストであり、コーラスも独立した力を持っている。この辺りが、本土との差なのかもしれないと感心した。うちらが苦しそうに歌う所は、ma-yunでもちょっとキツそうで、ホッとした。「島立ちの歌」ちょっと力が入り過ぎたかな。ま、少々の歪みはライヴの醍醐味にしよう(笑)。「遠い夏」戦争を繰り返すまいと言う思いは、こちらにも十分伝わった。「沖縄へ行こう」ういずあす(ちゅらら・親川あやの、比嘉麗香、金城里菜~2011)やCoi-na(新垣愛、上運天奈々子、宮城世梨~2010年)でもおなじみのあの名曲だ。会場の方々とともに掌を左右に振り拳を前後に振る協力に対しての「ありがとう」が気持ちのいい一体感を生む。上下のコーラスとボーカルを合わせると倍の人数となって聴こえる。すごい!。3mの間近でそれを聴ける贅沢。満足、満足。でも、「ミルクミナリ」は聴きたかったなぁ。仕事で1ステージしか聴けなかったのが実に残念。それではと仕事へ向かう車中で1stアルバム「翔」を早速かけてみた。「月ぬ美しゃ」三線好きな人たちは、こういった唄を一杯聴きたくて今日来ていた人も多かったかも知れない。うちらもやっている「ふるさとぅ~生まり島(くくる・東迎明奈、儀間えり子)」や歌詞は違うがアメージンググレイスの「世願ぇ~うない神ぬ祈り」、「えんどうの花」で大好きになった宮良長包の「汗水節」、エイサーVer.の「どんち(赤田首里殿内)」も大変参考になった。パーシャの幸人にぃにぃの「じんじん」を最高と思っている私だが…これも良し。このアルバム中で一番好きになったのは「ふくらしゃ」。「うれしくて、うれしくて」がすごく耳に残り、「今日の誇ら誇らしゃや何うにじゃなたてぃる」の絡みが実にいい。こういうシンプルなものをさらりとそれでいてきちんと歌える事が本当に羨ましい。このアルバムは、徹さんの三線を含め、和楽器や洋楽器が二人の唄とすごく調和していて、その世界観に貢献している。お薦めの一枚だ。(H)
Jan 26, 2012

束の間の日差しが射してきた。多分今日は少ないだろうなぁと向かった昨晩の三線サークルゆんたくの練習には、新発田市や西蒲区等はさすがにギブだったが、雪のなか7割の方が集まって来てくれた。津南ではお日さまが出て道路も乾いていた話には、唖然。どうやら今回の雪は、中央区や西区に多く降ったようだ。大沖縄展に行かれた方から話も聞いたが、除雪車が通り凍結した路面がむき出しとなった今朝の車道をペンギンのようにうつむいて歩いていると、その気も削がれてしまう。それにしても、隣のパーキングに放置されている車は、いつ脱出出来るのだろう。今晩から平地でも50センチの積雪予報が出たと言うのに。(H)
Jan 26, 2012

錦織圭が絶好調だ。ついに全豪のベスト8(ベスト16でも、日本人としては実に80年ぶり)へ進出した。エアーケイを最初に見た時は、なぜ体力を著しく失うリスクを冒してまで、見世物の様なプレーをするのかが理解できなかったが、178センチと小柄な選手が、180以上の選手のなかで攻撃的なプレーをする打点を見出した結果とここに至って解った。世界ランクは現在26位。私の大好きな松岡修造の46位の記録を大きく塗り替えた。シングルスに加え、クルム伊達とのミックスダブルスも本当に楽しそうだった。調子のいい時は、得てしてそういうものだ。それにしても、フルセットの試合が続く。あの暑さのなか、前ならとっくにバテていただろうに…、本当にすごい。もうひとつは勝たせてあげたいなぁ。(H)
Jan 25, 2012

伊勢丹恒例の大沖縄展が今日から開催されるのだが…三日前とは打って変わって、新潟は雪が降り続いている。起きた頃5センチほどの積雪は、犬の散歩に出た1時間後には15センチ、2時間後には25センチになった。雪のけ(雪かきの事)をして、駐車場から車を出すのも難儀そうだと躊躇しているうちに、石垣島出身の一番手「ma-yun(マユン)」のライヴ&トークショーがスタートの時間となってしまった。(H)
Jan 25, 2012

「天上に暮らす姫、千年にたった一度の恋」とチラシに書かれた坂東玉三郎(61)の泉鏡花幻想の三部作のトップを飾る「天守物語」が、ユナイテッドシネマで21日封切られた。玉三郎がこの映像の編集に対して出した指示は、後ずさりや足音の大きさ等3時間中62回にも及んだと言う。青獅子に琵琶の音が流れるスタート。期待はいやが上にも高まった。ストーリーは、播州姫路城(通称、白鷺城)の天守に住む魔性の女たちが釣りをしている場面から始まる。天守からの釣の餌は朝露、そして獲物は花々だ。そこへ、天守の主人・富姫(坂東玉三郎)が、下界の者たちの鷹狩りのあまりの騒々しさに、夜叉ケ池の姫に嵐で邪魔をするように依頼して、地蔵から借りた蓑をつけて帰る。その妖艶さはさすがだ。そんな彼女のところへ、猪苗代に住む妹・亀姫(中村勘太郎)が舌長姥と朱の盤坊(中村獅童)を伴ってやって来る。土産は猪苗代の城主の首。富姫・侍女らはおいしそうだと大喜び。舌長姥が血を舐め、伝説の獅子頭が、その生首を呑み込む。手毬遊びに興じて帰る亀姫に、富姫は城へ戻って来た鷹狩の一行から鷹を奪い取り、土産にと持たせてやる。そしてその晩、魔物が巣くうと恐れられ、100年の間誰も近寄ったことのない天守に、城主の命を受け、一命を賭して鷹を探しに一人の若い侍(鷹匠の図書之助・市川海老蔵)が上がって来る。本来なら生きて帰れぬ所、彼のすずしさに、二度と来ぬようにと富姫は帰してやるのだが、その帰路大蝙蝠(この場面は、びっくりして飛びあがった)に灯りを消され、武士が段を転げ落ち片輪になるより、命絶たれるのを覚悟のうえで再び戻った図書之助。灯りに浮かび上がった彼の美しく勇ましい姿とそのすずしさに心打たれた富姫は、たちまち恋に落ちてしまう。いま一度下へ戻ることを許された図書之助だったが、天守に上った証拠として持たせてもらった兜に窃盗の容疑をかけられ、三度の天守へと逃げ帰る。やがて図書之助を追って天守へ上がって来た追っ手へ富姫は青獅子を暴れさせて向かわせるが、獅子は両の眼を傷つけられてしまう。これにより、富姫も図書之助も侍女らも視力を失ってしまい、死を覚悟した時、獅子頭を彫った老工・近江之丞桃六(片岡我富)が現れ、獅子の眼を彫り直す。獅子の眼が直ると二人の視力も戻り、二人はいつまでも抱き合う。演じられている方々が求めている臨場感も十分出ていて、カメラアングルも実にいい。ただ台詞の口の動きに合わせて右にあった声が突然中央に寄る所があった。これをライヴ感として受け止めればいいのかも知れないが、私としては、この部分がもう少しゆるやかであってくれたなら、坂東玉三郎の言う「信実(真面目で、偽りのない事)」な100点満点の作品だった。 来月は「海神別荘」再来月は「高野聖」と続く。11時から13時までの上映なので、ご高齢な方が多いのかと思ったら、若い女性の姿も多く見受けられた。 下でお見かけした私より少し上の方々は、どうやら「ALWAYS 三丁目の夕日’64 3D」に来られた方たちだったようだ。私たちが幼い頃「パッチ」と呼んでいたいた「面子(めんこ)」がチキンラーメン復刻版に入っていた。懐かしき昭和…か。(H)
Jan 24, 2012

一緒に組んで仕事をしている人が、今日石垣島マラソンに向かった。沖縄の天気予報は、雨マークもなくなり、しばらくの間曇り。最高気温は20度近くで、最低気温も13度。マラソンには最適な気温だと言う。新潟の7度に比べて何とも羨ましいかぎりだ。夏川りみの母親がやってるニライカナイ(石垣島そば)や花あかり(スナック)に寄って来た話は1週間後には聞けるかな。昨日は前から行きたかった「friends もののけ島のナキ」を観に行って来た。この作品は、児童文学「泣いた赤おに(浜田廣介)」を元案にし「ALWAYS 三丁目の夕日」の山崎貴監督が3Dアニメに初挑戦したCG映画。テレビで見ていたあの泣き虫な子が、てっきりナキだと思っていたら、200年泣かない事を誓った赤鬼の方だったのは、自分でうけた(笑)。人に追われたもののけ達がひっそりと住んでいるもののけ島。もののけの主食は、島に自生するキノコ。そのほとんどは、ほとんど戦闘能力を持たず弱っちぃ面々だ。本作の主人公である赤鬼のナキ の声は香取慎吾(子供時代、加藤清史郎)、なかなかの好演だ。 物語で重要な役割を担う青鬼、グンジョーの声は山寺宏一。これも好い。 沖縄の人には、おなじみの「ゴーヤ」のもののけゴーヤンの声は阿部サダヲ。なかなか、やる。ネコもののけ、ミッケの声はYOU 。尻尾が2本あるところが、物の怪らしくていい。そのなかにボクーと言う夢見る120歳の獏(ばく・悪夢を食べると言う中国由来の幻獣)のもののけが出てくるのだが。しゃばけシリーズの長崎屋の手代仁吉の実体「白択(はくたく)」は、よく其の獏と混合されるそうで、東京都内の五百羅漢寺にある獏王像も本来白択だと「日本妖怪大事典」に載っていたのを思い出した。白択は、顔に3つ両わき腹にもそれぞれ3つの目を持つ森羅万象に通じたすごい中国の霊獣なのを、私もしゃばけで初めて知ったのだが。と話は横道にそれたが、本作3Dの出来は秀逸で、ゴーヤンも目前まで飛び出してくる。もののけ達はトイストーリー的なキャラクターなのだが、なかなかいい感じに作られている。物語は予想通りで、小竹(コタケ)の「ナキ~」の声で、もう涙。ナキに突き刺さった矢に、こちらの胸ももえぐられてしまった。「とまれ」と浜に残されたグンジョーの決別の合図では、コンタクトが外れるのが心配になるほどの感涙が溢れた。3Dメガネは持ち帰られるので、うちのテレビの3D番組を見てみたが… 残念ながら、ぶるぶると震える気持ちの悪い映像のままだった。(H)
Jan 20, 2012

SONGSで、現在のザ・タイガース※の面々(沢田研二、岸部一徳、森本太郎、瞳みのる)の映像と歌が流れた。※ザ・タイガースは、京都から上京したジュリー(沢田研二・ボーカル)タロー(森本太郎・ギター)サリー(岸部修三・ベース)トッポ(加橋かつみ・ギター)ピー(瞳みのる・ドラム)で1967年「僕のマリー」でデビューした。4年後の解散直前の写真には、加橋かつみに代わった最後のメンバーで、今では妖怪じみてきた岸部四郎(岸部おさみの実弟)も写っている。今回は解散の後、芸能界を引退し勉強し直して、高校教師となった瞳みのるが、2年を残して退職した事を機にしての再結成のようだが、そこにトッポの姿はなかった。 60歳を過ぎて、40年ぶりに再起したピーがジュリーのステージで歌う姿の後、「僕のマリー(1967)」「モナリザの微笑(1967)」「君だけに愛を(1968)」「青い鳥(1968)」「誓いの明日(1970)」が、今の4人で写る。で、トッポ(加橋かつみ)はどうなったのかと気になって調べてみたら、失踪と発表された渡辺プロ主導の脱退劇の後渡仏し、帰国後は反戦を掲げたロック・ミュージカル「ヘアー」を日本で公開して主役を務め、1982年のタイガース同窓会でリリースした「十年ロマンス」「色つきの女でいてくれよ」で、リードボーカルを果たした。北島三郎事務所で演歌を歌っていた頃もあったようだが、今は都内のライブハウスなどで、タイガース時代を彷彿させるような声をライブで聴かせてくれているそうで、ホッとしている。昨日、寺内タケシ(78)モハメドアリ(70)坂本龍一(60)山口百恵(53)泰葉(51)安住淳(49)工藤夕貴(40)平井堅(39)りょう(39)ともども、私もひとつ年をとり、還暦に近づいた。17年前の震災から、大手を振ってはしゃぐ事もできなくなったのだけれど…。(H)
Jan 18, 2012

「賽の神」は古くは村の境の辻に祭られたもので、悪霊や疫病が村に入ってくるのを防ぐと言われていた「道祖神」の事で、「どんど焼き」と呼ばれる冬の行事になっている。大好きなしゃばけシリーズ第8作目の「ちんぷんかん(畠中恵)」で、若だんなが冥界から逃げる際、イザナギがイザナミの変わり果てた姿を見て、黄泉の国から逃げ帰る折り、追っ手に向かって投げた諸々(頭に付けた輪は山ぶどうの実に、櫛は筍に変化した)のおかげで逃げおおせた話が出てくる。この時、投げ捨てた杖からツキタツフナトノカミが生まれ、この衝立船戸神、さえぎる神=賽の神になったと言われている、とかの諸説を思い出しながら、雪のなか、鏡開きとかで出た燃やすものを持参して、雨よけをかけられた神火に入れた。立ち昇った煙は、まるで身にまとわりつくようだった。前にお狐様は苦手であまり近づかないと書いたが、ここの二体の前足は、それぞれしっかり結わえているので、いつも安心して立ち寄っている。(H)
Jan 15, 2012
この夜1回限り上映のザ・ローリングストーンズのライヴドキュメント映画「レッツ・スペンド・ザ・ナイト・トゥゲザー(名匠ハル・アシュビー監督)」をシネ・ウインドへ見に行った。18:55に入った会場は、いつもと違い(^^ゞ8割以上の席が埋まる盛況。若者はスマホをいじり、私より上の世代は本を開いて開演を待っていた。この作品は1982年の全米ツアーを撮った作品で、20台のカメラと空撮を駆使して、ストーンズが多分欲しかったであろうさまざまなアングルからを捉えているのだが、合間合間に楽屋風景やその時代背景が写し出され、実はぎょっとするような映像も流れる。「アンダー・マイ・サン」にはじまり「サテスファクション」に至るまでの全25曲のうち、「ミス・ユー」「スタート・ミー・アップ」「ホンキー・トンク・ウィメン」等は好きな曲なのだが、総じて、おそろしいほどのマンネリ…しかし、それでいて、40歳前後のキース・リチャーズ(G)もロン・ウッド(B・フェイセズのメンバーとしても知られている)もチャーリー・ワッツ(Ds)もミック・ジャガーも実にかっこいい。ベースをやや強めにしての1時間30分のロックショーは、ジミヘンの弾く「星条旗よ永遠なれ」の流れるなか、夜空高く打ち上げられる無数の花火で終演となった。ただ隣に座った男の10分に1回スマホを開く非常識さに集中力を失い、いまひとつ乗りきれなかったのは本当に残念だった。(H)
Jan 8, 2012

昨日、伊勢丹開運デラックスパックの目玉のひとつ「憧れのりゅ-とぴあコンサートホールで発表会」12点限りの8本目を手にした。知人が最初の方で引き当てていたので、少々焦ってしまったが…。りゅ-とぴあは既に劇場デビューしているのだが、コンサートホールははじめて。ぜひ一度は、あの響きのなかでやってみたかったので、本当に楽しみだ。(H)
Jan 4, 2012
注連縄とかを火にくべ、娘たちがお参りをしている間に、何気なく「願かけのこま犬」を撮ってみた。そこに写っていたのは…肉眼では見えていない「紫の光」。私自身は、特に霊感がある訳でもないし、夜なので当然太陽の七色の光の要素もない。目を凝らして見てみたが、そこ辺りには光源もなかった。実に不思議と首を傾げながら、もしかしたら良い事があるかもと、娘たちとかわるがわるその前に立たったのだが…引いたおみくじは、6本が「末吉」1本が「小吉」どまりだった(笑)。多くは望むまい。どうか、皆元気に過ごせますように。(H)
Dec 31, 2011

新良幸人+サトウユウ子(福岡県出身、沖縄在住の実力派JAZZピアニスト)のCD「浄夜」発売記念ライヴは、今晩7時半から神宮前のハーモニー原宿地下1階のMusic Restaurat La Donnaと「幸人解体新書」に書かれている。銀座の沖縄県物産の店・わしたshopの地下で店員から聞いたライヴの話は、どうやらこれだったようだ。兎にも角にも美しいピアノの響きに幸人の唄が加わる。しかも「あがろうざ」から「月ぬ美しゃ」「ファムレウタ」と大好きな曲が続く。そして徐々にそこに幸人の三線が加わる。 「赤ゆらの花」「浄夜」では、不覚にも涙してしまった。どうすれば、こんなに美しいメロディが作れるのだろう。あ~、実際に聴きたかったなぁ。(H)
Dec 5, 2011

極寒となった12月2日。クラプトンとウインウッドのジャパンツアー2011初日となる日本武道館へと向かった。外も寒いが、館内は冷房の効き過ぎで、みんなコートを着直したり、外套を着込んたままでいる。開演は10分遅れの19時10分。照明の煽りが実にいい。クラプトンは冒頭の日本語の挨拶以外は、曲の終わりの「Thank You」のみで、一切MCなしなのだが、こんなに楽しそうな姿はあまり見た事がなかったような気がする。開いたJAPAN TOUR2011のパンフレット通りの、ブラックとグリ-ンのストラトキャスターで弾き合う小気味いいスタート。Blind Faithや得意なJ.J. Caleに続いては、聴きなれない曲が続くのだが、その「ん?」というタイミングでの心憎い展開。「クロスロード」では、珍しくクラプトンがアドリブの入りを少し早まってしまい、そのまま同じフレーズで弾き続ける箇所もあった。「Wonderful Tonight」は、ウインウッドがリードギターを弾くアコースティックVer.。クラプトンの弾くMartinの000の音は、オベーションのような金属的な音で、あまり自分には好ましくなかったが、ここでも二人の楽しそうな姿が垣間見れた。そして、ついに来ました、来ました「ヴードゥー・チャイル~♪」。大好きなジミヘンのVoodoo Chile。いや~ぁ、長い長い、でも、あきる気はしない。こんな曲だったのかなぁと帰ってからウッドストックのVoodoo Chile~STEPPING STONEと聴き比べてみたが、う~ん、これもありかな。クラプトンは、デレク&ザ・ドミノスのアルバム「いとしのレイラ(1970年)」で、ジミヘンの代表的なバラード「Little Wing」をカバーしてるし、その後のジミヘントリビュートアルバムでも「Stone Free」もカバーしている。ジミヘンに「君はベースの方がいいよ」と言われたのが、その後のウーマントーンを生み出したのか、なんとも不思議な音でのフレーズが出てくる。それにしても、ウインウッドの多才さには脱帽した。ギター、キーボード、ボーカル全てに秀でている。 アンコールの最後は「Cocaine」。終演までのきっちり2時間は、あっという間だった。CHRIS STAINTONの硬質なKeyboardの一部に、もどかしさも感じたが、終えてみればいいコンサートだった。(H)
Dec 4, 2011

日本武道館へ行く前に、恵比寿ガーデンプレイス・イルミネーション‘11に立ち寄ってみた。センター広場には、バカラ250灯のシャンデリアが燦然と輝く『Baccarat ETERNAL LIGHTS-歓びのかたち-』。そこまで続く電飾が実に美しい、シャンデリアは、巨大なアルミケース(高さ約10メートル、幅約6メートル)の中につるされていて、そのサイズは、高さ約5メートル、幅3メートルに及び「価格にすると6~7億円」という。いい目の保養にはなったが、兎に角風が強烈に冷たい。これは、お腹から温めなくてはと、急ぎエビスの中ジョッキを手にする事となった。(H)
Dec 3, 2011

「ドッペルゲンガー(ドイツ語。英語ではdouble。自分の分身=二重身のこと)」という言葉を知っている人は少なくないだろう。都市伝説では、自分以外のドッペルゲンガー二人(=自分を含めた三人)を見た者は、数日のうちに必ず死ぬといわれ、江戸川乱歩の『幻影城』にも出てくる「影の病」とも言われているものだ。しかも、精神医学界でも古くから話題になっている現象らしく、最近では大きく取り上げているらしい。今回、ブリジストン美術館の「野見山暁治展」などを見て、東京都内を移動する列車の中で、長岡で初めて演奏を聴いたロックバンドの方とそっくりな女性と3~4mの距離をおいて真向かった。服のセンスは少し違ったが、左目の下のかさぶたがかった1センチ大の傷痕以外は、まさに瓜二つの人だった。「あさ自転車で走ってましたね」とゆんたくのYさんから私が言われたのは、確か10月8日の9時。う~ん、その日は自転車にも乗っていないし、午前中は一切外出もしていない。結果、42年前工業高校へ向かうバスの中から、県高前の路上で目の合った、あの「自分にそっくりな学生」を思い出した。どうやら、私の二人目(その時の一人目かな?)は近くにいるようだ。剣呑剣呑、出来れば会いたくないなぁと思っている。ドッペルゲンガーは、目の前の数十cmか数mの側方に、はっきりとした自分自身の像が見えたり、時には歩きもするが、全身像は少なく、顔や頭部、上半身などの一部等が多く、一般には色のない夢のようなモノトーンであることが多いらしい。そうした実例には、ありがたい事に、私はひとつも該当しなかった。(H)
Dec 2, 2011

単身赴任で東京に住む友から、12月2日の日本武道館のチケットを受け取ったのは、9月3日。ついに伝説のスーパー・バンド「ブラインド・フェイス※」の二人に明日会える。この二人が奇跡の復活を遂げたのは、マディソン・スクエア・ガーデンでの2007年のクロスロード・ギター・フェス。今回はロイヤル・アルバート・ホールに続いての日本初共演となる。11月17日からの来日メンバーを見ると、大好きなスティーヴ・ガッド(ds)が、エリック・クラプトン(Vo, G)、スティーヴ・ウィンウッド(Vo, G, Key)、ウィリー・ウィークス(B)、クリス・ステイントン(Key)らに名を連ね、いやが上にも、心は躍らされている♪。※ブラインド・フェイス(Blind Faith)は、クリーム解散後の1968年からエリック・クラプトン(ヤードバーズ、クリーム)とスティーヴ・ウィンウッド(スペンサー・デイヴィス・グループ、トラフィック)がセッションを重ね、後にジンジャー・ベイカー(クリーム)、リック・グレッチ(ファミリー)が参加した、有名バンド出身の大物ミュージシャンが一堂に会したスーパーバンドだった。1969年のデビュー・ライブでは、当時史上最高の10万人を動員し、8月に発表のアルバム『Blind Faith』は英米でチャート1位にもなったが、ツアー終了後の10月には解散。その活動は半年にも満たなかった。 ジョージハリスンから「いとしのレイラ」を奪ったクラプトンが、ドラッグに溺れそのパティを失った頃に書いた「ワンダフル・トゥナイト」。今では、その歌も屈指の名曲となって久しい。(H)
Dec 1, 2011

mayumiさんの来年からはじめる家庭菜園のご縁で西区青山海岸の海辺のギャラリーダイニング ネフのイベントに二人で参加して来た。「海は恋してる」「この広い野原いっぱい」「星に祈りを」を一緒に口ずさんだ後はネフのオーナーのカンツォーネ。バイオリンとピアノ、トライアングルをバックにしての「初恋の小舟」「学生王子のセレナーデ(ミュージカル)」。カンツォーネ大会に6回(一次審査はCD-Rでの応募)挑戦され、ファイナル(朝日新聞のホールに全国から集う)に2回選出された声に聴き惚れる。続いて、ドヴォルザークのピアノ曲をピアノをバックにバイオリンで演奏される「ユーモレスク」。いや~、なんともすごい!。関川さん達にお会いしたのは5年ぶりだろうか?。いつものJ-Bandサウンドで「カントリーロード」などの演奏と歌で会場の一体感が更に増す。ここで一端休憩となり、芋煮(青森県を除く東北の各地で親睦を深める行事として、盛んに行われている秋の風物詩となって いるが、私には山形で参加した記憶しかなかった)や温野菜、麩のカキフライ風などに舌鼓を打つ。あんまり食べたら歌えないのに…と思いつつ、炊き上がった赤飯までいただいてしまう。コカリナグループのジャンケンゲーム&お椀です茶碗ですに大笑い。こんなんで歌えるのだろうか、でうちら十三夜の出番となった。「安里屋ゆんたネーネーズVer.」「イラヨイ月夜浜」そして渡辺さんのパーカッションの応援を得ての「島人ぬ宝」、私が乗り過ぎて、mayumiさんの三線も間に合わないほどスピードアップしたとの事(^_^;)ま、ライヴちゅうもんはそんなもの、なんくるないさぁ(笑)。フラダンスと着替えの間の春夏秋冬の唱歌童謡のソロもオアフ島のフラダンスをおひとりで踊られた方も素敵だったし、上々台風のレットイットビーの弾き語りも良かった。そしてアンコールは、オーナーの「オーソレミヨ」の新潟弁Ver.、いや~大いに受けた。実にいい時間だった。おかげで出がけ33.2度(こんな所まで測れる!?)の体温も34.4度まであがってくれていた。(H)
Nov 26, 2011

紅葉する木もあれば、散る木もある。紅葉しながら且つ散るのである。(俳句歳時記より)それにしても、凛とした空気のなか、なんとも秋らしい空と雲だ。(H)
Nov 18, 2011

~叶(カナイ)~のケンゴさんからのお誘いで、ゆんたくのFさんと駅で待ち合わせをし、新幹線のS切符(往復2920円)で長岡の音楽食堂でのイベントへと向かった。駅から会場へ向かう途中、えらく並んでいる人たちの列に出くわす。後から聞いたら、毎年恒例の激安シュークリームを買うのに並んでいたとの事。そんなに美味しいのか、後で長岡に住む娘に聞いてみる事にした。このイベントには、8年前まで私たちが在籍した三線初心者教室の玉木先生率いるOKIONが出演されるので、三線サークルゆんたくへの参加では最後の三線初心者教室出身のMさんご夫婦も来られ、オリオンビール片手にカウンターへと座った。ゆんたくTシャツの生みの親で、今は越前浜に住居を移された1期生のメンバーSさんも一番前の席に陣取られ、たちまちお店は満席となった。 ~叶~2009年に野村流古典音楽保存会優秀賞を受賞の唄三線ケンゴさん(那覇とコザに支店を持つ民謡歌手の店で見習修行をされていた)と私と同じお名前で親近感のあるVocalとGuitarのハジメさんのアコースティック・デュオ。選曲も私好みで、とにかく明るくて乗りがいい。結成1年目とは思えぬコンビネーションで、ファンクラブもある?ようだ。嶋本大吾新潟市古町の路上から活動を開始されたそうだが、近くの私はお見かけした事がなかった。大変個性的な声の方で、珍しい6弦のペグつきの三線の演奏もご披露された。ここで「三線を道具として扱われる方々のイベント」と漸く理解をした。どうやらこれからは、島唄とは無縁の歌が続くようだ。でぃがでぃなきよ里三条を拠点に様々な音楽活動を展開するきよ里さんとインド楽器奏者でぃがでぃなエチゴのユニット。元ちとせや中孝介以外の奄美の民謡は、耳かきのようなバチで三線を弾く朝崎郁恵を日比谷野音の琉フェスで見た事しかないので、それ以外は知らないのだが、両者ともにいろいろな所で演奏されているだけに、手慣れていて上手かったが、正直お酒の場とかに少し慣れ過ぎな感じであまり良い印象は受けなかった。 Swallowtail*Queenbee女性ボーカルSaeを擁し、1999年に結成されたロックバンド。エレキ三線も見事で、2005年には新潟メジャーボートグランプリでファイナリストにも選ばれたそうだ。ただ、バランスをみる為にテストパターンで演奏した音量が、本番でベースやボーカルがかき消されるギターになっては何にもならない。「何処から来られましたか?」と会場にふっておいて「福島」という返事をされているのに、私は阿賀…という受け答えは、やはりまだまだ言葉のキャッチボールが出来ていないと思った。ま、私もそうなのだが…(^^ゞ。 OKIonリーダーの玉木先生は、沖縄県うるま市在住の照屋勝武氏に師事し、2006年には琉球古典音楽コンクール(胡弓)で最高賞も受賞している。うちなーぐちの演奏に慣れている私は、山崎さんの唄声で実はホッとした。この後、新潟市内に私たちの他にもうひとつの三線サークルがある事を知った。カチャーシーに民謡のアンコール、まさに沖縄の民謡酒場と化したエンディング。ぜひ又の機会を期待しながら、帰路についたが、実はこの後、とんでもない悲劇が私を待っていたのだった。(H)
Nov 5, 2011

9月14日に行った北区 松浜本町商店街 界隈で開催の東日本大震災復興支援・水と土の芸術祭2012プレイベント「松浜地区 心意気 ART フェスタ」と似た感じかなぁとはじめて内野町まで来てみた。うちのDEアートは、新潟大学教育学部美術科による、新潟市西区内野町を舞台に行うアートイベントとの事で、どこでも若い女性が作品の説明など相手を務めてくれた。ただ自分は、元来対人恐怖症の気味があるので、お喋りをするような積極的な事もできず、神社の狛犬など物言わぬ方に足を向けてしまい、内野駅前から塩川酒造で折り返して、弧線橋の下の作品で休み、新川を越え、金毘羅神社を巡る頃にはかなりバテてしまった。うちざけ 塩川酒造を利用し、夜は灯りが点り瓶が浮き上がると言う空間演出や乗ってみて下さいと言われた立体作品など、様々なアートを通して内野の地酒のPRを試みていた。閑 神社のなかに木や石などの素材が並べられていた。宮崎駿のアニメ・もののけ姫に出てきた木霊もこんな感じだったような。それにしても、作品ではないのだが、檻の中で朽ち果てて針金で縛られた狛犬が哀れを誘う。狐が前足を縛られているのはよく見かけるのだが…。そう言えば、カメラ片手に訪れてみようと思った「写真集・狛犬かがみ(たくきよしみつ)」に撮られていた福島の狛犬たちも3.11以降随分遠くの存在になってしまった。いろタイル 子どもから大人までの約400人の思いがこめられた陶板のタイルが敷き詰められている。しかし、お狐様は実は大の苦手なので、この場所は足早に離れてしまった。今回残念ながら見逃してしまったのは、「内野の妖怪図」と「妖精きまぐれ町歩き」。ぜひもう一度と思ってはいるが、はてさて行けるのかどうか。その様子が夕方のテレビに写った。それでは、今度はスイカのみそ漬けや懐かしい日本一の煎餅を買いに行ってみる事にしよう。(H)
Oct 14, 2011

木戸中学校で開催の第31回健康まつりの特設ステージに夏川りみが登場した。…のだが、実はBSN公開録音の時間を勘違いして行き、着いた時にはすでに歌声が聴こえているしまつ。そして近くになんとか駐車して駆けつけた時には、もう最後の1曲が紹介されるところだった。残念!。でも、いたる所に貼られているポスターに夏川りみと一緒に自分たちの姿が写っていたのが、すごく嬉しい気持ちにさせてくれた。(H)
Oct 10, 2011
今日は「三線サークルゆんたく」のみんなと、やすらぎ堤の水辺のコンサートに出演して来る。九回目を迎えると言うこの「萬代橋誕生祭」。うちらは今回初めての参加となる。信濃川を挟んだ万代シテイ側の右岸と新潟グランドホテル側の左岸で、11:00~18:00の間、オープンカフェやフリーマーケット、福祉作業展等と共に開催される夏の終わりのコンサート。暑いのは超苦手なので、陽の翳らないうがんは避け、さがんで15:00~16:00まで「祝節」「固み節」などの民謡や「バイバイ沖縄」「島人ぬ宝」などの沖縄んポップスをのんびりやってくるつもりだ。でもその前に、萬代橋の見どころをプロのガイドが案内してくれると言う「屋形船 ばんだい丸」の乗船が楽しみで、小学生の遠足の日のように3時前から起きてしまい、致し方なくカメラのバッテリーの充電などをして、眠気が差すのを待っている(笑)。(H)
Aug 20, 2011

今回腰を下ろしたりゅーとぴあ劇場の席は3列目。2列目までは、これまでで3回目のビニール完備!となっている。どうやら噂通りの、雨雨雨、水びたしの舞台のようだ。3列目でよかった(笑)。しかし私の右には、場見るテープの罰点。どうやら誰かがここまでずぶ濡れで下りてくるようだ。しかたがないと覚悟を決め、持ち物はみな椅子の下の奥にしまい込んだ(^^ゞ。TVの事件現場でよく見かける「立ち入り禁止」のトラテープが罰点に貼られた舞台。その舞台を用意していく声が響き、右に左に後方に黒い幕が上がり、テープが取り払われる。臨場感のあるスタートだ。予想以上の雨が降っている。太鼓をたたくゾンビの様な子たちが通り過ぎていく。この姿、どこかで見たような?。雨が降りつける町のコインランドリーで煙草をふかしているのは、伊藤蘭?。一人のトランシーバーを持った少年(田島優成)が、雨に打たれながら、頻りに誰かと連絡をとっている。そこに北(窪塚洋介)が滑り込むように倒れ込んできた。二人が話しこんできている所へ現れたのは、ふね(中嶋朋子・「あの、ほたる役の…」ももう聞きたくないだろうなぁ)。過去に結婚式場から北と逃げた女性だ。姉さん(伊藤蘭)の相手役は、男闘呼組の高橋和也。この前観た時より、少し太ったような気がする。それにしても、蘭ちゃんのなんと細いこと。やがて、その奪われた花嫁を探しに窪塚の弟(近藤公園)が、ふねと結婚するはずだったハルキ(丸山智己)と両親戚たちを連れてやってくる。そしてついにコインランドリーとビデオショップの真ん中の路地で全員が出逢ってしまった時、妻を亡くした喪服の先生(青山達三・ん、この人「テンペスト」の時の人だったかな?)が現れる。追いかけて来た高校生たちや皆の前を幻の電車が通り過ぎる。そしてまたゾンビのごとき鼓笛隊。やがて、町中に停電が訪れる。どこかで見たこの雰囲気は、かつて映像で観た「アングラ」、赤テント時代のものだった。その時代の清水邦夫と盟友「世界のニナガワ」から生まれたものであれば、唐十郎(カラジュウロウ)を彷彿させる舞台は、当り前か。そう言えば、三田佳子の二男・高橋祐也はどうしただろう。そうそう、私の脇まで来たのは、映画「SP野望篇」やTVドラマ「てっぱん」「絶対零度」でおなじみの丸山智己だった。ありがたい事に飛沫はあまり浴びなかった(笑)。しかし、この舞台を何度も演じるのは、相当な体力が要るだろうなぁ。(H)
Aug 6, 2011

オカリナ(気鳴楽器の一つ。oca:ガチョウ rina:小さい、に由来)奏者・宗次郎With二胡奏者・チェンミンのコンサートからの帰路で見上げる温度計は未だ29℃。また熱帯夜になりそうだ(>_
Jul 21, 2011
大槌町、釜石市2、釜石市1の瓦礫を前にした被災者の12文字のメッセージが続く。重機を背にした4人の男の「被災地じゃねぇ正念場だ」、5人の家族の「瓦礫を、踏み台にするさ」そして…「埃も泥も、思い出にする」「もうふざんけんじゃねぇぞ」。被爆し、熱中症で倒れて行く原発の現場の最前線の作業員に自分を重ね、このポスターをなんら思ってもいない頭を深々と下げる上層部や原発事故の今確かに時期ではあろうが、現時点では火力発電に再転換を余儀なくされる今後に、出来ない目標をさもやれるように口にし、かけひきばかりで優先順位すら判らない人らに見せてやりたい。もしかすると、勇気を以って原発をとめた首相として、歴史に名を残せたかも知れない人も、普天間の時の失望と怒りと何ら変らなくなった。「鳩もサギもいずれ変らぬアホウ鳥」だ。いま庭先に咲く紫陽花は、淡いブルーで咲き、青紫そして淡いピンクへと変化する花。その七変化の色をして、花言葉は「冷淡、あなたは冷たい、移り気等」。咲き始めた花に憂き今の世相を重ね合わせていた矢先、復興の狼煙(のろし)の力強いメッセージに、そんなものは吹き飛ばされた。(H)
Jun 22, 2011

朝3時起きをして準備した機材を9時前に運び出し、先ず積み込んだ1台に先に走ってもらう。次に汗だくとなった2枚目のTシャツを着替え、残りの機材を積んで、県政記念館へ。ほぼ同時についたプロジェクターチームと機材を搬入し、今日の段取りを簡単に説明し、全員で会場作りに入る。目安のついた所で、音響は6人映像は2人受付や会場作りは8人にわかれて準備を進める。11時前には、マイクやサイドモニターの調整も終え、会場でなければ出来なかった動きをはじめ、音出しと進めていく。こうして、いつもと同じく追われるように開場を迎えた。今回ご用意した90以上の席は、13時の開場と同時にほぼ埋まり、紙上等でご案内した開演の13時30分には、立ち見となられた方が60人以上居られたと後で聞いた。案内にあったとは言え、せっかくお出で頂いたのに、大変申し訳ない事をしてしまった。うちらのコンサートは、ゆうに2時間をこえる。その演奏に、お子様連れの方も最後までおつきあい下さった。通りすがりに寄られた方もかなりいられたようだ。今回はいつものスタッフが4名ほど来れず、行き届かなかった点も多々あったし、PAにトラブルが発生し、リハとは大違いの出来となってしまったが、沖縄から応援して下されるLucyさんの幕開けの言葉や女川出身のmayumiさんの「写真の中の少年」の詩の朗読や震災の朝の美しい風景も会場の皆さんにご披露出来た。「また来ます」と帰られる方々の笑顔で、これは何としても秋にやらねばと背中を押された気持ちになった。 そして打ち上げでは、回収された120を超えるアンケートの半分ほどを拝見した。またこれを参考に練習に励み、みんなと次を目指そうと思っている。(H)セットリスト:満月の夕(風の市)アメイジンググレイス祝節オジー自慢のオリオンビールなりやまあやぐ安里屋ゆんた青い宝「写真の中の少年」流星昔美しゃ、今美しゃ エイサーの夜(ゆんたく小)ウムカジ、その時生まれたもの(腕白三人)渡りぞう~滝落し、えんどうの花(Vintage)パーマ屋ゆんた花涙そうそう前を向いて歩こう片手に三線を島人ぬ宝
Jun 20, 2011

あっと言う間に、ひと月が経った。この前来た時、白山公園は藤の盛りを迎える頃だった。夕方からのPAの打ち合わせの前に、昼から二女と長男らを伴って、青山の水道遊園へ遊びに行って来た帰りに寄った白山公園の猿の檻の前では、夏めいた日差しのなか、サッカーボールを蹴る少年たちの声が響いている。水道遊園へ出かけた、お目当ては「雉」?。そんなのが居たのかなぁ、と思いながら、半信半疑で訪れてみた。鶏のけたたましい声。居たかも知れないウサギの札。雉はどうやらその隣のケージのなかに居るようなのだが、姿はまったく見えない。滑り台から砂場へ転げ落ちたきた孫の泣き声も、池の鯉を呼ぶ笑い声へと変わった。緑溢れる藤棚の下で涼を取り、おにぎりや弁当を頬張る。家族揃ってこうしていたのは、20数年も前の頃。その子がこうして母親になっている。時の経つのは本当に早い。 花菖蒲園で駆けまわっている子らを後に、暫しひとりで裏山に登ってみる。がぁがぁとがなりたてるカラスが一羽枝にとまるのを横目に、更にケージの裏にまわっていく途中、背後から突然ばさばさと羽音が頭をかすめるようにして過ぎた。首をすくめよろけながら、何事が起きたかと見上げる枝にカラスが二羽。思わず足元にあった松ぼっくりを投げたが…見事に、外れた(>_
Jun 16, 2011
ゆんたくのゲネプロに出てみたら、自分を含めて風邪ひきさんが三分の一以上。どうやら、大半は4日の楽屋でうつったようだ。しかもVintageの一人は気管支喘息まで起こしかけていると言う。私自身も薬で咳は何とか抑えられているが、今日も思い切りは歌えなかった。全体の練習は今日で終り。仕上がりに不安を覚える曲もあったのだが…。15日の県政記念館との打ち合わせの後、腕白三人としては2度目での仕上げとなる練習とゆんたく小のかけ声の合わせを前日の18日にする。ぬちぐすいコンサートin県政記念館まであと10日…ま、なんくるないさぁ~、か。(H)
Jun 8, 2011

6月のぬちぐすいコンサートの中で、三線&胡弓(今回はインディアンフルートでも参加)&ギターユニットの「腕白三人(うーまくみっちゃい)」でやる2曲の調子を1本(ADA)に直し、それぞれで練習に入っている課題曲も順調に仕上がっている。今回の二曲のうちの一曲は、ペルー生まれペルー育ちで沖縄三世のLucy(ルーシー)がファーストアルバム「にぬふぁぶし」で歌っている「ウムカジ(面影・大好きな知名定男の作品で、ネーネーズのアルバム「ユンタ」に収録されている)」。(大意)でぃごの花の咲く初夏五月の頃、前にもましてあの人の事がどうしようもなく思い出される。月が山の端に上る夕ぐれ、心にひしひしと淋しさがつのる。千鳥がちゅいちゅいと鳴く、私はひとりぼっちだから、一緒に泣き明かしておくれ、あの人を忍んで。そしてもう一曲は、BEGINの「その時生まれたもの」。これがおそろしいほどの音幅(1オクターブ半)で、原曲の3本(BEB)ではとても歌えず、ふたりで歌う為1本にしたが、今度は下の音がどうにも出にくい(^^ゞ。それにしても、これをいとも簡単に歌ってしまう比嘉栄昇のすごさ。ま、なんくるないさぁ~。今日は、昨年の福祉まつりに続いて、新病院の竣工まつりのエントランスホールに用意された120の席に座りきれない皆さまのあたたかい手拍子や拍手をいただいた上、ご存じの唄では一緒に口ずさんでもらえた。TV撮影も入っていたので、その様子をご覧になられた方も居られたかも知れない。 そして、屋台でそれぞれ昼食をとった後は、若手の「ゆんたく小」のメンバーと海を臨みながらの練習。三線の音に誘われたのか、雀が階段をぴょんぴょんぴょんと一段ずつ上がって来て、同じ段で漸く人が居たと気づいたのか、驚いて飛び去って行った(笑)。 夕方は9分開店を早めてもらっての打ち上げ。30分歩いて行ったので、生ビールも泡盛もうまかったぁ~♪(H)。
Jun 4, 2011

村治佳織さん おススメ 欧風ヨーグルト~フランボワーズ~ピーチ果肉入りが出た。(H)
May 29, 2011
佐々木秀実がフジテレビ「とくダネ!」の金曜日のコメンテーターに出ていた時は、綺麗な女性とは思ったが、なにをしている人かも知らず、少し違和感を感じていた事を覚えている。その何かおかしいと思った原因が解ったのは、実はつい先日のことだった(^^ゞ。17歳でシャンソンコンクールに最年少で入賞し、高校卒業後フランスに留学、本場パリでシャンソンを学んだ佐々木秀実(30)は、実はれっきとした男性ボーカリストだった。なるほど、NHKの朝の連ドラ「ちりとてちん」の歌声が、この人だったのかとリーフレットを見ながら納得した。新潟初というコンサートの最終日26日は、「時は過ぎていく」「サントワマミー」ではじまった。「聞かせてよ、愛の言葉を」、ラジオ深夜便で流れていたと言う「愛の旅人」は、少し演歌っぽい。ひとりの女の少女時代から初老までの人生を演じ、そして歌いあげる「ボンボワヤージ(よい、ご旅行を)」は、まさに圧巻だった。休憩を挟んでの一曲目は「オーシャンゼリゼ」。衣装は黒しか着ないとか、笑いも巧みにとる。「La Boheme ラ・ボエーム」これはいい歌だ。もしかすると声が出なくなりかも知れないと言われた、声帯の四回目の手術の時、母親が持ってきてくれたCDと自伝で巡り合ったエディットピアフの「群集」の紹介は、エピピラフでまたもや笑いを取る。これも実にドラマチックな仕上がりだった。そして、ここからは日本のシャンソン。コンビニでバイトをしている美輪明宏(またもや大爆笑)とは少し雰囲気の違う「ヨイトマケの唄」。歌にベースが、ピアノが、ギターが次々と加わっていく構成も見事だ。そして、まるで美空ひばりを彷彿させる「生きてりゃいいさ(声が似ているからかも知れない)」、そして「愛の賛歌」。アンコールの「ケサラ」「おおわが人生」に至るまで、全てに聴き惚れた。この後、東日本大震災の被災者が避難している新潟市体育館へ、毎年六月、沖縄の「慰霊の日」に開催している三線サークルゆんたくのコンサートのポスターとチラシを持参した。今回は東日本大震災の被災地と沖縄、ふたつの地への想いを込めた「ぬちぐすいコンサート~でーじ、ぬちぐすいやっさー~※」としたが、入口にきちんと並べられた小さな子らの靴や声、そして仕切られた段ボールの壁を目の前にして、コンサートの告知のマイクを手にする事は出来なかった。近々、メンバーとともに、改めてコンサートのお誘いに伺う事つもりでいる。(H)※「命の薬」と書く。何が命の薬かというと、寿命を延ばすものすべてが「ぬちぐすいー」だ。笑い、美味いもの、楽しいこと、何でもだ。これはとても身体にいいね、ってことを「でーじ、ぬちぐすいやっさー」という。(うちなー口大辞典より)。
May 29, 2011

今日は、原因不明の熱で痙攣を起こした五泉の男孫の様子を見に行き 久しぶり通った「大沢の鍾乳洞」や峠の茶屋の看板を横目に、女孫の風邪がうつってダウンしたと言う長岡の長女の所へ向かった。 娘は思いのほか元気だったので、医者へいく前の合間、河童の展示物とかを楽しみにしていた近くの博物館へと出かけてみた。はじめて訪れた新潟県立歴史博物館の春季企画展は、新潟の妖怪と妖怪博士・井上円了の「博物館の怪談」。チラシにうごめく妖怪たちがおいでおいでと誘っている。先ず入口で迎えてくれるのは、幽霊画。ここから「妖怪学」「妖怪へのまなざし」「新潟の妖怪」「妖怪ブームの到来」「博物館の怪談」へと進んでいく。雷獣のミイラや河童の手がやたら小さいものは知っていたが、「コックリさん」が「後ろの百太郎」で見たものとはまるで違うものだったり、河童の肛門が3つ三角に並んでいるのは初めて知った。撤去されていた展示物2つがちょっと気にはなったが、なかなか見ごたえのある催し物だった。尚、入口に置いてある「妖怪の名前を当てよう!」に、天狗や大蛇などを全部ひらがなで答えると、受付で妖怪研究社の「弥三郎婆や化け猫ムジナ等の記念シール」がもらえる。常設展の新潟県のあゆみや雪とくらしなどもなかなか見ごたえがあるので、片側交互通行の1分待ちの信号を我慢され、一度訪れられてみてはいかがだろうか。この日は、沖縄料理の居酒屋と泡盛Barに命薬コンサートのポスターとチラシをお願いしにいく段取りになっていたので、孫とお昼寝をした後カレーパンを頬ばりながら、計200キロの帰路を急ぐ事となった。(H)
May 27, 2011

見逃していた「お中元」の出た徹子の部屋の再放送をみた。インタビューは、先ずその名前の由来から…。曰くライヴの立ち位置に並んで貼られた罰点のテープ(ここです、ここですと示す「場見るテープ」と言うのだそうだ)が、「中(あたり)元(はじめ)」となっていて、気づいたのだそうだ。 鹿児島県奄美出身の二人、それぞれが歌う「ワダツミの木(この頃のちーちゃんはやはり良いなぁ)」「なごり雪(CDよりライヴの方が、基泰博とは巧く絡みあっていて、格段にいい)」、「絆、その手に」「花(森山直太郎との協演も必見。この唄はいつか歌ってみたいけど、もう少しファルセットが上手くならないと無理だなぁ・笑)」。その二人の独特のコブシが融合した「春の行人(ゆこうど)」。福耳でもそう思ったのだが、元ちとせは人と絡むと適度にアクが抑えられた分、魅力が増す気がする。記録的豪雨の時の話の後、2010年のチャリティコンサートで三線を片手に歌う映像が流れた。やはり民謡を歌うこのふたりは抜群だ。(H)
May 23, 2011

安田インターで降り、五泉へ向かう道すがら。目の前の橋に鬼が座しているのを見つけたのは、いつ頃だったろう。おやっと思った時には、もう通り過ぎてしまう上、車を止められる場所も見かけなかったので、なかなか画像をアップする機会がなかった。場所は、安田と五泉市・新津市を結ぶ「安田橋」。安田と言えば、瓦の生産で有名な地。で、鬼瓦をイメージした鬼の像が橋の入り口に設置されたのだそうだ。ただ阿賀野川に架かるこの橋、兎にも角にも交通量がかなり多い。生コンや砂利のトラックが頻繁に下りて行く反対側には運動公園があり、そちら側には歩道もないので、なかなかスリルのある撮影となった(^^ゞ。 知人に聞いた処によると、人気があって今は半年待ちと言う笑っている鬼瓦なるものもあった。「福」が来そうな感じだ。この次は、瓦で作られたバス停があると言う「やすだ瓦ロードコース」にも寄ってみようかと思っているが、そこに出て来た「男鬼・女鬼」の言葉で某アンテナメーカーのCMを連想したが、それは人間のへそを取る雷さまの方で、妖怪の分類からすると少々違うのかも知れないとちょっと調べてみた。頭に牛の角をいただき、腰に虎の皮をまとった実体のある鬼(鬼は丑寅の方角より侵入するに言う事に由来)は、江戸時代にすでにそのような姿だったそうだが、平安時代は実体を伴わない霊的な存在(もともと「隠・おん」が訛って「鬼」と伝わった)で、中国の「鬼・キ(人には魂魄・こんぱくがあり、死後それが二つに分かれ、魂は天上へ、魄は鬼になって地に帰るとされた)」の字を使った、羅刹や夜叉などの悪神、日本古来の邪神、悪霊などが複雑に関係し合っていると書かれていた。狛犬の次の撮影素材は、どうやらこの辺りになりそうだ(笑・H)。
May 19, 2011
徹子の部屋に「お中元(中孝介+元ちとせ)」が出たそうだ。毎日、ブログ「ハナダイロの日々」はチェックしていたのだが、大阪のぷいぷい音楽祭以来3週間近く更新されていなかった上、「本日」と徹子の部屋出演が書かれていたのは、16日の8:13、そりゃ、仕事の人には無理だ。ちーちゃん…でも、5月19日17:30BS朝日で再放送があるそうで、ちょっとホッとしている。「やわらかい月」からはじまる邦楽カヴァーアルバム「元ちとせ Orient」と「TRUE COLOS」ではじまる洋楽カヴァーアルバム「ChitoseHajime Occident」の2枚のCDを聴いた時、この2枚のアルバムの存在意義をまったくと言っていいほど感じなかった。良くも悪しくも歌い方にアクが強くなり過ぎていて、全体にあまりいい印象を受けない。ただOrientでは小林旭の「熱き心に」で、唄自体の持つ力と言うものを感じた。少し時間を置けば、「ハナダイロ」や「カッシーニ」のように、いつかこの耳に優しく聴こえて来てくれるのだろうか?。めざましテレビでJENNIFER HUDSONを聴いた。胸が震えて涙が出た。(H)
May 17, 2011

夜桜を楽しむ人らが居る。 咲き誇る花のなか、水面に写る花も盛りを迎えた。 火元のアパートでは死者が出、美容室や民家を延焼させた正月の大火事の瓦礫の山に降る雪、その向こうに見えていた桜が、今年もまた見事な花を咲かせてくれた。 それにしても、花冷えの寒い日が続く。(H)
Apr 24, 2011

昨日はかなり風が冷たかったので、いつものやすらぎ堤から白山公園内に会場を移し、三線サークルゆんたくのみんなとお花見ライヴを決行した。 実は桜の下で歌うのは今年がはじめて。昨年など、それぞれで花見をして、万代のお店に集合。沖縄料理を楽しみながらの三線ライヴだったので、新鮮な気分を味わえた。「でんさー節」にはじまり、「竹富島で会いましょう」まで、酔うほどに、いったい何曲歌ったのだろう。お花見を楽しみに来られたいろいろな方から声をかけていただいた上、拍手にリクエスト、小さなお子さんの踊りまでつけてもらった、まことに充実した一日となった。新潟は今日桜満開宣言となった。(H)
Apr 18, 2011

また何かが飛びはじめたようだ(>_
Apr 15, 2011

ピンクフロイドを最初に聴いたのは、ミケランジェロ・アントニオーニが「欲望※」の約3年後に監督した映画「砂丘」(70年)だったろうか。※「欲望」は、ヤードバーズがライブハウスのシーンで出演し、ギタリストのジェフ・ベックとジミー・ペイジが、ツイン・リードとして同バンドに参加していた時代の貴重な映像として知られる。ふり返ってみると、ステッペンウルフの「ザ・プッシャー」「ワイルドで行こう」やスミスの「ザ・ウェイト」、ザ・ジミ・ヘンドリックス・エクスペリエンスの「イフ・シックス・ワズ・ナイン」など名曲揃いだったピーター・フォンダとデニス・ホッパーの「イージー☆ライダー(69年)」の頃観ている様なのだが、ラストの爆破シーン以外はあまり印象には残っていない。当時流れていた音楽は全てピンク・フロイドと思っていたら、後日「若者の鼓動」「崩れゆく大地」「51号の幻想」の3曲だけで、その他はグレイトフル・デッド、パティ・ペイジ、ヤング・ブラッズらの曲が使用されていたと知った。その後、リーダーのシド・バレット(67年、1期「夜明けの口笛吹き」でデビュー)が脱退して、ベーシストのロジャー・ウォーターズがギターリストにデヴィッド・ギルモアを迎えた2期4枚目の「原子心母(アナログ盤のA面を覆い尽くす23分を超えるおそろしく長い楽曲だった)」から、2期の「神秘(68年)」3期の「モア(69年)」へさかのぼって聴いたのだが、大好きなキング・クリムゾン(69年、ビートルズの実質的ラスト・アルバム「アビー・ロード」から、無名の新人バンド、キング・クリムゾンの1stアルバム「クリムゾン・キングの宮殿」がチャートNo1の座を奪ったのは、あまりにも有名な話だ)ほどにはのめり込めなかった。プログレッシヴ・ロックの歴史的3部作と言われる「原子心母」「おせっかい(71年)」「狂気(73年)」でピンク・フロイドはひとつのピークを迎え、多分これを越える事は出来ないかに思え、「炎~あなたがここにいってほしい(75年)」も、ロジャー・ウォーターズの精神的内面を綴り大問題作と言われた2枚組の「ザ・ウォール(79年、1000万枚を超える大ヒットを記録。ボブ・ゲルドフ主演による同名映画も公開され、話題を呼んだ)」もほとんど聴いていない。「ファイナル・カット(83年)」で、その長い歴史に幕をおろした彼らは、80年代後半にデヴィッド・ギルモアによって再始動し、スタジアム・ツアー、新作発表と精力的に活動しているが、かのロジャー・ウォーターズの姿はそこにはもうなかった。Atom…スリーマイル島(79年)と同等とされた原発の放射能漏れ事故のレベル5が、ついにチェルノブイリ(86年)の7に引き上げられた。この後10年近く冷却されながら、処分を待つ眠りにつく福島原発。そこに働く人たちの姿も漸くきちんと伝えられるようになってきた。言葉は時に人に錯覚を与える。例えば、福島原発で再三出てくる化学防護服は、「ボウゴ」と言う濁点ふたつをもつ強い響きが、まるで放射能から身を守ってくれているかのような印象さえ人に与えた。だがこの防護服は、ただ単に「高い防じん性を誇る(=放射性物質を含む粉じんが直接身に着かないようにする)」と言うもので、放射能を防げるようなものではまったくない「使い捨ての作業服」にしか過ぎない。現に私たちも現場作業で同じものを着用していて、高温の作業環境下では、皮膚呼吸もよくできないデメリットがある反面、異臭が身体につかない(=高い防じん性。青いストライプがジッパーからの侵入も防いでいる)と言うメリットがあるのを知っていたからだ。あまりに大きな事故な為、専門用語や単位の説明に多くの時間を費やす報道の陰で、こういった誤解も生み出すのだと、朝のニュースをズバっと話すキャスターの錯誤を聞いて驚いていた。(H)
Apr 13, 2011

全9章からなり、上映時間実に4時間38分にも及ぶ大作「ヘヴンズ ストーリー」を観にシネウインドへ行って来た。さすが「ドキュメンタリー 頭脳警察」の瀬々敬久監督が構想に5年をかけ、2008年から約1年の撮影期間を費やしただけの事のある出来栄えで、途中10分のトイレタイムを挟んだ12:30~17:30は時間を忘れさせてくれるものだった。内容は、突然家族を殺人事件で奪われた人たちのその後の10年に渡る人生の絡み合いが描かれているもので、主演サト役の?岡萌希(つるおかもえき)ら出演者の演技も、随所に登場する人形の動きも本当に素晴らしいものだった。これは間違いなく傑作だ。上映終了後、恭子役を演じた山崎ハコの舞台挨拶があった。入って来られた彼女は、実に小柄な方だった。彼女が歌手デビューしたのは、アルバム「飛・び・ま・す(75年。吉川忠英、チャー、小原礼、佐藤準、吉田健、村上秀一など名だたるメンバーで作られていた)」。その「・」で区切られたタイトルは、その当時でも異色だったが、調べてみると、中島みゆきのヒットソング「わかれうた」の三か月前に出したサードアルバムも「あ・り・が・と・う(77年)」と「・」で区切られていた。舞台経験はあるものの、映画は今回が初めてとの事。唄は自己主張だが、「映画は、舞台の様な過度の表現の必要はなく《思えば伝わるはず》」との監督の言葉に支えられ、若年性アルツハイマーの役を見事に演じ切った。特にダイエットされた訳ではないそうだが、壁のカレンダーの年を繰るように、病状が進んでやつれていく様は出色の出来だった。(H)
Apr 9, 2011
私が13日知人たちに転送したメール。Subject:できるだけ転送お願いします。「■お願い■関西電力で働いている友達からのお願いなのですが、本日18時以降関東の電気の備蓄が底をつくらしく、中部電力や関西電力からも送電を行うらしいです。一人が少しの節電をするだけで、関東の方の携帯が充電を出来て情報を得たり、病院にいる方が医療機器を使えるようになり救われます!こんなことくらいしか関西に住む僕たちには、祈る以外の行動として出来ないです!このメールをできるだけ多くの方に送信をお願い致します。」政府も計画停電を発表し、内容がそれを呼びかけているものだったので、嘘ではないと確信し、転送したのだが…今見直すと「備蓄が底」など、?マークな表現もある。実は昔「ブリーダーが廃業で多くの犬猫を殺処分にするから、心ある人は…」と呼びかけたガセネタにころっと騙されてメールを転送したのを思い出したのは、この前の中国式整体院がきれいになった辺りから。外国人の国外脱出の際には、ツイッター(Twitter:問いかけに対して答える形で投稿「ツィート:つぶやき」を行い、他のユーザーはそれに140字以内のコメントをつけ追加していく。これを繰り返すことで、コミュニケーションをとっていくもの)で恐ろしく増長されていく様を後日見た。その時の書き込みには、中国人が新潟に押し寄せて永住するとまで書かれていた。以下に、出所のわからないチェーンメールについての注意点を転記してみる。「他の人に知らせてください!という内容のメールを、チェーンメール(連鎖的に広がっていくメール)といいます。 チェーンメールは、・情報の出所がわからない・転送を繰り返していく途中で情報の内容が改変されることがある・その情報を広めることが必要なくなっても、止めることができないため、間違った情報、不確実な情報を拡散してしまうことになる迷惑メールです。また、チェーンメールの転送を行うことで、通信ネットワークに対する負荷が上昇し、本当に必要なメールが届きにくくなるという悪影響も想定されます。チェーンメールと考えられる例は、(財)日本データ通信協会が運営する「迷惑メール相談センター」ホームページで確認することができます。※ 迷惑メール相談センター チェーンメールを受け取った場合や電子掲示板やミニブログ等で書き込みの呼びかけを見た場合は、次の点に注意し、対応してください。出所の分からない情報に注意メールで送られてきた情報等を見た相手(受信者、閲覧者)が、その情報の出所(情報源)が確認できないような情報を広めることはやめてください。たとえば、「○○○○によれば」と書いてあるだけでは、その情報が本当に○○○○が公表したものとは限りません。いつの時点のものか分からない情報に注意いつの時点のものか分からない情報を広めることはやめてください。最初の発信者が発信したときには正しかった情報でも、相手が受け取った時点では状況が変わっていることもあります。」何故今回こんな事を書いたかというと、mayumiさんのご両親やご親戚は未だ女川に残っておられ、先々週の土日現地入りされていたと随分疲れた声に返す言葉もなく、そこへ仕事の関係者から、現地で電線にぶら下がっていた死体の山など、とても放送できない今も続いている話を聞いた所へ、おそらく原発絡みなのだろう、必要な分しか購入していなかった保存食等の一部が、再びスーパーの棚から一挙に無くなってしまった事に失望してしまったから。最後の判断は結局自分自身となるが、一旦ひとり歩きし出した「言葉」は止めようがない。最初に書いた転送メールのなかには、火災現場から放射能漏えいと言う事実無根のチェーンメールも回っていたらしい。余りある情報も心してかからないと、かつての「自己責任」の嵐に頷いた自分と同じになりかねないと危惧し、事実から目をそむけるようで申し訳ないとは思いながら、テレビを点けない時間が増えているこの頃だ。(H)
Apr 4, 2011

どうにも元気がでない。こういう時は車でかけるCDも換えてみようかと一枚のアルバムを取り出してみた。ジョージ紫率いる「紫(76年)」は、「コンディショングリーン(最も警戒を要する警報の事。コザ暴動の時に発令され、71年このバンド名となったと言う。アルバム「LIFE OF CHANGE」を聴いたのか聴かなかったのか覚えていないが、確か蛇の頭を食いちぎるようなパフォーマンスをする、なんか気持ちの悪いグループだったような気がする)と共に70年代の沖縄ロックシーンに登場し、78年に解散した(のちに再結成され、現在も活動している)ハードロックバンド。残念ながら、その頃は沖縄にほとんど興味がなかったので、その音を聴いたのは何十年も経ってからになってしまったのだが…。このアルバムには、日系三世比嘉ジョージ(ジョージ紫)が強く影響を受けたディープパープルの名曲Lazy(2期の3作目「マシンヘッド」に収録されている)等が収められている、まさにパープルそのものの一枚だ。 ディープパープルで私が好んで聴いたのは、2期(イアンギラン、リッチーブラックモア、ロジャーグローバー、ジョンロード、イアンペイスの時代)のようで、1期(ボーカルがロッドエバンス、ベースがニックシルバーだった)や3期(ボーカルがディヴッドカヴァーベル、ベースがグレンフューズ※に変わった。「BORN 紫の炎」はまさにDEEP PURPLEここにあり!だったのだが…。)4期(ギターがトミーボーリンとなり、デープパープルはほとんど聴かなくなっていたが、彼が「富墓林(魔性の目)」のアルバムを残して死んだ時はかなりショックを受けた。76年、ジェフ・ベックのツアーの前座として参加していた時、フロリダ州マイアミのホテルにて死亡、25歳だった。)も聴いてはいるはずなのだが、記憶には薄い。 ※ボイス・オブ・ロックと呼ばれるボーカリストでもある。 その後、RAINBOWを聴いている所をみると75年にディープ・パープルを脱退したリッチー・ブラックモアのギターとボーカルのイアンギランがやはり好きだったのかな、と今は思っている。RAINBOWが76年にリリースした2作目「虹を翔る覇者」のドラマー、コージー・パウエル(第2期JeffBECKグループ)も既にこの世にいない。しかし、ヴォーカルのデイヴィッド・カヴァデールからは「ホワイトスネイク」が生まれ、ジミ・ヘンドリックスやディープ・パープル、クイーン等の影響を強く受けたギターリスト、イングヴェイ・マルムスティーン(日本ではマイケル・シェンカーの「神」に対して「王」と称されている)からは、リッチー・ブラックモアの初期レインボーをもしのぐ早弾きが生み出された。そんなこんなディープパープルつながりを久しぶりに聴いてみようか。でも、あまり飛ばし過ぎないようにしなくては。今日も事故現場に遭遇したばかりだから。(H)
Apr 1, 2011

犬の散歩コースに中国式整体院が在る。そこがもぬけの殻になったのは、1週間ほど前からだったろうか。15日、中国の留学生らの間で「臨時チャーター便が出る」という誤った情報が流れたのに端を発したらしいが、東日本大震災で被災した中国人や仙台市山形市などの留学生らが、福島第1原発の事故から逃れて帰国しようと、続々と新潟空港や中国総領事館に殺到したが、空港からの上海便とハルビン便は、しばらく満席だった為、急きょ中国総領事館の手配で市が動き、東総合スポーツセンターで寝泊まりし、定期便の空席を待つ事となった。また17日までに、総領事館が福島や宮城県などに送ったバス25台で避難して来た中国人3500人が新潟入りし、ハルビンと上海行きの臨時便計8便が約1700人を乗せて離陸した。この帰国便を待って、2000人からの中国人が、市が開設した3カ所(東総合スポーツセンター・産業振興センター・新潟市体育館)の避難所に居たのだが、聞けば、避難所となった東総合スポーツセンターは「避難所の為、臨時休館」と貼り紙にはあったが、実際は中国人貸切となり、その廊下には災害用毛布が山積みにされていたと言う。となると、私が市の体育館で見かけたのもこの人たちだった事になる。もしそうだったなら、命からがら県境を越えて避難してきた日本人は、自腹でホテルとかを訪ね歩いていたのだろうか。それは幾ら何でもと今激しい憤りを覚えている。人としての差別や区別はけっしてされるべきものではない…けれど、いま新潟駅に近い旧万代小学校跡地を中国総領事館に売却する話が持ち上がっている。国内最大(約5000坪!?)の市民税も固定資産税もかからず、警察権も及ばない外国の出現となる。地方の一領事館がこれほどの敷地を本当に要するのだろうか、と言う問いかけがある。1960年の地図帳に明記されていた「尖閣列島は日本領土」も、石油や天然ガス埋蔵の情報が流れた年から中国領土と変った。反日教育の現場も報道でよく目にする。ただニュートラルな目をもってしても、残念ながら、国民性の違いにここの所首を傾げざるを得なくなっている。21日、臨時便を含む2便で約450人が帰国。県内に避難していた中国人の出国は完了した。(H)
Mar 22, 2011
東日本大震災では、女川の住民1万人のうちの約半数の安否が不明な上、津波の到達した最も高い地点としての映像が流れていたので、どうにも切ない気持ちで一杯だったところへ、現地入りされていた妹さんから「両親も親戚も皆無事だった」との連絡が入ったと17日mayumiさんから嬉しいメールが来た。18日お約束していた老人ホームのボランティア演奏…計画停電や震災の事(ゆんたくのメンバーでは、mayumiさんのほかにもうおひと方、会津出身の方の従姉妹が、逆流した川で壊滅した地域に居て未だ連絡がとれないでいると聞いていた)などから、延期しようかどうしようかと迷っていたのだが…11日の震災以来、FM全局は鎮魂の意味でインストだけを流し続けていた。それが「唄」が漸く聴こえてきた時に覚えた感情を今回は優先させてもらって、来れる人だけでもやろうと呼びかけ、16日の夜の練習に向かった。白山公園駐車場へ入る途中から、目の前に何台もの大型の貸切バスがUターンして来た。帰りの新潟市体育館の回りには、吹雪のなか小さな子どのたちの姿も見えた。帰宅してから、それが原発事故などで県外から避難して来られた500人の方々と知った。県内には、これから1万人を超える人たちが、難を逃れて来られる見込みだそうだ。いま私たちにできる事はなんだろう。わずかながらも、ユニセフ同様個人のほか知人たちの仲間に入れてもらって赤十字社東北関東大震災義捐金にも振り込んでもらった。(窓口の扱いであれば、手数料はとられないそうだ)物資支援の回覧版も回ってきたが、こちらは残念ながらご用意できる物がうちにはなかった。あと、私たちには、微力とは言え「唄の持つ力」が宿っているはずだ。これから、それを活かせる小さな場所をさがし始める事にしよう。実はいま一緒に仕事をしている方のお義母さんは、仙台で津波に遭い九死に一生を得たのだが、一緒だった友人たちを失い「生き残りたくなかった」と言い続けているのだそうだ。体育館に逃れ、津波に襲われた保母さん達が8人の園児全員を必死に守る目の前で、助けてと手をのばすお年寄りたちが津波の中に呑みこまれていった事を涙ながらに話される姿には涙が止まらなかった。残された人たちの心に刻まれた傷が、いつか癒える日が来ますように。(H)
Mar 20, 2011
mayumiさんから「私は宮城県女川町の出身で、地震発生以来両親や町内の親せきと全く連絡が取れません。一刻も早く情況を確認しに行きたいのですが、ガソリンを途中で補給する見込みもつかず、渋滞もひどいようで、現地に迷惑をかけることになると思い、我慢しています。現地は物資も燃料も極限状況、もしくは全くないようで、雪が降っている今日の映像を見るたびにいてもたってもいられない気持ちになります。新潟の皆さんにおねがいです。ぜひ、「念のため」の給油はやめ、不要不急の外出を控えてガソリンを大事に使い、少しでも、一刻でも早く被災地に燃料が届くようご協力をお願いします。このままでは折角大災害から救われた命まで、失われてしまう心配があります。どうぞ一人ひとりの心がけで、被災地を助けてください。みなさんのご協力、周りの方への呼びかけをどうぞよろしくお願いします。差し支えのない範囲で転送、ブログ、ツイッターなどで広げていただければありがたいです。」
Mar 16, 2011
知らず知らずのうちに~♪で宇崎竜童のコンサートは幕を開けた。どこか、少しズレた音がどうにも気になる。また、難聴が悪化したのだろうか?。…の心配をよそに「サクセス」「ロックンロール・ウイドゥ」では、いやぁ~乗せてくれる乗せてくれる、さすがだ。宇崎竜童を好きになったのは、実はダウンタウンブギウギバンドでも後半。ツナギやサングラスなど、当時あまりいい印象はもっていなかった。それが80年代中期からの竜童組になってからは、和太鼓の林英哲やヴァイオリンの広瀬裕美子共々大好きになる。そのセカンドアルバムに収録されている「OIRA JAPANESE BAND MAN」や4作目のFROM ASIAからの「沖縄ベイブルース(「かりゆし組曲」のなかの一曲)」、「YO-SORO」では、声を合わせて歌わせてもらえた。大好きな「新宿レイニーナイト」や「身も心も」は聴けなかったが、宇崎竜童が65歳となるこの日を会場で一緒に祝えた事は嬉しかった。「スモーキング・ブギ」でかけたサングラスは、アンコールの「港のヨーコ・ヨコハマ・ヨコスカ」で会場の宙を舞った。「さようならの向こう側」は、やはり百恵ちゃんの方がいいかな(笑・H)。
Feb 23, 2011
昨日は夜勤を休んで、新潟県民会館2階小ホールで開かれた「第1回 新潟琉球芸能祭」へ行って来た。予定時間は3時間近く!。古典は実は些か苦手な私なのだが、この企画の実行委員長は我が三線の師で、OKION(新潟沖縄音楽研究会)を率いる玉木義浩。しかも出演者代表(舞台監督)は、その沖縄の師で、渡沖の際にお世話になった照屋勝武氏とくれば、眠たい目をこすっても…と覚悟を決め(笑)、琉球古典コンクールでご一緒した方々と待ち合わせをして楽屋へご挨拶に伺い、協賛広告で名を連ねた「にいがた三線サークルゆんたく」の皆と早々に席についた。しかしそこに待っていたのは、前述の心配などまったく無用の素晴らしいステージだった。寒さで風邪をひかれ、体調を崩された演奏者も居られたらしいが、そんな事は微塵も感じさせない、まさにプロの演奏と舞踊の連続だった。この時期のまことに新潟らしい天候に迎えられて演奏は、渡りぞう・瀧落菅攪・かぎやで風節前の浜 貫花 瓦屋節 綛掛け 汀間当獅子舞 江佐節 若衆揚口節 四季口節 谷茶前 マミドーマフィナーレは、カチャーシーぜひまたこの地で「本格的な琉球芸能」を堪能させて頂きたいものだ。(H)
Feb 14, 2011
28日におときで同席した義兄が、インフルエンザにかかり39度の熱を出した、とは聞いていたのだが…。30日ケホケホと咳が出て声がかすれてはいたが、熱もいつもの5度4分。よくある事と吸入薬や咳止めを服用して過ごしていたのだが…昨日の仕事の途中から骨やみ(関節痛)が出はじめ、これはおかしいと帰宅して熱を計ってみたら7度5分。なんかヤバそうだぞと早目に休んだのだが、体温計の数字はグングンあがり、夜半には8度7分になってしまった。朝いちの耳鼻科で受けた検査結果は「A型のインフルエンザ」。診察室のカーテンで仕切られた中で、持ってきてもらった薬を2本を吸引(前は毎日5回続けなくては駄目だったそうだ。)し、裏口からそそくさと帰宅した。夜勤を休んでの昼からは6度2分前後で、夜には平熱の5度半ばにおちついた。本当にインフル?と疑ってしまうほどだったのだが…。おかげで今日は畠中恵のしゃばけシリーズ第5弾「うそうそ」を読み終えた。大好きなお酒を飲む気がしないのは、やはり体調がイマいちなのだろう。もう少し大人しくしている事にしよう。(H)
Feb 1, 2011
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