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投票に行って、投票を済ませてから遊びに行こう!投票に行こう!投票に行こう!投票に行こう!投票所に行って投票を済ませよう!一部を除いて朝7時から夜の8時までが投票受付時間だ!投票に行こう、投票しよう!
2009年08月30日
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いよいよ一週間後は総選挙の投票日だ!民主の圧勝をマスコミが伝える。今までのように揺れ戻し、保守バネが働いたら民主の勝ちはない。しかし、民主が一人勝ちしても危ないのだ。共産党、社会民主党の存在が、当選人数が、国政を左右する。政権交代を願いながら、極右を抱える民主の一人勝ちは危ないとも思っている。
2009年08月23日
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相変わらず今年の8月15日閣僚や議員達は、靖国神社参拝を行っていた。 鎮魂社として建立された靖国神社は明治の二つの戦争を経て、国のために戦争で命を落とした人たちを『英霊』として合祀する神社になっていた。 公式参拝、A級戦犯合祀問題、日本国憲法第20条との関係、いろいろ言われているが、靖国神社の性格は、境内にある就遊館の展示物を見なければ分からない。 明治からの戦争、特にアジア太平洋戦争で亡くなった兵士達を合祀し、英霊とすることで、戦争を賛美し、再び国民を戦争のできる国へといざなう性格を有していることで、基本的に靖国神社のようなものはないほうがいいと思った。 中国や韓国、日本人ですらその合祀を取り下げるように神社に働きかけているが、靖国側は、一度合祀して英霊となったものは取り下げることはできないと嘯いている。人間が行ったものなのに、神となったから取り下げられないという詭弁を弄しているのだ。許されることではない。祀られることを遺族が拒否しているのだから、即刻取り下げるべきだ。
2009年08月22日
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日本国憲法第20条は、日本人を靖国神社から解放したものだった。しかし、戦後ずっと国のために命をささげることを厭わない人間達の再生産を目論んできた人たちは、再び靖国神社参拝を繰り返してきている。そして今年も同じメンバーが参加した。 個人で行くなら何度行ってもかまわない。しかし、公人である政治家が行くべきところではない。
2009年08月15日
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戦後64回目の8月を迎えて、日本国憲法第9条があったから日本は新たな戦争に参加せずに済んできたこと、9条が変えられたら大変なことに鳴ると吉永さんは冒頭に語っていました。 今日は、3人の詩人の紹介と朗読がありました。 最初は、ハンセン病で療養所に隔離された塔和子さん、そして原爆詩人といわれた峠三吉さんと原民喜さんの詩の朗読でした。 塔和子さんの希望から涙 グノーのアベマリアの調べに乗って、 グノーのアベマリアを、バックに小百合さんの朗読が続く。 峠三吉さんの としとったお母さん逝(い)ってはいけないとしとったお母さんこのままいってはいけない風にぎいぎいゆれる母子寮のかたすみ四畳半のがらんどうの部屋みかん箱の仏壇のまえたるんだ皮と筋だけの体をよこたえおもすぎるせんべい布団のなかで終日なにか呟(つぶや)いているお母さんうそ寒い日が西の方、己斐(こい)の山からやって来て窓硝子にたまったくれがたの埃をうかしあなたのこめかみのしろい髪毛をかすかに光らせるこの冬近いあかるみのなかあなたはまたかわいい息子と嫁と孫との乾いた面輪(おもわ)をこちらに向かせ話しつづけているのではないだろうか仏壇のいろあせた写真がかすかにひわってほほえんできのう会社のひとがちょうどあなたの息子の席があったあたりから金冠のついた前歯を掘り出したともって来たお嫁さんと坊やとはなんでも土橋のあたりで隣組の人たちとみんな全身やけどしてちかくの天満川(てんまがわ)へ這い降りつぎつぎ水に流されてしまったそうなあの照りつけるまいにちを杖ついたあなたの手をひきさがし歩いた影のないひろしま瓦の山をこえ崩れた橋をつたい西から東、南から北死人を集めていたという噂の四つ角から町はずれの寺や学校ちいさな島の収容所まで半ばやぶれた負傷者名簿をめくり呻きつづけるひとたちのあいだをのぞいてたずね廻りほんに七日めふときいた山奥の村の病院へむけてまた焼跡をよこぎっていたときいままで頑固なほど気丈だったあなたが根もとだけになった電柱がぶすぶすくすぶっているそばで急にしゃがみこんだまま「ああもうええもうたくさんじゃどうしてわしらあこのようなつらいめにあわにゃぁならんのか」おいおい声をあげて泣きだし灰のなかに傘が倒れてちいさな埃がたってばかみたいな青い空になんにもなんにもなくひと筋しろい煙だけがながながとあがっていたが……若いとき亭主に死なれさいほう、洗いはりよなきうどん屋までして育てたひとり息子大学を出て胸の病気の五、六年やっとなおって嫁をもらい孫をつくって半年め八月六日のあの朝にいつものように笑って出かけ嫁は孫をおんぶして疎開作業につれ出されそのまんまかえってこないあなたひとりを家にのこしてかえって来なかった三人ああお母さんとしとったお母さんこのまま逝ってはいけない焼跡をさがし歩いた疲れからかのこった毒気にあてられたのかだるがってやがて寝ついていまはじぶんの呟くことばもはっきり分らぬお母さんかなしみならぬあなたの悲しみうらみともないあなたの恨みはあの戦争でみよりをなくしたみんなの人の思いとつながり二度とこんな目を人の世におこさせぬちからとなるんだその呟きその涙のあとをひからびた肋(あばら)にだけつづりながらこのまま逝ってしまってはいけないいってしまってはいけない原民喜さんの詩2編絶筆 広島城址の近くに友人達が建てた石碑があり、そこに刻まれた詩故原民喜原爆小景から原爆小景原民喜 コレガ人間ナノデスコレガ人間ナノデス原子爆弾ニ依ル変化ヲゴラン下サイ肉体ガ恐ロシク膨脹シ男モ女モスベテ一ツノ型ニカヘルオオ ソノ真黒焦ゲノ滅茶苦茶ノ爛レタ顔ノムクンダ唇カラ洩レテ来ル声ハ「助ケテ下サイ」ト カ細イ 静カナ言葉コレガ コレガ人間ナノデス人間ノ顔ナノデス原民喜 絶筆遠き日の石に刻み砂影おち崩れ墜つ天地のまなか一輪の花の幻 ハンセン病は感染力が強い言われなき差別で隔離され、戦争中もずっと隔離され続けた。峠三吉さんは、病院の手術台の上で亡くなっている。又原民喜さんは、原爆で奪われなかった命を、第9条を手にして喜んだのもつかの間、朝鮮戦争の勃発で自ら命を絶ってしまわれた。 戦争の根絶、核兵器の廃絶、人類共通の認識になり、平和が訪れますように。
2009年08月09日
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今日9日は、64年前に長崎市に原爆が落とされた日です。 東西冷戦が終わっても国境紛争、テロ掃討に名を借りた侵略戦争は今もなくなっていません。そして、死の商人の代理戦争は今もソマリアで続行中です。その犠牲者はいつも女子どもに向けられ、又子ども達を幼い内にさらって兵士に仕立てようとした国家もあるくらいです。今もその後遺症はなくなっていません。シオラレオネです。自分の親を殺した、殺された子ども達がたくさんいます。 この地球上からあらゆる戦争、紛争、差別迫害、貧困がなくなってほしいと思います。 核兵器の廃絶が、全ての人類の願いになることを、そして完全廃棄に向けてのうねりになることを願ってやみません。
2009年08月08日
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