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明くる日から手術が始まりました。手術の内容としては、口唇形成術、口蓋形成術、口唇および鼻のリペアなどがあげられます。この日は朝から雨模様でした。気温はわかりませんが、朝は10度を切っていたと思います。朝食は焼きそばでしたが、どう見ても「UFO」の出来損ないでした。もちろん私はありがたく、残さずいただきました。S原教授は大部分を残しておられました。「ください!!」と言いたかったのですが、私の人間性を疑われても困るので、ぐっとがまんしました。 手術は、難易度にもよるとは思いますが、一症例2時間から3時間かかります。ですから一日にできる症例数は3例がやっとです。今日から土曜日は2例、平日は3例と手術の日々が始まりました。 私は、矯正専門医ですから、実際に患者さんの口を切ったりするわけではありません。ただ手術をするとき、麻酔をかける麻酔医、オペの道具を術者に渡す手洗い、手洗いに清潔な道具を渡す外回り、第一術者、第2術者、第3術者と約6名のスタッフで手術をまわしていきます。私は、主に第3として皆さんのお手伝い?というか足を引っ張っていました。これでも私は、開業する前は2年間、高松の県立病院の口腔外科へ出入りを許されておりまして、顎変形症といって顔が歪んだりしている患者さんの手術のお手伝いを100症例以上しておりましたし、自分で手術した患者さんも30症例近くありましたから、アシストのキモはわかっているつもりでした。しかし、口唇口蓋裂の手術のアシスタントは初めてでしたから、かなり緊張したことと、やっぱり色んな先生に迷惑をおかけしたと思います。今回の手術チームは、日本でも一流どころがそろっています。ですから手術中も、術者の手元に釘付けです。そして各々、自分の意見を言っています。「自分だったらこうする」みたいな感じです。感心したり、注文を付けたりして、この場にいる自分を幸せな事だと感じると同時に、口腔外科医になれば良かったなぁーと思いました。私はこの日第一症例と第二症例のアシストについたのですが、久々の中腰の姿勢が結構きつかったです。4歳と7歳の子供でした。手術台に上がらせると、やはり大きな声で泣いています。二人目の子供はお父さんと来ていたのですが、最初は勇敢だった彼も、服を脱がせるとみるみる涙目になって大きな声で叫びながら泣き出してしまいました。通訳の女の子に「なんて泣いてるの?」と聞くと「お父さん!!』と叫んでいるそうです。外科の先生たちは慣れているのか、非常に普通でしたが、私はかわいそうになり、また日本に残している息子のことを思い出したりして涙ぐんでしまいました。この日も新しい患者さんが何人か来られ、手の空いている先生が診察をしました。もう30人以上の手術の予定が入っています。緊急性のない患者さんはまた来年しましょう、ということになっています。ただ今回来れたのはボランティア貯金に当たったから来れたのであって、来年来れる保証は無いそうです。また胸が痛んで涙ぐんでしまいました。 3人目は岡大のS原教授が執刀医として、手術台に立たれました。今回のニンビン診療隊のメンバーはM野先生と私を除いては、みんなS原教授の弟子の集まりなのでした。またS原教授は今年で退官されるということで、もしかして、もしかしたら教授の手術を見るのは最後かもしれないという思いがあったのかもしれません。みなさん少し複雑な表情で、教授の手術を食い入る様に見ていました。この写真は私が手術に参加している写真です。真ん中が私です。
2008.01.31
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そもそもなんで、ベトナムへ行ったかと申しますと、日本口蓋裂協会というNPO法人がありまして、そこの協会の先生方と口蓋裂の患者さんの治療のためにベトナムへ行ったわけです。口蓋裂という病気は先天的に(生まれたときに)お口、唇や口の中などが癒合不全を起こしており、簡単にいうと口の回りがくっついていない状態で生まれて来る病気です。500人に1人の割合で生まれて来て、この山口県にも沢山の患者さんがおられます。この病気は遺伝的な病気では決してありません。少し、お母さんのおなかの中にいるときにちょっと運が悪かっただけなのです。日本ではこうした病気の治療は進んでおり各県に一つか二つくらいは治療施設があります。口唇口蓋裂の患者さんは生まれて数ヶ月でまず口唇を縫い合わせる手術をします。その後もう少し大きくなってからお口の中の癒合不全の部分を手術で閉じます。このとき上顎に手術の傷が出来ますので上顎の成長が阻害される事が多いです。日本ではこれらの一連の手術と平行して矯正治療が行われます。産婦人科と口腔外科、矯正歯科の連携が密に取れている地域では、口唇口蓋裂のお子さんが生まれたら、口唇の手術をまず行い、授乳、摂食ができるよう、矯正医か口腔外科医がホッツ床という装置を作製します。患者さんはこの装置を装着しておっぱいを飲んだりします。出来るだけ長い間この装置を使って、それからお口の中の手術をしたいのですが、発音の問題などがあり、またそう言った連携が不十分あったりしてなかなか難しいのが現状です。 ベトナムではまず第一に手術が出来る施設がありません。もちろんゼロではないのですが、オペレーターが殆どいないのです。またこう言った手術は一番最初の手術が見た目の問題や機能的な問題として非常に重要です。今回の手術をするメンバーは日本でもトップクラスの先生たちばかりですから、私にとっても非常に良い経験となりました。 初日は、来院された患者さんの診察です。手術が今必要かどうかを診察します。滞在日数は限られていますから、もちろん出来るだけ多くの患者さんを手術したいのは山々ですが、選んでいく必要があります。この写真は待ち合いで待っている患者さんの一部ですが、手術が受けれるかどうか不安そうです。結果は明くる日なのですが、みなさん遠くから着ている事もあり、泊まり込んで待つそうです。
2008.01.28
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ベトナムの朝は早いです。というか、時差が2時間ありますから、日本時間の朝、7時に起きてもベトナムでは5時です。日曜日です。この日の予定はお昼からニンビン病院で手術道具のセットアップです。昨日は真夜中に着いたにもかかわらず、早起きの癖か?日本時間の7時には目が覚めてしまいました。する事も無いので、外は真っ暗ですが、ジョギングへ行きました。大通りしか最初は怖くて走っていなかったのですが、500メートルくらい走ると信号がありましたので左折してみました。途中、現地の男性陣から多数声をかけられましたが、本当に目が怖く、マラソンランナーの様に、軽く手を挙げて走り去りました。本当に情け無いです。ふと気づくと、右側に小さな市場を発見!!早速、進入開始です。市場は女子供ばかりで安心です。(本当に情け無い)子供さんを抱いたお母さんから声をかけられました。勿論止まって写真撮影です。英語はまったく、通じません。1歳か2歳かも通じませんでした。でも写真を見てうれしそうでした。市場には色んなものが売られています。フナか鯉にしか見えません。日本と同じ豆腐と厚揚げが売られていました。不思議な気持ちです。竹の下で小さなレストランです。みなさんフォーを食べておられました。 ホテルに帰ってしばらくしてブランチ、その後明日からの手術に向けて病院へ行きました。お迎えは救急車です。手術の為の準備は麻酔器具のセットアップです。麻酔医の先生は真剣に日本から持って来たモニターなどを準備していきます。麻酔は特に、命に関わりますから、責任重大です。 夜は病院長を交えてウエルカムパーティでした。みんなで記念撮影です。料理は日本人にはあまり向かないものばかりですが、私はぺろりと食べてしまいました。
2008.01.26
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日曜日の明け方日本に帰って来ることができました。行ったところはベトナムのニンビン省と言うところで、首都ハノイから約100キロ、車で2時間くらいの田舎町です。今回の体験は私にとって正直、良い意味でショッキングなものでした。日本の民間人によるボランティアの大変さと大切さを身にしみて経験できました。 初日は、午前中は宇部の病院で患者さんを診療して、ちょうど12時くらいに、山大口腔外科のM野先生に迎えに来ていただき、奥様の運転で新山口駅へ、そのまま新幹線で新大阪へ行き、関空へ向かいました。夕方の4時過ぎに関空へ到着し、ニンビン診療隊の面々とご対面でした。メンバーは阪大の麻酔科の先生2名、愛知学院大学口蓋裂センターのMなみ先生、岡大のMしま先生、Sわら教授、奈良県立医科大の看護士Iおかさん、私、山大のMの先生、Mり先生の総勢9名です。関空へ行ってみて驚いたのが、その荷物の多さでした。段ボール箱が何個も積んであります。もちろんみなさんの手荷物は別にあります。飛行機に乗るときに持ち込める荷物には限りがあります。旅行鞄であれば普通に貨物室へ入れてもらえますが、それ以上だと追加料金が必要となります。私も自分の手荷物として段ボールを一個抱え、機内に持ち込む事となりました。ところで何をそんなに持って行くのか?といいますと、簡単に言えば手術道具です。手術用の手袋、麻酔のモニター、色々な薬剤などです。これが本当に重くて、多いのです。最初、イメージとしては日本政府やベトナム政府が何かの援助があったりして、こちらでございます、みたいなのかとほんのちょっとだけもっていたのですが、決してそうではありません。今回は郵便貯金?忘れてしまいましたが、そういった援助に運良く当たることができたので、ベトナムへ行く事ができたそうです。また色んな製薬会社や医療機器メーカーがお薬や材料を提供されたそうです。本当に、色んな人の援助があって初めて行く事ができる診療隊でした。 飛行機は通路を挟んで6座席の小さな飛行機でした。お客が少ないときの宇部ー羽田間くらいの飛行機です。もちろんエコノミーです。6時くらいに出発、11時半にハノイ着でした。到着したハノイは非常に湿気が高く、段ボール箱は湿っています。現地時間で夜中の1時30分、ナンさんというベトナム本田の社長さんが病院の救急車を連れて迎えに来てくれていました。真夜中のハノイ空港をニンビン省へ向かって出発です。道は舗装されていますが、がたがた道です。ホテルに着いたときはさすがに腰やクビが痛くなっていました。
2008.01.24
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明日から、ベトナムへ10日間行って来るので、山口の病院はお休みさせていただきます。電話は宇部の病院に転送していますので、予約や困った事が起きたときは普通にフリーダイヤルで山口に電話をしていただければ対応させていただきます。 今日の準備はカメラの充電です。プラグを差し込んでじっと待つだけです。夜、家に帰って着替えのパッキングとカメラ等重たいものを背負子?に結びつけようと思っています。飛行機は関空を6時台の出発だったので、午前中は宇部の診療所で仕事をしようと思っています。でもスタッフは来ないと思ってるんだろうなー。 なんだか少し、いやかなり、不安になってきました。本当に私が行ってもいんでしょうか?この不況の嵐の中、病院を10日間も連続で閉めて良いんでしょうか?飛行機は落ちないんでしょうか?テロとかあったらどうしよう?スリとか?強盗とか?ホテルではまったく寝る事が出来ない私は大丈夫なんでしょうか?留守中に何か大問題が起きたらどうしよう? まぁ「馬鹿の考え休むに似たり」母に子供の頃教わった諺ですが、こんなときに使うものではまったく無い事はわかっていますが、あまり深く考えないで、実行するところが私の最大の武器ですから、とりあえず行って来ます。
2008.01.11
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今日は、宇部の診療所はお休みです。通常、山口のオフィスは水木はお休みなのですが、先日書いた様に、週末からベトナムに10日間行って来ますから、臨時?で診療です。準備といっても何をしていいのやらわかりませんから、といあえず、カメラの充電が出来る様にベトナム仕様のコンセントを購入しました。後は日本で十分に充電するだけかな? やっぱり不安だったので昨年、参加した山大のM先生にどんなところか聞いてみました。1気温は春くらいだけど、湿度が80パーセント以上2ホテルのシャワーはお湯が最初だけ出る、エレベーター無し3ハノイの空港から車で3-4時間くらい、空港に着いたら現地に直行4ホテルと病院の往復以外何もしてはいけない(危険防止のため)近くの雑貨屋だけ(ジュースを買うため)行って良い、まさに軟禁状態5ご飯はすべてホテルの中で、夕食時にビールが1本でるらしいとのことでした。観光しに行くわけではないですから、まぁあたりまえですね。でもなんか少し寂しい気分になってしまいました。現地の人とふれあえたら良いな、なんて考えているのですが、どうなんでしょうか?写真を沢山とりたいけど、社会主義国ですから、そうなんでしょうね? やっぱり笑顔を沢山振りまいて、無事に帰国できる事だけを考えたいと思います。
2008.01.09
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新年あけましておめでとうございます。1月4日に嫁(副院長)の実家の島根県から山口県へと帰って参りました。途中、山口市、宇部市のいろんな歯医者さんの前を通ったのですが、みなさんもう仕事を始めておられました。西岐波のO崎先生は休んでるだろう!?と勝手に思い込んでいたのですが、仕事をしておられました。はぁーこんなことでいいのだろうか?と自問自答しましたが、このまましばらく自分自身お休みが無いので、まぁいいかという結論に達してしまいました。と言うのも今週の土曜日から約10日間ベトナムに行く事になっているのです。患者さんにそれを伝えると「ご旅行ですか?」なんて聞かれますが、NPO法人の日本口蓋裂協会という組織で、毎年、ベトナムへ口蓋裂の治療へ行っているボランティア団体があります。口蓋裂という病気は、アジア諸国では比較的多い病気です。日本にもたくさんこの病気で悩んでおられる方は多いのですが、我が国では治療方法、体系がすすんでおり、とても綺麗に治ります。当院でも口蓋裂に起因する不性咬合の患者さんは多く来院されています。ただベトナムはそういった診療体系が十分に確立されてないため、日本から医療チームが行っているのです。と偉そうに書きましたが、私は今回が初めての参加なのです。今までは口腔外科の先生が中心になって行って来たものなので、矯正医は行った事がないそうです。私ごときが行って何が出来るわけでもないのですが、笑顔くらいは振りまいて来たいと思っています。でも準備が進んでないんだよなー。
2008.01.07
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