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凪2401

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2011年04月29日
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カテゴリ: 雑感。
前回の更新の続きです。ヨブ記から考えること。

神と悪魔の試みに、命を除いて、家族も、財産も、健康も、
理由無く奪われてしまった信心深いヨブの嘆きについて。

吉本隆明さんは、この「神」を「自然」に置き換えて考えてみたらと提案しています。
特段信仰を持たない私にとって、この考え方は聖書を読む上で非常に腑に落ちました。

与えるのも神なら奪うのも神。与えるのも自然なら、奪うのも自然。
生まれることも、生きていくことも、死ぬことも、自然のことです。

理不尽に何もかも奪われたヨブは、
突然の自然災害に様々な大切なものや、暮らしそのものを奪われる人の姿に重なります。


ヨブの友人たちはヨブの惨状を見て、それは何らかの不正義があったからだと言うんですね。
でも、ヨブは自分は神の教えに背くことは行わなかったと、がんとして譲らない。
神は、正しいことにも間違ったことも、等しく扱っている、と。

日本でも海外でも「天罰」という言葉が聴かれもしましたが、
そんなことはありえない、と心から思います。

どんなに正しい人も、たくさんの間違いをおかす人も、
そんな区別なんかせずに、とりあえずその場にあるものを奪っていくのが災害です。

特に東北は、身の丈の暮らしをしている人が多い地域ではないか、と思っています。
東北、そしてその沿岸部が、その他の場所に比べて豊かだったわけではありません。

むしろ、日々の糧を静かな生活の中で、必要な分量を得ながらの生活です。
時においしいものを食べたり、旅行にいったりすることもありますが、


自然に奪われることにも壊されることにも、理由なんてないんですね。
ただ私たちは、そこにいただけです。

人は地球の上に住んでいて、地球は動いていて、
その皮膚の動きの上にたまたま生きていた、それだけです。

だからこそ、感情の置き所がわからないのです。だって誰も悪くないんです。

私たちはそこにどう向き合えばいいのでしょう。

吉本隆明さんは、キルケゴールの考えを紹介しています。
その圧倒的な喪失に対応するための、絶望学といいますか、希望学といいますか、
そんな学問を、作ることも必要なのじゃないかと。

学問的な枠組みがどんな助けになるかはわかりませんが、ヒントにはなるかもしれません。
見通しが立たないことは、とても苦しいですから。

最後に神とヨブは和解しますが、その和解の仕方は神が自分の偉大さを誇示し、
ヨブが「私が間違ってました、あなたは偉大です」とひれ伏すという、
なんとも微妙な結果に終わってしまうんですね。
もっともっと、反抗すればよかったのに、と思います。それでもあなたは理不尽だ、と。

吉本隆明さんは、こんな終わりではなくて、
それぞれにヨブ記のラストを考えたらいいのではないか、と提案します。
あなたならこの状況をどう受け入れる? という問いかけです。

私にはこの問いかけに答えることは、まだまだできそうもありません。
悲しみはもう十分、苦しみももう十分。
ヨブのように吐き出すことができたらいいけれど、
吐き出すことさえできず胸にためる人もいます。

それでも生きている、ということをまず1番におきたい、とは思っています。
そして願わくば、生きているということを、良かったと思える今日が来ますように。
生きていてくれてありがとう。私はただただ祈ります。






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最終更新日  2011年04月29日 10時09分22秒
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