離人症の器

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凪2401

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2011年06月12日
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カテゴリ: 雑感。
今月が終わると、私が離人症になってから、丸々8年が経つことになります。
二年前は病気が悪化して大変な一年でしたが、この一年は震災がありました。
それでもこの8年を、なんとか乗り切ってこれたことで、
物事の考え方も、感じ方も、本当に変化したなと感じています。

それで、8年記念、というわけではないですが、
最近何年も前から考えていたことに1つの結論を得たので、それについてつらつらと。

タイトルにその1とあるように、ちょっと長くなりそうなので、
何回かにわけて書きます。たぶん、3、4回分ぐらいで終わるでしょうか。
前回、どうでもいいことを含めて長くなりすぎたので……



突き詰めるというよりは、わりと散らかしてほったらかす考え方です。

すぐには結論が出ないことを考えているということもありますし、
わからなければわからないまま寝かせておいて、折に触れて考えるというところでしょうか。
それで、思いついてはいくつも頭のどこかしらにほうっておくわけです。
いつか答えが出るかも、という希望的観測のもと、気長に考えているんですね。

その中の1つに、「こどく」というものがあります。
人が向き合わざるをえないものの、1つですね。

いつからか今というのが、寄る辺のない、そんな孤独な時代だなと思うようになりました。
それは私の中で、世界に対する「信」と「不信」というものを考えるきっかけになり、
この圧倒的なまでの「不信」の時代、寄る辺のない孤独の時代が、
この後一体どこへつながっていくのだろうか、と考えるようになります。


離人症であるということは、この世界から切り離され、疎遠になることでもあります。
そんな状態で8年間を、ふらふらしながらも何とか過ごしてきた人間が出した、
孤独な世界での「信」と「不信」の考えを書いていきたいと思います。

とはいっても、そんなにたいしたことではありませんし、長いです。
前置きの時点で、もうすでに長いような気もしています。


まずは、自分が世界への「信」と「不信」ということを考えるきっかけになった、
「こどく」について書くことになると思います。
何でこんなにも人は「こどく」なのだろう、というところから一連の考えは始まりました。

それは、人間の発達を考えれば、いたしかたないわけで……
というようなところから、次回は始まります。
引っ張るほど面白いわけではなく(そもそも、もとが面白い場所ではないですし)、
ただただ長いだけですので、次回もお暇なときにどうぞです。






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最終更新日  2011年06月12日 19時17分19秒
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