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昨日は日向子の学校の運動会だった。運動会と言っても、隣接する通常の小学校の運動会に、少し参加するだけのものだ。去年は、(娘も小学生になったか)との感慨もあったし、初めての経験でもあったので、まあ、それなりに楽しめた。今年はというと、種目が去年と全く一緒で、しかも、特別支援学校の全校生徒、小学1年生から高校3年生までが、全員同じ競技に一緒に出るということを知ったときには、少なからずショックだった。同じクラスの仲の良いお母さんが、「12年間同じ事やらされるのかしら」と、ため息混じりに言っていたけど、まさにそんな気持ち。競技を一緒に進めてくれるのは、小学3年生の健常の生徒。大切に扱ってくれているのは分かるけど、個人を知るほどの交流がある訳では無いから、明らかに“扱っている”という接し方。実際、特別支援学校の生徒で、自分の周りの人間の感情や、自分のおかれている状況を、はっきり理解できる生徒が少ないのは事実。だけど、運動能力は赤ん坊にも劣るけど、健常の子と何ら変らない理解力と、繊細な感情を持つ子がいると言うことも事実なんだ。日向子に運動会の感想を聞くと、「私、活躍したんだ!」と胸を張ったけど、競技中の表情は、ずっとアンニュイに見えた。普段学校は、本当に色々考えて頑張ってくれているだけに、『学校教育法』に則った組織である、『特別支援学校』の限界をこの頃強く感じている。“平等”って言うけど、それって何に対しての平等なんだよって。
2012/05/27
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今はスズメバチの女王が独立して巣を作る場所を探す時期と言うことで、たまに軒端から天井裏に入り込み、出口を誤って家の中に入ってくる奴がいる。(天井裏は一部のスズメバチの巣作り適地)外で会った場合はこちらが距離を保ってやれば良いけど、家の中ではそうも行かないのでこいつの出番になる。以前はゴミ箱と板使って捕獲して逃がしたりしていたけど、天井裏への入口を見つけた蜂を外に逃がして、そこに巣を作られる様な事になったら堪らないので、今はかわいそうだけど殺処分にしている。(逃がした蜂かは知らないが、一昨年は天井裏にキイロスズメバチに巣を作られてずいぶん往生した)スズメバチは自然界では無敵だけど、薬品には弱いらしく効き目は間違いない。一昨年の秋口に、戸袋から雨戸を引っ張り出したら、折悪しく、巣の移動中と思われるクロスズメバチの集団が中で休憩しており、雨戸の室内側にもびっしり付いていた。その時は窓も閉めず、一目散に部屋から出てドアを閉めた。そのまま、ホームセンターに行って買ってきたのがこれ。無風なら10m離れても蜂を殺せるらしい。ネコもいるので、できるだけ薬は使いたくなかったけど、おそらく雨戸を離れ、窓が開いたままの部屋に入り込んだであろうクロスズメバチの群れと、ゴミ箱と板で対峙する気にもなれず、飛び道具として殺虫剤を使うことにした。クロスズメバチ達にむかってジェット噴射しているときは、殺虫剤の圧倒的な力に、丘の上の巨神兵になった様な切ない気分だった。でも、後で骸を数えたら27匹も居たのでやはり賢明な策だったと思う。で、今日1匹仕事場に潜り込んできたのでこいつの出番。かわいそうだけど相変わらず良く効いた。
2012/05/11
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本日、日向子は日帰り入院で一日がかりの歯の治療。何でそんなに掛かるのかというと、全身麻酔をかけるから。彼女の障害だと部分麻酔が効きにくいケースが多いらしく、もし治療中に痛みから身体が緊張してしまうと、手の打ちようが無く、治療を途中で打ち切る羽目になりかねないという事で、安全を考慮しての処置らしい。全身麻酔だから大ごとで、すでに土曜日に半日検査。昨日も日帰り入院で、いろいろとレクチャー&雰囲気慣らし。今日が手術で、経過によっては明日も日帰り入院。と、手続き上は3日間の入院になる。(外泊扱い)先生も、「折角の機会だから徹底的に治療しちゃいますねー」と妙なテンション。健常の子供なら「歯が痛いよー」と言えば、本人の意思とは関係なくその日のうちに歯医者に連れて行かれて、部分麻酔などかけて治療してもらえるのかと思う。日向子が歯が痛いと言い出したのが2月のはじめで、身体障害児の治療になれている歯科の診察を受けるのに何日か待って、そこで診断されて、はじめに言われた手術日が3/30。対応出来る病院が少なく、予約で一杯と言うことらしい。冗談じゃ無い!すでに痛い歯を放置して、二ヶ月近く我慢させるなんて人道的見地から見てもおかしいんじゃねぇの?!そんなことしたら性格が変っちまうよ。痛み止めも効きにくいんですよね―とかお気楽に言ってんじゃねぇよ!ふざけんな!と、内心思ったけど、「痛がってるから何とかして」と歯科にはお願いして、人づてに別ルート探したり、部分麻酔での施術が可能かセカンドオピニオンを付けようか、などとじたばたしてるうちに、はじめの歯科でもいろいろ調整してくれて、本日の手術にこぎ着けたというわけ。(僕は話聞いてあーだこーだ言っただけで、病院に連れて行ったのも色々折衝したのもすべて嫁。感謝)所謂普通の、子供の虫歯でこの騒ぎである。うちは、不便な生活を送っている部分もあるかもしれないが、もう、慣れてしまっていて、普段はあまり特別な事とは感じていなかったけど、今回の虫歯や年末の体調不良などのように何かあると、日向子の障害のやっかいさを改めて認識せざるを得ない。いや、障害のやっかいさと言うよりも、社会のインフラの未整備と言うべきかな。対象者の絶対数が少ないし、症状で対応の仕様も違うから、仕方ない部分もあるのは分かるけどね。僕自身、街中のバリアフリー化の設計もするけど、以前は(法令で決まっているからそうする)という以上深く考えたこと無かったし。「これで痛みともおさらばで、何でも美味しく食べられるようになるんだから、よかったじゃんか。」と日向子に言ったら、にこにこしてたから、本人も前向きにとらえていてくれるようだけど、あまり口には出さないけど、微妙に我が儘に振る舞ったり、甘えたりしている所を見ると、不安はあるのだろう。まあ、まだ7歳だし。日向子の歯磨きは、基本、僕の担当だ。(頭掴んで動かないようにして磨くから、結構握力が要る)思い返せば、結構テキトーな時も有ったかも知れない・・・いや有った。反省。これを機に心入替えて、もう少し一生懸命磨かせていただきます。
2012/02/23
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昨晩は、クライアントから地獄絵図の制作を熱心に依頼されてるけど、(怖いからイヤだ!)と言う本音を隠しつつどうやって断るか、苦慮している画家になった夢を見た。でも、クライアントがサンプルとして広げた絵が綺麗で、妙にハッキリ覚えていて、(細密な日本画で、絵の輪郭に金を使ってあって、細かいドーナツのような模様が地に施されて・・)腕さえあれば再現できそうなくらい。(そういえば、ドーナッツ模様?はクリムトも使ってたな)とかフッと浮かんだら、すうっと夢の中の絵は薄れてしまった。たとえ精密に覚えていたとしても腕がないので仕方ないが、人間の潜在的な発想力ってすごいな。夢でくっきり見たって事は、あの絵の構図を考えるポテンシャルが、僕にも眠っている事なのかなぁ。(絵描きじゃないけど)でも、再現してみたら平凡なモノだったりするのかな。
2012/02/10
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鏡は何色か?さっき風呂で日向子と話したのだが、彼女は「色がないから透明!」と言い、私は「向こうが透けないから透明じゃない」と答えた。否定するだけで対案を出さないのは、野党の議員のようで教育上よろしくないかと、(さすがパパ!明日はホームランだ!)と思わず言いたくなるような名答を探してみたが、思考が泥沼にはまっていくばかり。自分の色を持たなければ透明?そう言われると、えっ?と一瞬思うけど、何かが違う。やはり“透明”と言うのであれば、私としては、男子が皆一度は憧れる“透明人間”の、あの透明であって欲しい・・・。鏡には、なんと無く銀色のイメージを持っていたけど、実際考え直すとそんな事はない。映ったモノによって色は違うし、映すのを止めることもない。色々悶々と考えているウチに面倒臭くなって、「まあ、あなた色に染めて(はあと)ってヤツだな」と適当にお茶を濁して、嫁を呼んで日向子を風呂から上がらせてしまった。鏡の色かぁ・・・透明ってのは予想外だったなぁ。
2012/02/09
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今日は急ぎの仕事も無かったので、床屋行きがてら、気になっていた整体に行ってみた。後頭部が重かったり、腰がぴりぴりしたり、左足がしびれたりするのは、もしかしてカラダが歪んでいるからかもしれない。そう考えはじめると、いつも眠いのも、いつもダルイのも、腹の周りに贅肉が付いてきたのも、予定してた仕事がなかなか入ってこないのも、全部歪みのせいで、それさえ直せば人生の不調は全て解決するよう気がしてきた。(何だ、簡単じゃん!)整体というからには、くんずほぐれつ、先生とアクロバティックな体勢で絡み合って、関節という間接をブイブイ・・もとい、バキバキ言わすのかと思ったら(それなら絶対女の先生がいい)、そうではなく、相当長い時間をかけて、指圧でカラダをほぐしてくれた。その間、しきりに角刈りの先生に『カラダ硬いっすね!』『靭帯も硬いっすよ!』『筋肉もコチコチすね!』と連呼されて、体調不良の原因はおのずと知れてきたた気がした。どうやら、カラダ硬すぎて、骨戻すためのポーズすら上手くとれず、関節を戻すまでなかなか行けないらしい。何とか背骨は左右でバキバキ鳴らせたけど(鳴らすのが目的ではないが)、首は上の方の関節が硬くてあまり回せなかったようだ。(それでも丁寧に指圧でほぐしてくれたから、頭はだいぶ軽くなった)『次はつらくなる前にいらっしゃい』とやさしく言ってくれたけど、それ以前にストレッチをやる必要を痛烈に感じたし、先生にも盛んに薦められた。(嫁が行ってるカイロでは、初めは毎週来いと言っていたから、それと比べるとずいぶん商売っ気の無いこと)そういえば、子供のころから『アイアン』と呼ばれていた私。メンテしてないから、筋肉だけじゃなく、関節も錆びちまったみたいだ。ここは一念発起して『Mr.オクトパス』と呼ばれるくらい、ストレッチがんばってみるか!(タコ男?)あるいはヨガ? 流行の『コアリズム』も良いかも!目指すは、ラテンの熱い腰とヒクソン・グレーシーの腹踊り!・・・?(タコ踊りなら今でも得意さ!)※豆知識 あと、パソコン仕事の際は前のめりでモニターを見ない事、との事。意識して椅子にもたれ気味で、顎を引いておかないと、パソコン作業者は、首の間接が縮んで回転が悪くなるそうだ。デスクワークの皆さん、注意されたし。
2008/07/31
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土用の丑の日にうなぎを食べた。(これ偽装でもわかんないよな。おじさんの顔貼ってあるけど。このおじさん知らないし。)そう思いつつも、『私が育てました』とにっこり笑っているおじさん顔写真のついた、三河産だと主張している、大1尾1280円也を買って帰って、Gさんと二人で分けて食べた。(偽装だ何だ騒ぎになる前は平気で中国うなぎを食っていたのだが)最近、よく『わたしが作りました』とか『わたしが育てました』とかって、写真の付いた食料品を見かけるけど、こんなのあんまり意味ねーじゃんって思っていた。どうせ知らない人だし、顔でどんな人かなんて正確には分からない。でも、今回私は『わたしが育てました』の三河産うなぎを選んだのだから、やっぱり消費者心理には訴えるものがあるのかもしれない。(まあ、本気で調べれば色々分かるのだろうしね)などと考えながら、酒を振りかけて電子レンジで暖めて食ったら、やわらかくて美味かった。(やっぱり俺うなぎ好きだなー)などと悦に入りながらがつがつ食ったが、後でひどく胸が焼けた。これは偽装のせいかもしれない!?と、一瞬勘ぐったが、普通に考えれば、歳のせいか、夏ばてといった所だろう。同じうなぎの、さらに脂ののってる腹側を食った80歳のGさんに、もたれなかったか聞いてみたい気もしたが、どうせ最近は思いやりがどうだの、小泉は汚いだの、訳のわかんない話になるのがオチだから止めといた。
2008/07/30
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昨日は嫁と日向子をリハビリ合宿のセンターに送って行った。今週が8週目なので、二ヶ月にわたる日向子の集中リハビリも、今週で終わりである。これで、片道1時間半かけて送ってくるのも最後か、長かったような短かったような・・・と、遠い目で回想しながら、じゃあまたねと帰ろうとすると、日向子がぐずった。「イヤ、イヤ、イヤ」嫁 「パパ、行っちゃイヤなの?」日向子 「ハイ。パパ、ママ、一緒に、ゴロン」日向子は特殊な椅子でないと自力ではすわり姿勢が保てないので、たいていは床でゴロン(寝転がる)している。だから、我々にもゴロンして欲しいという。たいていはこの後で「エ・ホ・ン、ヨモー」と続いて、いったん絵本を読んでやりだすと、終わりにするのに一苦労する。(この世の終わりのように泣く)私 「パパ、帰って仕事しないと」日向子 「パパー、パパー、パパー」私 「何?」日向子 「パパー、パパー、パパー・・・ ハアト」オヨヨ、いつの間にこんな手管を身につけたんだ?わが耳を疑ったね。嫁も「ハートって・・・」と絶句して、その後ウケけてた。散々、頬擦りして、センターを後にしたが、当然、にやけが止まらない。一人帰りの車の中、真似して「ハ・ア・ト」ってつぶやいてみたりしてるわけだ。(どう聞いても小梅太夫だけどね)子供って、本当にどこで何覚えてくるかわからないなー。結構、使い方も当を得ているし。おちおち、与太話もできんな。って言っても、実際、どんなつもりで言ったのか良くわからないのだが。まあ、それにしても、おやじなんてチョロイ生き物だな。
2008/07/28
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連日暑い日が続いている。私が、小学生だった30年程前には、気温が30度を超えることはあっても35度などなかったし、大体28、9度くらいだったような気がする。それに、昼間暑くても、夕方には夕立が降り、夜には雨上がりの涼しい風も吹いたような気がする。最近の夏は夕立も少ないのでは?これが、温暖化ということだろうか?(なんか納得)日中クーラーつけて仕事をしているので、夕方になっても窓を開けることも少ない。夜もついクーラーかけて締め切って寝てるので、蝉が鳴き始めたかも定かでない。先日も、中古車屋のおっちゃんに「車、夏になったら考えようかな」と言ったら、「もう夏だよ!」と言われ、ハッとしたことがあったが、数字として気温が高いのと、感覚として夏を感じるのとでは違うようだ。この前の日曜の午前中にテニスをしたが、狭い水槽の金魚のようにパクパクしたくなる感じで、それこそ、命の危険は感じても、『夏!』という高揚感はなかった。感性が鈍くなったかな?少し、窓を開けて風にあたってみようかな?海岸線を車で走っても、クーラーかけた車内から見える景色は別の世界のようで、浜辺の喧騒も、匂いも感じないもんな。やっぱり、窓開けて、白いビキニのお姉さんと同じ空気を吸ってみないとダメだな!(なぜ“白ビキニ”限定?!)コパトーンの匂いを想像したら、なんかテンションあがって来たぞ!ちょうど、嫁と娘は、娘のリハビリ集中トレーニングの合宿で、二ヶ月ほど留守にしているので(あと2週間だけど)、一人で浜に出かけて、ちょっとハッスルしちゃおうかな!あっ、その前に、お目付け役が居ない間の怠惰な生活で、たるみきったこの腹を何とかしないと・・・。それに、妙になまっ白いぞ・・・。よしっ、ダイエットだ!日焼けだ!夏はこれからだ!!とはいったものの、今さら浜辺でハッスルは見苦しいかな・・・(かな・・じゃねーだろって!)引き締まるころには、木枯らし吹いてるだろうし・・・来年かな。
2008/07/22
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何かの拍子で、廊下に置いてある本棚の上から、俺の腕に抱かれて満面の笑みを浮かべる日向子(当時生後半年)の写真が落ちてきた。あれ?確かこの写真、当時(こんなかわいい子はいない!良く親バカというが、この日向子に限って言えば、断じて親バカなどでは無い。どこをどう見てもかわいい。見よ!このはかなげな流し目。将来多くの男たちを、絶望の淵に叩き落すことになるに違いない。このフェイスラインは誰かに似てるなぁ?ああ上戸彩だ!)と真剣に思った写真じゃなかったっけ?それがどうだ、埃を被ったその写真に写っているのは、どう見ても、おちゃめな花田勝だ。(『チャンコ・ダイニング・勝』宜しくっ!ってか。)うーん。なんでこれが上戸彩なんだ?(別に上戸彩のファンじゃないけど)もしかして、これが親バカというものだろうか。俺だけはそんなものにはならんと思っていたのだが。よく、恋は盲目とか、あばたもエクボとか言うが、そんな生易しいもんじゃないな。これは・・・。俺の沈着冷静な観察眼でさえ狂わされたのか?(しかも相当派手に)そういえば、もっと小さい頃(生後2~3ヶ月)も(なんてかわいいんだぁー!うちの子は-っ)と、狂ったように写真を撮りまくっていたが、しばらくたって見ると、桜金蔵にしか見えなかったような。ああ・・・。で、今の日向子はどうかというと・・・誰に似てるかなー?強いてあげるなら、蒼井優かなー。えへへっ。えっ、どの辺がって?・・・・・おでこのはえぎわの辺り、が・・・。
2007/12/07
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このごろすっかり『ユンケル黄帝ロイヤル』のお得意さんだ。業務の請負金額と天秤にかけて、飲むべし!との判断をしたわけだが、儲けが、外注費とユンケルに消えていっているような気がしないでもない。『ユンケル』の購入代金って経費にして良いものだろうか?どう考えても、業務を遂行するためだけに飲んでいる。『黄帝ロイヤル』は前にも書いたが上から二番目の製品だから、結構、購入費用も馬鹿にならない。(結局、最上位(ファンティ)飲んだのは前のブログの一回限り)税務署に「ユンケルって何?」って聞かれるかな?見栄はって「えへへっ、野暮ですぜ旦那!」って答えたら追徴課税されたりして。(そんな理由で飲んでみたいもんだ)今度、税理士さんに聞いてみるか?そういえば、ユンケルのパックに、『その場でプレゼント』という、シールが貼ってあったのを家で見つけて剥がしたら、『サトちゃんコインバンク』と書いてあった。これって、オレンジ色のゾウのサトちゃんの貯金箱くれるってことかな?サトちゃんといえば昔、どこの薬局の前にもいて、10円入れると僕らを乗せてうぃーんうぃーんって動いてくれた彼である。ガールフレンドはピンク色のサトコチャン。わたしが中学のとき好きだった娘と同じ名だ。欲しいな。サトちゃん貯金箱。これからもってっても替えてくれないかな。(その場でって書いてあるもんな)
2007/09/27
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「ユンケルの箱は、コンビにで売っている奴以外、皆“金”だよー」との声が聞こえてきそうだが、そんな瑣末な事はどうでもいい。金といえば、金メダル。金メダルといえば一等賞!そして、いま私の目の前に有るのは、『ユンケル・ファンティ』!!そう、知る人ぞ知るユンケルの最上級品!!!先日、ヘロヘロになって近所のドラッグストア(クリエイト)に駆け込んだ。(今日は頑張るから、一番いいユンケルを買ってやるぞー)と心に誓って。しかし、いざブツを目の前にすると、(俺には分不相応なのじゃなかろうか?)(高い割りに効かなかったらやだなぁ)といつもの貧乏性が首をもたげ始める。しばし苦悩した挙句、一つ下の『ユンケル・ロイヤル黄帝』をにぎりしめてレジへ。飲んでみてビックリ。(おっ、なんかムクムクくるぞ!)(これは、高いだけの事はある)(最上級品はもっとすごいのか!?えっ!!)という訳で、前回の反省と向上心?から、“今日こそは”とついに手にいれた『ユンケルファンティ』!!嗚呼俺様もついにこんなものを飲める身分になったんかー(感無量)すぐに飲むのもなんかもったいないから、ネットで調べると 【こんな方におすすめ】 ・すぐに勝負したい方・さあ頑張るゾ!という時・スポーツなどの前に・どんなに忙しくてもパワフルでありたい方・疲れがたまってとれない方 と、最後以外およそ医薬品らしからぬことが書いてあるが、なんかすごそうだ。(『すぐに勝負』って?)すでにいつでも飲めるよう、箱から出して目の前にスタンバイOK!むろん、ストローもオープン・ザ・ビニール。カモンベイベー状態さ!あとはスクリューのキャップを回して一気に飲むべし!・・・・・・・・さて、何時飲むのが一番いいのかな?出来れば効率のもっとも良いタイミングで飲みたいし。この前はどのくらい効いてたっけ?なんか、ウルトラマンのカラータイマー程度だったような気もするなー。でも、今日のは最高級品だから、もっとすごいぞっ。きっと。で、結局何時飲むのだっ!もうちょっと仕事して、疲れたらにしようかな・・・話は変わるが、以前、パラダイス山元氏が「餃子のたねにゼナの一番いい奴入れるとすごくおいしくなる」と言っていたのを聞いたことがある。でも、ゼナの発売もとの大正製薬にあんまりそれを言わないでくれ、と言われたらしい。餃子に入れられてでも、売れればいいと思うのだが。餃子好きの私としては、ちょっと、いや、かなり気になる。どのくらいのタネにどのくらい入れるのか?(用法・用量は?)一番高い奴じゃないといかんのか?ユンケルじゃダメなのか?誰か、試したら教えて欲しい。(自分でやれって?やっぱし)さらに話は変わるが、「安部総理、辞意表明」と聞いて、爆笑問題著『日本原論』の中の「今日、細川首相が自慰表明・・・」の一節を思い出して、人知れずほくそえんだ人。何人かいたと思う・・・
2007/09/14
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3日後かと思った筋肉痛今朝はやっぱりなかったけど夜にかけてだんだん出てきた。良かった。良かった。まだ私の筋肉にも傷んだら回復しようという気は残っているようだ。そして、ビリーだが今日もちゃんと会いに行きました。(テレビの前に)やっぱり、昔の部活を思い出す。あの頃は、将来への夢や、甘酸っぱい想い(死語?)を胸に日々のしごきに耐えたもんだが。今はなにを目標にしたら良いものやら・・・。何キロ痩せたとか、体脂肪が減ったとか、数字が変わっただけじゃつまらんなぁ。メタボリック対策などと言っちゃった日にゃ、色気も何も有ったもんじゃないし。やっぱり、昔と比べると、純粋に打ち込むには、人生、色々知りすぎちまったかな。ふっ・・・(少なくとも、腹回りは立派になっているな)キャー、おじさんステキー!シビレるぅー! (オジサン?!)とか、抱いてー とか、言われてみてーなー(妄想だけならタダだろーっ)やっぱり誰かに割れた腹筋見せびらかさなくちゃ、つまらんかなぁ。(まだ言ってる。本人、腹筋割れるまで続くとは思ってないくせに)いつものことです。倉庫にはアブなんとかとか、金魚運動マシーンとか眠ってます。ロデオボーイIIがないだけ進歩です。
2007/07/26
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やっぱり入隊してしまった。ビリーズブートキャンプ。初めて日経CNBCのTVショッピング見たとき(こうゆうのきっと好きだよなぁ。俺)と思ったけど、高いから手を出さないでいるうちに、ご存知の大ブレイク。つい、乗り損なってしまっていた。先日アマゾンをなんとなく見ていたら、英語版(通販のものの初めの2枚分のみ)が4000円ちょっとで有った。これなら続かなくても、そんなに後悔しないかな?と、結局購入。(ビリーバンドは付いてない)本日、到着。皆が寝静まるのを待って、レッツトライ!何とか、テンポだけはついていったが、驚くほどからだが硬いことを改めて思い知らされた。初めて40分過ぎの腹筋のエクササイズでついにどうにも足が上がらなくなる。(おお、昔の部活を思い出すぜ)思わず「先輩!足上がりません」とつぶやく私に「Don't give up!」テレビの中からビリーがタイミングよく声を掛ける。(もうだめだー)と思いつつも何とか(少しズルしながら)付いていくと、最後に「OK!Good job!」と褒めてくれた。なんだかうれしい。(中坊に戻った気分)この辺の妙な高揚感が、人気の秘密なんだろうな。納得。一月も続けたら、腹割れそうです。きっと誰かに見せたくなります。「おじさんの腹六つに割れてるんだぜぇ。へへっ、見てみたいだろぅ?」これじゃ、ただのエロじじいだ。間違っても酔っ払って、よそ様に無理矢理見せみらかすような事のないようにせねば。って、まだ、一回しかやってないのに、はや妄想に耽る耽る。ようしっ、明日もレッツトライ!(何だっけ?このフレーズ)本当に明日もやるのでしょうか?(やらねばね)3日後は筋肉痛か?(えっ、3日後?)
2007/07/25
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さっき、白黒二匹のマルチーズが庭に迷い込んできた。おどおどするでもなく、自分の庭にいるように、あんまり堂々と遊んでいるので、窓を開けて「おーい、うんこしちゃだめだぞぉ」と声を掛けた。(あんたの存在、初めて気付いたわ)と言わんばかりに、ハッと振り返った二匹は、まるで自分のテリトリーを犯した侵入者に対するように、こっちに吼えかかってきた。ちょっとムカッときたので、「おーおー、吼えるんか。ここは俺の家ぞ!とっ捕まえてまとめて売っぱらったろうか!こらぁ。」とちょっと凄んで見せると、二匹は吼えながらも、後ずさりして出て行った。(ばか犬どもめが!)とぶつぶつ言いながら窓を閉め、こっちが中に引っ込んだとたん、また戻ってきて、窓の前で吼えだした。突進して行って、窓を開けたのは言うまでもない。が、やつら清々したのか、今度はこっちが文句をつける間もないほどに、素早く踵を返し、とっとと出て行ってしまった。(我が家の周りは柵がない)仲良く並んでじゃれあいながら小走りに去ってゆく、白黒二匹の後姿を苦々しく見送っていると、嫁がやってきて「“売っぱらっちまうぞ”より“食っちまうぞ”の方が、言われたら怖いよね。」と言って行った。そうゆう問題だろうか。『モ』日記10/7(土)の『モ』はフィンガーファイブの『恋のダイヤル6700』(“リンリンリリン”ってやつ)で、10/8(日)の『モ』は山本リンダの『狙い撃ち』(ウララーウララーってやつ)だった。で、今朝(10/9(月祝))の『モ』はなんだったっけな?思い出せねぇ……
2006/10/09
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朝飯の支度をしながら、ふと気づくと、ほぼ毎日、何らかの曲が頭の中をヘビーローテーションで流れている。(『モーニング・インナーブレイン・ヘビーローテーション・ミュージック』。略して『モ』とでも呼んでおこう)なんで今朝はその曲なのか?前の日に聞いた曲かな?と考えても思い当たらない。ただ、なんだか前向きな気分の時は、娘が見てる幼児番組の、ペンギンがどうしたこうしたといった『行進曲』だったり、どんよりと目が覚め切れていないようなときは、『圭子の夢は夜開く』だったりと、気分や体調に左右されているような気はする。(毎日ノートに書きとめておいたら、フロイトの『夢判断』みたいな一大研究になるかも知れんぞ)などと思ってもみたが、(どーせ三日も続きゃしねーな)と、きわめて後ろ向きな理由で却下してしまった。(『夢判断』じゃ結局最後は「性的欲求不満」にされちゃうし)まあ、別にどーでもよい話なんだけど、気にしだしてから多分一週間以上、途切れることなく毎朝『モ』は鳴り続けている。ちなみに今朝の『モ』は坂本九の『見上げてごらん夜の星を』だった。
2006/10/06
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今日、観念して歯医者に行った。前回書いたように、冷たいものが飲めなくなって3週間。数日前から味噌汁のような熱いものも一切だめになって、ついに、今日は口を空けて息を吸うだけで、脳天直撃系の痛みが走るようになった。歯医者嫌いでない私が、そんな状態になるまで、医者に行かなかった理由は、その歯が『前歯』だったからである。これが奥歯だったら、何のためらいも無く、痛み出した3日後には行っただろう。この痛み方から考えると、歯医者に行ったらおそらく神経を抜かれると思う。神経を抜かれた歯は、経験から考えても、遅かれ早かれ灰色に変色してくる。前歯だぜ!いつだかの深夜のお笑い番組。若手女漫才の片割れが、司会者に突っ込まれていた場面を思い出してしまう。「その歯、なんで色違うの?」「神経抜いて死んでるんです。この歯」「えっ、なんで色違うんだって、その歯?」「だから、死んでるんです。この歯」「アッハッハ」全然面白くない。前歯一本にお歯黒塗って出てくるのはお笑いの定番メークだ。ああ、芸もないのに、芸人メーク顔になるのか?俺。(もしかしたら、炎天下の調査仕事の疲れからの歯痛で、しばらくしたら収まるんじゃなかろうか?あるいは、ただの気のせいとか。なんたって、先月、治療したばっかりだし・・・。)そんな理由をいくつも並べ、自分を騙そうとしてみても、さすがに今日の痛みは限界を超えていた。「俺の前歯、一本黒くなって、多少かっこ悪くなっても、君は平気だよね?俺は、ちょっとぐらい女にもてなくなっても、構わないからさ。」と、出掛け嫁に言うと「フフン」と鼻で笑われた。歯医者は「原因が分かりませんねぇ。外見もレントゲンもきれいですよぉ。」と首をかしげてみせる。まあ、自分が一月前に治療した患者が、(あんた、なんかミスったんじゃないの?)と言いたげな顔をして治療台に座っているわけだから、下手なことは言えないのだろう。麻酔が中々効かないまま、結局歯の裏から穴を開けて神経を引っこ抜いた。「中、膿んでましたよ。穴開けたら膿出てきました。神経も半分死んで、半分活きているような状態でしたよ。」そりゃ痛いわけだ。今書いてても痛そうだ。そんな状態だって分かってりゃ、もっと早く医者行くんだった。そんな訳で今だが・・・全然痛くない。水道から出たての“フレッシュ”な水を、恐怖もためらいも無く飲めるなんて!ついでだから、そのままグシュグシュうがいして、流しに吐いてみた。嗚呼、痛くない!(カ・イ・カ・ン)今年の夏は、暑くても一切口にすることが出来なかった、アイスにカキ氷!まってろよぉ、夏はこれからだぜぇ!食って食って食いまくって、飲んで飲んで飲みまくってやるぅ!なんていってると、せっかく落ちた体重くん四キロが、友達を連れて戻ってきそうだ。それに、忘れてたけど、歯は徐々に確実に黒くなっていくんだった。そんな訳で、目標ができた。『俺の顔がお笑い顔になる前に、絶対金儲けて、この前歯に被せてみせる、総セラミックスのクラウン!もちろん保険適用外!』うん、これぞ(災い転じて福となす)だ!ポジティブな感じが、なんかEぞ。でも、なんか、俺ってちっぽけだ・・・
2006/08/18
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この二週間、ひたすら東京を歩いている。住宅地図のコピーを片手に、歩いた道を蛍光イエローで塗りつぶしながら、細かい道までしらみつぶしに。(私道と思われる道は除く)遊んでいるわけでは無く、これもりっぱな業務。何の調査かは内緒。(内緒にするような事じゃないが)おかげで、見事にドカタ焼けして、心なしか見てくれも引き締まったような気がする。ただ、かかとに豆が出来かけたり、新たに魚の目ができたり、突然、治療したはずの前歯が冷たいものに過剰反応するようになって、ペットボトルの飲料水をストローで直接喉に流し込まないと、沁みて飲めないと言う無様な状態にもなっている。(脱水症状になったらそのせいだ)新宿・四谷・飯田橋界隈で、目深にかぶったキャップにサングラス、足を引きずり、腰をさすりさすり、汗だくになって、左手に四色ボールペンと蛍光ペンを握り締め、右手に真っ黄っ黄の地図コピーもって歩いている、身長175cm位の男がいたら、しかもそいつが、1リットルのペットボトルをストローで必死にチューチュー吸っていたら、それは私です。ただし明日まで。関係ない前説が長くなってしまった。今朝のスタートが新宿区四谷。最後が千代田区番町界隈。思えば、夏ともなれば、どちらもメジャーな地名じゃないか。(ちょいと古いが)四谷怪談の方は実際に於岩稲荷という稲荷社が実在するから、場所が分かりやすいけど、番町皿屋敷のお菊の井戸はどこだろう。などと考えながら辺りを見渡しても、そんな風情は微塵もない。 日本テレビ周辺じゃ首から身分証を提げた、業界人らしき男女が大声でしゃべりながら歩いているし、少し先には『番町学園通り』なる4月ごろなら女子中高大生たちがキャピキャピそぞろ歩いていそうな通りまである。(『番長学園通り』だったら笑えるが)まあ、どこからかお菊さんの「いちま~い、にま~い」が聞こえてきそうな雰囲気が漂っていたら、誰も寄り付きゃしないから、賑わっているのは喜ばしいことかな。(境港の『鬼太郎ロード』みたいに、不気味に賑わってる所もあるけど)さっき、『江戸絵図』でこの界隈を見てみたけど、皿屋敷は載ってない。(いくらなんでも『皿屋敷』とは書かんわな)ついでに『鬼平犯科帳・剣客商売・仕掛人梅安マップ』も持ってきたけど、載ってるわけがない。ネットで調べだしたら・・・ちょっと怖い絵ばっかり出てきたぞ。(口から白い煙が出てるような)この手は苦手だからこのくらいにしておこうか。(ちっ、場所が分かったら近寄らないようにしようと思ったのに・・・)でも、良く知らないけど、皿屋敷のお菊さんって井戸のなかで皿を数えているだけなのかい?お岩さんみたいに祟ったりしないのかな?「いちま~い、にま~い」って字にすると、間延びしててあんまり怖くないぞ。なんて書いてたら、なんかヤバそうな気がしてきたのでこの辺で。明日も番町から調査なもんで・・・。
2006/08/10
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昨日、やっと母の葬儀も終わり、2年弱の闘病を見守る日々にもピリオドを打ち、なんとなくほっとしている所だ。母に最初に症状らしい症状が出たのが一昨年の8月、7月に私夫婦と親父夫婦で尾瀬に行った後のことだった。ちょうど私夫婦に子供が出来たのがわかったのと同時期。さらに、末期の癌であると分かったのが12月。私達の子供の予定日が3月初めだったのだが、発病からのタイミングがなにかとシンクロしていたので、母は勝手に、自分の寿命はその辺までで、生まれてくる子供は自分の生まれ変わりだと決めていたようだ。母にそう言われて、私は正直、自分の子供が母の生まれ変わりというのは(ちょっとこまるなぁ)と思っていた。どう接していいか分からないし、第一こっぱずかしいことこの上ない。ところが、私達の娘日向子は母の目論見をよそに、とっとと1月に産まれて来てしまったので、母の『孫に生まれ変わり計画』はまんまと頓挫した。孫を見ると、えらく可愛かったらしく、母にも欲が出て、「この子が“おばあちゃん”と言うまで生きていられるかしら」などというようになった。こっちとしては、母の願いもかなえてやりたいが、余り早く日向子が“おばあちゃん”と言って、母が満足して死んでしまってもかなわんと思い、積極的に教え込むかどうかちょっと悩んだ。ここへ来て、いよいよまずそうだという頃になって、密かに日向子の耳元で「おばあちゃん、おばあちゃん、おば・・・」と囁いてみたりもした。日向子は「ニンジン」だの「ダイコン」だの言ったかと思えば、積極的に教えたわけでもないのに「おじいちゃん!」と聞こえるような声を発して、母のやきもちを恐れる我々を、冷や冷やさせる事はあっても、一向に「おばあちゃん」とは言わなかった。結局最期まで「おばあちゃん」とは言わなかった日向子が、「おばあちゃん」と聞こえるような声を発して我々を驚かせたのは、医者が「ご臨終です」と言った、まさにその日のうち、母がまだ横たわる病室でだった。あれは、解脱して神に近づいた母が、新しく身につけた力で日向子に言わせたのではなかろうか。あるいは日向子がなにかを感じ取ったか?なんとなくその後、日向子は自己主張が少し強くなったような気がするが、まあ、あのタイミングなら母も日向子の「おばあちゃん」を聞けて満足できたように思えるので、ヨシ!として良いだろう。母は、人前では常に『カッコいい女』でいたかった人だから、極端に入院を嫌がって、ちょっと入院しても、なんだかんだ言ってすぐに家に戻ってきてしまった。結局、亡くなるちょうど一週間前まで自宅で療養していたので、その間ほとんど一人で看病し続けた、父の苦労は大変なものだった。これは通夜の後に父に聞いたのだが、ある時母は、父に感謝を込めて「あなたは今まで、本当に良くしてくれたから、私があなたにお礼として、ここから先の人生に、自由な時間をたっぷりあげるのよ。だから、無駄にしないで、有効に使わないとダメよ!」と言ったそうだ。なんて言い草だろうか。勝手にとっとと逝ってしまおうとしているくせに。最期まで、あんまりお袋はお袋らしくって、俺は思わず泣けちまったぜ。
2006/07/25
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今夜、何年かぶりで秋葉原に行った。アラレちゃんメガネをかけたメイド姿のお嬢さんに、舌っ足らずな声でチラシを渡されたり。デイパックを背負ったギンブチメガネ青年が、二人でクスクス笑いをしていたり。(ああ、相変わらずアキバだねー)などと悦に入っていた、ほろ酔い加減の帰りのホーム。酒瓶片手に酔いつぶれ、地べたに寝転ぶ水野晴郎似のおっさんを発見。紫のジャージズボンにピンクのネジリ鉢巻姿で、若干ファンシーな気はするが、まあ、どこででも見かけそうな酔っ払いだ。(もちろんサンダル履き)(この街にもこんなまっとうな酔っ払いがいるのか・・・)と、妙な感慨を覚えながら、通り過ぎようとしたそのとき。オヤジのTシャツの胸に書かれた文字が目に入った。『 萌 』さすがはアキハバラだ
2006/06/27
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一日中閉切った部屋の空気が、なんとなく重く感じられた。仕事の手を止めて、机の横の窓を思い切って開けると、二月の清冽な夜気が一気に流れ込んできた。蒸気式の加湿器が慌てて湯を沸かそうと、地獄谷のようにブツブツと呟きはじめ、流れ込んだ冷気のせいで、湯気が景気良く暴れている。畑と川と住宅地を挟んで、向こうに見えるこんもりとした丘では、稲荷社で祭礼でもあるのか、細く急な階段に灯された行灯の火が、暗い林の中で鬼火のようにゆれている。窓から顔を出してみると、上弦よりややふくよかになった月が、冷たい空気に張り付いたように平べったく静かに輝いている。ずっとPCのモニターとにらめっこしていたせいか、月の輪郭がぼやけてクローバーの葉のように三つに重なって見える。部屋から月を見るのが久しぶりに思えたので、景品でもらった、おもちゃっぽい天体望遠鏡で覗いて見ようかと思ったが、寝室に取りに行って、娘を起してしまったら後が大変なのでやめた。冷気に気づいて、足元のホットカーペットで丸まっていたハナ(家猫、3歳8ヶ月、メス)が、いそいそと机によじ登ってきて、窓枠に前足を突くと身を乗り出して外をうかがっている。風で落葉でも舞い上がると、我を忘れて飛びかかって、そのまま落下していくのが目に見えているので、ハナの脇の下を片手でひょいと抱えて、もとのホットカーペットの上へ。ハナは不服そうに一声鳴いたが、カーペットの温もりには抗えず、ぺったり腹を付け平べったくなって、また寝に入ってしまったようだ。寒くなって窓を閉めると、階下でなにか物音が。手ごろな得物が無いので、とりあえずサンスケ(三角スケール)を左手に仕事部屋からそっと出る。こんな物でも無いよりは心強い。か?スリッパを脱いで軋みに気を使いながら、階段を静かに下りる。下りきる手前の階段が直角に曲がるところで壁にもたれて息を整え、周囲の気配を測る。左手の部屋から「ズーズッ」と隠居のGさんの、やや不規則な寝息が聞こえるほか、特に気配はない。それでも一通り見回って、ついでに小用を足して仕事部屋に戻ってきた。さて、今、丑の刻を少し過ぎたところ。予定の仕事は遅々として終わってない。(合掌)
2006/02/07
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私は南部せんべいが好きだ。もっと言えば、南部せんべいの型からはみ出して膨らんで焦げたバリの部分。いわば出来損ないの部分がなんとも好きなのだ。いつも、南部せんべいの耳の部分にはみ出しのあるものを選っては、大事そうに食べていたので、家族もそのことは良く知っている。先日、JR藤沢駅そばの『無印良品』の食材売り場に、タイ風グリーンカレー(これも好物)の素を買いに行った際、周りを物色していると、見慣れない、なんかのサナギがいっぱい詰まったみたいな小袋が置いてあった。(『かたいみみ・南部せんべいの・がんこ』?なんだこりゃ?)最初それがなんだか分からず、その場を離れて場内をうろつくこと数分、ふっと思い立って、すたすたと小袋の前に。(腰を落としてすり足で、娘はだっこ紐でスヤスヤ)「おおぅ!これは・・・!」袋を両手で顔の前にかざしたまま私が硬直していると、嫁がどうしたのとやってきた。「『南部せんべいの・かたいみみ・がんこ』・・・ってあなたの好きなところじゃないの。へー。こんなのあるのねぇ。」そう、私の好きな、せんべいの型からはみ出して膨らんで焦げたバリだけを集めて、袋詰めして売ってあるのだ。(スバラシイ!)袋を良く見ると他にもキャッチコピーが踊っている。『ここのおいしさを知っていたら通。』『つつましく人気者なんです。』『かたいみみ ご希望のお客様の為に作りました。』(へー、俺って通なんじゃん。やっぱ、そうゆう人いるんだねぇ)喜び勇んで、しかし、つつましく2袋買って帰った。すぐに食ってしまったので、また3袋買ってきた。(効率悪し)今その3袋目を食いながら書いている。バリさえあれば、南部せんべいの本体は無くても構わない私にとって、これはまさに“ニーズにあった商品”で、たまに耳の部分も入っていたるするのが、ちょっと嬉しかったりもする。製菓メーカーとしても、今までは、おそらく型をはずす前にこそぎ落として、そのまま捨てたか自分達で食っていたものだろうから、ゴミを減らせるうえに、商品化までできて一石二鳥だろう。(本体の『南部せんべい』を皆が買わなくなると困るだろうけど)そういえば、かの『ベビースターラーメン』も元を正せば、インスタントチキンラーメンの麺を作る下請け工場が、製造過程ででる『麺屑』を近所に配っていたのが、評判が良いのでスナック菓子として売り出してみたら大当たりというものらしい。ところで、どんなにバリ好きでも、5袋も立て続けに食うと、さすがにありがたみが薄れてきたかな。(少し胸焼けもしてきたし)バリを探し探し食っていた時のような、高揚感も感じられなくなったみたいな気がするし。(なにしろ目をつぶって食べたって、逆立ちして食べたってその部分だ)前は、丁寧に重ねて袋詰めされた南部せんべいを、くるくる回してみて、バリの多そうなやつを選んで買って来たこともあった。(というよりいつも)それでもって、せんべい本体から食うか、バリを先に食うか、順番に心躍らせたりしてたっけ。(なぜか遠い目)そうやってこの商品に出会う前のことを回想してみると、便利さの中に、大事な何かを忘れてしまったような気がしないでもない。って程のことも無いか・・・。まあ、なんだかんだ言っても、この袋が空いたら、やっぱりいそいそと買いに行くんだと思う。車飛ばして藤沢まで。ちなみにネット通販でも扱われているのを発見した。興味のある方はどうぞ。南部せんべいの巖手屋『がんこみみ』ところで、このネットに出てる『南部せんべい汁セット』食ってみたいのだが、嫁に伺いをたてたら、あっさり却下されちまった・・・。ちぇっ。
2006/01/26
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1月23日。ワン・ツー・スリーと並ぶと、思わず『フォー』と叫びたくなるのは、私だけではないだろう。ところで娘の日向子が産まれて1月5日で一年たった。(早期出産のため修正月齢では10ヶ月)去年の秋頃、その日向子に障害があることが分かった。早く産まれすぎたせいで大脳基底核の発育が不十分で、四肢の動きがうまく制御できないらしい。つまり、手足が思ったように動いてくれない。指をしゃぶろうとして目に突っ込んでみたり、ガラガラを振ろうとして力入りすぎて顔面に衝突させてみたりしている。(しかも、痛がるどころかコロコロと笑っている。『痛みは人体への危険信号』という認識が、まだ無いらしい。)何でそんなことになるかというと、例えば腕を曲るばあい、大脳基底核は腕の裏と表の筋肉にそれぞれ「お前は緩め」「お前は縮め」という指令を出して、無事に曲がるらしいが、彼女の大脳基底核は裏表両方に「お前ら縮め」とテキトーな指令をだすため、腕の両側で引っ張り合いをしてしまうらしい。結果どうなるかというと、何かしようとすると手足が突っ張って動けなくなる。表と裏どちらも引っ張り合うわけだから曲がるわけが無いのだ。一生懸命になればなるほど力が入って硬直の度合いが増すばかり。ちょうど『大リーグボール養成ギブス』をつけた星飛雄馬が、箸を口に運ぼうとしてもバネに引っ張られて思うように動けず、もう少しのところで引き戻されて、周りに飯をぶちまけてしまうのと理屈は一緒だ。(『巨人の星』飛雄馬少年期編参照)ということは、このままだと娘も筋肉ムキムキになってしまうのだろうか。よもや大リーグボールは投げんと思うが・・・。(欽ちゃん球団でも受けさせるか?)だいたい、これでは効率が悪い。というよりいつまでたっても動けない。大リーグボールどころではない。というわけで、嫁が週一回、市の施設に連れて行き、リハビリ指導を受けている。(日向子は指導の間ずっと大泣きしているらしいが、帰ってくるとケロッとして大抵ご機嫌だ)ぜんぜん動けないわけではないから、脳が筋肉の効率的な動かし方を覚えれば、ある程度動けるようになるらしい。まず、正しい姿勢をとれるよう周りから膝とか手で押えて、その形で腕や脚を動かしてやる。もしくは頭を上げる訓練をさせたり。とにかく、普通なら無意識に出来てしまう動きを、外からの力で繰り返し反復させて、大脳基底核に覚えこませる。そういえば、アスリートの訓練法にもそんなのがあるのをテレビで見たことがある。ということは、これはテニスやピアノを反復練習で覚えこませるようなものなのだろうか?とも考えたが、これらの場合、普通に動く手足や指を、より複雑に連携させるためのものだから、少し違うかな。日向子の場合、腕を曲げるとか指を開くとかの、もっと基本的な動作があまり得意でないわけだから、どちらかというと人間が野性と供に忘れてしまった習性、耳をヒクヒク動かすとか、髪の毛をズラのように動かすといったものに近いような気がする。(ズラは野生とは関係ないか?)こういうのって、訓練で動くようになるものなのだろうか?まあ、リハビリに行きはじめてから、格段に動きが良くなったような気がするから、耳や髪を動かすよりは簡単なのかもしれない。風呂の中で私の股間を蹴っ飛ばして、痛がるのを見てはキャッキャと喜んでいるから、脚はある程度思い通り動くのかもしれない。(面白がって何度もやるから困る)どこまで動けるようになるのか今は分からないが、どのような状況でも楽しく生きていく方法はきっと有るだろう。『五体不満足』を書かれた乙武洋匡さんのように、ハンディがあっても自分の道を見つけて活躍されている方は沢山いる。将来手足が不自由なく動かせるようになるよう訓練してやることが、当然、理想であり目標ではある。ただそれだけではなく、これから日向子が大きくなって自分のハンディに気づいていく過程で、自分の現実を受け入れた上で、前向きに考えられるポジティブ思考を身に付けられるよう、手助けしてやることが何よりも重要な親の仕事に思える。まあ親だ何だと偉そうに力みかえってみても、所詮、彼女が死ぬまで見ていられるわけではない。種を残しておいて無責任なようだが、自分の生きる道は自分で確保してもらうしかない。乙武さんには陰となり日向となり支えてくれた女性(今は奥さんだったかな?)が居たという。日向子も頑張って知性と器量を磨いて、男性を沢山騙して・・・ではなくて、支えてくれる沢山の友人に恵まれることを祈っている。当然、陰となり日向となってくれるパートナーにも・・・。彼女は二親のイイトコ取りで大変な器量良しなので(盲目的親バカ?)、「言い寄る男は星の数」状態になるに違いないから(もっと盲目的親バカ?)、きっと相手には困らないだろう。(盲目的親バカ?フォーエバー)そこで問題になるのは、短気で我侭な彼女の父親が、ジェラシーストームを吹き荒れさせること無く相手を受け入れられるかどうかだな。「男なんて消耗品だ!うまく利用したら捨ちまえ!」とか耳打ちし続けて、嫌な女に育ててしまわぬように気をつけねば。(話が飛躍しすぎてねーか?)(余談)『テキトーな指令をだす』の件で思ったのだが、「彼こそテキトウな人材です」と「テキトウな野郎だ!」のテキトウ、どちらも漢字で書くと『適当』?(こりゃ分かりにくいわい)と「いいかげんな指令を出す」と書き換えて見るも、イイカゲンって『良い加減』ってこと?それではと『いい塩梅』としてみたら・・・あれ、文意が逆になっちゃった。うーん。ニホンゴ ムヅカシイデス×。(ムズカシイ○)
2006/01/23
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2006/01/01
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最近地震が多い。巷やネット上でも『今秋マグニチュード8クラス巨大地震東京直撃!!!』というような、刺激的な見出しをちらほら見かける。我家では、揺れで家が少し変形したのか、今まで固かくてなかなか動かなかった障子が、少し軽く動くようになったような気がする。そもそも、地震前からこの家、明らかに平行四辺形に変形している。仕事中にキャスター椅子に座ったまま、ふらふらと机から離れようとすると、仕事に集中しろ!と言わんばかりに、ゆっくりだが椅子が勝手に机の前に戻ってしまう。 どうも、床が机のある側に向かって傾いているらしい。そう言いつつ、いま試してみたら戻らなかった。地震のお陰で傾きが直ったのか?でも、下げ振りを使って柱を調べてみると、やっぱり傾いているのは明らかだ。この家、そもそも隠居のGさんが建てた家で、私達夫婦は2年前の夏、Gさんが足を患って介護が必要になったため、移り住んできた。この家を、木造建築の構造セオリーで検証すると、かなり禁じ手が目に付く。まず、窓がやたらと多い。現にこの仕事部屋も階段室に面した壁以外の3面は窓である。鉄骨造ならいざ知らず、木造住宅としてはどう見ても、壁が不足している。(壁が少ないと横揺れに弱い。)極めつけは、2、3階の南角の柱が1階まで通ってない。つまり、1階の梁の上に2、3階の隅柱が乗っかっていて、1階のそこには柱が無い。これでは、梁が折れたら2、3階が傾く。この梁の下の障子は案の定動きが重い。(前出の最近動きが軽くなった障子はこの梁の上の2階)よく、こんな設計で確認申請通ったもんだと、厭な予感を押えきれずに申請書類を確認してみると、そこで許可された建物は2階建てだった。(なにこれ・・・)Gさんにさり気なく話を振ってみると、「後から2階の屋根裏を広げて3階を作らせたんだ」と自慢げに語っている。しかも、LDKの掃き出し窓の脇についている不可解なドアも「お勝手に勝手口が無いなんておかしいって言ったら、ぐずぐず言いやがったから、いいから付けろって言って付けさせたんだ。」と怪気炎をあげる始末。きっと、窓が多いのもこのノリに違いない。Gさんは以前は建築金物の溶接職人だったので、建築の基準がS造(鉄骨構造)になっているのじゃ無かろうか?だからGさんの頭の中では、この家はラーメン構造(鉄骨剛性構造)で出来ているに違いない。それなら、大地震が来たってへっちゃらさ!って、今目の前の机を横切ったのはシロアリじゃねーのか!しかも、ガレージのコンクリート床をハンドブレーカー(削岩機)で掘削した跡があるのは、ひな壇状の敷地に掘り込まれたガレージの奥から、家の下を掘り進めて、地下にカラオケルームを作ろうとした跡なのだそうだ。(くらくらしてきた・・・)こんなスリリングな家だと分っていたら、同居しても良いなんて、言い出せなかったぜ・・・きっと。私には夢があった。(引っ越すたびに海に近づいて、ゆくゆくは湘南の海辺でウクレレ弾いて暮らすのさっ!そして、老後は海を越え、ハワイでガーディナーになるのだー!沖縄で歌声酒場やるのもイイなー。)って具合の。「海へ!」と夜空の星に誓ったとき、私は横浜伊勢崎町の赤線地帯近くのワンルームマンションに住んでいた。拾った仔猫と藤沢のボロアパートに引っ越して、だいぶ海に近づいた。(つぎは東海道線を越えるぞぉ!)その後結婚して、鵠沼の平屋建ての一軒家へ。(ついに、東海道線を越えた!今度は海まで徒歩10分圏内だ!)着々と夢に向かって邁進していたのに、この家で7キロほど内陸に逆戻りしてしまった。(水前寺清子の歌みたいだぜ)そんな訳だから、この家に長居するつもりは当初から無く、したがって修理に金をかけるつもりも無かった。無論、ローン組んで建てかえて住む気など毛の頭ほども無い。(しがないSOHOじゃローンも組めんが)しかも、ここ市街化調整区域といううわさもあるし。(恐ろしくて確認してないけど)もちろん、この家にも良いところは沢山ある。庭は広いし(市民の森と地続きで何処が境やら・・・)近所も少し離れていて、少々音を出しても気にならない。(お陰で、物騒な気も・・・)自然が豊か(毎晩のようにカブトムシが仕事部屋の網戸に激突して、そのたびに私はビビッている。夜中に防犯灯が点いたから、すわ不審者!かと恐る恐る外を見ると、でかいアライグマが二頭こちらを見ていた。池で何か洗っていたに違いない)それもこれも、この家ならではだろう。でっ、本当に巨大地震は来るのでしょうか?その時は崩れそうな気がする。この家・・・今まで80年も来てないのだから、私がひともうけして家建てて引っ越すまで、もう少し地震待ってもらえんもんだろうか。えっ!少しだけなら待ってやるから、何年か言えって?・・・・・うぅっ。
2005/08/12
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隣の部屋で娘が泣きだした。ヨメが「シャワー浴びてくるから、ヒナコが泣いたらよろしく」と言って風呂場にいってから、そんなに時間経っていないから、まだずぶ濡れで、すぐには出てこられないだろうし、おそらく気づいてもいないだろう。仕方なく、仕事部屋から階段室を挟んで反対側にある寝室へ入っていく。娘は目覚めてみたら誰も居なくて、ぐずぐずと泣き出したといった感じで、まだそんなに激しく泣いているわけではない。私は、ベビーベッドの脇に立つと「ベイビー、何がそんなに悲しくて泣いてるんだい?パパはここに居るから安心していいよぉ」とやさしく語りかける。私に気づいた娘は、とたんに満面の笑みを浮かべ、「あぅっあぅーぴゃー」とか叫びながら、嬉しくてぱたぱたと手足を動かす。そんな、場面を毎回妄想するが、この語りかけで泣き止んだことは今まで一度も無い。次に、横に座って、なでたり、くすぐったり、転がしたりしてみるが、それも、大した効き目は無い。仕方がないので抱き上げて、ベッドの縁に腰掛けたまま、私の太ももの上にちょこんと座らせてみる。しばらくは、それで落ち着いたりするが、すぐにまた泣き出す。そうしたら、待ってましたとばかり、座っている方の足を「パカパンッ、パカパンッ」とリズムをつけてゆすり、娘の手を手綱を持っているような格好にして、『暴れん坊将軍』のテーマを口ずさみながら、「余は吉宗じゃー」と言ってやると、一時ご機嫌になったりもするが、いずれまた泣き出す。(ローンレンジャーの「ハイヨー、シルバー!」とかも)しょうがないので、右手で尻を支え、脇から腰にかけてを左手で固定して、胸の前でささげ持つような格好でたてに抱っこして、適当に歩き回ったり腰を振ったり、家の中を探検したりして機嫌を取る。だいたいこの格好で寝るまで抱えていることが多い。この体勢が長時間続くと前腕が疲れてくるが、娘がまだ軽い頃(1.5kgくらい)からずっと抱っこしてきたので、体重が増すごとに徐々に筋肉が強化され、若かりし頃には『鰹(節)腕』と呼ばれた私の前腕と、それに比べるとやや細身だった上腕にもだいぶ筋肉が戻ってきた。(ような気がする)先日、小3の姪っ子が「わたし女の子なのに力こぶがでるのー」と困ったような口調で見せびらかしたときも、つい、「おじさんの力こぶも見てごらん」と腕をまくりあげかけたが、そこは大人の分別で何とかこらえた。大のオトナが小3の女の子と比べっこしている図なんざ、絵にならんもんな。泣き始めてから放置していた時間が長かったりすると、このたて抱っこくらいでは泣き止まなくなる。そんなときは、なぜかスクワットが効く。これはどういう訳か解からんがテキメンに泣き止む。ただ、このスクワットあやし法には、スクワットをし続けている間しか泣き止まないという、致命的な欠点がある。泣くからと言って、スクワットしつづけるなどという芸当は、運動不足でなまりきったオッサンには不可能だ。体重6kgの娘を抱えてのスクワットは結構キツイ。喘ぎ喘ぎスクワットして、やっと泣きやんでも、スクワット止めたとたんすぐ泣き出す。しょうがないから「全盛期なら1000回は軽くいったのに!」などとぶちぶち言いながら、10回やっちゃあ休み、また10回で休みと青息吐息で娘をあやしている姿は、決して人には見せられない。でも、これも続けていると、最近衰えが見えてきた大腿筋やハムストリングスに張りが戻り、もう一度、「ジーンズは太腿に合わせて選ぶから、ウェストはガバガバさ!」とか言えるようになるかもしれない。(今はウェストで選ぶから、太腿がゆるい・・・)あとは、腹筋に効くあやし方を考案すれば、からだ改造エクササイズも完璧だ! 雑誌『ターザン』に投稿して特集を組んでもらおうか。『まだまだいける!夏に間に合わせるナイスミドルのための肉体改造計画』とかってね。(『壮快』に投稿した方がいいって!?)これで、今年の夏は湘南ビーチでモテモテさ!むちむちプリンのヤングギャルに囲まれて、深夜番組『草野☆キッド』に出てるときの草野仁のように、おじさん、むやみやたらとご満悦。「アハハハハ。そんなに見つめるなよぉセニョリータ。夏のお嬢さんに恋してムーチョさ!アハハッ」でも、おじさんをよく見ると、『ビキニ姿・・』ならぬオムツ姿のお嬢さんがコアラのようにしがみついている。しかも、彼女が泣き出すとおじさん慌てて、必死の形相でスクワットを始めた。
2005/07/09
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本日のプロ野球『広島VS横浜』戦は九回表2点差を追う横浜の攻撃。ツーアウトを取られるも、そこから、変化球の決まらない広島のピッチャーのストレートに狙いを絞り、あるいは粘って四球を選ぶなど、繋ぎの野球で、二死満塁の一打同点、ホームランなら逆転と言う場面までこぎつけていた。打席には、目下得点圏打率リーグ1位の3番打者『金城』。いやが上にも高まる逆転劇への期待!!!と言う場面。金ちゃんは初球を叩いてファーストゴロ。あっけない幕切れだった。相手は変化球でストライクが取れず、打者との勝負どころではない状態なのだから、球数を投げさせて、打者有利のカウントを作るのがセオリーだろう。そして、投手が四球押出しを嫌って、やけくそで力勝負の甘いストレートを投げたところを狙い打つ。でも、ここで何も考えないで(考えているのかもしれないが)初球を打ってしまうのが『金城』と言う選手の魅力なのだよな。ヒットを打てば「さすが金ちゃん」初球を打ってゲームセットでも「金ちゃんらしいよ」。得なキャラクターだ。このネタでブログを書くとしたら、果たして私は、この不可解なファン心理を上手く文章で説明できるだろうか?などと考えながら、台所に戻って、洗いかけで放り出していた、食器を洗い始めると、娘を寝かしつけた嫁が「最近は寝るまで本当に時間がかかるようになったわぁ」と言って、腰を叩きながら居間に入ってきた。私が、たった今終わった試合の顛末を説明して、このファン心理をうまく文章で書けると思うか?と聞くと、「金ちゃんらしいねぇ」と笑った後で、「書いてみればいいじゃん」とあっさり言われた。確かに、書いてみればいいのだが・・・。嫁は「チャンネル回すよー」と言うと、広島の選手のヒーローインタビューが続いているテレビのチャンネルを、とんねるずの『食わず嫌い王決定戦』に変えた。夕食の後片付けを終えてから、2人分のコーヒーを入れ、私も『食わず嫌い王決定戦』を見ることにした。つづく・・・。『つづく』と書かれても、こんな話を何日も書かれても「リンダ困っちゃう!」と言われてしまいそうなので、続けることにする。(どうせ、しばらく書かないくせに!って?)『食わず嫌い王決定戦』を見終えて、嫁が「お嬢は寝てるかしら?」と寝室に引き上げていくのを、「おやすみー」と見送ってから、久しぶりに『ブックオフ』(古本屋)に行って見ることにした。ブックオフは家から車で20分位の所にあり、夜12時まで営業しているので便利なのだ。嫁も娘も居ないと自分のペースで思う存分物色できるので、ついつい閉店間際まで長居してしまった。105円均一のコーナーを一通り物色すると、カゴの中には哲学の解説書から坊主の暴露本まで10冊も入っている。(この中の何冊ちゃんと読むかな?)安いからとぽんぽんカゴに入れるが、結構読まずに、買ったことすら忘れてしまっている本も多い。これは、一刻も早く速読法を身につけるしかない。(これで、あたまも部屋もスッキリさ!)最近では、ブックオフの105円コーナーで専門書を買い集めてアマゾンの古本コーナーで売る商売が流行って、場合によっては結構良い儲けになっているらしい。その話を聞いて(へー、上手いこと考えるねー)と思っても、決して自分でやってみようとは思わない自分を省みて、(絶対商売人には向いてねーなー)と確信した今日この頃である。一人なのを良いことにCD売り場の方にも行き、250円均一のコーナーを物色。パフィーのCDを発見。私の好きな曲が多数入っているようなので、カゴヘ。CDの方はぽんぽんという訳にはいかず、1枚で我慢。帰りの車の中でCDをかけてみる。『これが私の生きる道』という曲を聴きながら、なぜか切ない気分になる。この曲が流行っていた頃の思い出のせいかな?と思い、自分にどんな事件があったか考えてみるが、正確には思い出せない。(この感じは、小泉今日子の『月ひとしずく』に近いな)そういえば、どちらも作曲には奥田民夫が絡んでいる。ユニコーンの『すばらしき日々』なんかもなかなか切ない。単純に奥田ミュージックが、私のノスタルジーを呼び覚ますだけなのかもしれない。。これが私の今夜の過ごし方でした。そういえば今夜は七夕だったっんだっけ?去年の今ごろは、平塚の七夕の屋台巡りなんかしたなぁ。(過去ブログ参照)来年は短冊でも下げようか。ブックオフから帰ってきてやったこと。シャワーを浴びて、これ書いて、もうすぐ寝る予定。
2005/07/07
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あだ名について考えると思い出す話がある。私がK高校に入学した年、俳優の故名古屋章氏の眼光を鋭くしたような、角刈りの体育教師もK高校に転任してきた。学生柔道界では指導者として結構有名だったらしい彼は、転任早々柔道部員を一同に集め、クソ真面目な顔して言ったそうだ。「私の名前は○○○○、『ティー・ティー』と呼んでくれ!」その先生を慕って、志望校を前任地のM高校から、わざわざK高校に変更したのだと、豪語していた柔道部員の友人は、一瞬何のことか理解できず、『ティー・ティー』が彼のイニシャルだと気づくまで少しの時間を要したと言っていた。アメリカ映画などを見ていると、初対面の二人が自己紹介をするシーンで、「俺マイク。友達にはマイキーって呼ばれてる」「ハーイ!あたしナンシー。ジェイ・ローって呼んで!」なんて台詞も聴くような気がするが、日本では余りあだ名を自分から名乗ることはないような気がする。(そういえば、「友達はみんな王子って呼んでるから、そう呼んで」ってのたまったとか言う、気持ち悪い奴がニュースになってたっけ)眼光鋭い名古屋章に『ティー・ティー』といわれて一時はひるんだが、その後はみんな、彼のことを話すときには親しみを込めて『ティー・ティー』と呼んでいたと思う。柔道家なので、厳しい部分もある先生だったが、結構生徒に慕われていたのは、その意表をついた『あだ名先制攻撃』の効果による部分も大きかったように思う。ただ、先生に面と向かって『ティー・ティー』と呼びかけた猛者はさすがに現れなかった。今思えば、あだ名をつけられるに任せていたら、『ゴリ』とか『章』とかそんなものになってしまう経験から、あえてアメリカ映画のような名乗りをあげたのかもしれない。『ゴリ』で思い出したが、友達にやはり『ゴリちゃん』と呼ばれていた奴が居た。もちろん、ウェートトレーニング大好きな彼の容貌からついたあだ名だった。あるとき、『ゴリちゃん』に向かって他の友達が怒って「やい『ゴリラ』!」と叫んだことがあったが、周りにいた連中がハッとして「それじゃ、元も子もないよ!」とたしなめた。『ゴリちゃん』はあだ名として違和感なく認知できるけど、『ゴリラ』になるとなんかあだ名ではない感じがした。その差は説明はしにくいが、確かに微妙な一線がそこに有るような感覚を、私も感じたのを覚えている。その一線の感覚が実は重要で、あだ名が『愛称』になるか『蔑称』になるかの境目だったのかも知れない。その辺のバランス感覚、最近、不足している人が多い気がする。ちなみに『ゴリちゃん』にはよく似た妹がいた。たしか。彼女のことは『ゴリエ』とか呼んでいたような気がする。やっぱり動物的な印象はあだ名になりやすいのだろう。動物といえば、名前に動物を示す文字があると、大抵その動物名があだ名になる。熊谷や熊田なら『くまちゃん』。亀井や亀ヶ谷なら『かめちゃん』と言った具合だ。ちなみに私もこの口なので、いままでついたあだ名は『○○ちゃん』『○○さん』『○○やん』(○○はすべて同じ)なので、ある意味つまらない。(わたしの従姉妹も同じあだ名だったらしい)いっそ、今度『ティー・ティー』のように「SKと呼んでくれ!」って言ってみようか?でも、名古屋章似の『TT』のような意表をついたインパクトもないので、言われた方はしらけるだけだろう。これを松田聖子が呟いて、ニコッと小首をかしげたのなら、(この人、狂ってるんじゃなかろうか?俺にいったい何を期待しているんだ?)と相手をパニックに陥れるくらいのインパクトがありそうだから、これも人それぞれというところだろうか。(松崎しげるやマギー司郎には言われたくないな)
2005/06/16
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この前読んだ小説の中に、大の大人が二人、歩道橋の橋桁に書かれた『金王神社前』の『王』字に、悪戯で点を一つ書き足す(王→主じゃない方)ためだけに、ペンキ職人の格好をして真夜中の歩道橋に命綱をつけてぶら下って云々、と言う場面が描かれていた。それを、読んでて思い出したのだが、私にも高校時代に、(やってみたいけど、ようやらんな。)と心に秘めていた、しょうもない悪戯があった。それは、学校の池に飾ってある塑像に色を塗るというものだ。私の通っていた高校には、正門を入るとすぐ幾何学式庭園風の前庭があり、そこに正方形の池があった。さらに、その池の真中にはアングルの『泉』の絵をモチーフにした、裸婦が壷を肩に担いだポーズの、白い塑像が置かれていた。(仮に『泉ちゃん』としよう)それまで、これと言った感慨もなく、毎日眺めてきた塑像だったが、ある日ふと、全身を肌色に塗って、ついでに瞳を描き込んだ『泉ちゃん』を想像してしまったのだ。原色カラーになっただけにも関わらず、そのイメージは、高校の正面玄関には余りにも不似合いで、(ここは伊豆の『秘宝館』か?)と思わず突っ込みを入れたくなるような、キッチュなしろものになりそうだった。その『泉ちゃん』、昔美術の先生が自分で作ったものらしく、とてもアングルの『泉』をモチーフにしたとは思えないような、ある意味日本的なプロポーションの持ち主だった。そこに私は、芸術品というより、もっと親しみやすい何かを感じてしまったのかもしれない。一度、鮮明にイメージしてしまうと、実際に塗って確かめてみたくてしようがなくなってしまった。と言うわけなのだ。考えてみれば、変な話である。多感な高校生の学舎の、正門入ってすぐの一番目立つところに、なんでわざわざ『裸の女性』を立たせる必要があったのだろう?(学校と言えば『二宮金次郎』だろう)運動部の部室からエロ本が発見されたと言っては、大騒ぎしていたのに。なんて言うと「これは芸術作品だからいいのだ」と先生は怒り出しそうだ。価値観を決定してしまえば、女性の裸といえども、芸術と言う別の次元に昇華されるべきもので、そこに何かを発想してしまうなどということは、芸術への冒涜であり、言語道断であると言うことなのだろうか。だったら、先生達は、どのレベルでエロ本と芸術の線引きをしていたのだろうか?(まあ、これは普通、抜本的にレベルの違う話だわな)青春の大問題だったかのように書いてしまったが、実際は、別にそんな小難しいことを考えいた訳でも、教師への反感から、問題を起こしてみたいと思っていた訳でもない。単純にそういったトホホなものが好きだっただけなのだ。(あと、助平なものもかな)授業中頬杖をつき、窓の外でヤナギの葉が風に揺れるのを眺めながら、(やっぱ、『泉ちゃん』塗るなら髪は金色じゃん。股間には『亀の子だわし』かな?)などと、幼稚な妄想に耽っていただけのことだ。そんなことをつらつらと考えながら、3年の月日は流れていった。(学ランのホックは常に上まで閉めるのさ!)と硬派ぶっていた?私は、『泉ちゃん』への思いを実行に移せるわけもなく、そっと心の奥にしまったまま高校を卒業してしまった。あれから、20年の月日が流れた。たまたま、母校のホームページを見たら、あの『泉ちゃん』今でも色白・・じゃなくて、白色のままそこに立っていた。1学年400名として、20年で8000人の生徒が『泉ちゃん』を見つめて来たことになる。おそらく、そのうちの数パーセントの生徒は(色塗ってみてーなー)と考えたに違いない。それでも、やっぱり誰も色塗らなかったのだなぁ。(当たり前と言えば当たり前だが)もしかして、実は8000人の中で、いや先輩方も含めて20000人余りの卒業生の中で、そんなこと考えたの、私だけだったのだったりして・・・。でも、私も本当に塗っちゃった訳じゃないし。きっと、他にも居たに違いない。かな。でも・・・
2005/06/15
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それはたしか夜中の3時頃だった。来客を告げるインターフォンに、寝ぼけながらも私は出てしまった。受話器の向こうからは、つたない日本語が聞こえてきた。「シンディー、イル?」まだ、覚醒しきっていない脳みそを一生懸命働かしてみても、『シンディー』などという知り合いは思い当たらない。ましてや夜中の3時に、このワンルームの部屋に『シンディー』がいるはずが無い。私は迂闊にインターフォンに出たことを悔やみながらも、「そんな人、此処にはいない」と言って、受話器を置いた。もう10年以上も前のことだが、私は横浜、長者町のワンルームマンションで一人暮らししていたことがある。長者町というのは、故青江三奈の『伊勢崎町ブルース』で有名な伊勢崎町の隣町で、横浜一の赤線地帯にも隣接しているという、ディープな場所だった。ちょうど映画『濱マイクシリーズ』の舞台となっていたあたりと思っていただければいいかな?(現に、私の部屋から見えたサウナの屋上で、ロケやってたし)何しろ、引っ越してきた次の夜に、道端で頭から血を流して、倒れているおじさんを見かけるような街だった。(酔っ払って、こけただけだと思うけど)コインランドリーに行けば、ソープかヘルスか分らないけど、蝶ネクタイをつけた黒服が大量のバスタオルを洗濯してたし、近所の『天狗の湯』という風呂屋には、たいてい刺青のおじさんがいて、湯がいつも異常に熱くて、洗い場中湯気モウモウだったけど、迂闊に水注せないような雰囲気が漂っていた。(風呂うめて因縁つけられてもねぇ)その晩、寝ぼけていたとはいえ、この物騒な繁華街のマンションで、夜中の3時のインターフォンに出てしまった訳は、(おっと、こんな時間に、どこの仔猫ちゃんの悪戯かな? 寂しくて一人じゃ眠れニャ―いとか言うんだろ。きっと)なんて、アホ―な妄想を抱いたからに違いない。案の定、在室を確信した謎の来訪者は、時間もわきまえずに、何度も何度も呼び出しベルを押しつづけている。(うるせーなぁ、いったい何時だと思ってやがんだ? いくら鳴らしても出てやらね―よ!)そのマンションにはオートロックも付いていたので、どうせ部屋までは来れないだろうと、たかをくくって、耳栓でもして寝ちまおうと思ってたら、呼びたし音がパッタリ止んだ。(なーんだ、結構あきらめ早いじゃん)なんて、安心したのも束の間。今度は直接ドアの外の呼び鈴を鳴らし、玄関の扉を叩き始めた。そのマンション、事務所利用が多かったけど、私のように住んでいる人間もいた。住人には、深夜突然カラオケ始めちゃうような、怪しい人物も多く、当然夜中の出入りも多かった。考えてみりゃ、オートロックでも、人の出入りに便乗すれば、苦もなく中に入れるし、それを咎めだてするような街じゃなかった。「シンディー、イルー?」「シンディー、イルー?」さっきの、つたない日本語が、扉の外から聞こえてくる。(これじゃ近所迷惑だぜ。こうなりゃ、話しつけて追い返してやる!)頭がまだ回っていなかったのと、私のセキュリティー本能の、想定外の出来事だったため、無謀にもドアを開けてしまった。「シンディー、イル?」扉の外にはフィリピン系と思われる女性2人と、ラテン系っぽい女性1人が不安そうに立っていた。ラテン系のコが、フィリピン系のコの一人を指さして言うには、「コノコ、シンディーニ、ジュウマンエンカシタノ。アシタクニニカエルノ。カワイソウデショ。カエシテアゲテ!」女ギャング団か? あるいは新手の美人局か?頭の中でデインジャラスサイレンがビュンビュン回っていたけれど、扉を開けてしまった以上、この場を乗り切るしかない。「シンディーナンテ、ココニイナイシ、ソンナヒトシラナイヨ!」(あぁ、なんで俺までカタカナでしゃべってんだろ?)「デモ、シンディー、ココニイルッテ、イッタヨ!」「デモ、シンディー、ココニイナイヨ。ホントダヨ!ホラ!」(あっ、“ホラ”は余計だった。)「ジャア、シラベサセテヨ!」(やっぱり入ってきた)「それなら一人だけだぞ!」シンディーに金を貸したという、フィリピン系のコ一人を部屋に入れると、玄関を閉めようとしたが、ラテン系がとっさにドアの隙間に靴を滑り込ませた。(・・・・・・ッ?!)と思ったけど、どうも、私が悪さするのを警戒しての行動のようだった。調べると言っても、25平米の狭いワンルームだ。シンディーがいないのはすぐに分るし、私がその筋の人間でないことも一目で分っただろう。(ついでに金持ちでないことも)そのコは落胆の色を浮かべると、「ゴメンネ、ゴメンネ」といいながら後ずさりで部屋を出て行く、外の二人も状況を理解して、「ゴメンネ、ゴメンネ」3人そろって後ずさりしながら、「ゴメンネ、ゴメンネ」なんだか、可愛そうになってきて、やさしい言葉でもかけてやろうかと一瞬思ったけど、すぐに思いとどまって扉を閉めた。もちろん、チェーン錠もかけた。(シンディーって誰よ?)次の朝、覚醒した頭で冷静に考えると、冷や汗が出てきた。(あれは、結構ヤバイ状況だったんじゃなかろうか?)もし、私が金持ちだったら、そのまま人生が終わっていたかもしれない。彼女達が特殊工作員だったら、今ごろどこかの国で日本語を教えていたかも。(童謡の『赤い靴』って拉致の歌か?)近所に、破防法適用されかけた、宗教団体の道場もあったし・・・まあ、彼女達は本当に、彼女達が言うように、『シンディー』と名乗る女に、なけなしの稼ぎをネコババされた、可愛そうな人たちだったのだろう。きっと。そう思う事にした。(でも、これからはもっと用心しよう)と心に誓ったのは言うまでも無い。その後、シンディーもシンディーの友達も、ジョージもサブもメリーさんも、私の部屋を訪ねてくることは無かった。私もじきに、オスの子猫(レオ)を拾って、猫の飼える部屋を探して、湘南海岸方面に引っ越してしまった。あの、横浜のディープ地帯を、夜な夜なうろついてたころ。(ホントに、うろついてただけだけど)今思うと、なかなか、刺激的で面白い日々だった。
2005/05/14
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前は、野球だスキーだ山登りだと、結構いろんなスポーツに首を突っ込んで、身体を動かす機会も多かった。気が付けば、何やかやで、今でも、コンスタントに続けているのはテニスだけだ。(野球も年に1回だけはやってます。以前の日記『真夏の炎天下 白球を追いかけるオヤジども』2004.8.20参照)会社を辞めて、自宅で仕事をはじめて初めて、毎日の通勤が像像以上に運動になっていたことに気づいた。(これはまずい!何か通勤に変わる運動を始めなくちゃ)と、言いつつ本当は(俺様きっと、有閑マダムにモテモテだぜ)との下心みえみえで、2年位前からテニススクールに通い始めた。たしかに、最初に入った平日の昼間のクラスには、ベンツでやってくるハイソな有閑マダム?も何人かいた。初めは、10年ぶりくらいにかよう、スクールの練習がものめずらしかったり、マダム同士の冷戦を観察したりで面白かった。だけど、やっぱり基礎体力が違うから、あまり思い切り打ち込むわけにも行かず、慣れてくると、物足りなくなってきた。(マダムにもモテモテでもなかったみたいだし)そんな訳で今は、日曜朝一番のクラスに移り、福井烈より年上の、元インカレ選手のオッサンコーチの指導のもと、マッチョなオッサンやイケメンニーチャン達と汗シブキを飛ばしながら励んでいる。スクールとは別に、毎年と言うわけではないが、秋にエントリーしている、男子ダブルスの草トーナメントがある。その大会10年以上前から、同じ相棒と組んで出ているのだが、いまだ、一回も勝ったことが無い。(自慢じゃないが)6~7年前だと思うが、今年こそは初勝利をあげようと、会社の近所の市営コートでナイター練習を週に2,3回剥きになってやった年があった。しかし、運悪く優勝ペアと1回戦で当たってしまったため、その年も初勝利はならなかった。だけど、その練習のおかげか、動体視力が上がり、足腰が鍛えられた私は、その年の野球大会では打ちまくった。ような気がする。私の打順は4番に昇格、チームはベスト4まで勝ち上がると言う、思いもかけない練習の成果が出た。話がずれたが、そのテニス大会で勝てない理由の一つは間違いなく練習方法にある。昔、一緒にやっていた連中が、業界の崩壊とともに、地球規模でてんでばらばらになってしまったため、練習相手が居ないのだ。しょうがないから、ダブルスの試合に出るのに、2人でシングルスの練習をする羽目になる。しかも、私は左利き。スライスサーブも、バックハンドのスライスでアプローチを打っても、右利きとは逆に曲がる。可愛そうな相棒は、そんな癖球の相手ばかりさせられているため、左利きの球筋が身体に染み込んでしまっている。頭じゃ分っているけど、試合で右利きの相手が打って来る、スライスサーブに「おおっ!逆にまがった!」とおののく羽目になる。困ったもんだ。私もなるべくフラットサーブを多くしようと、最初は思ったりするけど、疲れてくると、手首返すのが面倒くさくなってきて、みんなスライス気味の球筋になってくる。(そんなことしてみても意味無いしね)実は今日も、小雨の中、2人でテニスしてきたが、最後にやった試合ではもうお互い疲れているので、1stサーブから2nd用のスライス打ってみたり、やたらとドロップショットを打ったりの、怠惰な小技の応酬になってしまった。(結構面白かったけどね)そんな訳で、今欲しいのは、右利きのテニス友達。埼玉には数人居るけど、「横浜で2時間テニスしようぜ」とはなかなか誘えない。(せめて4時間コートが取れれば良いのだが)また、我々がもう少し上手ければ、「いっしょにやる人この指とまれ!」と胸を張れるのだが・・・胸をお借りする身とすれば、それはやっぱりおこがましいし。うじうじうじ。まあ、相棒のテニス人生が、私の左手のせいで狂おうが、そもそも人生かけてるわけじゃないし、別にたいした話じゃないのだけどね。(子育てが落ち着いたら嫁さんたちも復帰するだろうしね)ところで、今年もあのトーナメントにエントリーするのだろうなあ。一回勝ってみてぇなあ。
2005/05/01
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男には夢が要る。男だ女だという言い方はあまり好きではないのだが、今宵はあえてこんな言い方をしてみたい、良い気分。(ほろ酔いです)娘を寝かしつけようと出かけた(日向子は散歩とドライブが大好き?で必ず出かけると、すぐ寝付く)散歩先のスーパーで養殖鯛の、美味そうなアラを見つけたので、今夜は嫁が潮汁を作ってくれた。御隠居『Gさん』の付き合いで、最初はビールだったが、魚にはやっぱり日本酒だろう。お気に入りの『浦霞』を一人手酌のコップ酒で楽しみながら、潮汁と太切りごぼうのキンピラを食す。ああ、美味也。もう一つの肴は『横浜VS阪神』のTV中継。今日は、今まで好投しながらも、勝ち星のなかった、エース三浦大輔が完投勝利!佐々木が一軍登録抹消で、残念なような < ホッとしたような、複雑な気分だったが、良い試合だった。大輔は漢だよ!Gさんも嫁も部屋に引き上げても、居間で一人酒。今日は、久々に夜中にautoCADでしこしこ図面を書く必要も無いので、「今夜は深酒じゃ!文句なかろー」と控えめにわめくと、そばの椅子で寝ていた、はな(家猫、メス、2歳11ヶ月)が尻尾で「お好きに」と返事をする。(良い夜だぜ)酒のつまみはないかと、TVのチャネルを探すと、宮崎駿の『紅の豚』なんぞやっていた。『カリオストロの城』とか『未来少年コナン』とか、初期の宮崎アニメは理屈が少なくていいねぇなどと一人ごち。(オッサン、アニメ好きかい?)『紅の豚』って最初から見たこと無いような気がする。だいたい、今日のパターンで、チャンネルを変えるとやってる。そして、見てしまう。そして、一言、「男には夢が要る!」と毎回言っているような気がする。四十路間近のオッサンが笑わせるなよ。素面だったら、夢だなんだと甘ったれたことは口にしたくないが、言わなくても、やってることは、その程度の幻想を追っているに過ぎない。ビジョンやビジネスプランの勝算が100%近く有るような口ぶりで、前職のコンサルタントも辞めて、何となく中途半端なポジションで、今、暮らしている。それは家族を騙しているんじゃないの?と問われたら、現状ではうなだれるしかないかもしれない。でも、情けない話だが、私という生き物には夢が要る。(シビアな現実と向き合いきれてないのか?)他人様が私の言うことを否定することは簡単だろう。実際、穴だらけなんだから。いちばん簡単なのは、「だったらアンタの夢って何さ?」と問えば良い。私は小学生並みの幼稚な答えしか用意できない。明確なビジョンなんか無いに等しい。でも、素直になって考えてみれば、結構、みんな根っこは同じじゃないの?(いっしょにするなって? はい。)開き直る訳ではないが、家族には今のところ「あなた達、運が悪かったね」と言うしかない。だけどそのうち、「お客さん良い買い物したねぇ」と言ってやりたい。とにかく俺には甘ったれた夢が要る。それは、四十になっても八十になっても変わらない。孔子なんざクソ食らえ!と言ってしまいたいが、『四十不惑』は私にとっても、理想なのだよなぁ。と、ほろ酔いの良い気分でここまで書いたが、何の根拠も脈絡も無いので、この辺にしておこうか。お気に入りの『Beth Nielsen Chapman』など聴きながら。今夜は気分の良い夜だ。(「まあ、みてなさい!」などと、呟いてみたりして)
2005/04/22
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ヒキガエルが、我家の池に産卵した話を先日書いた。すでに卵塊が崩れ、デロデロした印象はなくなったが、池の斜面に卵が散らばっているのが見える。(早くオタマにならんかなぁ)心待ちにしながらも、あまり真剣に観察していたわけではない。ふと気が付くと卵の数が心なしか減ったような気がする。しかも、残っている卵は白く変色し、ちょうど魚屋の、活きの悪い、イワシの目のような感じになっている。(こりゃ、無精卵が腐り始めたな。溶けて減っちまったのか?)ヒキガエルは体外受精だから、産卵後に精子をかけるオスが、居なかったのかもしれない。そういえば、産卵したメスと思しきヒキガエル以外は、この辺で見かけたことがない。ガマ姐さん、オタマ達の父親を見つけて来れなかったのかい?― 私がちょっと本気出せば、男騙すなんてわけないわ。でもちょっと、油断したんじゃないの?姐さんの流し目も、気づかないうちに神通力をなくしていたのかもしれないぜ。― おかしいねぇ、このあたしの魅力が解んないのかね?これだから、ガキは嫌だわ。まあいいさ、また来年があるものね。― ちょっと前なら、私が歩くとオスが放っときゃしなかったもんさ。何匹も抱きついてきてね。うっとうしいったらありゃしない。気が弱くて、近寄れないオスなんざ、しまいにゃヤケ起こして、オス同士で抱き合っちゃったりしてね。面白かったねぇ。姐さん、問わず語りはちょっと寂しぜ。姐さんの年のことまで知らないけど、モノ本によると、ヒキガエルの寿命は30年もあるそうじゃないか。オスの本能は、より多くの子孫を残すようにプリセットされてるんだから、若いピチピチしたメスの方が好きだろうよ。姐さんがいくら『魅力的だっ』て、言い張ってもさ。人間なら、大人の女の魅力を理解する男も、いっぱい居るのに、残念だったね。でも、それって、人間の『種の保存』の本能が薄れているって事なのかな?(姐さんどう思う?)まだ、名残のサクラの花びらが、くるくると漂っている、池のみなもに問い掛ける。でも、まてよ、ヒキガエルってオスがメスに抱きついて、その刺激で産卵するんだよな。(『抱接』というらしい)その時、射精もするわけだから、まったくの無精卵の可能性は低いのじゃなかろうか?そう思って、変色した卵の辺りの池底を、柄杓でさらってみると、いたいた。黒い小枝のように見えるけど、よく見ると小さいオタマ。動きが鈍いのはまだ、孵化したてのせいか?確かに、素直に考えて見りゃ、卵が減った=オタマになった と考えるべきだった。(ガマ姐さん、オスを見つけられなかったんだね。可愛そうにねぇ)っていうのは、私の単なる思い違いだった。姐さんの流し目も、まだまだ健在だったらしい。ちょっと、無精卵が多いような気もするけど、産卵環境として日が浅いと、無精卵が多くなるそうだ。それも、年を経るごとに、ここで孵ったカエルが帰ってくるのか(駄洒落っぽいぞ)、さらに多くの固体が産卵環境として認知して、無精卵も減るらしい。よかったジャン。姐さん。これで安心だね。― 冗談じゃないよ、あんたが勝手にかんぐってただけじゃないよ。端っから、あたしゃ何の心配もしてないさ。オスのことなんざねぇ。それよりアンタ、うちの子達を、よその水溜りなんかに捨てたりしたら、承知しないからね!わかったよ姐さん。悪かったよ。でも、あんたのオタマ、うちの池でヤゴの餌食になっても、俺はしらないぜ。ガマ姐さんはオタマの孵化を見届けると、リングにブッ倒された『曙太郎』のような足取りで、山に帰って行った。去り際に不敵な笑みを浮かべると、例の流し目で言った。― アイル・ビー・バック!きっと、夏までまた眠る気なのだろう。アディオス!ガマ姐さん。アスタ・ラ・ビスタ!ベイビー (これはちょっと違うか?)
2005/04/15
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ブログの更新が滞りがちである。しかし、更新されない間、私が何も書かないで、あらぬことにうつつを抜かして居るのか?というと、必ずしもそうとも言い切れない。(必ずしも?)実は結構、書くには書いているのだ。2時間以上かけて書いていたりすることもある。(現実逃避のように本業そっちのけで)それにも関わらず、ブログ更新が滞るのは、そう『ボツ』が多いから・・・天・地・人。陰と陽が宇宙の太極であるように、掲載雑文の影に『ボツ文』あり。木・火・土・金・水の五行が万物の理ならば、『ボツ文』も、・・・つまらんからもう止せって?実はこの、『ボツネタ供養』のネタで書くのですら、すでに3回目なのだ。(前二回はもちろん『ボツ』)(おっ、このネタいける!)などとひらめいて、頭の中である程度フレーズを整理して、文章として引っ張れる目途が立つと、書き出す準備はOKだ。が、もろもろの事情で、書き出せないうちに、また、(おっ、このネタいける!)の瞬間がやってきて、その文脈やフレーズを考えているうちに、前のネタを忘れる。もしくは、左程興味がなくなる。頭の中では、そんなことを、ひがな一日、仔犬が自分の尻尾を追っかけて遊ぶように、繰り返しているわけだ。(あるいは、ヘビが自分の尻尾を飲んでいくように)やっと取り掛かれる頃には、結局、自分の中での旬を過ぎてしまって、何で、それを書きたかったのか?といった、プリミティブな衝動を忘れてしまっていることが多い。で、結局書いているうちに飽きてしまう。(ああ、この文章書くのも飽きかけてきてるぞぉ。そろそろオチを考えなくちゃ! ・・・なんでオチ?)そう、途中で投げ出す文章と書き上げる文章の差は、うまく落とせたか?にかかるように思える。(ああ、この文、危ない。今、すごくボツにしたい衝動が・・・)今みたいに、書いているうちに何を言おうとしていたのか、落としどころが何処だったのか、見失ってしまった事に気づいた瞬間が危ない。ボツが出やすい。本業が押してて、現実逃避で書き出してしまったような時は、大抵ここいらへんで我に帰る。(今みたいに?)さらに、何書こうとしてたんだっけ?って、読み返してみたりすると、大抵その場で意欲が萎える。(ああっ、本当に落としどころを見失ってしまったような気がする。)いま、読み返してみたけど、やっぱり着地点を見失っているようだ。普通なら、ここで、『ボツ』となる所だが・・・この、文章は運がいい。『ボツネタ供養』の題名都合と、『三度目の正直』の迷信で、何となくボツにならずに済んでいる。(二度有ることは・・・とも言うが)こうやって、溜まった『ボツ文』、冷却期間を置いて読むと、ちょっといじるとものになりそうなモノもある。(そう思って、いじり出して2度3度ボツの憂き目に会うネタも)冷却期間のせいで、よけい何書こうとしてたか分らなくなるものも。ああっ、駄目だ。書けば書くほど、しつこくなってきた。これを、スランプと言うのだろうか。(たかがブログなのに・・・)集中できない。心配事でもあるのだろうか?(貧乏の心配なら山ほど・・・リアルだ)あるいは、恋でもしたか?(貧乏の方だ。間違いなく。)あとは現実逃避のせいか。(またかよ)あ”~ (頭を抱える四十路目前男)
2005/04/12
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池の滝組と椿我家の池も、掘ってから1年経って植物も茂り、大分落ち着いてきた。所々、押さえ土が崩れて、防水層に使ったブルーシートが青く顔を出しているのも、御愛奇矯だろうと目を細める。(細めてないで修理しようよ)水面にはツバキの大輪の花が、幾つも漂っている。このツバキ、池を掘ったときに植え替えたので、時期が悪く、根付くか心配したが、予想以上に見事な花を咲かせてくれた。厳冬の頃には、午後3時過ぎまで、池底の落葉に包まって寝ていた金魚も、水がぬるんだのか、朝から活発に泳ぎ回っている。そのうち小メダカも生まれて、ひょろひょろ泳ぎだすだろう。(ヒメダカ、カダヤシ)池底の落ち葉の下では、去年産みつけられたヤゴどもが、そろそろ、もぞもぞ動き始めていることだろう。(メダカ危うし)黄色くて可愛い花を咲かせてくれるアサザも、雨後の竹の子のように伸び始めている。(適当に間引かねぇとすぐに池がジャングルになっちまう)こんな2畳弱ほどの池の中にも、確実に春がやってきている。ああ春だねぇ(背伸び) えっ・・・?(一点に視線釘付け)ありゃりゃあ・・・ 浅瀬のデロデロ(ヒキガエルの卵)池の縁の浅瀬にデロデロとした見覚えのある物体を発見。そういえば、数日前からいらっしゃってた。ガマ親分。(良いこのみんなは知らないかな?『おはよー子供ショー』)池の浅瀬にデロデロの卵生み付けやがった。タピオカ入りココナッツミルク?いや黒豆入り葛餅が近い感じか。いや、何でもいいけど、ゲッて感じ。そういえば、ガマ親分ここ数日見かけない。産み逃げしたと見える。(親分じゃなくて姐さんか)(どうしたもんかなぁ)藤沢市鵠沼にいたときにも池に産み付けられて難儀したけど。(詳しくは過去記述『ヒキガエルの受難』参照)今度はあのときより池も広いし、孵化させても大丈夫かな?でも、オタマがキャパシティーオーバーでカタストロフィー起こすのは勝手だけど、他の金魚やメダカやヤゴやアメンボやボウフラ・・・まで巻き添えは困るぜ。(ドウシタモンカナァ)数日後に見ると卵の場所が30cmほど岸に寄せられて、妙に居間から見やすい位置に移動している。(こりゃGさんの仕業だな)隠居のGさんが棒かなんかで手繰り寄せて見たに違いない。(飯食ってるときに見えるのは嬉しくないぜGさん)ところがまた数日後、もと産みつけられた辺りに戻っている。(Gさんにしちゃ芸が細かいな?周りに棒っ切れも落ちてないし)よく見ると、ガマ姐さんが『地獄の黙示禄』(フランシス・F・コッポラ監督)のワンシーンのように、水面から目だけを出してこちらを睨んでいる。(おー、子供を守りに戻って来たか。じゃ、卵引っ張って行ったのもあんたかい?)その心意気天晴れなり!誉めてつかわそ~と、小踊りしながら近づくと、(ああっ、もう駄目っ、ごめんねみんな)と目で訴えながら、ガマ姐さんは波紋を残して池中に消えた。(ちぇ、根性無しめ。イソップ童話のカエルママくらいの根性見せやがれ)誤解で悪者にされたみたいで、何となくつまらない。(どうしたもんだろうか)まあ、オタマになったら考えようか。(ヤゴの餌にはなりそうだし)幸い、家のすぐ下に沁み出し水の小さい水溜りがあるから、いざとなったらそこにお移りいただこう。そこなら、藤沢の時みたいにザリガニ君が待ち構えていることもないだろう。(過去記述参照)でも、なんとなく、姐さんの最後の切なそうな流し目が、頭から離れなくてなぁ。ところで、卵の位置を変えたの本当の所は誰なんだろうか?※過去の記述『ヒキガエルの受難』で藤沢市鵠沼在住時の話を書いてます。よろしければそちらも。
2005/04/04
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今日はプロ野球セリーグの開幕戦だった。(日付をまたいだので昨日でした)いい年こいた大人が、バカみたいな話だが、この日がどれだけ待ち遠しかったことか。毎年2月のキャンプインから、各選手の動向をテレビ、ネットを駆使して逐一調べ、つなぎ合わせた情報から、今年のチームの浮沈を予測しては、ニヤニヤしたり、落ち込んだり。そんな話をしたくても、話せる相手は嫁くらいしか居らず(何しろ話題がベイスターズ)、その嫁も私があまりにも熱くなるので、しまいには適当にお茶を濁してどこかに行ってしまう。そうやって溜まったフラストレーションが最高潮に達した今、ついに開幕である。試合結果から言えば、私のご贔屓『横浜ベイスターズ』は去年の覇者『中日ドラゴンズ』に0-4で負けた。(予想通り?)だけど、最後の横浜:三浦投手と中日:アレックスの勝負は、昔の日本シリーズでのヤクルト:オマリーとオリックス:小林投手の勝負を思い出すような爽快なものだった。(えっ、そんな、中途半端な昔の勝負を例えに出されても分らない?)9回裏の中日の攻撃を迎えた段階で、0-0。先頭の立浪の打球はレフト鈴木尚典の拙い守備で3塁打となり、ベンチはセオリー通り敬遠敬遠で満塁策。などと、経過報告をしてもしょうがないので肝だけ書こう。ノーアウト満塁、カウントは2-3。横浜の三浦―相川のバッテリーが選択したのは直球勝負。同じ負けるにしても、押出しファーボールで負けるのは止めようぜ。という作戦。(作戦?)そこで、本来技巧派の三浦が、直球に強いはずのアレックスと真っ向勝負。1回から投げつづけているにも関わらず、この日最速の144キロの直球でアレックスを振り遅らせるが、アレックスもファールでねばる。さらに直球を投げても投げてもまたファール。(三浦の球威も捨てたもんじゃないじゃないか!)アレックスとの13球目はど真ん中高め。見事にスタンドまで運ばれた。さよなら満塁ホームラン。(あれだけ続けりゃ打たれるか)そもそも、技巧派の三浦が外国人助っ人相手に力勝負に持ち込まれた段階で勝負は決まっていたし、もっと突き詰めれば主軸の多村が風邪ひいて休んだ時点で・・・(多村がいれば、今日センターだった小池を、守備の悪い鈴木の変わりにレフトで使ってブツブツブツ)その詰めの甘さがベイスターズ低迷の原因なのだろうけど。でも、好きなんだよね。こういう力勝負。三浦が投げるの見てる間、息止めてたし、鳥肌立ったし。なんと言っても、三浦の気合が伝わってきて良かった。(森監督のときの西武(ベイに非ず)の、相手に恐怖心を与えるような緻密な野球も好きだったけどね。山本浩二引退の年の広島vs西武の日本シリーズは凄かった。)そりゃ、押えて勝てればそれに越したことないけど。負けたって、面白けりゃいいのだ!(若干投げやり)プロなんだからお客を喜ばせてナンボやろ!(これも、弱小球団を長年応援してきて身につけた、自己防衛術か)三浦が打たれてベンチに戻るときTVに向かって、「良くやったよ!いやぁ大輔は漢だよおぅ」と石橋貴明の『ホモ太郎侍』のような裏返った声で話し掛けてしまった位だ。(実は風邪で声がうまく出ない)ファンは贔屓チームが勝てば嬉しい。だけど、負けても華があれば「良いものをみせてもらった」と思える。だから、勝つときは地味に勝っても、負けるときには華々しく負けていれば、おのずとファンは増える!(本当か?)こんなこと野球の掲示板に書き込もうもんなら、「このど素人が!」とか「氏ね!」とか罵倒されるところだろうけど、ここは楽天ブログだから大丈夫かな。しかも、気持ち入りすぎて、文章支離滅裂。何がそんなに夢中にさせるのだろうか?プロ野球。バッカみたい? かな・・・
2005/04/02
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本日は4月1日私の住む地区では、ゴミの分別回収法が今日から変わる。今朝は、新しい分別法では『家庭ゴミ』と呼ばれるゴミ袋一つをぶら下げて、集積場までの250mの道々、春を愛でつつ歩いた。数日前にはちらほらだったホトケノザが満開で、畑の間の空き地が薄赤紫色に染まっている。近所の家の生垣はレンギョウの黄色が眩しく、満開のハクモクレンは相変わらず丸めた鼻紙のようだ。(花粉症の季節ですねぇ)そういえば、居間から見える隣家のシダレザクラは、もう五分咲き位だけど、仕事部屋の窓横のオオシマザクラは、まだほとんど咲いていない。(なんか、前回のコピペみたいだ)世間一般的には本日から年度が変わるが、私のいる公共系都市計画・土木・造園・設計業界では本日は『3月32日』と呼ばれている。いや言い張っている。(私の周りだけか?・・・)何しろ、4月といっても、抱えている仕事は前年度工期の仕事ばかり。役所の方も、余った予算をかき集めて、年度末に細かい業務をたくさん発注するので、業務が工期内に終わらなくても、半分は仕方ないことなのだ。(半分は請負側の責任?)実際、『3月28日発注3月31日工期』(しかも、地元調整有りの実施設計。担当者は3月いっぱいで他部署に移動!)なんていう、冗談みたいな仕事が、書類上は発生したりする。(発注側も受注側も、工期内に終わらせる気毛頭無し)そんな訳で、前年度業務を抱えているうちは皆、4月になった事を認めずに、3月60日だの90日だの、酷い場合は3月395日だのと言い張っている。(これでいいのだろうか・・・)書類上の工期には請負上の体裁を整えて『仮』納品。あと『念書』入れ・・・。バブルの頃だと、工期には、白紙を束ねて表紙をつけたダミーの報告書を作り、何冊か重ねて写真をとってシャンシャンみたいな、無駄っぽい作業も良くあった。(もちろん、継続して作業して、最終成果品にはキチンとした物出しましたよ。)だから、なんとなく、前年度業務はゴールデンウィーク前までに終わらせればよし、みたいな風潮がある。(大体3月60日前後)考えてみると、本当に工期にルーズな業界だなぁ。(おかげで、私のようなキリギリス野郎でも何とか棲息してこれました)そんなことを考えながら、ゴミ集積場に到着すると、綺麗に片付いている。(ゴミがない!)その時AM10:00。前年度までなら、10:30まではゴミがあったのに。(その前なら正午過ぎ)新年度になったせいか、ゴミの出し方が変わったせいか、環境事業局もやる気を出したようだ。しょうがないから、また、持って帰ったさ。『家庭ゴミ』のゴミ袋一つ。環境事業局も年度が変わって気合入れてるみたいだし。私もいつまでも、「まっ、まだっ、3月60日ですよぉ。へっ、へへへっ・・・」と後ずさりしながら上目遣いに、クライアントの顔色を伺うような羽目にならないように、ねじ巻き直すか!ブチッ。(ネジが巻き切れた音)
2005/04/01
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4月からゴミの分別が複雑になるので、その前になるべく不要品は捨てておこうと、昨日から昼飯後30分づつ家の片づけを始めた。ゴミの分別自体はとても良い事だし、できるだけ協力していこうと思っている。でも、めんどくさそうなゴミ(傘の布と骨とプラスチックの取っ手みたいな)は今のうちに出しておきたいのが親心というものだろう。あれっ、親心じゃないな。何心だっけ?里心?魚心水心?言葉が出てこない。春ボケだろうか?(あっ『本心or本音』だっ。)そんな訳で、今朝のゴミだしは40リットル袋5個だ。中には古いカタログとかも入っているから、結構重い。我家からゴミ集積所までは、走った感じ50m走5本分くらいだろうか。(つまり250mくらいかな?)何通りか行き方があるが、お気に入りは、我家の正面から畑の畦道を突っ切って、川沿いの散策路を通るもの。ゴミが重かったり多いときには車を使うこともある。今日の5袋は微妙、というよりも、普段なら車を使う量だろう。(重いし)(でも、春だしね)ちょっと人目を考えて躊躇もしたが、春のそぞろ歩きの魅力が勝り、ゴミ袋5個ぶら下げて歩き始めた。畦道を歩きながら、先日トラクターで耕されて、土の匂いのする畑地を見渡すと、ホトケノザやナズナの花のピンクと白が脇の方にちょぼちょぼと見える。視線を足元に転じると、私の好きな※オオイヌノフグリも、名前に似合わない可憐な花を咲かせている。冬の間、ロゼッタ(冬眠状態)になって、地べたにべたっと張り付いていた植物達も、むくむくと起き上がり、新芽を伸ばしはじめている。垣根の影では、キジバトとコジュケイが戯れている。(妙な組合せだ)川面には、今日は鴨のツガイは見られなかった。私のハナ歌も「もうすぐはーるですねぇ」から「ほぅら、はるさきこーべにぃ」に替わってきた。オレンジレンジの『花』やケツメイシの『さくら』、せめて福山雅治の『桜坂』あたりが自然に出ると良いのだが。(ボーっとしてると松田聖子の『制服』とか一生懸命歌ってたりする)などと、春を満喫しながらの250m。散歩(ゴミだし?)は季節の移ろいや自分の精神状態など、様々なことに気づかせてくれる。もうすぐ目的のゴミ集積場。ふと見ると綺麗に片付いている。(ゴミがない!)その時AM10:53。以前なら、昼過ぎまでは確実にゴミがあったのに。確かに近頃、回収が早くなったような気はしていたが・・・『ゴミは当日のAM8:00までに出しましょう』ゴミ集積場にはちゃんと書いてあるし、夏場のゴミ放置は悪臭の元だ。だから、回収時間が早くなったのは良いことだ。(衛生局も少しは頑張る気になったって事か・・・文句は言えねぇな。ちぇっ、車で来りゃまだ良かった)畑のおじさんの(お若けぇの、いったい今何時だと思ってんだい?)と言いたそうな視線を感じながら、帰ってきたさ。250m、ゴミ袋5個ぶら下げて。嫁にその話をすると、「このごろ10時半くらいには回収に来るって、あなたこの前言ってわよ」・・・俺、春ボケか?重い袋もってうろうろしたおかげで、手が震えて、マウス操作にいつもの正確さとキレがない。(キレ?)いつのまにか軟弱になった、私の二の腕にも気づかせてくれた、春の散歩路だった。(とりあえず、鉄アレイでも出してこようか?)ついでに鼻がムズガユイ。※過去の記述『屁糞蔓とはご無体な!』でオオイヌノフグリの名の由来について書いてます。(屁糞蔓のつぎ)よろしければそちらも。
2005/03/21
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日向子四連発さっき娘を風呂に入れる前に、体重を量ったらジャスト2100g3日前に2000gを超えたので、パピーが特別に『祝2000g』記念スペシャルポエムでも書いてやろうと思っていたのに・・・。いやぁこの調子ででかくなったら、私の体重なんざ、数ヶ月で抜かれちまいそうだ。3日で100gペースだと2187日(5年と361日)。えっ?つまり平成23年の3月10日までは抜かれないのか。凄いペースかと思ったら意外と先だな・・・。(そんなスリムじゃないぜ!自分)でも、1022gで産まれて、最小時924gだった娘が、こんなに立派に育ったかと思うと感無量でございます。(気が早いぜ)------------------------------------------------話は変わるが、明日は確定申告の締め切り日良い子のみんなは、もう申告すんだよね!おにーさんはまだなんだ!えへへっ。真似しちゃ駄目だよー!気合入れようとして、コンビニで夜食買いこんできた。カップうどんを食いながら、気づいたら、日記の更新なんか始めちまった。(おいおいまたかい!)複式帳簿がまだ出来てないぜダンナ!おっと、これは困ったねぇ。根っからのキリギリス野郎、本領発揮斬ぃりー!ってか?眠いよ。寒いよ。アリさんアリさん食べ物をおくれよぉ。って、まだ食うきかオノレ!いいからとっとと帳簿作りなさい!(あっ、マザーの声が聞こえてきたぜ!)はぁーい。(ショボン)ややテンション高めな私(瞼は重い)
2005/03/14
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年度末ラッシュの仕事と仕事の工程がずれて、エアポケットのように時間ができたので、仕事場の使い勝手を良くしようと、整理を始めたら収集がつかなくなった。明日は、打合せに行ってその後はまたラッシュなのに、私の周りにうずたかく積み上がった、書類や書籍や意味のないオモチャの類はいったいなんなんだ!どうしたもんかと途方にくれながらも、いそいそと日記の更新など始めてしまった。それというのも、片付けていたら、前に書いた小説?が出てきて、読んでいるうちに、ここに載せてみたくなったからだ。「直木賞獲るぞぉ!」と嫁に宣言しておきながら、筋も展開も考えないで書き始めたもんだから、結局、掌編(超短編?)小説になってしまったものだ。そもそも、小説と呼べるやら。もしかしたら『作文』か?『そんなくりかえし』 テレビの中をエンディングロールが流れていく。「なかなか良くできた映画だったね。だけど普通、腹ビストルで撃たれたらあんなに生きてないよね。だいたい、人担いで雪の中何時間も歩いたりできないよ」「そうねぇ。だけどあなた、おなか撃たれて死んだ人、誰か知ってるの?」「えっ。いやっ。でも、だいたいわかるよ」「そうなの?」「だって、腹撃たれたら死んじゃうよ!」「・・・・・・」「だいたいどの映画でもそう、だよ・・・」自分でも話がおかしい事に気付いた。「でも、それも映画なんでしょ」こんなとき、妻は容赦ない。「俺、昔、青少年赤十字に入ってたし」「そこで教わったの?」適当にお茶を濁したかった。そもそも私は何を偉そうに語っているのだろう。彼女は正論だ。いつも。(わからないから聞いているだけよ)私はそのたびに、責められているように感じる。適当に聞き流してくれてもいいのに。「なんか、気、悪くしちゃった? 黙っちゃって」「別に。そんなことないよ」この場を離れたかった。ふと、家を出て行く自分を想像した。でも、行く当てもない。冬の野宿は辛そうだし、宿に泊まる金はもったいない。愛人でもいれば、そこへ泊まるのだろうが・・・・・・。こんな事うじうじ考えている私には、今のところ、そんな甲斐性、絶対無い。だいたい、こんな事で家出するなんて、情けなさ過ぎる。いたたまれなくなって、私は台所へ逃げた。洗いかけで、ほっぽりだしてあった洗い物を、黙って片付け始めた。妻がやってきて、 「お茶入れたら飲む?」 と訊く。私は 「飲む」 と答えた。うーん。これって、小説って言えるのか?(エピソードか?)なんか、違うような気がしてきたなぁ。
2005/03/10
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先日、ネットでニュースをチェックしていたら、懐かしい名前を目にした。『学生無年金障害者訴訟 原告勝訴』の記事。その、原告の一人の名。名前も年齢も町名も一致しているから、おそらく間違いないと思うが、私の小中学校の時の親友である。彼は、中学の三年で転校して行き、その後何年かは年賀状の行き来があったが、すでに音信が途絶えて久しかった。記事によると大学4年生(21歳)の時、オートバイ事故で半身不随・記憶障害・知的障害・右目失明の重度障害おって、今は障害者施設でクッキーの型抜きの仕事をしていると言う。(今ごろどうしているのかな?)ふと思うこともあった。若干変わり者だったが、成績がよく、スポーツができ、背も高く、顔も十人並み以上だった奴のことだから、きっと今ごろ美人の嫁さんもらって、子供二三人に囲まれて暮らしているのだろう。などと考えていた。二人で遠くまでサイクリングに行ったときに、車通りのない丘の上の農道に寝そべって、流れる雲を見ながら、将来の夢などを語ったこともあった。(少年の頃はちゃんと『青春』していたのだ)奴はその時「科学者になりたい」と言ったと思う。もっと、テキトウな答えが返ってくると思っていたら、珍しく真面目に直球が帰ってきて、驚いたような記憶がある。私はと言えば、そんな人に話せるような明確な目標などなく、それこそテキトウに話を茶化してしまったように思う。その『科学者』に成るべく着実に進んでいた彼が、有る日を境に、クッキーの型抜き作業を10数年続けていると言う。脳に障害のある方に、特別な差別感情は持っていないし、クッキーの型抜き作業を侮辱するつもりも無いが、やはり、ショックを感じた。21歳からの自分といえば、恋をしたり、失恋したり、仕事を覚えて、社会の厳しさをしり、結婚もして、子供にも恵まれた。良いことも悪いことも含め、たくさんの経験をした。彼はその間、何を喜び、何に怒り、何を感じてきたのだろう。人生、『一寸先は闇』というが、本当に何があるかわからない。感情とは別の次元で、受け入れがたい現実を受け入れて、前に進まねばならない場面に、今後遭遇することもあるだろう。そのとき自分ならどうするか。何ができるか。今まで、消息を確かめた訳でもないのに、今さら『私に何ができるか?』もないかな。冷めた言い方をすれば、すでに彼は私の記憶の中の住人で、なんら、人生に影響を与えられることはない。 のか?私にとっては過去の人なのか?おそらく彼は、私の事を思い出すことはできないのだろな。今回の記事によると、裁判は全面勝訴のようで、年金制度の欠陥を明確にし、国の責任を認めた画期的な判決と言うことになる。ここまでの、彼の家族や支援者皆さんのご苦労、同様に苦労されている方の事を思えば、非常に喜ばしいことなのである。国が控訴を諦め、これで結審すれば、ご両親も安心されることだろう。思い出話を一つ二つ。学習塾に行く前に、彼の家で早い夕飯をご馳走になったとき、『鯛の吸い物』が出てきた。私は初めて口にするチャンスに恵まれた、上品なご馳走に、興奮気味に、「お前、いつもこんなもん食ってんの?塾行く前に!」と問い詰めると、奴は自慢げに「まあね」(うちは『サッポロ一番塩ラーメン・キャベツと卵入り』(調理人=自分)なのに!)喜び勇んで、鯛の身を口に放り込むと、とがった背骨が歯茎にぐさり。「いっ、これっ、骨が入ってるもんなの?」「まあね」(やっぱり上品な料理は上品に食わねば)と子供心に思った。ギターに初めて触れたのも奴の家。教本を見ながら、懸命に弾いてみようと試みた曲は『荒城の月』(by滝廉太郎)思うに任せない指運びが、単音で奏でられるたどたどしい旋律とあいまって、妙に物哀しい気分になった。(今思うとこの経験が、私のギター習得を数年遅らせたような気がする)奴の愛犬はメス犬の『大介ちゃん』私が遊びにいくと、いつも嬉しそうに、仰向けに腹出して迎えてくれた。(だから、立っている姿が思い出せない)もう、死んじゃったんだろうな。
2005/03/05
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長年愛用していたマウスがついに壊れた。PCが代わっても、マウスはそれを付けて使っていたお気に入り。銀色だったはずのボディーの塗装は剥げ、私の手形通りにベージュの地色がでてしまっていた。私は左利きなのだが、マウスは右で使っている。マウスを始めて使う羽目になったのがアルバイト先のMacだったので、勝手に左利き用にセッティングするわけにもいかず、右手で扱えるように手を震わせながら練習したものだ。当時一般的だったパソコンが、NEC PC88か98くらいの頃だから、Osは確かMS-Dos。『コマンドもしくはファイル名が違います』の表示を恐れながら、コマンドを一生懸命打ち込んで立ち上げるのが当たり前だった頃だ。それまで、マウスなど触れたことも無かったから、右手でも左でも、上手く使えないことには変わりなく、その面ではさほど苦にはならなかった。逆に今では、マウス左手では扱えない。たまにペンタブレットを使うと分るのだが、ショートカットキーの配置は明らかに、右手にマウスもしくはペンを持っていることを前提に設定されている。左手にタブレット用ペンをもって右手でキーを押そうとすると、手首がねじれて二の腕が攣りそうになったりする。(私、右腕を二度骨折してるので、特に動きが硬いのかも知れんが。)やっぱりマウスは右手で練習しといてよかった。(さすがに今さら、ペンタブレット右手では使えんぞ)そうそう、マウスが壊れた話だった。その、手に馴染んだマウスに代わるマウスを探すべく、近所の『K’sデンキ』で、サンプルを撫でまわしてみた。(まあ、最初はこんなもんかな?)それなりに手に馴染むかな?と思えるものを購入してきた。パッケージには『限定』の文字。(日本人は『限定』の文字に弱いんだよね。でも、何が『限定』なんだろ?)とチラッと思いつつも、さほど気にはしなかった。パソコンにつないでびっくり。ただのデザインだと思っていた青い透明プラスティックの部分が、光る光る。(おおっ、これは発明対価6億857万円也の青色発光ダイオード!これが『限定』仕様の正体なのか?)なんとなくオシャレかな?などと、初めは面白がっていたけど、結構眩しい。(さすがに、「ノーベル賞もの」と言われた発明品だ!赤色に比べると眩しいぞ。これなら「レーザーの精度が上がる」ってのも頷けるってもんだぜ。)でもいったん気になりだすと、だんだん目障りになってきた。視野の端っこで青色の光が動くたび、判決後の記者会見で「100%負けだ-」と叫んでいた中村教授の顔がちらついて、どうも集中できない。(『限定』も良し悪しだなぁ)それに釣られたわけではないが、ちょっと後悔したりして。特に眩しいホイール周りを隠すべく、人差し指と中指を『がに股』から『内股』にしてみたけど、今度は使いづらい。結局、一番眩しい部分を黒ビニールテープで隠してみた。私も一応デザイナーの端くれ。デザインに馴染むように、カッターで形を整えるくらいのことはしたさ。(うん、スタイリッシュ!と言うことにしておこう)ほどほどに納得して、ついでに少し愛着も湧いた。前のマウスに比べて少し小さいようで、グリップがしっくり来るまでには、まだ時間が掛かるかも知れないが、まあ、よろしく頼むよ。マウス君!
2005/02/01
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去年をあらわす漢字は「災」だそうである。ちなみに今まで選ばれた漢字は、発表し始めた1995年から順番に「震」「食」「倒」「毒」「末」「金」「戦」「帰」「虎」だそうだ。年末の行事なんだから、もっと明るい文字が選ばれているのかと思っていたが、手放しでめでたいのは2000年の「金」だけ。後は、暗い出来事からの発想ばかりである。1986年の「食」は一見良さそうだが、その実は0157食中毒と狂牛病だし。2003年の「虎」も、『猛虎優勝』の経済効果が高かろうがなんだろうが、阪神ファン以外にとってはどーでも良いことだ。いや、むしろ腹立たしい。(まったく不甲斐ない我が贔屓球団)この字群を見ていると、やっぱり暗い世相なのかな?としみじみ思ってしまう。それでかどうかは知らないが、先日夢をみた。どこかの防波堤で釣りをしていると、いきなり『マツケンサンバ2』のあのイントロが流れだし、何処からか大勢のダンサーがわいて出てきて踊り始めた。「まったく近頃の若い者はっ! ねぇ~。」隣で釣っていたおじさんが、その光景に眉をひそめながら、私に同意を求める。(おじさんから見りゃ、俺は若者には入らんのだろうなぁ。でも踊ってる奴ら楽しそうだなー。こんなことなら、踊り方DVD買って練習しておくんだったぞ)などと、うじうじ考えつつも、隣のおじさんにあいまいな微笑みを返す私。ああ、夢の中でくらい、もっと自由にやりたいことすれば良いのに!まったく情けないぜ!(別にステップなんかどーでも良いのに)まあ、私の夢の話などどうでも良いのだが、『マツケンサンバ2』のヒットは『今年の漢字』にも現れる、暗い世相の裏返しとの見方もされているようだ。「歌は世に連れ、世は歌に連れ」と玉置宏さんも言っていた。幕末の動乱の頃も、民衆が「ええじゃないか」「ええじゃないか」と踊り狂ったというし。(確か、その時は空からお札が降ったとか)そういえば、タイミングよく埼玉の水路から1500枚の一万円札が見つかったとか。うーん。この調子だと、今年はさらに三線弾いて『※カチャーシー』って言うのが流行るかも。(※沖縄で人が集まると、最後は必ずこれでしめる。チャンプルーなドンちゃん騒ぎのことらしい。乱舞?)居酒屋で飲んでても「それじゃ、そろそろカチャーシー」とか言って、みんながいきなり踊りだしたりして。それはそれで、楽しいけど。踊っているうちに世の中が変わるのを待つ?(『ジャズ大名』みたいだ)映画『ジャズ大名』(原作『筒井康隆』)は、幕末期、「佐幕か!新政府か!」の現実が面倒くさくなった殿様が、領地に漂着した黒人船乗りがもたらした、デキシーランドジャズにのめり込んでいく。と言う話だった。と思う。ラストシーンでは、やけくそで開放され、いまや街道の一部と化している城の大廊下を、幕軍官軍と共に、歴史が通り過ぎていく。その地下の大広間では、お構いなしに、ひたすら、城を挙げての大ジャムセッションが繰り広げられていく。まさに耽っている。そのうち、いつのまにか世は明治に変わっていった。なんとなくシュールで好きな場面。意味も無く踊りつづけていても、時代を変えるために奔走しても、どちらもきっと楽しいだろう。でも、夢の中でさえ、マツケンサンバの輪に加われなかった私は、混迷の世を踊り明かすことすらできないのか?ちなみに、昔酔っ払ってディスコで踊って、「お前はフィーバー野郎か?」と時代遅れなヒンシュクを買った私。同じヒンシュクなら「お前はトラボルタか?」と言われてみたい。イェーイ!フィーバーしようぜ!(えっ、お呼びでない?)
2005/01/31
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昔読んだ司馬遼太郎の『街道をゆく/モンゴル』の一節に、ゴビ砂漠の星空の形容があった。月の無い星空の夜に、宿舎から外に出て、少し離れてしまうと、どれが宿舎の明かりで、どれが星の光だか分らなくなってしまうという。それは『星空』と言うような生半可なものではなく、空間を星で満たし、その中にざぶんっとあたまを突っ込んだら、こんな感じではなかろうか、というようなものらしい。宿舎に戻れなくなるのは困るが、是非一度見てみたい。ゴビ砂漠の遠近感がなくなるほどの星空。私にもそれに近い?星空を体験するチャンスはあった。らしい。10年程前の南アルプス。山に入って2日目の晩の、比較的奥深い山の稜線の小屋で。一緒に行った、親父やその友人の話だと、まさに、「電球がいっぱいぶら下がっている中に、あたま突っ込んだみたいだったよ!」だそうだ。親父もその友人も、夜中小屋の外にある便所に用を足しに行くときに、偶然遭遇したそうだ。その夜の私はと言うと、ただひたすら泥のように寝ていた。(泥?)雑魚寝の小屋のなか、寝入ろうとしている私のすぐ隣で、おもむろに裸になって着替えだした、見ず知らずのおばちゃんの、薄暗い明かりに浮かび上がった生っ白い裸体を、記憶から追い出そうとするかのように。爆睡したおかげで、悪い夢を見る事も無く、無論、尿意など微塵も感じないまま、爽やかな朝の目覚めを迎えてしまった。翌朝、神々しい御来光を拝みながらも、夜の出来事を、興奮がちに語り合うオッサン達。(ちぇっ、星空か・・・。俺はおばちゃんのストリップだったのに。電球にあたま突っ込んだら火傷するぜ。はげ頭ならなおさらだ。)私は的外れな負け惜しみを、人知れず呟くしかなかった。(起こしてくれよぉぉ・・・)それからと言うもの、山で泊まるときには夜中に一度は起きて空を見るようにしている。(つもり)しかし、なかなか晴れてはくれない。ましてや、月の無い満天の星空など、その後まったく無縁である。星空の写真をとるために、夕方から山に登って、夜空を撮影しつづけて、朝には下山。そんな登山を楽しまれている方の、ホームページを偶然見つけた。そんな山登りもあるのか。粋だなぁ。近郊の山なら、星空がダメでも街の夜景が綺麗そうな場所もあるしね。でも、街の灯なら、その中をふらふら泳いでいた方が、楽しかったりして。なんて、すぐ怠惰な方に流れないで、少しは星空の夢でも見ようぜ、俺。(少年のように?)夜の山もまた楽し。か。今年は山小屋にでも泊まってみるかな?(子供と嫁を連れて行けるのはまだまだ先になるなぁ)嗚呼、憧れの星まみれ。江戸時代なら街中でも見られたのだろうか?
2005/01/29
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楽天日記も前回でやっと100話となった。(今回で101話目)雑文も100も書くと、自分の気づかなかった指向を知る資料となる。私が文章を書いているこの場所、実は『園芸カテゴリー』である。おちゃらけ話ばかりで、申し訳ないくらい園芸ネタは無い。なぜ、このカテゴリーを選んだかといえば、自分の商売と絡めて、さまざまなウンチクを発信できると思ったからだ。あわよくば商売のタネにならんか?などと・・・。ところが、参考に覗いてみた、同カテゴリーの他の方のブログには、園芸に関する、恐るべき量の情報が溢れに溢れていた。しかも、皆さん真剣だ。(俺なんか、お呼びじゃないぜ・・・)そのとき、自分は『景観屋』あるいは『広場・公園屋』(しかも放置系)であり、間違っても園芸家(こまめな手入れで、美しいガーデンライフ系)では無いということを思い知らされた。(おぼろげには気づいていたかも)また、ずぼらな私には、専門分野で有っても、とてもここでここまでまめな情報発信はできないと悟り、とっとと当初のもくろみは捨て、ひたすら自慰的雑文に徹してしまった101回。雑文は雑文だが、そのとき感じたことや、昔考えていた事を思い出しての記述なので、読み返してみると感慨深い。さらに、毎回何人かの方の目に触れているのかと思うと、えも言えぬ快感を感じてしまう。(なんか表現がエロくなった?ぞ。)十代の頃にノートに雑文を書いていたが、『自分だけの密かな愉しみ』ではそう長くは続かなかった。お調子者にとってはやっぱり、周囲の視線や『よいしょ』が、継続のための何よりのエネルギー源になるようだ。読んでくださる方、書き込みしてくださる方、感謝感謝です。今後ともよろしく。全然関係ないけど、『101回目のプロポーズ』という昔のTVドラマのテーマ曲、チャゲ&飛鳥の『Say yes』って訳すと『ハイと言え!』?ドラマ見てなかったから、ストーリー分らないけど、武田鉄也が、断っても断ってもプロポーズしにやって来て、そのたびに「セイ・イエス!」と脅されて、挙句の果てに「僕は死にまッしぇん!」っだったとしたら ・ ・ ・ やだな。そもそも、なんで武田鉄也なんだろう?
2005/01/14
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ゴッドファザー。前にも書いたが、シチリア系マフィアのファミリーでは名付け親をこう呼んで、神のごとく尊敬するらしい。(映画『ゴッドファザー』よりうる覚え)私も、娘に尊敬される親父になるぞと、力み返って名前を練ること数日。やっと決まった。(その間、一族の了承を得るための説得作業なども有り)ぼちぼち考え始めたのは去年暮れから。(三月産まれなら、春らしい名前がいいかな)(陽だまりのぽかぽかした感じがいいかな)(多少、文字にしまりがあったほうがいいな。あたま軽くなっても困るし。)などと思案し、日向(ひなた)からとって、音は『ひなこ』にしようと、夫婦内ではなんとなく決めていた。(酉のヒナ、三月のひな祭りにかけてもちょうど良いや。)とも思っていたが、実際産まれたのは一月。どうしたもんかなぁ。でも良く考えると、日なたの子という名は冬こそ使えるかも。寒い季節の陽だまりは気持ちいいし。お日様に向かってエネルギーを分けてもらう強い子。(ウルトラセブンみたいだな)と、理由をちょいと細工してそのまま採用することに。後は姓名判断とも照らし合わせて、良い字を当てようと、エクセルで使えそうな漢字の画数表をつくり、辞書とネット姓名占いとを見比べながら唸った唸った。占いごとに言ってる事がぜんぜん違うので、すべての占いで良い評価を出してやろうと頭から湯気出して考えた。そんなパズルを解いていて、ふと気づくと、なんだか占い師の名前みたいな、怪しい文字の羅列になってしまった。(やめたっ、やめた!)だいたい、会ったこともない他人の、しかもコンピュータで機械的に出された判定に、生の人間様が振り回されてたまるか!(そもそも、ただで占てもらおうというのが、虫が良すぎるのかも?)薄気味悪い文字よりも、シンプルが一番!結局一番最初に浮かんだ字に決めた。命名 『日向子(ひなこ)』そもそも、文字変えたら『日なたの子』じゃなくなっちゃうし。(今ごろ気づいたか!)実は、ネット占い結果もまあまあ良い。寒い日の、日なたのような子に育ってくれたら良いな。ところで、うちの猫の名は『はな』娘の名は『ひなこ』今まで、二三度?間違えた。(先が思いやられる・・・)
2005/01/08
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昨日、子供が産まれた。正確に言えば、『出した』妻は年末から妊娠中毒症が悪化したため入院していたのだが、このまま妊娠状態を続けるのは危険との判断で、昨日緊急帝王切開となった。私も近々とは思っていたが、朝突然病院から呼び出しを食らったので、少々面食らった。(まだ名前も確定してないのに、気の早いベイビーだぜ)距離の割に料金が高いから、めったに乗らない首都高速道路(神奈川エリア)を快調に飛ばしながら、バックミラーに富士山が映ると、「こいつは縁起がいいぜ」サンルーフ越しの空が快晴なので「こいつは縁起がいいぜ」などと、独り、気を励ましながら車を走らせた。(運転中、サンルーフ見上げるのは危ないぜ。おっさん!)病院に着いてからもなんだかんだ有ったのだが、午後3時10分に産まれた。女の子。嫁も無事で一安心。私が初のご対面をしたのは、午後3時20分。廊下で。「よう、出てきたかい。お嬢ちゃんだってね!ダディーは会えるのを楽しみにしてたんだぜ。分るかい?ベイビー!」と一言のたまっただけで、お嬢はとっとと、NICU(新生児集中治療室?)に消えていってしまった。二時間後にじっくりご対面することができた。思っていたよりはちゃんと人間の格好をしていた。かなり小さいが。(約1kg超)なにしろ2ヶ月も予定よりも早く産まれるので、どんな状態で出てくるのか想像できず、かなりひどい状況まで覚悟していたため、ちゃんと『赤ちゃん』だったので安堵。若干動きが、『ハリウッド特撮』っぽかったかな?嫁に後できいたら、帝王切開でも、腹から出てきたときには、いっちょまえに泣いたらしい。私が見ていても、泡をぶくぶく吹いているだけで、泣き声はまだ聞かせてくれない。(カニのようだぜ)などと思いつつも、眺めているとなんとなく、じんわりかわいい。よく見ると体中に毛が生えている。まるで、『サルのようだ』というといいすぎだが、レディーにしては毛深い。これも未熟性のせいだろうか?お腹の中では人類進化の過程を一通り通って、40週で『ヒト』として産まれるようにできているのかもしれない。などと考えてしまった。ベイビーの外界第一声は「オッ!オギャーッ!オギャー?オギャー!」(訳:あらっ!ちょっとっ!まだ早いんじゃなくって?私、無駄毛の処理も、してませんことよ!)と叫んだのかもしれない。ついでに言うなら、体の割に足がでかい。「ジャイアント馬場並みに足でかいっすね!」と口走りかけたが、『PRIDE』『K-1』世代の若い看護師さんの失笑をおそれて、「足でかいですねぇ」とだけボソッというと、「ほんとですねー。体大きくなるかもしれませんね。」と感じの良い看護師さん。未熟性児の親としては何より心強いお言葉。やはり、目指すはジャイアント馬場か?って、女の子にそこまでのガタイは望みませんな。(男の子でもか!)こんな状態で無理やり誕生させてしまったわけだが、やはり誕生日は昨日でよいのだろうか?それなら、もうずっと前から生命はあったわけだし。などと考えていたら、我が親父殿が一言。「母親の一部だったのが、分離して『個人』になった日だから誕生日でよいのさ。」なるほど。誕生とは『独り』になって生きていくということか・・・。まだ、当分保育器の中で、抱くことはできないが、まあ、ゆっくり、あせらず、きっちり成長してくれぃ。ダンディー じゃなくて、ダディーも漢(おとこ)を磨いて待ってるからな!(ゲッツ!)
2005/01/06
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前回も書いたが、私の苗字は比較的珍しいらしい。(仮に“K”としておこう)調子に乗って、今回は我“K”一族の発祥について書こうと思う。我家に伝わる伝承では、祖先は菊池武敏という南北朝時代の武将ということになっている。この人、南朝側について筑前多々良浜で北朝側総大将足利尊氏兄弟と戦して敗れたことで少し有名な人。その後、何度も懲りずに挙兵しては負けて、最後は落武者となって肥後の国まで逃げて、隠れ住んだのが、前回書いたの『阿蘇牛乳』の生産地『熊本県菊池郡○○町字“K”』。そこが我一族発祥の地とされている。この説が正しければ、女優?の菊池桃子と同族ということになる。(前に確かラジオで、ご先祖は九州の菊池氏だと言っていた)ちょっと嬉しい気もする。さらに時は流れて、どのような過程を経たのか知らないけど、幕末には肥後熊本藩細川家の禄を食んでいたようだ。私は、実はこの伝承とは別に、『“K”一族渡来人説』というのを密かに(飲んだ時だけ)唱えている。推測以上の根拠は無いけど。(親戚にも話したことないかも。)それでも、一応理由はあるので、ちょっと、渡来人説の元となる事象を書いてみよう。その1:韓国には今でも“K”という中堅都市がある。(プロ野球チームの本拠地もあり日本人選手がプレーしたりもしている)その2:豊臣秀吉が朝鮮に出兵した文禄慶長の役のさい、当時の熊本領主加藤清正が朝鮮中央部以北まで攻め込み、韓国より優秀な石工集団をつれてきた。その後、天下普請で作られた名古屋城の本丸石積みは、加藤清正がその韓国石工集団を使って施工したものだが、そのためか名古屋城には『“K”城』という別名がある。(他には『蓬莱城』『金鯱城』などとも言う)その3:朝鮮出兵の際、名護屋城よりさらに韓国よりの、兵站最前線基地となった壱岐にも『“K”城』という城がある。以上より立てたのが、文禄慶長の役の際、加藤清正が連れて帰った、韓国の石工集団が、清正の領国の肥後熊本に住み着き、自分の故郷の名を懐かしんで、それを姓として名乗った。これが我“K”一族のはじまりはじまり。という説。他にもあったような気もするけど、これだけでも、私の仮説もあながち的外れではなさそうに思えるでしょ?とどめは、何年か前に、とあるクラブで、日本語の不自由なお姐さん達と飲んでいた時、唐突に、「アナタ、ニホンジンジャナイネ! ワタシハ、シャンハイカラキタヨ!」と言われたこと。わが渡来人説、もはや疑いの余地なし!(そのあと、インチキお国自慢で、インターナショナルな盛り上がりをみせたのは言うまでも無い)桃子ちゃんの親戚というのも捨てがたいけど、海を渡って日本に『扇の勾配』(登るほど急勾配になる城などの石積みの呼称)を伝えた石工集団がご先祖というのも、ロマンがあっていいなぁ。まあ、酒の席の話くらいにしか使えないネタなんだけどね。えっ、あんたの酒飲み話なんか聞いちゃいないよって?しかも、肝心な部分が“K”じゃ、わかんねーよ!って。ごもっとも!
2004/12/22
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私の苗字は比較的珍しいらしい。(仮に“K”としておこう)苗字ランキングで調べると大体6000番前後。390世帯くらい居るらしい。(数字だけ見るとそんなに珍しそうでも無いけど)そんなわけで、私は親戚以外で自分と同じ“K”という人間に、今まで会ったことが無かった。子供の頃、この苗字“K”は我が家族だけのもののように、漠然と考えていた。だから、従姉妹のパンツにマジックで“K”と書いてあるのを見たとき、少なからずショックを受けたのを覚えている。ちなみに、私の下の名前も読みが同じ人には何度かお目にかかったが、字もいっしょと言う人には、やはりあったことが無い。そんな状態なのに、100円ショップの判子売り場には、いつからか苗字“K”も並ぶようになった。(果たして俺以外に買う人が居るのだろうか?)不信に思いつつも、今までは特注で作らないと無かったので、始めは喜んで見かけるたびに買ったりした。(俺が買わないと誰も買わないよなぁ)そう思うと「あなたのために用意しました!」といわれているような気がして、つい買ってしまったこともあった。今でも、100円ショップに行くとなんとなく判子売り場で名前を探してしまう。一度“K”が欠品になっていたときには、いったい誰が買ったのか不安になった。(誰かが俺の名を語っているんじゃなかろうか?)まあその後、わが身に降りかかった、不届きな話といえば、ちゃちな架空請求書が一通来たくらいなので、その判子が悪用された形跡は無い。ところが先日、ついに“K”さんに出会ってしまった!関東の人なら知っているかもしれない、モナリザが口をあんぐりあけて驚いている絵がトレードマークの某大手画材屋さん。『モナリザもびっくりの○○堂』メモ帳代わりに使っている小さいクロッキー帳を、買おうとレジに持っていった際、レジ係の色白で眉毛濃い目のお兄さんの名札を見て、驚いて思わず叫びそうになった。「あなた!“K”さんですか!」私も名乗って、運転免許証を見せようか真剣に迷ったが、(私も“K”さんです!)と心の中でつぶやくにとどめた。(迷惑になってもね)相手が、見目麗しい女性だったら、考える前に、勢いあまって運転免許証出しちゃったかもしれない。「お嬢さん、何を隠そう、私も“K”なのです!しかも免許はゴールドです!」(これで、話のつかみはばっちりだぜベイビー!!)と前のめりになってみても、お嬢さんは、突然免許証差し出して、はしゃぎまくっている怪しいおじさんに、半歩後ずさりするだけでしょう。たぶん。ある意味“K”さん、男性でよかった。おそらく、この同族感覚は鈴木さんや佐藤さんには分からないと思う。友達の鈴木君や佐藤君に、「同じ苗字がクラスに何人もいるのってどんな感じ?」と聞いてみたことがあるが、生まれてこの方、常にまわりにいっぱい居たので、別に何も感じないといっていた。前に実家に行ったとき、父が飲み終わったカラの牛乳パックを、うれしそうに私に見せびらかしたことがある。「ダイエーで見つけたんだよ。阿蘇牛乳」と言いながら、側面の生産地欄を指差している。そこには『熊本県菊池郡○○町 字 “K” 』と書いてあった。(実はこの地名こそ、我が一族発祥の地と伝えられる場所なのだ!)父はうれしくて、私に見せようと思って、わざわざ取って置いたらしい。やはり親子である。その辺の感覚は似ているらしい。○○堂の“K”さん。私が、同じ苗字だよ!て言ったら喜んでくれたかな?その後飲みに行っちゃったりして。お互いの親戚をたどったら、実はつながっていたりとか。逆に、彼の周りには“K”さんがたくさん居て、「別に珍しくもねーぜ!」と一笑にふされたかもね。次に○○堂に行くときには、さり気なくどこかに苗字の分かるものを着けていこうかな。(忠臣蔵みたいに、皮帯に氏名年齢を墨で書いて、首からぶら下げていくか? 山鹿流陣太鼓叩きながら)ぜんぜん、さり気なくないって?・・・残念!
2004/12/21
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夏すぎから調子が悪かった母は、病院でさまざまな検査を受けてきた。一年位前にも同様の疑いで検査を行ったのだが、そのときは何も発見されなかった。正確には、異常は発見されたが問題はないだろうという判断。今回も、あらゆる検査を受けて、はっきり悪いところは発見できなかったのだが、これで最後という検査で不信な点が発見されてしまった。そこから、さらに詳しい検査をした結果は、あまり芳しいものではなかった。医師からはぜひこの治療をしましょうというような提案は無い。ご家族の納得の行く形で治療しますとのことである。父は若い頃に悪性貧血を治した経験から、何かあったらここにかかろうと決めていた病院があった。そこに行けば何とかしてくれるだろうと行ってみたが、思いとは違い、新たな治療法など興味を持たずにすごしてきたような医師の頑迷な様子に、困惑して帰ってきた。結局、検査時から世話になった医師と父と母で相談して、これから治療していくことになった。定期的な投薬と自宅での体質改善療法を行うということだ。母はいたって元気で、自分の状況を隠さず説明されても、自分の生命に絶対の自身を持っており、全快を信じて疑っていないように見える。恐るべきタフさだ。これは、どのような治療にも勝る特効薬だろう。ここ数週間の体質改善のための食事療法のせいか、肌つやも健康そのものだ。母は十数年、油絵を描いているのだが、時々、形の掴み方がおかしいときがあり、よく私に、絵の中におかしな点が無いか“ダメ出し”をさせた。そのつど私に「静物デッサンやらなきゃだめだよ。」といわれていたので、この機会に勉強しなおして、もっと形のしっかりした絵を描きたいといっている。文部科学省の事業の一環で『「その道の達人」派遣事業』というものがある。各分野の第一線で活躍してきた人材を、学校などに派遣して学生相手に講演会を催すというものだ。父はなぜか、その“達人”に選出されて、年初から日本各地へ出かけては学校で公演していた。学校から送られてきた生徒たちの感想文や感謝状の束を見せながら、「感想だけならいいんだけど、質問が書いてあるから返事が大変なんだよ。」とうれしそうに言っていた。生涯一技術者として生きたかった父にとっては、管理職になってからの数十年はあまり本意なものではなかったようだ。だからか、今回めぐってきた、『技術のもつすばらしさを子供に伝える』という仕事に、非常なやりがいと使命感を持って取り組んでいたようだった。その依頼も来春以降白紙にしたようだ。なかなか、人生思うようにはは行かないものだ。と思う。ただ、父には、“妻の治療の手助けは自分にしかできないこと”という強い思いがあるようだ。父と母はいとこ同士で幼なじみ。60数年の付き合いになる。私たち子供が小さいときには、子供の父と母という感じだったが、子供が皆自立した今は、また、『親』ではなくて『夫婦』に戻ったように二人の時間を楽しんでいる。二人で相談して、納得の行くようにしてくれれば、子供がいまさら何もいうことは無い。このような話をここに書くのはどうかとも思ったけど、後で「あの時はこんなこと考えていたのだなぁ」といって笑えるよう、書いてみることにした。今年、我々夫婦はあきらめていた子供を授かることができた。来年、その子供が無事にこの世に誕生し、母の病気も全快、父もやりがいのある仕事に戻れれば、この上なくめでたい年となる。
2004/12/20
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