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お願いというか、持論というか。いつもブログを読んで下さっている方々に私の思いを書きたい・・・などと大げさな話ではないですが、自分の都合、自分中心の考えは、時に人を傷つけます。私も東京に住んでいた頃、相当なわがまま娘でした。でもそれは、それが当たり前と思って生きてきたからです。娘出産後に産後の肥立ちが悪く、でも2人の子育てはしなくてはならなかったのです。主人はここで書いた通り、今でも自分中心。人に合わせたり、気遣うことの先天的にできない人です。今もできません。でも、人はそんな性格を反省し、心の底から変えようと思ったら、変わるし、変わることによって、周りの環境が変わると信じて生きてきました。今自分はどうなのかわかりませんが、少しは自分中心の性格が変われたかな?と思っています。自分中心の物事を考える方を見ていると元は自分もそうだったので理解できます。でもその性格は時に相手に不快な思いをさせることもあるのです。だから、困っていたら喜んで手を差し伸べる。相手を思い、どんなにイラっと来る事柄であっても優しくしてあげたら、その思いはたぶん、きっと相手に伝わると思います。私のそういう思いは相手に伝わっているかわかりません。でも、時にまわりは笑っているなと実感できるときもあります。忙しすぎてそんなことを思う余裕なんてないと思うときもあると思いますが、人にやさしくは、まわりまわって自分にかえってくることを、わかってほしくて、今日は書かせていただきました。
2018.06.18
うっかり、最も見どころだった、最終日の朝10時から歯医者の予約を入れてしまい、一度断ると一か月先になる所なので、一度お護摩法要に参加してから、歯医者に行き、また戻ることをこの日しました。戻ったときは、中で特別お護摩法要が始まったところでした。こんなにお坊さんがいたかしら?と思うほどの数。特別な格好をみなしています。この時間だけはすべてが特別でした。入り口付近でようやく見ることができました。そしてすべての法要が終わったとき、1080年の大開帳のために作られた歌が、中で披露されました。大本堂の中で歌を歌うことってあるんだなあ・・・あまりにも感動してしまい、涙がどんどん出てきました。私はこの先、この光景を忘れることはないでしょう。10年に一度、成田山新勝寺にとって特別な1か月間大開帳はこうして終わった・・・と思って、帰られた方がたくさんいらしたと思いますが、特別は実は最後のお護摩法要まで続くのでした。その後何度か法要は行われ、3時のその日最後の法要は1080年の本当の最後の法要。参加する人数も、ツアー客がどうも多かったようで、個人の方が多く、比較的穏やかにでも、成田山新勝寺のもっとも偉い方・・・普段の法要ではまずいらっしゃらない。特別な時のみの偉ーい方がいらっしゃいます。つまりはトップです。その方の法要でした。そして、もうこの先10年後、はたしてその時も頂けるかわからない、ありがたーいお札を頂き、1か月が終わったのです。特別に建てられた柱もこの日で終わりです。大開帳の期間、沢山の行事がありました。周辺に住んでいる方は把握されているとは思いますが、実はそれ以外に住んでいる私も含めてですが、知らない方が多いです。いつもそうですが、まったく宣伝がないのです。特別なお茶とともにたまたまチラシを頂いて、この1か月の行事を知ったくらいで、これがなかったら、最終日も行かなかったかもしれません。・・・話は変わりますが、何年か前にも書いた通り、相変わらず、主人はPCを壊します。キーが全体的におかしいです。反応しづらくなってきています。状況はなにもかわらないです。キーの上に顔をつけて寝ていたらそうなるか・・・はあ、またPCを買いなおさないといけないかなあ・・・溜息。
2018.06.06
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