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・ 高校3年の時、「倫理社会」科の勉強で、一時間目に「世の中の出来事には全て『光』と『陰』がある。」という、お話を聞いた。その時は、なんだろう?わからん・・・と思った。「何か哲学つ~~もんは、言葉をもてあそぶだけの、役にも立たない学問だなあ~」という感想をもった・・・第一時間目であった。私がアホなのか?17、8の若造には所詮わからないのか??

・ 「光と影」「陰と陽」「正と負」はこの世の、ゆるぎない法則です。

  何かを得れば、何かを失う. しかし・・・

  何かを失えば、何かを得る・・・禍福(かふく)は、あざなえる縄の如し・・・

・ 子どものの頃、夢中になって読んでいた石ノ森章太郎の「幻魔大戦」(平井和正の方はその後知った・・・りんたろう監督アニメ版も映像的には好き)・・・あの頃は、幻魔というまあ、エイリアンが攻めてくる・・・みたいとらえ方だったけど、考えてみると幻魔というのも、宇宙の彼方だけではなく、日々の活動(陽)が限度を超えて自然を破壊しようとする時に起きる天候異変(陰)=地球の自己防衛システム(たまふり)・・・じつは、そちらこそを警鐘的に描いていたのかなあ?外魔ではなく内魔こそおそるべし、おそるべしと。







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最終更新日  2010.05.13 03:23:04
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内から立ち現れる死/外から訪れる死  
はじめまして
『幻魔大戦』というテーマでは、平井和正のはほとんど興味がなく、石ノ森章太郎が遺したメッセージが何だったのかに興味がありました。『サイボーグ009』での「神々との戦い」も同じメッセージを表現しているかなと感じています。
「内から立ち現れる死」というテーゼでは、それを人類史の規模で見るなら<終末論>になってしまいますね。ところが、死というものが本来「外から訪れる」のだとするとどうなのだろう?とか発想を変えて見るわけです。
偶然の一撃としての死は、対処不能の代物ですが、これを「内から立ち現れる」必然という表象に置き換えるオペレーションを経て、迫り来る未来に備えるという対処可能な事柄に変わります。
カラクリがしだいに見えて来そうですね。「内から立ち現れる死」へと<死の形>を書き換えたとき、死は未だ訪れない先の事柄(だから今は安心だ)となり、しかも確実に人に訪れるという意味で<終末論>を形成することになります。
そんなところでしょうか、かなり分かり辛い話なのですが。 (2010.05.13 07:31:49)

Re:内から立ち現れる死/外から訪れる死(05/12)  
猫又童子  さん
ジョーカー7883さん
はじめまして。書き込みいただいてありがとうございます。

『サイボーグ009』での「神々との戦い」も中々難解で、オコチャマには…『サイボーグ009』(白黒アニメ)は子供時代には感じませんでしたが、大人になってから本で読むと、どのお話にもメッセージ性の高さを感じます。

本来、生き様という言葉は無かったそうな…「死に様」だったそうです…どのような形の「死」であれ、「死」の瞬間にどのような思いをもつのか…さて、自分の時はどうなのか?

ルドルフ・シュタイナー説では7年ごとに体の細胞が全て新陳代謝によって入れ替わるのだとか…本当なんでしょうかね??だとするならば2003年頃生きていた…ような私・猫又はもう、この世には存在していない…まあ、あえて言えば記憶といいますか、仏教的には「識」が連続体として、残っている???ということなのでしょうかねえ???

温泉につかって流れていく垢の中には、「内から立ち現れる死」が、ほんのちょっぴり…でも塵積もの世界で、大きく存在する…なんてまあ、考えてみることもあります。 (2010.05.13 19:42:44)

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