ねこっぽ雑記

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2004年03月05日
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今日は歌舞伎座3月大歌舞伎の夜の部を観てきました。実は幕見で昼の部の「藤娘」と「恋飛脚大和往来」も観てきたのですが、この感想も書くと大変なことになるので今日は夜の部の感想のみ。昼の部は8日にも観に行きますので、感想はそのときにあらためて加工と思っています。


 1つ目の演目は『元禄忠臣蔵―大石最後の一日―』。あらすじは…

【吉良家の討ち入りを遂げたあと、大石内蔵助以下16名の赤穂浪士たちは細川家お預かりとなり、幕府からの裁断を待っていた。細川家当主の長子内記は一同と対面。内蔵助に言葉のはなむけを乞う。内蔵助は「人は初一念を忘れるな」との言葉を贈る。
 その日の夕刻近く、男装して内蔵助に近付く1人の女性。それはかつて浪士の1人・磯貝十郎左衛門が吉良家探索の折のカムフラージュに縁組をしたおみのだった。彼女は十郎左衛門の本心が単なる方便か本当の恋心だったのかを知りたかったのだ。十郎左衛門に対面したおみのはその懐中に自分の琴の爪が大事にしまわれていることを知り、満足して自害する。同じ頃赤穂浪士の一同に切腹の裁断が下る。上使の情けで、吉良家の家名断絶を知った内蔵助は、今こそ初一念を通した満足に、一同を見送った後、静かに自分の切腹の座へと歩んでいくのだった。】

…というもの。大石内蔵助は幸四郎さん、磯貝十郎左衛門は信二郎さん、おみのは孝太郎さん。ちなみに『元禄忠臣蔵』の作者は真山青果。私は真山青果の作品はどうも話がご立派すぎてついていけないことが多いのですが、「大石最後の一日」は比較的好きな作品です。
 「大石最後の一日」を観たのはこれで2回目だったのですが、今回はこの場面のキーワード「初一念」「偽りを誠に返す」が前より理解できたように思います。特に「初一念」という言葉は1回目に観た時からすごく印象に残っていました。
 感想としては、幸四郎さんの内蔵助はこつこつと実直な、前回見た吉右衛門さんに輝きがあったのに対し、地味目な内蔵助でした。どちらの方がいい、ということではなく、どちらの演じ方もあっていいと思います。ただ、吉良家の家名断絶の知らせを聞いた内蔵助が、その気持ちを「日本晴れ」と表現するのですが、この場面は吉右衛門さんに軍配が上がりました。吉右衛門さんの台詞には観客の想像力をかきたてる力があるように思います。

 2つめは『達陀』。東大寺二月堂修二会の行、通称「お水取り」を舞踊化した作品なのですが、今まで観てきた歌舞伎や歌舞伎舞踊とはあまりにもかけはなれていて、どういう展開になるのかまったく想像がつかないという異色の作品でした。一昨年の12月に南座の顔見世で上演された際の舞台写真を観た時、なんとなく「普通の歌舞伎舞踊じゃないな」というのは感じていたのですが、ここまで異色の作品であったとは…。「わけがわからなかった」というのが正直な感想ですが、わけのわからなさが度を越えていたので却って面白かったです(笑)。場面によっては音楽が4拍子だし、大太鼓やシンバル(←多分シンバル)がジャンジャン鳴っているし(ちょっと宝塚っぽかったかも)、かと思えばいきなりお経が聞こえてきたり…。踊りも「…誰が振付けたの!?」と聞きたくなるくらい歌舞伎らしくなくて、ただただ口をぽかんと開けて観てしまいました。一緒に来ていた母親は「わけがわからなくてつまらなかった」と言っていましたが、私は逆にわけのわからなさ加減が面白かったです。



【夫の平維盛を探す旅の途中の若葉の内侍と嫡男六代、供の主馬小金吾武里は下市村の小せんが仕切る茶店で、土地のごろつきで小せんの夫いがみの権太に出会い、金を騙し取られる。(「木の実」)追手から逃れるうち内侍・六代と離れ離れになった小金吾は、竹薮で大勢の敵に囲まれ、敢えない最後を遂げる。そこへ通りかかった鮨屋の弥左衛門は小金吾の首を討ち、家に持ち帰る。(「小金吾討死」)平維盛は弥助と名を変え、旧知の弥左衛門の家に手代奉公。この家の娘お里は弥助に惚れている。そこへ勘当された兄の権太がやってきて母親を騙し金を貰う。権太が金を鮨桶に隠し奥の間へ隠れると、小金吾の首を抱えた弥左衛門が帰宅。弥左衛門も首を鮨桶に隠す。夜も更け、お里と弥助が寝ようとしていると訪ねてきたのは若葉の内侍と六代。初めて弥助の素性を知ったお里は悲しみをこらえて維盛父子を落としてやるが、権太もその跡を追っていく。そこへ維盛詮議の梶原景時がやってくる。ついで権太が維盛の首と若葉の内侍・六代を召し取って連れてくる。梶原は恩賞に頼朝の陣羽織を与えて去る。怒った弥左衛門は権太を刺すが、実は維盛の首と見えたのは小金吾の首、若葉の内侍と六代と見えたのは権太の妻子だった。維盛父子はせめてもの仇討ちと陣羽織を刺すと中から出てきたのは数珠と袈裟。頼朝は維盛を出家させ、命を助ける腹だったのである。権太は息を引き取り、維盛は高野山へと旅立っていく。(すし屋)】

…というもの。権太は仁左衛門さん、小せんは秀太郎さん、お里は孝太郎さん、小金吾は愛之助さん、弥左衛門は坂東吉弥さん、若葉の内侍は東蔵さん、維盛は梅玉さん、梶原景時は左團次さん。
 まず上方式の特徴ですが、わかりやすいところでは言葉が大阪弁であること。特に権太の台詞は「ああ、大阪弁やねぇ」という感じでした。あとは多くの面において江戸式が洗練されているのに対し、上方式は田舎くさい感じがします。でも上方式は江戸式よりも観客の情に訴えるものがあるように思いました。また江戸式だと洗練されすぎている部分もあるように思うのですが、その点上方式は丁寧で、「ああ、なるほど」と思わせられる場面が何度かありました。江戸式に慣れてしまっていた私にとって上方式の「すし屋」は非常に新鮮で面白かったです。
 仁左衛門さんの権太は人間臭さとリアルな死に様が印象的でした。1度仁左衛門さんの権太をテレビで観たとき、あまりにリアルな死に様に思わず引いてしまったのですが、実際の舞台で観るとテレビほどは気になりませんでした。それでもやはり江戸式に慣れている身にとっては強烈なのですが。
 小せんは秀太郎さん。秀太郎さんの小せんを観るのは3度目ですが、いつ観てもいいなぁと思います。特に「木の実」の場面で、「お前はなァ、お前はなァ」と意見するところが好きです。いかにも「また始めやがった」(権太の台詞)という雰囲気が出ていて。
 お里は孝太郎さん。頑張っているのがよく伝わってくるお里でした。以前観た「俊寛」の千鳥と似た演じ方だったように思います。
 小金吾は愛之助さん。演技を作りすぎて憐れさが薄れていたのが残念でした。個人的には新之助さんの小金吾が一番良かったです。
 弥左衛門は坂東吉弥さん。やっぱり吉弥さんはいいですねぇ。それにしてもあんなに激しい弥左衛門は初めて観ました。権太が権太なら弥左衛門も弥左衛門だという感じ。最後に権太が死んだ時は頭を抱えて泣き叫んでいました。

 非常に長くなってしまいましたが今回はこの辺で。最後まで読んでくださった方、伏して御礼申し上げます(笑)。どうもありがとうございました。





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最終更新日  2004年03月06日 21時53分17秒
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