「ノラ猫の条件」が終わり、次は何にしようかなと考えたとき、・・・・
困ったときの「夢のつづき」ですよ!
私の「夢ノート」にはまだまだいっぱい書いてありましてねえ・・・・・
ア、そういえば知らない人もいるんだから、ちょっと説明しておきましょうか。
あれは・・・私が高校生のときなんですけどね・・・・・・・
よく夢を見たんですよ・・・「希望」とか「将来」とかの夢じゃなくて、純粋に眠っていたときに見る夢・・・・
普通は、夢って覚えてないじゃないですか?
でもその当時は受験生の悩みや苦しみがあったんでしょうね・・・・・・
毎晩夢を見て、毎晩その夢を覚えてるんです。
で、その見た「夢」を、私、毎日日記のように書いてたんです。
でも、その日記のような物は、箇条書きであったり・・・・・断片的なものしか残ってなくて・・・
で、その断片をつなぎ合わせたり、新しく創造したりして、ひとつの物語を作り上げようという企画なんですけどね・・・・
例えば、そのメモに2行だけ書いてあったとします。
一行目には「私はひたすら山道を歩いている」とあったとしましょう。・・・・・そして二行目には「わき道にそれたら、青く澄んだ池があった。」 と書いてあったとします。
その二行から・・・・「私は山道をひたすら歩いたが、のどが乾いてきて水が飲みたいと思った。その時どこからともなくさわやかな風が吹いてきて、近くになにやら涼しげな水をたたえた池があるように感じた。”どこだろう”・・・・私はそれまでの道をはずれ、樹林のなかに入って池を探した。・・・・”あった!”・・・・その池は青く澄んだ水をたたえ、私はなりふりかまわず、その池に顔を突っ込みゴクゴクと水を飲んだ。・・・・その時である・・・・”もし・・・・”と鈴をころがすような女性の声がしたのである。・・・・・・」
こんな感じで、文章を作っていくのである。
それは当初見た夢と、まったく違うものになっているのかもしれないが、そんなことはおかまいなしに、夢のつづきを創造していく。
これはこれで、私にとっては楽しい作業になっているのだ。
そこで今日の「夢ノート」であるが、・・・・
この3行から、話を作り上げていこう・・・・・・・・・・
まもなく高校に入ってから初めての夏休みであった。
地元から通う生徒と違い、私だけ他管内からこの県内一の進学校に「越境入学」してきたものだから、友人と呼べる人もまだかなり少なかった。
部活はしていたものの、「コーラス部」という部活は、どうしても女性が中心になり、一緒に遊ぶ・・という仲間はいなかった。
そんな私でも、クラスに気のあう仲間というのが数人いた。
「下北半島脇野沢地区にキャンプに行かないか?」という計画も、そんな仲間の一人である「陸上部の成田」が提案したものであった。
私の実家は、その脇野沢地区からならバスで30分のところにあるから、友人とキャンプをしてまっすぐ実家に戻ればいい・・・・
そんなことも考え、その案に賛成した。
「物理部の鈴木」と「フォークソング同好会の小島」は親と相談してくるといったが、「水泳部の鎌田」だけは、合宿の時期と重なるから無理だと告げてきた。
翌日には、成田が具体的なスケジュールやコースを決めてきたものをたたき台にして5人で話し合ったのだが、最初から欠席をするつもりの鎌田は話に乗ってこないし、小島も親からだめだと言われたらしく、けっきょくそのキャンプには「成田と鈴木・・・そして後藤(私)の3名」が参加することになった。
夏休みは7月25日から始まり8月22日までであったが、最初の10日間は「夏期講習」があり、夏休み当初は無理だ。
北国の夏休みは、都会のそれと比べてひじょうに短い。
3人のスケジュール調整をして8月8日出発で2泊3日の予定になった。
青森では、8月7日まで「青森ネブタ」があり、その翌日に設定したのだ。
「後藤は、むつ市から来たんだから青森のネブタは見たことないんだろう?」
確かに、小学生のころ父親の車で見にきたことはあったが、夜中のネブタなど見たこともなかった。
「次の日の船が早いから、7日の夜はうちに泊まって、ネブタも一緒に見ようよ」
鈴木の家は、翌日乗る予定の「下北汽船」の乗り場から歩いて5分のところにあり、けっこう大きな機械工場で、社員寮もあったもでそこの空き室に泊めて貰う事になった。
けっこうつらい夏期講習でもあったが、私たち3人にはキャンプという楽しみがあった。
夏期講習が終わってまもなく青森ネブタが始まったが、私達は毎晩のように鈴木の社員寮に泊めて貰い、キャンプの準備やらテントの建て方実習を繰り返した。
最初は出発直前の一日だけのはずだったのに、けっきょく3泊もしてしまった。
8月7日・・・・明日の朝4時には船に乗り、下北半島脇野沢に出発という前日・・・・
私と成田だけが泊まればいいものを、小島と鎌田もやってきてその社員寮に泊まった。・・・・・見送りするというのだ。
ネブタ最終日で盛り上がっていたのもあるだろう・・・・明日出発で興奮していたこともあるだろう・・・・
私たち5人は、なかなか寝付けなかった。
「お前達だけいいなあ・・・・」
合宿で行けない鎌田はしょうがないとして、親に留められた小島は悔しがっていた。
「しょうがないよ・・・お前は親がついてないと何もできない”おこちゃま”だから・・」
私達はそう言って小島をからかったが、小島は本当に悔しそうだった。
「こうやって鈴木の家に泊めてもらうのは許可してくれたんだから、2泊3日のキャンプぐらいいいのになあ」
「鈴木んちの親がついてると心配ないけど、お前たち3人と一緒だと”バカがうつる”と思って心配してるんだよ」
小島は軽口を叩いた。
「なんだとこのやろう!」
私は小島の頭をヘッドロックして頭をぐりぐり小突いた。
鈴木も、その小島の自慢の長髪を引っ張り
「このやろう、ミツアミにしちまうぞ!」
大騒ぎしながら笑いあった。
ひとしきり騒いでから、一瞬静かになったときがあった。
その時、小島がまじめな顔をして話し始めた。
「お前ら・・・今回キャンプするところはなあ・・・・海の難所っていって、よく船が難破するところだそうだ・・・幽霊に足をひっぱられるなよ!」
小島は、さっき鈴木に引っ張られ乱れた長髪をなでつけながらそういった。
「縁起でもない事言うなよ」
「何しろ下北半島って恐山があるところだからなあ」
冗談を言い合って、そのうち夜が明けてきた。
出航は明け方の4時20分である・・・3時半に準備を始め、4時には「下北汽船の待合室」に着いていた。
小さな船である・・・・漁船を改造したくらいの小さな船・・・・・15人も乗れば満席であった。
それぞれのリュックを背負い、テントや食事の材料を手分けして持って乗船した。
「おーい!、紙テープでも投げようか?」
陸の上の小島と鎌田が両手でメガホンを作り、大きな声で叫んでいる。
「来年は一緒に行こうなあーっ!」
船の上からも叫び返した。
お互いの両手を思いっきり振って別れの挨拶をした。
それから二時間・・・・・・・
陸奥湾内だからそれほど船も揺れなかったのだが、前の日寝ていないのと、ネブタの疲れからか、3人とも船酔いをしたようであった。
脇野沢の港に着いたのは朝6時半・・・・そこから歩いて30分ほどいったところに今日のキャンプをする場所があった。
下北半島の西の外れにある場所なので夕日がとても綺麗なところであり、その夕日の沈む方向に、「鯛島」という、鯛が尾びれをピンと立てたような格好の島があってその町の名所のひとつになっている。
「テントはここに建てよう」
子供のころ、ボーイスカウトに所属していて、テントを建てる方法を唯一知っている成田がリーダーになって場所を決めた。
思ったよりすんなりテントが建てられ・・・・寝ていないのだから昼寝でもすればよかったのだろうが、高校一年生の私達は、若さにまかせて、海でおもいっきり泳いで遊んだ。
「おい、なんだか海藻が足に絡んで気持ち悪いよな」
「ああ、夕べ、小島が足を引っ張られるなよ。。。なんていうから」
「そういえば、この海藻・・・小島の髪の毛に似てねえか?」
そんな冗談めかした話をしたり・・・・・思いっきり遊んだ。
「さっきのフェリー乗り場の売店で、ここの風景・・・絵葉書で写した奴あっただろ?・・・あれを小島と鎌田に送ろうよ・・・切手貼って・・」
「悔しがるぞ・・・・ざまあみろだ」
昼食は、売店で売っていたおにぎりと、カップの味噌汁・・・・それに「サバの水煮の缶詰」を湯がいた白菜で巻いて食べた。
北国といっても真夏である。
30度を越える炎天下に、ほかの人間はともかく、私は少し気分が悪くなっていた。
「おい、飯食ったら、少し寝ないか?」
「ええ?お前調子悪いの?」
成田も鈴木も寝ていないのは一緒だから、彼らが眠くないといえば、私だけ寝るというのもしゃくだった。
下北半島で30度を越える猛暑になるのは年に数日だけ・・・・
今日はそんな日にあたっていたのだ。
つづく
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