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先月の初めにご隠居と一週間ソウルに行ってきた。ウサギはいつもドジを踏むので今回も、ビッタリ韓国のチュソク(秋夕)にはまった。シンガポールの時は旧正月、ジャカルタの時はラマダン明けの長期休暇期間。そういう時を考えもしないでふらっと行くから、店もデパートも休み、官公庁も休みでオフィス街はガラガラ。わずかに若者の集まる竹下通りみたいなところと、観光地はやっていた。6月に行った時と違って今回はちょっといいホテルを取ったのでレセプションが頼んだことや相談などなんでもやってくれて良かった。チュソクでショッピングは物足りなかった(もともとショッピングはあまりしない)けれど、その分漢江の辺りをダウンタウンを見ながら歩いたり、ソウルの森(大きな公園)ソウル市民のような顔をしてゆっくり過ごしてきた。最近娘たちが、我らが旅行に行くというとお小遣いをくれる。結婚記念日だというとレストランを予約してごちそうしてくれて花束までくれる。電化製品も買ってくれるし、どうしちゃったんだろう。我らが年金生活者だということに今頃気がついたんだろうか。それとも我らを観察していて、年寄りになったから今しないといつするのという気持ちになったのか。まあいいや、もらえる時は貰っておこう。
November 2, 2025
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随分と長くブログを書いていない。Instagramが今は日記のようになってしまった。毎日何をしているかと言うと、モンゴル縦文字を2人のzoomの先生から習っている。1人は日本語が上手でなく、キリル文字も書けないので、消化不良のまま授業が進む。ほとんど発音の勉強になるのでこれがハードだ。先生の発音で書き写すのだが同じ「ギ」」と発音する音でもその単語が女性系か男性系かで文字が違う。日本語を言ってくれないからただただ音で文字を書く。老人には無理。もう1人の先生は日本の学校の教師だけあって私のどんな文法的質問にもその理由まで付けて教えてくれる。なぜそうなるのか、なぜそう書くのかと言う引っかかってしまう性格をしっかり捉えてくれる。キリルも分かるので、そっち方面からの質問にも的確に答えてくれる。けれど、玉に瑕なのは時間に全くルーズなのだ。すっぽかす、忘れる、遅れるは70%の確率。私がアラームになるしかないのである。そんなこんなで毎日宿題に追われ、そして新しい目標を見つけた韓国語の宿題に追われ、世にいう「推し活」も始め、もうしっちゃかめっちゃかの生活である。この推し活、韓国語なのに半分は英語で短い文章を考えて書くというもの。若い人って素晴らしくてどこの国の人も英語で文章を書くのがものすごく上手なのだ。いつまでついていかれるか。
September 14, 2025
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何年かぶりでソウルに行ってきた。細々と隔週でやっている4人と先生のグループの韓国語。その生徒4人旅。安い宿、ラウンジの使えない大韓航空深夜便(というか真夜中発)。友達が計画した内容は2泊3日なのにミュージカル、5つの市場巡り、友達のおじさんに会う、BTSのサイネージを見る(巨大電光広告)。朝食は市場の中でというもので、うさぎ戦々恐々としてついて行ったが、まあなんとかお腹を壊さないで帰ってきた。そして思ったよりずっとソウルは楽しかった。思わぬハプニングガ有ったりして、青いソウルの空の下を足が棒のようになるまで歩いた。
June 15, 2025
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私は学生時代は名古屋で過ごした。先日高校時代の同級会が有った。皆は卒業後2、3年に1回の回数で同級会をしているが、関東に住んでいる私は5年前に一度東京でクラス会があった時に出たきりだった。だからいまだにみんなに会っても誰が誰かほとんどわからない。それでも新幹線に乗って、名古屋駅で東京や千葉の友人達と待ち合わせて会場に行った。2、3時間ほど顔を合わせているとなんとなく昔の顔が思い出してくる。その日は夕方5、6人で飲み屋に行って(飲めないけれど)ホテルに1人で泊まった。名古屋に行くといつも泊まるホテルだからリラックスできる。翌日も友達何人かに会って、また新幹線で帰って来た。日記のような今日の記事。iPhoneを変えたら写真が入らなくなった。大きすぎるのか。
May 24, 2025
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生きている証に何か書かなければと思うが、「X」とかInstagramは毎日書いているけどブログはついついサボってしまう。書く事がないわけではない。何回目かで再来した韓流ドラマにハマっているのだ。視聴が忙しい。最初は冬のソナタより古い時期に。そして大ヒットの冬のソナタはいまだに見ずに、第2期は10年ぐらい前か。ハマった時はテレビを見続け。冷めると遠ざかって全く見ない。そして今回。韓国語の授業再開して、ちょっとドラマでもと思って普段テレビを見ないテレビを見たら、沼にハマった。おかげでテレビっ子のご隠居は隣の部屋のテレビに追いやられ、そちらで好きな番組を見ている。「今何見てる?Netflix? prime?」どちらのテレビでも見られるが、同時に同じ契約チャンネルは見られない。まず、どちらがどちらを見るか宣言してから部屋に移動する。2人で見ればいいじゃないかって?互いの好みがあるから。でも時には、お茶の時間の会話で同じものを違うタイミングで見た事が判明することも有る。違う部屋で見ていても会話は弾むのであった。毎日の散歩で我が住宅地のある丘を降りてまた登ってくる。登りの道に階段が有ってそこを通り抜ける。ちょっと不思議な場所なのだ。異次元のような。
May 2, 2025
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毎年恒例の桜旅をしてきた。ご隠居と2人。田んぼや小さな町外れのお寺に咲く一本桜を探しながら行く旅。伊那谷のずっと外れまで行ってきた。ちょっと遅れた桜写真。ほとんどが樹齢300年越えの古木で最高齢は日本で一番古い樹齢2000年。新しい桜にも巡り会えた。どの桜にも一本ずつ名前が付いていた。わに塚桜、神代桜、舞台桜、大好きな吉瀬の桜。桜並木もいいけれど、桜の季節までひたすら孤独に耐える田んぼの中の桜も素敵だ。花開く時も1人だ。
April 18, 2025
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最近は昔築いた我が家にステイした外国人の友人達の家族との交流がおおい。横浜のホテルのビュッフェレストランで来日中の昔のアメリカ人留学生とその日本人の妻と子供と食事した。子供が何が食べられるか心配だったので選べるビュッフェにした。彼は私の受け入れで最長の5ヶ月我が家にいた。ホームステ以後二度日本で英語教師をしていた時に出会った彼女を奥さんにした。2年に一度の来日の時必ずみんなで会いに来てくれる。東日本大震災の時日本にいてまだ電話が通じた初期にすぐに安否を聞いてきてくれた優しい青年だった。20年前の大学の交換留学で来た青年ももう立派な成人になっていた。相変わらずのスリムな身体ながらそろそろおじさん。日本語を習いに来たはずなのに未だに私達に英語で話す。そして私もいつものようにその術中にはまって英語で話してしまう。我が夫と手を繋いでクッキーを買いに行く9歳の女の子の後ろ姿が長い年月と長い交流を物語っていた。私の歩いて来た人生もそろそろ終わりが見えて来たけれど。築いてきたものは変わらず残っている。2週間後には日本語を教えたインドネシア人の国の姉妹達が来日中に会いたいと我が家に来る。2人のお姉さん達とはインドネシアに行った時に交流した旧知の仲である。「再会」っていい言葉だな。
April 5, 2025
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何年振りかで韓国語の教室に復帰した。3、4年のブランクもあるし、その間に韓国短期留学した人も居るし、とにかくみんなの足を引っ張らないようにしっかり予習をと思って、テープを聞いて教科書の音読をしていた。ぶつぶつ切らないで読めるようになるのは難しい。するとご隠居が横から一言。「息継ぎしてね。酸欠になるから」流暢に早く読もうとして急いで一気に読んでいたのが悲壮感漂っていたらしい。教室に出かける前、「言葉に詰まってみんなの大切な時間1人で食い潰さないようにね」と追い打ちをかける。これが我が家流激励の言葉なのだ。冗談で生きている隠居家庭。写真は圧巻ノリタケミュージアムの歴史を物語るディスプレイ。ウサギはこの中の1種類しか持っていない。
March 9, 2025
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突然にというと人の死だろうか。本当に突然だったり、身近な人でなければ長い闘病に末であってもそのお知らせは突然なんだろうな。このブログも突然に止まる時がきっと来ると思うが。グアテマラの国民的スターで歌手でマリンバ楽団の団長であったフネスさんが突然に亡くなったとグアテマラの共通の友人から連絡が来た。来日時には共通の友人のグアテマラ国立交響楽団マエストロであり弁護士のマルビンさんと我が家に5泊ほど泊まった。歌手の息子のココさんも一緒だった。その時は慣れない電車に四苦八苦しながら東京へ音楽の打ち合わせに出かけて行った。結局費用などの問題で日本公演は実現しなかったけれど、息子のココさんの英語通訳と前回2回より英語が上達したマルビンさんのおかげで楽しいひと時を過ごした思い出がある。ココさんにお悔やみのメッセージを送ったら返事が有った。お父さんの作った楽団は今は殆ど彼が主役だから、きっとうまくやっていくだろう。
March 7, 2025
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昨日娘からLineが来た。「お母さん明日暇?演劇のチケット有るけど行ってくれない?」え、今日言われて明日?まあ一年中暇なので暇と言えば暇。確か下の娘、明日からヨーロッパに出張と言っていたよね。観劇忘れていたんだ。そんなわけで急遽雪のちらつく今日新橋演舞場まで演劇を見に行って来た。名古屋マリオットアソシエの吊るし雛尾張徳川家の雛(徳川美術館)
March 4, 2025
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旅の目的はただ川村屋と松屋長春の一個270円の羽二重餅を買うというもの。ただし、当初の目的はそれであっても新幹線代2人往復、ホテル代金を思えば他にも楽しまなきゃ。学生時代井上靖の「星と祭り」を読んで以来会いたいとずっと思っていた湖北の渡岸寺の国宝十一面観音を見に行くことにする。羽二重餅のついでにしてはバチが当たろうと言うものであるが。行きの新幹線は名古屋を通り越して米原、乗り換えて北陸線ローカルの向月駅で下車した。辺りは雪で真っ白な世界。伊吹山も琵琶湖も寒々としていた。雪を踏み締めて歩くこと15分。小さな向源寺というお寺。「どちらからおいでで?こちらは初めて?」という問いに「来た記憶はないのですが、こちらの十一面観音の写真とスタンプを持っているんです」そう、先日、本棚から写真ブックとそこに押された寺のスタンプを発見したのである。うん?行ったことが有る?記憶にないけど。お堂の中の十一面観音に対面。説明の人曰く。「20年ほど前に東京の国立博物館に出展した事が有るんですよ。」あ、それかなもしやそこで買った大判写真ブックに参拝記念のスタンプが押されていたのか?いやいや、その井上靖監修の写真集はもっと古く学生時代から持っていたのだと思う。そして国立博物館でもお会いした記憶もないのである。お堂の前に置かれたスタンプを押してみる。渡願寺のスタンプ。織田信長とその妹お市の方の夫である浅井長政の戦いで渡岸寺が焼けた時、村人がお堂から助け出して土に埋めて守ったという観音様は今は向源寺というお寺のお堂に安置されている。古くなったスタンプはなかなか綺麗には押せなかった。右のスタンプが今回押して来たスタンプ。向源寺という字が追加されている。これで日本に7体有る国宝の十一面観音の5体にお会いしたことになる。
March 1, 2025
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ちょっと新幹線と名鉄電車に乗ってご隠居と行ってきた。
February 27, 2025
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今年2025年からモンゴル国は宣言通り、内モンゴルで使っているかつて自分たちが失ってしまった民族固有の文字を取り戻すべく、公用文書にキリルとモンゴル縦文字を併記し始めた。 国民のほとんどが忘れてしまった文字を取り戻す国家あげての大プロジェト。 モンゴル語については以前にも書いた。モンゴル人は一つの「モンゴル語」という言語を2種類の文字を使って表している。それは日本語の中に漢字が入っているようなものではなく。その2種類は全く独立して交わらない。ただし音にするとほぼ同じで、全てのモンゴル人は共通の発音で通じるのである。 モンゴル国と中国国内の内モンゴルのモンゴル人の言語の話し。そしてモンゴル国のほとんどの人は内モンゴルの人々が使っている縦文字を読めない。内モンゴル内のモンゴル人はモンゴル国で使っているキリル文字によるモンゴルがが読めない。 先日テレビの特集でどうしてそうなってしまったかの説明をやっていた。ウサギも今その文字を学んでいる。モンゴル人でも無く、死ぬまでに絶対ものにもならないのに。モンゴル国には何の寄与もしないけれど。 去年うっかりモンゴル国の新聞社のコンテストに応募したその文字を筆で書いた自作の詩が外国人賞として大統領に表彰された。 今年も挑戦しようとしたが、出題テーマに良いアイディアが浮かばなくて断念した。外国人部門にはそれを母語として日常的に使っている内モンゴル人も応募できるのである。作文の内容以外ではとても太刀打ちできない。縦文字モンゴル文字(内モンゴル)キリルモンゴル語(モンゴル国)発音するとほとんど同じ。日本語の方言の違い程も違わない。(でもね。そのちょっとの違いがあるとウサギには聞き取れないんですよ)ツァス(雪)が内モンゴルではチャスになってしまって。韓国語の習い始めに日本語の家族が韓国語でカジョクと発音した時の戸惑いと似ている。
February 25, 2025
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毎日運動しなきゃと思って散歩に出るがいつも同じ時間、同じコース。つまらない。散歩好きだけどなんか自然に義務的になって来た。ちょっと前まで胃の調子が良くなかった。お粥にしたり色々試したけど駄目。もっと楽しく散歩できないかと考えて、以前やっていたように出発時間やコースを色々変えた。そうしたら、新しい発見がいっぱいあって楽しい。料理するご隠居のために毎日のメニューを決めてノートに書いてあるが、散歩の時はそんなの無視。ふらっと入ったお店でご飯を食べる。この日はいつもと違う鉄道路線の一つ隣の駅で降りて、知らない住宅地に迷い込むと言う散歩。細いくねくね道に突然現れたお寺の山門に立てかけられたカフェの看板。でもお寺を一周したのにカフェが見つけられない。あれ、山門の階段を上がったほとんどお寺の中にあったんだ。先の尖ったどんぐりのような毛糸の帽子を被った3人の女性がやっているカフェ。小さいのに色々なタイプのお客が楽しそうに食事していた。1人きりできているお客様、夫婦で来ているお客様、大きな声で笑いながら楽しそうに話す友人同士。きっとまた再びは来ないだろうカフェだけど、このカフェに巡り会えた喜び。ご隠居はカフェモカ、うさぎは抹茶ラテ。そこから5分のところに森の中の小さな不思議な美術館を見つけた。展示室が庭に一個ずつ独立した建物の中に分かれている。ドアを開けて見て、また次の建物の階段を上がってドアを開ける。なんだかわからない美術作品達。その日も新しい土地で新しい発見があって、いつもと違うわくわく散歩があった。いつしか胃の調子も良くなって。お昼はちょっと小綺麗な日本料理屋さんを見つけて天ぷらそばを食べた。まだ社会人の方達はきちんとした生活を。
February 23, 2025
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夕方うちに帰りましょうという音楽が聞こえてくる頃遊び疲れて真っ黒になって帰ってくる子供のように、ご隠居と2人毎日遊び呆けている。車を駐車場に置いて海辺の網代が作る森の中に分け入る。長い階段を降りて干潟に続く湿地の木道を歩く。1km以上続くちょろちょろ小川が流れる湿地帯を抜けるとヨットハーバー。手前の干潟にアカテガニが居ると思う。あちこちで砂の中からぶくぶくと空気が出てくる。さて、帰りは違う道を。今度は作られたさっきの道と違う自然に近い山道の階段を一気に登る。息も絶え絶えになった頃。急に開けて大根畑。振り向けば富士。良いなあ富士山、いつまでこの美しさでいてくれるんだろうか。晴れた日、遠くに大島も見えた。
February 21, 2025
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とは言っても河津桜。今日は海辺の駅まで電車で行って、キャベツと大根の畑のある丘を巡り、海と空を見ながら終点の河津桜並木へ。前回乗馬クラブの馬に出会った畑の中の道を登ると冷たい風が吹いていた。丘の上だから風通しが良い。今日は富士は見えず。ちょっと丘を登って降りてを繰り返してくねくね道を歩いていたら1時間の予定が2時間かかって目的地の池に辿り着いた。それまでは誰にも行き合わなかったのに急に池についたら観光客やハイキングの人で賑わっていた。途中で買ったお弁当をご隠居と並んで池のほとりで食べる。池には鴨が何羽かいて、黒い鵜も飛んできた。桜はまだ2分咲き。線路沿いの桜と菜の花の道を歩いて出発点の駅に戻って来た。
February 19, 2025
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「あー尾張一宮の川村屋賀峯の羽二重餅が食べたいなあ」以前は冬場は送ってくれたが、今は送ってくれないから買いに行かなくてはいけない。実は本命は尾張国府宮の松屋長春の羽二重餅。こっちはもっとハードル高くて、3ヶ月前に予約して朝買いに行かなければ買えない。もちろん名鉄の駅を降りててくてく15分歩く。「買いに行けばいいじゃない」ご隠居がいう。一個270円のお餅を買いに新幹線代2人分払って、ホテルに泊まって買いに行くわけ?年金生活者の馬鹿な会話をしている毎日。今日の散歩は、いちご狩り農園がいっぱい有る方へ。休日だからたくさんの人が最寄駅から歩いていちご狩りに来ていた。我らは農園の売店でジャム用いちごを買って、自分で大根を抜いてもいい売店で大根2本とネギと菜の花を買って、歩いて近い駅に出た。途中で山登りの団体さん達に登山道の入り口を教え、海辺の売店で茎わかめを買って帰ってきた。本日の歩数消化目標達成。
February 16, 2025
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どこかちょっと遠くに散歩に行こうかと電車に乗ったり降りたり歩いたりしながら電車路線に沿って散歩した。行ったことのないところ、通ったことのない路地。電車ならあっという間に過ぎてしまうところを燦々と降り注ぐ冬のかちっとした陽光の中を歩いた。途中道が畑の中に消えてしまい、途中乗馬クラブの馬に出会い、途中真っ白に雪を頂く富士が突然現れて。蜜柑狩り園のたくさんある辺りで疲れたから丘を降りていつもの海辺の料理屋で海鮮でも食べようと、海岸を歩いた。最近その店には2回連続で振られている。一回は予約がいっぱいで、一回は仕入れた食材を使い切ってしまったからおしまいという理由で。地元の常連以外にいつも遠くから評判を聞いてきただろう若者カップルなんかも多い。お客はどんどん来るが、テーブルも多い。三崎のマグロ店で見られるような店の外まで並んでいるような騒がしさも無くゆっくりもできる。何か新しいネタが有るとみんなに分け隔てなくサービスしてくれる店主。昨日のサービスはマグロのちあい部分の寿司。え〜、ちあいなんて食べれるの?漁港直の新鮮だからこそ食べれるんだろうなあ。今、「茜身」とネーミングして漁港辺りで新商品化しているんだそうだ。ここのお寿司はただ握るだけでなく一工夫してくれるから醤油も要らない。テレビで見た超高級寿司店で、「醤油なんて付けないで」というのとも違って、付けたい人のためにちゃんと醤油皿も有る。いつものようにご隠居は店主と話をして小布施のワインをいつものように分けてもらって、茜身の燻製とやらまでお土産に貰って帰ってきた。凝らない、河童橋の道具街で買ったような器だけれど味が良ければよし。ほぼ海鮮を食べにくる人ばかりのこの店で、魚無しでと予約してくる外国人の強者もいて(葉山牛が出る)面白い。会席料理のお店だから全然拘らない。でもおすすめはマグロが山のように盛られた3,000円越えのマグロ丼。絶対食べられないから食べたことがない。ランチメニュー
February 11, 2025
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私が1週間分の献立を立てて、ご隠居がそれに沿って料理を作る。ご隠居副菜を作るのが苦手。メインから着手するから、副菜を作るのを忘れたり、メインが冷えてしまったりする。だから私が献立を立てる方が楽だという。「冷蔵庫に茄子とピーマンが残っていて、冷凍庫に海老が4本有ったから、海老に天ぷらになっても良いかと聞いたら良いと言ったから、今日は献立に無いけど天丼にします」と、昨日の昼は天丼になった。作ったタレはちょっと薄かったが、パリパリで美味しい。かき揚げを工夫したそうで、確実に天ぷらの腕が上がっていた。毎日夫が貰ったバレンタインチョコをわけて貰ってちびちび食べている。
February 9, 2025
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東京に住むドイツ人の友人がクリスマスに家に帰省するからお土産何が良いかと聞いてきた。我が家族勝手なこと言って、ドイツの信号機についている緑の坊やストラップだとか、絵柄指定の買い物袋だとかマジパンがきっちり入ったシュトーレンとか頼んだ。暮れのこと。お土産持ってきたよと言うがそれぞれが忙しく会ったのが先週の事。自由が丘のカフェで。クリスマスはとっくに過ぎていたがそれでもシュトーレンの賞味期限はまだまだ。彼はきっちり各自の注文通りのものを買ってきた。もうすぐ宮崎の大学に赴任するので車買わなきゃとか話は弾んで3時間。もう私達とは殆ど日本語で話すが、まだまだわからない日本語は覚えていつも持ち歩いている黒いノートに書き込む。中国人は漢字が有るから日本習得早くてずるいとか言う。アメリカ人の日本語イントネーションいつまで経っても日本的にならないよねとか言う。自分のこと棚に上げて。横に座った娘には早口の英語で話している。2人はドイツ語でも会話できるけど。 我が家族ジュークが好きでほとんどの会話が例えとか冗談とか。彼に話す日本語としては難しいかも。彼の方もしっかりついてくるが、時々上級日本語がわからない。「推しの」とか「サービス残業」とか使うのに。その日も東大のカンファレンスに行ってから来るけど遅れないようにすると言っていたのに結局サボったらしい。それなのに、約束時間ギリギリで「今途中。電車急がせています。」と冗談メールを送ってくるんだ。「ご都合主義」だと言ったら黒いノートに書き留めていた。クリスマスの家を作るクッキーだそうだが、賞味期限は7月まで。一体いつ作ればいいんだ?
February 2, 2025
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江ノ島番組をやっていたテレビを見ていたご隠居がボソッという。「江ノ島行ったことがないんだよな。一度行ってみたいと思ってこの間鎌倉から江ノ電の江ノ島駅まで歩いたけど、遠過ぎてその先江ノ島まで行く体力が残っていなかったんだよな」え〜え〜、一度も行ったことがないの?わたし3回も行ったのに。あれご隠居とじゃなくて妹とだったり、ホームステイの韓国の友人たちとだったり、近所の友人とだったりしたのか。ならばと、先日歩いて行った江ノ電の江ノ島駅の先の江ノ島の島に行って来た。鎌倉観光のお願いのように大船駅から混雑の江ノ電使わずモノレールに乗って江ノ島直行。江ノ島の橋を渡り、江ノ島神社に登ってお守りを求め。エスカーでサミエルコッキング広場を抜けて、坂を下り階段を登り階段を降りて海辺の洞窟探検をして富士を見ながらテラス席で江ノ島丼を食べて帰って来た。ホストファミリーとして何度も鎌倉案内していたのに、へええ一度も江ノ島へ行ったことがなかったんだねえ。洞窟巡りも結構面白かった。
January 28, 2025
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無理せず体と相談しながら散歩。今回は鎌倉駅から裏道を通って江ノ電の路線につかず離れずのコースで江ノ島まで。細い路地や古い商店街を歩くのは楽しい。店の入れ替わりもあるので以前はなかったちょっと洒落た店もできている。鎌倉市、鎌倉観光客が多すぎて、江ノ島方面に行くには大船からモノレールで行って、反対周りで鎌倉に戻って欲しいというアナウンスをしている。その日もほとんど現地では中国語ばかり。歩きは良い。観光客に揉まれることもない。昔ノッテングヒルで見たような古いミシンを窓際にディスプレイした縫製店や線路脇の小さなカフェが素敵。疲れたらリンドグレーンの「やかまし村の子供たち」や「長靴下のピッピ」の本が置いてあるスウェーデンで暮らしたことが有ると言う人のカフェでスープとシナモンパンを食べる。他には英語注文の男性が1人だけ。昔あったドイツ人80歳以上のおばあちゃんの3兄弟がやっているシーキャッスルはもう違うお店になっていた。稲村ヶ崎の先の海辺は外国人の若者でいっぱい。みんなスラムダンクの鎌倉高校前の踏切から江ノ電と富士と江ノ島を見ながら歩いてくるのだ。カレーの珊瑚礁もアマルフィも入れない。腰越の小動を過ぎてからの江ノ電がより面白いと思うのだが。小さな昔風の食堂でお昼のアジフライ定食をすぐ窓の外の道路をガタガタ言いながら通る江ノ電を見ながら食べる。こんな街食堂でも外国人率が高い。インターネットガイドに出てるのかな。帰りは中国語しか聞こえない江ノ電で鎌倉駅に出てどこにも寄らずに帰って来た。ただただ散歩の日。
January 24, 2025
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自宅でお正月を迎え、その後一泊の箱根。ただただ美味しいものを食べて温泉に入ってゆっくり過ごすための旅。チェクイン前に来ても良いと宿から連絡が有ったけれど、一夜城ヨロイズカファームに寄ってケーキセットを食べて、小田原漁港で海鮮丼を食べ宿に向かった。雪や霰がチラチラ舞い落ちる箱根湯本は観光客でごった返していたが、宿は落ち着いて居心地良かった。到着の出迎え、ヴァレーサービスからロビーソファーまでスタッフがいっぱい。部屋担当の仲居さん登場。荷物やコートは先に男性スタッフが部屋に運んでくれていた。スタッフ女性は着物姿、男性は袴の人が多い。ロビーが思ったより狭いと思ったのは、部屋担当が部屋まで案内してくれて、直接部屋にある食卓でウェルカムドリンクとお菓子をサービスしてくれるためだった。フロントも通っていない。名乗っただけ。お菓子は花びら餅。ごぼうの甘さと柔らかさがなんとも言えない美味しさ。羽二重や餡も美味しい。娘が予約してくれ支払いも済ませておいてくれたので、食事はどこでするのかわからなかったが、夕食もも、朝食もお茶もコーヒーも全て部屋担当の中居さんが部屋で準備してくれた。中居さんがずっと変わらず朝の見送りまで担当してくれるのは、差し詰めホテルのバトラーっぽいなと思った。部屋から見える石庭に雪が降って趣が有った。娘や夫は翌日の運転の心配をしている。ケーブルカーやロープーウェイはすぐ近くだけれど、一切箱根観光は無しで、ただただお風呂に入って、お風呂後の休憩室のドリンクサービスや部屋でゴロゴロを楽しんだ。ご隠居が「スタッフが廊下ですれ違うときちんと立ち止まって挨拶してくれるのは良いね」と言う。外国人もお風呂の後の休憩サロンで欧米系の1家族に出会ったきり。箱根は色々な宿に泊まったけど、強羅花壇もまた訪れたい宿だった。
January 6, 2025
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今年もまたデパートのお節は却下されたので去年の30日から料理をコツコツ。31日は鰤を食べて、年越しそばを食べて。お正月は作った昔風のお節を食べる。初詣に行って、甘酒と蜜柑をもらって、夕方にはもう夕食の用意が来る。お節も1食なのよねえ。流石に元旦だから。ちゃちゃっと切るだけお刺身で誤魔化す。2日から何にする?
January 2, 2025
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2人きりのクリスマス。今年の大掃除はゆるゆるとかなり前から少しずつ始めている。若い頃やったように2、3日でやろうと思うとその日は良くても何日か後には必ず体の不調が来る。あれもこれも好きなことをやるのが元気の源と時には頑張るが、後がいけない。目も昔のようにはよく見えない。きっと汚れた場所が見えなくても良いように。若い子が亀と言ったのにトータルと聞こえる。耳も悪くなったか?ご隠居との会話は2度ずつ言う生活。発音練習みたいだ。ゆっくり、ゆっくり生活するのが良いみたい。大掃除。今日はこの部屋のガラス磨きだけ、今日は2箇所のトイレだけ、1日2部屋のワックスがけだけ。そんなふうに大掃除をしている。そうしたら気持ちも身体もゆったりして、ちゃんと28日には大掃除が終わる。シャワーの蛇口も洗面もピッカピカになった。クリスマスは2人だけ。オニオンスープを作ってグリーンサラダを作って、ケーキを焼く。いちごが最後に7個残ったから上に7個飾りつけて、娘に写真を送ったら、偶数に切るのに奇数は切りにくいだろうと言われた。ごもっとも。最後にいちごのところはいちごが真っ二つになった。ご隠居がスープを鍋から付けてくれたがサラダボールに入れている。毎日毎日笑ってばかり。そんな風にチグハグな老人のクリスマスもまた楽しい。2日後、冷凍庫にストックしてあったスポンジでリベンジケーキ。今度はちゃんとカットする位置にいちごが来た。そうそう手抜きも老人の特権。
December 27, 2024
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大掃除でワックスがけしようと思うが問題は居間のこれ。手前の小さい鉢のモンステラ、もともと大きな鉢から生まれた。娘が欲しいと言うので小さい鉢に植え替えたがいっこうに自分のマンションに持って行かない。そのうち途中から根が伸びてきて垂れ下がって邪魔なので根をそのまま大きな鉢に戻したら根付いてしまった。鉢が連結してしまったので掃除機かける時は2つの鉢を一緒に動かす羽目になっている。横の斑入りの木も本体が大きくなり過ぎて、掃除の時横に置いてあるウッドデッキの日向ぼっこ用の折り畳み椅子を倒すこともある。全てはズボラから始まった。ワックスがけの時、鉢をウッドデッキに一時仮置くけれど、頭が重過ぎて風でひっくり返る。ワックスがけも大変である。で、小さいモンステラの根はそっと引っこ抜いて、小さな自分の鉢にもどしておいた。1週間前。うん?いや、小さいモンステラの途中から出ている根っこが、モンステラじゃない大きな鉢の土に刺さってるじゃないか。ご隠居がやったのか。うーん、また2つの鉢を同時に動かさなきゃダメじゃないか。
December 19, 2024
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24年前アメリカ人の留学生を4ヶ月間我が家に受け入れた。その後、日本に来ると会いに来てくれ、私がアメリカに行った時2度会った。日本語を教えた生徒や我が家にご飯を食べに来てくれた外国人もいっぱい居るが、やはり寝起きを共にし、毎食一緒に食べ、生活を共にするとちょっと違う。その子がと言ってももう子供もいる大人であるが、1年前から夫婦で日本に来るから会ってねと言って来ていた。泊まっても良いよと言ったけれど、日本が初めての夫にあちこち観光させたいらしい。最初台湾を旅行し、大阪、京都、長野(スノーモンキーは今アメリカ人に超人気)と移動するたびFacebookで写真をあげる。こっちはだんだん間合いを詰められるような待ち遠しいような気持ちになった。実は彼女前の夫との間に2人の子が居る。私も2度アメリカで会ってその成長を手紙や写真で見守って来た。多分今は前の旦那さんの方で暮らしていて、週末とか夏休みにお母さんの方に来ているのだろうと伺える。今のパートナーはパークレンジャーだから、平日一緒にいるのも難しんだろう。でも、そんなのアメリカじゃあ普通。子供達だって両方の親やおばあちゃん達に大事にされて元気に大きくなっている。寄り添っていても寄りかからない人生って良いなと思う。晴れた日に鎌倉で会って食事して、日本が初めてのマッチョだけれど優しそうな、彼女のパートナーを観光に案内した。次の日は富士山の五号目までのバスツアー、次の日は東京ディズニーシー。あれ、昨日東京ディズニーランドに行ったと言ってたよね。ディズニーシーとディズニーランドは違うから両方行くんだそうだ。東京のホテルからタクシーで行き帰り。そして東京満喫してビジネスシートでアメリカに帰って行った。アメリカ人の経済力にびっくり。
December 5, 2024
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10年以上前一人のドイツ人研究者をホームステイに受け入れた。日本の学術事業で先進国のPh.D(博士課程後期)やポストドクターの研究者を国立大学或いは有名私立大学に夏季期間招待する制度だ。ウサギ家はずっと何年も毎年そこからの研究者をホームステイに受け入れていた。そしてもうほとんどが家族ぐるみ、子供世代の交流になっているのだが。10年程前ドイツ人の彼を受け入れた時、ホテルで和食をご馳走した。家族はカジュアルフォーマルっぽい服装。彼はTシャツで参加。2、3年後、ベルリンで再開し勤務先のフンボルト大学の図書館とか案内して貰った時ボソッと言われた。「日本のホテルで食事した時ドレスコード伝えてくれなかったからヨレヨレの服でちょっと恥ずかしかった」あちゃあ、我が家にステイした時フォーマルは滞在ホテルに置いてきたんだろうからと逆に告げなかったのがまずかった。2年ほど前コロナ終了後虎視眈々と狙っていた日本で働くと言う願望を果たしたポスドクの彼。大学で働きながら、ある地方大学の教授職を得た。「田舎だから嫌だなあ」と言う彼の愚痴を聞きがてら家族でお祝いしようと中華街の行きつけの店を予約した。現地集合。予約した席に現れた彼、「ドレスコードがわからなかったから」と背広を来てきた。観光客も来る中華街、ドレスコード伝えるのまたすっかり忘れたよ。
November 22, 2024
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山の庭の白樺ももみじもも葉っぱが全部落ちてしまって、すっかり秋は終わっていた。わずかに落ちた葉が紅葉だった事を感じさせる。鹿が柵を破って侵入した場所を修理して疲れたからコーヒーを飲みに山のカフェへ。清里を越えて大泉の別荘地のカフェはケーキも美味しいし居心地がいい。タルトタタンとクルミのケーキを食べた後はちょっと知らない別荘地内の散策。そこは標高が少し低く、甲府盆地への通勤ができる位置なので永住者も別荘族もいる。ただし、八ヶ岳の裾野は広大な範囲、どこにいっても坂。山に向かえば上り坂、山を背にすれば下り坂、どちらに行っても、先か後に坂を登るから散歩といっても結構辛い。ゆっくりゆっくり歩きながら、道から垣間見る人々の山での楽しみ方を見るのはこちらも楽しい。小さなターシャチュダーの美術館やピーターラビットの家なんていう名前のカフェが森の中に潜んでいたりする。行き止まりあり、ペンションあり、木のブランコあり、花園あり、ブルーベリー畑あり、そして収穫体験農園あり。入り口の小屋にお金を入れる箱があり、ハサミがいっぱい吊るして有る。勝手に入って、トマトや野沢菜、大根を採取して良いらしい。「今収穫できるもの」と野菜の名前を書いた札が立っている。多摩ナンバーの車が駐車していた小さな別荘の駐車場でご主人が収穫したサツマイモを積み上げていた。「こんにちは」と声をかけられたので、「すごいですね」と言ったら、「一つ持っていきませんか」と収穫したばかりのサツマイモを水道で洗ってくれた。すごく大きい。ご隠居が重たいと言いながら出発点の駐車場まで持って歩いた。
November 12, 2024
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山の家は寒いぐらいの天気、庭の白樺の葉がハラハラと散る。庭の草刈りは契約してあったがきちんと刈られていないのか草の伸びる速さが早すぎるのか、芝が伸びて土を覆っている。休暇が取れた娘が草刈機で刈ってくれた。丁寧すぎるから結局敷地内全部終わらなかった。ご隠居が3m程になった6本ほどの紅葉の木をチェンソーで切る。庭のちょうど角に有る大きな樺の木2本は25mはゆうに有る。昨今の台風の強さは怖いので木樵さんに来てもらって切ってもらうことにした。家はちょうど敷地の真ん中に有るが、樺の巨木が倒れれば先端が家に届く。敷地内で家を避けて切り倒すか、敷地周りの鹿避けの柵を外して家の建っていないお隣に倒させてもらうか。木樵さんに交渉してもらうことにした。お隣きっともう家を建てる気はないんだろうから前回の木の切り倒しの時も快く了解してもらった。その他、ご隠居では切れない、20m位の白樺とタモの木を4本切ってもらうことにした。木の伐採はこれで4回目。まあまあ良く木が有ったものだ。土地を買った時は白樺林の中に家を建てたら小鳥になった気分で良いだろうと思ったが、自然の成長の速さには驚かされる。巨木は怖い面も有る。残っている白樺と植えた木が大きくなるのを楽しもう。きっとそれもすぐに大きくなる。2年前に切り倒した庭のあちこちに有る白樺の切り株からは彦生えが出てもう2mぐらいになっている。日陰が少なくなって直射日光は当たるがしょうがない。木樵さんの下見が終わった後、車を走らせて善光寺までお墓参りに行ってきた。小布施はすごい観光客だろうから、長野東急のデパ地下で竹風堂の栗おこわと栗の木テラスのモンブランケーキと太平堂の「まほろばの月」と栄泉堂の栗クッキー「クララ」を買った。ついでに小布施ワイナリーのワインと高山村のワインも買った。1カ所で全部揃うのが良い。帰り道で長野県民の台所、イオンの様な「ツルヤ」に寄って食料調達。山梨側に有る都会の人御用達の「ひまわり市場」より安くて、高級品は無いから思わずポイポイカゴに入れてしまう。県内あちこち結構な田舎にも有るから、どこの「ツルヤ」に寄るかルート上で選べて良き。一緒に買ったグレイスワイナリーの茅ヶ岳は山梨ワイン。
October 17, 2024
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別にブログから消える準備をしていたわけではない。2週間以上前にご隠居がコロナになった。娘が趣味で所属する管弦楽団の演奏を聴きに行ってラッシュアワーの電車怖いからとグリーン車で帰って来た次の日、なんか鼻水がと言った。その次の日、喉がちょっと痛くなったと市販の薬を飲んだ、3日目37.3°の熱がある風邪ひいたみたいという。4日目、37.8熱が出た。ウサギ、それコロナじゃない?常備してあるコロナ試験薬で試す。結局よくわからなくて3回も違う試験薬で試して全部陽性。かかりつけの医者に行くと大きな病院に行けと言うのでタクシーで向かった。その頃には平熱。帰ってきて主治医が、同じ家族だから絶対移っている。あなたも検査しなさいと言われて翌日ウサギ1人また大きな病院にタクシーで向かった。結果陰性。大体ご隠居が喉が痛いと言った時点で、ウサギ枕を持って家庭内別居。別棟非接触生活。ご隠居が使用したティッシュはビニールに入れて密閉して窓の外に置いたゴミバケツに入れて貰って、キャンプ用の火挟で処理。食事は紙皿使用。トイレお風呂別。暇さえあればドアノブ、床をアルコールで拭く。結局発熱37度台2日で終わったご隠居コロナ。へとへとに疲れた8日間が過ぎ、ふとご隠居の篭っていた寝室に入ってみれば、ゴミ箱にコロナ検査の綿棒が剥き出しで入っていた。私があんなに神経使って色々処理していたのに。
October 8, 2024
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軽井沢ビール工場を見学。結局ご隠居とウサギは烏龍茶、娘だけが試飲してお代わりしていた。画家千住博の絵がビールの缶になる。
September 18, 2024
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また断捨離続行中山の家の断捨離。本宅で使わなくなったけれど捨てがたい食器や調理器具など持って来ていたが、思い切って断捨離。客用布団こそ最初は本宅から移動させていたが、結局全部入れ替えた。究極ゲストが来なければベットルームだけでも良いのだが。ウサギは何度も書いたが両親と義両親を我が家で看取った。だから彼らの持ち物はウサギが処分した。その段階で、彼らが買った時に高額だっただろうものは捨てがたく自分のものとして取り込んでしまった。義母の両親が義母のために作らせた金の鳳凰柄総刺繍の打ち掛けや結納のために作らせたお祝い柄の振り袖や帯、そう言ったものは今では作れないものだからと取り込んでしまったが、私の結婚式に着させて貰ったり、義母が亡くなってから娘が結納に着たりした。けれどもういらないのだろう。何年か前に処分した。母が持っていた食器類もそう。食器には目が効くので、高価なコレクション的なものは取り込んでしまった。しかし、このコレクションが曲者。人は揃っているものは捨てがたいので有る。オークションやメルカリに出せば売れるのだろうけど、その手間と時間を考えたら自分の人生の時間をそんなことにとられるのは嫌だ。どうせその時は二束三文にしかならないし、欲しい人がそれを見つけてくれるまでの時間が惜しい。もう何年も長い事親の膨大なコレクションの処理をしている人を知っている。それってその人の人生なんだろうかと時々思う。もっとその人自身の楽しみがあるのにそれを奪っているんじゃ無いだろうか。もし勿体無いと思って親の趣味を取り込んでしまったら、自分の趣味の範囲が狭まるのだろうか。自分の本当に好きなものは家族であっても他の人とは違う。最近母の遺した食器を思い切って捨ててから、思い出は今身につけている母の形見の金の指輪だけで良いかな、老人ホームにも持っていかれるしと思ったりしている。指輪ぐらいなら娘だって負担にはならないだろう。なんとなく家がスッキリして来たような気がする。それでもまだまだご隠居や私の好きなものに囲まれている生活。次はその先である。自分のコレクションで娘の時間を奪わないようにしなければ。あっさり業者に全部まとめて処分して貰ってくれれば良いのだが。エインズレイとマイセンとボヘミアングラスは断捨離するなと言われているが、それって結局親のコレクションを受け継ぐって事だよね。自分の家に取り込んで。
September 18, 2024
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少し涼しくなってきたので、毎朝庭の手入れをしている。1時間。1時間が限度だ。まだ庭の4割ほどしか終わらない。「裏庭にもきっといっぱい雑草生えているよね。」「見ないことにしよう」兎に角前庭だけ頑張るしか無い。大河ドラマの「光る君へ」はずっと大河見てきたうさぎからしたら、ものすごく美しくて、文学的で、知的な大河だと思う。音楽も俳優も演出も時代考証も美術も情景に合わせた鳥の鳴き声分けも出てくる月も素晴らしい。何より脚本が素晴らしい。過去回に置いてきた伏線を後の回でどんどん回収していくから、記憶力も試されて知的な作品だ。源氏物語の匂いのする新しい文学作品のようだ。学校で古典を教えて貰っていて良かったと思う。昔習った事がさりげなくドラマの中に散りばめられている。源氏物語では無い紫式部物語。もういっぺん源氏物語も読んでみようかな。そう思って本棚を探すが、ありゃ「谷崎潤一郎訳の源氏物語」全巻断捨離してしまったらしい。外国人ゲスト用に求めたこんな要約本しか残っていない。これじゃダメだ。あの文語の旋律の美しい日本語でなければ。
September 5, 2024
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断捨離以前結構やったけれど、もうひと頑張りして身の回りをスッキリさせようと動き出す雨の日々。20人、30人と来てパーティをしたが、コロナを境にもうそんなパーティも無いだろうからと、BBQ用の巨大なパエリア鉄板、スパゲッティの大盛りに活躍してくれたはるか昔に銀行からもらったミッフィーの大皿、朝食に使っていた10枚揃いのデイナー皿、コレールのコーヒーカップセット、シチュー皿など捨てた。まだこんなに捨てるものが有ったのね。
September 1, 2024
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毎日何回か各国の台風情報を見る。なんなのこの台風。特に青い線、鋭角に曲がったり、四国の上で一周したり、今なんぞ四国を通り越して鋭角に何回か回って、台風発生のフィリピン海に戻ろうとしている。兎に角被害がないこと祈るしかない。台風前に庭の木を切って、少し綺麗にして置いた。子供の頃は台風前になると、母がおにぎりを作っていたなあ。落ち着かないから、タルトを焼いた。カスタードクリームってこんなに簡単にできたっけ?イチジクはジャムにしちゃったから、プラムで。
August 29, 2024
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時々おこぼれで観劇券が転がり込んでくる。観劇趣味の忙しい娘が予約したけど仕事で行かれなくなるとまわってくる。田舎から都会に出るのはちょっとした小旅行。神宮前の小さなギャラリーで知り合いの展覧会を見て、有楽町に行く。老人、熱中症にならないようにお茶タイムを計算してある。ペニンシュラで観劇前の時間潰しをしようと思ったら、ご隠居が現役時代に入ったと言うパブが有ってそこでお茶。そうイギリス風のパブはご飯も食べられるし、お茶も飲める。ちょっと懐かしい雰囲気。ちょっと歩いてガルガンチュアでパンを買った。コロナでずっと来ていなかったら、位置が変わっていた。一個800円以上するキューブデニッシュやタルトタタン風のデニッシュを4個買った。年金生活者なのに良いんだろうか。朗読劇は音楽も演出も良かった。休憩時間に外を見るとひどい大雨。講演後劇場のロッカーに預けたパンを回収。今時はクロークなんて無いのね。公演が終わって劇場を出る頃には雨が上がっていた。そうだ雨上がりの東京駅の夜景は素晴らしいはず。有楽町から東京駅まで電車に乗ったら、ダイヤはメタメタに乱れて満員電車。大雨でいくつかの駅が水浸しになってるようだった。雨上がりの東京駅は美しかったが、雨が上がって時間が経ってしまっていたから、地面が乾いて来ていて、思ったような鏡現象は撮れなかった。いつものようにグリーン券を買ってホームに入るとグリーンの列が長蛇。ダイヤも乱れていた。東海道線運休の余波が来ていた。一本遅らせて乗った電車になんとか座って、また田舎まで帰って来た。
August 22, 2024
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台風の西側と東側では物凄く被害状況が違う。2019年、我が家のほぼ上空を台風が通過。その後その台風の東側に入った我が家からほんの2、3kmのところにハイキングに行ったら大きな木が皆薙ぎ倒されていた。同じく東側の房総半島はもっと大きな被害に遭っていた。我が家も玄関のドアがもぎ取られるんじゃ無いかと怖かったが、同じ台風でより中心に近かった我が家より東側の方が凄まじかったということだ。そんなこんなでまた台風が来る。我が家に雨戸の無い出窓が2階に2箇所有る。以前やったようにご隠居がガラスにテープを貼りにいった。「ユナイテッドキングダムで良いかな」と言いながら。なる程、1番楽な方法で貼るらしい。フィンランドやデンマークよりは技術が要らず、役にたつ。娘がおじさん柄の缶がいい感じと、ご隠居に買って来た。
August 15, 2024
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外国人が来ていて面白かった事。日本語が話せない外国人とは基本は夫も私も英語で話す。彼らは一生懸命日本の文化を吸収しようとするから、何でも聞いてくる。天ぷらをしていて「レンコン」は、「今日鎌倉の長谷寺で池の中に白い花が咲いていたでしょう?あの泥の中の根っこ」。「茗荷」は、「うーん植物の根っこの方にできる芽。香りを楽しむ野菜」。シソとか柚子とかスダチとか、山椒とか、英語以前に説明が難しいものもある。日本人の風雅を楽しむ心を伝えるのは難しい。彼ら、今は便利なものがあるから、直ぐにスマホで調べる。茗荷は言葉が難しい。ウサギこの頃、途中で考え事を忘れる。そして「何だっけ」と声に出して言う。「茗荷」をスマホ入力途中のドイツ人、「えーと、何だっけと入力すれば良い?」「いやいや、ミョウガと入力して」娘のお土産田舎だから「チャヤ」のケーキぐらいしか手に入らないから、時々こういうのが来ると嬉しい。
August 11, 2024
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今、我が家には長年の友人のドイツ人家族4人が滞在中。去年の今頃、来年の夏は日本に行くから泊めてという連絡を貰っていた。20年前に文部省だったか外務省だったかの招聘で研究者だった彼が我が家に3日ほど体験ホームステェイした。帰国前に彼の妻が日本に来て山の家に招待した。そうだ、彼は東北大学の研究室の推薦で来ていたんだった。その後娘たちがイギリスに行く前にドイツのギーセンにある家を訪門している。我らは20年ぶりの再会。駅から出てくる彼らの姿は全然変わらず、(なぜ変わらないんだろう。20年も経っているのに。)記憶も勝手に年月を刻んできたのか?で、20年前にはこの世にいなかった15歳の息子と18歳の娘。初対面とは思えない親しさで近寄ってきた。一緒に鎌倉観光をして、箱根ワンデー観光に送り出して、一緒に寿司を握って、毎晩色々な話をしている。ちょっとシャイだけどニコニコしている息子と興味津々で日本文化をなんでも吸収しようとしているおしゃべるな娘。なぜか皆英語の単語に詰まると15歳の少年に聞いている。完璧に答える彼。でも、こちらから話しかけないと自分からはあまり話さない彼。ウサギが感心したのは、この家族全員うさぎと夫の前では英語で話すのである。普通は家族間の会話はドイツ語だろうに、私たちに何を話しているかわかるように話すのである。たとえコソコソ話でも。これはウサギ家庭でも昔はよく娘達や夫に言っていた事だ。わからない言葉で会話されていると不安になるものだ。それを自然に18歳の子達がやるのはすごい。お陰で懐かしいドイツ語はなかなか聞かれない。我ら今回はかなり繊細な宗教の話とか移民の話とか世界情勢とか話したりもした。18歳でもしっかりした考えを持っていて、ちょっと速めの綺麗なブリティッシュイングリッシュで積極的に会話に参加する姿を見て、すごいなあと思うのであった。全員参加で握った寿司。コロナ禍ではあるが、まあ良いか。来日前に日本ではマスクをするようにと言ったら、50枚もドイツから持ってきて、アルコール手洗いをリュックに付けてあって、熱中症になるから水をと言うと出かける前に私が用意しておいたペットボトルを持って出かける。帰宅後は必ずシャワーをするから合格としよう。でも出かける時は部屋のエアコンは切って出かけようね。多分エアコンなんてないドイツ。
August 2, 2024
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モンゴルの旅日記完結させないで終わってしまっっていた。モンゴル最後の日、7時台のフライトなので4:30にホテルに迎えに来るはずのテムジン来ず。電話しても出ず。タクシーで来てテムジンのベンツで乗り合わせて行くことになっていたバースカに電話入れる。バースカがそんな事もあろうかと自分の車でホテルにやってきた。寝ていて起きないテムジンを置いてバースカの車で空港へ。途中ウサギどうしてもトイレに行きたくなって反対車線のコンビニに行くためUターンした時、空港方面に走るベンツを目ざとく見つけたバースカが「テムジン来たよ」と言う。トイレを出て(いや、コンビニを出て)もう一度空港方面車線に戻ると、バースカが「あいつこっちの車見つけて反対車線戻ってるよ」という。何やってんだか。みんなぐるぐる回っている。いや、みんなトイレに行くウサギを何やってんだかと思ってるに違いない。結局近くの駐車場で合流してテムジンのベンツに乗り換えて空港へ。空港にはテムジンのお姉さん2人が見送りに来てた。お土産持って。そしていつものように見たことのない謎の親戚が1人付いていた。そうそう空港に来る途中テムジンがいつものように「春よこい」をかける。そして広大な草原に朝日が昇る。朝降っていた細かい雨に陽が当たって虹が出ていた。何にもない原っぱの中の空港へと急ぐ我らの見送りの虹だと受け取っておいた。
July 31, 2024
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翌朝、テムジンが治ったから前日できなかったドライブすると言う。前日、ドライブ楽しみにしていた彼のガールフレンドが、がっかりしたのもあって、テムジンの冷蔵庫の卵やガチョールトから持ち帰ったヤクのヨーグルトを全部捨てちゃったんだとか。彼女も誘おうと言うと、出かける準備するからちょっと待ってと言う。その間時間があるからと前日閉まっていたザナバザル博物館へ。行って良かった。ガイドを頼むと一つの展示品に5分は掛ける丁寧な、それでいてめちゃくちゃ早い英語で説明してくれる。もうちょっとゆっくりといっては見たが、「はい」と言ってまたすぐその速さに戻った。まあ、凄い知識だ。これ覚えるのに凄く大変だったんだろう。前日チョイジンラマ博物館に行っておいて良かった。そこで仕入れた知識が非常に役立って、説明がよくわかる。事前の知識がなければ、この速さの英語について行かれない。ザナバザルの歴史的な地位、チベット仏教のグリーンタラ、昔の市場のフレー。今まで習ったことが試されているようだった。同じチベット仏教のブータンの寺院で見たグリーンタラの意味がその時わからなかったけれど、あの時の旅で見たものが20年余の後、鮮明に甦ってきた。同じ仏教でも考える位置が人間に近い所にあるチベット仏教と、日本のように人間を超絶した荘厳な世界を感じさせる仏教。しかし仏像など見ていると、インドからネパールを経てモンゴルへ伝わったチベット仏教と中国経由で伝わった日本の仏教は大きく違うように見られるが、実は同じ大乗仏教。誰でも救われる。一方、インドからタイの方に流れた上座部仏教は修行を積んだ人だけが救われる。しかし、日本の廃仏毀釈の時のように、社会主義で宗教を全否定された時代を通ってきたモンゴルは仏教建築はことごとく破壊されて、その期間、仏教は人々の心の奥底に大切に保管されてきた。5日前に訪れたガンダン寺は再建された寺、チョイジンラマミュージアムは再建ならず、博物館として再現された寺。そしてこの日ボグドハーン山一周ドライブで再訪した(5年前訪れている)マンジュシュリヒードは、完全に破壊されて廃墟と化した寺院群跡。テムジンがミルクを持ってくれば良かったと言った。そう、聖なる地では天に向かってミルクを投げるのであった。写真に写っているのは池ではなく前日に降った雨の水たまり。池も小川もモンゴルではなんでもない窪地に自然に現れる。夜バースカとご飯食べる待ち合わせ電話をしたら、レストラン6時集合と言うのを9時と間違えていた。テムジンに連れられて行ったレストランはなぜかお金持ち地区にある日本のジンギスカンとラーメンのレストラン。ラーメン日本と変わらない値段した。いや、もっと高いか。
July 15, 2024
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選挙の日は学校も会社もデパート以外の店もお休みになって、みんなデールという正装を着て選挙に行くというフスレン情報。ならば、伝統服をスフバートル広場に見に行こうと朝から歩いて広場に向かう。ウサギもデールを着て。7時30分。だあれもいないじゃん。それにいつもの渋滞はどこだ?デールを着た人に出会わない。この日はバースカは仕事柄選挙の監視。フスレンは選挙に行くという。テムジンはデールを着て、彼女と市の中心部で投票して、その後、我らとボグドハーン山一周ドライブすることになっていた。そのテムジンから、投票所に来たら、場所が変わっていて国立大学にいる。おまけに朝食べた卵があたって朝から吐いているという連絡。そんな状態でドライブなんてダメだから医者に行きなさいと伝える。自分たちで観光するからと。さて、じゃあどうするか。取り敢えず唯一やっているデパートへ行こう。するとフスレンが、「今日の予定は?」と聞いてきた。自分たちで観光すると言うと、「ガイドできるよ」と言う。ホームステイの先輩達に遠慮していたが、自分の出番を虎視眈々と狙っていたのだ。「今から30程歩いてデパートへ行くから、そこで会おう」と連絡した。途中、ザナバザル博物館がもしや開いていたら行こうと思ったが閉まっていた。30分歩いてデパート。フスレンがまだ来ていない。おかしいなあ、歩いて2分のところに住んでいるのに。キッチン用品の所にいるとデールを着たフスレンとデールを着た彼のお母さんが来た。なるほど。お母さんも我らと行動する事を虎視眈々と狙ってたわけだ。フスレンのデールの布は何故かイギリスのタータンチェック。お母さんのデールは流石デザイナーだけあってピシッとしている。やっぱり体格のいい人のデールの方がかっこいい。フスレン、デールに着られている。デパートで妹にカシミヤセーターを買って、娘にポーチを買った。それから、選挙でも開いているアルコールを提供しないレストランを探して遅いお昼にしようと、席に座ったらフスレンのお父さんがやってきた。お父さんも虎視眈々と狙っていた?テムジンから写真が送られてきた。病院も休みだから、医者に自宅に来てもらって、点滴をしてもらっている写真。なぜか点滴の袋が壁の高い所にガムテープで貼り付けてあった。フスレン家族が近道を通ってホテルまで送ってくれた。詩人の銅像や洒落たケーキショップが有って、きっと観光客は通らないだろうなと思う路地。そのまま家族で投票に行くんだそうだ。結局投票所の前を通ってもデールを着て正装した人は三分の一ぐらい。それでも日本と違って、正装できちんと投票する姿勢には感心した。歩きじゃなければ見られないものを見せて貰って面白かった。ウランバートル、各ブロックのメイン道路に面していない真ん中が面白い。投票所
July 13, 2024
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ガチュールトの子供センター訪問から帰って、一旦ホテルに入りシャワーを浴びる。留守の間も宿泊料金は払って有るので、出かける前と同じ部屋。さて、冷蔵庫の中に入れておいたフスレンのお母さんから貰ったヨーグルトを食べようと冷蔵庫を開けてびっくりした。最初から冷蔵庫にあったビールとワインの瓶が無くなってる。メニューには書いてあるのに。まさか掃除の人が勝手に飲んじゃった?その夜はテムジンが予約してくれた展望レストランでテムジン彼女と食事することになっていた。出かける前にフロントで「冷蔵庫のお酒飲んでないのに、留守の間になくなっちゃった」と言ったら、「明日国会議員選挙ですから、法令で今日と明日のアルコールのサービスは無いんです」と言われた。その日にチェックインした人にはお知らせしたんだろうなあ。明日は町中のアルコールを出すバーやレストランはお休みになるんだとか。モンゴル車社会。「アルコール飲んじゃって選挙行くの辞めた」なんてならないように提供の方を辞める。だけど、ホテルの宿泊客はほとんどが投票権が無い外国人。そこまでやるってすごいなあ。展望レストラン。トイレを探していたらその階をぐるっと一周した。ワンフロア全部レストランなんだ。半分はVIP個室になっていた。眼下に見えるのは「VIVANT 」のロケによく出て来た国立民族劇場。スフバートル広場のオペラハウスとよく似た建物。
July 13, 2024
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子供センターの駐車場に車を停めた時、テムジンが言った。外交官ナンバーの車が有る。後でわかったのは、我らの訪問より先の見学者でセンター長が案内していたのはチェコ大使館の夫人だった。大使館に住んでいると言ってたが、多分大使夫人。日本大使夫人の下のお名前親そうに呼んでいたから。一通り施設を案内して貰って、小さい子たちの棟に行くと、みんなで食事をしていた。その部屋で1人の若いお母さんが、生まれて間もない子に授乳していた。18歳はとっくに過ぎていそう。聞いたら、一度センター出ても、子供を産む時は帰ってきても良いんだそうだ。赤ちゃんはみんなでかわるがわる抱っこして面倒を見ていた。その間その子のお母さんは小さい子達の食事中の喧嘩を止めていた。ここは巣立った子がいつでも帰ってきていい家。最後に事務所に行くと、チェコ大使夫人と思われる女性もセンター長と一緒に入って来た。皆で写真を撮った。私はセンター長と話し、ご隠居はチェコ大使夫人と思われる女性と話した。ご隠居チェコで何ヶ月か仕事していたので、英語読みではなく、チェコ語読みの地名に途中から変えて、話が合うようだった。楽しそうに話していた。テムジンはあっちにもこっちにも参加して「どっちと話したらいいの」と、笑っていた。モンゴル語通訳の必要が無いので彼も英語で参加していた。センター長のガブリエル・マリーさんはこうやって見学者を大事にし施設をオープンにし、見学者は次なる援助者になる。旅行がてらの外国人ボランティアも拒まず受け入れるとの事。成る程。成功者の人となりを勉強させて貰った。宗教色は一切なかった。センターの名前にロータスと付いているから、或いは子供達のためにモンゴルのチベット仏教やモンゴル国家あげてのお祭りナーダムや馬頭琴の演奏や、モンゴルの誇りを持たせるようにしているのかもしれない。もらった感謝状訪問するって言ったから、ちゃんと作っておいてくれたんだ。事務所の棚の上には子供達一人一人のアルバムが置いてあった。ちょうど今いる子の数ぐらいしか無いから、巣立つ時持たせてあげるのだろうか。
July 12, 2024
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まず、前の記事のnikさんのコメント返しから。モンゴルは発展途上国です。戦後の日本のように。 nikさんやうちのご隠居のような日本の成長期を支えて、海外に日本の素晴らしい技術を伝えて来た年代の人達から見たら信じられないでしょうが、同時にウサギは日本は発展下降国だと思っています。 モンゴルは相撲取り繋がりで親日国だと思っている人がたくさん居ますが、それは日本の独りよがりだと思っています。モンゴルは地政学上、親中国国、そして親ロシア国です。逃れられない宿命です。 第二次大戦では満州とモンゴルの境のハルハ川(ノモハン)で日本と戦いました。 にもかかわらず、東関東大震災の時は放射能に侵されたら「自分たちの土地に日本人を住まわせてあげよう」と多くの人が考えるほど日本人に対して親切です。 ですが、日本は今までの経済大国の自負で、最貧国のモンゴルに対して、援助してあげる姿勢が強かったんじゃ無いかと思うのです。ただのものは有り難く受け取っちゃう国民性なんです。 中国や、ロシアはモンゴルでは援助をしても、それ以上に自国の利益を優先します。搾取します。決してお金をばら撒きぱなしにしません。砂漠の鉱山からは一直線に中国に掘った鉱物を運ぶトラックが列を作って走っています。 日本企業は儲からないから、約束が違うから、といったん企業進出しても手を引いてしまいます。 モンゴルのコンビニはほとんど韓国企業です。独占企業のスーパーのEマートは韓国企業です。旅をすればあちこちに有るレストラで韓国料理を食べるところに困りません。例え砂漠の辺鄙な街でも。彼らは我慢強く利益になる方法を考えます。若い旅行者をどんどん送り込みます。彼らは日本人のように美しいモンゴルの風景写真なんて撮りません。風景の中にいる自分を撮ります。そしてリアルな写真は現在進行形をsnsで次の訪問者を刺激します。チンギスハーン国際空港建設に援助しても、日本はモンゴル国内の競争に勝てません。 援助でなく、儲けに行ってこその対等の付き合いだとウサギは考えるのです。リスクを恐れない国は強い。なんていうと娘辺りから文句が来そう。 今の在モンゴル国特命日本大使の井川原さんは、ウサギのその質問に、共に進む発展の方向でモンゴルと向き合っているとおっしゃってくださいました。 毎日のようにモンゴル国内の学校、モンゴルの地方の日本が協力している企業を奥さんと一緒に視察に回って、地道に交流しています。フットワークの軽い現場主義の大使、ご自分の目で確認、素晴らしいと思いました。 BPさんの質問の答え 社会主義の時はみんな平等精神なので、孤児もみんなで育てます。そういう施設が有ったと思う。でも、民主化になったら、自分で儲けたお金は自分のものになる。貧乏から脱出できる時、きっと人は孤児達のことなんて考えなかったでしょうね。 配給されてた全てが自分で調達しなければならないとしたら、他人のことなんて考えられない。 でも本来の遊牧民生活に戻ったら、家族主義だから、子供も孫も、近所の子も家族みんなで育てます。日本の核家族と違って、子供はおばあちゃん、おじいちゃんや全員で見守ります。モンゴルの歴史の中にその過渡期が有ったということですね。 ウサギがモンゴルを訪問すると家族総出で歓迎してくれます。 理由はいろいろでしょうが、日本の福祉養護施設にいる子達だって決して少なく無いと思います。ウサギはモンゴルの国から頂いた賞金だから、モンゴルの子供達に返しただけのことです。なあて、難しいことを書きましたが。単細胞のウサギは野原のトイレや、マンホールに落ちないように歩くことや、車が泥にはまって動けなることを心配したり、車の座席でシートベルトしていても20cmもぴょんぴょん跳ねる悪路を楽しいと思ったのでした。体験するリゾート地ゲルキャンプ(泊まるだけだけど、結構値段が高い。日本人貧乏だからそう感じるのか)
July 12, 2024
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ウランバートルに帰る前、別荘地からの帰り道にあるモンゴル文字応募で貰った賞金を寄付した子供センターを訪問した。50人分のサブレと、40冊の本を持って。35年ほど前、1人の若いヨーロッパのヨガ教師がモンゴルを訪れた。彼女がそこで見たものは、路上で暮らすたくさんの親の無い子供達。モンゴルがソ連の影響下から解放されて民主化移行の混乱期。皆平等の社会から富める者と新しいシステムに取り残された者ができた。日本のテレビで寒い冬に暖かいスチームが通るマンホールの中で生活する孤児達を取材した番組が放送された頃。「モンゴルのマンホールチルドレン」。彼女は孤児達のためにヨーロッパで寄付を集めて、首都郊外のガチュールトに土地を求め親のない子供達の家を建てた。今そこには0歳から18歳までの子供達が50人程暮らしている。みんなのお母さんであるその女性は下手なモンゴル語で挨拶する私に、こりゃダメだと思ったらしく、英語で話し始めた。ちょうど他のヨーロッパの1人の女性の先客が訪れていたので、私達には18歳だと言う少女が流暢な英語で施設内を案内してくれた。彼女の英語の先生はそのセンター長なんだそうだ。広大な敷地には、遊具、鶏小屋、馬小屋、果物畑、野菜畑、みんなでナーダム(年一度の国のお祭り)を楽しむ大きなゲルと馬場と広場。週末キャンプ体験の小さないくつかのゲル、そして管理棟を含めた8棟ほどの独立した建物。それぞれの棟の4つ程は年齢と性別で別れた子供達の居住区、事務所棟、裁縫室、パン体験工場(自分たちで作って自分たちで食べる)、絵画室、外国語の本とモンゴル語の本に分かれて本がぎっしり入った2つの図書室、自習室、馬頭琴を習う音楽室、給食室、食堂、プレイルーム、ヨガ練習室、絵画室など無いものがないほど充実していた。女性の常勤の医者ともテムジンの通訳で話した。その日は大きな子達が自分達で昼食を作っていたが、普段は調理師が作ってくれるんだそうだ。小旅行用のマイクロバス、教材や道具を保管するコンテナ倉庫、世界各地から来る見学者とボランティア体験者の宿泊所も有った。18歳を過ぎたら施設を出る。その時どの道を選ぶか、それまでの生活の中でありとあらゆる経験をし、技術を身につけ、選択肢を広げ、希望と可能性を選べるようになっているのだ。日本だったらきっと大きい子と小さい子でグループを作るだろう。しかし同じくらいの年齢の子達が同じ家で暮らせば悩みや、その歳の子達しかわからない相談もできるだろう。大きい子が自分を我慢して小さい子の世話をしたりしなければならないことも起こらないだろう。もちろん、各棟には大人が1人ずつ付いているとのこと。ここは世界の個人の寄付で成り立っているんだとか。誰からも何も制約のない自由な理念の施設。ちっぽけな私の寄付は何の役にも立たないだろうが、この施設を発見できた喜びはお大きい。自分に資金もなく、もう年老いているから継続して援助が出来ないのがちょっと辛い。続く
July 9, 2024
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テムジンお父さんはリタイア後の夏の間は首都の家と別荘地のゲルと行ったり来たりして楽しんでいる。お父さん現役時代は運転手がいた。今は会社経営のお母さん付きの運転手に送って来てもらうらしい。家では家政婦さんがご飯作るからゲルの時だけ自分で作るんだそうだ。それにしては料理上手。田舎を楽しんでいる割にはゲルの中でずっとテレビつけっぱなし。ヤクのヨーグルトを牧民のところに車でもらいに行くからと言うので付いて行った。ヤクのミルクとヨーグルトは牛のそれよりもっと美味しい。夕方陽が沈む頃、タルバガが出てくるというゲルの裏手の丘に登った。スイスでもそうだったけれど、マーモットって岩のゴツゴツ有る草原の丘に穴を掘って生活する。丘から見下ろすと眼下に5軒ぐらい2階建ての別荘が密集して建っている土地が有った。そこも全部以前お父さんの土地だったんだと言う。そこも売った。そしてその広い鉄柵の囲いの外にやっぱり、その時使っていたというトイレが有った。お父さんのゲルはどんどん西に山際に移動しているんだ。トイレを置いていきながら。モンゴル、個人の土地以外は共有地かと突っ込みたくなる。そう共有地なのである。みんな勝手に使っていい。元々移動しながら生活する民族なんだから。しかし、もう今個人が所有している土地以外の国家の土地は売ってはいけなくなった。だから既存の個人が持っている土地を切り売りしてもらうしかないのである。観光旅行もレジャーも良いけど、その国の国家裏事情や文化や慣習を知ることができる旅が好きだ。良いとか悪いとか別にして。日本がかつて通ってきた歴史と重なるところもある。遅れていると思っても韓国や中国のようにとっとと日本を追い抜いて行った国もある。トイレがなんて言っているうちに、いつの日かずっと上の国になっているかもしれない。旅って我が身を振り返る時間でもある。常にリスペクト、どんな国もリスペクト。丘の斜面に座って夕陽が落ちるのをじっと待つ。周りには無数のタルバガの巣である穴。タルバガ出るわけないじゃんと思ったが、やっぱり出なかった。ジェシーが居るんだもの、タルバガだって気配でわかっちゃうだろう。2泊3日のゲル生活。あっという間だった。その夜ゲルを叩く大雨が降った。さあ、シャワーをしにウランバートルのホテルに帰ろう。
July 9, 2024
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前回トイレの話を書いたが、あれはあくまでも夏の別荘のゲルの話。彼らは首都のの高層マンションで暮らして毎日シャワーもしてトイレも水洗。日本と何も変わらない。そして繰り返すが昔を偲ぶゲルを立てる土地を趣味で持てるのは富裕層。都会のマンションしか無い層がほとんど。さてゲルの生活に戻るテムジンが事前に3日分のメニューをくれていた。ただし、結局は殆どお父さんの気分で作っていた。我らのために脂身少なく、少量でヘルシーなモンゴル料理。私も今年は少し手伝う。スープに入れる餃子がうまくできないから、日本の餃子風に包んだら、お父さんが笑い転げていた。これはテムジンとお父さんが作ったボウズ(モンゴル包子)。こうやってわざわざ薪のストーブでツァイと言うミルクティーを沸かすが、その横でIHの調理台でチャーハンやスープも作る。電気も来ている。わざわざ苦労する言ってみれば男の遊びか。
July 9, 2024
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ガチョールトで2泊3日のゲル生活。また今年もトイレの話。観光客は皆、日程の中に郊外のキャンプを組み込んでモンゴルの遊牧民生活を楽しむ。まあ大自然の中にホテルなんて無いから、国内のあちこちに、ゲルとバンガローと食事棟とトイレシャワー棟を備えた「キャンプ」と言う観光施設が散らばっている。遊牧民そのものではないので、観光ゲル内は電気ストーブとベットだけ。生活の匂いはない。前々日訪れたテレルジ国立公園内にはそのキャンプと呼ばれる施設が20ヶ所以上点在していた。テムジンお父さんの別荘ゲルはその中で生活するから、遊牧民生活のように周りに羊や馬は居ないけれど、衣食住の体験ができる。ただし、ゲルだからトイレとシャワーが無い。男どもは大きな水の入ったポリタンクを抱えて、ゲルの裏手の鉄柵に引っ掛けて上半身裸で頭や体を洗う。私は上半身裸にはなれないので、日本から持ってきた体拭きペーパーでコソコソと見えないところで体を拭いて着替える。実際の遊牧民のゲルにはおばあちゃん、おじいちゃん、孫や、若者がいてどうやって生活しているんだろう。困るのはトイレ。去年トイレが遠すぎるから(ゲルから鍵を開けて門を出て、門の周りを150m歩いて、次の敷地の門の鍵を開けて30m登って到着)と夜中のトイレ用に、私用にゲルから30mの敷地内に設置してくれた簡易トイレは消臭剤が無くなったとかで今年は無し。今年はゲルを出て、20m歩いて、門の鍵を開け、100m歩いて隣の門から隣の敷地に入り、300坪ぐらいのその1番遠くの端っこにあるトイレに行く。去年より50m近くなったが早め早めの行動が必然。考えた。テムジンお父さん、どうしても自分の敷地内にトイレを置きたく無いんじゃなかろうか。去年の100坪ほどの柵で囲まれた小さい土地内のトイレはその前の年にお父さんがトイレごと売った土地。今年の300坪ほどのトイレのある隣の土地も、去年は自分の土地だったところを売って建物を建設中。どうやら土地を売る前に屋外トイレを自分で設置して、そこの住人が住むまでは使っているらしい。或いは、1番端っこにトイレを作るから、端っこを切り売りするとトイレは売った土地内になってしまうと言うことか。だからその土地の鍵を持っているんだ。ちなみにまだ残っている広大な土地には車で入れる大きさの大きな門がまだ3ヶ所付いている。ここの今出入りしている門の区画はお父さんの弟に売ったそうだ。お父さんは今年まだまだ有る自分の土地に建物を建設する計画。そうしたら自分の建物内にトイレができる。ジェシーだけは自由に広大な敷地を飛び回り、うんちをする。但し、そのあとテムジンがそれを花の中から探し出し、トイレに捨てに行くのだ。夜、お父さんが、トイレが遠いから近い場所を教えると言う。付いていくと敷地の後方の柵に小さな扉が有って、そこにも鍵が付いていた。鍵を開けておくからそこから出て野原でしてねと言う。やっぱり敷地の外じゃん。木立が有ってどこからも見えない。でもその分夜はちょっと怖い。狼は居ないだろうけど。月明かりの花摘み。敷地内で済ませられるジェシーが羨ましい。今年お父さんが売った土地に家を建てていた。その前をジェシーが走り回っている。
July 8, 2024
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