まぁ、それでも実家にいる間は「短期間の災害」を我慢すればおおむね平和だったのです。
私はずいぶん体は楽になりましたし、
子供も大きくなり、めったに怪我や病気もなくなりました。
しかし、ガムの海外赴任が終わってしまいました。
戻るか戻らないかで、大分もめましたが、私は戻るなら、と条件を出しました。
買うのでも借りるのでもいいから、子供部屋を与えられる住宅を用意すること、と。
ガムは、戻ってきてほしいという癖に、それをやりたがりませんでした。
面倒くさいというのです。
「それは私たちに戻るな、ということなのね。わかった。」というと
しぶしぶ動き始めました。
私はガムのために戻る気などさらさらなくて、
息子と娘の将来の選択肢が実家にいるより多くなる、という理由で
戻ってもいいかな、と思っただけです。
それには大きくなった息子と娘に個室を与えられるぐらいの住宅確保は
年齢的に必須とも思いました。避難場所としてもね。
私の想いはともかく、私は子供がガムを嫌うようには仕向けていませんでした。
子供が、こんなろくでもない男が父親なんてかわいそうだったからです。
だから、そんなに嫌ってはいないと思ったのですが。。。
「M、お父さんとお風呂に入ろう」といわれ娘はすごく嫌だったようです。
嫌がっていることに気付きもしないガム。
私が「Mちゃんはもう、大きいんだから、、、」とかなんとか言ったのですが
しつこいんです。察するということはないったらない。
しつこく風呂を一人で上がってからも、文句を言い続けますので
「3年生って言ったら、はやい子は生理になるのよ。
もう赤ちゃんじゃないんだから、デリカシーを持って接するようにネ。
嫌われたくなかったら」
なんて当たり前の話をさせられる私。うんざり。
それでもまだ、何か言っているので
「あまり、余計なことを言っているところも見せないでね。
嫌われるから。」と、ぐっさり。
息子はと言うと、はやくも中学になじんで、
学力の方も、まぁまぁ、問題なく、友人と勉強会などし
当時の神奈川で3年になってから転校してきて公立に入れようなんて暴挙だ
というような風潮でしたが、すっぽり公立に収まりました。
それから就職率100%を誇る専門学校へ行き、学んだことを生かす職に就き
今に至ります。
息子に関してはワタシの選択は間違っていないようでした。
あくまで、後押しで、息子が選んで進んでいったのですが。
娘もさほど、結果的に問題なく、今の道を歩んでします。
友人が言ったのですが
「良く、あんな父親で、ぐれたりもしないで立派になったよね」とほめられました。
そう、同居を始めてから、問題だったのはほとんどガムだったのです。
私が言わなくてもわかる人にはわかるほど。
ネタバラシするとこの何年か後に
「ワタシを巻き込んで無理心中」しようとしました。
まったく、、、死ぬのさえ一人ではできないこの甘えはなんなんでしょう。。。
ガムの精神的問題は、ストレスに弱いのだが立ち向かわねばならないとき
全く関係ない家族(主に私)に甘えきって八つ当たりすることでした。
ここも私に指摘されていて、私に対する甘えもシャットアウトされていました。
一例をあげると、私の作った夕飯が気に入らないとあれましたので
「食べなくていい」というと毎日、コンビニ食を買ってきて目の前で食べるんですが
いつも同じものを買ってくるんですね。そして食べきれない。後始末をしない。
私はコンビニの袋に突っ込むだけで放置しておきました。
たった、これだけのことですが、自分のやったことに責任を持とうとしないのですよ。
洗濯も、干し方が気に入らない、と言ったので、自分でやらせると
取り込まないんですね。例え雨が降っても。ベランダがタンス状態。
普段いくらきれい好きみたいなことを言っていても、むだむだ。
しまいにはパンイチでベランダに出るな!と言わねばなりませんでした。
なんでこんなダメな男と私が死なねばならない。
努力しても治らなかった。
それこそ私の責任ではない、と、よほどのことが無い限り放置され
ガムは孤立して行くことになります。