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2014年03月20日
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 子供の頃、隣に住んでいた少し年上の子がピンポン玉はとてもよく燃えるという話をしてくれて、実際に火を着けて見せてくれた事があります。マッチの火が着けられると、火は一気にピンポン玉を覆うように全体に回り、薄いピンポン玉は一気に燃えてしまいました。炎自体はそれほどでもなかった感じなのですが、一気に全体に火が回った速度には驚いてしまい、今も少し暗くなり始めた夕方の中の炎の色を思い出してしまいます。

 ピンポン玉はセルロイドで作られていて、セルロイドの性質として非常に燃えやすい事や、薄く作られている事が一気に全体に火が回ってしまう理由と考える事ができます。

 かつて日本で盛んに生産され、輸出されていたセルロイドは人類が手にした最初の熱可塑性樹脂とされ、1856年にイギリスのバークスによって発明されています。バークスは最初のセルロイドを「バークシン」と名付けて売り出しましたが、非常に高価であったために実用的ではなく、普及は失敗に終わっています。

 その後、ビリヤードの球の原料として象牙に替わる物を発見した者に賞金1万ドルを与えるという公募が行われ、アメリカで印刷業を営んでいたハイアット兄弟によってセルロイドが提案され、賞金を得るに至っています。

 ハイアット兄弟によるセルロイドの開発は、怪我の治療に使おうとしてこぼしてしまった傷薬の跡に残されたニトロセルロースに着目するという偶然による発見を元に試行錯誤を繰り返し、ニトロセルロースに樟脳を混ぜるという発明に至っており、バークスの発明の継承ではなく、独自の再発明である事が判ります。

 ハイアット兄弟によってセルロイドという名称が命名され、製造特許を取得した後にセルロイド製造が開始されています。ハイアット兄弟による発明の7年後、神戸の見本市に紹介されたセルロイドは事業化が進められて、日本でも製造されるようになります。

 原料の樟脳の産地が極東アジアに限られていた事もあり、日本は主要な生産国としてセルロイドを輸出するようになり、昭和初期には世界で生産されるセルロイドの約4割が日本で生産されていました。第二次世界大戦後、日本の輸出額の5割がセルロイド製品によって占められていた事から、セルロイドは戦後に日本の復興を支えた工業製品といっても過言ではありません。

 そんなセルロイドの欠点としてプラスティック等に比べて劣化が激しい事や耐久性が低い事、そして燃えやすい事があり、特に燃えやすい性質はセルロイドのその後を左右するまでに至ってしまいます。

 セルロイド工場では原料の自己反応による火災事故が何度となく起こり、初期の映画に使われていたセルロイド製のフィルムは映画を投影する光源として使われていたアーク灯や電球の熱によって発火するという事も見られていました。



 日本でもセルロイドは「第5類危険物」に指定され可燃性の規制対象物として消防法によって、製造、貯蔵、取り扱い方法が厳しく定められています。そうした面だけを見てしまうと時代遅れの危険物という感じがしてしまうのですが、どこか懐かしさを感じさせてくれる質感や、微生物によって分解される環境への優しさを考えると、これからの時代に求められる素材のようにも思えてきます。





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最終更新日  2014年03月20日 08時00分43秒
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