野口体操教室

野口体操教室

Oct 10, 2006
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野口三千三の処女作「原初生命体としての人間」の第一章は、
「体操による人間変革」です。
その冒頭で、「体操の目的」と「体操の特質」について書いています。
体操の「目的・特質」を、表題をつけて明記されていることはあまりないことです。

しかし何故、非常に分かりやすいことばで目的を言い切るのか、
野口三千三の「体操」への思いが伝わって来て、からだの熱くなる共感を覚えます。

「体操が皮相的な技術に終わったり、知識としてだけの理解に終わるものであるならば、それが人間にとってどれだけの意味をもちうるか、きわめて疑問である」(野口三千三)

そうです。
長い間「体操」は、身体を鍛えることを目的として軍隊やスポーツの下に置かれていました。

痩せるため、老化を防ぐため、病気予防のため…、と、
体操が「~のため」にやられることには寛容です。
「~のため」にやられることにおいては、剛弱こそ違えどちらも同じなのです。

体操がそれ自体として存在することはありませんでした。
野口三千三と「野口体操」は、殉教徒のごとく石を投げられてきたといって過言ではありません。
他の何者でもない、体操そのものを唱えてそこに立ちつくしていたのです。

かつて、わたし達が最初に手渡されたわら半紙の薄いパンフレットは手作りのものでした。 
そこで初めて眼に飛び込んできたことばが、
処女作「原初生命体としての人間」の体操の定義にも一番最初に書かれています。

「体操とは自分自身のからだの動きの実感を手がかりにして、人間とは何かを探検するいとなみである」(野口三千三)

このことばはやがて野口体操を言い表すのに最適のことばとして育て上げられてゆきます。

「人間とは何か…」の後につづくことばが加えられていったのです。

体操がそれ自体として存在することが出来た時、はじめて 自由な応用が可能になります。
目的は個人に任せられ、その時その時で目的が違ってくることはあるからです。

「今日は誡められる思いだった、からだに染み込みました。」終わった後そう言って、
「すぐ忘れるから…」と笑いながらも真剣に言ってきたのはスタッフの一人です。

本質的で基本的なところに立ちつくしていられなくなりそうになります。
先ずはスタッフのためにこそ、もう一度ひも解き直さなければならなかったのでした。










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Last updated  Oct 10, 2006 10:34:43 PM
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