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<前回からの続き>「思考 」 の 動きを じっと 見ていると 友人に 幸せが 訪れたとき 自分も 嬉しくなって お祝いをするが その 感情 は しばらくすれば 終わってしまう。 知人から その人に起きた 悲しい 出来事を 聞いたとき 同情して 自分も 悲しくなるが その 感情 は しばらくすれば 終わってしまう。 テレビから 大事故の ニュースが 流れたとき 被害者の 怒り に 同調して 自分にも 怒り が 起きてくるが その 感情 は しばらくすれば 終わってしまう。 こうして 自身が 経験していない 出来事への 感情は 永くは 続かない事が 見えてくる。 しかし 自身が 経験した 辛い 悲しい 苦しい 恥ずかしい 悔しい 出来事は 記憶に イメージ として 焼きついて 過去 となる。 思考 が 過去 の イメージ を 生きているときには 思考 は 苦しみ を 再現 し また 未来 としての 最悪 の イメージ を 編集し 作り出す。 思考 が 未来 の イメージ を 生きているときには 思考 は その 最悪 の イメージ から 恐怖感 を 産み落とす。 この様に 思考 は 過去 と 未来 の 中で 生きているのに 苦しみ は 現在に 現れて 心 を 繰り返し 苦しめる。 この苦しみの 継続が 苦悩 である。 人 は この 苦悩から 逃れるため 酒 娯楽 セックス 薬 宗教 暴力 理想 ・・・ へと 走り 自身 と 社会 を 破壊する。 そして 自身が 経験した 楽しい 嬉しい 面白い 美味しい 出来事は 記憶に イメージ として 焼きついて 過去 となる。 思考 が 過去 の イメージ を 生きているときには 思考 は 快楽 を 再現 し また 未来 としての より大きな 快楽 の イメージ を 編集し 作り出す。 思考 が 未来 の イメージ を 生きているときには 思考 は その より大きな 快楽 の イメージ を 実現するための 手段を イメージ として 編集し 作り出す。 この様に 欲望 が 生まれてくる。 欲望 は 人 と 自然 を 破壊して 新たな 苦悩 の 原因 を 産み落とす。 こうして 思考 が 過去 と 未来 という イメージ だけの 仮想現実を 生きている事が 苦悩 と 欲望 を 産み落とす 原因であり 人間が 作り上げてきた あらゆる問題の 根本原因であることが はっきり と 見えてきた。 そして この原因に 解決策が 有るとすれば 常に 現在 を 生きる以外には 無いことが 理解できる。 現在 とは 心 と 体 が 感じている 感覚 そのものであり 感覚の 全てを 常に 真剣に 感じることが 思考 に 過去 と 未来 を 生きることを 止めさせる。 心で 考えている 言葉 を 真剣に 聞いて 心で 見ている イメージ の 映像 を 真剣に 見て 心で 感じている 悲しみ を 真剣に 感じて 心で 感じている 怒り を 真剣に 感じて 心で 感じている 恐怖 を 真剣に 感じて 目に 見えている 映像 を 真剣に 見て 耳に 聞こえている 音 を 真剣に 聞いて 肌で 感じている 風 を 真剣に 感じて ・・・ 心 と 体 が 焦点を 合わせた 感覚 の 瞬間瞬間 を 逃げることなく 全力で 真剣に 見て 聞いて 感じていると 過去 も 未来 も 現在 に 存在することが 見えてくる。 生きている実感 を 得るために 物に 頼る 必要はない。 生きている実感 を 得るために 人に 頼る 必要はない。 生きている実感 を 得るために 将来のための 努力など 必要はない。 今 この 瞬間は 永遠であり これこそが 実在 そのものだ!! <2005年 6月 4日 校了>~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~作者からもし お一人でもこの 心 という 長い 哲学詩 を 最初から ここまで 読まれた方が 居られるならばその方に お話したいと 思います。私は ずっと 以前から 個人の問題も 社会の問題も その 根本的原因は 政治や 教育や 宗教や 経済などの 社会システムには 無い事に 気付いていました。親や 教師や マスコミや その他 から 押し付けられた 知識 を 離れ ただ ありのままの 自身や 社会を 見ていれば この事に 簡単に 気付いてしまいます。人の心が この社会を 作り そして 維持しているのですから 原因は 一人一人の 心にある事は 当然であり 他に 原因を 求めても 真の 意味は ありません。心は 非常に 複雑であり その 成り立ち方を 脳という ハード的な 視点から 見る 方法もあるかも知れませんが 私には その知識が 有りませんでした 例え それが出来たとしても コンピュータが そうである様に ハードを いくら分析してもそれが持っている 機能を 説明することは 出来ません。そこで ソフト的な 視点から 心 を ありのままに 見てみることに しました。実際に 自身の心を 見ていくと 次々と 発見があり その全体像が 見えてきましたそして 問題の原因として 上記の詩にある様な 結論に 達し 解決策も 見えています。そして これを 続けていくと心に 何か が 起きるかも 知れませんし 何も 起きないかも 知れません。もし 何かが 起きたときには それが この 哲学詩の 最終章と なる事でしょう。難しい 詩を ここまで 読んでいただき 本当に ありがとう ございました。それでは さようなら。
2005年06月04日
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<前回からの続き>「思考 」 の 動きを じっと 見ていると 昨日の 仕事の イメージ の 中 を 明日の デートの イメージ と 考え の 中 を 先月の 旅行先の 景色の イメージ の 中 を 来月の 休暇に行きたい 旅行先の イメージ と 考え の 中 を 昨年の 辛い 別れの イメージ の 中 を 来年の 自分と恋人の イメージ の 中 を ・・・ これらの 過去 と 未来 の 中を 生きている 「私 」 が 見えてくる。 しかし そこには 現在 を 生きている 「私 」 が 見えてこない。 「私 」 が 現在 を 生きているときを 思い出してみると 「私 」が 過去 や 未来 の イメージ の中を 生きているとき 現在 の 周囲の 光景 や 音 は 背景 でしかない。 「私 」が 何気なく イメージを 見ることも 考えることも 止めたとき 「私 」は 現在 の 周囲の 光景 や 音 を 何気なく 見ている。 「私 」が 何気なく 周囲の 光景 の 中に 本を 見つけたとき その本の タイトルを 見た 途端に イメージ が 沸き起こり 現在から 離れてしまう。 「私 」が 何気なく 周囲の 光景 の 中に 見知らぬ カメラを 見つけたとき そのカメラを 目にした 途端に どこのメーカーだろうという 考えが 沸き起こり 現在から 離れてしまう。 この様な 平常の 場合には 思考 は ほとんど 現在には 生きていない 事が 生きていたとしても 真剣には 生きていない 事が 見えてくる。 「私 」が 周囲の 光景 の 中に 危険な 車を 人を 動物を 見つけたとき その危険から 逃れるために 現在の 光景を しっかりと 見る そして 対処する方法を 廻らせる。 この様に 危険が 迫る場合には 思考 は 現在 と 過去 と 未来 を すばやく 真剣に 生きている 事が 見えてくる。 「私 」が とても愛している 恋人と 海辺で 戯れているとき 「私 」は 恋人の顔と姿を 真剣に 見つめ その声を 真剣に 聴く。 この様に 深い愛情が 伴う 場合には 思考 は 現在 を 真剣に 生きている 事が 見えてくる。 こうして 思考 は 特別な 場合で ない限りは 思考自身が 作った 過去 と 未来 という 仮想現実の 暗い部屋の中で イメージ を 見ながら 生きている事が 見えてくる。 そして その暗い部屋を 出て 現在 を 真剣に 生きているときには 生きている事の 実感 を 感じていることが 見えてくる。 <次回へ>
2005年06月02日
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