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2012.04.11
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~講談社現代新書、1992年~


 前回に引き続き、池上俊一先生の著作を紹介します。
 本書の構成は次のとおりです。

ーーー
プロローグ

1 魔女
 1 魔女狩り
 2 魔女集会「サバト」
 3 魔女裁判と拷問
 4 悪魔学の深層

2 聖女
 1 閉ざされし聖女の園
 2 男装する聖女
 3 拒食する聖女
 4 聖体をいつくしむ聖女
 5 聖女の恍惚
3 魔女と聖女の狭間で
 1 モデルとしてのイヴとマリア
 2 女のからだ
 3 母性の勝利
 4 娼婦とマグダラのマリア

4 したたかな女たち
 1 教会法と世俗の法
 2 女性の仕事
 3 権力をにぎった女たち
 4 女たちの十字軍

5 女性の文化は存在したか
 1 糸巻き棒の福音書
 2 読書する女
 3 聖なる治癒力
 4 ベギンとピンツォケーレ
 5 女性知識人の登場

エピローグ
ーーー

 ほぼ同じ時代、一部の女性は魔女として迫害され、一部の女性は聖女として崇敬されていました。またときには、ジャンヌ・ダルクのように、聖女のような活躍をしながら、魔女として処刑され、後に列聖されるという例もあります。
 本書は、このような、迫害と崇敬という正反対のことが、なぜ起こりえたのか―という興味深い問題提起から始まる、いわゆる女性史研究の業績です。

 魔女と聖女という、いわば特殊な女性たちに焦点をあてるだけでなく、第4章、第5章では「一般の」女性たちにも目が配られていて、バランスの良い叙述だと思います。

 読了から時間が経ってしまったので、数点のみ、面白かった点や気になった点を挙げておきます。

 私の読みが浅いせいかもしれませんが、結局、ほぼ同じ時代に、魔女迫害と聖女崇敬が大きく展開された理由が、はっきりとは理解できませんでした。
 池上先生はその源泉が、初期キリスト教の時代からの、女性蔑視(たとえばエバ)と女性崇拝(聖母マリア、マグダラのマリアなど)にあると指摘します。それはそうだと思うのですが、かたやある女性は魔女として迫害され、かたやある女性は聖女とされ崇敬されるという状況が、なぜ生まれたのか。そして同時代の人々は、その状況をいかに感じていたのか、といったあたりが、さらに気になります。

 興味深かった点に移ります。
 魔女裁判の前に行われる取り調べでは、裁判官たちは、魔女の体中を針で刺していったといいます。それは、「悪魔が魔女にとり付くときに彼女の体に残した小さな跡・印を発見するため」なのだとか。その様子をつぶさに記した史料を引用した後、池上先生はこのように述べます。
いったい裁判官たちは、何をやっているのであろうか。こんなふうにつぶさに書いてくるだけで、恥ずかしさと気味の悪さに身内がゾクゾクしてくる 」(37頁)
 魔女に関する文献は何冊か読んでいますが、こういう感慨が述べられているのは初めてのように思います。ただただ、うなづくばかりでした。

 もう一点興味深かったのは、十字軍に行く者たちのなかには、夫婦同伴もしばしばあったという指摘です。
 橋口倫介先生の 『十字軍』 など、十字軍関連の文献もいくつか読んでいますが、指摘がなかったのか、私が意識してなかっただけなのか、とにかく本書での指摘は印象に残りました。

 構成もきれいですし、内容も興味深い一冊です。





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Last updated  2013.05.13 20:54:52
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Comments

のぽねこ @ シモンさんへ コメントありがとうございます。 久々の再…
シモン@ Re:石田かおり『化粧せずには生きられない人間の歴史』(12/23) 年の瀬に、興味深い新書のご紹介有難うご…
のぽねこ @ corpusさんへ ご丁寧にコメントありがとうございました…

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