三浦麻美『「聖女」の誕生―テューリンゲンの聖エリーザベトの列聖と崇敬―』
~八坂書房、 2020
年~
中央大学等非常勤講師(本書刊行当時)をつとめていらっしゃる三浦先生が 2012
本書の構成は次のとおりです。
―――
口絵
関連地図/系図
はじめに
序章
第I部 聖エリーザベトの列聖と崇敬
第1章 聖エリーザベトの生涯と崇敬の始まり
第2章 列聖審問と教皇グレゴリウス9世の意図
第 II
部 聖人伝の中のエリーザベト―ディートリヒ『聖エリーザベト伝』を中心に
第3章 アポルダのディートリヒの生涯とその作品
第4章 婚姻と忠誠―理想の妻と寡婦として
第5章 財と施し―新たなる清貧理念の登場
第6章 「聖エリーザベト」の誕生―『聖エリーザベト伝』に見る奇蹟・列聖・崇敬
終章
補遺 14
世紀以降の聖エリーザベト崇敬
関連略年表
付録 アポルダのディートリヒ『聖エリーザベト伝』全訳
あとがき
索引
註
参考文献
図版出典一覧
―――
序章は大きく2節に分かれ、第1節は舞台となるドイツを中心に、テューリンゲン伯をめぐる政治的状況と教会の状況を描き、第2節は聖人の定義や聖人伝の発展の概要を描きます。
第1章は標題どおりエリーザベトの生涯の略歴を描きます。 1207
年後半頃にハンガリー王家に生まれ、 1221
年にテューリンゲン方伯と結婚した彼女は、裕福ではありましたが非常に敬虔で、不正な手段で得た食べ物を拒絶したり貧者に施しをしたりという生活を送ります。夫の病死後、当時よくあった再婚という道ではなく寡婦のまま、施療院を建てたり清貧の道に生き、 1231
年、 24
歳という若さで亡くなります。それからわずか4年後の 1235
年、教皇グレゴリウス9世により列聖されました。こうした経歴を描いた後、聖遺物崇敬を写真も交えて紹介し、最後には本書で用いる主な史料の概要を示しています。
第2章はエリーザベトの列聖を行ったグレゴリウス9世を中心に、彼の意図や列聖審問の経緯などを論じます。教皇が列聖の主導権を持つ最初期で、彼はアッシジのフランチェスコ、パドヴァのアントニオ、ドミニコ、そしてエリーザベトの4人を列聖しています。エリーザベト以外の3人は托鉢修道会士で、グレゴリウス9世は修道会の成長と清貧理念の浸透をしようとする意図があったことが指摘されます (82
頁 )
。エリーザベトについては、生涯と奇蹟の両方を審査するという基準が初めて適用された事例で、画期とされます。ここでは、エリーザベトの列聖をはたらきかけた人物が異端審問を過激にしすぎたこと、また教皇と対立して一時手続きが中断したことなど、具体的な経緯と意義なども指摘されており、興味深く読みました。
第3章以下の第2部は、体系的なエリーザベトの伝記であるディートリヒ『聖エリーザベト伝』を主要な史料として、彼女の聖性の諸相を探ります。
第3章は著者ディートリヒの生涯と、『エリーザベト伝』以外の著作について論じます。
第4章からが本題で、第4章は理想の妻にして寡婦としての側面(夫ルートヴィヒについて詳しく描かれるのも『伝』の特徴)、第5章は富裕な身分でありながら自らは清貧に生き、貧しい人々への施しを行ったエリーザベトについて論じます。第6章は死後の奇蹟などを論じます。ここで興味深いのは、悪徳の駆逐者としてのエリーザベト像でした。
終章は本論のまとめ、補遺では本論が扱った時代以降の、エリーザベト崇敬の歴史を描きます。
本書の重要な点は、ディートリヒ『聖エリーザベト伝』の全訳が掲載されていることです。近年では、 宮松浩憲『中世、ロワール川のほとりで聖者たちと。』(九州大学出版会、 2017
年)
が 11-12
世紀の聖人伝の邦訳を紹介しており、ますます主要な聖人伝史料にアクセスしやすくなりました。
(2021.01.21 読了 )
・西洋史関連(邦語文献)一覧へ ザンナ・イヴァニッチ『CATHOLIC… 2024.09.28
ルイス・J・レッカイ(朝倉文市/函館トラ… 2024.09.21
ミシェル・ヴォヴェル『死の歴史』 2024.08.31
Keyword Search
Comments