存生記

存生記

2009年10月22日
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「カイジ」を新宿で観る。原作はマンガというメディアが得意とする奇想天外な逸脱ぶりをうまく利用していて、読者はぐいぐい引きこまれていく。気が付けば何十巻も読み耽ってしまう。そういう話を映画化してもあれこれ不満はでてくるに違いないが、うるさ型の客も取り込んでこそヒットする。

 競争と協調、どちらが効率的かという議論があるが、ジャンケン勝負の回ではまさにその問題がシビアに問われる。協調に不可欠な信頼を利用して騙そうとする者。それに対抗するにはどうしたらいいのか。集団心理の綾がジャンケンを通じて描かれる。

 高層ビルをつなぐ鉄骨を渡るシーンはいささか長すぎて、見ているほうもけっこう疲れる。鉄骨のうえで演技が続いてハラハラさせる趣向になっている。ギャンブルもここまで強制されると戦争と変わらない。使い捨てされる兵隊のように次々に命を落としていく。その様子を上層部の人間たちはじっと観察して楽しんでいる。

 「皇帝」「市民」「奴隷」のカードゲームでは、カイジと利根川という悪玉との一騎打ちになる。ジャンケンもカードで似たようなルールだったので冗長に感じるところもあったが、役者の熱演で退屈はしない。まさに血で血を洗う真剣勝負なのだが、映画で表現するにはこれくらいシンプルなゲームがいいのかもしれない。麻雀のほうが遙かに複雑でおもしろいと思うが、そうなるとルールを知らない観客にはわからなくなる。

このゲームで何も失うものがない「奴隷」こそ「皇帝」を倒せるという設定も意味深だ。しかも「奴隷」は「市民」を倒せない。もっとも現実はそんなに単純ではなく、誰が敵か味方かもはっきりとはわからず、見えないシステムのなかでもがくばかりなのだが、だからこそ明快なギャンブルと運の不可思議さは人を魅惑してやまない。なぜ相手に勝てたのかという謎解きのパートも用意されており、知力の勝負として解決されるカタルシスもある。

 大金を手にしない限り、あるいは命がけの過酷な賭けに勝たない限りは自由にはなれないという殺伐とした世界観を背景にしているが、そういう世界がリアルに感じられるほど現実は「カイジ」的な方に推移している。ギャンブルにエロスや充実を感じても一時の自由でしかないが、自由とは本来そういうものなのかもしれない。





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最終更新日  2009年10月23日 02時09分57秒


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