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今日の夕食@ Re:大悲が見えないでいいようにしてありました。(04/30) 今日の夕食は、0896241455 をどうぞ。

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2026.04.30
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正信偈より 

極重悪人(の我)は唯(ただただ)仏(の名)を称うべし。なぜなら、その極重悪人の我が(イチバン先に)仏の摂取(=救い)のただ中に在るのだから。



極重悪人と仏は対極にある。であるのに、両者は引き合っている。遠く離れていればいるほど、強く引き合っている。まるで相思相愛のカップルのようだ。



どちらが手を離してもこのカップルは成立しないのだが、どちらも手を離そうとはしない。最適なカップになっている。お互いがそれで感極まって落涙をしているのだろう。



極重悪人のわたしが仏の救いのただ中にあるという受け取りは、単なる受け取りなのではない。事実を掴んでいるからだ。しっかりとその事実を掴んでいるからだ。動かしようもない事実を。



それは片方だけで起こる現象ではないからだ。極重悪人のわたしが救われることで、はじめてブッダが仏陀たりえるからだ。だから救済の仏陀もまた感極まって落涙に及んでいるはずなのである。



極重悪人がこの世界を生きて死んで、仏陀が仏陀の世界を生きて死んでいる。グリンピースの花がグリンピースの畑に咲いている。畑と花が、これでやっと美しくなって落ち着いている。






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最終更新日  2026.04.30 15:40:31
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