実録・サラリーマン時代

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September 28, 2006
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カテゴリ: カテゴリ未分類
Vol.43 「大発見!我が相対性理論」

 前回「大発見をした!」といったことを書きたい。
おそらく大半の人は「そんなことはあたりまえのことだ」とか、
「それがどうしたの?」みたいな感想になると思うのだが、まぁいい、
少なくとも自分自身にとっては凄い発見なんだから。
 アインシュタインの「相対性理論」っていうのがいったいなんなのか、
全くわからない自分の無知を嘆いてしまうが、
これとは全く違う自分の中での「相対性理論」っていうのが、自分の中での大発見である。
今回は完全に自分だけの大暴走の文になることをここに宣言しておきます。


例えば学生時代の勉強内容、テスト問題。
ここで言いたいことは「相対評価」などという成績のことじゃない。
 先生がテスト問題を作成するとき、平均点が60点~70点の間になるのが良い問題とされる。
じゃあそのためにはどんな問題にすべきなのか、それは先生たちの長年の経験なり、現場の感覚なり、で決めているかのように見えるが、市販の問題集や参考書にしても標準的なレベルというものが暗黙のうちに出来上がっている。別に不思議ではないのかもしれないが、
よくよく考えるとやっぱりこれは非常に不思議なことだと思う。
標準的なレベルって何よ。
どうしてこのへんから先のことになると「発展」とか「応用」って呼ばれるのよ、いつ決まったのよ。
どうして子供たち側もうまい具合に(大量の集計、統計をとると)平均点60点~70点になるのよ。
っていうこと。

 これはその時代・学年の子供がおくる生活リズムや文化に起因すると考える。
だいたい何時に起きて、寝て・・・そんな単純なことではなくて、だいたいはこういう息抜きをして、こういうテレビ番組を見て、こういう話題をし、こういう人が好きで、こういう人が嫌いで、こういう悩みになり、こういうトラブルになり、こういう解決をし、こういう病気になり、怪我をし、感動し、爆笑し、興奮も快感もあり、ありとあらゆる無数の出来事が相対的に機能し、ある平均的、標準的、とよばれるものがその時のその世代の人の間でひとつのベースとなり、それをもとに簡単、困難、苦楽、優劣、正常、異常、といったものもいつしか決まっている、という考え。

話がそれた。こういったことがベースとなり、テスト問題のレベルなどはだいたい全国区でいつのまにか標準化が起こる。
いやいや地域や人それぞれでたくさん差は生まれてるよ、という人もいると思うが、でもそういった差はこれらの何とも言えぬ多くの要素が結集された結果生まれた標準化がベースとなって、それを踏まえての「差」にすぎない。

さて、今述べている話を敢えて思いっきり簡略化、単純化してみる。
このようにして決まったその学年のスタンダードレベルを上回るには、何かでどこかで平均部分を上回ることをすればいい。
これまた単純な例を出すと、睡眠時間の平均が仮に8時間の学年の生徒が6時間の睡眠で、この短縮された2時間をそっくり勉強オンリー(他の要素は絶対含まない)に組み込んだ場合、この生徒は間違いなく得点が上がる。敢えて言い切る。絶対に上がる。


 「なんだよ、結局、普通よりも頑張ればいいってことじゃん!」って言われれば本当にそれまでなんだけど(笑)、この「普通」とか「標準」っていう概念を、あらゆるシーンで意識することの重要性を俺は痛感するようになった。
 仕事においても、数値的な結果が問題となる場合、標準的にやるべきことを標準ジャストのレベルでやれば、結果もほぼジャスト標準になる。
う~ん、こうやって書くとやっぱり「標準的」でつまんないことになってるなぁ・・・。
やっぱり伝わんないかもなぁ・・・。伝わんなくても全然いいや(笑)。

 じゃあ休日出勤をして人一倍、労働時間を延ばせばその人の仕事成績は上がるか?
その他の要素が他の人と一切において同じである場合、成績は上がる。と断言しよう。
でも、休みをとらないがために何かで支障をきたし、ストレスや人間関係、「付き合い悪いなぁ」「仕事と私どっちが大事なの」「今ごろ日本代表の試合テレビでやってんだよなぁ」などのことがマイナスとなり、労働時間のわりに結果がイマイチだったりする。
そもそも週に一回なり二回なりの休日っていうのも、
いつのまにか出来上がった何ともいえない国家的スタンダードなわけで、
この標準的感覚でおよそ人というものは動いている。

 いつのまにか生まれたこれらの標準的感覚のひとつひとつが出来るまでのプロセスに思いを馳せる(?)と、本当にいろんな要素が複雑に絡み合って生まれたことなんだなぁ、と思ってしまう。
需要と供給のバランスで、適正価格っていうものがいつのまにか生まれている資本主義経済界のあまりにも劇的な構造に近いものがある。

 学校なら学校で、職場なら職場で、ある世界に身を置けば、
その世界の「スタンダード」というものが見えてくる。
職場でよくいわれる「あたりまえのことをあたりまえにやる」ことや「基本を大事にする」ことは、
俺の経験上、決してスタンダード、平均値には実はなっていない。
それを本当に実践しているならば、確実にそこの世界では平均以上の結果になる。人間というものはそれほどにやはり怠惰であり弱いものだと思う。
実際俺は自分がいた会社、あるいは業界のスタンダードとよばれることを確実にやりきろうということを自分に課した。それだけで簡単に平均はクリア出来た。ただ実践するのが簡単ではなかった。
おそらく同じ会社にいたほかの多くの社員もわかっちゃいるはずのごくごくスタンダードなこと。
でもこれを実践することのなんと多くの障壁があることか。

 この「そこの世界におけるスタンダード以上のことをやれば、平均以上の結果に必ずなる」という、あまりに素朴な考えは、俺の中でいろんな不安を払拭してくれて、かつ強烈な自信となりえたものである。
そしてこれらのスタンダードの多くはセンスや才能といった曖昧なものじゃなく、「それを本当にやるかどうか」という一点で成し得てしまうことなのだ。言うは易し行うは難し。
だが、このことに一抹の不安もなく、意識していることだけでも、今後の人生相当違うと思う。

 自分の中で、これらのことの具現化としては、過去にさかのぼると、1500メートル走の記録、大学受験などがあげられ、これらのことは「やる前」は明らかに並以下、平均タイムや偏差値にすると50以下だった自分が「やる(走りこむ、勉強する)」ことで、クリア出来た。
 しかし、ビジネスの世界で、特に長いことフリーター(ニート!?)だった俺はやはり劣等感満載だったわけで、自信となる根拠すらない状態だった。
 でも、実際に社会人を体験してみて、その世界のスタンダードをまずは目指し、その後そのスタンダード以上のことをやればある程度は「優秀」という判は押されることもわかった。
じゃあ、この会社を辞めた今、新たな職場に行った場合、今度はどうなるかわからないじゃないか、とはもう思わなくなったのだ。これら「相対性理論」を意識することで。
職場のみならず、世の中のほぼあらゆることに対し、
不安がなくなるという、まさに俺にとっては信じられない大発見なのだ。

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とここまで書いたらなんと字数オーバー! 
そんなわけで、つづきます。すぐに次にいきます。





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Last updated  September 28, 2006 10:39:28 PM
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