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1967年6月11日、終戦を間近に控えたシナイ砂漠を敗走する4人のエジプト兵。ひとりは敵弾に倒れ、なおも戦おうとする隊長をハレド(サリム・ドウ)が殺し、ガッサン(スヘル・ハダッド)と二人、武装解除して水も食料もないまま、スエズ運河目指して歩きだすのだった―――。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ お世話になっているchappie the gogo!さんから、以前おすすめしていただいた作品です。期待通りの良質な反戦映画でした。そこはかとない明るさが、戦争映画であっても親しみを感じさせる良作。内容やラストが、どこかで観たことのある展開だとしても、製作国の色で捉えるほうの意識も変わります。20年前の作品ですが、今でも十分な見ごたえでした。 生き残ったエジプト兵たちの、ささやかなロードムービーといっていいのかもしれません。無茶な攻撃を続ける隊長を殺して、砂漠に孤立する二人の兵士たち。彼らは過酷な砂漠を、スエズ運河目指して歩き始めるのです。喉がカラカラで死にそうな彼らが見つけたのは、国連のジープ。死体が乗っている以外は問題なく、座席の下には酒ビンが転がっているという運の良さ。すっかり酩酊状態のまま、ジープで砂漠をかっ飛ばす爽快なシーンがシュールです。何処に敵がいるやもしれない中を、勢いにまかせて運河へ走る!酔わなければ、まともでなんていられないような、渇きと戦場の恐ろしさ・・・その恐ろしささえすっ飛ばすほどに、小気味良い展開が魅力でした。結局、砂にはまってあえなくジープを乗り捨てることとなる二人・・・そうして再び死にそうな彼らが出会ったのは、運河を目指すイスラエル人兵士たちでした。この作品は、製作国であるイスラエルが、あえてエジプト兵の目線から戦争を描いています。敵同士に芽生える友情は、テーマとしては珍しくないけれど、酩酊状態の奇妙で滑稽なエジプト兵士たちに、次第にほだされていく様子など、いたるところで情を感じます。どんないきさつで酔ったエジプト兵がたった二人歩いているのか・・・彼らを見るイスラエル兵の複雑な気持ちが面白い。「捕虜にはしない」そういわれてもしつこく付きまとって、仕方なしに共に過ごす一日。役者だというハレドがみせる滑稽な芝居は、思いがけないインパクトの残るシーンでした。翌朝、まだ眠っているふたりを置いて、そっと出発したイスラエル兵士たちが横切ったのは、地雷原のなか。エジプト語で「地雷注意」の立て札があったのに、その注意書きをイスラエル兵は読めずに進んでしまうのです・・・。誰が生き、誰が死ぬのか、予想もつかない戦争下の出来事。弱い立場だった者が、なぜが最後まで生きている。絶対はない世界で、友情を信じても、武器を捨てても、死ななければならない時がやってくる。不条理の一言に尽きる結末でした。短い旅の果ては、やっぱり広大な水。こちらでは運河でしたが。物語の最後に衝撃と空しさを飲み込む水があることを、意識せずにはいられませんでした。タイトルの「アバンチ・ポポロ」は進め!人民という意味だそうです。本編中に流れるこのタイトルで始まる曲がいい。夕日をバックに行進する姿も、二番煎じといわないで。素直に味のあるシーンと思えます。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 製作・監督・脚本 ラフイ・ブカイー 撮影 ヨアヴ・コシュ 音楽 ウリ・オフィル 出演 サリム・ドゥ 、スヘル・ハダッド ツブヤ・ゲルバー (カラー/85分)
2007.07.30
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2001年7月、ポルトガル。父親に会うため地中海を巡る船旅に出た母娘は、その道中で人類の歴史と文化の足跡に触れる。ポンペイ、アテネ、イスタンブール、エジプト、様々な国の人々との出会った。ある夜、2人はアメリカ人の船長(マルコビッチ)から船内での夕食の席に招かれる。そこでは、異なった国籍を持つ3人の女性たちが、それぞれ自国の言葉で話しながら楽しく人生を語り合っていた―――。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ ドキュメンタリーのようでした。たくさんの国を巡り、西洋の歴史見つめながら、語り合う母娘。何気なくつづいていく物語の先に、一変して訪れる衝撃に驚かされます。前半は一緒に旅をしてるかのように、穏やか。母が語って聞かせる伝説は、普通の会話で幼い娘とやりとりされるので、字幕を追うのがちょっと大変でした。飾らない船旅の途中、出会う人々との会話もドキュメンタリーのよう。ある夜、母娘は船長の友人らと知り合います。ギリシャ、イタリア、フランスの著名な女性達。彼女達の会話もさりげなく、マルコビッチやドヌーブでなければ、ドキュメンターかとずっと思ってしまったかもしれません。唯一、お話なんだ、と気づかせてくれるのが見慣れた二人の顔でした。彼女達が話すのはそれぞれの母国語です。このシチュエーションが好きでした。相手の言ってる事をちゃんと理解して、それに答えるのは自分の国の言語。日本語しか話せない私には、とんでもなくややこしいと思うのですが・・・マルコビッチ(船長)の英語も交えた4つの言語で会話するなんて、イリュージョンのようです。そして、ポルトガル人の主人公らも加わったら、なんと5つの言語。 人と人との出会いや繋がりが、ステキに見えてきました。人と会話を交わすこと、旅の醍醐味ですね。それにはやっぱり外国語が出来なくちゃならないと思うと、出来ないことが悲しいですが・・印象に残ってるのは、「英語が世界を支配した」そんなような言葉でした。それぞれに国の言葉を大切にしていきなさい――という監督のメッセージなのかもしれません。ギリシャの女性が「誰もギリシャ語を話さない」と嘆くのも印象的です。会話が活きているのは、多言語での会話によってでもあると感じます。後半、母娘を忘れたかのように、船長とその三人の友人が会話するシーンばかり続きます。このままどうなっていくのか、想像出来ない、未知数な感じが楽しい。なんともショッキングなラストシーンに、ド肝を抜かれるまで、あっという間でした。すごい映画。ハリウッドにないものがここにはあると思います。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 監督・脚本 マノエル・デ・オリヴェイラ 製作 パウロ・ブランコ 撮影 エマニュエル・マシュエル 出演 レオノール・シルヴェイラ 、フィリッパ・ド・アルメイダ ジョン・マルコヴィッチ 、カトリーヌ・ドヌーヴ ステファニア・サンドレッリ 、イレーネ・パパス (カラー/95分)
2007.07.24
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1903年のロンドン。新作舞台の不評で気落ちしていた劇作家ジェームズ・バリ(ジョニー)は、散歩に向かった公園で、若い未亡人のシルヴィア(ケイト)と4人の幼い息子たちに出会う。少年たちとすぐに打ち解けたジェームズは、中でもどこか冷めた三男のピーターを気に掛けるようになる。やがてジェームズとシルヴィア親子との交友が深まっていく一方、ジェームズの妻メアリーは疎外感を強め、夫婦の仲は悪化していくのだった・・・。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 永遠の名作『ピーター・パン』誕生にまつわる実話を描きます。主演女優賞を受賞した「チョコレート」の衝撃から3年、マーク・フォースター監督が次に撮ったのは、夢の世界を持ち続けたひとり作家の、心温まるストーリーでした。あざとさはあるけれども雰囲気づくりが上手なので、引くほどではありません。主演ふたりが素晴らしく、とくにケイト・ウィンスレットの好演があってこそ、ずいぶん印象も良くなっていたように思います。同じ年製作の「エターナル・サンシャイン」でも、また違った役で好演していましたね~ジェームズの作品を上演する劇場の支配人役には、10年以上前フック船長を演じたことのあるダスティン・ホフマン。こういった(たぶん)遊び心を交えたような作りが、実話をファンタジックに綴ることに成功している理由なのかもしれません。父親が死んで、母親まで病に倒れてしまう4兄弟。三男・ピーターは早く大人になれば傷つかないと思い込み、子どもらしさを失っていきます。そんな彼を見守りながら、ジェームズは新作劇「ピーター・パン」への創造を広げ、シナリオは出来上がってゆくのですが・・・ 既婚者でありながら、未亡人シルヴィアとその息子達につきっきりのジェームズはたしかに身勝手です。妻との関係は冷める一方。価値観の違いとか、夢を見続けていられなくなった妻とか、理由はじゅうぶん察することはできるのだけど、説明少なくそのあたりは展開していきます。やがて惹かれあうシルヴィアとジェームズの関係も、静かな展開。現実の世知辛さを十分に描きつつ、映像は幻想的。当時としては前代未聞のお芝居を、観客たちがどう受け入れるか、そのあたりの描写も上手いと思います。観客席にまばらに孤児たちを招待して座らせた――というのもきっと事実なのでしょうね~夢を持ち続けよう!子どもの心を忘れちゃいけないよ!というのは「ピーター・パン」のメッセージ。本作は、自分の心に広がる架空の国ネバーランドを、ある家族との出会いによって舞台劇に仕上げることができた、ひとりの心優しい劇作家の物語。そのジェームズという人を、ジョニー・デップが人間味もって演じると、細部はどうあれ無難に楽しめてしまいます。ケイト・ウィンスレットは一見の価値ありです。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 監督 マーク・フォースター 製作 ネリー・ベルフラワー 、リチャード・N・グラッドスタイン 原作戯曲 アラン・ニー 脚本 デヴィッド・マギー 音楽 ヤン・A・P・カチュマレク 出演 ジョニー・デップ 、ケイト・ウィンスレット ジュリー・クリスティ 、ラダ・ミッチェル ダスティン・ホフマン 、フレディ・ハイモア (カラー/100分)
2007.07.23
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日曜日、快晴のなか、午後からPMFコンサートへ行ってきました。札幌芸術の森・野外ステージで3時開演。この日、地下鉄が人身事故で止まって、真駒内までバスで行くことになってしまい完全遅刻でしたよ。。着いた頃には、前半が終っていて休憩に入ったところ。ベートーヴェンは聴けませんでした。気を取り直して、木陰の芝生に敷物を敷いたころ、後半開始。楽曲は、サン=サーンスの小品と、ストラヴィンスキ-の『春の祭典』でした。クラシック音楽に全く疎いのでパンフレットから引用させていただきますと ‘パリのシャンゼリゼ劇場で、音楽の凄まじさに観客が自制心を失い、大騒動を巻き起こした―――’という伝説の曲。そして ‘20世紀の音楽界最大の事件のひとつに相当する作品といっていい’そうです。たしかに春の躍動感が伝わってきて、至るところで生命が息吹く様を感じました。全楽器がそれぞれに鳴り、合わさって鳴る。その響きは強烈で、不協和音が鼓動を早めます。眠たくなったころ、ドキリと起きてしまいそうな(笑)そんな曲でした。野外なので、音はいたるところに逃げていくけれど、もしもこれが室内ホールなら、かなりドキドキとするような楽曲だったと思います。ちょっと疲れたけれど、出掛けていってよかったなー。やっぱりアンサンブルよりオーケストラがいい。
2007.07.22
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筒井康隆の名作ジュブナイルを初のアニメ映画化。あるきっかけで、過去に遡ってやり直せる“タイムリープ”という能力を身につけたヒロインの、淡い恋の行方と心の成長を丁寧な筆致で綴る。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 原作は読んでいません。大林宣彦監督の「時をかける少女」は好きです。DVDのジャケットから、観ることはないだろう―と思っていたのですが、観た方の評判がすごく良く、オンラインレンタルしてみました。楽しめました~ストーリーの面白さが現代風にアレンジされていて、その上で笑い・泣かせてくれる。内容を知っているはずなのに、冒頭でこの切なさは予想できなかった・・そんな驚きの良作でした。DVDで観た昨日、地上波で放送していたみたいです。 突然タイムリープできるようになった真琴が、都合のいいように未来を変えたり時間を行き来するのはずごく笑える。気持ちわかるな~という思い、現代っ子らしさも嫌じゃない。男2人に女ひとり、仲の良かった三人が恋に揺れ始める様は、なんとも懐かしいです。功介に告白する娘が現れ、真琴は千昭から告白されます。焦って何度も過去へ戻り、今までの仲を壊したくないと、告白までなかったことにしてしまう彼女でしたが・・・なぜ突然タイムリープできるようになったのか?過去を変えたことで起こってくる新しい危機とは?前半いっぱい笑っていたぶんだけ、ことの大きさにおののくのは主人公ばかりではありません。ストーリーを知っているはずの自分まで、新しい発見や危機にドキドキしてしまいました。事実は切なく、見えなかったことが見えてくるとき、別れの時・・・どれも涙が出ました。未来からやってきたその人の、隠してた立場や気持ちが後から見えてくると、切なさにノックアウト。ナチュラルな声優陣の演技がいいのでなお更に、深くなさげに見えるから余計に、打ち負かされる感動がありました。乙女チックといわれれば、確かにそうなのですが、現代風なノリでも中身がよければそれでいいこともある。功介も千昭も高校生じゃないみたいに格好良かったです。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 監督 細田守 原作 筒井康隆 『時をかける少女』 脚本 奥寺佐渡子 音楽 吉田潔 声の出演 仲里依紗 、石田卓也 、板倉光隆 原沙知絵 、谷村美月 (カラー/100分)
2007.07.21
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今夜は、PMF(パシフィック・ミュージック・フェスティバル)の演奏会へ行ってきました。四重奏が多くこじんまりとしたものですが、本格的なクラシック演奏を聴くのは、久しぶりなので嬉しいです。PMFはレナード・バーンスタインが提唱して1990年より始まった音楽の祭典。毎年7月に札幌で開催されています。初開催の後、バーンスタインは惜しくもこの世を去ってしまいましたが、音楽祭は毎年盛大に続いています。1990年、音楽祭が始まったことのことはうっすら覚えています。ニュースにもなっていましたから当然ですが、姉が中学の頃からホルンを吹いていたので、演奏会へ行ったり話を耳に挟む機会も多かった頃です。一度くらい行ってるかしら・・・と束になってある過去のパンフを探してみましたが、PMFのものはなく、今夜がPMFデビューとなりました。ボッテシーニ、イベール、ラッハナー、ブラームス。一番はやはりボッテシーニの「パッショーネ・アモローザ」。コントラバスの四重奏を聴くのは初めての経験でした。オーケストラの中では地味にならざるを得ないコントラバスが主役、そしてG線(ゲー線)を駆使して主旋律を奏でているのを聴くことって、なかなかありません。素敵でした。指板のないところで弾いていた・・・こんな演奏ができることも知らなくて、感嘆するばかりでした。全体でわずか1時間半ほどでしたが、出かけていってよかったです。芸術の森での野外公演は、月末までやっています。今のところ行けそうにないけれど、日曜に都合がついたら出掛けて、野外のオーケストラ演奏も聴けたらいいな~~。私自身も楽器は弾くけれど、とても下手くそ。ずっとヴィオラを弾いていたので、ヴァイオリンを買っても弾ける曲がありませんでした。かといって譜面を買ったのはずいぶんあと。テキトウです。ヴァイオリンとヴィオラは、弦が一本ずつずれていて、弾いてた曲はほとんど弦が足りなくなるんですね~。ほんとにお遊び程度で、たまに出しては弾いているだけの今。もっといつでも弾ける体勢で、出しておかないとダメだなぁ。聴けば弾きたくなる、単純な反応だけはかわっていません。お義兄さんという人も、実はずっとホルンを吹き続けていて、地元のオケに所属しています。社会人の楽団ですが、指揮者が私達の恩師だったこともあるし、私の映画の師匠がそこでまだコンバスを弾いています。町で何かあれば札響を呼ぶので、子どもの頃共演させていただいたこともありました。音楽や芝居に溢れていたあの頃得たものを無駄にするのはもったいない。もっと一生懸命練習しよう!と、密かに心に誓う夜でした。
2007.07.20
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男から男へと渡り歩き、すぐ捨てられてしまう人生に絶望したアデルは、セーヌ川に身を投げようとある橋の上に立っていた。そんな彼女を、ナイフ投げの曲芸師ガボールが“的”としてスカウトする。やがてふたりはツキを呼び込み、行く先々で喝采を浴びるが……。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 全編モノクーム、ルコントには欠かせないユーモアと官能で、中年男の純愛がコミカルに描かれています。ツキに見放されたアデルとナイフ投げの男の恋。物語は、アデルが淡々とこれまでの人生を振り返って語るところから。どんなにツイてないか、どんな男性遍歴を重ねてきたか・・・彼女の大きな愛らしい瞳に、その時点で釘づけ。演じるヴァネッサ・パラディは、いまやジョニー・デップの恋人ですね。ジョニデも恋するわけです。とってもキュート!ついに思いつめたアデルは、自殺のため橋の欄干へ。そこでアデルを呼び止め助けたのが、ナイフ投げのしがない中年男ガボールだったのです。助けきらずに、一緒に冬の河へ飛び込んでしまうのですが・・・(笑)ガボールの誘いに根負けして、ナイフ投げの‘的’になることを決心したアデル。その恐ろしさといったら・・・生きた心地もしないはず。それでもコンビを組んだ時から、互いに信頼しあって、息のあったロードムービーが始まるのでした。アデルはとても身持ちの軽い娘。「洋服を替えるみたいに、つい男もためしたくなっちゃうの」そううそぶく彼女は、でも誰よりも幸せになりたいだけの、優しい娘。あまりに素直だから、ガボールにとっては騙しやすくて、仕事に行き詰ってる彼には余計魅力的で愛しい存在になっていきます。彼の仕事には彼女が必要。その絶対条件のもと、彼女を手放すまいとそれなりに努めながら、旅は続いていくのですが・・・ 初めて的になった時、恐怖に震えていたアデル。その恐怖が、いつしか快感になっていく―――それはとても官能的で、刺激的。軽妙な会話と、アデルの幸せ探求セックスと、ナイフ投げの恐怖。これがリズミカルに繰り返され、、微妙に変わっていくふたりの気持ちがすごく楽しい。もしかしたら気持ちの変化に苦しんでるのは、はじめガボールだけなのかもしれません。中年男の純愛です。食べてく為に絶対必要な‘的’。自殺志願の若い女性なら誰でもいいと思っていたのに、アデルの‘的’が天下一品だと気づいてしまった・・・彼の苦悩が可笑しくてしかたありません。始めから強制はしないで、彼女のしたい通り自由に泳がせておくのだけど、誰彼構わず誘惑に乗ってしまう彼女を見ながら、ささやかに嫌味を言い始めたり、そっと引き離してみたり、邪魔したりする、ガボールの態度を見ているだけで楽しかったです。二人の旅も、終りを告げるときがやってきて。アデルの幸せ探しもいつしか終ります。彼女が選んだ男と、ガボールの前を去るのです。離れてわかる愛の深さに、ようやく気づくアデルは、果たしてまた彼に巡り会えるのでしょうか―――。ご覧になってのお楽しみ洋服を着替えるように、男とみるとセックスしてしまうアデルが、ガボールとは決してそうならないのがいいですね。彼が与える快楽は、ナイフ投げの恐怖。この関係、かなり好きです。ある意味プラトニックに、ルコント監督らしい純愛を描いたラブストーリーでした。ルコントさんは、主人公の中年男たちに、自身を投影しているのかもしれませんね。これまで観てきた作品は、みな悲哀を経験します。仕立て屋は愛する人に裏切られ、髪結いの亭主は妻に死なれ、ナイフ投げの男は愛する的を失う・・・けれど皆、幸福そうに見えるから、見る側もハッピーになってしまいます。そして陽気な音楽。中年男の命がけの純愛は、決してハッピーエンドで終ると限らないけれど、心からの愛を捧げる姿に、何度観ても心動かされ踊らされるのでした。繰り返し観たくなりそうなステキな映画でした。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 監督 パトリス・ルコント 製作 クリスチャン・フェシュネール 脚本 セルジュ・フリードマン 出演 ヴァネッサ・パラディ 、ダニエル・オートゥイユ ニコラ・ドナト 、イザベル・プティ=ジャック ナターシャ・ソリニャック (モノクロ/90分)
2007.07.20
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コンビニ強盗に失敗し逃走していた伊藤は、気付くと見知らぬ島にいた。江戸以来外界から遮断されている“荻島”には、妙な人間ばかりが住んでいた。嘘しか言わない画家、殺人を許された男、人語を操り未来が見えるカカシ。次の日、カカシが殺される。未来を見通せるはずのカカシは、なぜ自分の死を阻止出来なかったのか? 第五回新潮ミステリー倶楽部賞を受賞した、伊坂幸太郎のデビュー作。 「重力ピエロ」「終末のフール」に続いて3冊目です。デビュー作とは思えず、終盤にはやっぱり唸ってしまいました。不思議な現実に、説得力がある。主人公が魅力的だというのは、前2作でも紹介しました。デビュー作でもひけ目ありません。不思議な島なんだけど、そこは現実。荒唐無稽なことはおこりません。ただひとつ、カカシの優午(ゆうご)が喋ることを抜かしては・・・島で過ごしたのは、奇妙なたったの数日間なのに、ドラマが溢れてることですごく豊かな満足を感じる読書後。コンビニ強盗をして逮捕された主人公・伊藤は、護送される途中、パトカーが事故を起こして気絶します。目覚めたらそこは、江戸時代からその存在を忘れられ外界から遮断された島。島民には常識でも、仙台からきた主人公には常識を覆される不思議なことばかり。そして島には、語り継がれる伝説がありました。この島には欠けているものがある――それをいつか外の人間が運んでくると。島にとっては欠かせない常識であった、かかしの優午が、ばらばらに壊され殺された時。その死の謎と、あい次いで起こる殺人の謎に、島は揺れます。伊藤らが突き止める事実と、不思議な伝説の真実と、揺るがない現実。果たして、優午を殺したのは誰?島に欠けていたものとは?島の外では、伊藤の別れた恋人の物語と、彼を逮捕した幼馴染の警官の物語が動きます。そして事故で死んだ両親の変わりに、主人公を育ててくれた祖母との思い出話。過去へ遡れば、1855年、優午を作った録二郎という男の物語。タイトルになったオーデュボンという鳥類学者の、リョコウバトの物語は、欠かせないキーポイントにもなっています。様々に張りめぐらされた縦糸と横糸、どれも重要で削ることのできないもの。その無駄を排して濃縮されたストーリーの中に、満足するツボがいっぱい詰まっているような作品でした。島は自由だとしても、それは果たして閉じ込められていることにはならないか・・・未来を予言できるなら、知っていたほうが幸せか・・・生きる価値のあるものってなに・・・心が動くというよりは、奥深さの隠れたシュールな本でした。映画にしても面白そう。作るのが大変そうだけれど。
2007.07.18
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若い愛人を囲った三流発明家の夫、息子(マレー)を溺愛する母親(ブレー)、その姉。堕落したブルジョア家庭で、息子と夫が愛した女が同一人物だったことから、家族・男女の関係が錯綜するー 登場人物わずか5人、全編室内シーンのみ。コクトーが自作の同名戯曲を映画化した、ブルジョア家庭の愛憎と退廃を描く。コクトー作品という贔屓目なしでは、無難に楽しめる寸劇の域を出ず、名前で観てしまう部分が多かれ少なかれある。演劇を映画にすることの意味とはいったいなんだろう。舞台は舞台にしかない良さがあって、カットも撮り直しもない一発勝負。幕が開く緊張感がたまらない素晴らしいものなのに。映画という枠にはめて、成功した例をあまり見ない気がする。それでも、コクトーが初めて自身の作品を映画化した本編は、きっと深い思い入れがあったのかもしれない。室内劇の閉塞感は、溺愛ママとマザコン息子によく似合っていた。息が詰まりそうになるほど。じつは、同居する姉の婚約者を奪う形で、今の夫と結ばれている母親。静かに身を引き、いまだ独身で家事を引き受ける姉の内心の苦悩と嫉妬は、生半可なものでなく。夫を顧みず息子ばかりを溺愛する、糖尿病に病んだ神経衰弱の母も、息子ミシェルの恋人が自分の愛人マドレーヌと知って、突然の暴挙に出る発明家の夫も、パトロンが恋人の父親と知って驚愕するマドレーヌも。みんな八方塞がりのなかを、自己愛、利己愛、盲目様々にあっぷあっぷしている姿が、あまりにも滑稽。マザコンの気色悪いミシェルが、黒い糸引く大人たちを見ているうち、まともに見えてくる面白さ。彼はそう育てられてしまっただけで、泥沼のような家馬車(憎しみを込めてそう言った)から抜け出そうと、必死にもがいているだけ。初めて女性を愛した時、溺愛する母親から逃れるためには母親殺しをするのかと思いきや、、父親の独断で、ミシェルとマドレーヌの仲は引き裂かれてしまうのだった。失恋に落ち込む息子、破局を喜ぶ母。果たして結末は・・・?愛人に濡れ衣を着せひとり安堵した父親も、彼への思いをやっと乗り越えた姉も、若い二人の破局の痛手を知って後悔しはじめる終盤。真実が暴露されたとき、衝撃のラストが待っている。 原作・脚本・監督 ジャン・コクトー 製作 アレクサンドル・ムヌーシュキン 撮影 ミシェル・ケルベ 音楽 ジョルジュ・オーリック 出演 ジャン・マレー 、イヴォンヌ・ド・ブレー 、ジョゼット・デイ ガブリエル・ドルジア マルセル・アンドレ (カラー/98分)
2007.07.16
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1965年、スカルノ政権下のインドネシア、ジャカルタ。政権の内部抗争を背景に、オーストラリアからやって来たジャーナリスト(メル)と、英国大使館職員の女性(シガーニー)との愛を描く。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ インドネシアという国にも過酷な歴史があったのですね。スカルノという名はよく耳にしてきましたが、この映画の背景となっている「9月30日事件」は知りませんでした。軍事クーデター未遂事件後と、首謀者・共産党勢力の掃討作戦などの総称だそうですが、まさに酷い時代です。ピーター・ウィアー監督はこの前年の「誓い」でも、オーストラリアで演劇を学んでいる俳優メル・ギブソン主演で骨太な戦争映画を撮っています。人間ドラマとしてもすごく深みのある秀作で、他には「刑事ジョン・ブック/目撃者」「いまを生きる」など、雰囲気のある良作が多数。未見のものも多いので、是非手に取りたいと思いました。若きメルと、シガーニーの共演。異国の土地へやってきた若き記者の男ガイと、帰国間近の大使館職員の女ジル。ギリギリのところで強烈に惹かれあう様を、じっくり見せてくれます。男はオーストラリア人、女はイギリス人、舞台はインドネシア。動乱のさなかに芽生える愛を、ふたりの共通の友人であるカメラマンの男・ビリーが、タイプライターの前で物語を紡ぐように語っているサスペンス調の展開です。小人症のビリーは、人がよく、方々に顔の利く、謎の一面を持った男。彼はジャカルタに集まる様々な人の情報を握り、時に操り、何かの目的を持って、入国して間もないガイと行動を共にしていきます。ヤワな彼の精神をたたき上げ、ジルと引き合わせ、愛し合うよう仕組むのもビリー。でもなぜ・・・?謎の部分は続き、緊張感ある展開が続いていきます。ここで素晴らしいのはビリーを演じた、リンダ・ハント。男性ではなく小柄な女優さんです。文句なしの演技で、この年の助演女優賞を受賞しています。彼の持つ苦悩は、並大抵ではなく、隠された秘密が見えてきたとき、胸が打たれて仕方ありませんでした。彼の生き様、彼が望んでいたこと、その願いや祈りが、作品全体を高尚に高めてくれているようです。ビリーの死の運命にぐっときます。。 「ガイに担がれカメラを回すビリー(リンダ・ハント)」 「ガイとジル 惹かれあうのに時間は掛からないが・・」独立宣言がなされてから20年、それでもなお市民の生活はどん底で、飢えと売春婦とであふれかえる国。決して国民や農民を救うことができないスカルノ。スカルノの経歴をみただけでは、酷い人という感じを受けません。いまだに国民には愛されていると、ウィキペディアには書かれていました。けれど、本編に登場するスカルノは、飢えに喘ぐ国民をよそに、女好きで飽食の人―というイメージで描かれています。落ちぶれてきたころのスカルノなのでしょうか。政治的な面を詳しく描いているというよりも、動乱の様子、雰囲気、欧米人が身の危険を感じる身ぶるいするような恐怖感が前面にきています。それは骨太なドラマであっても、メインには恋愛を据えて描いているからなのかもしれません。国が動いたその時、欧米人の主人公らがとった行動とは――やっぱり、逃げてしまうものなのでしょうか・・・恋愛でいえばハッピーエンディングだとしても、決して後味のよい結末でない、濁った後味を感じずにいれませんでした。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 監督 ピーター・ウィアー 製作 ジェームズ・マッケルロイ 原作 クリストファー・J・コッチ 脚本 デヴィッド・ウィリアムソン 、ピーター・ウィアー クリストファー・J・コッチ 撮影 ラッセル・ボイド 音楽 モーリス・ジャール 出演 メル・ギブソン 、シガーニー・ウィーヴァー リンダ・ハント 、マイケル・マーフィ 、ベンボル・ロッコ ドミンゴ・ランディホ 、エルマンノ・デ・ガズマン (カラー/116分)
2007.07.14
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1998年アイダホ、22歳のビクターは10年前に母と自分を捨てた父を憎んでいた。そんなある日、何の連絡もなかった父が、遠くアリゾナの地で死んだという知らせを受ける。遺灰の引き取りを拒むビクターだったが、幼なじみのトーマスに説得され、2人は生まれてはじめてアイダホの居留地を出て旅立つのだった―――。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 毎年ユタ州で開催されるサンダンス映画祭。インディーズ・ムービーが対象で、ロバート・レッドフォードが設立したことでも有名です。サンダンスの専門学校?とNHKの共催で「サンダンス・NHK国際映像作家賞」なる賞もあり、放送権を賞金として支払うため、BSではサンダンス関連の作品が、幾つも放送されていました。 その中のひとつ「スモーク・シグナルズ」は、製作者みんながネイティブ・アメリカンという初の作品で、観客賞に選ばれています。 ある日、仲間が集まり盛大なパーティーが開かれた夜。その晩に、トーマスの家が突然火災になり、彼の両親は逃げ遅れ死んでしまいます。赤ん坊だったトーマスは、ぎりぎりのところで二階から投げ落とされ、ビクターの父親に抱きとめられるのです。それから12年。彼らが12歳になったある日、ビクターの父親は突然家を飛び出し、二度と戻ることがありませんでした。物語はそこからさらに10年。彼らが22歳になったところから始まります。幼馴染のふたりは性格が正反対。両親を火事で亡くしてから祖母に育てられたトーマスは、気立てがよくお喋り好き。一方、10年前に父が蒸発したビクターは、家族を捨てた酒飲みの父を憎んでいる、とっつきにくい青年。ある日舞い込んだ、突然の父の悲報に、怒りと戸惑いを隠せないビクターでしたが、トーマスに説得されてまだ見ぬアリゾナの地へと、遺骨を受け取る旅に出るのです。ネイティブ・アメリカンへの偏見や、罪を犯した人を許せるか・・・というのがテーマ。初めて居留地を出て、長距離バスに乗ったふたりの友情物語であると同時に、脈々と受け継がれる親子の血・部族の血を描く、小品でありながら広い視野を持った作品でした。なぜ父は家族を捨てたのか・・・思い出される父との思い出に心を痛め続けているビクターが、心優しいトーマスの存在に助けられながら、真実を知って過去を清算してゆくのですが―― アリゾナへ着いた彼らを待っていたのは、若くて美しい女性スージーでした。彼女は父と過ごした数年間を語り、父親のような存在だったことを告げます。そして、なぜ故郷も家族も捨てて蒸発したのか・・話して聞かせるのです。冒頭で起こった22年前の火災と関係があることは、伏線から察しられる展開。あの火災事故が蒸発への引き金となったことを、ビクターが理解していくのは簡単ではありません。怒ったり後悔してみたり、そしてちょっと容赦してみたりしながら、きっと心から許せる日がくるまで、ずっと悩み続けていくのでしょうね~人は単純にはいかない。ワケがわかったからといって、すぐ許せるとは限らない。そういう心理描写もインディーズ映画とは思えないほどしっかりしている内容でした。ロードムービーは、旅のラストが肝心。以前読んだ、田中英司という人の受け売りですが、散々炸裂した感情を行き着かせる場所として、海はよく使われるそうです。(言われてみれは・・)この作品のラストも・・といいたいところですが、こちらは大きな滝。ネイティブ・アメリカンには神聖な滝の流れが選ばれています。ネイティブであるからこその、独特な神聖さに包まれている作品。金銭面の苦しさも、偏見も、部族への誇りも、新鮮な強さと清清しさがあって後味も良い。上手くまとまとめられている良作でした。主演のビクターを演じたアダム・ビーチは「ウインドトーカーズ」「父親たちの星条旗」にも出演しています。髪型ひとつで別人に見えますね~後半、弔いの儀式で長髪を切り落とした後、見るからにカツラだったのは、撮影のスケジュール上仕方がなっかのでしょう。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 監督 クリス・エアー 製作 ラリー・エステス 原作・脚本 シャーマン・アレクシー 撮影 ブライアン・ケイプナー 音楽 B・C・スミス 出演 アダム・ビーチ 、エヴァン・アダムス アイリーン・ベダード 、ゲイリー・ファーマー タントゥー・カーディナル 、サイモン・ベイカー (カラー/89分)
2007.07.12
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実在の映画監督で“史上最低の監督”と謳われた、エドワード・D・ウッド・ジュニア、通称エド・ウッドの伝記的作品。50年代のハリウッド。スタジオの片隅で使い走りをするエドは、映画監督になる日を夢見ている。ある日、性転換をした男性の物語を監督することに決まり、偶然知り合った往年のドラキュラ俳優ベラ・ルゴシを出演させて、映画「グレンとグレンダ」は完成するのだが・・・。 ティム・バートンのエド・ウッドへ対する敬愛の気持ちが、とても伝わる素敵な映画。50年代のハリウッドの様子が楽しめた。女装癖のある憎めないエドは、今では名優の域となったジョニデが演じている。かなりベストな配役だった。1956年に他界しているベラ・ルゴシを演じているのはマーティン・ランドー。似ていて笑える! 落ちぶれてしまった往年のスター、ルゴシに哀愁を感じずにはいれない。怪演が切なく味わい深い。撮影現場でたまらず女装したり、映画を作るために口から出まかせ言ったり、しょうもないエドだけれど、明快な彼の言動を見ていると、底抜けの明るさも人情深い優しさも、ひとりの人としてすごく魅力的になってきた。落ちぶれて麻薬漬けのルゴシと、友人として最後まで付き合うエド。彼亡き後、遺作となる最後フィルムの中に動くルゴシを見つめる姿にジーンときてしまう。 エドの新恋人を演じたパトリシア・アークエットも最高! エドの女装癖さえ許してしまう、変わり者の彼女の強さもまた魅力的なのだった。バックステージものとしても良質で、各所でくすくす笑え、そして映画への愛を感じる。流石、ティム・バートン。『シザーハンズ』から始まり、『スリーピー・ホロウ『『チャーリーとチョコレート工場』――幾度もコンビを組んできたふたりは黄金コンビ。最後にはきっとエドワード・D・ウッド・ジュニアの映画が観たくなるはず。史上最低監督の異名は、きっと愛すべきという意味もかねているのだ。たくさんの人が今なおエド・ウッドの最低映画を楽しんでいるのだから。 監督 ティム・バートン 製作 デニーズ・ディ・ノヴィ 、ティム・バートン 脚本 スコット・アレクサンダー 、ラリー・カラゼウスキー 撮影 ステファン・チャプスキー 音楽 ハワード・ショア 出演 ジョニー・デップ 、マーティン・ランドー サラ・ジェシカ・パーカー 、パトリシア・アークエット ジェフリー・ジョーンズ 、G・D・スプラドリン ヴィンセント・ドノフリオ 、ビル・マーレイ (モノクロ/124分)
2007.07.10
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モディリアーニ《赤毛の若い娘、ジャンヌ・エビュテルヌ》1918年 モディリアーニ《ズボロフスキーの肖像》1919年 先週の金曜、初めてモディリアーニと、その妻ジャンヌの作品を観ました。モディリアーニ(1884~1920)といえば映画「モンパルナスの灯」。貴公子ジェラール・フィリップが演じた画家の生涯は、破滅的で繊細でした。独特な風貌の絵画にも、魅力を感じます。映画では、ジャンヌが後追い自殺するところまでは描かれていませんでしたが、実際は身重であった彼女は窓から身投げしています。そうして観ていくと、ふたりの作品が並ぶドラマ性のある展示は、すごく見ごたえがあり充実していました。アメデオ・モディリアーニ35歳、ジャンヌ・エビュテルヌ21歳の生涯。短く散ってしまう二人、作風はとっても似ています。画家としては無名といっていいはずの画学生だったジャンヌの作品は、彼と同じ被写体を描いたものも多いそうです。深い色あいと、目・首・手などの柔らかい線は、どこか愛嬌さえ感じます。瞳が入っていないことも違和感ありません。ふたりの絵を見分けるには、背景が描きこまれているかいないか、だそうです。モディリアーニは風景画を3枚しか描かず、ジャンヌは幾枚も描いている。そういうところは違うけれど、雰囲気は似てる。わたしにはジャンヌの作品のほうが、好きなものが多かったです。本を読んで描いたという挿絵や、女性たちのファッションに目を向けた作品群が、どれも部屋に飾りたい~と思えるほど素敵で。女性らしい一面や苦悩を、いろいろ感じることができたと思います。映画でのイメージしかなかった美男モディリアーニですが、実際はもっとちょっと違うのかもしれませんね。ジャンヌはずっと幸せだったとは思えなくて。やっぱり彼女の暗い風景画なんかを観ていると、そう感じてしまいます。彼の後を追って死を選んだこと、いったいどんな思いでそうしたのでしょう。それほど愛していたの―――?それは永遠に彼女にしかわからないこと。 越してきて、初めての芸術の森美術館でした。前回から10年ぶりくらい。絵を観て、人生や生涯の物語を感慨深く楽しめたのは、久しぶりでした。近代美術館とは、また違った味のある展示の仕方。どこがどうとは、上手く言えないけれど。 入り口の講堂には、ピカソやモディリアーニの作品にも影響を与えたといわれる、札幌芸術の森美術館コレクションから「アフリカの仮面と彫像」が展示されていました。 想像力を刺激する魅力的な造形まさにそれですね。今は変えてしまいましたが、プロフィールの画像に使っていたエトルリアのブロンズも、アフリカの彫刻も、ゆるりと間延びしたような形が好きです。そしてモディリアーニも、首なんか長くって、顔も細長くて、アンバランスなはずなのに、そこに味を感じます。共通点をみつけて、なるほど彼の絵が好きなわけが自分なりに理解できました。 「モンパルナスの灯」
2007.07.08
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18世紀末大革命前夜、客死したベトナム幼帝を憐れみ、フランスからヴェトナムに派遣された宣教師たち。遙か故国からも神からも遠く、修道士ドミニクと修道女カトリーヌは熱帯雨林の中に忘れ去られて行った…。 お世話になっているヤスカイさんからのおすすめです。わずか20歳の青年が書いたとはとうてい思えない、大河小説のスケールを持った小品でした。短い中に繰り広げられるドラマには、ベトナムの情景がすごいリアリティで描かれていています。ドミニクとカトリーヌの愛がメインストーリーではなく、18世紀末~19世紀初頭のベトナムとフランスの歴史を背景とした、宣教師たちの物語。行き着いたところに生まれるべくして生まれた二人の愛。けれどその愛は、偶然ただ奇跡的に残ったものかもしれないという印象も残ります。解説にもありましたが、単語3~4つでできた多くの簡素な文体は、驚くほどシンプル。感情移入するより早く、ドキュメンタリー番組を観ているように淡々と、壮大な物語に吸い寄せられていきました。壮大で荘厳。わずか124ページの中に集約されたドラマに、誰しも唸ってしまうのではないでしょうか。ベトナムという国の魅力を感じながら読みました。同時に、暑さや密林、ぬかるむ道や病や殺戮など、ベトナムの恐怖の部分も。私には得体が知れない怖さが、ベトナムのイメージとしていつでもあります。祖国フランスに見放され、忘れ去られた宣教師たちの生涯や半生に、短編とは思えない一大叙事詩のような満足感を味わった作品でした。ヤスカイさん、おすすめありがとうございました!簡易な感想でごめんなさい
2007.07.06
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ニコラス・スパークスの長編デビュー小説を映画化したラブ・ストーリー。運命的な恋に落ちながらその関係を引き裂かれてしまった一組の男女の、時を経た永遠の愛をロマンティックに描く。とある療養施設に独り暮らす初老の女性。彼女は若かりし情熱の日々の想い出を全て失っていた。そんな彼女のもとへデュークと名乗る初老の男が定期的に通い、ある物語を読み聞かせている。それは古き良き時代、アメリカ南部の夏の恋物語だった――。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 号泣にちかく、泣きました。純愛が実るお話は数あるけれど、老いてまだ、臨終の時まで添い遂げる恋人たちの物語は、別の感情を与えてくれます。どこか童話のような、若い二人ノアとアリスの物語。強く深く愛することができる人は、本当に幸せです。若き日のふたりを演じた、ライアン・ゴズリングとレイチェル・マクアダムスが素晴らしい。ひと夏の恋から永遠につづく愛へ、初初しい出会いから別れへ―――何年にもわたる姿を、見事に演じています。恋する喜び、痛み、喪失感、再会、別れの砕けそうになる思い。どれも素直に受け取って泣けてきました。冒頭ではまだ、痴呆症の老婦人と、彼女に物語を読むデュークの関係は明かされません。すこし謎めいたまま、ゆっくりとふたりの関係に気づかされます。勘のいい方はすぐにわかるような、ゆるい設定なので、ネタバレにはならないですよね?デュークと名乗る老人はノア。婦人はアリス。お話は彼らふたりの思い出なのです。平均寿命が延びて、痴呆をテーマにした作品もにわかに増えつつあるのかもしれません。長生きしても、記憶がなければ果たしてそれが幸せなのかどうか・・・みずからの幸せな半生を思い出せなくて、愛する人も家族もわからなくて、それでも生きることは悲しい。周りの人間もとても悲しいと思います。けれどノアのように諦めず、一瞬でも記憶が戻った時に傍にいたいと頑張っている人は、世の中に多くいるのかもしれませんね。とにかくキレイに描かれていて、痴呆症の症状だって、ゆるすぎる描写なのかもしれませんが、全編通して‘物語’であることを感じて、淡く美しい情景で綴られるので、気にはなりませんでした。私的な一番のツボは、若きノアが彼女を失ってからの生き方。喪失の後、でも諦めはない。こんな風に女性を愛せることが素敵です。監督は老婦人を演じたジーナ・ローランズの息子、ニック・カサヴェテス。同じく親子で組んだ「ミルドレッド」は、ニック初監督作でしたが、心温まる良質なヒューマンドラマした。才能溢れる両親と息子。すごい一家ですね~ ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 監督 ニック・カサヴェテス 製作 リン・ハリス 、マーク・ジョンソン 原作 ニコラス・スパークス 『きみに読む物語』 脚本 ジャン・サルディ 、ジェレミー・レヴェン 音楽 アーロン・ジグマン 出演 ライアン・ゴズリング 、レイチェル・マクアダムス ジーナ・ローランズ 、ジェームズ・ガーナー (カラー/123分)
2007.07.02
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今日から、北海道大学総合博物館ではじまった『ファーブルにまなぶ』展。今年は「昆虫記」全巻刊行から100年の年。これから9月中旬まで北大で展覧されて、全国へ巡回するそうです。昆虫記を読んだことはないし、ファーブルに思い入れがあるわけではありませんが、昆虫は案外好きです。キャンプなんか行くと、かならず捕まえて遊びます。蝶は美しいし、なにより標本は家に飾りたいほど魅力です。中身は案外と地味でありました。ただファーブルの直筆で描かれた絵や文字があったり、標本があったり、しばし立ち止まりたくなる所が幾つかありました。昆虫についてや自然についてを学ぶよりも、ファーブルという人について学びに行ったよう。学んだというよりは感じたというべきかも。興味のあることをずっと続けた、ともすれば遅咲きの人生は、自然と共に生きていて素直で羨ましいです。ひとつのことを続けるって、すごい力。子どもの付き添いで、昆虫が苦手な方には、フランス人ファーブルを知る機会として~というのはどうでしょうか。もちろん虫好きの子どもなら、昆虫や蝶の標本に夢中になること請け合いです。3階までつづく博物館は、常設展示を含むとかなりの見ごたえ。学術標本は400万点、所蔵しているそうです。築130年の、今は博物館となっている建物は、元理学部があったところ。歴史を感じさせる建築物としての味わいはかなりなもので、そちらにも始終気をとられながら歩きました。ドアノブも、電気のスイッチも、階段も、床の木材も、そしてにおいも。どれもこれも明治のカオリ。一歩外へ踏み出した、緑豊かな構内も合わせて、とても素敵なところ。帰り道、かの有名なポプラ並木まで散歩しました。わたしは子どもの頃から、ポプラが好きです。凛とした立ち姿、絵になる樹。観光客も多かったようで、いたるところでみなさんカメラを手にしています。Boys be ambitious - 少年よ大志を抱け - クラーク像を見ながら、子どもたちに伝えた言葉。大志を抱いて北大に入学してね~~などと・・・胸の奥深くで不覚にも思うのは、単に北大が素敵な場所だったから。学べるってすごいですね。学べる頭脳、学ぶことを頑張る人たち、すごいって思いました。be ambitious! まだ間に合う部分は、自分の中に、あとどのくらい残ってるんでしょう。
2007.07.01
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