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これは「パナソニック―底力の秘密」の筆者の本の宣伝です。 トヨタに追いつこうとするパナソニックの恐るべきポテンシャルとは? ■筆者が特に意識したこの本の特徴は・・・ 1.松下幸之助が3人で始めたのが世界企業となりました。大赤字を出したのに今世 界一を目指しています。そこに何かがある。 その答えは、やっぱり幸之助のDNAでした。しかしそのDNAは進化するDNAを 孕んだDNAでした。 2.今、日本全体が沈んでいるなかで、社長(大坪文雄氏)が 「サムソンを抜いて、トヨタとともに世界一となることが日本を元気にする」と言っ ています。 これが「ホラ」でない根拠は何なのか? その答えは、大坪氏の一風かわったDNAでした。うーん…こういうリーダーシップ なら結果がでないはずがない。世界一にならないとは考えにくい。 3.取材を文鎮型に、社長と現場の旬の人にしぼり働き方を探りました。むろん戦略 論・組織論を絡ませながら。彼らは現実に根をおろしながら、理想を駈けていまし た。 ■もし読んでくださったら、ぜひご意見・感想をお寄せください。必ず返信いたしま す。 大西 宏 -----Original Message----- From: [mai??????@mb.plaza. rakuten.co.jp] Sent: Tuesday, September 23, 2008 9:28 AM To: ??????@k2.dion.ne.jp Subject: 23日の日記
2008.09.23
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もう一つの誕生日、おめでとう! ブログのフレンドから「経営戦略を練るセミナーに参加して非常にエキサイとしてい る。学生時代にこのような勉強の機会がなかったことが残念」というメッセージが 入った。 ■ぼくが、彼を心から祝福した理由 1. その行動してそれが楽しければ、そこに自分が探す自分がいる。 大発見だ。 2.楽しいことは、金も時間も惜しくなく、我慢もできるのでどんどんやっていけ る。 生き生きするし、何らかの力だつく。 3今すぐ役に立たなければ立たないほど、先に大きなことが起こるかもしれない。 いや先に何も起こらなくてよい。 それが「今を生きる」という意味だから。 4.でも、戦略を練るということは、経営戦略でもなくても、あらゆる計画に当ては まる部分がある。ぼくがMBAのケースタディを否定しない理由でもある。 MBA が頭でっかち?…だからよいのだ。手足ばかりの頭なしに実践家より数段。 5.一人の人間の可能性が芽を出す。これ以上素晴らしいことはない。だって人間が 生き生き生きるのだから。世に役立つ可能性の芽なのだから。仮にそうならなくても いい。数を打たなければ当たらない。 ■僕が経理をめざしてむいていなく、セールスをやって嫌になり、経営者をやって飽 きてしまい、小説創作教室へ行ってエキサイトし、大学教員になって天職と考えたあ と過放電に陥リ、キャリアカウンセラーとなってライフワークと考えたがそうでもな くなり、不動産業が面白かったが破産しかけ、小説を書いたが様にならなかった。 ■しかし、この一つでも欠いていたなら今の自分はない。それは、夢を求めていたと しても、夢の枠にはまって狭い世界に閉じ込められず、今を生きたからだ。 しかもそれらが勝手に掛け算をした。 ■何も今を、人に誇れるというのでない。しかし、これだけは言える。「今の自分な く未来の自分がない」と。 -----Original Message----- From: [mai??????@mb.plaza. rakuten.co.jp] Sent: Tuesday, September 23, 2008 9:28 AM To: ??????@k2.dion.ne.jp Subject: 23日の日記
2008.09.23
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■ この人生観の転換によって、「何のために生きるのか?」と言うのが180度変わった。「人生の目的?そんな難しいことなんか考えなくても生きられるよ」「そんなことなんか考えなくても結構楽しいよ」というバカがいたらお目にかかりたい。犬や猫でもそういう風にいうことができるではありませんか。■ 目的を持つことによってそのための方法と成果が生まれる。私も地位とお金という目的があったからその時期お金を稼ぐことができた。それは全くこんなにくれていいのかと思うくらいだった。しかしその同じ目的のために四面楚歌になって自分を生かすことができず、自己実現も人間関係もガタガタとなって、健康まで損ない命まで危うくなったのである。全く目的があってもそれが間違ったままなら生きられない。■ 転換した私の新しい人生の目的は「自分を生きる」「自分らしく生きる」ということだった。目的が変わると生き方が変わった。つまり自分らしく生きるために、上司にムリに取り入ったり、同僚を蹴落とす必要はなくなった。そうすると自然に人間関係の持ち方が劇的に変わった。■会社のヤングとレディ、得意先の夫人たちと話が通じただけでなく、家庭を顧みずひとつも人の話を聞かないという妻、何でも押しつける頑固オヤジという息子、ダサいのでいっしょに歩けないという娘に近づくことができた。そのころ、息子と初めて富士山に登ったのだが、頂上でふたり寝転びながら、満天の星を仰ぎ「汝の車を星につなげ!」とつぶやけば息子ガ「うん」とこたえたものだった。娘に連れられてNHKホールにオペラを見に行った時、テレビ・カメラとマイクを向けられたのもそのころだった。■45年間泳げなかったのにスィミングスクールで、クロールも平泳ぎも背泳ぎも1日で泳げた時、「できないのはやらないだけだ」と思えたのはわれながらムリもない。カラオケ教室で、シンコペーションやこぶし回しを習いながら「基本が大事、個性がだいじ」と思えたことも。そして下手なままであまりの気分の出し方に満場をシーンとさせたことも。奴さん教室で「人生は演技だ!」と気づき、小説創作教室で自分の心の中が鉛筆の芯となって引き出され、生き方そのものをペンとして人生を創作することも・・・。■酒も最初の一杯を呑み干さない。空っぽにして注いでもらう呑み方から、注いでもらう時にちょっと呑む呑み方への転換。そして、水割りと焼酎に切り替わる時間からあと呑みすぎたら、これは付き合いというよりは好きで呑む、酒に呑まれていると考えた。■ 人生に目的はいらない、目的を変えても生き方が変わらないという人の気持ちがわからない。しかしそのころまでの私はそうだった。(つづく)★就職・転職・適性・人間関係・自己実現・・・仕事のことなら何でも、この「ガンバ」が共に悩み共に考える次のURLへ気安くどうぞ 働く若者ネット相談事業★人気blogランキングへ←お読み下さったらクリックをお願いいたします。★生き方・働き方・経営仕方なら「松下とホンダ 勝利のDNA 松下幸之助と本田宗一郎」(ガンバこと大西宏著 実業之日本社刊)★リーダーシップなら「自由と強制のリーダーシップ―ぶれるな!任せろ!チェックしろ!」(同著 中経出版)をどうぞ。
2005.12.29
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■ 若いときに見た私の夢はことごとく潰えた。たとえば、「高校サッカー日本一をとる」「社会派の弁護士となる」「赤ひげの医者になる」「公認会計士になる」「社長になる」「建築技師となる」「大きなマンションのオーナーになる」・・・。■ たしかに全部潰え去ったのだけれどよく考えてみると、会社のチームが天皇杯を取ったり、中小企業診断士になっていささか中小商店の経営の治療をしたり、中小販売会社の出向社長になったり、息子が医者になったり、社屋や自分の(小さい)家を思い通りに建築したり、原告として法廷であらそったり、意外や意外「似て非」であってもやっぱり少しは似た夢が形を変えて現実化しているのであるのに気がついて驚くのである。■ このうち若いときに見た夢が必ず実現すると思えたのは、会社のサッカー部が奇跡的に天皇杯を取ったときだった。これには「見えない手」の導きを感じた。 しかし、そのほかの「似た夢」の実現をもって「夢は必ず実現する」というのは少し飛躍がある用に思う。でも「似た夢は」とか「形を変えて」という言い方ならこれは事実だ。夢を求めて自分を生きる、今を生きてさえおれば・・・。■ 私は40代までは地位と金を目指していた。それが自分の人生の目的であった。その為には上司に取り入り、部下を囲い、同僚を。おとしめてはばからなかったとても恥ずかしい次第だがそんな目的のためにはやむをえなかった。■ しかし40代からは、がんばればがんばるほど、地位も収入も頭打ちし、九州(場所のことを言ってのではない)に左遷されたときにはライバルが上司、次は後輩が上司というようにビジネス社会では当然のこととはいえ面白くはなかった。■ 私は目標を失い糸の切れたたこのように、熱くも楽しくもなく人生を漂流しはじめた。私には新しい人生の目標が必要となった。つまり「人生観の転換」が必要となったのだ。どうせ得られない地位、これ以上増える事はない収入という夢・ビジョンは追ってもムダだ。そうしたらその代わりに何を頼りに生きようか?■そんな時心に湧いたのは、「真の自己実現」「新しい人間関係」を目指そうというものだった。そういうとなにか理屈ぽいが、要するに「仕事の中身で勝負しよう」「趣味の世界を広げよう」「会社を辞めてからのことを考えよう」(以上自己実現関係)「えらそうにするのはやめて会社のヤングやレディー、妻や息子・娘と仲良くなろう」「何か人が喜ぶようなことをやろう」「もっと自由に意見を言ってもらって、こちらもいいたいことを言おう」(以上新しい人間関係)■われながら、ちょっとがんばりすぎたかなと思うのは、「カラオケ教室」「スィミングスクール」「ダンス教室」「かっぽれ、奴さん教室」「小説創作教室」などに行きまくったことだ・・・45歳ではじめて泳げるようになったり、苦手のカラオケで超個性的な歌い方をして人の心を打つ!ようになったして、新しい世界に住むことになった。■思わぬ副産物としては、糖尿傾向、高コレステロール、脂肪肝、胃潰瘍の傷跡など消えたり緩和したりしたことだった。この人生観の転換がなかったら、仕事のために飲む酒の量はそのままで、私はすでにおさらばしていたかもしれないのである。(つづく)■ 就職・転職・適性・人間関係・自己実現・・・仕事のことなら何でも、この「ガンバ」が共に悩み共に考える次のURLへ気安くどうぞ 働く若者ネット相談事業■ 生き方・働き方・経営仕方なら「松下とホンダ 勝利のDNA 松下幸之助と本田宗一郎」(ガンバこと大西宏著 実業之日本社刊)リーダーシップなら「自由と強制のリーダーシップ―ぶれるな!任せろ!チェックしろ!」(同著 中経出版)をどうぞ。■人気blogランキングへ←お読み下さったらクリックをお願いいたします。
2005.12.21
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●集団にはフレックスタイムや服装の自由だけでなく例えば次のような自由が必要だ。○決定前なら自由にものが言える雰囲気○よく権限委譲をしていて目標と結果以外のプロセスについては100%あるいは大幅に自由にさせる。○やりたい仕事を自由に選べるよう配慮を惜しまない。○失敗と怠慢に対する扱いをしっかり区別している。○縁故や親分子分のような義理人情に縛られておらず、実力主義的である。●しかし、企業が人に甘く、理解のある上司ばかりで、職場の居心地がよいという企業の中に危険が潜んでいる。人々がヤル気や自律性・創造性を出すためにも、成果をあげるためにも、成果が安定するためにも、従って高賃金を得るためにも、企業には次のような強制力が必要なのだ。このことがあるのかないのかは、自由があるのかないのかと同じくらい注意して見極める必要があるのだ。○最終責任を持つ経営者のビジョンがトップダウンでどこまで貫かれているか。これがなければ企業は漂流する○よく権限委譲されているが、それだけ責任が重いということでなければ、権限委譲自体無意味となる。○ひとはいくら自己実現しても高い評価はほしい。怠慢な人と同じに扱われるのではヤル気のある人までヤル気を失う。きびしい信賞必罰も必要なのだ。○利己を統御しなければ協働が不可能。お互いに自分のことばかり考えていたのでは、個々の力がつながらない。そのためにきびしいルールが必要だ。○チェックコントロールが弱い放漫で、人に甘い企業は崩落する。たとえば感性に優れていても、規律や管理に弱い企業が、従業員の自己実現を持続させることができず、市場競争で敗れ去る例はあまりに多い。○安全面・品質面・倫理面・危機管理面は自由に任せてよい問題では絶対なく、有無を言わせず強制をしなければブランドイメージ・信用を失墜し取り返しがつかない。○教育鍛錬面で基本をたたき込まない企業の社員は個性をはっきすることはできない。○人によって仕事によって目標とチェックが重要な仕事があり、人の面もどうしても受身で命令されたがる人がいる。●もちろん会社の強制力というものは、人の力を引き出す、人の力を掛け合わせる、会社の成果をあげるためのものでなくてはならず、そうでない強制は紙一重であるように見えて天と地ほど違う「悪」の経営なのである。■就職・転職・適性・人間関係・自己実現・・・仕事のことなら何でも、この「ガンバ」が共に悩み共に考える次のURLへ気安くどうぞ 働く若者ネット相談事業■人気blogランキングへ←お読み下さったらクリックをお願いいたします。
2005.12.15
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■いささか現実と遊離しているタイトルととられるかもしれないが、今個人と会社のWIN-WINの関係といっても、資本主義社会の中で個人の力が相対的に弱いままである。だから、会社に居続けるにしても、やめようとしていても会社に人生や生活をからめ取られるのでなく、その逆を行く精神が必要だ。■定年までいたいと思っていても、どんなに優良な会社であっても倒産が絶対ないとは言いきれない。また今の会社に見切りをつけようと思っても、ちょっと待ってほしい。せっかくの今の会社で盗み取ることはもうないだろうか?それは産業スパイ活動というような物騒なものでなくてもよいのである。1.自分の辞令は自分で出せ!組織だからと言って転勤命令が100%絶対とはいえない時世だ。チャレンジポストシステムや社内フリー契約制度を利用しない手はない。(私の検証)私が断りきれた職場。本社勤務、タイ国勤務、産業機械営業マネジャー。どれ一つとってもその後のビジネスの運命に大きな影響を与えたと思う。もっとも吉か凶かはいまひとつ定かでないものもあるが、また臨まない職場に転勤させられてそれが吉と出たケースも多いのだが。いずれにしても主体的に自分が選ぼうとした運命だし、今の自分のシチュエーションが最高と自分なりに思っているのだから後悔はない。2. 色んな仕事の経験をつんでそれを蓄積せよ!例えば、人事と経理の経験がその先で中小企業から総務責任者として迎え入れられることにつながったり、営業と経理の経験が起業に結びついたりする。(私の検証)経理、営業、企画、マネジャーといった経験が更に経営者(中小企業・出向)やスポーツビジネスのゼネラルマネジャーのキャリアに導き、更に社内研修、大学教員というように発展させた。3.社内外に人脈を構築せよ!転職の情報が、人材会社やハローワークなどからよりも、会社の先輩や取引先などから得ることのほうが多いという確かな情報がある。(私の検証)退職後の私の仕事は、人事、営業、広報、研修、サッカーなど多面にわたる会社時代の社内外の人間関係がフルに活用されている。4.辞めても会社との縁はきるな!例えばソニーや野村証券を退職した人たちの母屋との関係が深いこと、彼ら同士の結束が固いことは有名だ。会社を辞めた人が独立した時、狭量にさえならなければ元よりはるかに実力を強くしているは容易に考えられることだ。だからそれこそ真のWIN-WINの関係を結べることになる。5.研修は自費であっても、手をあげてでもフルに参加し活用せよ!社内研修というのはあまりはやらないというのが常識だ。もちろんコースにもよるがこれを活用しない手はない。(私の検証)私が手を上げてさせてもらった貴重なアメリカのビジネス教育視察旅行は、もう一つの大学入学だった。ちょうど引越の日に家におらず終生妻に小言を言われる材料となったけれど。6.海外出張のチャンスを生かし国際感覚を身につけよ。個人で海外に観光旅行で行くとしても、ビジネス旅行する事は難しい。(私の検証)海外勤務の経験はないが、半月の、望んで私費で行った海外市場見学、外国人マネジャーとの交流と、サッカー部の責任者として行った2回の海外遠征の日々の記憶は他のどんな観光旅行よりも鮮烈だ。7.スペシャリティを身につける。経理部にいて公認会計士、法規部にいて司法書士、特許部にいて弁理士、人事部にいて社会保険労務士、不動産部門にいて不動産鑑定士などなどである。(私の検証)中小企業経営者時代に、中小店の経営指導をしながら取得した中小企業診断士の資格は名実ともに役立った。そのほか、配偶者を選抜する、会社の信用でその会社に勤めているからと銀行からローンを借りて家を建てるといった裏技もある。人気blogランキングへ←お読み下さったらクリックをお願いいたします。■夢、仕事、就職、転職、人間関係、進学、留学のことなら、何でも気軽に僕が「ガンバ」のニックネームで相談に乗るURL働く若者ネット相談事業へどうぞ、秘密厳守、匿名可、無料です。この「ガンバ」こと大西宏がいっしょに悩みいっしょに考えます。■生き方・働き方・経営仕方なら「松下とホンダ 勝利のDNA 松下幸之助と本田宗一郎」(ガンバこと大西宏著 実業之日本社刊)■リーダーシップなら「自由と強制のリーダーシップ―ぶれるな!任せろ!チェックしろ!」(同著 中経出版)をどうぞ。
2005.12.12
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●今は僕の本を読んでくださる方が一番好きです!そしてメールを下さったらもうロメロです!k-onisi@k2.dion.ne.jp●「松下とホンダ―勝利のDNA」(実業之日本社)に次いで「自由と強制のリーダーシップ―ぶれるな!任せろ!チエックしろ!」を中経出版から出版しました。● リーダー向きの体裁になっていますが、リーダーでなくても、どんな状況においても自分を生きる、周りを変える「自己実現人間」を主人公として書きました。● 後は著者がクダクダ書くよりも、発行1万余部の書評メルマガ・ビジネス・ブックマラソンの土井英司さん(元アマゾン)が思いもかけず書いて下さった書評をご了解を得て掲載させていただきます。(お求めはたとえば紀伊国屋さんネット通販がお得です)■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□ ビジネス・ブック・マラソン Vol.467 『松下電器で私が究めた自由と強制のリーダーシップ』 ■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■〔1〕本日の一冊■〔2〕編集後記━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━■〔1〕本日の一冊━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━『松下電器で私が究めた自由と強制のリーダーシップ』www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4806123072/businessbookm-22/ref=nosim━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━こんにちは、土井英司です。本日の一冊は、元・松下流通研究所の代表であり、関西外国語大学の教授も務めた著者が、リーダーシップにおいて必要な、自由と強制のバランスについて論じたものです。マネジメント分野の研究成果から抜き出してきた理論と、現場での経験を交えながら、部下の生かし方、組織の生かし方を論じています。ダメな人間の短所を生かす方法や、部下の反抗精神を放し飼いにする方法など、実務で成果をあげた人間ならではの論が目を引きます。著者いわく、「鬼の強制だけでは自発性を失わせ、反抗心を芽生えさせる。仏の自由だけでは、だらけや緩みを生む」。だからこそ、「信と愛」に根ざした自由と強制が必要と言うのですが、何とまあ、文章が「熱い」!かつて教授も務めていた、ということで理屈っぽい方なのかと思っていたら、かなり熱血スパルタ系の文章です。とは言え、きっちりとマネジメントの要諦は押さえているし、ご本人の体験もきっちり入っている。あとは好みの問題ですね。経営者・マネジャーにエネルギーを与えてくれる一冊です。------------------------------------------------------------■ 本日の赤ペンチェック------------------------------------------------------------本来、人も集団も成果を求めているのだから、人間を尊重しながら成果を重視することに成功しなければならないし、成果を重視することによって、もっと人を生かし人をつなげることも十分可能リーダーには、部下が自己実現人間になりやすい環境条件をつくる責務があり、そのことを可能にする能力を持っていなくてはならないすでに表れている成果だけでなく陰の努力を見つけてあげたり、本人が意識している長所だけでなく、気づいていない長所を掘り出してあげたりすることは、知られたいという欲求のより深い充足を生み、相手の心はより深いところから揺り動かされ、思いもかけなかった大きな力を生む人間は、「その気になってから行動に入るよりは、行動によってその気になる方がやさしい」いつも怖いオヤジにやさしくされると、とてもうれしいものだ。逆に、いつもやさしいオヤジに怒鳴られるとこたえる私が、二十代から接してオヤジほどの影響を受けた松下幸之助のことを思い出すとき、いちばん心に焼きついているイメージは、会議のときも対話のときも、あたかも座禅のような姿勢で微動だにせず、もの凄い集中力で人の話に没入する姿である強制は、リーダーの側によほどシビアな理論と検証の裏づけと、結果として集団の成果や本人の向上を確実にもたらすこと、そしてそのことを説明し納得させることが求められる競争はするが、情報はオープンというのが勝ち続ける集団の条件松下ほどの超一級のリーダーでも、「やらせてみなければわからない」と言い、「任せたら感激する」「まわりが協力する」と言った優秀者が行動してもそれは当たり前のことだが、ボーダーや異端者が立ち上がると、そのかさ上げ効果は大きい一度許し、二度許すという、普通よりも強い「信と愛」が溜めとなって、相手がそれまでよりも大きく成長することはありうる------------------------------------------------------------『松下電器で私が究めた自由と強制のリーダーシップ』www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4806123072/businessbookm-22/ref=nosim------------------------------------------------------------■目次■はじめに第1章 人を生かしながら、自分も生かすリーダーシップの方法がある!第2章 部下には「あるだけの自由と、同じくらいの強制」でいけ!第3章 相手を受け入れつつ、本音で語れる人間関係を築け!第4章 「信」なくば、組織は動かず! ―操作主義でもなく、聖人君主でもなく第5章 リーダーに必要な「自分を変える技術」を持て!━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━■購読・バックナンバーはこちらから → http://blog.goo.ne.jp/eliesbook■ご意見、お問い合わせは、 → info@eliesbook.co.jp■マガジン登録、変更、解除 → http://www.mag2.com/m/0000135008.htm
2005.12.08
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■3点目で涙、4点目で涙、セレッソが追いつかれたという気配で万歳!、タイムアップで涙。「おっつゃんらがガンバを作ったんやで!」ととなりの女の子にいうと、「こんないい夢、夢でも見られない!ありがとう!」といって彼女の目にも涙。チケットが立ち見席しか取れなくてよかったと思う。それにしても君の「トト」完璧だったな!参ったな。 ○ガンバのブルーが3分の2占めていた。○4点目のとき選手5-6人がアウエイのサポーターの前に来てサポーターもグランドになだれ込んで抱き合い重なり合ったのとさっと切り上げたコントラストは最高に感動的な光景だった。○ガンバのサポーターの渦中で過ごしたが、彼らの熱さとけじめは最高と思う。(宮本のインタービューで「この優勝を彼らに捧げたい」といったのは秀抜だがこのことは幹部の君もぜひ心にとめてほしい)○西野監督の胴上げはサポーターによって行われた。○インタービューの音声が入らなかったのは残念。○これからは攻守サッカーをしてほしい。でないと体に悪い!○マスコミが1990天皇杯とつなげているのに大満足す。○投げたテープの手元に残った切れ端を机の前に張ったよ!全くガンバが寿命をのばしてくれたよ! ■天皇杯の瞬間先頭で走った君の姿を重ねつつ打った以上現地からの報告と感想です。祝勝会やプレス対応深夜まで?まことにご苦労様。面白い話がたくさんあると思うので今度ぜひ聞かせてください。息子たちにも誇れるものができたのでないか!ぼくも孫から電話がかかって「おじいちゃんおめでとう!」って。君とともにわがこととして戦ったよめさんにも心からおめでとう!
2005.12.04
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○Y君は僕のゼミの優等生でない個性派教え子です。彼は落ちこぼれどころか僕のゼミのヒーローでした。それは彼の研究発表の「私の起業ビジョン」が当たったからです。彼が言ったり書いたりすることは、勉強に打ち込めば、東大級の偏差値であったはずです。しかし彼は個性と創造性の偏差値を選びました。つまり「自分らしく生きる点で世界のだれよりも自分らしく生きる」というヤツです。つまり「地元枚方を愛する」「関西外大卒美容師」の道です。○しかし、ここで若い人に告げたいことがある。(その1)彼は美容師になることを決めて在学中に美容室に勤めて、美容の勉強をしながらも外大を中退しなかったのは、まだほかに自分の可能性の範囲が残っていないかを調べるためだったということを。(その2)親御さんにその道を反対されても、たとえ勘当されても彼は自分の夢を求めることを誓ったということを。そしてそうなっても、いやそうなれば余計に親を大事にしていくということを。 (その3)彼は美容業について現状よりももっと深いもっと広い「夢とビジョンを求めている」ということを。そして、自分がパーマを施したお客さんは、後からいつでも修正に応じることを告げて実行して「今を生きている」ということを。 (その4)Y君は自らの個性と顧客指向によって、パーマをお客さんの頭だけでなく心にもあてているにちがいないということを。(その5)彼は専攻の英語をしゃべるのかどうかは聞き漏らした。★Y君が働くお店の名前はplastic capsule(プラッチックカプセル)URLは http://www.kcat.zaq.ne.jp/placap ★人気blogランキングへ←お読み下さったらクリックをお願いいたします。★(後は僕のコマーシャルにご注意)夢、仕事、就職、転職、人間関係、進学、留学のことなら、何でも気軽に僕が「ガンバ」のニックネームで相談に乗るURL働く若者ネット相談事業へどうぞ、秘密厳守、匿名可、無料です。この「ガンバ」がいっしょに悩みいっしょに考えます。★リーダーシップと人間関係のことなら、ガンバこと大西宏著「自由と強制のリーダーシップ―ぶれるな!任せよ!チエックせよ!」(中経出版・11月3日発行・ホヤホヤ)をどうぞ!
2005.11.10
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★ブログを拝見していると、みんな天才だ!しかしはたしてみなさんが組織の中でこれほど生き生き個性と創造性の限りを尽くして仕事をしているのかいな?このインターネットの世界では、ヒェラルキーなんて影も形もない。だから世界の人と人、情報と情報が何の妨げもなく一瞬にしてヨコヨコにつながりビッグバンする。タテの世界があるとすれば、人々がそこに集まるなんらかの分野のコミュニティーのようなものだけだ。これは上下でなく、ヨコ糸に対するタテ糸であって、21世紀情報社会は要するに「クモの巣社会」なのだ。★なのに企業の世界だけは、相変わらずのピラミッド。これでは、ブログの天才たちも「蛇ににらまれた蛙」のように思考と行動を停止する。それだけでなく、上と下に眼が行ってヨコヨコの動きが出てこない。顧客など遠い存在。子供が不登校をし、ニートが増えるというのも、企業社会・学校社会のピラミッド管理との関係が「風が吹けば桶屋が儲かる」と言う話ではない。★単純な例をあげれば、トルシェが威張って管理していたころ、俊輔を除く選手全員が試合出たさに上ばかり見てヨコのディスカス、ネットワークがほとんどなかったが、ジーコになって選手同士が仲良くケンカして話し合い、ジーコはそれを喜び、パスのコラボレーションがほとんど即興的にできるようになった。つまりクリエーティブなハートコンタクトができている。トルシェのその後の「活躍」ぶりはご承知の通りだ。サッカー業界だけではない。ソニーのストリンガー氏が嘆くのも、サンヨーの野中氏がぼやくのも、「うちはタテ割り・ムラ社会だからダメなのだ」。それにアスベスト禍を増幅した政府のタテ割行政。★私のこの意見はラジカルな空論だろうか?ニッサンはヨコに張り巡らされたいくつものプロジェクトでJ字躍進中。松下電器の奇跡のV字回復にいたっては、事業部というタテのカベを解体しただけでなく、部や課という衝立(ついたて)もとっぱらってしまった。うっとおしい部長や課長はいない青天となり、うっとおしくないグループマネジャーやチームリーダーが「管理」ではなく「リード」をすることとなったのだ。これはインターネットのクモの巣に近い世界だ。みんなが自己実現できる革命と、ヨコにつながる人間関係の革命がまるでサッカー場のウエーブのように巻き起こったのだった。★「部長」は「部長」でも「本」部長はちゃんといる。書道のブンチンのような形で。本部長は部長や課長でなく、グループマネジャーやチームリーダーでもなく、「一番実務に詳しい人」を呼んで意見を聞きトップダウンする。トップダウンもボトムアップも前よりダイレクトで強烈だ。「一番詳しい人も」100%自由であるだけに100%責任を取らねばならない。これ以上のやりがいはない。社長とヒラがコラボせよ!★しかも、「一番詳しい人」は他の部門の「一番詳しい人」とヨコどうし、部長や課長を通してなく自由自在にコラボできるのだ。会社全体がブンチンスタイルのプロジェクトマネジメントになったといってよい。もちろん物事のプランニングではなくて推進となると、マネジャーやリーダーが以前の課長や部長の役割を果たすことが可能だ。(しかし、コンピュータ・データはなんのためにあるのかを知らねばならない)また、ヨコの連繋のアイデア・連帯意識・エネルギーは、人と人から命令とチェックの世界とは比べものにならないパワーを引き出す。★「課長をやっていました」では転職もできない世の中だ。もう部長や課長は要らない。ブンチン組織とプロジェクト・スタイルでいけ!そのことが、ヤングとサーティを光らせる。しかも50以上の人たちをも輝かせ続けるはずだ。■人気blogランキングへ←お読み下さったらクリックをお願いいたします。■就職・転職・適性・人間関係・自己実現・・・仕事のことなら何でも、この「ガンバ」が共に悩み共に考える次のURLへ気安くどうぞ 働く若者ネット相談事業■生き方・働き方・経営仕方なら/「自由と強制のリーダーシップ」(「ガンバ」こと大西宏著 中経出版 新発売)「松下とホンダ 勝利のDNA 松下幸之助と本田宗一郎」(同著 実業之日本社刊)をどうぞ
2005.10.28
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■バリ島でテロが始まる以前の話である。教え子が二人連れだって私のところに相談に来た。二人とも同じところではないが、一級の製造業につとめて5年経ち職場のチーフ級で仕事は大いにやりがいがあるとの話であった。 「君たちは恵まれている、そこに一生いることができるのではないか」 と僕も喜んだ。ところがである。 「それが、実は辞めたいのでその相談に来たのです。」 と言うのだ。 「ええっ!なんで?」 といった私に話した内容はこうだ。 ■「勤めてもう5年経って、このままで一生勤めたくないし結婚もしたくない。この時期に今しかできない本当にやりたいことをしたいのです。それは何回か旅行して魅せられたバリ島で暮らすことなのなのです」 そして彼らは、バリ島の自然と文化と人々の素晴らしさについて詳しく説明した。 私は「うーん!」とうなったあとに、 「この就職難の今に君たちは一体何を考えているのだ!そんなふわついた甘い考えは捨てなさい!今をだいじにしなさい!」 と半ば怒鳴るように言ったものだ。それから次のようにも言った。 「今を生きる、自分を生きることがだいじだ。仕事だけが人生ではない。今しかできないそのことを実行すべきだ!」 「先生、一体どっちが本当なのですか?」 私は「どっちもだ!」と力強く言ったものの「どっちかわからない」「自分で決めろ!」と言うのが正直なところだった。 ■まさか行かないのでないか、とたかを括っていた私に島民たちに日本語を教える彼らの生き生きとした表情の写真と共にバリ島での近況を書いた絵葉書が送られてきたのはそれからまもなくのことだった。 ■その後1年が経ち、彼らは心配していた再就職をクリアしたのだが、それぞれの職場に問題があってかなり苦労をしたらしい。しかしそのころに会った彼らの表情に後悔はなく明るく爽やかだった。1年前に比べると一回り二回りも大きくなったようだ。そして、さらに1・2回転職した後はやりがいある仕事にありついたようだ。そのうちの一人は結婚をしてさらにその職場で働いている。 ■私は彼らが相談に来たときに言ったたくましい言葉を思い出した。 「私たち、どんな仕事であっても食べていくだけの自信はあります」■注。この話は主旨を違えない程度に実話ではありません。■ 人気blogランキングへ←お読み下さったらクリックをお願いいたします。■僕「ガンバ」の「夢と今・就職と転職・仕事のことなら何でも気軽に相談できる」URLは 働く若者ネット相談事業■生き方働き方経営仕方なら「松下とホンダ 勝利のDNA 松下幸之助と本田宗一郎」(大西宏著 実業之日本社刊)/「自由と強制のリーダーシップ」(同著 中経出版 11月初旬発売)をどうぞ。
2005.10.25
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●僕が左遷されたその時からの、20年来の夢を実現しようと、原稿を手に駆けずり回っていた時のこと。この話しははずかしい話しなのか、誇らしい話しなのか自分にもわからない。○出版社のお断り文句「今は忙しいのでもっと先にしてください。」「もち込み原稿はお断りしています。」「予定が詰まっているので資料だけを送ってください。」「過去に実績がなかったらダメです。」「独自性が見えてこないので難しい。」「ご縁がなかったとご了承下さい。」「興味を持ち何度も真剣に検討しましたが、特定の層以上広げる自信がありません。でもまたお越し下さい」「100万円~200万円出したら自費出版してあげます」○僕の返事から。1.「日本の病」に対処して、「人間の本性」に迫って、「自分の人生」と重ねて、独自性を持ったつもりですが、ご理解を得ず残念でした。もともと貴社とはご縁がなかったのかもしれません。しかし、貴台とのやりとりの中のインセンティブやインスピレーションは財産です」1.「結果について、ご連絡をお待ちしています。もし没の場合は、その理由をお書きくださいますとまことに幸いです」○当時の僕のメモ(僕の心の中を描写すれば)1. 可能性を乏しくなったと思っているようだが、なくなったとは思っていないよう だ。2.蹴飛ばしてくださった出版社に対する感情は、「今に見ろ!」と感じているようだ。そして、「没」にした理由を聞きたくない(感情)をおさえて聞こう(理性)としている。これはぼくのリベンジか?ソロバンか?謙虚か?・・・そのいずれもだろう。3.(自分の原稿は)やっぱりいける、そしてやめるのは、やっぱり怠慢、使命の放棄と思っている。○僕の当時の部屋の張り紙「エンパワーメント革命で人々を解き放ち日本を変革せよ!」[マズローとロジャーズの思想を発展させる。松下幸之助と本田宗一郎の力を借りる。内村鑑三の精神の上に立つ]○上の張り紙を見たりした周りの言葉「あんたまだ続けるつもり?」妻「先生があきらめることは考えられない」「大丈夫ですよ」学生「おおげさだなぁ」「えらいなぁ」「いけるんとちゃう?」息子「もっとほかに楽なおもろいことあるんとちがうか?」友達○夢をとどけた言葉「ご提案のテーマと違うものを逆提案したいのでおじゃましたい」(実業之日本社編集主幹からの電話)「だいぶ前にいただいていた原稿についてまだ他との話がなかったらご相談したい」(中経出版)○想起する言葉「瓦の上に巻いた種でも、いつかは必ず芽が出るというのが私の人生だ」(本田宗一郎)「自分の力ではどうしようもなくても、辛抱しているうちに周囲の情勢が変わってくるとか、外部の共鳴があるとかして成功の道が開けるものである」(松下幸之助)○夢は逃げる生きている間に「1冊でも!」と言うのが20年間抱き続けた私の夢だったが、今は「6冊は!」というように逃げていく。■ 人気blogランキングへ←お読み下さったらクリックをお願いいたします。■夢、仕事、就職、転職、人間関係、進学、留学のことなら、何でも気軽に僕が「ガンバ」のニックネームで相談に乗るURL働く若者ネット相談事業へどうぞ、秘密厳守、匿名可、無料です。この「ガンバ」がいっしょに悩みいっしょに考えます。■生き方・働き方・経営仕方なら「松下とホンダ 勝利のDNA 松下幸之助と本田宗一郎」(ガンバこと大西宏著 実業之日本社刊)/「自由と強制のリーダーシップ」(同著 中経出版 11月初旬発売)をどうぞ。
2005.10.24
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■上司を解任する法私が研修所にいたころ、これはどうしようもなく、まちがった専制的な経営者のもとで苦しんでいる研修生がいた。話によると得意先に旧型商品を高く売りつけたり、部下を自分の思うとおりにならなければひどく締め付けるというのだ。このような話は現実にそう稀な話ではない。私は言葉につまりながら次のように言ったと思う。「それでも経営者は経営者だ。彼が決めたことは法律違反や反社会的なことは除いて経営内のことなら従わねばならない。彼は君とちがって経営責任を担っているからだ。意見は言うべきだろう。少なくとも、良心は失わず批判精神は持ち続けるべきだ。君が任されている権限の範囲内では君の思いとおりにできるはずだ。あとは忠実にしておればよいがお先棒はかつがない方がよい。責任を取るのは彼なので、彼が君の言うとおりならそのうち自滅すると思うよ」上司を解任するわけにはいかないが、自分に変わって誰かが解任してくれる。■天下は回る何年かあと彼と再会した時、「その後言われたとおりになりました。次の上司には恵まれて、今は上司のポジションでがんばっています」と、当時の苦渋を思い出したの、今がうれしいのか涙を浮かべながら報告してくれた。私はときならぬその涙を見て、有能な社員の、上司の抑圧によるただならぬ苦悩を思って、襟を正さずにはおれなかった。■ゴマをすりすぎてはいけないトヨタの奥田会長、松下の中村社長、キャノンの御手洗社長、武田薬品の武田会長など、今勝ち組企業のトップは、みんな本社経験のない辺境の現場で泥にまみれた要注意の異端者だった。意や今でも異端者のままかもしれない。体制内の優等生はどうしても既成概念にとらわれるし、抵抗勢力に対する野性が欠けるからだ。彼らは体制ににらまれながら、全社のことはいざ知らず自分の管轄下については自分の思うとおりに振る舞い、高い実績によって本社の指をふれさせず、それどころかその実績を持って本社に乗り込んで全社をその通りにした人たちだ。異端者が社長になれば、茶坊主やコピーはどこかへ消えて、異端の社員が息を引き返す。それまでに息の根が止まったのではいけないが、ゴマをすりすぎてはいけない。天下は回るからだ。●人気blogランキングへ←お読み下さったらクリックをお願いいたします。●就職・転職・適性・人間関係・自己実現・・・仕事のことなら何でも、この「ガンバ」が共に悩み共に考える次のURLへ気安くどうぞ 働く若者ネット相談事業●生き方・働き方・経営仕方なら「松下とホンダ 勝利のDNA 松下幸之助と本田宗一郎」(ガンバこと大西宏著 実業之日本社刊)/「自由と強制のリーダーシップ」(同著 中経出版 11月初旬発売)をどうぞ。
2005.10.23
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■ぶれるな! しかしゴリ押しでない 僕のもっとも誇りとする後輩川淵さん(日本サッカー協会会長)はぶれないリーダーだ。それは前(2回前)にブログで書いたように、あのJ-リーグ発足のときのオーナー会議の反対や協会内部の慎重論を押し切った状況を見てもよく分かる。しかしそのとき、プロ化を前提とした前向きの実力メンバーによる検討委員会を発足させてことを進めたことはよく知られている。■任せろ! しかし丸投げしない彼は任せるリーダーだ。ビジョンやポリシーのトップダウンは最高に強烈で絶対ぶれないが後は任せてしまう。しかし、どこかの社長のようにヌーボーを演じてあいまいに任せるのとは違う。彼自身もアイデアを出す。スタッフは負けずにアイデアを出す。彼は5人の俊英を「キャプテン・ヘッドクォーターズ」と呼んで、情報を集めたりポリシーを伝達したりしている。彼らは川淵さんの頭脳でありハートであり手足だ。例えば川淵さんのポリシーを全国55都道府県のサッカー協会に伝達する。しかし、その実行方法は100%各サッカー協会に任される。大体人事権も持たないのに管理しようとしてもムリなのだ。■チエックせよ! しかし刺すわけではないところが不思議なことに、各府県で官民一致のヨコのウェーブが巻き起こり、思いに思いの方法で川淵さんのビジョンがその通りに実行されていく。新潟、埼玉、栃木、山形、佐賀・・・。タテ支配の企業内でも難しいことがなぜ???彼は任しはするがどう見ても「まる投げ」ではない。川淵さんのビジョンと同じ方向を向くやり方のところには思い切った助成や融資やサポートを惜しまないのだ。日本サッカー協会はプロ野球機構とちがって、川淵「社長」のもとに自前のビルを持ち高収益企業体質だからそれができる。実はこれは、刺客を送る様なことではないが、動かないところは全く助成をしないきびしいチェックなのだ。彼のリーダーシップは、あるだけの自由と同じだけの「強制力」を持つものだ。これは彼自身に、面倒見がよく人の話に耳を傾ける暖かい面と、時々これはまた厳しい直言をぶっ飛ばす面が両立しているのと同様だ。 ジーコ氏を信頼しきる、だからジーコもそれに応える。これはおかしいと思ったとき川淵さんはジーコ氏に「なぜそうしたの?」と質問を投げかける。その理由を聞いて川淵さんが納得するか、ジーコが自分に気づくかどちらかのことが必ず起こっている。ジーコ氏は「自分はもとのままだ」と言うだろうが、信念はそのままでも行動はずいぶん変わったと僕は思う。「ジーコは成長したよね」と僕が川淵さんに水を向けた時彼も認めていたようだ。しかしこのことも言えると思う。ジーコ氏ではワールドカップに出れないと判断した時、川淵さんはだれよりも早く迷わず監督解任を実行しただろう。■ビジョンという霊魂J-リーグは45年前、ドイツ・デュイスブルグで、一人の日本人サッカー選手の胸に生命を宿らせた。川淵さんはドイツのこの小都市のスポーツ施設の豪壮さにすっかり心を奪われた、9面もあるサッカー場、レストラン、映画館、宿泊施設、サッカー以外のスポーツ施設も整っていた。中でもかれの眼に焼きついたのは緑の自然芝だった。この光景が彼のビジョンとなった。川渕さんが今数えているのは、J-リーグの観客数や日本チームの勝ち点だけでない。芝生のグランドを持つ学校の数だ。リーダーは(リーダーだけではないが)自分の頭脳もハートもボディも動かす霊魂と言ってよいほどのビジョンを持たねばならない。そして持つだけではいけない。●人気blogランキングへ←お読み下さったあとにクリックをお願いいたします。●働く若者ネット相談事業就職・転職・適性・人間関係・自己実現・・・仕事のことなら何でも、この「ガンバ」が共に悩み共に考える次のURLへ気安くどうぞ。● 生き方・働き方・経営仕方なら「松下とホンダ 勝利のDNA 松下幸之助と本田宗一郎」(ガンバこと大西宏著 実業之日本社刊)/「自由と強制のリーダーシップ」 ぶれるな!任せろ!チェックしろ!(同著 中経出版 11月初旬発売)をどうぞ。
2005.10.22
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■なにかで、日本一になりたい。そうでなくても、県下一になりたい。そうでなくても街一番になりたい。そう思って生きてきたがこの歳になってそうなっていないのでもうムリだ。もう見込みはない。そのように考えていたら、都合のよいアイデアがみつかった。■そうだ!「ガンバ」と言う人間は世界でたった1人だったんだ。しかし、だからといって世界一か?こう考えるのはかなりしんどい。存在するだけでは、オンリーワンであるだけで、一番とはいえない。それだけではあまりほかの人と変わらないからだ。「ガンバ」がせいいっぱい「ガンバ」の個性を引き出して発揮して、他のだれよりも、「ガンバ」らしく自分らしくあるとき、はじめて僕は、「ガンバ」らしさ自分らしさで世界一であることができる。世界のどこにも「ガンバ」はいないからだ。 ■私が、商店経営の後継者のスクールの責任者のとき、卒業式でこう言ったと思う。「諸君は地域一番店になれ!」しかし、日本一もアメリカ一には叶わないことがある。上には上がある。ならば悔恨をこめて今ならこういうだろう。「諸君は自店らしさという点で他のどの店にも負けない店であれ!地域でいちばん自店らしさを発揮する店であれ!」■お金や、地位や、規模といったもので、一番になることは不可能であってもこのことなら、だれでも本当にその気にさえなれば世界一を実現できる。 オンリーワンであるだけではダメだ。他の人もそのままオンリーワンだから、あまり変わらないからだ。そのオンリーワンがそのほかのだれも真似できないオンリーワンで、しかもまわりを喜ばせるものでなければ、自分も楽しく熱くなれないように人間は創られている。人間だけではなく、商店も企業も。■追。日本シリーズを前にした岡田監督までこう言った「タイガースらしく戦いたい」―そうしたら勝つということか?負けてもあきらめがつくということか?―それはそうはいかないだろう。彼らは普通と違って勝つのが商売なのだから。●人気blogランキングへ←お読みいただいたらクリックをお願いいたします。●就職・転職・適性・人間関係・自己実現・・・仕事のことなら何でも、この「ガンバ」が共に悩み共に考える次のURLへ気安くどうぞ働く若者ネット相談事業●生き方・働き方・経営仕方なら「松下とホンダ 勝利のDNA 松下幸之助と本田宗一郎」(ガンバ著 実業之日本社刊)/「自由と強制のリーダーシップ」(同著 中経出版 11月初旬発売)をどうぞ。
2005.10.21
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夢は追っかけている間は来ないって?■転職回数は少ないが、社内でいろいろな仕事をした。経理、セールス、商品・宣伝・販促の各種企画、研修、ビジネス・スクール経営、セールスマネジャー、中小企業の経営者、スポーツビジネス(ガンバ大阪をスタートさせた)、大学教員、就職部、キャリアカウンセラー・・・。■これをやりたいと思ってやらせてもらった仕事に向いていなくてクビになったり、これだけは絶対イヤと思っていた仕事をやらされて、反ってはまり込んだりした。(今は前よりも、社内で希望を聞いてくれ、聞いてくれなかったら転職がより容易となったりして、このようなことが起こりにくくなったといわれているが現実はどうもそうでもないらしい)■僕は、「仕事は好きだけで選ぶと失敗する場合がある、イヤと思っていた仕事が食わず嫌いの場合もある」ということがよく分かった。そして一見バラバラのいろんな仕事が、全く思いもかけず、しっかりつながってくることに驚いた。これが他力本願の他力と言うものだろう。経営者をしたときには、経理-セールス-企画がつながり、研修の仕事の時には、セールス-企画それにまさかの趣味の読書までつながってきた。スポーツビジネスはセールスマネジャー-経営者という経験に、20数年前の高校のサッカー選手時代の時の経験までトグロのようにまとわりついてきたのである。■大学教員は、左遷されたとき小説創作教室に通って書いたいくつかの文章がかろうじて、研究レポートにみなされた。つまり左遷がなかったらなれなかったのだ。そしてその仕事が、過去に追ったことのあるどの夢よりももっと夢のような「見たことのない夢」の実現だった。今の細々ではあるが執筆活動も、10年間の教員の期間なしには僕にはムリだった。携わっているキャリアカウンセラーも大学で就職の世話をしたからだが、この仕事は、これまでのありとあらゆる経験が溶け合わされている。■ケンタッキー・チキンのヒゲのじいちゃんが自分を振り返っていうには、「わしは何十の転職をしたがいつもそのときの仕事が僕にいちばん向いていた。そしてそのうちのどれ一つを欠いてもぼくの今の仕事にはありつかなかった」僕はけげんに思って、「その時々の仕事が自分に一番向いているのになぜ転職をしたのですか?」と質問したらヒゲのじいちゃんはこう答えた。「どの仕事も好きになるまでやったんだよ。自分に向いていると分かったらもうしなくてもよかったんじゃ。向いているかどうかわからないことをしたかったのよ。」 「なるほど、そのようにして自分の可能性を広げて、一生かかっていちばん向いていることに行きつかれたのですね。それでケンタのチキンがいちばんおいしいのですね」「そうじゃ、よくわかったな!」じいちゃんは、白いヒゲをなでなで褒めてくれた。■今、好きなことがあってそれを夢とすることもよいけれど、夢の追っかけばかりしている間は夢に逃げられる。好きなこともイヤなこともやって、回り道も寄り道もして、自分を探しながら、自分を生かして、今を生きてやっているうちに、それらがビッグバンして夢が向こうの方からやって来るということなんかいな?■人気blogランキングへ ←お読みくださったらクリックしてくださるようお願いいたします。■就職・転職・適性・人間関係・自己実現・・・仕事のことなら何でも、この「ガンバ」が共に悩み共に考える次のURLへ気安くどうぞ http://net.j-cda.org/■生き方、働き方、経営の仕方なら「松下とホンダ」(実業之日本社刊)「自由と強制のリーダーシップ」(中経出版刊/11月初旬新発売)をどうぞ
2005.10.20
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●ぶれない リスクテーキング 創造する破壊不肖な先輩であっても、川淵君が高校サッカー部の後輩であることは僕の大きな誇りだ。12-3年前、日本サッカーリーグのゲームに、各チームを持つ親会社が、顎(メシ)足(バス)付きで動員しても、社員すらサッカー場になかなか来てくれなかった。そんなときに川淵君がJ―リーグの話を持ち出したのである。日本リーグの実行委員の私たちもこの話には疑心暗鬼だった。 そのときの川淵君はいった。「まだ早いと言う人はもうやらない」彼がその時言ったポリシーに次のようなことが含まれていたように思う。1.テレビの放映権はリーグが一括して持つ。2.僕はコミッショナーでなくてプレジデントだ。3.社名は全部外して地域名にする。これには、オーナー会社の猛反対があった。読者のみなさん、分かってくださるでしょう?! プロ野球がいまだにこのうち一つもほとんどできていず、これからもあまりできそうにないことを。その時読売のナベツネさんから「独裁者」と攻撃されたときの川淵君の言葉が新聞に載った。「その言葉そっくりそのままあなたにお返しする」僕が後日川淵君にそのときの心境を聞いたら、「イャー危機だった。のるかそるかだった」決して彼のそのときの表情のようには自信満々ではなかったのだ。しかし彼はぶれない。そしてこれもいえる。そのころ実行委員は、各会社を代表はしていたが、会社だけでなくサッカーを愛する人たちであった。川淵君のポリシーが、少しくらい会社のマイナスになっても日本がよくなると考えることのできる両棲動物たちであって川淵君のあまりにも冒険的で偏ったと思える、しかしきわめて明快なビジョンに心から共感した。もっとも会社の役員たちの風当たりは相当きびしかったけれど。●きわめてウェットきわめてドライ 私心がない プロチームづくりにあたって、僕は彼に監督はだれがよいだろうかと相談に行った。トップなのだからふつう立場上断られても仕方なかったのだが、彼はまるでエージェントのように、5人ほど候補を上げて、一人ひとりの特徴を親切に説明してくれた。話をしてあげてもよいとも言ってくれた。事実釜本監督はこのようにして実現した。要は面倒見がよいのだ。ところが面倒を見た相手にも、これはまた手厳しい言葉を浴びせることも怠らない。とことん暖かくて同じくらきびしいのだ。自然彼の周りには真剣勝負の堅牢な信頼関係がつくられることになる。或いは彼はその時、弱い関西チームのてこ入れをしようという大局観があったのかもしれない。私心なく全体を考えているから部分の面倒を見ることができるのだろう 彼の本性はウェットと思う。先日小学校時代に薫陶を受けた児童教育家の吉岡たすく氏のお葬式に出て弔辞を述べたがあふれるでる涙に、中身が聞き取れなかったとしてあるスポーツ誌がその全文を掲載をしていた。(続く)■人気blogランキングへ←ご覧になったらここをクリックしてください。■就職・転職・適性・人間関係・自己実現・・・仕事のことなら何でも、この「ガンバ」が共に悩み共に考える次のURLへ気安くどうぞ。働く若者ネット相談事業
2005.10.19
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私が大学にいたころ、授業が終わると必ず黒板の文字を消してくれる学生がいた。本人にとっては当たり前のことをしているに過ぎないのだが、「そのような学生は、100人に1人もいない」というと、びっくりする。 「たとえ別に何かとんがった個性・能力がなくても、そのことだけでも、君は社会でかけがいのない人物になるだろう」 私はほんとうにそう思ったからそう言うと、彼女の目はその時いきいきしだしたように思う。 その私の動機づけとの因果関係はないと思うが、彼女はある優良中小企業の社長秘書兼総務部の「かけがいのない」人物として株主総会までとり仕切っている。 たしかに資格や専門能力は価値を持つことは多い。しかし、私なども長く会社にいたが、他社に移ってもすぐ生かせるような専門性はなかった。他社から引っ張られることもなかった。しかしその時々、所々で「おってもおらなくても同じ」あるいは「おらない方がよい」という存在ではなかったように思う。 終身雇用システムが崩れたなどといわれるが、会社を転々と変えるスペシァリストやパートタイマー、アルバイトで経営が成り立つはずがない、依然として企業を支える人材の主流は、会社にロイヤルティをもって働き、これまでの経緯を知り、周りとの信頼関係を持つ人たちだ。そのスペシヤリティは、上記の彼女のように「サービスマインド」「信頼性」「責任感」「思いやり」「言行一致」「フォザチーム」「誠実」というものだろう。これらはスクールへ行かなくても、国家資格を取らなくてもその気にさえなるならすぐ手に入るものだ。 それにその会社でしか通用しなくても、何がしかの得な強みを持つことはあってよい。今、日本の企業を支える大多数は、依然として上記の女性社員のような、そのような人々でないか。ひところ吹きすさんだリストラの嵐の中で、そのような人々が辞めさせられたという話はあまり聞かないのである。■夢、仕事、就職、転職、人間関係、進学、留学のことなら、何でも気軽に僕が「ガンバ」のニックネームで相談に乗るURL働く若者ネット相談事業へどうぞ、秘密厳守、匿名可、無料です。いっしょに悩みいっしょに考えます。■人気blogランキングへ(←どのような話に興味を持ってくださるのか知るために、読まれた方はお手数ながらここをクリックしてください)
2005.10.18
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僕が左遷されたその時からの、20年来の夢を実現しようと、原稿を手に駆けずり回っていた時のこと。この話しははずかしい話しなのか、誇らしい話しなのか自分にもわからない。○出版社のお断り文句から「今は忙しいのでもっと先にしてください。」「もち込み原稿はお断りしています。」「予定が詰まっているので資料だけを送ってください。」「過去に実績がなかったらダメです。」「独自性が見えてこないので難しい。」「ご縁がなかったとご了承下さい。」「興味を持ち何度も真剣に検討しましたが、特定の層以上広げる自信がありません。でもまたお越し下さい」「100万円~200万円出したら自費出版してあげます」○僕の返事から。1.「日本の病」に対処して、「人間の本性」に迫って、「自分の人生」と重ねて、独自性を持ったつもりですが、ご理解を得ず残念でした。もともと貴社とはご縁がなかったのかもしれません。しかし、貴台とのやりとりの中のインセンティブやインスピレーションは財産です」1.「結果について、ご連絡をお待ちしています。もし没の場合は、その理由をお書きくださいますとまことに幸いです」○当時の僕のメモから(僕の心の中を描写すれば)1.可能性を乏しくなったと思っているようだが、なくなったとは思っていないよう だ。2.蹴飛ばしてくださった出版社に対する感情は、「今に見ろ!」と感じているようだ。そして、「没」にした理由を聞きたくない(感情)をおさえて聞こうとしている(理性)。これはぼくのリベンジか?ソロバンか?謙虚か?・・・そのいずれもだろう。3.(自分の原稿は)やっぱりいける、そしてやめるのは、やっぱり怠慢、使命の放棄と思っている。○僕の当時の部屋の張り紙から「エンパワーメント革命で人々を解き放ち日本を変革せよ!」[マズローとロジャーズの思想を発展させる。松下幸之助と本田宗一郎の力を借りる。内村鑑三の精神の上に立つ]○上の張り紙を見たりした周りの言葉から「あんたまだ続けるつもり?」妻「先生があきらめることは考えられない」「大丈夫ですよ」学生「おおげさだなぁ」「えらいなぁ」「いけるんとちゃう?」息子「もっとほかに楽なおもろいことあるんとちがうか?」友達○夢をとどけた言葉から「ご提案のテーマと違うものを逆提案したいのでおじゃましたい」(実業之日本社編集主幹からの電話)「だいぶ前にいただいていた原稿についてまだ他との話がなかったらご相談したい」(中経出版)○想起する言葉から「瓦の上に蒔いた種でも、いつかは必ず芽が出るというのが私の人生だ」(本田宗一郎/自力救済)「自分の力ではどうしようもなくても、辛抱しているうちに周囲の情勢が変わってくるとか、外部の共鳴があるとかして成功の道が開けるものである」(松下幸之助/他力本願)○夢は逃げる生きている間!に「1冊でも!」と言うのが20年間抱き続けた私の夢だったが、今は「6冊は!」というように逃げていく。しかし、これは地位やカネ、麻薬について満たすと強くなる飢餓感や欲求不満とは違う。■夢、仕事、就職、転職、人間関係、進学、留学のことなら、何でも気軽に僕が「ガンバ」のニックネームで相談に乗るURL働く若者ネット相談事業へどうぞ、秘密厳守、匿名可、無料です。いっしょに悩みいっしょに考えます。人気blogランキングへ
2005.10.16
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1.好きなチーム、好きな選手をもち集中的に記事を読みまくり、まわりに宣言し解説すること。プレイ以外、人間性、ゴシップもふくめて。 僕は大黒の走り方とあの顔にジンジンくる。彼の得点ごとに涙!がにじむ。宮本のリーダーシップもおもしろい。あのPK戦のコート変更!(中学生時代メシに招きぼくの前で緊張してろくろく箸を動かさなかった相手なのに!) ジーコのリーダーシップなんて、大矛盾をはらむ大傑作です。2.ゲームでの1人の選手のクリエーティビティ(意外なプレイ)とそれに反応する他の選手のプレイとのつながりそしてチーム全体の動き・・・つまり点も線も面も見る 。そしてロックバンドの一人の創造的な即興演奏からの全体リズムの変化のような気分を味わう。3.メンタル面に興味を持つこと。ジダンが復帰してからフランスチームの精神性が変わった。勝たないチームは勝たない。前々回のWカップ優勝監督のジャケがその要因を聞かれて「勝つためには勝たねばならなかった 」4.彼らに心身の格闘から元気を自分に注入する。5.サッカー選手かOB或いはサッカー狂の恋人を持つこと。しかしJリーグの選手はやめた方がよい。それでは自分もプロとなってしまって、楽(たの)苦しくなる からね。僕がフロントとしてプレイはせずに負け続けたあの(るくるしさを忘れられない。人気blogランキングへ
2005.10.15
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バリ島でテロが始まる以前の話である。教え子が二人連れだって私のところに相談に来た。二人とも同じところではないが、一級の製造業につとめて5年経ち職場のチーフ級で仕事は大いにやりがいがあるとの話であった。 「君たちは恵まれている、そこに一生いることができるのではないか」 と僕も喜んだ。ところがである。 「それが、実は辞めたいのでその相談に来たのです。」 と言うのだ。 「ええっ!なんで?」 といった私に話した内容はこうだ。 「勤めてもう5年経って、このままで一生勤めたくないし結婚もしたくない。この時期に今しかできない本当にやりたいことをしたいのです。それは何回か旅行して魅せられたバリ島で暮らすことなのなのです」 そして彼らは、バリ島の自然と文化と人々の素晴らしさについて詳しく説明した。 私は「うーん!」とうなったあとに、 「この就職難の今に君たちは一体何を考えているのだ!そんなふわついた甘い考えは捨てなさい!今をだいじにしなさい!」 と半ば怒鳴るように言ったものだ。それから次のようにも言った。 「今を生きる、自分を生きることがだいじだ。仕事だけが人生ではない。今しかできないそのことを実行すべきだ!」 「先生、一体どっちが本当なのですか?」 私は「どっちもだ!」と力強く言ったものの「どっちかわからない」「自分で決めろ!」と言うのが正直なところだった。 まさか行かないのでないか、とたかを括っていた私に島民たちに日本語を教える彼らの生き生きとした表情の写真と共にバリ島での近況を書いた絵葉書が送られてきたのはそれからまもなくのことだった。 その後1年が経ち、彼らは心配していた再就職をクリアしたのだが、それぞれの職場に問題があってかなり苦労をしたらしい。しかしそのころに会った彼らの表情に後悔はなく明るく爽やかだった。1年前に比べると一回り二回りも大きくなったようだ。そして、さらに1・2回転職した後はやりがいある仕事にありついたようだ。そのうちの一人は結婚をしてさらにその職場で働いている。 私は彼らが相談に来たときに言ったたくましい言葉を思い出した。 「私たち、どんな仕事であっても食べていくだけの自信はあります」(この話は主旨を違えない程度に実話ではありません) ■キャリアカウンセラーの僕「ガンバ大西」の「夢と今・就職と転職・仕事のことなら何でも気軽に相談できる」URLは、働く若者ネット相談事業働く若者ネット相談事業 現役学生も歓迎! 留学中の方ももちろんもウェルカム! 人気blogランキングへ
2005.10.11
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彼は、全学連と大学の紛争のとき学生部の教官として母校の東大にいた。彼は、大学側に所属して学生の矢おもてに立ちながら、学生の現実世界を攻撃する心情に深く共感して板ばさみに悩んだ。今学生運動は低調だが、子供の不登校、いじめ、若者のニート・フリーターは形を変えた若い世代のいっそう大規模な現実への攻撃ととれないでもない。 その彼は戦争中陸軍将校として大陸にいた。そして軍務の合間を見て中国人の子供たちに専門の理科を本格的に教えたというのである。日本軍の侵略や暴行があったその当時にである。 日本が敗れたとき、多くの日本人が多くの中国人に襲われた。西村さんのところにも大勢の中国人が押しかけた。同時に西村さんの部隊に自決命令が出た。ところが押しかけた中国人たちは西村さんと奥さん(将校だからか単身赴任でなかったらしい)を守ってかくまったという。奥さんは恐怖からか安心からかそのとき産気付き、長男を自力で引き出したという。 この話しを聞いて思う。1.神様が実在して正しい人を守るということはやっぱりある 2.正しいことをする人を人が助けるように、神様があらかじめそのように計画を立て、人や世の中を創っており、その計画通り世の中を動かしている。いずれにせよこれは偶然ではない。 西村さんは、帰国したあと高校の先生として少年たちの夢を育み、障害者施設で障害者の方たちの強い味方になった。 その西村さんが亡くなった。人のために働く教え子、障害者のために戦う障害者が来て涙ながらに弔辞を述べた。西村さんは生涯をとおして内村鑑三や矢内原忠雄を尊敬した教会を持たないクリスチャンだった。最近NHKで放映された[心の時代]のタイトルは「師の言葉を胸に」であった。 せっかく西村さんとの出会いを得た私が、なぜもっと話を聞いておかなかったかと残念に思う。 人気blogランキングへ
2005.09.29
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■あなたのスタンフォードでのスピーチは、インターネットで全世界を駆け巡り若者たちを渦に巻き込んでいます。日本でもその辺のちょっと気のきいた若者ならどこからかこの全文を手に入れています。私も心を震わせた一人です。ところが疑問もあります。ジョブスさんぜひ教えてください。■1つ目 あなたは「自分の人生なのだから、他人やドグマを生きてはならない」といわれました。このことは若者ならだれでも意識にあることですが、正真正銘、修羅場をくぐってそのような生き方をされたあなたに言われると、あらためて魂に迫るものがありました。しかし、好きなことはだれでもします。自分の好きなことだけでなく、他人のために生きる人生もあっていいのではないでしょうか。いやなくてならないのではないでしょうか。私の友人がバブルの時に土地を売ったために、お金を稼ぐ必要がなくなり、好きなゴルフ三昧にふけったのはいいのですが、生きるはりあいをなくし仕事をしていたころに比べると顔から全く生気がなくなり健康まで害してしまいました。人間は周りの存在価値なしに自分の「好きなこと」だけをして、他者を生きずに自分を生きるだけでは生きにくいようです。もちろんあなたやアップルが好きなことだけをやるエゴイズムで成長はできなかったはずです。iPodも社員が好きな仕事をやりながらも、同じくらい顧客を喜ばせたい気持ちもいっぱいなければきっとビッグヒットにならなかったでしょう。さらに、さらに、人の嫌がることをして他者のために生きる生きる方はどうなのでしょうか。病院の看護士さんが、自分が選んでこの職業についたとしても、平生看護を好きでやっているという言い方はずれているように思うのです。患者のため人のため、といった方がより近いと思われませんか?そのような生き方についてどのようにお考えなのでしょうか?■2つ目 ジョブズさん、あなたはまさしくアメリカンドリームを手にしました。しかもその時々の「今」と「自分」を生きながら。とても訴えておられるようなFOOLISHな方とは思えません。しかし、あなたが自分が創られたアップルを追い出されたのは、結果ばかりを追う損得計算についてFOOLISHで自分を生きることにCLEVERだったと思います。・・・そのような解釈でよろしいでしょうか?HUNGRYという点では、常に現状に満足せず夢を追ってやまないあなたの姿がコンピュ-タメーカーをして電機メーカーを超えるiPodを出させました。しかし、あなたは、地位・財産・名声を極めておられます。もしかすると頂上に立って、あと目指す上がない空虚さを味わっておられませんか。もし味わっておられないとしたら目指しておられるものは何でしょうか。「自己実現」ですか。でもその自己実現もお金や名声などの報酬が伴ってこそすごいパワーになるのではないでしょうか。あなたが手にしておられるものは、ほとんどの少年・少女たちの「メジャーリーガーになりたい」「歌手になりたい]という夢が数万倍の確率でしか実らないものと同じです。人の嫌がる仕事であってもせいいっぱい工夫してうちこんで自分の中の興味とアイデアを最大限にひきだし、眼の前のただ一人のお客さんを喜ばせ、周りにとってかけがいのない人物がいたとき、あなたの人生とどのように比較されるのでしょうか。これは、明らかにアメリカンドリームとは違います。しかし、今回のハリケーンで車がなくて逃げ遅れた人の中にそのような人がいなかったでしょうか。いや、それでも生きがいをもってはたらく大多数の人々がそのようにあなたと対極的な人々なのです。ジョブズさん、多少批判も混じった質問をさせていただきましたが、そのことによってあなたのあのメッセージによる感動が減衰することはありませんでした。●適性・適職・就職・転職・自己実現・人間関係・・・ありとあらゆる「仕事」のご相談は、私「ガンバ」が相談ルームを持つURL働く若者ネット相談事業へどうぞ!(無料・秘密厳守・ケータイ可)●生き方・働き方・経営仕方なら新刊大西宏著「松下とホンダ」(実業之日本社)をどうぞ!人気blogランキングへ
2005.09.25
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PART 5 ABOUT DEATH 3つ目は、死に関するお話です。 私は17の時、こんなような言葉をどこかで読みました。確かこうで す。「来る日も来る日もこれが人生最後の日と思って生きるとしよう。 そうすればいずれ必ず、間違いなくその通りになる日がくるだろう」。 それは私にとって強烈な印象を与える言葉でした。そしてそれから現 在に至るまで33年間、私は毎朝鏡を見て自分にこう問い掛けるのを日 課としてきました。「もし今日が自分の人生最後の日だとしたら、今 日やる予定のことを私は本当にやりたいだろうか?」。それに対する 答えが“NO”の日が幾日も続くと、そろそろ何かを変える必要がある なと、そう悟るわけです。 自分が死と隣り合わせにあることを忘れずに思うこと。これは私が これまで人生を左右する重大な選択を迫られた時には常に、決断を下 す最も大きな手掛かりとなってくれました。何故なら、ありとあらゆ る物事はほとんど全て…外部からの期待の全て、己のプライドの全て、 屈辱や挫折に対する恐怖の全て…こういったものは我々が死んだ瞬間 に全て、きれいサッパリ消え去っていく以外ないものだからです。そ して後に残されるのは本当に大事なことだけ。自分もいつかは死ぬ。 そのことを思い起こせば自分が何か失ってしまうんじゃないかという 思考の落とし穴は回避できるし、これは私の知る限り最善の防御策で す。 君たちはもう素っ裸なんです。自分の心の赴くまま生きてならない 理由など、何一つない。 ◆◇◆ PART 6 DIAGNOSED WITH CANCER 今から1年ほど前、私は癌と診断されました。 朝の7時半にスキャン を受けたところ、私のすい臓にクッキリと腫瘍が映っていたんですね。 私はその時まで、すい臓が何かも知らなかった。 医師たちは私に言いました。これは治療不能な癌の種別である、ほ ぼ断定していいと。生きて3ヶ月から6ヶ月、それ以上の寿命は望めな いだろう、と。主治医は家に帰って仕事を片付けるよう、私に助言し ました。これは医師の世界では「死に支度をしろ」という意味のコー ド(符牒)です。 それはつまり、子どもたちに今後10年の間に言っておきたいことが あるのなら思いつく限り全て、なんとか今のうちに伝えておけ、とい うことです。たった数ヶ月でね。それはつまり自分の家族がなるべく 楽な気持ちで対処できるよう万事しっかりケリをつけろ、ということ です。それはつまり、さよならを告げる、ということです。 私はその診断結果を丸1日抱えて過ごしました。そしてその日の夕方 遅く、バイオプシー(生検)を受け、喉から内視鏡を突っ込んで中を 診てもらったんですね。内視鏡は胃を通って腸内に入り、そこから医 師たちはすい臓に針で穴を開け腫瘍の細胞を幾つか採取しました。私 は鎮静剤を服用していたのでよく分からなかったんですが、その場に 立ち会った妻から後で聞いた話によると、顕微鏡を覗いた医師が私の 細胞を見た途端、急に泣き出したんだそうです。何故ならそれは、す い臓癌としては極めて稀な形状の腫瘍で、手術で直せる、そう分かっ たからなんです。こうして私は手術を受け、ありがたいことに今も元 気です。 これは私がこれまで生きてきた中で最も、死に際に近づいた経験と いうことになります。この先何十年かは、これ以上近い経験はないも のと願いたいですけどね。 以前の私にとって死は、意識すると役に立つことは立つんだけど純 粋に頭の中の概念に過ぎませんでした。でも、あれを経験した今だか ら前より多少は確信を持って君たちに言えることなんだが、誰も死に たい人なんていないんだよね。天国に行きたいと願う人ですら、まさ かそこに行くために死にたいとは思わない。にも関わらず死は我々み んなが共有する終着点なんだ。かつてそこから逃れられた人は誰一人 としていない。そしてそれは、そうあるべきことだから、そういうこ とになっているんですよ。何故と言うなら、死はおそらく生が生んだ 唯一無比の、最高の発明品だからです。それは生のチェンジエージェ ント、要するに古きものを一掃して新しきものに道筋を作っていく働 きのあるものなんです。今この瞬間、新しきものと言ったらそれは他 ならぬ君たちのことだ。しかしいつか遠くない将来、その君たちもだ んだん古きものになっていって一掃される日が来る。とてもドラマチ ックな言い草で済まんけど、でもそれが紛れもない真実なんです。 君たちの時間は限られている。だから自分以外の他の誰かの人生を 生きて無駄にする暇なんかない。ドグマという罠に、絡め取られては いけない。それは他の人たちの考え方が生んだ結果とともに生きてい くということだからね。その他大勢の意見の雑音に自分の内なる声、 心、直感を掻き消されないことです。自分の内なる声、心、直感とい うのは、どうしたわけか君が本当になりたいことが何か、もうとっく の昔に知っているんだ。だからそれ以外のことは全て、二の次でいい。 ◆◇◆ PART 7 STAY HUNGRY, STAY FOOLISH 私が若い頃、"The Whole Earth Catalogue(全地球カタログ)"とい うとんでもない出版物があって、同世代の間ではバイブルの一つにな っていました。 それはスチュアート・ブランドという男がここからそう遠くないメ ンローパークで製作したもので、彼の詩的なタッチが誌面を実に生き 生きしたものに仕上げていました。時代は60年代後半。パソコンやデ スクトップ印刷がまだ普及する前の話ですから、媒体は全てタイプラ イターとはさみ、ポラロイドカメラで作っていた。だけど、それはま るでグーグルが出る35年前の時代に遡って出されたグーグルのペーパ ーバック版とも言うべきもので、理想に輝き、使えるツールと偉大な 概念がそれこそページの端から溢れ返っている、そんな印刷物でした。 スチュアートと彼のチームはこの”The Whole Earth Catalogue”の 発行を何度か重ね、コースを一通り走り切ってしまうと最終号を出し た。それが70年代半ば。私はちょうど今の君たちと同じ年頃でした。 最終号の背表紙には、まだ朝早い田舎道の写真が1枚ありました。君 が冒険の好きなタイプならヒッチハイクの途上で一度は出会う、そん な田舎道の写真です。写真の下にはこんな言葉が書かれていました。 「Stay hungry, stay foolish.(ハングリーであれ。馬鹿であれ)」。 それが断筆する彼らが最後に残した、お別れのメッセージでした。 「Stay hungry, stay foolish.」 それからというもの私は常に自分 自身そうありたいと願い続けてきた。そして今、卒業して新たな人生 に踏み出す君たちに、それを願って止みません。 Stay hungry, stay foolish. ご清聴ありがとうございました。 人気blogランキングへ
2005.09.23
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●マックのアップルの創業者CEOのジョブズの卒業祝賀スピーチ 2005年6月12日 スタンフォード大学●大前研一のメルマガ「ニュースの視点」 →「やまみ」さんのmixiのHP→このブログ●次回のこのブログに「ガンバ」のジョブズへの公開質問状を載せます。 PART 1 BIRTH ありがとう。世界有数の最高学府を卒業される皆さんと、本日こう して晴れの門出に同席でき大変光栄です。実を言うと私は大学を出た ことがないので、これが今までで最も大学卒業に近い経験ということ になります。 本日は皆さんに私自身の人生から得たストーリーを3つ紹介します。 それだけです。どうってことないですよね、たった3つです。最初の 話は、点と点を繋ぐというお話です。 私はリード大学を半年で退学しました。が、本当にやめてしまうま で18ヶ月かそこらはまだ大学に居残って授業を聴講していました。じ ゃあ、なぜ辞めたんだ?ということになるんですけども、それは私が 生まれる前の話に遡ります。 私の生みの母親は若い未婚の院生で、私のことは生まれたらすぐ養 子に出すと決めていました。育ての親は大卒でなくては、そう彼女は 固く思い定めていたので、ある弁護士の夫婦が出産と同時に私を養子 として引き取ることで手筈はすべて整っていたんですね。ところがい ざ私がポンと出てしまうと最後のギリギリの土壇場になってやっぱり 女の子が欲しいということになってしまった。で、養子縁組待ちのリ ストに名前が載っていた今の両親のところに夜も遅い時間に電話が行 ったんです。「予定外の男の赤ちゃんが生まれてしまったんですけど、 欲しいですか?」。彼らは「もちろん」と答えました。 しかし、これは生みの母親も後で知ったことなんですが、二人のう ち母親の方は大学なんか一度だって出ていないし父親に至っては高校 もロクに出ていないわけです。そうと知った生みの母親は養子縁組の 最終書類にサインを拒みました。そうして何ヶ月かが経って今の親が 将来私を大学に行かせると約束したので、さすがの母親も態度を和ら げた、といういきさつがありました。 ◆◇◆ PART 2 COLLEGE DROP-OUT こうして私の人生はスタートしました。やがて17年後、私は本当に 大学に入るわけなんだけど、何も考えずにスタンフォード並みに学費 の高いカレッジを選んでしまったもんだから労働者階級の親の稼ぎは すべて大学の学費に消えていくんですね。そうして6ヶ月も過ぎた頃 には、私はもうそこに何の価値も見出せなくなっていた。自分が人生 で何がやりたいのか私には全く分からなかったし、それを見つける手 助けをどう大学がしてくれるのかも全く分からない。なのに自分はこ こにいて、親が生涯かけて貯めた金を残らず使い果たしている。だか ら退学を決めた。全てのことはうまく行くと信じてね。 そりゃ当時はかなり怖かったですよ。ただ、今こうして振り返って みると、あれは人生最良の決断だったと思えます。だって退学した瞬 間から興味のない必修科目はもう採る必要がないから、そういうのは 止めてしまって、その分もっともっと面白そうなクラスを聴講しにい けるんですからね。 夢物語とは無縁の暮らしでした。寮に自分の持ち部屋がないから夜 は友達の部屋の床に寝泊りさせてもらってたし、コーラの瓶を店に返 すと5セント玉がもらえるんだけど、あれを貯めて食費に充てたりね。 日曜の夜はいつも7マイル(11.2km)歩いて街を抜けると、ハーレクリ シュナ寺院でやっとまともなメシにありつける、これが無茶苦茶旨く てね。 しかし、こうして自分の興味と直感の赴くまま当時身につけたこと の多くは、あとになって値札がつけられないぐらい価値のあるものだ って分かってきたんだね。 ひとつ具体的な話をしてみましょう。 ◆◇◆ PART 3 CONNECTING DOTS リード大学は、当時としてはおそらく国内最高水準のカリグラフィ 教育を提供する大学でした。キャンパスのそれこそ至るところ、ポス ター1枚から戸棚のひとつひとつに貼るラベルの1枚1枚まで美しい手 書きのカリグラフィ(飾り文字)が施されていました。私は退学した身。 もう普通のクラスには出なくていい。そこでとりあえずカリグラフィ のクラスを採って、どうやったらそれができるのか勉強してみること に決めたんです。 セリフをやってサンセリフの書体もやって、あとは活字の組み合わ せに応じて字間を調整する手法を学んだり、素晴らしいフォントを実 現するためには何が必要かを学んだり。それは美しく、歴史があり、 科学では判別できない微妙なアートの要素を持つ世界で、いざ始めて みると私はすっかり夢中になってしまったんですね。 こういったことは、どれも生きていく上で何ら実践の役に立ちそう のないものばかりです。だけど、それから10年経って最初のマッキン トッシュ・コンピュータを設計する段になって、この時の経験が丸ご と私の中に蘇ってきたんですね。で、僕たちはその全てをマックの設 計に組み込んだ。そうして完成したのは、美しいフォント機能を備え た世界初のコンピュータでした。 もし私が大学であのコースひとつ寄り道していなかったら、マック には複数書体も字間調整フォントも入っていなかっただろうし、ウィ ンドウズはマックの単なるパクりに過ぎないので、パソコン全体で見 回してもそうした機能を備えたパソコンは地上に1台として存在しな かったことになります。 もし私がドロップアウト(退学)していなかったら、 あのカリグラフィのクラスにはドロップイン(寄り道)していなかっ た。 そして、パソコンには今あるような素晴らしいフォントが搭載され ていなかった。 もちろん大学にいた頃の私には、まだそんな先々のことまで読んで 点と点を繋げてみることなんてできませんでしたよ。だけど10年後振 り返ってみると、これほどまたハッキリクッキリ見えることもないわ けで、そこなんだよね。もう一度言います。未来に先回りして点と点 を繋げて見ることはできない、君たちにできるのは過去を振り返って 繋げることだけなんだ。だからこそバラバラの点であっても将来それ が何らかのかたちで必ず繋がっていくと信じなくてはならない。自分 の根性、運命、人生、カルマ…何でもいい、とにかく信じること。点 と点が自分の歩んでいく道の途上のどこかで必ずひとつに繋がってい く、そう信じることで君たちは確信を持って己の心の赴くまま生きて いくことができる。結果、人と違う道を行くことになってもそれは同 じ。信じることで全てのことは、間違いなく変わるんです。 ◆◇◆ PART 4 FIRED FROM APPLE 2番目の話は、愛と敗北にまつわるお話です。 私は幸運でした。自分が何をしたいのか、人生の早い段階で見つけ ることができた。実家のガレージでウォズとアップルを始めたのは、 私が二十歳の時でした。がむしゃらに働いて10年後、アップルはガレ ージの我々たった二人の会社から従業員4千人以上の20億ドル企業にな りました。そうして自分たちが出しうる最高の作品、マッキントッシ ュを発表してたった1年後、30回目の誕生日を迎えたその矢先に私は会 社を、クビになったんです。 自分が始めた会社だろ?どうしたらクビになるんだ?と思われるか もしれませんが、要するにこういうことです。アップルが大きくなっ たので私の右腕として会社を動かせる非常に有能な人間を雇った。そ して最初の1年かそこらはうまく行った。けど互いの将来ビジョンに やがて亀裂が生じ始め、最後は物別れに終わってしまった。いざ決裂 する段階になって取締役会議が彼に味方したので、齢30にして会社を 追い出されたと、そういうことです。しかも私が会社を放逐されたこ とは当時大分騒がれたので、世の中の誰もが知っていた。 自分が社会人生命の全てをかけて打ち込んできたものが消えたんで すから、私はもうズタズタでした。数ヶ月はどうしたらいいのか本当 に分からなかった。自分のせいで前の世代から受け継いだ起業家たち の業績が地に落ちた、自分は自分に渡されたバトンを落としてしまっ たんだ、そう感じました。このように最悪のかたちで全てを台無しに してしまったことを詫びようと、デイヴィッド・パッカードとボブ・ ノイスにも会いました。知る人ぞ知る著名な落伍者となったことで一 時はシリコンヴァレーを離れることも考えたほどです。 ところが、そうこうしているうちに少しずつ私の中で何かが見え始 めてきたんです。私はまだ自分のやった仕事が好きでした。アップル でのイザコザはその気持ちをいささかも変えなかった。振られても、 まだ好きなんですね。だからもう一度、一から出直してみることに決 めたんです。 その時は分からなかったのですが、やがてアップルをクビになった ことは自分の人生最良の出来事だったのだ、ということが分かってき ました。成功者であることの重み、それがビギナーであることの軽さ に代わった。そして、あらゆる物事に対して前ほど自信も持てなくな った代わりに、自由になれたことで私はまた一つ、自分の人生で最も クリエイティブな時代の絶頂期に足を踏み出すことができたんですね。 それに続く5年のうちに私はNeXTという会社を始め、ピクサーとい う会社を作り、素晴らしい女性と恋に落ち、彼女は私の妻になりまし た。 ピクサーはやがてコンピュータ・アニメーションによる世界初の映 画「トイ・ストーリー」を創り、今では世界で最も成功しているアニ メーション・スタジオです。 思いがけない方向に物事が運び、NeXTはアップルが買収し、私はア ップルに復帰。NeXTで開発した技術は現在アップルが進める企業再生 努力の中心にあります。ロレーヌと私は一緒に素晴らしい家庭を築い てきました。 アップルをクビになっていなかったらこうした事は何ひとつ起こら なかった、私にはそう断言できます。そりゃひどい味の薬でしたよ。 でも患者にはそれが必要なんだろうね。人生には時としてレンガで頭 をぶん殴られるようなひどいことも起こるものなのです。だけど、信 念を放り投げちゃいけない。私が挫けずにやってこれたのはただ一つ、 自分のやっている仕事が好きだという、その気持ちがあったからです。 皆さんも自分がやって好きなことを見つけなきゃいけない。それは仕 事も恋愛も根本は同じで、君たちもこれから仕事が人生の大きなパー トを占めていくだろうけど自分が本当に心の底から満足を得たいなら 進む道はただ一つ、自分が素晴しいと信じる仕事をやる、それしかな い。そして素晴らしい仕事をしたいと思うなら進むべき道はただ一つ、 好きなことを仕事にすることなんですね。まだ見つかってないなら探 し続ければいい。落ち着いてしまっちゃ駄目です。心の問題と一緒で そういうのは見つかるとすぐピンとくるものだし、素晴らしい恋愛と 同じで年を重ねるごとにどんどんどんどん良くなっていく。だから探 し続けること。落ち着いてしまってはいけない。 (続) ◆◇◆ 人気blogランキングへ
2005.09.23
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■リバプールのマッカートニーが創ったロックの専門学校に入って、ロック歌手になることを夢見ていた女子学生がいた。それは本気であった。夢見るだけでなくプロのバンドに所属して、夜に演奏活動で腕を磨いて少々稼いでいた。ミュージックだけでなく、その日に備えるために英会話の勉強に力が入った。■就職活動の時期には、その夢について両親から反対されて、だいぶ揺らいだようであったが、彼女の夢は周りの反対で潰れるようないい加減なものではなかった。■とても演奏活動の稼ぎで飯を食べられない彼女は、親の仕送りがなくなったのを期に、しゃれたワンルームマンションから、木賃アパートに引っ越した。そして昼は毎日のようによりよい条件を求めながらアルバイトに精を出した。そのころ、はじめてやった接客にやりがいを感じていると言うのを聞いた記憶がある。■演奏活動で歌うだけでなく、ベートーベンやドビュィッシー、ガーシュィンの音楽に凝りだして作曲の勉強まで始めた。夢を求めるだけでなく今をだいじに生きていた。■それから数年・・・mixiで再会した彼女は出身地の特産品の輸出入で地域貢献している商社にいた。とても「やりがいがある」というのだ。夢を実現していないのに・・・。僕は思わず聞いた。■「音楽は捨てたのか?」■ 「いいえ、仲間とバンドを作り演奏活動をしています。いちばん楽しいのは、ポピュラーをロックにアレンジすることと施設や学校で弾くことです。ものすごく喜んでもらえます。でも私の方がうれしい!」それに「インディーズへの挑戦」■ 武道館で歌うギャラや名声はない。しかしお金や有名が自己実現なのか。それらはむしろ自己実現と対極のものだ。■「商社の貿易実務を究めるつもりです」ともいう。そのことでビジョンを持ちとても熱いのだから、「夢は形を変えた」のか?!それでよいのでないか。子供のころのJリーガーになりたいとかいう夢は殆ど実現しない。でも夢は必ず実現する。ただし形を変えて。それが金や地位の夢でなかったら・・・。■彼女はそれかと思ったのだが「実は転職を考えています。東京でもう一度音楽の道を探りたいのです」■キャリアカウンセラーの僕も一瞬虚を衝かれたように思った。彼女のトグロはまだ根絶えていない。お金や有名がいけないということでもない。彼女の自分探しと自己実現の道はまだ終わりそうにない。人気blogランキングへ
2005.09.20
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■いちばん書きたかったこと・・・それは虚弱で神経質な松下幸之助、勉強嫌いで腕白の本田宗一郎、社長になってからでも本人が自分のことを「頼りなげな男」「町工場のおやじ」というように、「ふつう以下」の男がなぜあのように無限とも思えるような可能性を引き出したのか。幸之助から。■まず自分の力を精一杯引き出した。「夢を追うことによって」「「人を喜ばす志を持つことによって」「成功体験を積み重ねることによって」「どんなつまらないと思うことでもうちこむことによって興味とアイデアが泉のように湧いてきた」■それから人の力をうんと引き入れた。「あるだけの自由と同じくらいの強制によって」「100%任せることと100%責任を取らせることによって」「人に対するふつうでない信頼と愛情が人々の心を感激で震わせた」「心底から世のため人のために働いたので人々の圧倒的な支持が集まった」「人の話しに大きな耳を傾け途中でさえぎるようなことは絶対なかったから衆望と衆知が集まった」■そして天の力も降った。「物事を人一倍マイナスに受け止め、それをテコにしてプラスに変えるから運命が変わる」「専業に徹するという集中と継続を力にしたなど自然の摂理に素直であった。だからツキが来る」「自分以外つまり人の力や天の力の偉大な働きを信じるところがあった。したがって、その他力が必ず訪れた」■詳しくは「松下とホンダ」(実業之日本社刊・1500円)を読んでもっと自分の力を強くし、もっと人の力を引き入れ、もっと天の力を信じよう!■働くことについてどんなことでも、この著者とともに悩み共に考えよう!URL 働く若者ネット相談事業 人気blogランキングへ
2005.09.18
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■JRリーグ発足のとき、Jリーグ参入の条件として確か選手の80%が親会社を退職してプロ契約しなければならないというのがあった。ごく一部の選手を除いてサリーマンとさほど変わらない年収のために、安全な職場を失わせるのは、少しオーバーに言えば特攻隊の志願者を募るよう名心の痛みがあった。■ところが、意外なことにほとんどの選手がわれもわれもとプロを志願したのだ。■下に書くのは、そのうちの一人の選手との対話だ。彼は新婚間もなく、ちょうど赤ちゃんが生まれたところだった。私「君は社員として残った方が自分のためでないか?」彼(憤然として)「なぜですか?!」私「サッカーをやめたときにどうするんや?彼「そこまで考えていません」私「君は怪我が多いし、それでダメになってみろ!社員のままでも試合に出れるのじゃないか」彼「そんなふた股はいやです。お金や安全にこだわると失うものがあります。先のことを考えると今を生きられません」私(息を呑み相手の顔を見て)「・・・・・」私は自分の生き方とくらべて、粛然と襟を正さざるをえなかった。私「君にとってサッカーとは何だろう?」彼「趣味ではなく、仕事でもなく・・・それは・・・自分としか言いようがありません」そしてこうも言った。「宗教には近いかな」これは、時には自分の身もささげるという意味なのか?■それからまもなく、彼は自費で武者修行に出発した。こんな「命知らず」の若者たちの熱い心が、ロックコンサートからギャルを奪って、スタジアムを熱狂の渦に巻き込んだ。■その後彼は20代で引退した。それからもサッカーのビジネスに携わっている。そして、育成する地域のサッカー少年たちからしたわれ、親たちからも尊敬の眼で見られている。彼らは時代をも変えてしまった。■彼の場合は、サッカービジネスの仕事がありついたのだが、フリーター同様の選手たちもあれば、大学院に行ってスポーツ心理学を修めた選手もいる。セールスマンもいてさまざまだ。■しかし、共通していえることは、ほとんどが少年たちのサッカーの指導者でいるということだ。後悔は聞かない。そして、オール・ジャパンは今ワールドカップで上位を狙っている。彼らの夢は実現した。それは地位やカネではなかった。■ 彼らの夢を、宮本や遠藤、ダイコクが引き継いでいる。しかし、彼らも夢の抜け殻とはならず、新しい夢を求めて今を生きることを切に望む。○仕事・転職のあらゆるご相談は次のURLへ働く若者ネット相談事業○生き方、働き方、経営仕方なら「松下とホンダ」(実業之日本社新刊増刷)人気blogランキングへ
2005.09.15
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転職回数は少ないが、社内でいろいろな仕事をした。経理、セールス、商品・宣伝・販促の各種企画、研修、ビジネス・スクール経営、セールスマネジャー、中小企業の経営者、スポーツビジネス、大学教員、就職部、キャリアカウンセラー・・・。 これをやりたいと思ってやらせてもらった仕事に向いていなくてクビになったり、これだけは絶対イヤと思っていた仕事をやらされて、反ってはまり込んだりした。 仕事は好きだけで選ぶと失敗する場合がある、イヤと思っていた仕事が食わず嫌いの場合もあるということが分かった。そして一見バラバラの仕事がしっかりつながってくることに驚いた。経営者をしたときには、経理-セールス-企画がつながり、研修の仕事の時には、セールス-企画それにまさかの趣味の読書までつながってきた。スポーツビジネスはマネジャー-経営者にびっくりの高校のサッカー選手時代の時までまとわりついてきたのである。 大学教員やキャリアカウンセラーとなるともこれまでのありとあらゆる経験が溶け合わされている。ケンタッキーチキンのヒゲのおじいさんが自分を振り返っていうには、「僕は何十の転職をしたがいつもそのときの仕事が僕に一番向いていた。そしてそのうちのどれ一つを欠いてもぼくの今の仕事はない」「その時々の仕事が僕に一番向いているのになぜ転職をしたのですか?」と僕が質問しようとしたら、眼の前にいなかったのだが、そのことを除いていやそのことを含めて分かろうとすればなんとなく分かるように思う。「人生には夢が欠かせない」といっても、好きな仕事も嫌な仕事もやって、自分を生かして、今を生きているうちに、それらがビッグバンして夢が向こうの方からやってくることもあるということなんかいな? キャリアカウンセラーたちがかきのURLで自分の体験や相談時の事例から、いつもこのようなことを考え、皆さんとともに悩みともに語っています。働く若者ネット相談事業人気blogランキングへ
2005.09.13
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■昔、釜本というストライカーがいた。ぼくの戦友だ。彼がよく最盛期のカズと中田と比較される。そして釜本の方がはるかに上といわれる根拠として、「彼がボールを持ったときの相手チームのシフトの偏りがカズや中田とまったく違ったこと」だ。■ある夜、釜本と永島という当時のストライカーと大阪は北新地の3人で飲んだとき、釜本が突然永島に「お前ボールとゴールの見すぎや!」とスポーツの鉄則に反するようなことを言った。「???」■「ボールやゴールはだれでも見てる。相手のディフェンダーだけを見て、裏をかけばそれでいいんだ。それにフェントかければなおいい。それで得点できなければおかしい!お前は見なければボールやゴールの位置が分からないのか?!」「・・・・・」■天才は原理原則を否定して原理原則に回帰する。■ただし釜本の話はこれで終わったが、杉山(釜本とコンビだった名ウィング)からじかに聞いた話がある。「彼がフォーメーションの練習が終わってからのパス受け相手を一本釣りで呼び出しせんぱいであろうがだれであろうがしごきにしごいた。薄暮の中自分が思うところにボールがくるまでパスだしをやらせた。怒鳴りながら強い要求をして、ハート・コンタクト(アイ・コンタクトにあらず)するまで・・・」■天才の努力は並でない。天才は人の力を取り込む。■永島が神戸ユニバースタジアム(当時)でハットトリックしたのはそのやり方だった。大黒の点取りもその血を引いている。(このDNAを植えつけたのは釜本のヤンマー(現セレッソ)時代からの弟子、ガンバの現指導部長の上野山くんにちがいない!■予告!釜本がドリブルで相手にボールを渡さなかった秘密、20年間に1度のイエローカードがなかった!神話、天才は心を統御する・・・。働く若者ネット相談事業人気blogランキングへ
2005.09.11
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懐かしい外大OB・OGの皆さんと全ての(心の)若者のみなさん!お元気ですか?11年間外大で総合科目・経営学と就職を担当した大西宏です。「夢を求めて、今を生きる!」ことをうったえました。■ぼくもそんなことを言った以上、何回目かの人生と何人かの自分を生きています。そのうちの1人が「キャリア・カウンセラー」です。仕事上の悩みや迷いは向上への兆し・きっかけです。適性・就職・転職・起業・労働条件・人間関係・自己実現・夢探し・自分探し・自分のヤル気その他仕事に関することなら小さいことでも何でも結構です。■あのころ、じゅうぶん話せなかったのが残念だし、むろんぼくの授業を取らなかった人も外大にいなかった人も大々歓迎です。■ぜひぼくが下記Webに相談ルームを持つ働く若者ネット相談事業 以上にアクセスして、ぼくとe-mailで話しませんか?「働く若者ネット相談事業」のキーワード・アクセスでもオーケーです。もちろん無料、名前もニックネームでオーケーだし、完全に秘密を守り、最大7回までやりとりができます。外大卒業を名乗っても名乗らなくてもよろしいよ。■もう一人のぼくは、執筆業です。1冊目は「松下とホンダ」(実業の日本社)です。 「松下とホンダ」「体の弱かった幸之助と勉強大嫌いだった宗一郎」を通じて、生き方、働きかた、ビジネスについて思いっきり歌い語りした僕のアルバムです。もし、出版社とオンラインで結ばれている紀伊国屋書店さん(ネット可)で求めて下さればチョ-うれしいです。読んだら感想レポートをメールして下さったらもぉっとうれしい。絶対損はさせません。■それでは、いつでもどこでも「夢を求めて、今を生きよう!」ね。大西宏より。人気blogランキングへ
2005.09.09
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■きのうmixiの僕が属するコミュニティ(関西外大)で、ぼくがいつも熱意を持っているように見えるかのようらしくてそのコツを聞かれた。僕が熱い心を持っているのかどうか別としてその問いには答えなければならない。前に若い女の子から、僕の「背中にオーラを見てびっくりした」などと怖いことを言われて今はいっさい言われないので、自己チェックのためにも書いてみた。1.いつも夢を求めて(追って、探して)いる。2.その夢がなにがしかでも人の役に立つことを願って自分の中で志とする。3.正直、地位や金、有名もほしいが、自分を生き人のためになる夢、志だから、それなら必ず実現すると信じることができている。「4.それとは関係なく今を生きる。5.行動と感情に相互作用(大きな声で話すと元気が出る、「君が好き」というと好きになる、というような)を固く信じて実行している。6.嫉妬心、負け惜しみなどの邪心、挫折などもエネルギーにする。7.仕事に対する評価と報酬をえたい。得てから放出するとしても。8.メシに金と時を惜しまず、早寝早起き、一日一万歩でいつでも熱くなれるような体のコンデションづくりに熱心。9.これというチャンスやピンチのときは自分の少年時代(コーナーキックはオレひとりではね返せた)や今のガンバの選手(今は大黒だあ!)のプレイをイメージする。僕の本(松下とホンダ-実業之日本社)の発売日に東京―大阪を1往復半して東京・大阪の主な全書店を1日20店ほど回ったのは、サッカーの試合で「リベロ」をしている気持ちになりきっていた。終わり人気blogランキングへ
2005.09.08
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松下とホンダ■ 今日は著作の第2作を書き終わって「はしがき」を書こうとした。はしがきというのは、少しも創造的でないからか全く気が乗らない。こんな調子で書けるのかな、という心配までし始めたほどだ。■ 今日は同時に初めて第3作のある部分を書き始めた。これがきわめてあついカベにぶつかり、今からこのざまで一体この第3作を書くことができるのか、とちょっぴり絶望的になった。■ そこで思い出した言葉・・・「どんなつまらないと思うことでも、打ち込めば興味とアイデアが泉のように湧いてくる」(松下幸之助)、「瓦にまいた種でもいつかは必ず芽が出ると思えるのが私の人生であった」(本田宗一郎)■ 「そうだ!彼らもつまらない仕事やできそうにないことに難渋してそれをブレークスルーしたのだ。このオレも今までにそんなことが起こったでないか、もう忘れたか!」私は自分にそんな言葉を投げかけて、近くのカフェに行って520円(アップルパイつきにつき)払ってその元を取るためにもがんばったら、突破口くらいは開けたのである。「<終>」人気blogランキングへ
2005.09.05
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( 重要 )申し遅れましたが、このブログのコンセプトです! ■真の自己実現 「夢を求めて今を生きる」ために「真の自己実現」と「新しい人間関係」を探ります。新刊書を発行しながら、そこで書いたこと、書かなかったことを皆様の知恵を借りながら練り上げながら、オープンにしていきたいと思います。1冊目は「松下とホンダ」(実業之日本社)で人間と集団、生きかた働き方を語っています。2冊目はリーダーシップ、3冊目はマーケティングを予定しています。 ■キャリアカウンセリング そして、プロのキャリア・カウンセラーとしての思いを述べながら、皆さんの相談にも乗り私も学んで生きたいと思います。ただし個々のご相談は次のカウンセラールームにて大歓迎です。親密に真剣にごいっしょに考えます。http://net.j-cda.org/pc/index.html人気blogランキングへ
2005.09.04
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二生両身。読者に関西外大出身者がいたら特に眼に留めてください!そうでない方もぜひ!○ 僕は、これで何回目かの人生を送っています。外大の教師の次の人生は、ビジネス作家です。これは、講義でしばしば僕の夢はベストセラーを出すことと語っていたのを覚えていますか?何度絶望したことか。しかし「自分を生き、今を生きる」ものを天は見捨てません。飢え死にさせません。○ ついに、僕の著書が東京紀伊国屋書店新宿本店の超激戦の「ベストセラーコーナー」に並びました。その本は「松下とホンダ」(実業之日本社)です。○ 松下とホンダ、幸之助と宗一郎の話を通じて、生き方、働き方の僕のソング・アルバムです。ぜひお求め下さい。○ これは半分二生両身の証言ですが(笑いながら)半分はコマーシャルです。両身は、「ヒルは貞女のごとくヨルは娼婦のごとく」の意味に似ていますが、同じではありません。これはまた別の機会にね。「<終>」人気blogランキングへ
2005.09.02
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今日は、二つお願い事をした。その1。知人ののトレーナーの働き口を、もとガンバのトレーナーで今も関東のJリーグのトレーナー。その答え「分かりました!。力になりますから○○してください」その2.福岡の紀伊国屋さんで僕の本(松下とホンダ)の売れ行きが芳しくないことがわかったので、僕の福岡時代のディーラーのPさんに「1冊買って!」と頼むと僕が1冊ではまずでしょう!20冊くらいは売りますよ!」と約束してくれた。その1のあいては、トレーナーのボス的存在で専門学校の講師。その2は、オール九州の販売チャンピオン。それぞれの分野で並でないのはなぜか?考え込んだ。結果は「話し合うピントがピシッと合うこと」「頼む以上の力になって頼もしいこと」この二つだった。僕も見習うぞ!(終)人気blogランキングへ
2005.09.01
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夢と志は違う! ○今日Aさんが、会社をやめるとききこれからどうするの?」と聞いた答の「ベンチャーをやる!」という意気に感動した。しかもその中身は夢でなく志といえるものだった。○僕は思わず、「松下とホンダ」の本を贈り「幸之助と宗一郎」の後を追ってほしいと「賛ス。ドリームとビジョン(志)」と書いた。○若者が夢を持つ姿を見るのが好きだ。しかし「志」を持つ姿に僕は震える。そしてそれを実行する姿にチョーしびれる。人気blogランキングへ
2005.08.31
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