真理探究と歴史探訪

真理探究と歴史探訪

2024年05月12日
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ちなみに、遠方の台形状に見える山容の、向かって左側のピークが「御許山」で、右側のピークが「雲ヶ岳(標高654m)」である。

この日記では何度も謳ってきた​ 『山口と九州を貫く南北軸』 ​の軸線上に、この宇佐神宮の神体山である「御許山」が乗り、また山口市は南方の湾岸域から当山を展望することができ、私自身もこれまで十回は登った経験があることから、特別に馴染み深い御山と言える。

☆関連記事・・・​ 「岩屋山」の磐座群と〔山口と九州を貫く南北軸〕(特別編/くくり)

古代において、この「御許山」を中心とする「宇佐」の国域を、初代「宇佐津彦(ウサツヒコ)」と初代「宇佐津姫(ウサツヒメ)」が治めていた時期があり、その初代「ウサツヒコ」の別名を「思兼(オモイカネ)命」や「月読(ツクヨミ)命」、そして初代「ウサツヒメ」の別名を「イチキシマヒメ」とする、宇佐氏の伝承があった。

重複することになるが、その 「宇佐神宮」の大宮司家であった「宇佐氏」の伝承を以下に記しておこう。

○古代の宇佐族(兎狭族)は「月読命」を祖神とし、その「月読命」とは、宇佐氏の始祖「タカミムスビ」から八世孫(男系の直系子孫)の「オモイカネ命(思兼命)…記紀神話に登場する”智慧の神”」であり、宇佐氏に”月神の信仰”を持ち込んだ初代「宇佐津彦命」である。

○古代ウサ国の首長は、天津暦や天太占を天職としていた”男性シャーマン”をもってする男系族長であり、代々「ウサツヒコノミコト(菟狭津彦命)」を襲名し天職を世襲して、祖神の宇佐大神と族長とは神人一体であり、祖神の象徴である「月」にウサギがいるという太古からの口伝によって、ウサギ(兎)すなわちウサ(菟狭)を氏族の称号として現代に至るまで名乗ってきた。



さて上の画像に映る社殿は、当宮の神体山である「御許山」の九合目に鎮座する「大元神社」の、拝殿の全体像を撮影したものだ。

ここで「イチキシマヒメ」について宇佐家伝承を参考にすると、この「イチキシマヒメ」 ≒「ツクヨミ」) に嫁いで 初代「ウサツヒメ」となり、宇佐嶋を根拠地とし「御許山」にて神々を祀り祭事を斎行したとのことである。

以上のことから、この「宇佐神宮」を代表する宮司家の宇佐家とは、紀元前三世紀頃に興った家であり、初代 「ウサツヒコ」 と共に 「ウサツヒメ(イチキシマヒメ)」 は”宇佐家の始祖”とされてい る。

そこで、 紀元前三世紀頃の歴史が描かれた 古史古伝や各種伝承等を比較検討の上、その後の「イチキシマヒメ(ウサツヒメ)」の数奇な運命を洞察した資料を参考に、分かりづらい煩雑な枝葉を剪定して太い根幹につながる歴史物語を以下、できるだけ簡略化して披露しておきたい。

「イチキシマヒメ」が初代「ウサツヒコ」に嫁いだ後、在来勢力の ”宇佐族”と新興勢力の”物部族”の武力衝突が起きた。そこで初代「ウサツヒコ」は、勢力の強い”物部族”と和睦し自ら帰順(服従)の意を表すため、” 物部族”の長である「ニギハヤヒ」(物部の祖) に、妻の「ウサツヒメ(イチキシマヒメ)」を娶らせた。

◎つまり「イチキシマヒメ」は、それまで嫁いでいた宇佐の族長「ウサツヒコ」の元を離れ、 物部の族長「ニギハヤヒ」 に嫁いだことになるのだが、 これは当時の風習で友好関係を保つ最高の歓待、忠節を誓う儀礼であった。

宇佐の族長「ウサツヒコ」の 妻だった 「イチキシマヒメ」は、 物部の族長「ニギハヤヒ(饒速日)」 に嫁ぎ、「セオリツヒメ(瀬織津姫)」を名乗ることになったと思われる。つまり「イチキシマヒメ」は、 「ウサツヒコ」に嫁いで初代「ウサツヒメ」、次に 「ニギハヤヒ」に嫁いで「セオリツヒメ」と呼ばれた。

◎この 物部の族長「ニギハヤヒ」とは、日本列島の弥生革命を担った大量の中国系渡来人の頭領「徐福(じょふく)」(※)のことであり、出雲では「スサノオ」、丹後では「ホアカリ」という名で呼ばれた。

◎そして、この初代物部の 「ニギハヤヒ」こそ、記紀の神話物語において後に即位する初代天皇の「神武天皇」であり、紀元前三世紀の宇佐国(大分県北部)において「ニギハヤヒ」と「イチキシマヒメ」が婚姻(政略結婚)を結んだ後に、日本神話では「神武東征」という名目で安芸国(広島県西部)へ東征軍と共に出立したという筋書きになる。

(※)「徐福」… 紀元前三世紀頃(約2200年前)、「徐福」は”秦の始皇帝”の命で、東方海上の三神山にあるという〔不老不死の仙薬〕を探すために、約三千人の童男童女を引き連れて船出。何日もかけた大航海の末に辿り着いたのが、日本海側の出雲・有明海の佐賀・太平洋側の熊野など日本各地の湾岸域とされている。この「 徐福」に関する伝説は列島の各地で伝えられ、数多くの伝承資料が残っており、悠久の時と遼遠の海を越えた歴史ロマンを感じることができる。

拝殿の背後となる「御許山」の山頂には、三つの大きな磐座(三柱石)が並んでいると伝わるが、その磐座群の存在する山頂部は踏み込んではならない「禁足地」とされている。

そこで上の画像は、当社の拝殿に上がらせていただき、神額に「奥宮」と記された石鳥居の上方に存在するはずの、ここからは見えない磐座群を遥拝したものだ。

実はかつて、”安芸の宮島”の「弥山」を登拝してすぐに、ここ「御許山」に登ったことがあった。その際に不思議な夢(明晰夢)に導かれるようにして登った経緯があり、その記事を書いた日記が以下である。

※関連記事・・・​ 台風を追い風に「宇佐神宮」への参拝

(つづく)





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最終更新日  2024年05月13日 00時44分58秒


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