全4件 (4件中 1-4件目)
1

昨年のこと。 クリスマスがもうじきやってくるというころ、アメリカのクリスマスについて書かれたエッセイ〈CHRISTMAS TIME〉(※1)を読んだ。……かるく読んだ、と書いたのは偽りで、辞書をひきひき、額に汗して訳したのだった。 12月に入ると買いものリストをつくったり、シュトーレン(※2)をいくつか焼いて冷凍したり、クリスマスツリーを飾ったりする様子がいきいきと綴られている。 そうして、この一節に出合った。 Day by Day, the holiday takes shape and form. 日ごとクリスマスは、目に見えるかたちになってゆく。 この日以来、「take shape and form」(かたちをなしてゆく。 目に見えるかたちになる)という成句が、わたしのなかに棲みついてしまった。ふとしたときに、「take shape and form」とつぶやきつぶやく。 エッセイに描かれた準備の過程のよろこびが、こころからはなれない。 目に見えるかたちというのは、云ってみれば「結果」である。この場合はだから、クリスマスという結果に向かっていろいろの準備をし、心づもりをし、働くというわけだ。けれどこういう云い方もできはしないか。いろいろの準備が、心づもりが、働きの連なりが、あるなりゆきに到達するのだと。到達した地点を、クリスマスと呼ぶのだ、と。 考えてみると、 人生は過程の連続だ。 わたしたちは、それを忘れかけている。エレベータに乗りこんで一気に建物の高層階に上ったり。超特急の旅をしたり。ものを注文して翌日受けとったり。そういうことに慣れるうち、いつしか、あらゆる過程が抜け落ちてしまったようだ。結果ばかりを追って。大急ぎの結果をほしがるようになって。 過程の値打ちを思わないなら、人生などなくていいことになりはしないか。はじまり(生)と結果(死)があれば、それで……。 たとえば、こうして原稿を書くのでも、3、40分で1本(原稿用紙6枚ほどだろうか)書いてしまえることがあるかと思うと、1日じゅう机の前に坐っていても、1行も書けないこともある。すらすらいく日、それはうれしい。早く仕上がって幸運だったなんかと、考えはする。けれども、そういう日ばかりではまったくもってつまらない。すらすらの日も、てんでだめな日もあって、わたしは仕事をするうれしさを感じられる。それはわたしが、幸運にも、ひと足ひと足の過程の値打ちを知っているからだ。この幸運は、原稿1本が3、40分で書けてしまったときの幸運などとは、およそ異なる種類のものだ。 それにだいいち、てんでだめだった末の「できあがりもの」の、いとおしさといったら。 日日のくり返しのなかで生きるわたしたちが、ひと足ひと足のことが生きるよろこびに深く結びついているのを知らないなんてことがあったなら、それはとんでもない話だ。「take shape and form」(かたちをなしてゆく。 目に見えるかたちになる) かたち、目に見えるかたちは、ひと足ひと足の先にそっと置かれるもの。 ※1〈CHRISTMAS TIME〉 アメリカのフードライターの第一人者であるマリオン・カニンガムによるエッセイ。『Christmas Memories with Recipes』 (25人のエッセイとレシピが収録/©1988 by Book-of-the-Month Club,Inc)に収められた1篇。 ※2 シュトーレン(独/stollen) ドイツの菓子。生地にドライフルーツやナッツを、バタを練りこんだパンで、かなり重く、日持ちがする。欧米で、クリスマスを待つひと月のあいだ、これを薄く切って一切れずる食べる習慣ができている。 目に見える……ということから、ふと思いついて、こんなのを撮ってみました。――写真左から・カーテンレールに、何かを吊るすとき用いる木製フック。・「いちご」の毛繕いブラシ。・蠅たたき。・ミニモップ(これに古タイツをかぶせて使う)。・緊急時の殺虫剤(できるだけ使わない誓いのもとに)。これらが、目に見えないところ(けれども、すぐとり出せる)に置いてあります。さて、それはどこでしょうか……。 こたえは、テレビのうしろです。フック(粘着)で、ぶら下げてあります。分厚いアナログテレビなので、ぶら下げるのに、とても具合がいいのです。「いちご」は、ことしに入って、よくテレビを見るようになりました。このときは、画面に珍鳥が映っていました。(さて。あまり大きな声では云えませんが、さいごまで「アナログ」でいこうか、と考えています。切り換わったときどうなるか、見てみたくて。仕様もないことばかり考えて……)
2011/01/25
コメント(46)

あらゆる登場人物に、同情される面がある、そんな小説を私は書きたいと思っています。善と悪とに人間をわけてしまい、悪人をばったばったと切り倒して恥じないような、そんなおそろしいドラマや小説が沢山ありますが、私には無縁な世界です。 どんな人にも、その人の立場と、切なる生への祈りがあります。悪人を愛する、それが私の理想です。 『犯罪ノート』(加賀乙彦著/潮出版社)——「〈悪人〉を愛する」より 昨年まで月1度、「本のなかの暮らし」と銘打って書いてきたのと、ことしのこれと、どこがどうちがうのかと訊かれたら、何とこたえようかと考えている。 ひとつには、本ばかりではなくあらゆる印刷物、ふと耳にしたどこかの会話、ラジオや映像のなかから降ってくる声からことばを拾いたいというつもりがある。そして、昨年は日本の作品(書物)という約束を自分のなかにつくったのだったが、そこからも自由になろうとしている。 第1回として、〈引用ノート〉という題名の一部をもらった『犯罪ノート』からの引用をと思いつく。『犯罪ノート』は「加賀乙彦」のエッセイ集である。書こうとして書けなくなったとき、主題がどうにもみつからないとき、わたしの手は知らず知らず「加賀乙彦」の本にのびる。これほど卑近(ひきん)なことを書いているくせに書けなくなったりし、主題までもみつけられないのかと驚かれるかもしれないけれど、卑近も高遠も、短編も長編も、エッセイも小説も、主題と構成の必要なことに変わりはない。 自分の関心がどうしてこうも、犯罪や犯罪者、死刑や死刑囚に向いていくものかわからないが、放っておくとそちらにこころが向いている。それはまるで、一日の仕事を終えると、足が自然に台所に向いていくのとほとんど同じ感覚だ。思うに、犯罪と自分が無縁でないこと、誤解を怖れず云うなら、少しのきっかけで自分が犯罪者にならないともかぎらないと考えているからだろう。 そして、その思いは、わたしの暗部にではなく明部に宿っている。あきらめではなく、希望に近い場所で光を放っている。 犯罪と自分が無縁でないこと、少しのきっかけで犯罪者にならないともかぎらないという立場で、やっとのことで犯罪に関わらずにいて、なんとか犯罪者にならずにいるわたし……(現在のところ)。そうしたぎりぎりの場所に立って、子どもたちに向かって「殺してはいけない」と云って聞かせるわたし。 ひとりの人間のいのちは、どこまでも守らなければならない。 どんな事情があってもひとを殺してはならないと、大人は胸のなかで誓い、誓っているだけではなく、つぎの世代の人びと、子どもに伝えなければいけないのだと思っている。 うちにやってくる、ひと以外のいのちについても、わたしはおおいに翻弄させられる。死なせてはいけない、死なせてはいけないと、あわあわあわあわ。 それに暮らしを重ねていると、無機質だと思いこんでいたモノたちにも、魂の宿っているのを知るようになり、またあわあわするのだった。はたしてモノたちははじめから魂をもっているのであろうか。つきあっていくうちに宿ってみせるのだろうか。 *『犯罪ノート』は、すでに絶版になっています。図書館(おそらくは書庫に所蔵)にはあるはずです。『宣告』(上中下巻/新潮文庫)も、おすすめしたい1冊。 昨年12月に、いただいたポインセチアです。驚くようなピカピカの紙に身を包んで、うちにやってきました。それを脱がすと、白いプラスティックの鉢があらわれました。そのまま飾るわけにもいかず。こんな袋を着せて、飾りました。そうして「紅子(べにこ)」と名づけました。「紅子」のいのちを守ることにも、責任を感じています。あわあわあわあわ……。 年が明けてから、「紅子」を着替えさせました。末の子が書き初めをしたときにできた、しくじりを1枚もらったのです。
2011/01/18
コメント(32)

久しぶりに、それを見た。 お訪ねしたお宅での、それはなんというか、とんでもなくなつかしいひととの再会のようだった。通された応接間の飾り棚の上に置かれた、ガラスの陳列ケース。昔は、どこの家にも、こんなのがあった。「なつかしいですね」と思わず口にすると、「古くさいでしょう? こういうものを処分できないのが、わたしたちの年代ということかしら。蒐集でもない、装飾でもないんです。ただただなつかしいというだけで」と、目の前の老婦人は笑う。その目が、ガラスケースのほうに向けられたのを機に、わたしも、しげしげとそこを見ている。古くて、おもしろいものがある。「あら、恥ずかしい。高価なものもめずらしいものもないのよ。お土産屋さんで選んだものばかり」「あ、これ、うちにもありました。淡路島のたこ壷。行かれたんですか、淡路島」「ええ、ええ。子どもたちが小学生だった時分、海水浴にね。あそこは、いいところだった……。震災のときは、だから、とても胸がいたみましたよ」 わたしも、たこ壷を模したその置きものが、気に入りだった。うちのガラスのケースのなかには、それがふたつならんでいた。それは、父が兵庫県に単身赴任していた時代に、2年つづけて淡路島に連れていってもらい、1年めも2年めも、それをもとめたからだった。高さ6センチほどの小さな置きもので、つぼからたこが頭を出している。その顔がじつにユーモラスで、いい。婦人が云われたように、わたしも淡路島が好きだったのだと思う。 わたしが育った家の陳列ケースには、たこ壷のほかには、通天閣や東京タワーの模型のようなのや、北海道の熊の置きもの(熊が鮭をくわえている、定番の)が飾られていた。こうした旅先でもとめた置きものや民芸品のほか、拾った石や貝殻なんかも入っていた。 こういういう陳列ケースを、とんと見なくなった。 実家には、いまもあるにはあるが、納戸のたんすの上にのっていて、当時はたしかに放っていた晴れがましさは失せている。 記念品や土産ものの感覚が変わってきたのだろうか。 けれどこういうモノは、つまりなつかしいモノたちは、いまだってあるのに決まっている。それをどこへ飾るかという、飾り具合が変化してきたのだ。ごたごた飾るのを避けて、道具として使えるものを選ぶ向きもあるし、きっぱり買わないといった向きもあるだろう。 記念品や土産ものをどうするか、というのは、その家の片づけ具合に相当の影響があるように思われる。あちらこちらに置いたため散らかるくらいなら、いっそ昔のようにガラスの陳列ケースにおさめたほうがいいという場合もありそうだ。 さて、記念品、土産ものに対するわたしの考えはこうだ。① 持ち過ぎないようにしよう。② まるきり持たないのはさびしいから、少しは持っていいこととする。③ 持ち方、置き方は考えること。漫然とは持たないぞ。 というわけなので、わたしも、じつはいろいろ持っている。「アナタ、誰?」とか、「そこで、何してるの?」とか。 わが持ちものに向かって、そういうことを云わずに暮らしたいとは希っているので……、一応……、考えて持っているつもり……だ。 ちょっと歯切れがわるくなってきた。 それもそのはず、わたしだって、なんというか「?」(はてな)と首をかしげそうになるモノのひとつやふたつ、ほんとうは持っている。 たとえば……。 たとえば、食器棚の奥にひっそりと立っている素朴で、うつくしいこけし。これは、その昔好きだった男(ひと)が、秋田からお土産に買ってきてくれたものだ。文鎮として活躍しているのでもなければ、(こけしに見えていて)じつは胡椒挽きだという存在でもなく、正真正銘のこけし。ワイングラスをとり出すとき目を合わせるほか、ゆっくり向きあうこともない。こけしの蒐集の趣味もないので、ほかに仲間もなく、それはひとりひっそりそこにある。 ……もう30年? そうだ、もうそんなに時がたってしまった。 さて、わたしにこれを持ちつづけさせているのは、昔の甘やかな記憶だろうか。よき思い出であるのにはちがいないけれど、こけしの力を借りなくとも、その記憶はわたしのなかにそっと置かれている。……そっと。それならばなぜ、持っているのか。 このようなモノの持ち方もあるにはあるんだという、わたしのすき間。それがけっこう慕わしかったりする。 子どものつくったモノというのも、なかなか手強いです。わたしは、傑作だけを残して飾り(あるいは使い)、そうでないモノには、「捨ててしまったほうがいいよ。傑作の値打ちまで下がるからね」と云って、ほんとうにあっさり処分します。子どものほうでも、自分から「これは傑作」とか、「これは捨てていいほう」と云うようになりました。われながら、いやな、困った母ちゃんだなあ……と思います。写真は、二女が小学校の低学年のころワインのコルク栓でつくった人形です。わたしの書架の守り神のような存在。 こちらは、長女が、中学の修学旅行先で焼いた皿です(京都/清水焼き)。「白くて、さかなの絵なら、使ってもらえるかと思ってね」とのことでした。すまないねえ、と思いながらも、うれしく受けとり、うれしく使いつづけています。
2011/01/11
コメント(34)

少しずつ物忘れがすすんでいるのか、自分で云ったことを、云ったそばから忘れてしまうことがある。このあいだなんか、話しながら可笑しくなってあはは、あははと笑ったのはいいが、なぜ笑っているのか、途中でわからなくなってしまった。「あれ? あれ?」と云いながら、まだ笑っている。困ったものだなあ、と思う。 ことしは、大事なことは忘れないうちに書きつけておこう、と考えている。書くばかりだと、それにたよって脳がなまけるのだそうで、だから、書いておきながら脳にも書きつける努力をしよう。 というわけなので、ここに、ことしの大きな道筋を書きつけておく。 「小さいことを少しずつ」 これが、ことしのめあてである。 このことばをみつけてくれたのは、「うふふ日記」の世話役であるオレンジページのNさん(編集者歴20年)だ。Nさんは、無駄話のなかでわたしがふと口にした「小さいことを少しずつ」を、「いまのそれ、『小さいことを少しずつ』って、とてもいいですねえ」と、拾いあげてくれた。 何日かたって、Nさんからメールが届く。 「ドリトル先生」の「ドリトル」のつづりご存知でしょうか。「Dolittle」、 つまり「Do little」。「役立たず」とか、「役に立たない人間」とかいうことだそうですが、わたしには、これが、「ほんの小さいことをする」(冠詞がついていないから、文法的にはちがうでしょうが)と読みとれてしまいました。「Dolittle」が、このあいだのお話の「小さいことを少しずつ」に通じる気がして、うれしかったのでした。2011年は、「ドリトル先生」でいきましょう! Nさんが「……でいきましょう!」と云うからには、そこには仕事の「テーマ」も含まれていることになる。やれやれ。と、思いかけたけれども、なにしろ「ドリトル先生」だ。この愛すべき人物の背中を追って1年過すのはわるくない、と思える。 2011年の暦に、「ドリトル先生」と書きこんだ。 わたしが「ドリトル先生」を好きなのは、その慈愛に満ちた人格、ユーモアいっぱいの発想と見事な行動力もさることながら、その冒険ものがたりが日本に紹介されるまでのいきさつにもこころをつかまれているからだ。ヒュー・ロフティング(作・絵も/1886—1947)が書いたこのものがたりの翻訳は、「井伏鱒二(いぶせますじ)」。けれども、元の元は、「石井桃子」で、「このお話(『ドリトル先生アフリカゆき』の原書をさす)があまりおもしろかったので、じぶんひとりで楽しむには、もったいなくなり、御近所に住んでいらっしゃる作家、井伏鱒二さんのところへ伺っては、ドリトル先生の筋書をお話したものでした」というのが、ことのはじまりだ。 その後、このものがたりを日本の子ども達にも紹介したいと希(ねが)って、石井さんは「井伏鱒二」に翻訳をたのみこんだ。「井伏さんはおいそがしくて、なかなかやってくださいません。そこで、待ちかねた私は、下訳(したやく)をして井伏さんのところへおとどけしました。井伏さんは、その原稿を持って何度か旅行に出られ、ながいことかかって、すっかりしあげてくださいました」「ドリトル先生」をわたしたちが知るようになるまでの道のりは簡単でない。石井桃子さんが出合って出版の志をかため、井伏鱒二さんが苦心して翻訳し、戦争もはさんで、ほんとうにやっとのことだったのである。そうしたいきさつも、わたしには「小さいことを少しずつ」だと思える。 決してひとりではできない事ごとを、いろいろの助けも借りて、少しずつ重ねていく。そういうふうにありたい、ことし。 おや、わたしはこのたびのこの話を「少しずつ物忘れがすすんでいるのか」なんて書きだしている。少しずつかさねた結果、もっとも馴染んだのが物忘れだったということがないように。 *文中の石井桃子さんのお話は、『ドリトル先生アフリカゆき』(岩波少年文庫)の巻末に紹介されています。 そうして、ことしはまた、ここからはじめたいと思います。食卓です。昨年、夫の大叔母が、長らく裁縫の作業台として使っていたものを食卓にしました。この古びた感じ、誤解を怖れず云うならばおんぼろさが、わたしたちの好みにぴったりでした。 ほら、表面はこんなです。ルレットの「あと」。粉ものがこの「あと」に入りこむと、大変です(笑)。
2011/01/04
コメント(57)
全4件 (4件中 1-4件目)
1

![]()
![]()