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ベランダの、キハダ(※)の植わった鉢の縁にあおむしがいる。こんなところにやってきてしまって、じっとしているなんて。
そうは思ったものの、理由もあるのだろうからと、だまって見ていることにした。
あおむしは、鉢の尾根を歩いている。
気をつけて見ていると、見るたびに、居場所がうつっている。少なくとも、この日、このヒトは、円周90センチほどの鉢の縁を、1周はしたのだ。 あおむしは、何かを考えめぐらすかのように、頭部を心持上げている。
*
この夏、決心して、英文の翻訳の勉強をはじめた。
どうしてそれをしようと考えたか。
英米の漫画を読んで笑いたい、と夢見たわけでもなければ、いつかアイルランドの小さな詩の一篇を訳そう、という志をもったのでもなかった。ただ、ひとりの先輩の存在が動機だった。
このかたの居場所は、広く語学に関する世界にあり、現在のお仕事は英語の翻訳家だ。
もし、この方が韓国語の翻訳家であったなら、わたしはいまごろハングルと取っ組み合いをしていただろうし、もし、陶芸家であったなら、土の勉強をしていたことだろう。
その笑顔。所作。醸している何か————そういったものを受けとめたい、できれば一部分でも受け継ぎたいと思わせるひとに、とうの昔に出会っていながら、いままで、そのためにできることをひとつもしてこなかった。それを、とうとうしようと思った。
この方がもつ翻訳の教室に月2回通うというのは、また、通うだけでなく、その前に翻訳の宿題をするというのは、いまのわたしには、途方もないことだった。そのための時間を生み出すのに、どのくらいの努力が要るかを考えると、すぐと決心が崩れそうだった。しかし、あれこれ考えるのはやめて、ただ、いまのわたしを、自分の想いに託しきってみた。
すると答えが、出た。
「何が何でもしてみよう」
3回めになる、この日の宿題のむずかしさといったら、なかった。
それは新聞記事だったから、訳すにあたって文章の風合いやら、ニュアンスに気をつかう必要はなかったが、何が何だかさっぱりわからない。
誰が「それ」をしたというのか。
「その気質」をもっているのが誰で、この「they」は誰たちのことなのだか……わからない。
わたしには、隠れた関係代名詞が見つけだせないばかりか、主語と述語という基本的な文法が受けとめられないらしかった。情けなかった。結局、宿題3分の2で、ギブアップした。
それでも。わたしは愉しくてならなかった。
おそらく何十年ものあいだまったく使わなかった……、もしかしたら生まれてこのかた使ったことのなかった脳の部分を使っている感覚があった。そのため、頭がひりひりするようだったが、そのひりひりが心地よく、そうなると、宿題ができきれなかったことまで、愉しくなってくるのだった。
*
机を離れたわたしは、キハダのあおむしを見にいった。あおむしは、鉢の尾根を歩くのはやめたとみえて、キハダのまだ細い枝の上にいた。
————きょうの日の半分、わたしはあおむしのようだったなあ。見霽(みはる)かす彼方をみつめて歩いていた。
なんともいえない気持ちが、あおむしに向く。
※キハダ———ミカン科キハダ属/落葉樹/内皮を乾燥させて、生薬としてもちいる(黄柏)。

自分を励ます意味でも、新しい辞書を
買いたい気持ちもありましたが……。
本棚のすみっこから、学生時代に使っていた
辞書がこちらを見下ろしているのでした。
——久しぶりだね。
——ま、また、お世話になります。
と、挨拶。
書きこみをしながら、しばらく使わせて
もらうことにします。