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永井は三枝子の言葉を待っている。しかし、迂闊なことは言えない。自分の言った言葉から、ややノイローゼ気味の永井が、どんなことを考えるか知れたものでないからである。話題を変えた。変えたと思わせないように・・・「春になると白い雪の中から、雪割草が出て来るっていうけれど、どんな花かしら、知ってる?」「さあ、どんな花か僕は知らないが、薄桃色の花だと聞いたことがある。ここには咲かないのかな。」「それは分からないけど、春になったら、ここら中歩き回って捜してみるわ。永井さんも探したら?」「そうだね。」やっと、笑ってくれた。三枝子も笑い返して、彼のもとを離れた。この場は巧く収まったが、その雪割草の出る時節まで、永井の笑いは保てなかった。永井は自分の病気が、治らないのではないかと、疑い出したのである。尤も、それなりの理由が無いわけではない。彼はいわゆるアレルギー体質で、パスは勿論、ヒドラもストマイも受け入れないから、穏やかなサルファー剤しか服用できなかったのでである。それに生まれつき、血圧も低いので手術する訳にもいかなかった。なるほど、心細い話である。冬眠の蛙が土の中で、春の訪れを辛抱強く待つように、永井の場合も静養することだけが、回復への近道であった。ただ、蛙のように無神経に寝入ることが人間にはできない。だから永井の辛い気持ちはよく解る。永井をこのような不安に陥れたのは、彼の境遇にある。彼には両親が無い。ひと廻り歳の離れた兄と、婚期の近い姉が居るだけであった。金には縁の薄い兄や姉からのささやかな仕送りと、自分のアルバイトで得た金で、国立大学を目指して勉強してきたものの、三度も失敗したことは、かなり彼を苦しめた。叱咤するような二人の激励がなかったら、彼はその時、受験を断念していただろう。今度こそ最後の機会と剣が峰に立つ思いで、彼はまた、勉強を始めた。一方、兄姉への遠慮も顕著になっていた。その矢先に、長の病に罹ってしまったのである。病人に気遣いはマイナスと聞くから、彼は努めて明るく過ごしてきたのだが、一年半ばの病院生活は、再び彼の心を曇らせてきたのである。兄や姉からの励ましの手紙は、返って彼の心に焦りを生ませるものであったし、三枝子ですら、彼をひ弱にするのを助長させる存在でしかなかった。
2004.01.31
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山間部にあるこの療養所に雪が積もって、黒い土を見ることが出来なくなってしまった。いつしか、永井の眸の輝きが消えて行くようであった。「山野さん、雪がすっかり地面を覆い隠してしまったね。僕はこの頃、貴女方看護婦さんが白衣を着ているということが、気になってるんです。普通の病院と違って、此処では貴女達と僕達患者との付き合いが長いから、恐らく、貴女方は白衣を着ていようと居まいと我々に接する態度は同じだとは思うんだけど、どうもその白衣は、患者との境界線になっているように思われて仕方がない。山野さん、貴女は白衣を身に着ける時、どんな気がしますか?」こう聞かれて、三枝子は患者の心理というものが解った気がした。なるほど、自分達看護婦は殆ど無意識に、この白衣を着るのだが、清潔な色に心改まる場合もあれば、つくづく嫌になる時もあるのだ。正しく患者との仕切りであるし、心の隙を隠す衣でもあった。しかし、永井には、「仕事着だけど、私は普段着を着ているような気持ちで居るわ。そして、早く治って下さいって、祈ってるつもり。」と答えて、これは永井だけでなく、皆に対しても同じだと言いたくて、ほかの患者のベッドを見回した。永井の部屋は六人部屋であった。そのうち、二人は風呂に行った様子であり、源さん一味はどうやら、そばの旅館で・・・この療養所の中には、見舞い客や行楽客を一晩泊めるのが建前の旅館が二、三軒あったが、実際には、麻雀の場を提供したり、患者同士の逢引の場所として利用されているのだ・・・麻雀を朝っぱらから打ちに行っているらしい。従って部屋の中には永井の他には二人しか居なかったが、風呂上りの疲れで寝入っているようであった。永井はそれを知って、このようなことを尋ねたのかも知れない。「雪の所為ではないと思うけど、僕達患者の心次第で、白衣は冷たく見えるものです。山野さん、貴女は本当に優しい。その優しい人が、何故白衣を着なきゃならないのだろ。だからと言って、白衣を脱げなどと言うのではありません。貴女のような温かい人でも、その白衣の為に、冷たい・・・いや違う・・・温かさを表わすことが出来なくなってしまうのではないかと、僕はそれを恐れるのです。雪はなるほど、積もり初めの頃は柔らかくって、軽くって、優しそうに見えるけど、毎日、毎日その白い風景を見たら、見飽きたら、これほど殺風景で冷たいものはないと感じてしまうものです。時々、雪が緑色していたら・・・なんて馬鹿な想像すらするんですよ・・・?」三枝子は永井の言わんとすることが、よく理解できた。白という色ひとつを例にとってみても、このようにいろいろ人の心を揺さぶるのであるから、色彩というものは馬鹿にできないと思った。また、人間ひとり一人を色の組み合わせで表現したら、面白いだろうななどと思った。人間に与えられた五つの感覚ほど、深みのあるものはないと言える。音の世界、匂いの世界、味覚の世界、皮膚などに感じる世界。自分は未だそれらのほんの一部を知ったに過ぎないのだと三枝子は思った。
2004.01.30
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この日を境にして、三枝子は傍目にも感じられるほど、永井に尽した。永井は迷惑がりもしないで、三枝子の好きなままに任せているようであった。永井は大変な読書家であった。彼のベッドの傍の本棚には、分厚い本がずらりと並んでいた。歴史書や哲学が主だった。聞けば、社会科専攻の教師になるつもりで大学を目指していたのだが、元々、ひ弱わな身体に受験勉強が祟って、この病気に負けたのだと言う。三度も滑ったと言って、彼は不自然に笑った。三枝子は、ただ気の毒に思うばかりで、慰める言葉も持ち合わせなかった。読書に疲れると、中庭の花壇の世話や鉢物の世話をしていた。三枝子が花の苗を買って来てやることもあった。郵送のみに頼っていた書物すら、三枝子の手を借りることもあった。二人の噂は療養所という狭い世界では行き渡っていた。二人ともそんな噂や冷やかしにムキになりはしなかった。広がってしまえば、後は逃げ隠れする必要もない。お互いに尊敬し合えたので、淫らな冷やかしにも「ええ、ひょっとしたら、そうかもね」とか「もう相当なもんよ」とか言って、平気の平左で済ませてしまう。三枝子はこんな面構えで居られるのも、すべて永井のお蔭だと感謝していた。 (三) それから一年余りの平凡な月日が流れた。二人の間柄は以前と同じで、公明であった。後ろめたいところのない、清いものであった。一体、男女の仲というものは、人前を避けると、すぐ行き着くものなのであろう。しかし、三枝子と永井は、このことを意識していたかどうかは兎も角として、いつも二人っきりになるのを避けて来たから、清いままで過ごせたのであろう。三枝子は永井に対する自分の気持ちを、やはり恋心だと思った。しかし、恋心ならばもっと激しく燃えるものだという考えが、これまで読んだ詩や小説、歌などを通じて、三枝子の頭の中に生きている。では、自分がそれほど激しく燃えないのは何故だろう。毎日顔を合わせているからであり、また、会いたくなれば、いつでも会えるからでもあろうと思った。人目を避けることさえしなければ、自分達はいつまでも信頼し合える恋人で居られるのだ。だが、いつ何時、人目を避けて二人っきりになりたいと思うようになるかも知れない。その時、現在のように、明日という日を恐れず、ゆったりとした日々を送れることができるのかしら・・・。時々、三枝子はそんなことを考えたりしていた。・・・・
2004.01.29
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厄介な人達だと心の中で溜め息をつきながら、次の部屋を見る。何だか様子がおかしいので、電灯をベッドの方へあててみると、ベッドの上には誰ひとりとして寝ていない。キョロキョロと見回すのを、男達はベッドの下から笑ったりした。若いエネルギーを抑制されている患者達は、時々、卑猥なことを言って、三枝子の顔が赤くなるのを喜んだ。永井という男は、彼らとは別の人種であった。派手なところのないことが、一層、三枝子の目についた。顔色も蒼く、頬骨の出た彼であったが、その清潔な眼の輝きは、結核菌に侵されている病人とは思われないほど、美しかった。彼の眼を長く見つめることは、三枝子には出来なかった。三枝子よりも三月ほど前にこの療養所に来ていたことや、自分と同い歳であることが、カルテから知れた。 そんな或る日のことであった。三枝子は源さん達から、女の秘密の日をあてられてしまった。その場はなんとか繕ったものの、後から恥ずかしさと悔しさとが、一度にこみ上げて来た。気づいた時には、かなかなの鳴く、杉の木立の下に来て、溢れる涙を細い指で拭っていた。・・・・あんまりだわ!ひどすぎるわ!・・・・何度、そう口に出して言ったか知れない。「山野さん、どうかしたのですか?」と尋ねる声がした。誰だか判らないが、まさか涙でヨレヨレになってしまった顔を、男性に見せる訳にはいかない。杉の木に尚更もたれるようにして、しゃくり上げた。「どんなことを、皆が言ったか知りませんが、それは貴女に対する甘えなんですよ。どれほど貴女の評判が良いか知れません。可愛いて言ってます。貴女への悪戯、それは一つの挨拶なんです。それを軽く受け流して、乗り越えてごらんなさい。きっと楽しい勤務に変ります。まるで、みんな、子供のように従順になってしまいます。」その忠告者が立ち去るのを感じながら、三枝子は、そうっと指の間から、その後姿を追った。見覚えのある、大切な後姿であった。永井はすべてを知っていたのかも知れない。いや、偶然に彼女を見つけたのかも知れない。いずれにせよ、彼は三枝子の日頃の悩みに気づいていたのだ。振り向きもしないで、小さく消えていく彼の後姿を三枝子はいつまでも見送っていた。
2004.01.28
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結核療養所というところは、俗世間から無理強いに隔絶されているだけに、ニュースらしいものに乏しかった。そんな中に新しい看護婦が来たということは一大ニュースであった。永い闘病生活に甘んじなければならない彼ら患者にとって、美人に越したことは無いが、それ以上に思いやりのある、明るい、そして融通性のある看護婦が望まれた。第七病棟では最古参といわれるバクチ打ちの名人の源さんは、三枝子に百点満点という途方も無い点をつけた。若い男達は源さんの直感的な評価を信じて疑わなかった。彼らは親しみや甘えを、からかうことによって表現するのだ。皆、自分を知って欲しいのだ。早く名前を覚えて欲しいのだ。検温は朝の十時と午後の二時であった。いつも寝た振りをして、三枝子を困らせた。三枝子は彼らの冗談にすぐ乗ってしまって、初めの内は、おろおろするばかりであった。夜の見回りの時なども、懐中電灯を天井に向け、板張りの廊下を音のしないように歩くのには、少しコツが要る。慣れない三枝子は、気にすればするほど、音を立ててしまう。すると、うるさいという声が暗い病室から聞こえて来る。三枝子にはそれが嫌がらせに聞こえるのだ。<本日は宴会で只今、自宅に戻って、酔眼で記入しています>
2004.01.27
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(一)銀杏が黄金の色に輝く公園の青いベンチに、美枝子はフィアンセと座っていた。「どうしたんだい?今日はすっかりおとなしいんだね。何か心配ごとでもあったのかい・・・・?」そう聞かれても、真相を明かす訳にも行かなかった。なるべく相手の眼を避けて、「女性って、秋にはセンチになるって言うわ。」「君は戦後の生まれだろう、信じられないよ。まあ、いいや。秋の淋しさに浸りなさい、僕は黙っているよ。」思いやりのある言葉であった。彼の手は彼女の髪をそっと撫でていた。彼の吸う煙草の煙の中で、美枝子は目を瞑った。 実を言えば、今日は、昔勤めていた療養所の友達から、ひょっこりと手紙が来たのだった。それは四日かかって彼女の手許に届いたことが、スタンプから知れた。永い間、便りを出さなかった詫びの言葉や、柿のうまいことや、婦長の代わったことなど、ごくありきたりの内容であったが、最後に永井の死んだことが記してあった。書いた人からすれば、親切心から付け加えたものであろうけれど、美枝子にとって、それはかなりショックな追伸であった。<本日から幾日かに分けて書きます。これも昭和44年ころの作品です。退職すれば、その内、新作も公表します。>
2004.01.26
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おりく夫婦には今、テレビがありません。それで本日、実家の母と一緒にマラソンを観ました。おりくがいろいろ解説しながら母の興味をそそるように仕向けました。買い物をして実家に着いた時は、既に15、6名の先頭集団になっていました。そこでメモ用紙に、1位坂本、2位千葉、3位渋井・・・○位弘山と書きました。ところがどうでしょう!だんだんそれに近いゲーム展開になって行きました。渋井さんがあすこまで不調だとは予測しなかったけれど、1位、2位はピッタシカンカンでした。人間の勝負にこだわる欲は、場合によって記録を低下させることにもなりますね。マラソンと謂えど、順位を争う競技だから止むを得ない部分もありますが、好記録でなかったのは少し残念でした。 スキーのジャンプ競技も面白かったですね。1回目で東、葛西両選手が2位、3位につけていましたから、2度目のジャンプは興味津々でした。結果的に葛西選手の2位が実現できて良かったナと思いました。
2004.01.25
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本日は家内の実家へ参候し、義父の卒寿へのプレゼントの運動靴を持参します。サイズが合わない場合は取り替えなきゃならないので、2月11日に間に合う為の準備です。この11日までに去年、抽選で当った写真入りポッキー(10箱)が出来て来るのかな?昨日に訪問して下さったお客さまの御日記を順繰りにチェックしていましたところ、金子みすずさんの詩など添えてられた素敵な日記に辿り着きました。先に感想をカキコしてからプロフィールを拝見、何と男性でした。おりくもこの名から女性と思われがちですが、似た雰囲気のサイトで、お気に入りを希望して置きました。掲示板の上の水仙の写真を見て、一句添えておきました。「水仙の 腰のしなりや この風に」(ちょっと直していますが)原句は 腰の強さや→撓りや→しなりや
2004.01.24
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最近、食べ物屋さんやレストランで、ちょっと気になることがあります。メチャ若い娘(こ)から若造りの姐さんまでに見られる仕草、それはお箸の使い方です。 いえ、決して握り方が可笑しいと言うのでは有りません(握り方は、遠の昔から変なのですが)、箸を顔と平行に持って行かない流儀のことです。解り易く言えば、箸の先っちょが口の中に直角に近い角度で持って行かれる作法です。通常の日本人なら、口と平行に近い角度で箸の先に摘んだものを食べる筈なんだけれど・・・・。 何故こんなしょうも無いことに拘っているのかと言えば、実はおりくの娘(24歳)が、焼き鳥の串で喉を刺して怪我をしたという話を家内から聞いたからです。 焼き鳥の串に刺さった鶏肉数個など、歯に挟んで串を抜けば簡単に鶏肉だけが取れる筈なのに・・・結局、直角に口中に入れて、直角に串を抜こうとして逆に押し込んだとしか考えられません。 ま、私的な話はそれとして、箸の使い方として、口中に直角に入れた方が恰好良いと思っているのでしょうね。・・・しかし、おりくに言わせると、食べると言う行為が目について、余りお上品な食べ方とは思えないのですが・・・。
2004.01.23
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稲荷山の中腹に××寺という古刹がある。此処には五百もの羅漢が仏道の悟りを求め、今日も空を睨んで居られる。しかし、これは表向きの話でいわゆる丑三つの頃になると、ぼそぼそ、そこいらで談話が始まる。中には、向うの草むらから歩いて来られ、その座に加わる羅漢も居られる。折から山颪が来て、一斉に乾いた草木が泣き出す。俳句では虎落笛(もがりぶえ)と言う季語で使っている。寒さが厳しいから、星がよく光る。すばる星など鮮明に見える位である。 「ほほう、御坊が仏門に入られたのは、十九で御座ったか。」 「はい、忘れることができませぬ。」先に相槌を打ったのは、福禄寿のように頭の長い羅漢であった。垂れんばかりの鷲鼻である。これから正に告白しようとするのは、凡人っぽい、それでいて若さの匂う羅漢であった。羅漢は総じて眼玉が大きいが、この方のは、眼に顔があるといった見事な眼玉であった。 「すると、女人から逃れて参られたかの?」鷲鼻の羅漢が覗くようにして尋ねられた。額の皺は六十の齢を見せつけるようであった。 「はい、高貴な御方に恋慕した訳で・・・・・」恋慕と言う言葉が耳に入ったのか、八方の草陰から、ぞろぞろと来られるわ来られるわ。仏話を拝聴する信心者のように、忽ち円座が出来てしまった。さすがに冷やかすような野暮なことはなさりはしない。只、にやけそうになる顔に神経を通わせ、静聴して居られる。若い羅漢は苦行を乗り越えただけあって、此処に至ってぐっと落ち着かれ、舌もよく回転し始めた。 「いかに高貴な御方とは言え、女人は女人と高を括って居った其の上、己を褒めるのもおこがましいが、容姿にも自信が御座りました。・・・若かったのですな。平井保昌宜しく、紅梅一枝を肩に挿して、寝所に忍んだので御座ります。」 「ふむ。」鷲鼻の羅漢は味わうように、頭を上下させて聴き入ってられる。山颪も止んだらしい。 「偉い御方で御座りました。愚僧の参るのを知っておいでで、諭すように、こう申されたので御座ります。」夥しい視線が若い羅漢の口許に凝集して、辺りの空気は、一瞬、止まった。 「あなた様のお志、有り難う御座りまするが、物盗りになるような子供は、産みとうは御座りませぬ。」 「それだけじゃったか?」 「はい、たったこの一言で御座りました。その方からこれ以上の言葉の出る隙の無いことは、血気盛んな愚僧にも感じ得たほど。・・・・考えあぐんだ末、仏門に入った訳で御座ります。」福禄寿の羅漢が、静かに問われた。 「それで、答は出たかのう?」 「はい、今なおこうして考えて居りまする。」 円座の羅漢はそれぞれ尤もだと頷いて、それから首を傾げながら、八方草蕪に戻られた。鷲鼻の羅漢も腕組みして考え込まれた。當の羅漢は、また、きいっと星を睨み返して居られる。 辺りは、やはり凍てるような寒さが根を下ろし、草木はますます干乾びて泣き止まない。 この短編は、おりくが社会人2年目、24歳の折に書いたそれはそれは古い作品です。
2004.01.22
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昔から月刊雑誌などは一月先の月号で発行されますが、俳句の世界も季節を先取りして詠んでしまいます。この楽天でおりくを古くからご存知の方は、おりくが冬場に弱いことは百も承知だと思います。この季節、所謂、冬至から3月上旬までが殊のほか苦手なのです。会社の仕事が終わって社屋から一歩出た時、既に暗闇だったりすると哀しくなるのです。 夏至の頃は6時をはるかに過ぎても太陽が西の空で元気に輝いて居て、何か得をした気分になるのと正反対なのです。また寒いと安物の頭脳回路に障害が生じますので、真冬が苦手なのです。 しかしながら、私たちの視界では無味乾燥な冬景色ではあるけれど、よくよく目を凝らして観れば、植物は着々と新年度への、いえ、春への準備に余念がありません。枯れ枝と見える細い枝の先端には、固いけれど蕾が膨らんでいます。一見昏睡しているように見える樹木の太い幹の中では、春に備えて活発な給水活動がされているのです。このような事を踏まえて、過去に詠んだおりくの拙い句は、 冬ざるる 梢に魔女の 指腕(かいな) 冬曇り 空から夢など 落ちはせぬ 通勤の 人は二月の 顔ばかり 歳時記の 二月を繰りて 春よ来い 冬枯れの 樹々の内なる 滾(たぎ)りかな 望春やるせなきおりくの心中(しんちゅう)です。
2004.01.21
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或る人から聞いた実話である。彼は阪急神戸線の山手の住宅街に住んで居られる。数年前に自宅からやや離れた山道で猪に遭ったそうな。猪突猛進とは人の性格を表わす四文字熟語になっているが、実際は、その通りだったようである。人間は猪を見て驚くが、猪だって人間様に出くわして驚いているのである。この時は何事も無かったようだが、去年の初夏、早朝、自宅から坂道を下りながらゴミ袋を所定の場所に置きに行った時、坂の下方から、体長大いなる猪が上って来たらしい。 友人はとっさにゴミ袋を振り回したそうな。女もののツッカケを履いていたので不安定になり、階段状の地面の尖った部分に倒れて、足を怪我したと言うのである。その怪我は10針も縫うほどで、彼は止む無く会社を休んだのだそうだ。二日後に出社した彼から事の仔細を聴いて、歩き辛そうにしている彼に同情した。 そして事のついでに尋ねてみた。「で、イノシシがぶつかって来た後、どうなったのか覚えてますか?」・・・その答えは、「いや~~、イノシシは全然襲って来なかったンだぁ。自分が身の危険を感じてゴミ袋を振り回し、バランスを失ってコケただけで、イノシシは知らん顔して悠然と道を上って行った」だって・・・・。
2004.01.20
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日本の平均寿命が天井知らずで伸びています。その理由を探ってみようかな?先ず、戦中・戦後は医療施設が貧困だったから、出生率そして赤ん坊がちょっとしたことで亡くなっていました。おりくの弟も母の乳の出の悪さゆえ、栄養失調であたら命を失ったのだし、おりくも一時医者が見放した時期もあったようです。世の中が落ち着いて来て、乳児の死亡率が漸次減少して行ったことが平均余命を引き上げたことの最大の理由だと思います。 次に明治後期・大正・昭和初期に生まれた人は身体の鍛え方が現在よりもシビアだったものと思われます。例えば小学校への通学の距離が現在と比較にならない程、遠距離であったので、知らず知らずのうちに強靭な身体が出来上がったのでしょう。 今、鍵を握っているのは戦時中、戦後生まれのおりくの年齢に近い年代層が、果たして平均85歳以上生存できるか?という命題の答えは、これから先に、その結果が出ますね。医療技術や施設の目覚しい改良が寿命に貢献しているのは自明のことですが、まだまだ予断を許さないのかも?子供から青年期への育ち盛りに栄養が足っていたのかどうか、その点がやや疑問に思うからです。 それは兎も角、市内のビジネス街には50歳代から70歳手前の初老の人が若者以上に多人数になって来ていることを実感しています。政府が数年前から予告して来た通りの現象になっています。予告しておきながら、過去、年金制度について、しかるべき手を打つことを怠って来た行政の遅れが顕著になっています。 年金の原資を思う時、労働人口の確保が重要で、その中に占める女性への対応が遅れていますね。女性は本来勤勉だと思います。働く意欲があるのに育児施設、その他保障や支援面で早急に具体的な施策を行って欲しいと思うのです。 ところで、現在の姑さんの気質と将来姑さんになるだろう人の気質は別のものなのでしょうか?嫁との折り合いが悪くない姑予備軍が大勢を占めるのであれば、3世代同敷地内生活を提唱するのですが・・・・。
2004.01.19
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ベース系はテナーよりも1時間繰り上げてパート練習があるとクラブ全体のメールに書いてあったので、慌てて家を飛び出しました。私たちの練習会場は大阪、本町の公共施設。建物は新しく、15階までエレベーターに乗ります。おりくは12時丁度ぐらいに着いたのですが、既に8人ほど集合されていました。我らベース系のトレーナーのH氏が「声の質を変えて下さい、低いピッチのがなり声よりも、ソフトでありながら音程の正確なしっかりした声を出すことを心掛けて下さい」と言及されました。 丁度、皆の前に居る彼の背後は大きな窓になって居て、大阪城や生駒山系が見事に見えます。このビルから滑降する大きな鷹になった積もりで、上から音を見下ろす感じで声を出して下さいという話でした。 おりくが4年余り休んでいた間に、こんな素敵な練習会場を見つけて下さっていたのでした。6月には岡山で女性コーラスとジョイント、8月には東京混声合唱団とのジョイントを控え、真剣な練習が始まります。本日も♯、♭のいっぱいついた楽譜の譜を追いかけつつ、正しい音階を探りながら練習していたのですが、大阪城の緑の縁取りも美しく、その奥に控える山系は薄青く、でこぼこに立ち並ぶ大阪市内の高層ビルは、麗らかとも思える陽射しに輝いていました。 譜読みに時間をかける余裕などないのですが、事前準備を心掛けて、この15階からの大パノラマの、四季折々の景色の移ろいを楽しみながら、男性だけのハーモニーに磨きをかけて行こうと誓ったのでした。
2004.01.18
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小雨の降る中、実家の母の買い物を届け、古新聞の持ち出し荷造り、広告の荷造りなどして後、京都市内へ出て「ふるさと」という「岡 春夫」ファン事務所でもあるスナックに到着し、先輩たちに握手、握手のご挨拶。 ところで、このスナックはそんじょそこいらのスナックとは一味違った知る人ぞ知るという歌手の方もじきじき来られるところです。昔のテレビや紅白で名を馳せた歌手の写真が余す処無く飾ってあります。数年前一人でお忍びで来た時には、80歳代のお年寄りが、大気炎を上げていました。妙齢の女性同伴でナツメロに興じていました。 本日の参加者は25名。一人5000円の会費でお弁当付き飲み放題です。不思議なことに、銀行OBで集まる、このカラオケ同好会では、発足7年ほど経過していますが、先輩皆さんお達者です。 世話役の一人が一度、死の淵に立たれたこともあったけれど見事復帰!それから3度目の出席にあたる今回は、元通り大きな声で歌って居られたので、司会進行役のおりくが拍手を求めましたら、全員割れんばかりの拍手の渦でした。「皆でみんなの健康を護りましょう」はおりくの提言、喜んで戴きました。男性最高齢は78歳からおりくの59歳までの22名、女性3名も皆さん元気者です。その場の空気や歌う人のその日の表情・個性を他の皆さんに紹介しながら「明石屋さんま風」に場を盛り上げて来ました。健康だからカラオケ会に出席できる、カラオケ会メンバーだから病気も吹っ飛んで行くという相乗効果を狙っています。
2004.01.17
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4年半休んでいた男性合唱のOB合唱団の練習は月初と3週目のそれぞれ日曜日です。ということは俳句の例会と重なってしまいます。幾ら活動的に振舞っても、身体一つでは同時に二箇所で楽しむことが出来ません。俳句は出句(会費千円と5句)を親しい人に頼めば可能ですが・・・・。退職して自由になれば、小人数の句会には出席できますので、今後、俳句は例会を断念、何らかの方法で続け、合唱の練習を優先しようかなと思っています。 話は変わりますが、本日、おりくの部屋を覗いて下さった方々の中に、蟻の生態を観察したり、茸の生育を楽しんでいらしゃる方が居られたので、今後何か新しい情報が貰えるのかなと期待しています。 明日は午前中に実母のフォローを済ませ、その足で京都市内での「カラオケ同好会」に参加します。翌日曜日は、合唱の練習に参加。いよいよ忙しくなって来ました。相棒がほぼ一ヶ月休んだ為、仕事に追いかけられる(この状態が一番虫が好かないのですが・・・)毎日で、仕事・仕事・仕事に明け暮れていますが、気分転換を図り、安物の頭脳を活性させておこうと思っています。間もなく訪れる60歳という節目など、ピョンと飛び越えて、自由時間豊かな青春真っ盛りを楽しんで参りたいと思っています。そう云う意味で今年の年賀状の句は 還暦てふ 青春迎へる お正月にしたのだから・・・。
2004.01.16
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松の内も終わって少々、暗い話題になりますが、今から15年前、昭和64年(’98)1月7日、テレビは華やかな色彩が一掃され、黒装束のアナウンサーが昭和天皇崩御の大ニュースを報道していました。 午前6時33分に昭和天皇はお亡くなりになったのでした。当時おりくは銀行の出張所勤務で、国旗のポールの先の玉を黒布で覆い、黒いリボンを垂らして哀悼の意を表していました。 大阪の今宮戎神社のもちまき神事は中止。吉本興業も7日の興行を取り止め。大相撲初場所は8日初日だったのを1日順延しました。 国民が華美・音曲を控え喪に服する中、皇太子殿下には皇位を継承され、1年間の服喪の後、「即位の礼」にて正式に儀礼なさいました。 午後2時30分頃、新元号発表の記者会見が中継され、墨で大書された「平成」の額を呈示しながら小渕官房長官が平成を晴れがましく発表したのでした。その小渕さんも後年総理大臣を経験されたものの、鬼籍の方となってしまわれました。 あれから15年が経過しました。・・・あの頃の自分はどんな人間だったのだろう。皆さんは何を考え、どんな生活をなさっていたのでしょう。・・・・・今から15年後、自分はどんな人間になっているのでしょう。皆さんにはどんな未来が待って居て、どんな方になっているのでしょう? 15年という月日を思う時、Time is money.という格言が真正面から警告を発して来ます。この日記をご覧になられた若者たちよ、自分を大切になさって下さい。新聞や報道や一過性の流行に影響されることなく、自分という確固たる個性を形作って下さい。15年後には、このおりくだって、この世に生存している保証など無いのですから・・・。
2004.01.15
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本日、新年の宮中行事を締めくくる「歌会始の儀」が行われましたね。おりくは昨年末以来、人手不足でビシバシ仕事に追われていまして、テレビのニュースも見ないまま、夕刊にて素敵な御歌を噛み締めて居ります。 実は一度だけ(一昨年?)おりくも応募しました。いろんな条件がありますが、誰にも漏らしていない作品に限ります。応募用紙は半紙に毛筆にて今年のお題「幸」と右端に書きます。 そして自分の歌を書き入れます。住所、年齢、職業など規定の項目をその半紙に認めて、宮内庁に郵送します。「嵐峡は蒼きふところ桜餅春滔々と水の流るる」だったでしょうか?お題「春」にチャレンジした拙歌でした。 畏れ多くもかしこくも、ご皇族、選者、入選者の御作品には触れませんが、毎年、この雅やかな行事は、わが国の誇りとすべき文化の粋だとおりくは思っています。 畏れ多くも今上天皇陛下には、学生時代に将棋の名手であらせられたこと、そして麻雀にも興じて居られたことは、元毎日新聞論説委員:藤田信勝氏の随筆にあります。 民間から妃を選ばれ、その後お二人の着実なるご尽力で天皇家と国民との距離が身近になりました。私たちはご理解ある現天皇様、皇后様に心から謝意を申し上げたいと思います。
2004.01.14
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この楽天サイトの皆さんのお日記を興味津々で拝見していますと、30%ぐらいの確率で素敵な書物に出会った話をなさっていますね。 おりくも、その例に洩れず、「古都彩菓」文化出版社:数江瓢鮎子、中村弘子、杉浦澄子共著を図書館から借り出しました。京菓子の老舗:鶴屋吉信さんの創作和菓子と器などの織り成すハーモニーの贅沢な御本です。 これから一年かけて紹介して参りますが、写真:大倉舜二、畠山崇、小林庸浩さん達の見事な撮影、エッセイ風に記された京四季折々の雅の行事、梅木喜寛さんの菓子の解説・・・とても豪勢な書物です。 おりくの知らなかったこともふんだんに書いて下さっています。本日は感動だけを日記に記すに留めておきます。
2004.01.13
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阪急西宮から一駅西に夙川という駅があって、下車すれば直ぐ夙川の堤防を散策することができます。本日、近くに用事があって約束の時間よりも随分早く着いたので、この川の空気に触れようと思い、堤防を歩きました。 通常、冬の川はそれほど水量が多くないのですが、夙川は豊かでした。午前十時の川風は頬を緊張させる冷気を運ぶけれど、それが快く感じます。 川面には幾つかの川石が並んでいて、その周りを勢いよく水が流れ、或る川面では鴨が首を背中に廻し、すっかり眠っています。黄色の足は氷水のような水に浸しながら眠っています。 一体全体、鴨という動物には足の霜焼けという病名は無いのだろうか。滝に打たれ修行する僧は自分の意志で、この冷気と闘っているだろうに、暢気に眠っている水鳥たち。 夙川をゆっくり遡っていく間には、犬を散歩させる女性や老人、ジョッギングに専念する人、お互いを支えながら歩く老夫婦、正にいろんな人たちに行き交い、これらの住人がこよなく、この川を愛しているように思えました。 川に沿って整備された公園には、延々と桜の木が並んで居て、細い枝先を目で辿れば、ちゃんと今年の4月に咲かせる蕾を持っています。 植物は奢らず、数万年前からの営みを清清と続けています。一方人間の欲どうしさは如何ほどでしょう?インターネットの世界一つをとっても、アクセス数だけに拘る人の多いこと。 中学生や高校生のHPは動く画面がいきなり現出してきて、ギョッと驚きます。見栄えばかりに気を囚われないようにね。アクセス数ばかりを気にしないで、真の友達ができるように、心の奥底を書いて行きましょうね。
2004.01.12
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おりくは京都の外れに住んでいます。「京の田舎」に憧れて25年ほど前に建売住宅を購入しました。平安京に移る10年前に、当地にも都があったので、遺構が沢山出てくる場所です。 他に自慢できるのが、田舎っぽいものが残っていることで、本日、民間(地元)消防団の出初式がありました。朝8時半から防犯サイレンが数回鳴って納まりました。何だったンだろうと首をかしげていましたら、実は年初の消防訓練の日だったようです。近くの寺に勢揃いして坊さんの読経に神妙な青年団員の凛々しい顔、顔、顔。 去年暮れから頻繁に発生する放火事件を思う時、彼らへの期待が募ります。田舎って「講」や「お十夜」や青年団など、昔からの知恵が護られていて、おりくは嬉しく思うのでした。
2004.01.11
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十日戎に参ってみようかと思っていましたが、家内が人ごみを嫌ったので、急遽ご先祖さまの墓参りに方針を変更しました。お寺さんへの土産ものを買って、四条河原町を下ります。 五条通りを西に入った処がお寺さん。お墓は本家の方が綺麗にして下さっていました。京の町並みを歩いていて、ふと見つけた「おかき屋さん」でおかきを購入。高島屋に戻って「萬養軒」で遅めの昼食を摂りました。京都高島屋7階グランドホールでは「ウッドワン美術館」(広島、廿日市市)の所蔵する日本画、洋画800点の内、110点の展示がありました。高島屋カードを持って居れば本来800円入場券が無料で貰えます。上村松園の「舞仕度」鏑木清方の「二人づれ」横山大観「霊峰不二」や林武の「赤富士」、黒田清輝の幻の名品「木かげ」小倉遊亀「蛇の目草を持つ少女」岸田劉生「毛糸肩掛せる麗子肖像」など等。 おりくの感想を申し上げるなら、明治初期に西洋画家に勝るとも劣らない筆力で油絵が描かれていること。そのモデルたちが活き活きしていて、街路で擦れ違いそうな感じを受けたことです。よくよく考えれば、女性に生まれて来て、有名な画家のモデルになって居れば、100年、200年、いえいえ数千年後でも、何百万人もの人たちに見つめて貰えるということです。 兎に角、明治中期から昭和までに活躍した多くの画家のエネルギーが作品を通して、脈々と伝わって来たことが凄かったという印象でした。
2004.01.10
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ゴルフの起源にはいろいろ説があるようですが、丸い球を棒で打つ遊びをゴルフと言うなら、古くはペルシャ・ローマ時代に遡ります。しかし、これは現在のホッケーに似ています。スコットランドの羊飼いが小石を杖で叩いて兎の穴に入れる遊びをしたという説は、その証拠が見当たらないようです。オランダにおいて、木の棒で球を打ちホールへ入れる遊びをコルフColfと呼んでいたらしいです。オランダの古い絵画、タイル絵、古い巻物にその証拠があるのだそうです。1297年6月27日、クルーネンベルク城に置いて、4ホール、総全長5千ヤード。1組4人で2チームで競われた記録があるようです。勝ちチームはビールを、負けチームは見物人同様、リンゴが王より与えられたらしい。オランダのゴルフは一旦文献から消えスコットランドで貴族のスポーツとして急に流行したのだそうです。オランダは貿易が盛んとなって裕福だったため、歩くというスポーツが敬遠されたのか、スコットランドに輸出され、それがイングランドに移り、オランダにゴルフが復活したのは1893年ということらしいです。(今回の資料は文芸春秋巻頭随筆’72年2月、J・クランスルロワ氏<KLMオランダ空港日本支配人>執筆より)
2004.01.09
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人生模様はさまざまですね。会社の近くでの昼食で利用する喫茶レストランでの出来事。おりくは同僚数名と昼食を摂るようにしていまして、曜日毎に訪れるお店を変えています。一昨日のことでしょうか。50歳前後のご婦人お二人。お顔を見て、何となくどのような人生を歩んで来られたのか、凡そ見当のつきそうな風貌でした。「40歳になれば自分の顔に責任を持て」とよく聞かされますが、残念な事に、このお二人は自己中心に暮らして来られたのだろう?と推測のできる感じでした。一方、別のテーブルに座って居られる70歳過ぎのご婦人は裕福そうな方でしたが、食事をする瞬間、両手を揃えて感謝のポーズをなさってから食事を始められました。ほんの一瞬のことでしたが、ごく自然に身についた仕草で、とっても美しく見えました。このご婦人はお金というものの値打ちを理解して居られるお人だなと思いました。お客があって初めて営業できるお店の立場、お店があって食事を提供して貰って初めて食事のできる幸せ。どちらも横一線ですよね。常に感謝の気持ちで暮らしたいと思いました。
2004.01.08
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正月三が日はあっと言う間に過ぎ、ともすれば六日の晩、七草を用意するのを失念しそうになります。京都は割合古い儀式を残しているので、この粥を作る前夜の話を致します。 芹、なずな、ごぎょう、はこべら、仏の座、すずな、すずしろの七種類の菜を茹でて俎板に乗せます。火箸、包丁を同じように俎板に乗せ、擂り粉木で俎板を叩きながら囃し言葉を唱えます。「とんとの鳥が、日本の土地へ、渡らぬ先に、七種なずな、七種なずな、七種なずな」を三度繰り返します。これを父長から順に家族全員が唱えます。 実家の母には市場などで市販する七種を買いますが、最近、家内は、有り合わせの食材で七種のネタにしています。おりくも最近囃すこともないようになりました。「居眠りつ 七草打つや 幼き子」・・・おりくが年少の頃はこう言う風情だったのかと、即興で詠んでみました。白い粥の中の緑色が、いかにも春を呼ぶ感じです。京都市の南郊外に在る城南宮の七種粥は有名ですが、ずっと暖かくなった頃に催されていたように思います。囃し言葉も若干異なっていました。
2004.01.07
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おぼこい頃は坊主めくりが百人一首かるたとの接点でしたが、わからないままでも、「これやこの行くも帰るもわかれては知るもしらぬも逢坂の関」とい蝉丸の歌を覚えたのが一番目。姉二人の好きな歌は長姉が「あまつ風雲のかよひ路ふきとぢよをとめのすがたしばしとどめむ」(僧正遍照)、次姉は「むら雨の露もまだひぬまきの葉に霧たちのぼる秋のゆふぐれ」(寂蓮法師)。どちらの歌も宝塚歌劇スターの名前に使われているからでしょうか。落語には在原業平の「ちはやぶる・・・からくれなゐに水くくるとは」、そして崇徳院の「瀬をはやみ・・・われても末にあはんとぞ思うふ」があります。 こどもにとって旧仮名づかいの文字はさっぱり理解できず、飛んでもない自分なりの解釈をしてしまい勝ちです。カルタ取りで強くなるには、1枚札だけは他人に取られないよう暗記しておく必要があります。1枚札というのは上の句の最初の音が、一つしかないもので、「む す め ふ さ ほ せ」で始まる歌のことです。「むらさめの、すみのえの、めぐりあひて、さびしさに、ほととぎす、せをはやみ」すでに二つ紹介した通りです。めぐりあひてと言うのは紫式部の和歌です。 さておりくが最も好きな歌は「由良の戸をわたる舟びと梶をたえゆくへもしらぬ恋のみちかな」(曽根好忠)です。とてもロマンティックな歌でしょう。
2004.01.06
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幼い頃は百人一首かるたの絵の札を使って、坊主捲りに興じていました。山札から1枚づつ捲り、男の人はそのままキープ、坊んさんが出たら自分の手持ち札を全て吐き出さなくてはなりません。そしてお姫さまが出たら、場に捨てられていた札をごっそり持ち帰ることが出来ます。 場に捨て札の無い時にお姫さまを捲ったら、もう1枚捲れます。そこで坊主が出たりするとギャフン、場に全て吐き出しです。「蝉丸」が出たら、全員の持ち札を貰うことが出来ます。懐かしい遊びです。この他に「銀行ごっこ」と言って、幾組かの山を作り、子供がどれか好きな山に札を貼ります。一つだけ残った山が親の山で、親の山の札と、子供の山の札とを比較して身分で優劣を競う遊びで、札が坊主・姫・天神さんなどの種類によってお金にもなり優劣で配当が貰える遊びです。天皇(女性の天皇も):500円。武士:100円。お姫様:50円。坊主:10円。丸烏帽子:5円。烏帽子:1円。 小学校から高校生ぐらいまで、一種類の百人一首の札ばかり使用していましたので、その時の絵柄ばかりが思い出として残っています。大人になって自分で買ったものと、歌詠人の姿や色合いが違うので、面食らいますね。
2004.01.05
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本日は初句会の日。いつも笑みを絶やされない師や先輩俳人の輪=和の中に飛び込んで参ります。未だ、新年雑詠での、これといった句が出来ていませんので、パソコンの電源を落として句作りにいそしみたいと存じます。等と書き残して先ほど戻って参りました。幾つか句は出来ていましたが、阪急電車の駅に至る道中、電車内で、ポッポと句が湧いて来ました。それを忘れぬ内に携帯にメモ書きしました。 新年からいつもより1時間締め切りを切り上げると言う話を思い出し、バス停から駆け足で滑り込みました。推敲する間も無く5句を短冊に書き入れました。不思議なもので、過去なかなか先生の選に入ることが無かったのに、年初は2句選んでいただきました。 初句会 百寿の人も 打ち揃ひ 太箸の 白さ尊ぶ 京気質 なお主宰の仰るには京気質は少し言い過ぎな感がしますと。で、少し手直し。 太箸の 白さ尊ぶ 京の雅 かしら芋 でんと据へたる 京雑煮 初句会 一期一会の ともがらと 初句会 師の笑み人の 和の中に 屠蘇酌みて 主宰の尊顔 満笑みに 俳句会の話はこれ位にして、京都新聞に「百人一首ゆかり 京の26カ所 ネットで案内」と書いてありました。京都市歴史資料館HP「京都のいしぶみ」です。http://www.city.kyoto.jp/somu/rekishi/ishibumi/top01.html 先月の句会の帰り道では豊臣秀秋関白一族の墓を、偶然見つけました。男女30数名が賀茂川の河原で打ち首になったゆかりの場所の近くでした。 このように、京都の町は余程注意していないと歴史的に有名な人物、建物などの石碑に気付かず見落としてしまいます。 おりくは高校生も頃、百人一首のファンになりました。勿論、小学生・中学生の時から100首全て諳んじるよう、寝床の中で、絵札を繰りつつ暗記していました。 百人一首に関する書物は数えられない程ありますね。分けても、毛筆で書き込まれた豪華な書物は「宝物」のように思えます。 日本人なら旧き大和言葉に馴染むDNAが身体の中に組まれている筈です。5、7、5、7、7のリズムにも違和感が無い筈です。
2004.01.04
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お正月も早3日の晩となりました。楽天の仲間たち、皆さんそれぞれお元気に晴れやかなお正月を迎えられたことでしょう。三が日とも好天気で良かったね。 さて、あと10日ほどで、ネットでのHP開設1周年になりますが、ライコスさん、楽天さんのお蔭で有意義な1年を過ごせたことを感謝して居ります。 楽天の社長三木谷さんは未だ38歳の青年実業家で、阪神大震災で一瞬の内に親類や友人を失った教訓から、エリートの銀行員から脱皮、ネットの世界を先読みして起業されたのです。 お役所、公務員、銀行など旧体制のよく使う言葉、前例が無いから・・・を不採用の理由にするのではなく、前例の無い新しいことへ果敢にチャレンジして結果を残す・・・を採り入れて居られるのだと思います。 おりくの口癖、温故知新。古きを尋ねて新しきを知るという姿勢は、喩え後1000年先になっても変らない道理だと思います。アメリカナイズされた最近の企業は、永久雇用という「会社と社員の信頼関係」をも放棄し、崩しています。 正当な評価さえして行けば、社員は自覚を持って会社のために働く筈。それを数字的な物差しだけで判断したり、えこひいき的な人脈(之を派閥という)で断を下すのであれば、その企業はいつか崩壊するのではないでしょうか。 話は本来申し述べたい方向から逸脱していますので軌道修正しますと、自分の人生は自分の舵加減に帰するということです。自分の一生は自分が叱咤激励せず誰が導いてくれるのでしょうか?他ならぬ自分自身なのだと思います。同じ食事を摂ったとして、片方はもっと美味しいものを、もう一方は食にありつけただけで感謝の念で味わって戴く。このスタンスの差が将来、大きく響いてくるのではないでしょうか。 おりくにもし自慢できるものがあるとすれば、それは原点に立ち返って、真っ白な心に戻せる機能を失っていない、いえ、それを最重点にしていると言うことです。 今年に入って未来・将来と言う時間は既に、刻々と現在・過去と言う時間に変遷して行って居ります。焦りはしないけれど、貪欲に感性を磨いて行かなくっちゃと思っている3日目のおりくです。
2004.01.03
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世間は広いようで、実は何かの縁で繋がっていると言うような場合が多々あるように思います。自分の生きて来た道のりの中で、幾たびかの選択肢があって、その流の中に、今の自分が存在しています。あの時別の選択をしていたとすれば、また、全然異なった人生経験を積んでいたものと思える節もあります。 おりくは日本の芸事の世界に踏み込んでみようかなと幼い頃に一瞬迷った時季もありました。小学生の男児が舞踊の世界に入るには羞恥心が勝っていました。社会人を目指す時、ジャーナリズムの世界に飛び込みたいと願った時季もありました。結局、銀行員という世界に縁があって、その流れで現在のおりくがあります。創作したり文章を書く道を選んでいたとして順風満帆だけで済まして来られたかと言えば、それは7割方、そうでは無かったろうと思います。 現状は満足、納得のいくものではないにせよ、こうして生きて来られたのだから、先ず良かったと思うのが順当というべきでしょう。今春停年退職してフリーになる(それでも、娘、息子を養う立場は変りませんが・・・)のだから、これから先の人生は自らの意志で、実のあるものにして参りたいと愚考して居ります。 身体の健康、心の健康を保ちながら老齢への階段を一歩一歩確認しながら歩んで参りたいと思って居ります。 以前ライコス時代に「隠居」について触れたことがありまして、ご隠居という概念は仕事を通じて頑張って来たことへのご褒美という認識が江戸時代にあったようです。家族との調和を図りながら自由奔放に生きて行きたいなぁと欲張った考えもあります。微力ですが、人様のお役に立ちながら自分も満足できる・・・そんな道を探して参ります。
2004.01.02
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明けまして御めでたう御座ひます。 何とか元旦から日記を綴ることが出来そうです。大晦日に実家に寝泊りして、元朝には、白味噌仕立の京雑煮を母に振る舞いました。 母は口先ばかりで、もう余り料理など出来なくなっていまして、鍋を焦がすのが関の山状態なのです。母当てに到着した年賀状をチェックして書き足した上で実家を後にし、一路家内の実家へ。 家内と義弟は丁度、義母を老人施設へ迎えに行ってる最中でした。義父に新年の挨拶を済ませ、義弟のPCを拝借して、このHPを覗きました。 やがて家内が義母を連れて戻って来ましたので、二人で昼飯の買出し。とあるスーパー一箇所だけオープンしています。8人で賑やかに昼を頂きました。 後はテレビなど見ながら、老親たちと話の食い違うまま会話などして、わが長女の到着を待ちました。夕方6時前にようやく娘が来ましたので夕飯の準備。もう一組の義弟姪が埼玉から駆けつけ賑やかになりました。
2004.01.01
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