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〇『天下無双の大人の雑学』を繰っていたら、顔の右半分は「なりたい自分」、左半分は「本来の人柄」という項にぶつかりました。昔の喜劇俳優、落語家・柳家金語楼さんは珍しい左右対称のお顔でしたが、通常、人間の顔は左右対称ではありません。実際に鏡に映して見ればご納得が行くでしょう。右半分は優しい印象、左半分は自身の性格の厳しい面、邪悪な面も表しているようです。交渉ごとの折には知的で冷静でちょっと恐い印象を与える左を見せると良いのでは?
2026.09.26
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〇今朝ゴミを所定地に置いてから自宅への戻る時、天王山に抜きん出て聳えるモミの木の不恰好さを哀しく感じながら、クリスマスツリー状だった樹の上3分辺り丈が残り、その下部の枝がバッサリ21号台風に遣られたことを不思議に思いました。結論は、大きい部分はそれだけ風に吹かれる範囲が広い訳で、その上の枝木は何とか強風を凌いだのだと。そう言えば、大相撲の取り組みでもそれを証明して呉れています。小兵藤の川関は、その対戦相手の9分が自分よりの大きい力士であるにも関わらず、「なぎ倒す」と言う表現を使いたいほど、果敢に相手に挑み、予想を覆して勝利を収めています。彼こそ21号台風の申し子なのかも知れないなんて、軽口を叩いてしまいそう。川のほとりで、大小、いろんな石を時間をかけて積み上げるワザを持った人がいます。重心の探求に秀でた方なのでしょう。各石の重心をとらえ、積み上げてていく手品のような技術。相撲も全て重心の安定度の大小に関わってきます。自己の重心の据え方に長け、勢いと言う武器で叩きのめす、それが藤の川関の戦法なのでしょう。天王山、山頂付近(自玉手祭来酒解神社)近くに聳える樅の大樹を見て、そんな事を思いました。
2026.09.25
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〇古くなったり、廃れた状態を、蜘蛛の巣がはったようなという表現をしますが、蜘蛛の巣は張りっぱなしの糸を補修しながら暮らす女郎蜘蛛を例外として通常は毎日新しい糸と張り替えています。じゃあ古い糸は?古い糸は脚に巻き付け、丸めて食べているのです。粘着力のある新しい糸で、明日の糧を待ち続けるのです。加えるなら、食べた古い糸の95%が新しい糸に変わるので、凄いリサイクル率と言えますね。
2026.09.24
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〇土曜日の8時過ぎの阪急京都線に乗った時のこと、電車の扉が開くと同時に、補助席にサッと座った30過ぎと思しき男性。ああ、現代の都会人は斯くも疲れ切っているんだなと思いましたが、居眠りするわけでもなく、携帯のゲームを熱心に楽しんでいました。またその前日、理髪店の彼に萩の話を始めようとすると、萩って何です、聞いたことがありません。チューリップやヒマワリなら兎も角、萩はきっと今の若い人、小学生すら知らない筈と宣いました。こんな日本に誰がしたのでしょう。先ほどの座席に座した人は別として、今の都会人は疲れ切っているのかな、刹那的な情報しか吸収するユトリが無いのかなぁ~とそら恐ろしく感じました。まずは礼節と日本の歴史そして生きてゆく上で大切な基本的なものを小・中・高の教育で徹底して欲しいなと感じた次第です。
2026.09.23
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〇蒸し暑かったり、車中や室内が暑く感じるとつい手にするのは扇子。扇子の源流は中国のうちわで、日本はこれを真似て棕櫚の一種のビロー樹でうちわを作成。 + +このビロー樹の団扇は少し力を加えると簡単に畳むことができることからヒントを得て、携帯できるよう、薄い木の板を糸で綴じ合わせました。板扇と言ったようですが、これが扇子の始まりなのでした。板扇はさらに改良され、板を細く・薄くし、糸の代りに紙を貼り付けるものが平安期に登場しました。 + + 本来、中国から渡って来たうちわが扇子となって中国に輸出され、中国人がその扇子を欧州に輸出したのでした。日本製のはヨーロッパで人気を博し、扇(セン)は英語のファンの語源になったとも言われています。 + +以前、滋賀県は安曇川に遊んだ折、扇子の骨を作っている家を何軒か見ました。京に運ばれ、雅やかな京扇子となって花街や茶道、華道、舞踊界、そして一般客にも愛用されているのですね。
2026.09.22
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〇秋の気配が日増しに濃厚になるにつれ、落ち着きを取り戻して来た感が致します。秋を彩るものは多々ありますが、一番ポピュラーなものは所謂「秋の七草」。七種類の名前を覚える方法を思いついてから、すらすら言えるようになりました。「お好きな服は?」→女郎花、薄、桔梗、撫子、藤袴、葛、萩。 源氏物語の手習いの巻には、<垣根のあたりに植ゑてあります撫子もおもしろく、女郎花、桔梗なども咲き初めてゐるのでしたが、色々の狩衣姿の若い男共を大勢連れて、・・・>と書かれていたり、みのりの巻には紫の上の御歌 おくと見る程ぞはかなきともすれば かぜにみだるゝ萩のうはつゆまた桐壺の巻では桐壺帝の 宮城野の露ふき結ぶ風のおとに 小萩がもとをおもひこそやれやどりぎの巻では中の君の 秋はつる野辺のけしきもしのすゝき ほのめく風につけてこそ知れ夕霧の巻では一条御息所の 女郎花しをるゝ野辺をいづことて ひと夜ばかりのやどをかりけんあげまきの巻の中宮大夫の 見し人もなき山里の岩がきに こゝろながくもはへる葛かなそして藤袴の巻には夕霧の おなじ野のつゆにやつるゝ藤袴 あはれはかけよかごとばかりもなどの歌が添えられてあります。少しは雅の世界に浸っていただけましたか?
2026.09.21
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〇15年前の9月10日、長岡京市調子の発掘調査地で、長岡京期の酒醸造施設跡とみられる建物跡や、明智光秀が山崎の合戦で羽柴秀吉を迎え討つために構えた陣城の堀跡などの現地説明会がありました。既に立命館中・高校の移転先となった、元大阪成蹊大の構内に、それらの跡地がありました。市埋蔵文化財センターが発掘した場所は長岡京時代の右京八条二坊七町などに相当しますが、醸造施設とみられる建物の跡や大甕の据付け穴、甕の破片、時代は下って光秀が築いた陣城の堀の跡も発見。そもそもこの跡地からそう遠くない地に「恵解山(イゲノヤマ)古墳」があって、其処から火縄銃の鉄砲玉が発見されているので、納得の行く話です。
2026.09.19
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〇長男に生まれ来て嬉しいことは、ご先祖様を祀るお仏壇と一緒に暮らせ、人々の健勝・治癒を祈念できる事です。日々、先の日の無事などを感謝し、今日の無事・幸せ・事の成就などをお願いし、再びその事を感謝できるから。亡くなった父・母や祖父・祖母などのご先祖様を身近に感じる事ができるから。大雨の後の快晴は素晴らしいですね。そして毎年、秋の彼岸の頃、律儀に咲きだす真っ赤な彼岸花。西洋の巨匠が描いたフレンチカンカンの衣装のような、原色の妖しさに戸惑いを覚えてしまいます。この花がどういう訳か墓地の卒塔婆の周りなどに群がって咲くので、「地獄花」と呼ばれ、忌み嫌われています。また「曼珠沙華」という名は、赤い花という意味のインド梵語です。父の親しい句友で私とも音信のある女性の句、 曼珠沙華斬れば返り血浴びさうでは忘れ得ない名句だと思っています。 金田一春彦さんは、八丈島の宇喜多秀家の事に触れておられ、その墓の近辺にも彼岸花に似たアマリリスが豪華な花を咲かせていると書かれていますが、今も咲いているのかな?因みに宇喜多秀家は秀吉亡き後の五大老の一人で、岡山58万石の太守。関ヶ原の合戦で敗北し、前田家・島津家のとりなしで死罪を免れ、八丈島に流刑の身となりました。福島正則公の廻船が八丈島に漂流した折、ひとりの老人が福島家の旗印を見つけ、広島から運んでる、それらの酒を所望したとか?
2026.09.18
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〇平安貴族に愛された紅花の濃染めは、後年、経済の崩壊につながると禁じられたので、着物の裏地や襟元から少し覗かせる工夫をいたようです。身の丈五十センチ余もある京保雛の十二単。その襲の見事な事。みちのくの女にとって、妖しい赤いきれはどんなに小さくても大切、まして紅花染をや。最上川を下り、日本海、敦賀、琵琶湖を経て京・大坂へ運ばれた紅花。袱紗や風呂敷にも応用されました。紅花売り商人は代わりに京土産を持ち帰ったとさ。摘んだ紅花は籠のなかで揉み洗い、筵に並べ、上からも筵をかぶせ、三日寝かせます。朝昼晩、三度如雨露でたっぷり水をかけ発酵させるのです。それを擂鉢にて砕き、木綿の袋に入れて一夜水に漬け、今度は灰汁を入れると真っ赤に。藍を加えると、緑、紫、赤紫、青紫と自在に豊かな色彩が生まれます。父の親友だった新関一杜氏のふるさと。紅花生産地の故か、お雛様も山形では盛んです。
2026.09.17
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〇加齢が進むと心配になるのは認知症。そこで趣味と実益?を兼ねてカラオケの知らなかった曲や新曲へのチャレンジに力を入れています。以前は真木ことみさんをそこそこ覚えましたが、最近は川野夏美さんや椎名佐千子さん、杜ことみさんや入山アキ子さんや田川寿美さん等々。川野「カクテル」 、三代沙也可「東京ひとりぼっち」、竹川美子「流氷海峡」、亜蘭「半夏生」これらの曲は本人が歌っているものよりも、AIを使い、流麗なピアノ伴奏付の別物の方がずっと音楽的で迫力満点。AIは高音になればなるほど凄味が出ますが、優しさには欠ける感じ。米倉ますみ「望郷恋唄」、田川寿美「女人高野」入山アキ子「江差恋女」「シアワセをありがとう」杜このみ「湯けむり情話」「郷愁おけさ」「残んの月」「夕霧港」真木ことみ「旅路川」「もどり舟」、岡田しのぶ「なみだ望郷風岬」。椎名佐千子「恋勿草」「いごっそ海流」「丹後なみだ駅」「君津・木更津・君去らず」など。ファルセットやセリフ言い回しが好評の長岡京の出て来る細川ガラシャ「お玉」や「おつう」、ファルセットを効かせる「それからの港町」「いのち陽炎」などが持ち歌です。(写真は堀川丸太町西、「ふるさと」)
2026.09.16
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〇初代新七を失って4年も経たない内に、52歳の若さで2代目新次郎が没した高島屋。5男2女を抱えて途方にくれる未亡人歌子、26歳の3代目らと毛利元就の3本の矢に倣うことにしました。木綿の仕入れは長男直次郎。帯地類担当の鉄三郎は血の滲む努力と根気で織屋から直接仕入れる道を開拓しました。高島屋にあった店歌 雲井に高き 比叡の山 小波寄する琵琶の湖 雪の曙 月の夕 ああ、麗しき国近江そしてこの秀麗の地を出でて 建てし心は高島の~~江戸時代の理想の商人象として 主人は大坂、女房は京都 番頭は江州、蔵番は長崎 小僧は江戸とされていました。 粘り強く、全国津々浦々まで足を延ばす近江商人、高島屋は、この根性で地道に発展を遂げるに至っています。
2026.09.15
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〇桂の小学校に上がった時分、すぐご近所に2階建ての倉庫のあるお家がありました。姉と一緒にそのお宅に伺い、主のおばあさんの了解を得て倉庫の2階へ上がり、暗闇の床にいっぱい落ちているレッテル、醤油だったのか、清酒だったのか、ワインだったのかそれは記憶にありませんが、いろんなレッテルを拾い集めて宝物として姉が大切に持っていました。また姉たちは飴玉やキャンディのセロファン包装紙の皺を指で伸ばし、大切にしていたように思います。 男の子の宝物と言えば、先ずはメンコ、そしてビー玉、独楽と紐。私の場合は愛車であった柄の付いた足蹴りのスケート。何処へ行くにも、このスケートに片足を乗せながら駆けていたような記憶があります。冬近くの夕方、路面には自分の身長とスケートの柄の影が妙に長く伸びて映っていました。
2026.09.14
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〇某日、サザエさんの母フネさん役の声優がお亡くなりになりましたが、「磯野家の謎<サザエさん>に隠された69の驚き」(東京サザエさん学会編)を繰ると緊張が解れてきます。磯野家のトイレは71冊のうち、11カット登場し、古い家に4つ、新しい家に3カ所もあります。推定によれば、波平54歳、フネ48歳、サザエ27歳で、フネさんは後妻だったと思われるなど、この本では肌理細やかに調査しています。独身時代のサザエは典型的なアプレ・ゲール(放恣・退廃主義)、男女同権を主張していたものの、男っ気は皆無。波平の趣味は釣り、囲碁、清元、盆栽、骨董。フネは長谷川一夫のファンで時代劇映画大好き。サザエは推理小説、カツオは俳句・短歌、ワカメは算術には弱いけれど、童話を書くことに秀でています。+戦後の貧しい暮らしから次第に豊かな日本へと成長してゆく世相を会話や服装、調度品などから読み取れるのがサザエさんの魅力なのでしょうか。ところでわが家の場合、一緒に出かけた回数から割り出すと、亡父は長姉に宝塚歌劇の良さを、次姉には映画の魅力を、そして私には歌舞伎という舞台芸術の粋を学ばせようとしていました。波平は出世主義でなく、人間として心豊かに暮らすことを重んじた人物像として見えますが、ステテコ姿の、あの禿げ茶鬢と亡父とが、私の中では重なりあうのです。
2026.09.13
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〇京の町家で生まれながら町家の暮らしを知りません。余りにも幼かったので記憶にないのです。しかし、父方の祖父・祖母に会いに行く時は、京都銀行本店の真裏にある借家まで出向き、春休み、夏休み、冬休みには寝泊りしました。借家は心なしか右側に傾いているように見えましたが、造りそのものは頑丈に出来ていてビクともしません。道路に面する部屋は”店”と言って、木綿製品を並べたり、客の応対をする場所でしたが、戦時中に廃業していましたので、今や祖父夫婦の居間でした。奥には二階へ上る階段、食事をする居間があって、その正面は台所で井戸もあれば水甕もありました。階段の下は富山の薬箪笥のように物容れになっていました。その又奥の部屋は寝室兼仏間で日中は暗い部屋でした。縁側の向こうには小庭と厠などがありました。台所が比較的明るいのは天窓があったからでしょう。布袋さんが並んだ荒神棚もありました。店の真上に当たる二階は屋根裏部屋で、殆ど物置き場になっていましたが、後年、叔母の手で綺麗な部屋になっていました。犬矢来、虫籠窓、紅殻格子、ばったり(ん)床几なども懐かしい造りでしたが、今はありません。 近頃はこの京風の町家がリフォームされ、画廊や喫茶店や和装小物の店などに再利用されていることは喜ばしいことですが、出来るだけ”本物”の京ものを販売して欲しいなぁと思っています。光の明暗がくっきり浮かぶのは空気の澄んだ秋。入日も風情があるし、ほんのり橙色の灯火の入った町家も心を落ち着かせることでしょう。
2026.09.12
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〇白百合が綺麗に咲く季節になりました。世界中におよそ80種類。日本には15種程度。『古事記』や『日本書紀』にその名が記され、『万葉集』にも10首詠まれています。茎が細いのに大きな花をつけるので、風に揺れ易く、その「揺れる」から「ユリ」と称されたのでしょう。 中国語ではユリを「百合」と表記し、それは根の部分が幾つもの鱗茎の球根になっているから。多くの鱗片が重なり合っている形態から百合の漢字を割り当てたようです。 宝塚歌劇団46期生には、甲にしき、古城都、上月晃らがトップになりましたが、同期生の玉梓瑠美、新入研究生の紹介号で選び、密に応援していましたが、確か~白百合学園出身者だったと記憶しています。
2026.09.11
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〇私は今でこそ普通の背丈ですが、高校生になるまでは成長が進まず、朝礼の並び順番は前から2、3番でした。一番辛いなあと思ったのは散髪屋に行った時です。小児は小さいので補助の板を渡しますが、実は私の場合もその処置をされました。只でさえ高所恐怖症なのに・・・椅子から落ちないかと踏ん張っていたのでした。 小学校の正門前には時々ひよこや手品を売りに来ていました。細長い鉄製の棒をポケットに入れたかと思うと、10円玉が出て来る。また別の子供のポケットに突っ込んでは新しく10玉が湧いて来る不思議な手品。この勢いで10玉が増えたらおっさんは金持ちになる筈なのに・・・といぶかしんだりしていました。籠に入れられる小鳥以外は動物を飼うことを許さない父でしたので、ひよこも手品も只見るだけにしていました。後日、小学校近くの中学校に入学した時、古墳で怒鳴った人が先生の一人だったので驚いたのでした。 同じ社宅の諒一君は同学年だったので、よく遊びました。彼は背も高く、私よりは積極的だったので彼をリーダーとして言われるままに野球や将棋やプロレスごっこをして遊びました。彼の家の飼い犬は尻尾が無残にちょん切ってありました。獅子にも引けを取らない強い犬になるのだとか?あんまり皆で可愛がったものだから、二タ月もしない内に死んでしまいました。遺体は敷地内に埋められましたが、後日その辺りの植物の生育が抜群に良く、うす気味悪い気がしました。
2026.09.10
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〇安価なノートパソコンでは思うように変換できず、難儀したことが再々ありました。 で、清水義範著『日本語がもっと面白くなるパズルの本』には、「ワープロ誤変換実例集」なる頁があって、+地方公務員 → 痴呆公務員(一部には懲りないそういう人もいるが)変動為替相場制 → 変動買わせそう罵声(なるほどそうなっていたか)煙草は二十歳から → 煙草は畑地から(自家栽培してはいけません)農用地整備公団 → 脳幼稚性尾行団(かなり困ったストーカー?)応接間 → 逢瀬妻(官能小説向け変換例)研究学園都市 → 研究が食えん都市(学者が暮らしにくい町)巨人対阪神 矢印巨人大半死んだ(’97はそのとおり)出来次第発送 → 溺死大発想(どんなことを考えようというのか)入会金 → 乳解禁(トップレスOKということ)会社概要 → 会社が異様(そんなら入社したくない)今夜も愛をさがして → 紺屋も藍をさがして(商売だもの当たり前)結婚披露宴招待状 → 血痕疲労炎症退場(怖い結末が待っていそう)という具合に、清水さんが頭の中で思いつかれた熟語を組合せ、この一文をしたためられたものと思われます。+お題をいただけたら、いろいろチャレンジできそうですね。皆さんも時にはこういう言葉遊びをどうぞ。
2026.09.09
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〇生まれたての赤ん坊や生後一か月の乳児を見ていると、牛乳瓶一本の食事で、よくおあんなに手足を動かし続けるもんだなと感心してしまいます。忙しい時など。食事を摂る事にも面倒臭さを覚えたり、無の心で食事していた事も。最近は、家内が用意してくれた食事を目の前にして、このように、当たり前のように食べるものが得られ不思議さを思わないでもありません。米やパン粉を作る人々、野菜や魚を提供して下さる人々、私たちの口に入るため、命を捧げてくれたお雑魚や牛や豚、鶏・・・。 雑食の人間ですが、その犠牲になる生きものから見れば、さぞや恐ろしい、鬼の形相の人間ども・・・・。「箸とらば・・・父母の恩」確か~グリークラブ在籍中の合宿で食事の都度、こんなフレーズを耳にした事が・・・・。
2026.09.08
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〇最近、電車や市バスにて日本人や他国の人々から、席を譲っていただく事が多くなりました。時には、虫の息のような、明日をも知れない不安をいだきながら出かける事もあって、ご好意を感じる一方、自分がそれ程老け込んで見えているのかと案じないでもありません。それでも、実は私なりに努力している事があります。例えば阪急電車や市バスの席に座っている人々の中で、凭れず背筋を張っている人は一人程度。でもこの努力と心の持ち方に依って、のちのち大いな差異をもたらせる事でしょう。外出中は背もたれに凭れず背筋をピーンと張る見栄を通す事。もう一つ、歩く速度の急激な低下に気づいていて、自分より年上と思しき人々に追い抜かれ、追い越される事実。これではいかんと、意識を歩く事に集中して、出来るだけ美しく、迅く歩く努力をしています。
2026.09.07
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〇京都府乙訓郡大山崎町の天王山山麓にある宝積寺の十一面観音さまの話題です。聖武天皇の行幸に際して、流されていた山崎橋を架け直す工事をしている折、川の流れの勢いに、なかなか捗らない時、一人の老人が工事に加わり、水際立った働きをしてくれたお蔭で無事橋を架けることができたので、村人がその後をついていくと宝積寺の本殿辺りで姿を見失いました。そこで本殿に立っておられる十一面観音の裳裾に触れてみると、明かに濡れていました。ああ、あの老人はこの十一面観音さまの化身だったのだと村人は感謝し、爾来、「橋架け観音」と呼ぶようになりました。 ところで、私が一番美しいと思う十一面観音さまは、近江の国は渡岸寺の観音さま。<鶴林寺のそれに較べると、いかにも貞観時代の豊満さ、むっくりとよくふとった足の指、右足をふみだしたひざの肉、それにくきっとひきしまったウエストのくびれ、ほどよくはりきったおなかに、美しいくぼみをみせたこのまろい腹部の、なんというあったかさ、うるわしさであろう。おもわず頬ずりしたくなるような十分の蟲惑をひそめ、見事な充実を示す腹部は、女ながらも眺め入って飽きない。>とは随筆家・岡部伊都子著「観光バスの行かない・・・」(新潮文庫)にある感想です。
2026.09.06
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〇数年前、加茂さくらさんの妹・加茂みどりさんのお誕生祝にゆっくり回転しながら色が次々変わる地球儀の飾り物をプレゼントしました。 その後、図書館から借出した中の1冊に地球儀に触れている文章を発見しました。平面的な地図では北方、南方が巨大に拡大される不便さや、ラグビー球の形に表記した等積図法の地図も頭の中で継ぎ足さなくてはならないので不都合。そこで團伊玖磨さんは専門店のリブルーグル社に出かけ社長、専務の案内でショールームに入られたそうな。 国別に色が強調して変えてある政治区分地球儀 山や谷のでこぼこが鮮明な地球儀 渋いクラシック調の色合いの地球儀 中に電灯が点くプラチック製の地球儀等大小いろんなサイズの地球儀が展示してあって、最大級の直径81.2センチのものは90万円。團さんはさんざん迷った挙句、直径50.8センチ、中に電灯が点き、木目の美しい果樹材の木枠製の、政治区分と海流が鮮やかに描かれた逸品を買われた由。なおインターネットでリブルーグル社、地球儀で検索されたら、幾種類もの地球儀がお分りになりすよ。
2026.09.05
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〇春夏秋冬、季節によって選者が異なりますが、掲題の歳時記は虚子の目を経ていますので、数ある歳時記の中でも範に足る優れた歳時記と言えましょう。不思議なことに、6,700頁に及ぶ分厚い書でありながら、頒布価格表示がいずれの書にもありません。また鈴鹿野風呂先師の師でもあった穎原退蔵先生も監修メンバーのお一人だから、実に詳細を極めています。芭蕉やその弟子、その後の俳人の季節の捉え方に起因した歳時記だと思われるので、俳句の王道を歩む者には、「寄らば大樹」と評せそうな歳時記に間違い無さそう。父の愛読書とも思われます。
2026.09.04
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〇果たせそうで果たせていないのが”風の盆”の見物です。高橋治氏の小説と亡父すばるの俳句によって、伝統的な八尾の盆行事、影絵のような男舞い・女舞い、空の暗さと奔流する水音・・・などが既に脳裏にインプットされているのですが・・・ 風誘ふ手振りとも見ゆ風の盆 風の盆権現立ちの男振り 風の盆反り身で決まる女振り 暮れんとす空濃く濃く濃く風の盆 天界に風の盆あり戻りバス平成5年にすばるが詠んだ”風の盆”30数句の一部です。
2026.09.03
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〇夏と言えば何杯もの麦茶を喉に通しますね。私の酷暑バージョンの必須グッズは予めペットボトルに3分の1ほど麦茶を入れ、凍らせた中に冷やした麦茶を足したもの。それプラス、厚手のタオルハンカチに水道水をじゅくじゅくにしたものをビニール袋に包んでカチンカチンに凍らせたものを、別のタオルハンカチに包んで持ち歩きます。 ところで昭和40年代には確実にあった麦を炒った麦茶は何処へ行ったのでしょう。煎じているとあの香しい匂いが厨中に充満。それを冷やした麦茶は心の飢えを癒すものでした。もうひとつ、青臭いトマトは昭和40年代には、ほぼ無くなっていました。現在は種類も豊富で極暑を乗り切る手頃な野菜。でも、あの青臭いトマトへの郷愁は断ち切れないのです。
2026.09.02
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〇1974年(昭和49)12月発刊の季刊誌「銀花」(第20号)には「らんぷの美」という特集が載せられています。 いつも睨むランプに飽きて三日ばかり 蝋燭の火にしたしめるかな 石川啄木観光地での土産物屋のちゃちなランプと違って、明治の御世を照らしてくれたランプには言葉で表わせない風情というか重みがありますね。そこにはあらゆる才知と努力が塗り籠められた燈火の道具。ライオンが飛びつこうとしているシルエットの赤地のランプうす青地に薄い白地の横線の並んだランプ金魚鉢そっくりの形をしたランプ黄土色地に龍や花模様のランプ昔懐かしい電灯の笠を逆さにしたような緑美しいランプ白地に草模様を彫り込んだランプ切れ込みがあって所々隙間のある華奢なランプ実にいろんなランプがあるものですね。秋の夜長はランプで演出するのも一考かと・・・・。
2026.09.01
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