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引越しが近づくに連れて、ふと、これまで歩んできた道のりを、一人ボ~~っと振り返ってみたりしている今日。
1995年。初めて学校からの研修で行ったノースキャロライナ。3ヶ月の滞在が、1年にも2年にも思えた最初の1週間。信頼できるクラスメイトと一緒だったものの、配属が別々になって、とまどってばっかりだった初日。
「 How’re ya doing ?」と握手され、初めて会ったルームメイトのこの第一声は、
「 How Old Are you ?」と聞かれているのだと思い込み、
「 I am 19 !」と 自分の年齢 を小さく答えた初日。
研修初日。「ここを掃いてくれ~~」と言われたものの、「 掃く 」という単語を知らなかった私は、何をしろと言われているのか全くわからず、それ以降、指示は何一つされなくなって傷ついたあの日々。
部署仲間の人達との毎日の休憩ランチ。皆が笑っていても、何を笑っているのかわからず、自然に「 ワンテンポ 」 遅れてする愛想笑い 。苦痛・・・とはこの事であった。
1ヶ月も経った頃から耳が慣れ、聞けるようになって「 体で覚えた 」英単語。優しくしてくれる人達とどんどん仲良くなって、めちゃくちゃ楽しくなっていった。
仕事も、いっぱい「OOしてくれ~」って聞いてもらえるようになった。
帰国の時には、帰りたくなかった。 また来よう!! そう思った。
卒業して、日本のホテルに就職し、 やっぱり海外で働いてみたい !!っていう思いはつのり、両親の心配するのをよそに、3年で200万ほど貯めた。海外で働けるように、留学をしよう!!!ビザの下りやすく、治安の良い、英語の綺麗なカナダに行くことに決めた。実際、遊びまくった。(おっとと!・・・・)でも、お金には変えられない経験もいっぱいした。最初のホームステイ先では、それはそれは可愛がってもらい、本当の娘のようにして頂いた。さらに、海外就職の夢がつのる。。。。。どうやって戻ってこようか・・・・・
一旦日本に帰り、ワーホリを申請。準備ができるまでの1年間、日本で 鬼のように働いた 。またホテルで、めちゃくちゃ働いた。ものすごい厳しいシフトで辛かったけど、1年頑張って、また結構なお金を貯めた。その間に、 タイ・バンコク で働かないか??という話が舞い込み、とても悩んだ。とりあえず、タイには行ったことがなかったので、下見を兼ねて、行って見た。楽しかった!(あら、観光はね。笑)でも・・・・・・・やっぱり英語をマスターして英語圏で働きたい。
ビザが下りるのを待って、カナダのホテルにガンガン 履歴書をFAXした 。出発前に仕事を見つけたかったのだ。
返事・・・・・・・・・
ナシ。
負けませぇ~~~ん。
「 履歴書送ったんですが、届いておりますでしょうか ?」
今度はそんな手紙をまたガンガンFAXした。そして、1件ホテルから「 非常に興味があるので是非、カナダに着いたら、面接に来るように 」と返信があった。
ヤッタ!!!!
まさに、そんな気持ちだった。でも、「採用」ではない。「興味があるので、来てください」っていうだけである。そうこうしているとビザが下り、採用してもらえるかどうかわからないけど、 そこのホテルを目指して、その街に行くことに決めた 。私のワーホリ= WORK を目的としていた。結構貯めたお金も、全部持って行くと自分に甘えてはいけない・・・・と思い、 10万 だけ持って行くことにした。とりあえずの1週間だけ住むところを確保して。
その1週間で、ホテルで仕事を絶対にゲットしてやる !!と燃えていた。
到着後の翌日、面接のアポを取って行ってみた。超~~~~ドキドキだった。何を聞かれたのか、何を答えたのかはもう覚えていない。
見事採用 !!!
そして、ホテルの寮に移った。ルームメイトとなる人が帰ってくる前に、とりあえずシャワーを浴びて、リビングでくつろいでいた。ルームメイトが仕事から帰ってきた。
「Hi,Nice to meet you~!」と笑顔で手を差し出すと
「 ちょっと!!アンタ、シャワー浴びたぁ??髪の毛落ちてるけど!汚いから、ちゃんと流してよ!!!」 ・・・・・・・と言われた。
怖っ!!!!!
浴槽、流しましたともぉ~流しましたともぉ~~。ちょっと見落としただけざんしょ~~~![]()
めっちゃ怖いねーちゃんだった。(後に、彼女はそういう性格で、悪気はない人だとわかる)が、それがわかるまでは、何せルームメイトとして居心地が悪く、仕事でもテンパッテばっかりの1週間。寮に帰ると彼女と顔を合わせたくないので、一人部屋にこもる。私の部屋は、半地下にあったので、とても暗かった。
「あぁ~・・・・・」ため息が出て、辛いなぁ・・・・・と思った。
サンドイッチも、半分食べたらお腹一杯になるようになった。
見つけた日本食スーパーで買ったアンパンも、1個食べたら1日それでもった。食欲もなくって、暗い部屋での一人は、とても寂しかった。
その夜、突然夜中に呼吸が出来なくなって、涙も止まらなくなった。寒くて寒くて、振るえも止まらなかった。
・・・・・・・ 救急 ・・・・・・・
毛布でぐるぐる巻きにされて測られた体温は、 35度を切っていると 言われ
「貴女、これおかしいわよ。。。本当かしら?なら、死んでるわぁ~」なんて、看護婦さんは笑った。
結局、お医者さんに色々と検査してもらったが、結果どこも以上なく、環境が変わってのストレスからだろう・・・・と返された。
$500を払って。。。。10万持ってきた約半分が、こうして救急代として消えた。
翌朝は、まだ少し胸の辺りがチクチクしたようだったけど、 仕事に行った 。
日本人である。(笑)
それから半年も経った頃、友達もいっぱい出来て、カナダの大自然を満喫し、仕事でも仕事振りが認められて、スーパーバイザー(主任みたいなの)に昇格し、ワーホリが切れる2年目は、何とホテルがビザのスポンサーになってくれて残ってくれ~という流れになった。
あぁ~~~~若かったなぁ~~~~。しみじみ~
辛いこともいっぱいあったような気がするけど、経験不足の故。今なら、あれくらいの事は辛いとは言わないって自分を笑うかも。でも、どの経験も、出会えた人も貴重で大切・大切x1000。これを「 宝物 」って言うだよね~
振り返り、おしまい。
アメリカの歯医者さん May 6, 2008 コメント(13)
Male 産婦人科の先生 March 4, 2008 コメント(9)