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4月2日、父が母の所へ旅立ちました。
94歳で、ここ2年余りはずっと病院に入院していた父。
去年11月末に、呼び出しがあり、酸素量が減っているので、とても危険であると医師に言われました。
でも、意識もしっかりしていて、声は出せないものの、私達の言う事にうなずいたりして、顔をくしゃっとして涙ぐんだりしていました。
年内もたないのではという事だったのに、嬉しい誤算でその後安定し、酸素マスクははずせないものの、頑張ってくれていました。
うちの子二人が受験生で、大学で教えていた父はとても教育に熱心で孫達の進学も気にしていてくれていました。そして無事3月20日に、父には二人の合格報告が出来、父もうなずいて喜んでくれました。
それから長男の一人暮らしのためのアパート探し、その他もろもろあわただしく過ごしていましたが、3月31日に息子達を連れて父にお見舞いに行く予定にしていた前日、
姉から「病院から連絡があり、呼吸が弱くなっている、今週もつかどうか…」という電話を受け、急遽父の所に駆けつけました。でもしっかりと私の顔をみてうなずいてくれ、酸素も100%、呼吸も安定してくれました。
長男の引越しを4/3に予定していて4/8には長男、次男の入学式があります。
私はまた父に甘えて、母が4/16になくなったので、『お母さんの旅立ちの日まで待っててね』と願いつつ、一度家に戻りました。
しかし、4/2昼、『もう自発呼吸していない…』と連絡を受けて父の所に向かいました。2時間かかる車中、姉と携帯で話しをしながら、私の呼びかけの声を父に聞かせてくれていました。
姉が『自発呼吸してなくても、脈もある、血圧もあるんだよ…お父さん』といいながらも、ろうそくが消えるように、父は静かに息を引き取りました。
私は間に合いませんでしたが、会った時の父は温かく、いつものように寝ているようでした。
人の死はどこからが死なのか、わかりません。父は細く長くゆっくりと旅立ちました。
自宅に帰ってきた父を向かえ、入院前まで寝ていた所に床をしつらえて、寝かせました。
葬儀社の方が父を安置した時は、まっすぐだったのに、翌日気がつくと、父の顔が私達の方に向いていました。化粧していないのに、頬もピンク色で、まるでいつものように寝ているようでした。
そののち4日に納棺、翌日5日私と夫と長男で引越し、そして6日にお通夜、7日に告別式、8日に入学式と、めまぐるしい毎日でした。
長男も8日から一人暮らしが始まり、心もとないものの、なんとか新しい生活の一歩を踏み出しました。
私は、父が旅立ち、長男がいなくなった今、やはり寂しいです。
次 男は『やったーっ 一人っ子!』 とはしゃぎ、『これからはうまいもんは、競争なし!』とかいってほくそえんでいましたが、兄の分、家の手伝いが増え、用をいいつけると、「兄は?」と言お うとして『あ゛ー』とため息をついて、しぶしぶやっています。明るい次男に心がなぐさめられています。
私の中では、父が亡くなったという実感がありません。もちろん長く床に臥していたし、高齢であったので、覚悟はそれなりにありました。
しかし死を受け入れられない、という事ではなく、なんとなく、父は本当に風になって私の事を見てくれているような、そして母とやっと再会できて、幸せそうな父の顔ばかりが浮かびます。
無条件に私達姉妹を愛してくれていた父が逝ってしまったのはとても悲しい、でも、悲しみにくれる、という感じはあまりなく、父はあったかくて幸せそうな感じを私に伝えてくれています。
なかなか言葉にするのは難しいのですが、そういう感覚が私の気持ちを子どもの方に向けさせてくれているような気がするのです。
また新しい春が始まります。