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http://youtu.be/FT4DgykI9WM知人が倒れてからの三年間。他所からいろんなことを指図され本来の自分本来の自分のペースというものを失っていた気がする。先日、とある事業をきっかけにこれまで振り回されてきた関係を清算しようと思った。そのタイミングでかつて7つの子らと遊んでいた自分に立ち戻り何を切り捨てていくか何を大事にすべきか頭の中を整理した。少しだけ自分が大きくなれたような気がした。
Jul 31, 2013
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おかしな現象
Jul 22, 2013
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昔月は二つあって二つの月がぶつかってひとつになったという話を聞いた。それが天文学的な見地によるのか?神話的見地によるのか?は定かでないのだけどそういうことを話してくださった方によると今目に見えている月とは別の姿を失った月も地球に何らかの影響を与えているという。エネルギー不滅の法則で考えるならそうしたこともありそうな話。事実ブラックホールとかって存在するらしいし。。。そこで人間の場合前世の影響が今生の自分に少なからず現れていたりすることがあるらしい。。。ということを聞いたりもするのだけど前世とかを読み取れる人とか自覚できる人とかにとっては今生での当人と前世の当人が重なって見えたりするわけだけどそういうのが全くわからない霊感皆無の人間にしてみると前世あなたはこういう人だった。。。と言われたり思いを告げられたりしても自分自身それを感じられないのだからそうおっしゃっる方たちは今ではもう無くなってしまった月のことを重ねてみているようなものでそれは当人にとっては本人の姿であってもそれはあなたたちが考える幻影でしかないのに。。。あなたたちは私の中にもう消え去った人の幻影を見ているに過ぎないよ。。。と思ってしまうよ。前世がすばらしい人だった。。。といわれることは霊感皆無の人からすると自分と過去生の自分は全く一致していないのだからあなたの兄弟はすばらしい人だった!と兄弟比較を言われているような気がして誇らしいというより今の自分が劣っていることを指摘されているようなちょっと悲しい気持ちになる。
Jul 22, 2013
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同じことをやって下さるのでももう一日早くにやっていてくれたらこちらが得られた結果は百万倍大きかったのに。。。たった一日のタイミングのズレが何の結果ももたらさない形で終わってしまってせっかくやってくださったこともありがたさが百万分の一。w
Jul 22, 2013
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幸せとか充実感とかそういうものは自分が行った活動によって得られたと感じる。。。そんなタイミングによるのが一番心地よいのだろうなぁ。。。タナボタとか忘れたころにやってくるとかっていう自分の行動と結果の表れとかが一致していないそういうタイミングのズレは喜びとか充実感とかが半減しちゃったりするよね、きっと。。。
Jul 22, 2013
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今まではどんなに頑張っても物事が進んで行かないという運命に苦悩していた。が、なぜだかこのところ物事がどんどん勝手に進んでしまってこちらの対応がついていけないことで逃してしまうチャンスが多く今までとは違ったタイミングのズレにストレスが溜まる。準備ができていないのに好機がどんどん流れ来る。結局それは頑張っても手に入らなかったチャンスと大して変わらない結果が待っていることになる。違いといえば自分が活動していないだけ楽というくらいなものでそれでもみすみす目の前を通過していくチャンスを見送らざるを得ないストレスは思いのほか大きくてだったら最初から知らずにすめばよかったのに。。。と思ってしまう。人間の運命とか宿命とか簡単に変えられるようなものではないことを身にしみて実感する。あがくのも疲れたよ。。。
Jul 22, 2013
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動物を愛する人たちは動物と「共生」することを模索する。しかし彼らは「共生」を模索している自分たちが動物に「依存」しているだけであることを知らない。目に見える自然とは別に目に見えない自然というものが存在する。それは「気」の流れであったり「神気」と呼ばれるものであったりするのかもしれない。「共生」とはそうしたすべてのものに共存を受け入れたり感謝することから始まるのではないかと思ったりする。自分の中に受け入れがたくどう考えても消化できない乗り越えようとすればするほど大きく立ちふさがる苦悩というものがあったりする。子供との死別であったり離婚の痛みであったり人から裏切られた痛みとかかなわなかった願いの落胆とか闘病の苦しみとか。。。それらを乗り越えようとか排除しようと思えば思うほどその壁は大きく成長し続ける。しかしそうした苦悩を乗り越えようとあがくことをやめ自分のうちに取り込んで共生することを受け入れるとそれは大きな「愛」に変容する。東日本大震災で家族や財産を失った人たち。彼らに何とか思いを伝えたいと尽力したのは阪神淡路の震災や中越地震などで被災した方たちだった。自分の中に存在する苦悩。乗り越えがたい苦悩は自分の中に存在するからこそ同じ思いをしている人の苦悩を我が身をもって芯からその痛みを感じ取ってあげられる。単なる想像とか憐憫などではない自分の痛みとして理解してあげられる。自分が経験した痛みほどその乗り越えがたい苦悩がリアルに理解してあげられる。虐待を受けて育った者にしか解らない痛み。死別を経験した者にしか解らない痛み。戦争を経験した者にしか解らない痛み。体が動かなくなった者にしか解らない痛み。それらを排除しようと思ってもその痛みは増してゆくばかりで決して乗り越えられるようなものではない。けれどもひとたび、そうした痛みを自分の中に受け入れ心に存在している闇と共生することを覚悟してみるとその痛みは同じ痛みを持つ者を理解するための「愛の剣」に姿を変える。自分だけが救われたいというのならそうした痛みは排除できるものなら排除したい。しかし排除しようと思っても痛みは成長し続ける。ならば共生することを覚悟してしまえば良い。ひとたび共生する覚悟を決めてしまえばその痛みは同じ思いを経験している人への理解の糧となりいざ、その痛みを取り除いてあげようという「神のお力」が働きかけてくださってもいやいやちょっとお待ちください!この痛みは同じ痛みを持つ人たちを理解してあげるためには必要な痛みなのです!とそれを失うことの大きさに気づく。心の闇となっていた排除しがたい痛みはすでに自分の一部となり自分だけで考えたときには痛みという負の存在も他者へのいたわりと言う大きな目で見る視点ができたときそれは誰もが持っているわけではない同じ痛みを経験したものにしか解らない本当の理解ができる貴重な財産となっていたことを改めて知る。
Jul 21, 2013
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「愛」の本質は「与える側」(親側)にあるのだと思う。愛する相手に「幸せになってね」と願う気持ちが「愛」なんじゃないか?でもみんな「愛される側」(子供側)に成りたがる。それは愛するより愛される方が「楽」で「心地よい」からだろうね。愛される側(子供側)ばかり望むから「餓鬼」なんだと思う。愛を与える側ばかりになれば世界は平和に成ると思う。。。が愛を求める子供な大人ばかりだから世界に平和が訪れる日がなかなか来ないのだと思う。
Jul 15, 2013
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「愛される」ことを望まなくなったとき物事の見え方が違ってくるように思う。愛されることを望んでいるときは周りに振り回されたり依存的な感覚が判断を誤らせたりといったことが起き易い。「愛されている」と実感することで愛されたいという渇望感から解放されたり「愛されたい」という渇望感が生み出す心の闇を自覚してそこに陥らないことを望むようになったとき「愛」というものに振り回される暮らしよりそれを超えた仙人の暮らしを望むことがある。仙人の心になって振り回されない自分になるとそれまで何気なく受け入れていたものがそれはちょっと違うなと感じたりこれはこういうことではないのか?など違う視点で考えるといった「冴え」が出てきて物事の見え方が驚くほど違ってくる。先ほど「コーチング」に関するメールマガジンを受け取った。そこには「妊娠中のお母さん」が「生まれてくるであろう子供の五体満足でありさえすれば」という「願い」とか「信じる気持ち」というのを例にしてそうした無条件に相手を信じて応援する気持ちで相手に臨めば立派なコーチなのだけど子供が成長して変わったり周りからのいろんな情報によって無条件だったはずの願いや信じる気持ちにゆがみが生じて欲が出てしまうために正しいコーチングが出来なくなるといった内容が書かれていた。それを読んだ時、この例は的を得ていないと感じた。お母さんが「五体満足で生まれてきてさえくれれば」と願うのは生まれてくる本人の幸せを願っての祈りが三割で残りの七割は親である自分たちが苦労を背負い込まなくてすむようにという心根だ。しかもそれは子供が五体満足でなかったときのことを避けたいというだけであってそういう子供ではないと信じているわけではない。また、子供の成長後に正しいコーチングが出来なくなる最も大きな原因は親が能力不足であることだ。自分の能力が低かった親ほど子供に対して「高い能力」であってほしいという願望が強く基本としての「無条件に愛し、信じてあげる」ことが出来にくい。無条件に愛して信じてあげられる親になるためには親である自分自身が自分の成長過程で自分の能力を最大限に引き揚げる努力がなされていたことというのが必須であると感じる。そうした努力を経験しそれに伴った結果を手にしてきた親でなければ結果を手にするための大変さというものが分からない。大変さが分からないから勝手な願望であってもそれを相手に押し付けることが気にならない。しかし押し付けられた子供にすれば自分に望んでいる内容が親自身で来ていないだろうということが見えてしまうので親子の関係にゆがみが生じやすくなる。こうした構造が見えていないメルマガ発行者はコーチングの腕も疑わしいなと感じた次第。
Jul 15, 2013
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なんであれが〇〇〇〇なんだ!?ただの馬鹿犬製造器具だろ!あれを喜ぶってあの感覚がわからねぇ!
Jul 1, 2013
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