おじん0523のヒロ散歩

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オジン0523

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2018.11.02
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カテゴリ: 東海道53次
四国88霊場の遍路も3月末に結願、次は東海道53次を歩こうと旅友K氏と計画、

その後、海外旅行、夏場になり計画は進まなかったがネットでクラブツーリズムで
『歴史街道あるき旅』のツアーがあることを知る。
10/20(土)に「第9回茅ヶ崎から大磯宿」旅費代金:5,000円のツアーがあり、今後の
参考のために後からついていくことにした。

駅前に10時集合とのことで、自宅を9時半過ぎにでて歩いて茅ヶ崎駅へ向かう。

9:45 自宅近くの国道一号線:日本橋から57km


案内板は「東海道の松並木」

樹齢400年)の大きな松が育っている。
この風景はその時代の画家、安藤広重の東海道53次にも描かれている


昔の松は枯れ若木に植え替えられ


国道一号線の東京方面


国道沿いの、曹洞宗「海前寺」入口


曹洞宗「海前寺」


6地蔵と山門


茅ヶ崎市本村にある八王子神社


茅ヶ崎駅まで約500m、この辺りも松が多いが何代目?


9:59 国道一号線「一里塚」交差点


茅ヶ崎一里塚

を中心とした交通網の整備にとりかかった。慶長9年(1604)徳川幕府は東海道などの
一里(約4km)ごとに塚を築き旅人の目安にした。
東海道は江戸の日本橋を起点にして茅ヶ崎の塚は日本橋から14番目


10:05 集合場所のJR茅ヶ崎北口


クラブツーリズムの集合時間は10:00であったが、既に参加者に説明中





駅北口の2階コンコースに茅ヶ崎に関係する有名人の手形が4名分ある。
「海その愛 加山雄三」 


「きぼうの未来園へ 野口聡一」


「宇宙をめざせ 土井隆雄」


「温故知新 市川團十郎」何故市川團十郎なのか?   
私の知る限りでは、九代目市川團十郎が明治29年、茅ヶ崎鉄砲道付近に土地を求めて
別荘を建てた。狐松庵と名付け、敷地内には稽古場を備えここで次世代の歌舞伎界を
担う若手を育成した


参加者は最小催行人員18名に対し、36名ほどが参加、皆さんリュックを背負い参加。
前後に係員がクラブツーリズムの旗を持ち誘導


駅から数分の茅ヶ崎新庁舎、手前は解体された旧庁舎後


旧庁舎跡地とマンション、駅方面


茅ヶ崎市の下水マンホール


茅ヶ崎市中央公園前の陸橋
10/28(日)に茅ヶ崎パン祭りが開催される


茅ヶ崎市中央公園


茅ヶ崎市役所の敷地内にある「旧寛永寺石燈籠 四基」。
上野寛永寺に納められていた燈籠の一部が本市にもたされた。
ツアーはここを説明していたが私は離れて別の場所へ


国道一号線の歩道にある「クロマツの株後」当時のものかモニュメントとして残している


10:27 茅ヶ崎円 円蔵寺


御本尊:薬師如来 厄除秘鍵大師
宗 派:高野山真言宗
総本山:高野山金剛峰寺    
宗 祖:弘法大師(空海)


山門からの本堂


山門にある竜の彫刻


本 堂


弘法大師修行像


駅近くにある寺


10:31 十間坂交差点


10:34 日本橋から59km


国道沿いの民家の庭に咲いている時期外れのさくら


平塚方面


10:38 第六天神社
クラブツーリズムのツアーも訪れ


陸橋の上から


第六天神社 御由緒
創立年代、創立者等は不詳。文献では江戸幕府編集の新編相模風土記(12代将軍家慶
の時代・天保12年)に初見される


御祭神
淤母陀琉命(オモダルノミコト)
妹阿夜訶志古泥命(イモアヤカシコネノミコト)


神社の裏にある「パワースポット」


第六天さんの黒松(樹齢は200有余年と推定される)


手水舎


山岡鉄舟(山岡鉄太郎)書が、拝殿に掲げられた扁額がある。
幕末から明治時代に活躍した幕末の三舟(勝海舟、高橋泥舟)の
一人で、単身にて敵陣に向かい西郷隆盛と面談して交渉し、
江戸無血開城への道が開かれた


龍の彫刻


山岡鉄舟(山岡鉄太郎)書が、拝殿に掲げられた扁額


10:50 第六天神社を後にする


10:58 千の川に架かる「鳥井戸橋」


東海道南湖左富士之碑


浮世絵師安藤広重が天保3年(1832)に東海道を旅し、後続々と東海道53次の風景版画
を発表した。その中の一枚に南湖の松原左富士がある。左富士が見えるのは、ここと
静岡県の吉原の二か所が有名


鶴嶺八幡宮大鳥居


11:05 国道一号沿いの「旧相模川橋脚」案内


神明大神


祭神:天照大神 大山咋命


11:09 天然記念物&史跡の「旧 相模川橋脚」


関東大震災時の液状化現象により水田の中から橋脚七本が出現し、地中から三本が
発見された


発見された当時の写真が


歴史学者である沼田頼輔によって、建久9年(1198)に源頼朝の重臣稲毛重成が亡き
妻の供養のために架けた橋の橋脚と考証された


大正15年(1926)に国の史跡に指定された


11:13 「旧 相模川橋脚」
旧 相模川橋脚の位置からも昔は馬入川の流れがもっと茅ヶ崎よりだった。
ただし、この橋脚が作られた当時の流路の全体は明確でなく、この橋が相模川の本流
・支流とどのような関係にあったかは、まだはっきりしていないのだと


小出川の下流方面と新湘南バイパス


11:15 今宿ポンプ場
今までの仕事の関係上、気になる設備


11:19 国道一号線の平塚方面


日本橋から61km


11:21 日蓮宗「妙厳山信隆寺」


11:24 国道一号線の距離表示:日本橋から61.3kmで100m毎に表示


この地点は茅ヶ崎の馬入川(相模川)手前で、橋を渡り平塚宿へはいる

このツアーは人気があるようで、ネットで調べると今年あと二回実施されるが10/25
の段階では、10/27、11/4 はキャンセル待ちであった

                                                                                        東海道53次ー続く





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最終更新日  2022.04.08 17:24:07
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