JINさんの陽蜂農遠日記

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を中心とした備忘録を兼ねた17年間にわたる毎日のブログ(雑記帳)です。

書き込んでいただける方は、写真下の『コメントを書く』から気楽に、ご感想、ご意見

ご質問等を書き込んでいただきたく。
2026.09.26
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カテゴリ: JINさんの農園
5F~6Fの見学を終え、1Fに下りる。
1階特別展示室で行われていた「 洋館 明治の夢と挑戦 」を訪ねた。
WESTERN-STYLE ARCHITECTURE IN JAPAN
江戸東京博物館
リニューアル記念特別展
「洋館 明治の夢と挑戦」ポスター。 
2026.6.23[火]-8.23[日]
東京都江戸東京博物館 1階 特別展示室
EDO-TOKYO MUSEUM 日本建築史のはじまりともいえる法隆寺の建立から1,000年あまりの
時が流れ、到来した明治という時代。江戸から明治への転換は、長きにわたり閉ざされていた
西洋文化の入口が開き、洋風建築の流入が一気にはじまることを意味しました。本展では、
人びとが建築に夢を抱いた「明治の洋館」の世界を、多種多様な資料と立体的な展示手法で
描きます。
大工棟梁による擬洋風ぎようふう建築、外国人技術者による非本格的洋館や外国人建築家たちの
手がけた本格的西洋建築、工部大学校卒業生等の挑戦、そして皇族や上流階級のための大邸宅に
いたるまで、日本の建築史上稀にみるこの大変革の時代の多彩な成果を活写します と。



「 ごあいさつ
このたび東京都江戸東京博物館では、江戸東京博物館リニューアル記念特別展
「洋館 明治の夢と挑戦」を開催いたします。
日本建築史のはじまりともいえる法隆寺の建立から1,000年以上の時が流れ、到来した明治と
いう時代。江戸から明治への転換は、長きにわたり閉ざされていた西洋文化への入口が開かれ、
洋風建築の流入がはじまることを意味しました。
洋風建築の受容から本格的西洋建築の成立までを取り上げる本展では、大工棟梁による
擬洋風建築、外国人技術者による非本格的洋館、外国人建築家たちの手がけた本格的西洋建築、
工部大学校卒業生等の挑戦、そして皇族や上流階級のための大邸宅にいたるまでを取り上げ、
日本建築史上稀にみる大変革の時代の多彩な成果を活写します。
日本建築における有史以来の大変革。その驚きと胸躍る風景――。
人々が建築に夢を抱いた「明治の洋館」の世界を、ご体感いただけましたら幸いです。
最後になりましたが、本展開催にあたり、ご支援、ご協力を賜りました関係各位に心より
御礼を申し上げます。2026年6月
東京都江戸東京博物館(公益財団法人東京都歴史文化財団)
館長 藤森照信」 



「 洋館 明治の夢と挑戦 」の ポスター 。
特別展「洋館 明治の夢と挑戦」のポスターを飾る壮麗な建物は、
明治20~21年(1887~88)頃、ドイツ人建築家エンデとベックマンによって描かれた
「国会議事堂案」。 実際には建設されることのなかった、まさに“明治の夢”を象徴する
幻の建築



そして「​ 洋館 明治の夢と挑戦 ​」👈️リンク の展示会場へ。
入口では、江戸の町並みの向こうに広がる海と鮮やかな夕景が迎えてくれた。
長い江戸の時代を終え、海の彼方から新しい西洋文化を受け入れようとする日本――。
これから始まる「明治の洋館」の世界へと誘う、印象的なプロローグなのであった。
​ 出品リスト ​👈️リンク。



「 ここは幕末の横浜。 海の向こうから欧米文化とともに洋館がやってきた。 」
幕末の横浜を舞台に、海の向こうから欧米文化と洋風建築が日本へ入ってくる場面を表現して
いるのであろう。――この言葉に迎えられ、いよいよ「明治の洋館」を巡る旅が始まった。


そして目の前には、 開港間もない横浜の町並みが広がった 。
瓦屋根の日本家屋が立ち並ぶその中に、 海の向こうからやって来た外国人たちの姿 が。
幕末の開港をきっかけに、横浜は欧米文化との新たな出会いの舞台となり、やがて日本の町に
「洋館」という新しい建築が姿を現していくのであった。


そして、ここから「 第1章 ナマコ壁と擬洋風建築 」へ。
幕末から明治へ――突然目の前に現れた西洋建築を、日本の大工たちは自らの技術と知恵で
受け止めた。西洋風の姿の中に日本伝統の技法を巧みに取り入れた「擬洋風建築」。
明治の大工たちによる、新しい建築への挑戦が始まるのであった。


左上:歌川国輝(二代)/画「東京海運橋兜町為換座五階乃図」
左下:歌川国輝(二代)/画「東京名所海運橋五階造眞圖」
右:蜂須賀国明/画「軽気球之図」



「東京築地ホテル館」歌川国輝(2代)/画 1869年(明治2) 。

東京150年 ―都市とたてもの、ひと│江戸東京たてもの園

「 東亰海運橋第一国立銀行の全図 并近円の市中一覧の図 」 歌川芳虎/画 1876年(明治9)。

真作】孟斎「東京海運橋第一国立銀行の全図 并ニ近円の市中一覧の図 三枚続」本物 浮世絵 大判 錦絵 木版画 - | 錦絵 東京名所之内海運橋第一国立銀行  慶應義塾 横浜美術館コレクション検索

場面は雪の降る夜へ。
「 海運橋のほとりにたたずむ奇妙なたてもの。しんしんと降り積もる雪のなかの、
夢のような光景。 」
「海運橋」とは、現在の日本橋兜町付近にあった橋。明治元年(1868)にこの名となり、
明治8年には西洋風の石造アーチ橋に架け替えられた。そのたもとにそびえていた
「奇妙なたてもの」が、日本最初の国立銀行・第一国立銀行。和と洋が入り交じったその姿は、
当時の人々にはまさに“夢のような光景”に映ったのであろう。
見慣れぬ洋風建築を初めて目にした当時の人々には、まるで異国の世界が突然目の前に
現れたかのように映ったのであろう。
和装の人々と洋館が同じ風景の中に佇む姿に、まさに日本が大きく変わり始めた時代を
感じたのであった。


展示室内は原則として撮影禁止であった。但し、「撮影可能」のパネル表示があるものは撮影可と。 「 海運橋 第一銀行雪中 小林清親/画 」。 



「 海運橋
第一銀行雪中
小林清親/画
1877年(明治10)
東京都江戸東京博物館
雪景色の中に第一国立銀行が建っており、番傘をさした女性の後ろ姿と美しく調和している。
第一国立銀行を描いた錦絵は、建物の新奇さを強調したものが多いが、清親の作品は、
街並みの中に建築が溶け込んでいる。」 



近づいて。



さらに近づくと、雪の中に浮かび上がる第一国立銀行の姿。その前を番傘の女性が静かに
歩いていた。小林清親が明治10年(1877)に描いた『海運橋 第一銀行雪中』の世界が、
目の前に立体的に再現されているのであった。



「 第一国立銀行シャンデリア

第一国立銀行」のYahoo!リアルタイム検索 - X(旧Twitter)をリアルタイム検索

近づいて。
現在東京都小金井市の[江戸東京たてもの園]にある[三井八郎右衛門邸]の廊下を飾る、
日本に現存する極めて貴重な明治初期の西洋風照明器具。

Image

「 銀座煉瓦街の煉瓦」

展示用の煉瓦ではなく、実際に建物の壁などに使用されていたことを感じさせる姿 。
明治初期、東京の街を「燃えない街」へと変えようとした銀座煉瓦街。その建物を実際に
支えていた煉瓦なのであった。​
明治5年(1872)の銀座大火を契機に、政府は火災に強い近代都市を目指して銀座煉瓦街を
建設した。英国人技師トーマス・J・ウォートルスの設計による、文明開化を象徴する
西洋風の街並みであった。展示されているのは、実際に銀座煉瓦街で使われていた明治期の煉瓦。
表面には目地材が残り、欠けた姿からも、東京の近代化を支えた建物の歴史が伝わってくる。
年代:明治前期 明治10年 1877 19世紀 
法量:11.0cm x 23.3cm x 6.8cm



「 銀座煉瓦街の煉瓦
1877年(明治10)
東京都江戸東京博物館
銀座八丁目付近から出土。銀座煉瓦街の建設は、大量の煉瓦をいかにして供給するかという
課題があり、そのためウォートルスは、銀座煉瓦街の計画とともに、煉瓦を大量に焼成する
ための窯の建設も指導した。」 



「​ 銀座煉瓦街の碑 中央区銀座8丁目 ​」👈️リンク(ネットから)。
この記念碑の煉瓦は、1988年(昭和63年)に銀座8丁目の金春屋敷跡から発掘されたもの。

銀座煉瓦街の碑 中央区銀座8丁目 - 週末は古墳巡り

「 第2章 建築家がやってきた―外国人建築家と「都市風景」
棟梁たちが見よう見まねで建てた擬洋風建築はどれも個性豊かなものでしたが、日本政府が
求めていたのは個性よりも「本物の西洋」でした。欧米建築文化の摂取に努めるため、
さまざまな国から技師や建築家が来日します。イギリス人のジョサイア・コンドル、
ドイツ人のヘルマン・エンデ、ヴィルヘルム・ベックマンらがその代表です。彼らの
つくりだす建物は、擬洋風建築とはひと味違う本格的なものとして、都市・東京の風景を壮麗に
刷新していきました。」 

洋館 明治の夢と挑戦」(江戸東京博物館)開幕レポート。文明開化を洋館建築から読み解く特別展|Page 3|美術手帖

「明治初期の日本では、江戸以来の大工棟梁たちによる和洋折衷の擬洋風建築が盛んに
建てられていました。横浜、築地等の居留地を通じ、外国人が建てる西洋建築の姿を目にする
ことはあっても、実際にどうつくるかは、まさに「見よう見まね」で独学するしかなかった
のです。棟梁たちによる擬洋風建築はどれも個性豊かなものでしたが、日本政府が求めていた
のは個性よりも本物の西洋の様式でした。欧米建築文化の摂取に努めるため、多数の
「お雇い外国人」が招かれることになります。
アメリカ人のリチャード・パーキンス・ブリジェンスとアイルランド出身のトーマス・ジェームズ
・ウォートルスをはじめとして、フランス人のシャルル・ド・ボアンヴィル、イタリア人の
ジョヴァンニ・ヴィンチェンツォ・カッペレッティ、イギリス人のジョサイア・コンドル、
そしてドイツ人のコンビ、ヘルマン・エンデ&ヴィルヘルム・ベックマン等々。さまざまな
国から技術者や建築家が来日し、西洋建築の様式や構造が東京を中心に伝えられていきました。
初期のお雇い外国人技術者がつくる建築には、少なからず怪しいものも見られましたが、
ボアンヴィル以降の建築家たちは、棟梁の擬洋風建築とはひと味もふた味も違う本格的な
建築作品で都市・東京を変えていったのです。彼らが見せてくれたのは紛れもない新時代の
「都市風景」でした。
Part 2
Arrival of Foreign Architects and Transformation of the Urban Landscape」 
前の「銀座煉瓦街」からさらに一歩進んで、日本人棟梁による「見よう見まね」の擬洋風建築から、
お雇い外国人建築家による本格的な西洋建築へという流れを説明する、第2部への導入パネルなので
あった。



正面に「 鹿鳴館 」。


「 鹿鳴館 」に近づいて。
設計:ジョサイア・コンドル
着工:1880年(明治13)
竣工:1883年(明治16)
場所:現在の東京都千代田区内幸町付近
解体:1940年(昭和15)
文明開化の夜空に浮かび上がる鹿鳴館。青い星空と三日月を背景に、明治の欧化政策を象徴した
洋館が幻想的な姿を見せていた。



「 鹿鳴館 」を振り返って。

西洋に追いつけ、明治建築の闘い 江戸東京博物館で特別展:朝日新聞

「 鹿嗚館軒先飾り(持送り) 」 
持送り(もちおくり)またはコーベル(corbel )は、壁から突き出した石などの構造物で、
その上に張り出した重量を支持する建築技術の1つ。持出し・持送り積み・受け材ともいう。
同じ構造でも木で出来たものは、「梁受け(tassel)」と呼ぶ。

博物館】【特別展】洋館 明治の夢と挑戦@江戸東京博物館 |もんばん

近づいて。

Image

「 第1章 なまこ壁と擬洋風ぎようふう建築 」展示風景。


「 国会議事堂案  外観透視図 」。


「 国会議事堂案
外観透視図
エンデ&ベックマン/設計
1887~8年(明治20~21)頃
ベルリン工科大学建築博物館
官庁集中計画の一環として設計された建築案の中でも、ひときわ壮大である。水彩による
国会議事堂案の透視図であり、寸法は縦95.4cm、幅166.9cmある。
ドイツ・バロック建築の特徴であるランタンを戴きながら中央にそびえる巨大なドームと随所に
配された小尖塔に加え、二層を貫く柱(大オーダー)は、二本ずつ束ねられたペアコラム
(双柱)として、建物外観に圧倒的な威厳を示している。現在の国会議事堂よりも高く、
実現すれば、当時の東京の中でも群を抜く高さであっただろう。建物前面のあちらこちらに
人物が描かれており、左下には侍らしき姿も見られる。」 



「 司法省庁舎の設計案(第一案) 」 を描いた透視図であっただろうか?



「 東京裁判所 第一案 外観透視図
エンデ&ベックマン/設計
1887年(明治20)
ベルリン工科大学建築博物館
官庁集中計画の直接の目的は、不平等条約改正にあった。日本の“法”が、欧米並みに充実して
いることを見せるため、立法の国会、法行政の司法省、法の番人の裁判所、この三施設の
建設が急がれ、裁判所はその一つとして建設されている。
エンデの構想を受けた日本人建築家・妻木頼黄が指揮し、1887年(明治20)に着工、
1896年(明治29)に完成した。隣に建つ司法省と対をなすネオ・バロック様式の壮麗な建物は、
赤煉瓦の外壁、マンサード屋根、タマネギ型の曲線を描く三つの高いドームなどで人目を
引きつけ、東京のランドマークになった。」 

江戸東京博物館 リニューアル記念特別展「洋館 明治の夢と挑戦」 「東京裁判所 第一案 外観透視図」 「東京裁判所 第二案 正面図」  大審院庁舎(明治29年築)は戦災で外壁を残して焼失しました。 終戦直後、屋根を除き復元され、昭和24年から昭和49年まで最高裁判所庁舎 ...

「 凌雲閣(りょううんかく/浅草十二階) 」の展示模型。
凌雲閣は1890年(明治23)落成、英国人技師ウィリアム・K・バルトンの設計で、
10階までは煉瓦造、11・12階は木造の楼閣でした。高さは約60~67mとされ、
8階まで日本初とされるエレベーターが設けられていた。



「 東京裁判所 第二案 正面図 」。
 

「 東京裁判所 第二案 正面図
エンデ&ベックマン/設計
1888年(明治21)
ベルリン工科大学建築博物館
東京裁判所については、国会議事堂と同じく和洋折衷の第二案が残されている。煉瓦造と
思われる躯体に瓦葺きの屋根、唐破風、千鳥破風といった意匠が折衷され、圧倒的な視覚効果を
呼んでいる。
塔屋の位置に鎮座するライオンの彫像が「阿吽」のペアとなっている点にも注目したい。
国会議事堂第二案とともに、明治初期の擬洋風建築を彷彿とさせるユニークなデザインを
ドイツ人建築家が試みた事例として興味深い」


「 警視庁案  正面図 」
上部には薄い文字ですが、
POLIZEI-PRÄSIDIUM FÜR TOKIO・KEI-SHIーCHO
(東京警視庁)
右側に、
METROPOLITAN POLICE-COURT AT TOKIO
下部には、
PERSPECTIVISCHE ANSICHT ・ YENKENDZU ・ PERSPECTIVE VIEW
さらに、
ARCHITEKTEN: ENDE & BÖCKMANN
(建築家:エンデ&ベックマン)
と確認できます。 「YENKENDZU」、これは 日本語の「遠見図(えんけんず)」を
ローマ字表記したもの
であろう。



「 警視庁案
正面図
エンデ&ベックマン/設計
1887年(明治20)
ベルリン工科大学建築博物館
警視庁案は、官庁集中計画ベックマン案において「天皇大通り」と「皇后大通り」の交差点に
面して計画された。間口約100m、奥行き約60mの規模で、コの字型に中庭を囲む平面計画が
採られた。急勾配のマンサード屋根、赤煉瓦の外壁、東京裁判所と共通するタマネギ形の
ドームなどが、ドイツ的な特徴を示す。」


前の「警視庁案」に続く、エンデ&ベックマンによる「 皇居(宮殿) 」の計画案。
上部左:
KAISERLICHER PALAST FÜR TOKIO
=「東京の皇帝宮殿」
中央:
KO-KIO
おそらく日本語の「皇居(Kōkyo)」を表そうとしたローマ字表記 。
上部右:
PALACE FOR HIS MAJESTY THE EMPEROR
=「天皇陛下の宮殿」
下部:
PERSPECTIVISCHE ANSICHT ・ YENKENDZU ・ PERSPECTIVE VIEW
ARCHITEKTEN: ENDE & BÖCKMANN
=「建築家:エンデ&ベックマン」
最下部は、
LICHTDRUCK DER REICHSDRUCKEREI



「 皇居案 正面図
エンデ&ベックマン/設計
1887年(明治20)
ベルリン工科大学建築博物館
皇居案は、中庭を大きく囲んだ馬蹄形のバロック様式的平面構成を採っている。このような
ダイナミックな曲面は、のちの東宮御所(現・迎賓館赤坂離宮)のはるかな先取りである。
東宮御所を設計した片山東熊がエンデ&ベックマンの皇居案に影響された裏付けはないが、
同じ「御所」のプランとして、その類似性には興味をそそられよう。」 


闇夜に浮かぶ 新橋駅舎を「光線画」の画家・小林清親が詩情豊かに描いた  と。



「 武蔵百景之内 江戸橋より日本橋の景 」。
1882年(明治15)。刺青のある棒手振の腕を大胆に画面いっぱいに配し、その向こうに
舟の行き交う川、コンドル設計の開拓使物産売捌所、さらに遠く富士山を望む。
江戸の面影と近代化する東京が同居する、実に大胆な構図の作品である。


「 武蔵百景之内
江戸橋より日本橋の景
小林清親/画
1882年(明治15)
東京都江戸東京博物館
コンドルが来日して早々に手がけた開拓使物産売捌所は、隅田川沿いの永代橋際に建設された
ヴェネチアン・ゴシック様式の作品で、その美しい姿から、特に多くの錦絵が遺された。
なかでも面白いのが本作品で、上腕に刺青のある棒手振が魚を運んでおり、その左の縁に
囲われながら、画面の中央ぴったりに、うっすらと富士を従えた開拓使物産売捌所の遠景が
描かれる。清親らしいダイナミズムと才気あふれる構図で描かれた作品である。」

展示風景。

憧れを建てた人々 ─ 江戸東京博物館「洋館 明治の夢と挑戦」(レポート) | レポート | アイエム[インターネットミュージアム]

「 慶應義塾図書館旧館 
ステンドグラス原画
和田英作/画。
1912年(明治45)頃
慶應義塾図書館
重要文化財◯
和田英作の原画をもとに小川三知が制作したステンドグラスは、1915年(大正4 )に完成した。
甲冑姿の武士は武力や封建制を象徴する存在として描かれ、校章のペンマークを持つ女神は
西洋文明を象徴している。また、下部にはラテン語で「ペンは剣よりも強し」と記されており、
知や学問を重んじる理念が表現されている。

画像

これは、 日本橋を大きく再現した展示 。
写真で特に目立つのは、 橋の中央上部に立つ翼を広げた麒麟(きりん)の像 。
この「麒麟像」は現在の日本橋にもある非常に特徴的な装飾。
現在の日本橋は1911年(明治44)完成の石造二連アーチ橋で、橋の中央部には麒麟像、
四隅には獅子像が置かれている。日本橋が日本の道路の起点であることを象徴するように、
今にも大空へ飛び立ちそうであった。

今年リニューアルオープンした東京都江戸東京博物館。その開館記念特別展第2弾として、「洋館 明治の夢と挑戦」が開幕!会期は前期が7月26日まで、後期が7月28日から8月23日まで。  日本が近代国家へと歩み始めた明治時代に急速に広まった「洋風建築」にフォーカスし、200 ...

ズームして。



「 東京駅 」の歴史を。


正面から。



「 バルツァー提案による
中央停車場模型
2014年(平成26)
鉄道博物館(東京ステーションギャラリー)
フランツ・バルツァーは日本で初めての鉄道高架橋をつくるため、その指導者としてドイツから
招聘された。バルツァーは帰国後、「東京の高架鉄道」という論文を発表しており、その中に
東京駅の立面図案を掲載している。 掲載されたものは、和風の四棟からなる案で、日本側が
当時求めていたのは洋風の駅舎であったことから、採用されることはなかった。
その後の設計を託された辰野金吾は、バルツァーの提案のうち、皇室用の玄関を中央に配置する
案を絶賛し、この配置案を引き継いで現在の東京駅の設計が進められた。こうして東京駅は、
中央に皇室用の玄関をもつ、珍しい駅舎となった。」 



現在の東京駅丸の内駅舎。
1914年(大正3)に完成した東京駅丸の内駅舎は、赤煉瓦と白い石材を組み合わせた長大な建築。
前の展示で見たバルツァーの和風案と並べると、その違いが非常によく分かる。
バルツァー案
→ 瓦屋根を持つ和風の中央停車場
辰野金吾案
→ 赤煉瓦を主体とする洋風の巨大駅舎



「 3-4 東京駅
辰野金吾は、1903年(明治36)、数えで50歳を迎え、東京帝国大学工科大学長という要職を
辞して独立し、念願の設計事務所を開いている。作風も当時“辰野式ルネサンス”と呼ばれた
赤煉瓦と石の混じる古典系とルネッサンス系の折衷からなる様式へと一転する。この様式は、
イギリスの建築家ノーマン・ショーがゴシック・リヴァイヴァルの次にヴィクトリア朝を飾る
スタイルとして始めたもので、辰野のイギリス留学時代にロンドンで隆盛していた。
辰野は「建築家として生まれたからには東京に3つの建物(日本銀行、東京駅、国会議事堂)を
作りたい」と述べており、日本銀行に続く作品が1914年(大正3)に完成した東京駅であった。」 



「 中央停車場建物展覧図 185  1911年(明治44)頃 」 
実際の東京駅と同様に横に長い絵図。

今年リニューアルオープンした東京都江戸東京博物館。その開館記念特別展第2弾として、「洋館 明治の夢と挑戦」が開幕!会期は前期が7月26日まで、後期が7月28日から8月23日まで。  日本が近代国家へと歩み始めた明治時代に急速に広まった「洋風建築」にフォーカスし、200 ...


当時の東京駅は入口と出口が分かれていたのだ と。



「 中央停車場建物展覧図
1911年(明治44)頃
鉄道博物館
約3.5メートルで描かれた東京駅。その横方向への広がりは、資料の長さからも実感することが
できる。また画面右手の人々は東京駅へ向かい、左手の人々は駅から出てくる様子が描かれて
いる。これは、現在とは利用形態が異なり、当時の東京駅では乗車口と降車口が明確に
分けられて利用されていたためである。」 



近づいて、左から。
中央停車場建物展覧図。



右に。



さらに。



右。



離れて。



東京駅丸の内駅舎 と、その前にある街路・橋梁の景観を大きな写真・映像で再現した展示。

洋館 明治の夢と挑戦」(江戸東京博物館)  擬洋風建築から赤坂迎賓館まで、大工、御雇い外国人、工部大学校1期生を軸に。近代建築好きは行って損なし。かつて日本橋たもとに辰野金吾の帝国製麻があったと知ったのは藤森照信先生の著作からだったとフォトスポで思い出す  ...

移動して。

江戸東京博物館「洋館 明治の夢と挑戦」、面白かった!個人的にマリー・アントワネット・スタイル見た人に行ってほしい気持ち…。  本格西洋建築はもちろん、擬似洋風建築も好きで見に行ったりしているので、それらが造られたエピソードや当時の人の果敢な挑戦や苦労を読む ...


                                 ・・・​ もどる ​・・・



                      ・・・​ つづく ​・・・




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Last updated  2026.09.26 08:37:43
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