おじん0523のヒロ散歩

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2020.05.26
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カテゴリ: 東海道53次
狼川児童公園から緩い坂を登り瀬田唐橋(4.9km)へ向かう。

3/22(日) 12:27
緩い坂の街道筋に咲き始めた桜。
街道左側に、日本黒鉛工業㈱瀬田工場
所在地:滋賀県大津市栗林町5-1


この桜は満開だが種類は、ヤマザクラか?


市の木「ヤマザクラ」


レンギョウ


こちらはソメイヨシノ、開花もまじか



道路のマンホールから、草津市から大津市に入ったようだが市境の標示が無く。
『大津市の汚水マンホール蓋』
市制施行から100年目の大津市の景観をモチーフにした、琵琶湖、琵琶湖大橋、ミシガン船、
ヨット、観覧車、 市の鳥・ユリカモメ、市の花・エイザンスミレ、市の木・ヤマザクラ、
花火大会、レガッタ、びわ湖花噴水、犬などと市章に下水の「下」を組み合わせたマークが
所狭しと描かれていた


市の古いマンホールは、左上は観覧車で、現在はベトナムへ移設されている


旧東海道
東海道は、平安時代以来、京都と東国を結ぶ幹線道路として物資の運搬、人の移動に利用され
てきた。江戸時代には、五街道の一つとして京都と江戸を結ぶ国内第一の幹線として、行き交
う旅人でにぎわっており、幕府によって126里6町1間(約496km)にわたる街道筋の現況調査な



12:33
旧東海道を進む、選挙候補者のポスターが目立つ


街道を進むと前方に大きな旧家


街道右側(北方向)に『浄土宗寶國山 新福寺』の石柱
所在地:滋賀県大津市月輪2丁目16-1



平安時代前期・1100年前の古仏で大津市指定文化財


先程の旧家
旧東海道を歩いていると風情のある塀の前のこれは?
「犬矢来(いぬやらい)」
犬矢来の役目は   ①犬の放尿除け ②雨除け ③泥棒除け ④道路との境界線
https://torocafe.com/trivia/name/inuyarai/


街道脇に『名勝 月輪大池 南約一粁』の石柱


別の『月輪』の石柱
月輪池に由来する地名で、この池に映った美しい月の姿から名付けられたとも、
月輪殿九条兼実の庄園内にあったからともいわれます。元来は原野でしたが、江戸
時代にはいって開墾がすすめられ、延宝4年(1676)大萱新田となり、明治7年(1874)
月輪村と改称されました


12:40
街道左側(南方向)に『曹洞宗普門山 月輪寺 行者堂』
所在地:滋賀県大津市月輪3丁目2-1
月輪寺の前に石碑が並ぶ『明治天皇御東遷御輦之跡』『新田開発発祥之地』


月輪寺山門


山門には『大本山永平寺 御直末 月輪寺』


山門の扁額「月輪寺」


12:43
旧東海道を進み交差点へ突き当たる。
左へ進むと京滋バイパス(国道1号線)へ、右に行くと宿泊している前の国道1号線へ。
旧東海道は二つの国道の間を進んでいる


交差点を渡ると左隅に『東海道立場跡』石碑
所在地:滋賀県大津市月輪2丁目3-18


石碑には『月輪池(上、下二池有)』
大萱地、月輪禅閣藤原兼實の荘園があった関係か、道中旅人が池に映る月の影に
感嘆して名付けたかは不明


交差点を振り返る、右方向は国道1号線の京滋バイパス。
下月輪池には水はなったが宅地開発され現在は遊水地か、右奥には「山ノ神池」がある


交差点から坂を下り旧東海道を進む


12:49
一里山三丁目交差点の左側に旧東海道の道案内
旧東海道は右斜め方向へ進む


交差点にあった『一里山三丁目の案内板・山ノ神池』
瀬田唐橋:3.1km、JR瀬田駅:0.8km


山ノ神遺跡
瀬田丘陵から琵琶湖に向って延び、草津市境に近い位置にあり、昭和54年(1979)の宅地開発に
端を発し発掘調査がされ、須恵器生産の窯跡と工房跡が一体となって検出、出土遺物から7世紀
中頃から末頃に操業されていたとみられている。
また、出土遺物に硯などが含まれていることから、近隣の官衛(役所)、寺院などにも製品の一部
が供給されていたとみられている


弥次さんも疲れたのか下を向き進む、ゴールまではまだ一里はある


12:51
長沢川に架かる「一里山橋」


一里山橋


地図を見てこの辺りは池が多い。
また、東海道新幹線、JR琵琶湖線(東海道本線)、国道1号線、京滋バイパス、名神高速道路と
交通の要衝地になっている


一里山橋を振り返る、桜の開花が待ち遠しい


旧東海道を進むと緩い坂道に


民家の敷地内に『地蔵尊』


12:57
一里山二丁目北交差点にある『一里塚趾』の石碑。
ここを左(北方向)へ進むとJR瀬田駅。交差点から旧東海道を振り返る、街道は緩い坂を登って
きている。ここまでの今日の歩行数は、15,100歩。
疲れから左ひざが上がらず


一里塚跡
一里塚は、徳川幕府が旅人の目じるしに江戸の日本橋を起点として、東海・東山・北陸の三道
に一里ごとに設けた塚です。ここにあった一里塚は、東海道の大津と草津の間に位置するもの
で、大きな松の木が植えられた塚でしたが、惜しくも明治末期に取り除かれました。その場所
は旧道と広い市道の交差しているこの地点にあたります。
現在の一里山という地名が一里塚のあったことを物語っています


旧東海道は、交差点を横切り坂を下る


交差点に珍しい、祈 安全火車往来「道標」
直進:三條大橋迄で、五里余り、戻ると:江戸日本橋迄で、百二十里余り
左方向:旧朝倉道、信楽より伊勢、桑名に至る、右方向:膳所藩札場より、大萱港常夜塔に至る


一里山二丁目北交差点


交差点を渡り振り返る、店先に一里塚の石碑


13:03
大江四丁目交差点の交差点を渡り進む


この辺りも緩い上り坂に、上り下りの繰り返しになっている


大江の千里(ちりんさん)
大江の地を荘園として持っていたと伝えられる「大江の千里」は平安時代前期の歌人で、三十六
歌仙のひとりとして、また、百人一首の第二十三首の歌人として著名な人である。
その奥方がこの地に住まいしていた。村人はその跡地に野上神社(現在は、御霊神社のお旅所)を
建て、その遺徳を偲んだといわれている。
第二十三首『月見れば 千々にものこそ 悲しけれ 我が身ひとつの 秋にもあらねど』


13:08
坂を下る、前方は比叡の山か


13:09
大江東北自治会館前にあった観光案内板
「大江の史跡 文化財マップ」
旧東海道は右上から南西方向へ進んできた。現在地は中央部分


大江地区の文化財


この後、現在地から左方向へ曲がり南へ進み『瀬田唐橋』へ



                                石部宿~大津宿ー続く





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最終更新日  2020.05.27 13:00:20
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