おじん0523のヒロ散歩

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2023.01.18
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カテゴリ: 続 日本100名城
多胡桃(なぐるみ)城址の散策を続ける。

11月16日(水) 9:25
二郭堀切に架かる木橋を渡り南側虎口からの二郭。
中央にスロープ、中央通路が北側へと。


二郭(にのくるわ)
二郭は約65×50mの台形で、西側の縁辺は広く崩壊して波打った形になっています。中央部に
広がる建物敷地は、周囲より1m程低く平坦に造成されていて、西~南~東側には段があり、幅
6~7mの土塁基底部が残っています。
郭の北側と南側には、それぞれ特徴的な虎口(別に説明)が確認され、両脇に溝を持つ幅2.5m程

南北の虎口周辺の土塁基底部には石積みがあり、通路脇の溝の壁には部分的に石が並べられて
います。また、東側崖面の中間には腰郭が残っています。
この通路の西側からは8棟の掘立柱建物址群がみつかり、般若郭等と同様に3時期に分けて考え
られます。復元整備では第2期の3棟が平面表示されています。建物と土塁の間には溝が廻り、
排水設備が整っていました。
右側写真は「二郭調査全景空撮」「二郭掘立柱建物址(中央)」
中央写真は「二郭復元想像図」 「掘立柱建物址(南側)」。


発掘調査結果、整備状況


二郭の遺構(第2期建物址表示)
手前から「3号掘立」「5号掘立」「6号掘立」、奥に土塁。


二郭 北側虎口
土塁には石積みが残る。


北側虎口の土塁上から二郭を見下ろす。



二郭北虎口(にのくるわきたこぐち)
虎口とは防御施設としての出入口のことで、小口や戸口に虎の字をあてて勇猛さ危険さを意味
しています。
ここ二郭北虎口の特徴は、郭内の通路から続く4個の礎石による門址で、うちひとつは石塔の切
石が再利用されています。通路東脇の溝は、門をくぐり暗渠排水として本郭堀切まで伸び、溝横

本郭堀切は幅14~16m深さ7~9mあり、法面は二郭側より本郭側の方が 20度ほど急傾斜で、 
土橋の左右で堀幅を変えて、大きくクランク状に進入する構造になっています。また、門址の
西側に続く土塁の下からは、幅約3m深さ約1.5mの堀が確認され、空堀から土塁へ改築されて
いました。堀切造成の際に掘り残した橋の基壇上には、6本の柱穴がみつかり木橋が架かってい
たことがわかりました。
右側写真は「本郭堀切土橋と木橋柱穴」「二郭北虎口石積み」
中央写真は「二郭北虎口復元想像図」 「二郭北虎口門址」。


窪地は本郭堀切、復元された木橋。


二郭北側虎口から本郭への木橋。


本郭には多くの幟が立っていた。


本郭(ほんくるわ)
名胡桃城址は、大正12年に地元の有志で結成された保存会によって、よく保存管理されてきま
した。昭和2年、本郭に「名胡桃城址之碑」を建立し、本郭とささ郭に松・桜などの樹木を植
え史跡公園として完成させました。この碑文を書いたのは文豪の徳富蘇峰であり、文字の彫り
も深く見事で、石材は地元の富士山でとれた安山岩、村中の人たち総出で運び建てました。隣
の副碑は、昭和43年の明治百年記念で建立しています。
本郭は長さ約51m幅約30mの洋梨形ですが、両側の崖面とも大きく崩落してコンクリートで
補強されていることから、当時はもっと広かったことがわかります。郭の縁辺には土塁の基底
部分が残っていて、土塁が廻っていました。この城には天守はなく、本郭内の虎口や建物の状
況は分かっていません。


県指定史跡 名胡桃城址
  昭和二十四年十二月二十日指定


南側の本郭堀切。


本郭に建つ二つの石碑。


本郭から東方向の沼田城を望む。沼田城は右側奥に位置する。


昭和2年に建立された「名胡桃城址之碑」
この碑文を書いたのは文豪の徳富蘇峰で、文字の彫りも深く見事である。石材は地元
の富士山でとれた安山岩、村中の人たち総出で運び建てたと。


隣の副碑は、「温故知新之碑」。
保存由来記
わが郷土の誇りである名胡桃城は天正の頃豊臣秀吉の旗下真田昌幸の所領であった。
秀吉一代の悲願である天下統一の最終段階に於て北條氏政と和睦を結ぶにあたり北関
東に於て名胡桃城○○○昌幸の領地として残された。然る処氏政は私兵を以て当城を
攻略し・・・・・後略
  昭和四十三年四月二十日


石碑には「温故知新之碑」と。
昭和43年の明治百年記念で建立された。


二つの石碑を後方から。


副碑の裏面には、「名胡桃城址保存會役員」の名が刻まれていた。


本郭の北方向。
昭和2年、本郭とささ郭に松・桜などの樹木を植え史跡公園として完成させた。


本郭から、ささ郭へは下る。


ささ郭(ささくるわ)
ささ郭とは、城の主体になる本郭が外に対してむきだしにならないように設けた郭で、唯一こ
の城跡に残存る土塁を両側にもつ狭長な通路でした。ささ郭の先端側には袖郭と物見が続き、
尾根づたいに下方に通じていました。ささ郭は長さ約31m幅約14mで、中央には約1m掘り込
んだ幅2~5mの通路があり、その両側を1mほど盛り上げた土塁を挟んでいました。通路の先
端には礎石が4個設置され、搦手門がありました。土塁の内側には、自然石を3~4段乱雑に積
んだ石積みがみられます。
本郭との間は、幅約12m深さ約6mの堀切で区画され、幅1mほどの狭い土橋で連結されていま
した。現在、礎石門址・通路・石積み・土橋などは、保存のため埋め戻されてみられません。
また、ささ郭堀切に設置した階段通路は当時の復元物ではありません。
右側写真は「搦手門 (からめてもん) 址」「土塁断ち割り状況」
中央写真は「ささ郭復元想像図」 「土塁石積み」。


整備内容


ささ郭に下り立つ。


ささ郭から東方向を見下ろす。
右側奥に沼田城がある。


橋は利根川に架かる国道17号の月夜野大橋。


ズームアップ。


ささ郭に立つ旅友は何を考える・・・。
石祠の上には小銭。


名胡桃城廻りの城跡。


石祠の上に小銭で六文銭。


ささ郭を後にし本郭へ。


本郭にある四阿


カエデの紅葉も見事であった。


本郭から二郭へ進む。
この先を左へ曲がり二郭北虎口へ


二郭南側虎口から二郭北側虎口を望む。


国道沿いの馬出へ戻る。


国道17号沿いから北東方向を望む。


馬出、三郭、二郭、本郭とありその間に堀切がある名胡桃城址であった。


名胡桃城址案内所
もう一度館内へ入ることに。


テレビで名胡桃城の説明をしていたが。


名胡桃城址案内所裏にある駐車場へ戻る。
東方向に馬出。


9:40
駐車場(般若郭)からの三郭堀切、三郭。
名胡桃城址の散策の後は、「四万川ダム」を目指すことに。



                                     ー 続く ー





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最終更新日  2023.01.18 03:00:07
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