おじん0523のヒロ散歩

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2023.02.21
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カテゴリ: 茅ヶ崎市歴史散策

立春を過ぎ、気温も上がり天気が良かったので昼食後愛車のリンちゃんで出かけた。
今まで茅ヶ崎市内の寺社史蹟を巡りブログアップしているが、Googleマップで見落としていた
「登象の堰」、「二十三夜堂跡」を今回訪れたブログです。

2月5日(日) 13:00
北茅ヶ崎駅東側の中華料理店。
最近店さきを通るといつもお客さんが行列している人気の店であるようだ。


中華「のんち」
所在地:神奈川県茅ヶ崎市茅ヶ崎844 小川アパート
ネットで調べると、茅ヶ崎駅前の横浜飯店から修行して独立した店主。修行された横浜飯店も
食事時にはいつもお客さんが行列している中華料理店。
グルメの雑誌に載り人気になっているようだが、私もいつか食べてみたい。


茅ヶ崎の西方向へ進み千ノ川に架かる飯島橋。
目的地の「登象の堰」「二十三夜堂跡」は下流の千ノ川沿いにあるのでここを左方向へ。


河川敷は枯草等を除去し綺麗に管理。


川面には多くのカモが餌を求めて。


1メートル近いコイも泳いでいたが、カモのエサは小魚であろうか。


13:15
千ノ川を下ると珍しい名の 「とはま (十・浜) 人道橋」


とはま人道橋から上流側を望む。


とはま (十・浜) 人道橋
十間坂と浜之郷を結ぶ橋。元々この地に堰があり、その上を人々が通行していたものを、堰撤
去後に橋として整備したことに由来していると。歩行者(自転車も)通れるので通行量が多い。


ちがさき丸ごとふるさと発見博物館
『とはま (十・浜) 人道橋 際の 取水堰跡 (登象の堰)』
所在地:神奈川県茅ヶ崎市茅ヶ崎3丁目
昔、この地域には千ノ川の水を利用した水田が広がっていました。その水を田に引くために、
この場所に堰が設けられていました。ここでせき止められていた水は、取水口から用水路を流
れ、鶴岡八幡あたりまで広がる水田を潤しました。余った水は、現在の富士見橋脇で、再び千
ノ川に流れる仕組みでした。
水田が広がる昔の浜之郷地区の原風景と歴史への入口となるこの取水堰跡をここに記し、茅ヶ
崎市の都市資源のひとつとして後世に伝えていくことにしました。
                (企画協力 亀山政博氏)
     平成二十二年三月 茅ヶ崎市教育委員会
              ちがさき丸ごとふるさと発見博物館
千ノ川の水問題と登象の堰
● 湘南砂丘と高座丘陵に降った雨を水源とする千ノ川は昔から水量の少ない小川で、稲作農家
  は長年水不足に悩まされてきました。
● 昭和5年、農家の人々は「千ノ川へ相模川の水を導入して水不足を解決」することを話し合
  い、青木雄司茅ヶ崎町長を代表に「相模川左岸水利組合」を設立。千ノ川の堰・水門・用水
  路等を整備し、昭和15年3月に相模川左岸農業用水を千ノ川の室田へ導入、長年の水量不足
  を解決しました。
● この千ノ川に相模川の水を補充した「ブレンド水」を浜之郷、矢畑、十間坂、南湖の水田に
  供給したのが、この「登象の堰」でした。供給したこの豊かなブレンド水は豊かな水田をつ
  くり、豊かな稲を実らせ、豊かな千ノ川の水田時代の最後を担いました。


昭和のはじめに造られたこの堰は、がっちりしたコンクリート製で、約八十センチメートルほ
どの幅をもっていましたので、橋の役目も果たしました。また、相模川左岸農業用水導入後の
堰はいつも豊富な水量をたたえていたので、子供たちにとっては自然のプールでもあり、魚と
りを楽しむ集いの場でもありました。
写真は「堰で遊ぶ子供たち (昭和21年頃)」。


橋の役割は、十間坂と浜之郷をつなぐ「とはま人道橋」として現在に残されましたが、かろう
じて原形を留めていた堰跡と取水口は、平成十九年の護岸工事の際に、県の協力を得、その位
置を護岸に刻み込むことにしました。新しい護岸に付設された四角い囲みがその原位置で、上
端の高さが本来の土手の高さを示しています。この土手と堰は多くの人々が行き交う場であり、
鶴嶺神社参道を前景にした富士山、箱根、丹沢の眺望は人々の目を楽しませました。
護岸の「口」の位置が旧取水口。


若者が、とはま (十・浜) 人道橋の上から釣り。
話をすると、コイを釣っており、南湖通りの某寿司屋へ持ち込みさばいてもらうと。
そこの料理も美味しいと!


橋の下には多くの1メートル近いコイが泳いでいた。
エサはパンくずで釣っていたが。


とはま人道橋から更に、千の川沿いを下り、「 富士見橋 」上から。
天気が良ければ前方に富士が見れるのだが、気温が上がりうっすら見えていた。


上流側を振り返る。上流の高層マンション手前に、とはま人道橋が架かる。


南側に国道1号の南湖入口交差点。左右に国道が走る。
二十三夜堂跡は右側の敷地にある。


13:30
二十三夜堂跡・大勢至菩薩
所在地:神奈川県茅ヶ崎市南湖1丁目9-24
国道1号の南湖入口交差点を山側に入ったところにある堂跡。


ある方の書き込みから、
子供の頃(昭和50年代)には富士見橋の袂に古いお堂が建っていた。床は抜け、壁は朽ちて柱と
屋根くらいしか残っていなかったがいつしかそれも取り壊され、代わりにこのような小さい社
が建った。二十三夜講の風習がこの地にもあったとの証であると。
社の横には「二十三夜御本尊大勢至菩薩」と。


二十三夜講の風習
旧暦23日の夜,いわるゆ二十三夜に講員が宿に集まって飲食をともにしながら月の出を待つこ
と。三夜様とも三夜供養ともいい、月待行事のなかでも最も盛んに行われ、月待のマチは,神
のかたわらに待座する意味らしく、この夜には神の示現があると信じられていたと。


社の中には「二十三夜御本尊大勢至菩薩」と刻まれた石碑と御本尊。


御本尊である大勢至菩薩。


御本尊は風化していた。


2023年3月10日(金) タウンニュース茅ヶ崎版に記載された「二十三夜堂」
【茅ヶ崎の昔話】
  昔々、南湖の村に力のない男がいて ”俺はどうして、こうもたくましさがないのか、カミナ
  リはこわいし、夜は外もあるけない” と一人ごとを言いながら、二十三夜堂のほこらのそば
  を歩いておりました。すると近くに大きな米俵がありましたので、男は持ちあげてみようと
  思いました。そこで、ホコラにむかって、「どうか、私に力をさずけてください」とお祈り
  し俵を持ちあげてみました。すると、どうでしょう。今まで力のなかった男にもりもりエネ
  ルギーがわき、軽々俵を持ちあげてしまいました。この話が ・・・中略・・・
  それからはこのお堂で二十三日夜、南湖の人たちで、お念仏が行われていましたが、今は
  老人たちが亡くなったりしてとだえてしまいました。


二十三夜堂跡からスマホの案内で住宅街を進み、道路脇に道祖神。
この道祖神もGoogleマップで知り訪れた。


浜之郷石原の道祖神
所在地:神奈川県茅ヶ崎市浜之郷816-2
住宅街の迷路のような片隅に建っていたが、北側には鶴嶺八幡宮がある。


廻りは新興住宅街になっており「文字道祖神」は市有地に建てられているようだ。


茅ヶ崎は先の大戦による空襲が無かったのでこのような路地が多い。


国道1号沿いに建つ鶴嶺八幡宮大鳥居。


弁慶塚
所在地:神奈川県茅ヶ崎市浜之郷845
国道1号沿いに建つ鶴嶺八幡宮大鳥居から松並木を入り40,50メートル先を右に入る。
かつては木が聳えていたようだが今は枯れ、砂利が敷き詰められている。


石碑には「弁慶塚」。
詳細は「​ 源頼朝とゆかりの地 ​」👈 をクリック願います。


13:55
国道1号(旧東海道)の鳥井戸橋
右側の石碑には「南湖の左富士之碑」と。この日は富士は雲に覆われ見えなかった。


14:00
御霊神社 (ごりょうじんじゃ)
所在地:神奈川県茅ヶ崎市南湖2丁目9-10
鳥井戸橋から左富士通りを南下、途中左折して住宅街を進み御輿に出会い鳥居前へ。
詳細は前回訪れた「​ 源頼朝とゆかりの地 ​」👈 をクリック願います。


参道の両側にはいろんな絵が描かれた提灯が飾られていた。
氏子さんに「今日は何事ですか」と聞くと「例大祭です」との返事。


今回この「 鳥井戸御霊神社の地神塔(じじんとう) 」の確認に訪れたのだが運良く例大祭に遭遇。


鳥井戸御霊神社の地神塔 (じじんとう)
昔、村人が鳥井戸御霊神社の参道に、この地神塔を据えたものと思われる。
地神塔とは、死者の供養や自分の極楽往生を願って建てられた石塔である。作成は
室町時代末期に造られた供養塔と思われる。神仏習合の時代の時である。
その時は西運寺が御霊神社の別当寺であった時代でありました。我々、後世の人々
がすべての人が幸に暮らせる様に、この地神塔を管理して参ります。
  令和三年六月 鳥井戸御霊神社 総代 加藤秀美


地神塔は参道沿いに据えられており紙垂で飾られていた。


境内には「例大祭の御奉賛者名」が半紙に書かれて貼りだされていた。


社務所の前に貼られていた「鳥井戸 御霊神社  例大祭
■ 日 時  2月5日(日) 〈雨天決行〉
   ● 神事式典  午前10時00分
   ● 神輿渡御  午前10時30分 ~ 午後3時


御霊神社社殿


狛犬(右側)


狛犬(左側)


拝殿前には、御霊神社の提灯


拝殿の扁額には「御霊神社」。


拝殿には例大祭の神事式典の椅子が並べられていた。


本殿が開かれていたのでズームアップ。


拝殿の壁面には「御祭神 九郎半官 源義経」。


ズームアップ。


14:10
拝殿入口に掲げられていた、
御祭神  鎌倉権五郎平景政 であろうか。



                                      ー 続く ー​






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最終更新日  2023.03.10 15:23:17
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