おじん0523のヒロ散歩

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2023.08.03
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カテゴリ: 茅ヶ崎市歴史散策



猛暑の中愛車のリンちゃんで移動、途中コンビニで糖分(アイスクリーム)を補給。

7月16日(日) 17:20
御霊神社 (ごりょうじんじゃ)
所在地:神奈川県茅ヶ崎市南湖2丁目9-10
ここの神社は南湖地区5社のひとつで神輿は海岸まで担いでいく「渡御」である。
南湖地区5社は他に南湖上町の「金刀比羅神社」、南湖中町の「八雲神社」、茶屋町の「茶屋町
大神宮」、南湖下町の「住吉神社」があり海岸に近いので全ての神輿が「渡御」である。


参道はいつものように提灯で飾られていた。


御霊神社の前には、子供御輿と大人御輿。



御霊神社の由緒
御祭神  鎌倉権五郎平景政
御祭神  九郎半官 源義経
御霊信仰とは、厄災の発生や非業の死を遂げた人の怨霊を鎮めて、人々の平穏と繁栄を実現し
ようとする信仰である。
御霊神社の創建年代は不詳であるが、古くより御霊山西運寺の領有地に毘沙門堂があったが、
その後幾多の変遷を経て現御霊神社になったものである。
言い伝えによれば、治承年間(1177~1182年)にこの地方一帯を治めていた懐島権守平景能が
此の毘沙門堂に鎌倉権五郎景政の霊を祀った。
建久九年(1198)鎌倉幕府初代将軍源頼朝一行が、相模川の橋供養の帰路、非業の死を遂げた
弟の源義経の亡霊が現れ、驚きの余り落馬しそれが原因で翌年死去したとされている。

後年永く信仰の場になっていた当神社も、明治初年の神仏分離に際し御霊山西運寺より独立し
現在に至っている。
現社屋は昭和四年再建したものである。


御霊神社の子供御輿は海岸へは行かない。


社殿の東側(右)に社務所があり「祭事務所」の看板。





社殿前から境内を見る。


拝殿の扁額「御霊神社」。


内陣を見る。


神輿の宮出は早朝3時半でこの参道を進む。


金刀比羅神社
所在地:神奈川県茅ヶ崎市南湖3丁目4-40
御霊神社の東側にある南湖通り沿いにある南湖地区5社の神社である。
境内には「 浜降祭 金刀比羅神社」の横断幕。


鳥居には「蛇飾り (じゃかざり、龍飾門)」。
当社の神輿は明治四十四年(1911)、芹沢腰掛神社から譲り受けたもので、南湖地区で初めて浜
降祭に神輿を担いで参加したという。その後御輿は新調されている。


境内には、茅ヶ崎市消防団第4分団、上町自治会館が建っておりこの日は1階が解放されていた。


ここの神輿は海岸まで担いでいく「渡御」である。


茅ヶ崎市消防団第4分団の中には子供御輿が飾られていた。
ここの神輿は海岸まで担がられ浜降祭に参加する。
壁には消防団員用の衣類が掛けられていた。


拝殿の扁額「金刀比羅社」。


拝殿の前には背の高いテントが建てられていた。
暑い中での作業になるので日除けなのであろうか。


神輿の横のトラックには「上町祭囃子保存会」と書かれた提灯。


トラックの荷台には太鼓が置かれていた。
神輿が地域を巡行する際、子供達が祭囃子で盛り上げる。


神輿の札には「南湖上町 金刀比羅神社」と。


金刀比羅神社から南湖通りを南下。頭上に「 浜降祭 八雲神社」の横断幕。


横断幕をズームアップ。


南湖通りを振り返える(北方向)。この先数百メートルに、金刀比羅神社がある。
参道入口左側に「八雲神社参道」と刻まれた社号標石が建つ。


南湖通りから東方向に八雲神社参道。
参道には足長爺さんの影が伸びる。


八雲神社
所在地:神奈川県茅ヶ崎市南湖4丁目4-29
ここの神輿は、寒川町の大曲神社(十二神社)が、明治末年の神社合祀の際、単独で神社を存続
させる財源確保のため、180円で茅ヶ崎の八雲神社へ売却したといわれている。


鳥居に蛇飾り (じゃかざり、龍飾門)
浜降祭の折、南湖の特定の場所に青竹の鳥居(地元では門という)をたて、神輿は必ずこの鳥居を
くぐって入退場しています。この青竹の門には藁でつくった蛇(龍ともいう)を這わせます。
神輿がこの門をくぐる時、海の神様「八大龍王」の御神霊が乗りうつり、浜で禊(みそぎ)をする
ときに荒波から守るとされている。


鳥居を潜ると社殿前に神輿が鎮座していた。
右側の神輿殿も解放。


大人御輿はテントの下に鎮座、照明灯も。
担ぎ棒は漆塗り。


神輿の札は「中町 八雲神社」と。
大人御輿の右側に子供御輿。


子供御輿の右側には「御幣参り(ごへいまいり)の神輿」。


拝殿前に3基の神輿。


この神輿は「御幣参り(ごへいまいり)」で使用される御輿。
西浜海岸に集った各地区の神輿は浜降祭を終えた後、それぞれの地区に戻り、町内渡御
などが行われますが、南湖地区には旧くから受け継がれた南湖だけの浜降祭「御幣参り」
があります。江戸時代中期元禄の頃から始まったと伝えられています。
早朝、海岸での浜降祭から戻り、八雲神社に納められている白木のお宮の形をした御幣
宮(ごへいぐう、重さ約50㎏)を担いで、決められたルートを巡り祭事を行います。5つの
町内から総勢20名ほどが八雲神社に集合し、烏帽子、水干(すいかん)の白装束を着て、
御幣宮、太鼓、長持などを担ぎ、南湖を一巡します。
渡御のルートは御幣参りの由来に関係した場所をもとに決められているといわれている。
御幣参り神輿の手前には長持。


拝殿には鈴、祭りの提灯。


拝殿の扁額「八雲大神」。


時間も遅くなり日影が伸びる。


17:35
この後、西浜海岸にある浜降祭の会場へ行く予定であったが、誕生日会の18時近くなったので
ここで引き返すことに。



                                     ー 続く ー





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最終更新日  2023.08.03 03:00:09
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