おじん0523のヒロ散歩

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2024.07.14
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カテゴリ: 茅ヶ崎市歴史散策


日蓮宗常顕寺を後にし、予定時間に迫って来たので急ぎ最終目的地もゴールへと。

6月19日(水) 11:35
日蓮宗常顕寺の北側に隣接する「浄土宗満福寺」の山門。


今日の散策コース(今宿・萩園コース)   距離:3.14km
​① 旧相模川橋脚​  →  ​② 上国寺​  →  ③ 日蓮宗信隆寺   ④ 松尾大神  →  ​⑤  萩園辻日枝神社跡 →​
​⑥ 三島大神 ​​  → ​  ​⑦ 十二天神社 ​​。​
途中、日蓮宗常顕寺、満福寺 (後日7月4日に参拝した) へ。


萩園通り(八王子道)を北上。満福寺の駐車場への入口に鉄パイプで保護された ”地蔵尊” 。


景観を損なう太いパイプ。
地蔵尊には「寛文六・・・」と刻まれていた。


高野山真言宗 大鼓山 満福寺(まんぷくじ)
所在地:神奈川県茅ヶ崎市萩園1632
真言宗の寺院で『新編相模国風土記稿』によると、行基作の6尺(約180cm)ほどの阿弥陀如来を
本尊としていたといいます。三島大神、十二天神社の別当寺でした。


参道左側には寺号標石に「高野山 真言宗 大皷山 満福寺」と。


当日は時間の関係で参拝しなかったので、後日再度訪れた。
参道から萩園通り(八王子道)を振り返る。


満福寺本堂
境内には十王堂がありますが、十二天神社の参道入口の右側にあった十王堂の本尊が移されて祀
られています。もとの十王堂は明治維新前後まであり、縁日なども開かれて賑わっていたと伝え
られています。什物であった「十王地獄絵巻」(極彩色) 10幅も現在は満福寺に所蔵されていま
すが、箱書きには十二天神社に残された棟札同様「遠山」の名前が残されています。
(当日配布されたパンフレットから)。


境内へ入ると右側に石仏が並んでいた。


アロエの後方に並ぶ石仏。


太子堂


太子堂の中に鎮座する 弘法大師像


歌碑には、
 「鉦の音 六つの巷に 栄えなば みの入相を 思いしるべし」
    新編相模風土記稿萩園の条に
    地蔵堂満福寺持木造にて腹籠の
    像あり相州二十四輩札所第八番なりの記あり
  昭和五十七年三月彼岸  施主 野崎薫


十王堂
十王地獄絵巻は、仏教の十王思想についてわかりやすく各王ごとに絵説きしたものです。
十王思想は、中国の道教の影響を受けて唐の時代に生まれ、日本では鎌倉時代以降に普及した
といわれています。十王とは、死者が冥途に行くのに通らなければならない10か所の裁判官で、
裁判長格の閻魔がよく知られています。


内陣を覗き見る。
十王堂の中には閻魔王を中心に、改修されて彩色を新たにした十王像が安置されている。


境内に立つ観音菩薩と石碑。


左側の石碑には「屋根修理記念」
  享保九年六月建立以来二百七十年の歳月を得たる本堂草葺屋根も時代の推移と
  火災予防の見地から檀家一同協議の結果ここに瓦葺きとして更生をなせり
     昭和三十六年三月吉日
           住職 慶順代
総代、世話人、役員の名が刻まれていた。


昭和三十六年(1961)に瓦葺きに更生したとあったが、銅板の如くに仕上げられている。


本堂屋根をズームアップ。


境内の南側の入口に 頌徳碑が立っている。

裏面には「寄附連名」
金五拾圓から金壱圓   発起人は5名でそれぞれ金五拾圓
            他にも多くの人の名が刻まれていた。
                      大正六年八月建設


表側に廻り込み、高さ5m程の頌徳碑には 「菊池翁碑」 と。

頌徳碑には「菊池翁碑」と。
この頌徳碑は、明治時代に改進派として活躍し、養蚕の普及など農村指導にも貢献した萩園生
まれの菊池小兵衛(1844~1913)をたたえる「菊池翁碑」である。
菊池翁は、明治12年(1879)、高座郡選出の県議となり、その後13年間在任し、同26年(1893)
立憲改進党の県支部にあたる同志会会長に推され、党中央評議員となり、県内改進派の中心的
な指導者として活躍しました。しかし、同33年(1900)の国会議員選挙に敗れて以来、政治の一
線から身を引きました。
その後、茅ヶ崎郵便局長、茅ヶ崎町議会議員などを務めながら、地域指導者らの相談相手とな
り、茅ヶ崎電灯、湘南鉄道、南湖院の設立に参加するなど、地域振興に晩年を捧げた。


頌徳碑の裏には塔婆が置かれていた。


由緒あるものであろうが・・・。


頌徳碑に対する説明板がないのが残念である。
萩園地区から地域振興に貢献した人が多く輩出しているようだ。


萩園通り(八王子道)を北上。


近くの神奈中バス停「番場 (ばんば) 」。


満福寺から直ぐに萩園通り(八王子道)を左折して振興住宅街へ。
かつてのこの辺りには、江戸時代の萩園の領主、遠山氏の屋敷があったと伝えられ、古くから
”殿屋敷” といわれているところがあると。
また敵の侵入を防ぐために迷路になっているような ”殿屋敷の道” が現存している。


そんな道を間違いもなく誘導していただきゴール近くへ。


11:40
今日最後の目的地、新緑に覆われた十二天神社へ到着。



                                      ー 続く ー














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最終更新日  2024.07.14 03:00:08
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