おじん0523のヒロ散歩

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2024.09.01
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カテゴリ: 藤沢市歴史散策




8月22日(木) 15:05
県道44号線(伊勢原藤沢線=旧東海道)の交差点から県道43号線(藤沢厚木線)を北上。
前方は工事中の国道1号の城南交差点。


城南交差点の先のネット内は芙蓉カントリーのコースの東端部になる。


工事現場にあった看板に、
「城南交差点の下に横浜湘南道路の開削トンネルをつくっています
令和7年3月31日まで 」と。
この工事は完成までに1年半であるようだ。


城南交差点から西方向を望む。
西の空に黒い雲が広がっていた。


天気が良ければ富士が綺麗に見えるのだが。


城南交差点を横切りトンネルの手前を右折。
トンネルの上は芙蓉カントリーのコースになっている。


藤沢市城稲荷土地改良事業記念碑
所在地:神奈川県藤沢市城南3丁目1−15
Googleマップで交差点の角に「藤沢市城稲荷土地改良事業記念碑」が建っている。
後方には ”Rice Fields” が広がり水田の上には市場通り線の大庭大橋が架かる。

石碑には「鼓腹撃壤」と。

「鼓腹撃壤  農林大臣河野一郎」 と。

藤沢市城稲荷土地改良事業竣功記念碑
引地川の東西両岸に展開する三十余ヘクタールの当耕地は古来区画狭小、乱形の
原始的湿田にして、農道および水路少なくひとたび大雨の際は、引地川の氾濫に
より被害を受けることしばしばであり、加うるに城地区の用水は小糸川に稲荷地
区は溜池に、それぞれ水を求めていたが、一朝早魃に会うやたちまち用水の不足
をきたし植付不能に陥る等、営農上の障害はきわめて大きかった。
ここに両地区耕作者相計り昭和三十二年十一月土地改良区を設立、以来組合員百
三十二人の総力を結集して、区画整理、機械揚水、○○排水と遂次その工を起し
五か年の歳月と総工費一千二百八十一万一千円をもって昭和三十七年三月すべて
の事業の完成を見たのである。
これによって、当耕地の区画整理ならびに用水の確保、道路橋梁の整理、乾田化
が行なわれ古来の姿をここに一新したしだいである。
これはまさに百年の大計を成就し近代農業の基盤を確立したもので、長く郷土の
民生を豊かにしていよいよ国家の発展に寄与することとなった。
ここにその概要をしるして本事業の記念とする。 藤澤市城稲荷土地改良区建之
   昭和三十七年三月
       神奈川県知事 内山岩太郎 書 


この後近くにある「神明社(城の神明)」へ向かうことに。


この道は始めて通る道。南下すると県道44号線(伊勢原藤沢線=旧東海道)の羽鳥交差点へ。
左側は藤沢市立明治小学校。


藤沢市立明治小学校
所在地:神奈川県藤沢市城南3丁目3−1
この小学校の沿革は明治五年(1872)に名主の三觜八郎右衛門が小笠原東陽を招いて、羽鳥に私
塾「読書院」を開き、明治六年(1873)学制発布により羽鳥小学校に改称されたと。
花壇にはポーチャラカが咲いていた。


明治小学校の前にある”明小歩道橋”。後方の高架橋は国道1号。
道路標識に県道43号線とあり旧道であろうか。城南交差点を横切る道も県道43号線である。


スマホの案内で自転車を置き「神明社 (城の神明)」へ。
明治小学校の校庭では野球チームが暑い中練習を行っていた。お母さんたちも水対策で応援。


神明社 (城の神明)
所在地:神奈川県藤沢市城南3丁目2−13
城(たて)神明社は、伊勢神宮領大庭御厨ゆかりの神社で、20ある「藤沢市文化財ハイキング」
の1つ、「耕余塾・養命寺コース」に含まれている。拝殿のある高台は広場のようになっている。
境内の南側を国道1号が走っており現在「横浜湘南道路のトンネル」の工事中で落ち着かない。
工事中のネットフェンスが設置されていた。


南側からの鳥居を潜ると正面に拝殿。
境内にはシートが敷かれていた。


拝殿の右側には、拝殿と同じくらいの大きさの新しい慰霊碑が立っている。
由緒等の説明板がなかったがご祭神は、天照大神。


境内の右側には鐘楼。


梵鐘には「城神明社」の鋳出し。


境内にはシートが敷かれ、南側に工事用の仮設ハウスがあるので工事関係者が歩くのであろうか。

鳥居には「昭和二十七年二月吉日建之」と。


境内の南西方向にも工事用の高いネットが設置されていた。
こちら側からも入ってこれるのであろう。


前方は城南交差点。
西の空は雲が厚くなっており ”にわか雨” か、それとも ”ゲリラ豪雨” に。


拝殿左側の木の下に石碑が並んでいた。


拝殿前から南西方向の工事現場。


道祖神、庚申塔が立っていたがどれも行き場所を失い移設されたのであろうか。


石碑には、
「御大典紀念 拝殿建築紀念碑
   昭和参年十一月吉日  巴城 加藤伸吉謹書」と。


この石碑は地盤沈下か傾いていました。
石碑には、
「御神楽殿建築記念碑
   昭和拾八年八月四日建之  従六位勲七等清水善茂敬書」と。


境内の東側に建つ神楽殿(右側)、城公民館(左側)。


城公民館の前に建つ「慰霊碑」。


第二次世界大戦での戦死者の名が左右の側面に刻まれていた。


また、裏面には多くの発起人の名が刻まれていた。


慰霊碑前から南側の羽鳥地区を望む。


入口に「城公民館」と。


境内の裏に駐輪したのでこの階段を下りる。


駐輪場所から東側の明治小学校の校庭を見下ろす。
この後東側にある「柏山稲荷神社」へ向かう。


国道1号で区切られた北側の住宅街を抜け「柏山稲荷神社」の西側へ到着。
相変わらずロープが張られて立入禁止に。
坂の下には柏山稲荷神社の社殿。


ロープの看板には、
封鎖例外事項
一、郵便局員による配達
二、自治会員による回覧
三、警察官による警邏
・一並びに二の場合、本看板後方より社務所へ続く下り道の範囲及び社務所ポストより2m内に
 限り一時的に侵入を認める。
・三の場合、本神社境内地における全ての行動を制限しない。
     宗教法人柏山稲荷神社


木の合間から柏山稲荷神社を見下ろす。


ロープの外を奥へ向けて歩くと鳥居が現れた。


一対の狛狐と社殿。


右側の狛狐


左側の狛狐


左には「馬頭観世音」と刻まれていた。


説明板がなかったので詳細は不明。


15:30
高台の下にある柏山公園に向けて坂を下る。
右側のフェンスは国道1号の囲い。



                                     ー 続く ー






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最終更新日  2024.09.01 08:05:05
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