忘年と言う語のひびきに日本人の刹那、無常、その場しのぎを感じるような物言いがある。
年忘れにはすることを終えて締めくくりを迎えるべく清心なものを感じてしかるべきところだ。
心性を見抜くことなくうわべだけが横行する。
クリスマスをX’masと書くのは日本独特の表記のようだ。
略し方でも、この’をつけるのが曲者らしい。
しかし、おかまいなくメリークリスマスと言い続けるのはなぜか。
礼拝がある儀式というか、そもそもの聖誕祭を考えると、バカ騒ぎをするだけの、日本でのイブはただのめちゃくちゃだろう。
生まれて、死ぬまでに、生涯を託すものには、海あり山あり野原ありで、水辺に命を見ようとする、霊は山奥か森林か、魂の宿る場所を求める。
神も仏も死後の世界に人間がなるものとなった。
宗教の救済は死後になく、現世の利益か、魂の救いをこの世に約束する往生となる。
天国も地獄もなかった、黄泉の世界に見たのは裁縫の極楽浄土だった。
そこを真剣に捉えて宗教観を議論するのも日本人らしくはない。
祈りを捧げるときの心情はそれぞれに持つべきものであり心よりの礼がある。
神を約束相手とするか、そこに絶対の信を置くか、は、日本人の心理にはやはりない。
困ったときだけともいえる、安全と安寧と安心と安泰を願うのは、そういう信仰なのである、と言えなくもない。
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