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カテゴリ: 社会一般


 困っている人を助ける時は、その人の状況に自分の身を置いてみると、相手の気持ちが良く分かる。そこで、人を助ける気持ちもスムーズに出てくるのだ。

 けれども、大学に行って講義をしていると、「相手の気持ちになる」という想像力に欠けた学生が多いなと思う。教室に入ったからには、授業を受ける、勉強をするという心構えがまずなければならない。そして気持ちを勉強する内容に集中させるよう、自ら気持ちを切り替える。勉強以外のことが頭に浮かんで、友達と話したくなっても、「友達は今勉強したいんだろうな。話しかけたら邪魔だろうな」と、相手の気持ちになって、自制心を働かせることが肝要だ。また、それ以上に、講義というのは先生が教室にいる。先生が話をする。このことを、驚くなかれ、まったく無視する学生がいるのである。

 彼らは、先生というのは、前に立って、話をしているだけの存在で、ちょうど映画を観るように、先生を「画面」として見ているらしい。だから教室は「映画館」と化しているから、平気で授業中後ろを向くし、トイレに行きたかったら黙って出て行く。

 大学に来てまで、講義を受ける姿勢から教えるなんて、割に合わないので、私はそこまでしたくないし、実際しない。だが、クラスには少数ながら真面目に講義を受けている人もいる。その人達のためにも、誠意を込めて、丁寧に教える。素直な心でいたら、教師の立場、他人の立場―要するに社会生活上、最低限のマナーである、「人に迷惑をかけない」ということぐらいは守れるはずだ。それが
18歳や19歳にもなって、身についていないとは。今に社会に出て恥をかくのは先生を無視する学生自身なのだ。しかしそれを教えることも不可能な気がするほど、マナーがなってない。

 今にこういう若者が社会に出て、大学の名を汚し、日本人社会をかき乱していくのかと思うとため息が出る。礼儀と言うのは人のためにあるのではなく、自分自身を守るためにあるのだ。自分という人間が「愚か者」のレッテルを張られないための防御策でもあるのだ。それを知らないで我が物顔に教室で振舞う学生にストレスを感じるのは、私ひとりだけではないようだ。





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最終更新日  2005年07月18日 02時58分28秒 コメントを書く
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