Patchi

Patchi

April 13, 2003
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戦争が起こってしばらく経つ。結局僕の住むこの街には何も起こらなかった
と言っていいだろう。

因みに戦争の始まった3月20日にはすっげーでかい雷が鳴った。
「ここにも戦争が来たか!」って感じですんごい、もうすんごい怖かった。
雨がない雷って、夜空が光る。ここにも機銃掃射が来たの?みたいで
怖くて。雷でこれだけ俺は怖がるんだから、人間の盾なんて絶対出来
ない、僕は。

この戦争でいろんな人がいっぱい死ぬ。ブッシュのやり方には全く賛同
できないけれど、フセインも罪のないクルド人を過去にいっぱい殺している。

そんなことは実はどうでもよい。みんな勝手なことをやってるだけだ。
だから無邪気な反戦運動もありだろう。クルド人虐殺へのデモなんてみんな
しないくせに。

被害を被るのは市井の人々だということも多分真実だ。しかし、そういう
市井の人だって、昨日まで「フセイン万歳!」って言ってたのに、今日に
なったらフセインの銅像を引き摺り下ろしている。でもそんなことは
どうでもいい。

ブッシュもフセインも、お互いの政府も、軍も、民衆も、デモする西側の
人たちも含めてみんな勝手なことをやっているのだ。それはそれでよい。
僕には関係ない。巻き込まれるのはまっぴらごめんだということだけ。

聞いた話だが、自分と同じ種を殺すのは人間だけらしい。犬は犬を

人間は、自然を制圧した見返りに、自分達自身を殺せるようになって
しまったらしい。これは僕には神様や自然界からの手痛いしっぺ返し
に見える。逆にいえば、人間って動物に比べると実は野蛮で、戦争って
すごく「人間的な行為」なのかも知れない。だからおそらく今後も戦争は
絶対なくならないだろう。


ない現実であって、反戦運動の対象などではない。生きるか死ぬか、飢えるか
食べ物にありつけるか、アメリカにつくかフセインにつくか。自分の命を決める
判断を短い時間の間に次々としなければならない。その一人一人が精一杯考えて
下した判断を一体誰が批判できるだろう?

だから誰も責められないし、責めたくない。死と隣り合わせという緊張感の
感じられない反戦運動にも興味はない。しかし、せっかく安全なところに
いるのにその価値も分からず人間の盾に志願することも理解できない。
戦火の及ばないところにいる我々がすることといったら、自分と自分の
愛する人たちが「今日は」安全だったことに感謝し、戦禍にいる人たち
をおもってただただ祈る。人間の罪深さとか、人間に殺されてしまった
人間たち、人間を殺してしまった人間たちに対して。
きっとそれしか出来ない。

イスラムの国にいると神に祈るという行為がとても自然になる。
そしてその分だけ謙虚になれる。これはイスラム教のいいところの
一つだ。






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Last updated  April 13, 2003 09:19:30 PM
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Comments

kintyre @ ルワンダの涙 こんばんは、ラストシーンも含めてジョー…
kintyre @ ルワンダの涙 こんばんは、ラストシーンも含めてジョー…
Patchi @ Re:おめでとございます。(02/15) aya825さん >お誕生日だったんですね。 …
aya825 @ おめでとございます。 お誕生日だったんですね。 今、来ても…
pinktiger21 @ こんにちは 環境問題についての記事に興味深いものを…

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