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神の民から離れた孤独な兵士は何を思ったか/詩編422024/09/21🟦X(旧ツイッター) https://x.com/tatsuhiro_iwamo?s=21&t=...🟦『聖書』新共同訳、日本聖書協会、1992年。聖書アプリ入手はこちらから:https://www.bible.com/ja/app🟦トーランス『キリストの仲保』芳賀力、岩本龍弘訳、2011年。p.175。視聴者の皆さんからのコメントに励まされております。チャンネル登録をお願いします。映像の11分過ぎごろ(こちら)からは、家庭連合のことに関しての話もされていましたので、関心のある方は耳を傾けてください。映像とは別に、ここ2・3日私が気にかけていたキーワードが「顔」でしたが、▲聖書は「口語訳」。詩編42章の冒頭からも「神のみ顔を」が目に入ってきました。正しいことをしているならば、「神の顔」を見ることが出来るだろうという聖句もあります。また、別の聖句からはコリント人への第一の手紙/ 13章 08節 愛はいつまでも絶えることがない。しかし、預言はすたれ、異言はやみ、知識はすたれるであろう。なぜなら、わたしたちの知るところは一部分であり、預言するところも一部分にすぎない。全きものが来る時には、部分的なものはすたれる。わたしたちが幼な子であった時には、幼な子らしく語り、幼な子らしく感じ、また、幼な子らしく考えていた。しかし、おとなとなった今は、幼な子らしいことを捨ててしまった。わたしたちは、今は、鏡に映して見るようにおぼろげに見ている。しかしその時には、顔と顔とを合わせて、見るであろう。わたしの知るところは、今は一部分にすぎない。しかしその時には、わたしが完全に知られているように、完全に知るであろう。このように、いつまでも存続するものは、信仰と希望と愛と、この三つである。このうちで最も大いなるものは、愛である。「全きものが来る時には、」「その時には、顔と顔とを合わせて、見るであろう。」は、こんにちの大きな希望となっている事実です。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2024.09.21
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霊感商法のレッテル貼りは宗教弾圧のプロパガンダ2024/09/17第1127回 天心苑徹夜精誠にて:https://m.blog.naver.com/PostView.naver?blogId=peacemaker2027&logNo=223583516901&navType=by一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2024.09.19
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読売新聞も統一教会に謝罪していた/KCIAとは無関係2024/09/08 #note🟦読売新聞が統一教会に謝罪していた/統一教会はKCIAが作った組織ではない|岩本龍弘 @tatsuhiro_iwamo #note https://note.com/tatsuhiroiwamoto/n/n... (←#note)一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2024.09.09
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血分け儀式の証拠はない/「週刊大衆」が統一教会に謝罪していた/TBS膳場貴子氏の心ない宗教ヘイト2024/09/06 #note🟦 「週刊大衆」が統一教会にお詫びしていた|岩本龍弘 @tatsuhiro_iwamo #note https://note.com/tatsuhiroiwamoto/n/n...ところで、同じような時期に統一教会に対して韓国の主要新聞広告として異端鑑別師・(故)タクミョンファン氏の「謝罪文」を掲載した記事を、この奇知外記でも扱っていました。こんにちの家庭連合(旧統一教会)へのバッシングも、最近になって「新しい角度から幅広い資料を収集、総合的に検討した結果、自分が統一教会に対して批判した内容のうち、事実ではない部分」が照明されてきつつあり、風向きが次第に変化してきていることを感じます。◆「統一教会に対し、根拠のない異端規定に「恥」さらした異端専門家」(2015.06.12)統一教会に対する謝罪文私は長年新興宗教の問題研究所を運営しながら、統一教会についての出版物、スライド(これは統一教会だ)、講演会、記者会見などを通じて、統一教会が非倫理的集団、政治集団、新型共産主義、カルトと批判してきました。しかし、自分に批判の材料を提供したいくつかの統一教会の離脱者が最近名誉毀損などの犯罪容疑で拘束手配されたことをきっかけに、新しい角度から幅広い資料を収集、総合的に検討した結果、自分が統一教会に対して批判した内容のうち、事実ではない部分があることを認め、次のように訂正釈明します。一. 非倫理的な集団の問題私は統一教会の創始者文鮮明氏が1955年7月4日の社会風紀紊乱の疑いで逮捕手配されたことを知って統一教会を非倫理的カルトと断定、批判したところ、当時の事件は兵役法違反の疑いで起訴されたが、同年10月4日公判で無罪で釈放されたことを知った。加えて、統一教会を取り囲んで問題されてきたカルト云々はその根拠がないことを確認し、これ訂正します。二. 政治集団の問題私はこれまで統一教会をカルトに規定、批判してきたが、これは事実ではないことが明らかになりこれに訂正します。三. 新型共産主義の問題私は統一教会を新型共産主義集団と批判してきたが、これは事実ではないことが明らかになりこれに訂正します。以上三つの項目に加えて、いくつかの統一教会の離脱者が提供した資料に多くの誤りがあり私が統一教会に被害を与えてきたことに対して深甚なる謝罪の意を表し将来再度このようなことをしないことを約束します。1978年9月 日新興宗教の問題研究所所長 タクミョンファン一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2024.09.07
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韓国で旧統一教会が教義・異端論争でキリスト教に勝つ😀李載錫先生の自叙伝から抜粋 2023/03/25#家庭連合#旧統一教会#異端一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2024.07.18
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朴泰善長老と牧師たち🍇有名牧師も良い位置にいるのを発見できない🍓霊界で会った人たち🍎李相軒先生❤️2024/07/09 #統一教会#文鮮明#韓鶴子#家庭連合#李相軒#霊界十 朴泰善長老と牧師たち 朴泰善長老は地上にいる時に、その権威は神のようであった人です。この方の霊界の姿と生活を簡略に話そうと思います。 朴長老は一般のキリスト教徒たちの群れと共に暮らしていました。ところが、そのキリスト教徒たちの水準は、主に侍って暮らしていた誠実な信徒たちの水準ではなく、初歩的な信仰をもった群れのようでした。彼らは賛美や祈祷においても、その内容をよく知らない初歩の信徒たちでした。朴長老はそのような群れと共に暮らしていました。 私はまだこの方と対話してみたことはありません。なぜなら、雰囲気から見て、この方は位相に合わない所に身を隠して暮らしているからであり、私が判断するのに、驕慢な心で信仰した方であり、自分の領域を維持するために、自分の使命に陶酔して生きた方だからです。 この国では、彼は神様と遠い所に暮らしているので、まだ自分の立場を知らずにいました。彼は初歩的信仰者たちが集まった所で、まだ過ぎし日の領域に固執していました。もう少し時間がたったあとに会ってみようかと思います。 次に、一般の牧師たちの霊界の生活を紹介しましょう。私が見たキリスト教圏の中で、特別に牧師たちの際立った点を発見したことはありませんでした。有名な牧師だといっても、特別に良い位置にいるのを発見できませんでした。けれども、私が感じたのは、地上で牧師だったとしても、ここでは牧師の位置を維持していないということです。それから私はまだ、統一教会に反対していた牧師たちを隅々まで調べたことはありません。その理由は地獄でも天国でも、牧師の立て札がくっついていないからです。このことは今後の計画の中にあります。(一九九八年五月二十一日) 李相軒院長が最後に下さったみ言 霊界の法は地上のように値引きは全くありません。この法度に引っ掛からない基準は、天上の生活ではなく、地上の生活です。いつも霊界の生活を準備する心で、私が行くべき霊界はどこだろうかという心で生きなければなりません。もし、この法度から逸脱すれば、自分の霊魂が行くべき所は、天道に従って、そのまま落とし穴に引っ掛かるしかありません。ですから、地上の生活を正しく生きなければなりません。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2024.07.16
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伝統的なユダヤ教を批判したイエスは悪霊憑きだと非難されました。しかし伝統を批判することは悪霊と関係ありません。悪霊憑きだと非難するのは議論をはぐらかすためでしょう。もっと正々堂々と議論すべきです。2024/07/10二〇二四年 七月 七日 西野バプテスト教会礼拝説教「悪霊つきだと非難される喜び」 説教者 岩本義博聖書 マルコ福音書 三章二十節〜三十節 ぼくのことをまるで悪霊憑き(あくれいつき)だと非難なさるかたがおられますけれども、そんなことでぼくは挫(くじ)けません。それどころか、悪霊憑きだと非難されることを喜んでいます。なぜならば、福音書に明記されております通り、イエスが自分の悟りを宣教し始めた頃は、当時の宗教指導者たちから悪霊憑きだと非難されていたからです。イエスがそう非難されたのですからぼくが悪霊憑きと非難されることは、恥ずべきことではなくて名誉なことだと思っております。 ……一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2024.07.10
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衝撃❗️🌼朴マリア一家🌻相軒よ❗️胸が痛むか泣くべきことではない❗️🍇恐ろしい霊界の光景😱霊界で会った人たち🍎李相軒先生🌰2024/07/05 #統一教会#文鮮明#韓鶴子#家庭連合#李相軒#霊界九 朴マリア一家 生死禍福を主管なさる神様が「相軒よ! 人間は自分の思いどおりに生きているようだが、そうではない。個々の人間の意志と父なる神様のみ旨の方向が一致する時、その道が真の道になるのである」とおっしゃいました。 私は、なぜ神様がそのようなみ言を語られるのかと気掛かりでしたが、神様がある日「きょうはお前が行かねばならない所がある」と言って、小さな女性を私に送られ、「一緒に同行せよ!」とおっしゃいました。その女性は、神様の使者でした。私は神様の命令を受け、ついて出掛けましたが、とても気掛かりでした。 この女性は、「神様が行ってみなさいという所は良い所ではない」と言いました。いくらか行くと、この女性は、「少しお待ちください」と言うと、他の所にいたある男性を呼んで「一緒に行こう」と言いました。おかしなことだと思いながら彼らについていきました。 ここはどこでしょうか。大きな門が見えましたが、まるでそれは地上の刑務所の門と似ていました。その大きな門は固く閉ざされていました。ところがどうしたことでしょうか。しばらく待っていて、一緒に行った男性が何か言うと、その門が中からぱーっと開きました。そして私たちは一緒にその中に入っていきました。いったい、これは何でしょうか。そこにいる人たちは、みな人のようには見えるのですが、まともな人の姿ではありませんでした。 泣く姿、けんかする姿、刀で斬られた姿、目が回った姿、口に棒が挟まった姿、手が後ろに回った人、空中に向かって足を上げている人、おなかから血が流れ出ている人、耳から血が流れている人、手が曲がり、足が曲がり、耳がねじれた人、とても表現するのが難しい者たちの姿がいっぱいあふれていました。それは障害者の集団そのままの姿でした。 本当に変です。私は、神様がなぜ私にここに行けとおっしゃったのか気になりました。私がそのような姿を見て胸が締めつけられるのを感じている時、一緒に来た女性が私を呼びながら、向こうの方を指さしました。彼女は「あそこにいます。神様が訪ねてみなさいと言った人があそこにいます」と言いました。そこには一人の女性が自分の口を手でつかんでいました。その手は口にくっついて離れませんでした。何かを食べようとしますが、手が自分の口をふさいでいるので、口が開かずに、入っていく物よりも出てくる物のほうが多かったのです。 私はその女性の前に立って、「あなたの名前は朴マリアですね」と言いました。彼女は「そうだ」と言って首を縦に振りました。私は彼女に尋ねたいことがたくさんありました。けれども、彼女の手が口がくっついているので尋ねることができませんでした。「お父様! どうしましょうか」という心の叫びをどうすることもできませんでした。 ああ! その女性はまた私を連れてほかの所に行きました。その女性は「あちらに立っている男性は、李起鵬だ」と言いました。これは何という有様でしょうか。李起鵬の胸からは血が流れていました。朴マリアとはお互いに見つめることのできる距離でした。その次に私の目に入ったのは彼の息子の李康石でした。息子は彼の後ろに、手に刃物をつかんだまま立っていましたが、その姿は不動の姿勢でした。どうして一家がこのようになり得るのか。 その女性は私を見て、「もう神様のところに帰りましょう」と言いました。私はここで彼らのために神様に祈祷を捧げました。「神様! 彼らをお救いください。真の御父母様がここに来られて彼らの惨状を御覧になる前に、彼らを解放してください」と祈祷を捧げました。 しかし、誰も私の祈祷に答えてくれませんでした。どうしようか。この凄惨な光景! 真の御父母様にどのようにこの光景をお見せするかと考えながら、私は固く閉ざされた大きな門を通過して、神様のところに帰ってきました。 「神様!」と大声で叫ぶと、「相軒よ! 胸が痛むか」とおっしゃいました。私はただただ神様の前で泣き始めました。神様は「相軒よ! 泣くべきことではない! お前が責任をもつべきことなので、見せてやったのだ。お前の子供たちはしっかりと生きなければならないと教えてあげなさい。救済する道は簡単ではない。地上でしっかりと生きて来いと伝えなさい。どういうことか分かったか。相軒よ、お願いする」とおっしゃられたあと、神様は静かに離れられました。(一九九八年五月二十日)一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2024.07.05
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金活蘭(梨花女子大学退学処分事件)総長🌻真の父母を紹介すると顔が真っ赤になった霊界で会った人たち🍓李相軒先生🍇2024/07/03 #統一教会#文鮮明#韓鶴子#家庭連合#李相軒#霊界八 金活蘭 金活蘭という人は、地上で韓国の梨花女子大学の総長まで務めた、最高の学界出身の一人として名声の高い女性でした。そして、彼女は神様に対する固い信仰生活を行って、多くの人たちから嘱望されてきた韓国最高のエリートでした。ところが、地上で最高のエリートが、霊界でもそのような位置をそのまま維持しているだろうかという疑いをもちました。 私が霊界に来てから間もない時、キリスト教徒たちのグループを訪ねていきました。するとそこには、雲に乗ってこられる主をどれほど切実に待っているのか、ふわふわと雲の上に主の模型を掲げて慕いながら、祈祷する姿が見られました。 そして、そこには、イエス様の絵の模型もありました。ところが、そのグループの中には、イエス様はいらっしゃいませんでした。キリスト教徒たちは自分たち同士、たくさんのグループを形成して暮らしているので、その組織は膨大でした。 私が探そうとする金活蘭女史はそのようなグループとは別の所にいました。彼女が私たち統一教会に対して行った迫害とそれによる痛みは別にしても、神様に対する間違った判断の結果が、どうなったのか調べてみたいと思っていました。ところである日、私は彼女を見つけました。キリスト教徒たちのうち、少し特色のあるグループであるハイクラスの人たちが集まった集団の中で、一生懸命に講義するある女性を見つけました。そこで私は、彼女の熱心な講義を聴講しました。 彼女の講義の要点は、「来たるべきメシヤである再臨主がまだ来られていないので、その日まで私たちはろうそくをともして礼拝を捧げながら、祈祷しなければなりません。私たち女性の使命は、新郎を迎える新婦の精誠を惜しまず、みな一緒にその日まで熱心に祈祷しましょう」という内容でした。 私はその群衆の後ろに立って、大きな拍手をしました。そのようにすることによって私に関心をもたせ、彼女に会う機会を得るためです。案の定、彼らが私を一斉に見つめました。金活蘭女史も、「どこから来られましたか」と私に丁重にあいさつしました。「私は神様から送られた使者です」と紹介すると、彼女は「上品な方が冗談をおっしゃるのですか。神様の使者ですって?」と聞き返しました。その場のすべての人たちが私を見つめていたので、そこで彼らにメシヤ論を宣布しようと思いました。 「女史。再臨主であられるメシヤは、来られてからもうかなりたちました。この新婦たちに対する教育は間違っています。女史も御存じのはずです。主は来られました。ずっと前に来られて、今は天国建設と世界平和、そして万民をお救いになるために懸命に苦労していらっしゃいます」と言うと、彼女は「それは異端たちがする話だ」と言いました。「では私が話す異端の話を少しばかり傾聴されますか。私の講義を聞いて、それが間違っていたなら、私も女史の教育に加わります」と心から話しました。参加していた大部分の女性たちは、「一緒に聞いてみましょう」と言いました。 それで私は、「この時だ!」と考え、メシヤが来るべき同時性摂理の年代表を比較的詳細に説明しながら、彼らが自ら悟るように導きました。そして私は、イエス様の十字架の問題を説明し、来られるべき再臨主がイエス様の使命を引き継がなければならないという内容を、詳細に説明しました。 それから、私は彼らに質問を投げ掛けました。「私が神様の送った使者ではないと思いますか。私の理論が間違っていますか。『原理』が正しくありませんか。これ以外にも根本的な内容がたくさんあります。その内容を聞くことを望まれるなら、今度また講義いたします」と言いました。 金活蘭女史が「あなたはなぜここに来たのか。誰に会うために来たのか」と質問をするので、「私は金活蘭女史に会うために来ました」と言いながら、真の御父母様を彼女に紹介しようとしました。「金活蘭女史はひょっとして文鮮明先生の名前を御記憶ですか」と私が尋ねると、彼女は知らないと言いました。もう一度彼女に尋ねましたが、知らないと言うのです。 「では、統一教会という名前を聞いたことがありますか」と言うと、しばらく考えてから、「その名前には覚えがある」と言いました。「その教会の教主が誰だか御存じないですか」と言うと、彼女は、「今になって思い出す」と言いました。「そのお方が正に再臨主であり、真の父母であられる文鮮明先生であられます。人類を救うために、血と汗を流しながら苦労していらっしゃるお方です」と紹介すると、金活蘭女史の顔はにんじんのように真っ赤になり、彼女はとてもうろたえました。 その時になって初めて彼女は「それならば私は大変な罪人ですね」と言いました。そして「では、私を罪人として捕らえるために訪ねてきたのですか」と言うので、私は「罪人というのは人間が判断するのではなく、ただ神様と歴史が審判します」と答えました。 ここに集った聴衆たちは私の話に関心を表しました。主は来られたといっても、自分たちにはよく分からないことだったからです。金活蘭女史は私に、個別に会おうと言いました。それで、私は「きょうはこれくらいにして、望むならば、今度来て原理講義をいたします」と言うと、金活蘭女史が大変具合悪そうにしながら、「それに関しては自分たちが相談したあとで時間を決めます」と言いました。ところが、突然、一人の女性が手を挙げながら「先生の話を聞きたいです。聞いてみましょう」と叫ぶので、他の女性たちも異口同音に「聞いてみましよう」と言いました。私はそこで三日間、原理講義を熱心にしました。大部分の女性たちは涙を流しながら祈祷し、賛美歌百六十二番の「備え、備えよう」を賛美しながら大騒ぎになりました。 問題の金活蘭女史がどのようになったのか気になる地上の食口たちには、梨花女子大学から退学処分を受けた食口の皆さんが多いだろうと思われます。しかし、ここにいる女性たちは胸をたたきながら、「主よ、この罪人を何といたしましょうか。主よ、主よ、この罪人をお救いください」と言いながら悔い改めているという点をお知らせしようと思います。 それ以後、金活蘭女史は真摯に、「謝罪申し上げる」と言いました。そして「私によって苦しみを受けた方たちのために、私はどうしたらいいのか」と尋ねました。それに対して私は「すべての女性キリスト教徒たちに、地上に来られた主は、文鮮明先生であられ、そのお方が真の父母であり、救世主であり、万民の父母であられることを証する総長の役割を果たしてください」と言うと、彼女は笑いながら、「一生懸命、罪を償う心情でそうします」と約束しました。 彼らを屈服させた私の気持ちはうれしかったのですが、過ぎし日の摂理歴史に汚点を残し、傷を与えた痛みが、私をほろ苦くさせました。(一九九八年五月二十一日)一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓ 一和 メッコール(250ml×30本×2ケース)【送料無料】
2024.07.03
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李承晩🌹「大統領・人間」として責任を果たせなかった人の霊界での生🌼霊界からのメッセージ❤️李相軒先生2024/07/01#統一教会#文鮮明#韓鶴子#家庭連合#李相軒#霊界七 李承晩 私は地上生活で一国の大統領を務めた方々の暮らしはどうだろうかと、本当に気掛かりでした。ここでは大統領だといっても、特に定められた邸宅があるわけではないので、彼に対する格別の関心をもたなければ彼を探すことはできませんでした。李承晩大統領を探すために、私は特別な方法を使ってみました。「大統領がいらっしゃる所がどこなのか、神様が私の心をお導きください」と、静かに黙想しながら祈りました。しばらくすると、ある所から美しい歌声が聞こえ始めました。 私はとても不思議に思い、歌が聞こえる所に足を向けました。私がその歌声を聞きながらある程度行った時、歌がぷっつりと終わってしまいました。「これからどうして探そうか」と考えた末、自分の考えるままに探してみようと思って、周囲を調べてみました。ところが、四方すべてが山なので、どこに何があるのか、探すのがとても困難でした。 けれども、私はここまで導いてくださったお方を信じ、その周囲を探し始めました。その周囲には鬱蒼とした森がありましたが、その森の中から時々人が出たり、入ったりしていました。「誰に聞こうか」と、あちらこちら調べながら、探してみました。 私は向こうの片隅に座って考えにふけっているある男性を見つけました。近くに行って調べてみましたが、李承晩を探すことができませんでした。彼に、「ひょっとしてこの付近に李承晩大統領という方がいませんか」と尋ねてみました。すると不思議なことに、その男性は「大統領か誰かはよく知らないけれど、あの向かいの裏の家にも人が住んでいる」と言うのです。私は「ひょっとしたら」と思い、そこを訪ねていきました。 そこは普通の家庭の家よりは少しましな家のようでしたが、不思議に静かで、人の痕跡も見えませんでした。その家に入ってみましたが、何らの気配もありません。しかし、ずっと調べていると、ようやく人の声がしました。 そこから李承晩大統領が出てきました。私は、彼の服装がとてもぼろぼろでみすぼらしいのに驚きました。その上、その周囲には彼以外には誰もいませんでした。 私が彼に「李承晩大統領でいらっしゃるでしょう。私は李相軒と申します」とあいさつをすると、彼は「私がここにいるのをどのようにして探し出したのか」と言います。私が「神様が送ってくださった」と言うと、「先生は神様に会ったのですか」と尋ねました。 私は「はい、お会いしました」と言うと、彼は「そのように大変な方がなぜここに来たのか」と尋ねました。私が「大統領はどうしてここで寂しくしていらっしゃるのですか」と尋ねると、彼は「邸宅は別にありますが、そこよりここがもっと気楽だからです」と言いました。「人が人として扱われないで暮らすより、誰にも会わない所のほうが、もっと気楽です」というのが彼の解答でした。 私は「けれども、ここは神様もイエス様もいらっしゃらない所なのに、このような所に暮らさなければなりませんか」と言いました。すると彼は「神様もイエス様も私を捨てました。けれども、私はやはり神様とイエス様に会いたいです」と言いました。 国の責任者が責任を果たせず、国民たちから「下野しろ」という声を聞き、追われる身の上になったので、霊界での彼の人生は、大統領としても、人間としても責任を果たせない人生となってしまいました。私はこれから、この方に私の村を見せてあげながら、真の御父母様を紹介する予定です。(一九九八年五月二十一日)一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2024.07.01
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東条英機🍇神を認めず傲慢だった人生🍓霊界で会った人たち🍎李相軒先生🌰 六 東条英機 大部分の日本の人たちは、どんな信仰であっても、いつも神に頼ろうとする国民性をもっています。それゆえ、大部分の家庭は一つ以上の信仰をもっています。しかし、東条は自分自身が神であるかのように振る舞いながら日本を第二次世界大戦に加担させた戦犯でした。 この人の霊界での暮らしの位置はどうなのか、とても気になると思います。彼を訪ねていった街角には山も川も何も見えない砂漠のような所でした。それで私はここにも人が住んでいるのだろうかと強い疑いをもちながら、彼を探し始めました。すると、ある所で異様なうめき声が聞こえてきました。激痛の中で苦しんでいる人の声でした。そこは家と言うよりは、熱帯地方のジプシーたちが取り壊してはまた建てる、そのような種類の家でした。周囲にそのような家が所々に見えました。そこに人が住んでいる痕跡が見られました。 私が木の皮の切れはしでできた門を開けて入っていくと、その中には数人の男性たちが寝起きしていました。そしてその中で、ある男性が病気になっていました。私が「この人は頭が痛いのですか」と尋ねると、「自分たちには分からない」と言うのです。私は彼らの前で、その患者の頭の上に手を挙げて按手をしました。「神様の使者の名によって祈祷します。痛みを鎮めてください」と祈祷すると、彼はその場から立ち上がりました。彼は私に「先生はどなたで、どうして私を苦痛の中から救ってくれるのですか」と尋ねました。私は反対に、「あなたはどなたですか」と尋ねました。彼は頭を下げながら、自分の苦痛を鎮めた方が、今から自分の師であり、神のような方なので、身分を明かしましょう、と言いました。 「私の名前は東条と申します。私は神を認めず傲慢に振る舞っていました。ところが、私の肉体が壊れてここに来てみると、私が立つべき所はどこにもありませんでした。密林地帯でも、水の中でも、至る所を行き来してみましたが、私を喜んでくれる人は誰もいませんでした。この砂漠の平原では人が珍しいので、私が思いっきり痛みを叫んでも分かる人がいないので、ここに落ち着いています。先生、あなたは神のような方ですから、私を救ってください」と言うのです。私は、神様が送った使いだと彼に伝えました。そして、「きょう、あなたを救いに来た」と言いました。すると、彼は体をぶるぶると震わせ、姿勢を整えながら、「ありがとうございます。ありがとうございます」を連発しました。 そこで私は、文鮮明先生御夫妻が私たちの真の父母になられた理由を簡単に説明してあげました。すると東条は、「真の御父母様はあなたの父母なのに、なぜ私を探すのか」と尋ねました。私は「真の御父母様は、私の父母であるだけでなく、万民の父母として来られた再臨のメシヤです」と言いました。「万民の父母なら、東条自身の父母にもなり得るのか」と尋ねます。それで、私はこの時だと思い、「そうです。メシヤの思想を聞いて信じさえすれば、あなたもその子供になることができます」と伝えました。 すると、彼は「ありがとうございます。ありがとうございます。感謝です」を連発しました。「それなら、私の講義を聞きますか」と言うと、「私を救ってくれた人のお話ならば、いくらでも聞きます」というのです。「きょう、この場で少しだけ講義します」と言って、三日間でする内容を、一遍にしてあげました。メシヤ論を先に講義し、神様の実存を説明しました。そして、「統一思想」、「勝共理論」を一度に講義すると、この人は魂が抜けたようでした。そうして、すすり泣き始めると、「自分を神のように考えていた驕慢さゆえに、私は万民の前に罰を受けて当然であり、世界の前に罪人の中の罪人です」と告白しました。そして、どうすればいいのかと訴えたり、自分を助けてくれと哀願したりしました。 私は彼に「いつかこの霊界にもメシヤが来られるでしょう。その時まで私と共にこのみ言を伝えましょう」と言うと、彼はとても驚いた表情で、「それは先生に被害を与えることになるでしょう。私と共にみ言を伝えれば、先生も私のように扱われることでしょう」と言いながら、別の救いの道を尋ねました。私は「それだけが生きる道なので、贖罪の気持ちで待ちましょう。祈祷して、精誠を捧げながら、私の活動に協助するようお願いします」と言って帰ってきました。(一九九八年五月二十一日)一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2024.06.29
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ムッソリーニ🌼適切な住まいがなく放浪🍓霊界で会った人たち🍎李相軒先生🌰2024/06/27 #統一教会#文鮮明#韓鶴子#家庭連合#李相軒#霊界五 ムッソリーニ 人が生きていくには衣食住を中心とした様々な必需品が要求されるものです。しかし、ムッソリーニは、人間が生きていくのに最も貴重なものは武器だと考えました。彼は武器をたくさん蓄えれば、どのような国ものみ込むことができ、どこに行っても勝利する、という考えにあふれていました。ムッソリーニの思想の中で最も不届きなのは、人を殺したとしても罪にならないというものであり、彼は人間が生きていくのに不要なものを処理するように、不要な人間を殺しても罪にならないと考えました。私は、そのような生き方と思想をもった人の霊界での生活は、どうなのだろうかと考えました。 スターリンの生活が隠遁生活の連続とするならば、ムッソリーニの生活は隠遁生活以上であるはずです。簡単に言えば、きょうはここで、あすはあそこでと流浪しながら、とどまる所のないジプシーのように放浪する身の上なのです。皆さんは私がムッソリーニにどのようにして会ったのかと思うでしょう。ムッソリーニはとどまる所がなくて、他人の所で世話になっているので、私は他人の住みかでその人物に出会いました。周囲の人たちは、「あの方には家がないので、あちこち放浪している」、「私たちと共にいればいいのに、しばらくいて、また去ってしまう」と言っていました。私はその理由は何だろうかと思いました。 ある日、私はその人物の正体を調べるために、彼が移っていく所へついていってみました。本当にそれはひそかな尾行でした。彼はいくつか場所を変えながら回って行きましたが、誰とも深い対話をせずに通り過ぎていきました。そうした中で、ある日、私は彼をしっかりと捕まえました。「兄さん! 私としばらくお話ししましょう」と私が言うと、彼は「誰だ」と言いながら驚きました。それで私が「定まった住まいがなければ、私の家に行きましょう。私がいる所は静かです。清らかな音楽だけが響いて、とてもすてきで、静かに対話することのできる秘密の場所がたくさんあります」と言うと、彼は「私はこのように歩き回るのが自分の性に合っているので、一つの所にいるのは嫌いだ」と言いました。私が彼に、「では私と友達になれますか」と尋ねると、「あなたは誰ですか」と言いました。私が「私もやはり一定の住まいはないが、時々とどまる所はとても不便なので、一緒に友達になって回りましょう。一人で行き来するよりは二人で行き来するほうが良くはありませんか」と言うと、彼は首をかしげました。そこで私は彼の正体が明らかになる時まで、彼について回ろうという作戦を立てました。 そのような生活が何日過ぎたでしょうか。彼が私に「先生は何をしていた人なのか」と尋ねるので、「私はもともと内科の医者でした」と自分のことを紹介しました。そして私は彼に「ところで、先生は何をしていましたか」と尋ねました。そうして対話の門が開け始めました。彼は次のように言いました。「私はもともと国の大きな責任者でした。国際情勢に多くの関心をもって暮らしているうち、いつの間にか欲が出て、国の仕事を少しやるようになりました。ある日、私は世界的な人物として登場したいという気持ちになるや、全国のすべての経済を使って、ひたすら武器の倉庫を造るのに忙しくなりました。地上の欲望の暮らしが、私を今日このようにさせました。私の名前はムッソリーニと言います。私はとてつもない法を犯した者です。私はどこに行っても罪人なので、誰かが私を覚えていそうで、身を隠して生活しています。今、あなたに会って私の心の内を吐き出してみると、心が非常に安らかです。先生はなぜ私を訪ね回っていますか」。 それで私が「私はあなたを探していました。その理由はこれから話すことによって分かるようになるでしょう。私の講義を聞いてみるつもりはないですか」と言うと、彼は「聞きたい思いはありますが、一つの所に長くとどまれば、私の正体が周囲に知られるようになるでしょう。そうすれば、私はまた逃げそこなって、呪われるでしょう」と言いました。彼は、本来人間は罪を犯せば罰を受けるのは当然であり、その罪の深さを悟って二度と罪を犯さずに生きていくのが人間の道理だと考えていました。私は彼に「過ちは当然、罰を受けなければなりませんが、先生はいつまでこのように避けて回りますか」と言いながら、もう一度、彼が悟るように話をしました。 ムッソリーニには暴徒のような気質よりも、善なる面がもっとたくさんあるような感じを受けました。彼は「過った点を指摘してくれて有り難く思う」と言いながら、丁重に私の講義を要請しました。ところが講義をするにふさわしい場所がなくて、私が「どこでしますか」と言うと、彼は「先生の言うようにします」と言いました。それで私は、美しい私の住まいを開放しました。ところが、この方の寝室の生活、すなわち女性関係はとても複雑だったようです。彼は私に、「このように見事な美しい寝室で、女性は一人だけなのか」と言いました。私はどこから話を始めるべきか、よく分かりませんでした。しかし私たちはひとまず、私の住まいで荷を解きました。 私は彼に、まず最初に、人間の堕落の動機を説明してあげました。すると彼は、そのような教育をどこで受けたのか、それを何によって信じるのかなど、様々な質問をしました。最初からきちんと、原理講義、「勝共理論」、「統一思想」、メシヤ論などについて詳細に説明すると、彼はその内容にとても感服しました。彼は私に「誰から学んだのか。誰が立てた理論なのか。また、どのようにして知ったのか」など、たくさんの質問をしました。彼に答えるには余りにも心情的に遠かったのですが、「地上にいるときに、真の御父母様であられる文鮮明先生から学びました」と言いました。彼は「その方の学説はとても体系的だが、そのように生きるのは簡単だろうか」と言いました。 最後に、この方の住まいが問題です。私が「先生はいつまで放浪するのですか」と尋ねると、彼は「まだ決める気持ちはないが、適切な住まいがあれば決めよう」と言いました。彼は蕩減条件や罪の根が何か、まだ悟れずにいます。そのことを悟るまで相当時間がかかりそうです。神様が彼を導いてくださって、彼が真の御父母様をたたえるように、私は一生懸命に祈るばかりです。 リポーターの質問:地上生活で孔子は中国語を使ったし、釈迦牟尼はインド語を、イエスはアラム語を、カール・マルクスとヒトラーはドイツ語を、そしてムッソリーニはイタリア語をそれぞれ使いましたが、院長はこのすべての人と霊界で出会うとき、どんな言語を使われましたか。答え:霊界では、話そうとする意志が相手に伝われば、相手の意志も私に伝わるので言語は必要ありません。見つめれば自分の意志が相手側に伝わり、相手の意志が私に伝わります。(一九九八年五月二十日)一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2024.06.29
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ヒトラー🌸苦難の連続 🌼霊界で会った人たち🌻李相軒先生🍇2024/06/25 #統一教会#文鮮明#韓鶴子#家庭連合#李相軒#霊界四 ヒトラー ヒトラーは、ユダヤ人たちをとても残忍に処刑した張本人です。歴史始まって以来このような残酷で、残虐無道な虐殺者はいないでしょう。私は、彼が悪党の群れの中で暮らしているだろうと考えていました。 私はあちこち回りながら、気になっていた人物たちを探すのに忙しかったのですが、ある地域を過ぎゆく途中で、ユダヤ人の群れが、「あいつを殺さなければならない」と叫ぶのを聞きました。私が見回すと、雲の群れよりも、もっとたくさんの群れの人々が手と足を鎖で縛られたまま、大声でわめきたてながら、「あいつを殺せ、あいつを殺せ」と叫んでいました。その群れの端の方は見えませんでした。ところで、「あいつを殺せ」と言うその「あいつ」とは誰であり、どこにいるのか探ってみましたが、見えませんでした。群衆はずっと叫び続けていたのですが、その中には血まみれになった者、引き回されている者の列がびっしりと並び、まるで戦場のように悲惨でした。しかし、「殺せ」と指さされた人物が誰なのか、見つけることはできませんでした。私はあちこち、しきりにのぞき込みながら、戦場の火薬庫の中を掘り返すような心情で探してみました。 なんと、これはどうしたことでしょうか。一本の木に人が縛られてぶら下がっていました。それも、すっかり衣服を脱がされてつるされているのですが、群衆に囲まれているので、よく見えませんでした。誰も彼を人として扱っていませんでした。そして、彼らは脱がされた裸体をじろじろと見ながら、あちこちで、「お前が我々を殺すときにしたこと以上に、お前はやられなければならない。恥ずかしいか。女たちよ、あいつの睾丸に触ってみよ。数千万の人間を獣のように虐殺したあいつの睾丸はどれくらい魅力的だろうか。触ってみよ。そして胸板に刻まれたこの文句は何だろう。お前がナチスの王だと? お前が王の役をしたから、今度は我々がお前の国民の資格で誤った王を処罰しよう。お前は生涯恥ずかしい姿のままで生きなくてはならない」と叫びました。様々にののしる声、「あいつの目を抜き出せ。あいつの毛を抜け。髪の毛に火を付けろ。よく燃えるだろうな、じりじりと。あいつの体はよく燃えるだろうな」などという声があちこちから聞こえてきました。 地上ではどんなに凄惨であったとしても、このような姿はないでしょう。私は残酷なその光景を見た時、同情する気持ちがわきました。しかし、私が彼を助けた場合、私は彼らにむち打たれて死んでしまいそうでした。その日、私は凄惨な彼の姿を見ながら、何も言えずに、そのまま帰ってきましたが、のどが詰まり、胸が痛くて仕方がありませんでした。「まず誰を悔い改めさせなければならないのだろうか。誰を捕まえて神様を知らせ、真の父母思想を話すべきだろうか」。私には何の解決策もありませんでした。悩んだ末に、私は神様に祈祷を捧げました。「神様! 凄惨なこの場に先に来た者として、苦難の中であえぐ、あの民をどのようにしなければなりませんか」と、切実に祈祷を捧げました。 すると、「相軒よ……」という神様の声が聞こえました。「お前の気持ちは分かる。しかし、彼らには彼に対するそれぞれの恨みがあるので、彼らの恨みが解ける時まで待たなければならない。今すぐ、ヒトラーを許せと言えば、彼らはおそらくお前を殺すかもしれない。待ちなさい。ヒトラーは地上の生の代価を支払わなければならない。罪には蕩減があるではないか。それを通り過ぎるたびごとに、お前の心は痛むだろう。そのたびに彼らのために、どれくらい口惜しい恨みが積もったことであろうと、祈祷し、慰労してあげなさい。その恨みがある程度晴れてこそ、彼らの心が鎮まるだろう」とおっしゃいました。私は、ヒトラーとどのように対話をしようかと、いろいろと考えてみました。 私はそこを数回訪ねてみましたが、そこではいつも同じ惨状が繰り返されていました。一つの群れが叫び疲れると、また別の群れが集まり、同じ惨状を続けていました。ある日、私は群れの中に入っていって、ある若い女性に出会いました。その女性はきゃしゃながら、なかなかの美貌でした。私は彼女に「あなたはどのように処刑されましたか」と言うと、彼女は私の方を向きながら、「なぜ尋ねるのか。尋ねるな」と言いました。そこで私は神様から教えていただいた方法を使ってみました。私が「どれくらい口惜しかったですか。どれくらい胸が痛かったですか。同情します」と言うと、彼女は「私はあのようにされた」と言いました。それはどういうことかと言うと、女性をすっかり裸にしておき、そのまま殺すのでもなく、自分たちが思う存分見物をしたあと、大きな倉庫に監禁し、また開けて見たというのです。そして、そのようなことが何度も繰り返されて、凄惨な姿になったあと、毒ガスで息絶えるようにしたというのです。 裸で立っているヒトラーの姿は、すべての人々の恨みの対象でした。復讐の刃物を持った者たちの恨みの声が天を突き刺しても、彼は仕方なく耐えなければなりませんでした。それは肉体をもった人間には、到底想像もできないことでした。 もう一人の話を聞いてみましょう。その人は手にも足にも鎖をぶら下げていました。私が行って、「どれほど苦しいですか。どれほど苦痛ですか」と慰めると、「私たちを逃げ出せないようにして、彼らの要求に従って生きるようにさせました。それで、手錠で縛られたまま暮らしましたが、彼らは私たちの民族を怨讐と考えたので、私たちは生き残れませんでした。その残忍さは、まともに見ることは難しいほどでした。今、私たちの民族が、あいつに仕返しするために、私たちの手錠を集めて、あいつにかぶせれば、大きな、すてきな墓になるでしょう。いつかその日が来るでしょう。そして、私たちはあいつをひいて粉にして飲もうと決意しています。それでも私たちの恨みは解けないでしょう」と言いました。 どうやって、そのような光景をすべて文章で表現できるでしょうか。それは果てしない受難、苦難の連続でした。しかし、私はもう少し日がたってから、必ず彼を訪ねていくつもりです。今の状況から見ると、ヒトラーに会うためには、まず周囲の人たちの恨みが鎮まる時まで待つしかありません。私は神様のみ言を考えながら、祈祷して待とうと思います。その期間がいつまでだろうか、と考えてみます。(一九九八年五月二十日) 一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2024.06.25
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スターリン🌻人々から受け入れられないから隠遁生活🍇霊界で会った人たち🍓李相軒先生🍎2024/06/23 #統一教会#文鮮明#韓鶴子#家庭連合#李相軒#霊界三 スターリン 神様が創造なさるとき、人間の頭脳や知性を限られたものとしてお造りになりましたが、スターリンは、神の創造を凌駕するほど権力を振るい、神の姿のように君臨しながら地上の生を生きた人物です。 スターリンを探すのはそれほど困難ではありませんでした。彼はカール・マルクスの近くで暮らしているだろうと思いました。スターリンは自分の家からかなり離れた所で、いわゆる群衆集会をしょっちゅう開いていました。地上でのように、集会に出ていって、自分の権力を誇示しようとしていました。ところが、スターリンの周囲にあるのは、薄汚い土壁の塀でしきった小さな家々です。彼はそのような家で小規模な集団生活をしながら暮らしていました。そこにいるのは、みなスターリンに神に対するように仕えた人たちでした。その周囲には索漠として物寂しい冷気だけが漂っていました。誰かが飛び出してきそうな恐ろしい雰囲気であり、互いに警戒する雰囲気でした。ところがスターリンの姿はどうでしょうか。地上で王の役をしたので、ここでも自分に神に対するように仕えたこの者たちから、同じように侍られていなければならないのではないでしょうか。 私はその周囲を見つめながら、何日間かひそかに調べてみました。ある日、誰かが自分の家の門を開け、手招きをしながら誰かを呼んでいました。呼ばれている人は誰かと思ってみると、それはまさしくスターリンでした。なぜそのように隠れてこっそりと入っていくのかと気掛かりでしたが、それを知るすべはありませんでした。私は気掛かりを解くために、その光景をずっと探りました。一人の男性と一人の女性が周囲をうかがいながらそこに入りました。ところが、そのあといくら待っても、出てくる人も、入っていく人も見えませんでした。私は服装を少しみすぼらしくして、その家に近寄りました。見つかると、何かを少し下さいと言いながら、こじきのふりをしました。私が近くに行って耳を傾けると、声が聞こえてきました。その声は「自分の同族の血なまぐさいにおいには、これ以上耐えられないから、もうこれくらいでみな家庭に帰って、私を安らかに暮らさせてくれ」というものでした。私は耳を傾けました。 今度はスターリンの声が聞こえました。「私がここに来るまで、私の民族と私の氏族のために数多くの戦いをしてきたのに、今になってなぜ敗者になれと言うのか。お前たちは思い違いをしている。我々がみな、もう一度力を合わせれば、再起することができる」と言います。ところが、一人の女の声が聞こえました。彼女は「スターリン王よ! あなたは私たちに数多くの苦痛と涙しか与えませんでした。私たちはこれ以上、あなたに仕え、従っていくことはできません」と今にも泣き出しそうでした。 私は「いったいここは何をする所だろうか」と思いながら、周囲を探り始めました。地上にいる時、ここにいる人たちは、うわべではスターリンに神に対するように仕えましたが、実際には、この人たちはみなスターリンの独裁に反対する人たちなので、彼らにばれると、この家族は救いを受ける道がなかったはずです。ですから、隠れて会ったのです。ところで、スターリンはどういう過ちを犯したために、この小さな居場所に隠れながら行き来するのでしょうか。人が通るすべての場所が監視の対象なので、彼はいつも服装を変えながら行き来します。ですから、スターリンの正体を知るには本当に骨が折れました。 そのうち、ある日、私はスターリンの宿所に行くようになりました。仮面をかぶって行ったのです。私が「偉大な先生であるスターリンにお目にかかりに来ました」と言うと、入り口で一人の若者が、私に「どこから来たのか、お前は誰か」と尋ねました。「私が暮らしている村は美しい所ですが、平素からお会いしたかった先生がここにいらっしゃるというので、お目にかかり、先生の教えを聞きたくて来ました」と伝えました。しかしスターリンは出てこず、しばらくのちに別の若者が出てきて、「うちの先生は王として迎えられる所でなければ、お行きにならない」と言いました。ところが、本当に不思議なことが起こりました。私は正面を見つめて話していたのに、スターリンが私の後ろから現れました。「おかしなことだ」と思って、振り返ると、青年たちが突然現れて、私をしっかりつかみました。彼らは「ここをどこだと思っているのか」と言いました。私が「尊敬する先生に会いに来たのに、何が悪いですか」と言うと、彼らは「お前の正体を明かせ!」と言いました。 私は神様の後ろ盾を信じながら「私は神様の使者であり、メッセージを与えられた者である。神様があなた方の先生を連れてきなさいと言いました」と叫びました。するとスターリンは「神様はどこにいるのか。神様をここに連れてこい。そうすれば、私がそこを訪問しよう」と言いました。私は「神様は個人の家庭を訪問するほどひまではない」と言うと、彼は私に「私もそうだ。私もとても忙しい」と言います。そうしながら、この者たちは私を放してくれませんでした。それで「では、私がここで先生の理論を少し学んでいったらどうでしょうか」と、彼らに丁重に話すと、青年たちは私を放してくれました。 スターリンが「何を知りたいのか」と私に尋ねるので、私は「平素、先生の思想に関心があったので、その理論を学びたい」と言いました。すると、彼は、「それなら、あすから始めよう」と言いました。私が「きょう、せっかく来たのだから、少しでも教えを受けたいです」と言ったら、「あす、この場所でなくて、ほかの所で会おう」と言いました。ここは理論的な内容を話すにはふさわしい所ではないからだというのです。それで、私は仕方なく、あすに約束して出てきましたが、また青年たちが私を捕まえて、「二度とここに来るな! また来たら、危ない目に遭うだろう」と脅迫しました。 次の日、そこから少し離れた陰気な所で、スターリンに会いました。その周囲には誰もいなくて、スターリンだけが一人で立っていました。私が「偉大な先生がどうして一人でいるのですか」と言うと、彼は私を小さな部屋に連れていきました。そこはスターリンがこっそりと出入りする所でした。私は彼がなぜこのような所に導くのか全く分かりませんでした。彼は「本当に私の理論を学びたいのか」と尋ねました。それで私は「本当にそうだ」と答えました。するとスターリンは、「ここは大声で講義をする雰囲気ではない」と言いました。彼は今、隠遁生活をしているので、ここで自分の理論を話せば、ここから追放されると言います。そして「自分のことを知っている者はここではごく少数なのに、どうして知ったのか」と尋ねました。「私は神様の使者なので、分かる方法があります」と言うと、彼は「自分を隠してくれる所があるなら、あなたについていく」と言うのです。 私は「今だ!」と思い、「我が家に行きましょう。そこで先生の理論を教えてください」と言うと、とても驚いた表情で私を怖がり、警戒しました。そこに連れていって、自分を拷問するのではないかというような態度と目つきでした。そうしながらも救いの方法を求めて、「自分を救ってくれることができるか」と尋ねます。「何を言われるのですか。むしろ私を救ってくれなければならないではないですか」と私が反問すると、彼は「それなら、あなたについていく」と言いました。 その日から私はスターリンを導き、私が暮らしている周囲を隅々まで見学させてあげました。私は彼に、様々な平和な生活、安楽な生活を見せてあげながら、美しい歌と踊り、万物の和動、神様の輝き、様々な平和な姿を見学させてあげました。彼は「ここはどのような人たちが暮らしているのか」と尋ねました。「ここは神様に仕え、侍る人たちだけが暮らせる所です」と言うと、彼はカール・マルクスと全く同じようなことを言いました。「神様はどこにいらっしゃるのか。行ってみよう。そこで自分も神様にお仕えしよう」と言うのです。 私が彼に「『統一思想』をみな話したあとでこそ、許されます」と言うと、性急にも「今すぐ講義を聞こう」と言うのです。それで私は「統一思想」、「勝共理論」、真の父母理論、共産主義理論の誤謬などについて一つ一つ説明しました。すると、スターリンは「あなたはどこでそれを学びましたか」と尋ねました。 私はその時を逃さず、「地上で暮らしているとき、真の御父母様から学びました」と言いました。彼は私に、「あなたの父母は本当に立派で、素晴らしい革命家だ」と言いました。私が「私たちの父母は革命家ではありますが、真の愛の革命家であり、すべての人間の救世主です」と言うと、スターリンは「私も地上で暮らしている時、救世主として扱われた」と言います。「では今、なぜそのように隠遁生活をしているのですか」と尋ねると、彼は「人々から受け入れられないからだ」と言いました。 いまだに彼は自分の理論が誤ったことを悟ることができずにいました。まだ時間がかかりそうです。今は真の御父母様を紹介する段階に至っていません。しかし、彼が私の理論に耳を傾けようとするところから見ると、希望があると思います。 お父様、お母様、お待ちください。私が御父母様の恨みを晴らします。(一九九八年五月二十日)一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2024.06.24
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レーニン🌻周囲の視線をうかがい避けて行き来する姿🌰霊界からのメッセージ❤️李相軒先生2024/06/21 #統一教会#文鮮明#韓鶴子#家庭連合#李相軒#霊界二 レーニン レーニンは、共産世界では最も先駆者的な役割を果たしたので、その世界の貢献者であるかもしれませんが、神様の前ではこの上なく低い所に置かれた人物です。私は、既に彼のいる所を訪問したことがありました。それは「勝共理論」をもって、レーニンの共産主義理論と対決しながら、真摯な討論をしてみたかったからでした。 彼の居る所の入り口では、多くの人たちが監視し、一つ一つチェックしていて、とても面倒な手続きがありました。そこで私は堂々と「神様の使者の使命をもって来た」と言いました。訪問の手続きも面倒ですが、訪問の目的が彼らになじまなかったので、通過の手続きに少なからず時間がかかりました。私は待ちきれずに、また「私は神様の使者として先生を招待しに来ました。先生を大切に扱いますので、入れてください」と言いました。ようやく、私の通過手続きが終わりました。 レーニンの身体はそれほど大きいほうではありませんが、とても賢そうで見るからに気の強そうな顔つきでした。「私と会ってどうするのか」とレーニンが私に質問するので、「私はかねてより先生の理論に対してとても関心をもっていた者なので、直接会って先生の理論と思想を学びたい」と伝えました。しかし、レーニンは簡単に自分の心と思いをさらけ出しませんでした。レーニンは「自分は知らない者に、むやみに思想を伝えたり、話をするような寛大な男にはなれない」と言いながら、私の正体を確かめようとしました。私が「自分はもと内科の医者だった」と伝えると、彼は「医者がどうして革命家の気質を学び、知ろうとするのか」と聞き返しました。それで私は、「きょう、この場では先生と意見を分かち合うことは難しそうなので、尊い方に出会ったことを感謝する気持ちで、一度、先生をうちに招待したい」と言いました。彼はとても有り難いという表情をしました。そこで私は丁重に、「私の招待に応じていただき、とても光栄に思います。ではあす、もう一度先生をお迎えにまいります」と言って、うちに帰ってきました。 次の日、私は彼の家には直接入っていかないで、他の人にレーニンを連れてくるように頼みました。ところが、おかしなことに、レーニンがいなくなったのです。明らかに約束をしたのに、いなくなったのです。「では、いつもう一度来ましょうか」とその人に尋ねてみると、彼はよく分からないと言うのです。私の計画は水泡に帰してしまいました。レーニンの家の周囲は、とても陰気で貧しい生活をしている所のように見えました。とてもみすぼらしい家々が周囲にぎっしりと立っていました。彼が私に会ってくれない理由とは何だろうか。様々に考えながら私は家に帰ってきました。次の日も、その次の日も、ずっとその周囲をぐるぐる回りながら、新しい方法を模索してみました。 数日後、私は何か新しい事実を発見しました。その家の周囲には多くの家々があり、そこに新しい家を発見しましたが、それはレーニンの邸宅より少し小さな家でした。そこからレーニンと彼の一行が出てきたのですが、レーニンは前とは違う姿をしていました。レーニンは堂々とした頑丈な姿ではなく、とても緊張し不安な表情をしていました。いったいどうしてそのようになったのかと気になって、その理由をじっくりと考えてみました。ところがその一行は、レーニンの家ではない、ほかの所に向かい始めました。私も彼らの後ろについていってみることにしました。距離がだんだん近づきました。ところが、途中でまた別の光景を見ました。レーニンは何かに追われる表情をしながら、今度は一行と共には行かず、分散して歩き始めました。私はこの機会を失ってはいけないと思い、ずっと彼を尾行しました。どれくらい行ったか、みな集まってまた歩き出しました。 終着地がどこなのか私はとても気になりました。結局、彼らの終着地は小さな小川であることが分かりました。彼らはそこに集まって座りました。どんな話をしているのか、聞いてみるために、私は水の中に入りました。そこで足を洗いながら、彼らの対話の声に耳を傾けました。ようやく彼らの対話の声が聞こえてきました。レーニンの声も聞こえてきました。彼は「同志たち! 我々はここで戦って勝たなければならない。そうでなければ、我々はみな追放されるだろう。そして我々に危険が迫るだろう」と言いました。しばらくしてから、一人の若者の声が聞こえました。彼は「私たちがいくら一箇所に団結するとしても、その数があまりにも少ないので、勝利するのはとても難しいと思います」と言いました。その後、しばらくの間、静まりかえっていましたが、再びレーニンの声が聞こえました。自分たちの正体が周囲に分かれば危険なので、危険でない小さな所に移動しようと言うのでした。ところで、なぜこんな所に来てそのような話をするのかと疑わしく思ったのですが、やっとその疑いが解けました。 自分たちの家では、周囲の人たちの監視を受けるが、ここでは周囲の人から監視されるのが避けられるからでした。家では、いろいろな人が互いに探り合うので、用心深くする対話はできないということを、彼らの対話のうちに悟りました。 一国を導いた偉大な指導者として、思想の誤りを犯したまま一生を送ったレーニンの末路があのようにみすぼらしくてよいものか。話一つ堂々とできず、安心して住む家もないレーニンの人生の結末をその場で感じることができました。彼が堂々と生きたなら、永遠の世界であるここでも頭を上げて歩くことができたはずです。頭を上げることもできず、周囲の視線をうかがいながら、避けて行き来するレーニンの霊界の姿こそ、肉身をもったすべての地上人に、生きた教訓にならないでしょうか。これは永生の生のために、私たちが地上でいかに生きるべきかを見せてくれる良い事例になることでしょう。私は、いつかまたレーニンに会うことを祈りつつ、引き返しました。(一九九八年五月二十日)一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2024.06.24
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カール・マルクス🍇神様を敬う者たちだけが来ることのできる所を紹介❤️李相軒先生が霊界から送ったメッセージ🌸2024/02/27 #統一教会#家庭連合#文鮮明#韓鶴子#カール・マルクス#霊界李相軒先生が霊界から送ったメッセージ霊界の実相と地上生活 - 5. 霊界で会った人たち一 カール・マルクスカール・マルクスは、地上で共産主義を定立し、暴力で世界を転覆させようとした人物です。ところで、マルクスはなぜこのように残虐な人になったのでしょうか。彼は、自分の思想や理念は偉大なものなのに、誰も自分の志を正しく理解してくれないと考えました。自分の思想に対する、甚だしい慢心と傲慢な心のために、誰とも対話の道を開こうとはしませんでした。そうして、暴徒たちが暴れ回る革命の契機を提供しました。そのように一生涯を自分の理念に陶酔して生きた者の姿は、霊界でどのようなのか、いつも気掛かりであった人物です。私は彼を探そうとしましたが、最初、それは簡単ではありませんでした。地上生活と同様に、霊界生活においても、人々は自分と志を同じくする群れの中で生活するようになっています。この点に着目し、あちこち尋ねながら探し始めました。ここでも革命家たちは相変わらず自己陶酔の中におぼれて生きていました。カール・マルクスがいた周囲の建物は、多くの戦争捕虜たちが収容されているような古い穴蔵の家でした。いくつかの穴蔵の家の中には敗残兵の姿をした人も見え、暇つぶしの種がなくてただ疲れて横たわった人もいて、障害者たち、杖をついている人など、様々な人たちが生きる意欲を失ったように集まっていました。その光景は、正に戦争の残骸の物悲しい姿そのものでした。ところが、彼らはある一人のリーダーに従って、どこかに向かって進んでいました。向こうの高い所から「同志たちよ! 力を出そう。ここで私たちは負けることはできない。もう一度、力を出して戦おう。勝利は我々のものだ」と大声で叫ぶ声が聞こえました。その声の主が正にカール・マルクスでした。私は、後ろのほうの聴衆の中に交じって、彼に会うために待ちました。彼は、戦争で疲れた者たちの傷のことは少しも考えないまま、自分の理論は勝利すると叫び続けていました。講演が終わったあと、私は彼に、「大変難しいことと思いますが、少しだけでもお会いしていただければうれしいですが」と要請しました。すると彼は、「あなたはどういう思想の持ち主であり、なぜここに来たのか」と尋ねました。私が「『勝共理論』を体系化した李相軒です」と言うと、彼は「『勝共理論』と私と何の関係がありますか。私は忙しい」と言いました。それに対して私は、「いくら忙しいといっても、あなたの講義が終わるまで待っていた客に失礼ではないですか」と言いました。すると、彼はそれとなく目を伏せて、「お座りください」と言いながら講義を継続しました。私は一言も話し始めることもできずに、また彼の理論を聞かざるを得ませんでした。彼は大変な理論家でした。彼は少しも休まずに話し続けながら、自分の理論だけを主張したので、私は彼との対話のきっかけをつくることができませんでした。けれども、私はずっと待ち続けました。ある程度、区切りがつきそうだったので、私は「そろそろ、私の番が来たようですね」と言って、立ち上がりました。「私は相手の話を聞くのが好きなので、今まで先生の理論を聞いてみました。今度は私の理論を紹介すべき順番のように思います」と言いながら、私は「勝共理論」のうち、最も核心的な部分を紹介しました。私は彼に「共産主義の理論は、結局滅びるしかありません。それは先生の理論には神様に関する理論がないからです」と前置きしたあとに、「先生の理論は大変な理論です。しかし、地上でも天上でも、人間の生活を主管される方が神様であられるのに、神様に対して全く論じられませんでした。神様がどのような方かお分かりですか。神様を知らずしては、人生の根本目標を教えることはできません。神様を知らなければ、人間には平和な生はなく、永生の生もなく、いつも戦争するしかありません。先生の理論に陶酔した者たちの生が、まさしくこの現場ではないですか。さあ、御覧なさい。なぜ、みなあのような失敗した姿と敗残兵の姿で生きていますか。私についてきてください。私が暮らしている所に行ってみましょう。行ってあちこち見ながら説明しましょう。きょう、私の所に先生を招待いたします。行きましょう」と言いました。すると、彼はとても自尊心を傷つけられた表情で、私を見つめました。それでも、「先生をお客様としてお招きしたいのです」と言うと、ようやく彼は私についてくるようになりました。私についてきながら、彼は私に、「あなたはなぜここまで私を連れてきて、このように熱心に講義するのか」と尋ねました。私は「うちに来れば、分かるはずです」と言いました。彼は私が暮らしている周囲の、清らかで美しく、恍惚とした様々な自然を見つめました。すると、彼はとても悲しい表情をしました。私は彼にあちらこちらと見せながら、風変わりな光景を紹介しました。それは夫婦が愛し合っている美しい姿でした。私は彼がその姿を見て、びっくり仰天すると思っていました。しかし、彼は全くそのような気配を見せるのではなく、むしろちょうど磁石に引かれていく鉄粉のように引かれていました。そして、時おり通り過ぎゆく人たちの一人一人の姿がとても明るく、華やかで、平安であったので、それを見て、彼の考えがだんだん変わっていくようでした。彼が私に、「ほかに見せてくれる所はないのか」と尋ねるので、私は「一日で全部見ることができるでしょうか。今度、また見せてあげましょう」と言いました。彼は「私もここで暮らすことはできないか」と言いました。私は「今だ!」と思い、「ここは神様を敬う者たちだけが来ることのできる所です」と言いました。すると、彼は「神様の所に行こう」と言いました。「神様はここにはいらっしゃいません」と言うと、「では、私が神様の所に直接行って尋ねてみよう」と言うのです。神様を敬うためにはどうしなければならないのか尋ねてみて、神様が願うとおりにしようと言うのです。そこで私はカール・マルクスの誤った理念を指摘しながら、原理講義を部分的に始めました。講義中、彼の表情から、様々な藤を感じていることが分かりましたが、ずっと講義を進めました。そのような講義を何度か続けました。私は講義をしながら、「今度は一度、先生の家で講義をしましょう」と言うと、「それはまだ早い」と言うのです。それで私は、「きょうはこれくらいで講義は終えましょう」と言いました。すると彼は、「きのうより、きょうの講義がもっとおもしろいし、きょうよりあす、あすよりあさっての講義がおもしろそうだ」と言いながら、講義が終わる日に、自分の家に招待すると申し出ました。それで私は、「講義を終えるにはまだ多くの時間がかかるので、きょうの講義はこのくらいにして、先生がもっと聞きたいと感じたとき、また続けましょう」と言いました。すると、彼はじっと考えたあと、ようやく「自分の家に行って講義をしよう」と言ったのです。私が「先生の家はとても狭いので、広い庭でやるほうがよくないですか」と提案すると、彼はとても冷ややかな表情をしながら、「熱心に講義をするあなたの意図が分かったので、そのままここでやろう」と言いました。このようなやりとりの末に、ある日、彼の家に行って講義をするようになりました。そこに風変わりな姿の青年が入ってきて、マルクスに「なぜ招請したお客様の講義を一人で聞きますか。私たちも一緒に聞けるようにしてください」と言いました。私は「今だ!」と思い、「入ってきなさい」と言いました。すると、あちらこちらからたくさんの人が集まりました。本当に不思議な現象が生じました。マルクスの顔は一面、にんじんのように真っ赤になりました。彼は多くの聴衆の中で、頭を垂れて泣き始めました。長い間泣いたあと、彼は「皆さん! ここに集まった同志たち! ここに来られた先生のお話を聞きなさい。みな聞きなさい」と言いながら、彼らを大きな所に案内しました。私は、次からは大きな広場でいろいろな分野の原理講義と「勝共理論」の講義をしようと言いました。彼らの中、七〇から八〇パーセントは私の講義に肯定的な姿勢を見せました。私の講義を聞いたあと、マルクスは失意に落ち始めました。マルクスは今、私ととても近くなっています。ただ、真の御父母様を紹介する段階には至っていません。けれども、彼は私の講義をいつも肯定的に聴くので、その段階に間もなく近づくでしょう。その時、私は彼に真の御父母様の思想が今まで講義した「原理」であったと紹介するつもりです。(一九九八年五月十九日)一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓ 一和 メッコール(250ml×30本×1ケース)【送料無料】
2024.06.22
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霊界で会った人たち🍇ソクラテス🍓李相軒先生2024/06/05 #統一教会#文鮮明#韓鶴子#家庭連合#李相軒#霊界李相軒先生が霊界から送ったメッセージ霊界の実相と地上生活 - 4. 霊界で会った人たち九 ソクラテス考えが複雑で思想的に混乱するとき、ソクラテスを連想する人も多いことでしょう。人間は、世の中に生まれる時から、本性的に神様を知ろうとし、神様を探そうとします。その理由は、人間が神様から造られたという事実を理性的に認識する以前に、何よりも人間は神様と親子であるという心情的関係にあるからです。したがって、人間の本性は、神様を探すようになっています。ところが、自分の思想と自分の考えにあまりに執着するようになれば、神様の存在を忘れたり、否定しやすいのです。ソクラテスに会うために、私は相当努力して苦労しました。しかし、会いに行ってみると簡単ではなかったのです。この方がとどまる所を階層でいうなら、中間霊界よりももっと低い所といえます。なぜ会うのが大変だったかというと、この方が会ってくれようとしなかったからです。一度行き、二度行き、三度目に行ったとき、大変暗く沈鬱な表情で私を迎えました。会うのが嫌な理由は、自分の思想と相手の思想について、討論するのが嫌だからなのです。それは、彼が今まで考えてきたすべての知性の実が、誤っていなかったということに固執する立場でもあり、もう一つは、相手の思想を聞く必要がないということです。相当に傲慢な方で、また話すのを面倒がったりもします。私の話を聞こうともしませんでした。それでも、少しずつ「統一思想」を引き出して、項目ごとに指摘しながら、ゆっくりと話し始めました。しばらく講義をしている途中で、「その理論は誰がつくったものか……あなたのものか、相当に深く考えたようだ」と言いました。それで真のお父様を紹介し始めましたが、真のお父様のことはよく知らずにいました。多くの時間をかけて話をすると、少し壁に穴が開いたようでした。哲人の思想というのは、神様の前に実に妨害になるのだなという思いがしました。自分の思いと思想がぎっしり詰まっていて、原理的な思想を受け入れるには時間がかかるようです。次にまた私が来たとき、講義を聞く意志があるのかと聞いてみると「ぜひ聞きたいとは思わない。私の考えと思想を変えようとする心で来られるなら、あまり歓迎しない」と言いました。この方は、一度考えにふければ、その問題点が解決できるまで誰にも会おうとしませんでした。それゆえ、その方の周囲は索漠としており、人々と若干の距離がある所にいました。ソクラテスは、神様の愛の中ですべての花が咲いて散る被造物の調和も、人間の生と死も、神様の能力の調和に起因しているという事実も、神様の存在についても、関心をもとうとしませんでした。したがって本人の我執を取り払うのに時間がかかるようです。それでも、希望はもっています。「統一思想」は、どんな哲人の思想より次元の高い思想であるからです。リポーターの質問:ソクラテスは真のお父様のことを知っていますか。神様のことも知っていますか。答え:神様は知っているが、真のお父様のことは知らず、自分の思想があるために知ろうとしない。(一九九七年八月十三日)一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2024.06.21
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ノア🌸お前の信仰が神の怒りを抑えた🍓霊界で会った人たち🍎李相軒先生2024/06/11 #統一教会#文鮮明#韓鶴子#家庭連合#李相軒#霊界#ノア十二 ノア百二十年間、山の上で箱舟を造った、その信仰の父に会うようになりました。この方は、中間霊界の上流層にいました。いつもうつ伏せになって祈り、神様の前に祭祀を捧げるために全身全霊を込め、この上ない精誠を尽くします。この方の服装は、まるで田植えをする農夫のように、いつも腕も足もすっかりまくり上げて働く姿です。どんな仕事をそんなに熱心にするのかと眺めてみました。神様に祭物を捧げるために、祭壇を造っていました。箱舟を造っていた腕前を発揮しながら、あちこちを調べていました。すべての精誠を尽くしていました。自分の手、足の届く所は、すべてそのように造りました。自分のものだけではなく、周囲の人たちのものまでも造ってあげながら、ここで祈れ、あそこで精誠を捧げなさいと言っていました。顔がとても慈愛に満ちていて、まるで何の計算もない人のように、善良な姿でした。私がノアに「百二十年間、山の上で心が変わったことはありませんでしたか」と尋ねると、ノアは次のように答えました。「神様の命令に従って箱舟を造るのに、途中で心が変わり得ないでしょう。変わるなら、神様の命令ではなかったと疑うべきでしょう。私は百二十年という歳月を覚えていません。精誠を尽くして造るのが、おもしろかったからです。 子供たちも妻もたくさん協助してくれましたが、一〇〇パーセント協助したのではありません。人々は、いつも目に見えるものだけ追いかけるでしょう。目に見えない神様には、顔を背けることが多いです。それで、彼らは熱心に箱舟を造っていた私の心を何度も揺さぶりました。『洪水が起きればみな死ぬのに、我々だけどうして生きるのでしょう』、『神様が何のために我々だけ生かしてくださるのか。雨が降り始めれば、そのとき神様に再び尋ねてみて、確実ならまた始めましょう』、『神様が人間をみな滅ぼされれば、人間の後孫がいなくなるのに、そんなことをなさる方ではないでしょう』などと言われ、あらゆる誘惑がありましたが、私はただみ言に従順に従うこと以外、知りませんでした。それでも子供たちや妻が、背を向けなかったのは有り難いことでした。 我々が地上で暮らす間、神様に仕えることに心を尽くして、神様のみ言に従って生きていくことが、最も大きな幸福の条件でした。そのために、この良い所でも、多くの人たちに神様に仕える方法を教えてあげています。その時が、私の最も楽しい時間です。ところで僣越ですが、先生はどうして神様の恩恵を大きく受けているのですか。地上でどれほど神様に仕えましたか」。この方は、真の御父母様をはっきり知らないでいました。しばらく説明をしてあげると、深い考えに浸ったと思ったら、「先生は良い時に生まれついた人のようだ」と言いました。「いつかは、すべての人が神様の近くに行くことができます」と説明すると、「ここでも感謝です。自分が積んだ功績によって生きるのではないでしょう」と言い、真の御父母様について多くのことを聞きたがりました。その次は、洪水審判のことが気になって、「その時のあなたの心情を知りたいです」と言いました。するとノアは答え始めました。「神様が、ある日、自分に切迫した命令を下されました。『ノアよ、急げ、急げ、早く急げ。そして、箱舟の中にみな入れ』と命令されると、七日が過ぎて雨が降り始めました。すべての家族たちは、その時になって初めて父を信じ始めました。七日間閉じ込められているとき、獣たちも家族たちも、扉を開けてくれと大騒ぎでした。その時の私は懇切に祈祷して、ただ神様に頼る心情だけでした。『洪水審判をしてください。この地に神の国を建設なさってください』というのが、私の一貫した祈りでした。雨が降り注ぐと、箱舟の中は静かになり、家族たちは私の一挙手一投足を注視しました。 四十日間降り注いだ雨は、それこそ大暴風雨でした。その雨のために、世の中は真っ暗でした。渓谷に沿って流れあふれる水流によって、山も崩れ、木も折れました。雷と稲妻は休むことがありませんでした。本当に神様の刑罰であることを悟って、気が気でなく、祈りを捧げました。家族たちは、ただうつ伏せになって祈る私の表情だけを見つめていました。いつ神様の怒りが終わるだろうかという切なる心情だけでした。 四十日になると、神様が、『ノアよ、お前の信仰が神の怒りを抑えた』とおっしゃいました。一筋の光が窓際をかすめると、暴雨はやみ始めました。その後、箱舟から出てきた家族たちは、私を信じ、頼り、従いました。とても幸福なころでした。全家族が、心を合わせて生きる道を開き始めました」。次に「ハムの失敗について伺ってもいいですか」と私が尋ねると、ノアはまた次のように答えました。「その年は、家族が熱心に働きました。特にぶどう畑の仕事は豊作でした。全家族が至誠と精誠を捧げたので、すべてが豊かであり、心も平安でした。横たわると、本当に幸福な感じでした。ところが、しばらく働くと疲れて、ぶどう酒を一杯飲んでみると、居眠りしたようです。体から熱が出たのか、私は着ていた服をみな脱ぎ捨てたまま寝ていたようです。裸体になりました。 平素、次男は、親の意に従っていました。私が寝ているとき、楽に眠れるようにしてあげようとして、私の部屋に入ってきたようです。すると真っ裸になった私の姿を見て、びっくり仰天したようです。家族たちが集まってきて、騒ぎを起こし、特に妻はとても私を恨みました。神様に仕える方が、自分の体一つ保つことができないのかと言いました。自分の体を保てなかった罪が、神様に大きな迷惑をかけました。一生を懸けて神様に仕えてきましたが、洪水審判以後、私は謙遜よりは驕慢になったので、神様が私の家族を戒め、罰を下されました。神様には、いつも謙遜な姿勢が第一だと思います。自分の失敗を思うたびに、神様に申し訳なくて、面目がありません」。ノアは、一生の間、神様に仕えました。二番目の息子の失敗くらいは、神様がお許しになることができるはずなのに、神様は薄情にもハムの失敗を許されませんでした。これは、人間の堕落のためであり、神様がお許しになればサタンの侵犯の条件になるので、お許しになることができなかったのです。これが霊界であるこの国の法です。天法は峻厳なものです。それゆえ、神様の前に手厚くもてなされようとする者は、霊界の法を通過して、合格することができる人生を生きなければなりません。それでこそ、神様の前にもてなされる者になるのです。地上の暮らしを反省しながら、神様の前に合格し得る者になることを、心から願うものです。(一九九七年八月十九日)一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2024.06.20
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イスカリオテのユダ🌼霊界で会った人たち🍎李相軒先生🌰2024/06/15 #統一教会#文鮮明#韓鶴子#家庭連合#李相軒#霊界一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓ 李相軒先生が霊界から送ったメッセージキリスト教指導者のメッセージ第一章 イエス様の十二弟子 一 イスカリオテのユダの告白 イエス様の教え:再臨主が人類の真の父母 おそれ多くも、ユダがどうして自ら告白をすることができるでしょうか。しかし、イエス様と様々な兄弟が一箇所に集まって私、ユダを許してくださり、イエス様が「統一原理セミナー」に共に参席してくださりながら、十二弟子を地上よりもより一層愛してくださるので、このような告白ができるようになりました。このようなイエス様の恩恵のすべてを言葉では表現できません。 きょう、イエス様が私たち十二弟子を特別に呼び集められ、「統一原理セミナー」のプログラムの日程に沿って教育を受けることを希望されました。セミナーの日程が長くて多少難しかったのですが、私たちがイエス様の教えを受けた時のように真に立派な教育を受けました。熱情的な講師たちの詳細な講義を聞き、私たちは多くのことに目覚めるようになりました。 「神様は人類の父母」というプラカードのもとで、様々な次元の講義の主題を通して、私たちは、本当にあまりにも途方もなく具体的な内容を悟るようになりました。ちょうど人間が生きていく人生の教科書を分析してくれるように、講師たちは、人間生活の必須な部分を具体的に講義してくださいました。珍しくてあまりにも感動的な内容が多かったので、私たちの姿は毎日毎日変わっています。 そして、イエス様がすべての講義内容に本当に丁重な態度で臨まれ、私たちも姿勢が崩れないようにしようと非常に努力しました。その姿がはっきりと見えるほどでした。そして、メシヤ論に対する講義が進行する時、イエス様はあまりにもたくさん泣かれて、私たちもやはり声を出して泣いて、講師も講義をしながら共に泣かれました。メシヤ論が終わるや否やイエス様が立ち上がられました。そして、私たち十二弟子を再び呼び集められ、過去に施してくださった愛を再び回顧なさって心情のこもった話を交わされました。そして、最後の結論のみ言を語られる前に私たちに確認されました。 イエス様は、私たちに「メシヤ降臨とその再臨の目的」がどのような内容かを尋ねて、「皆さんは私を信じて従ってくれるのか」と再び確認されたのち、「私、イエスは、再び降臨された再臨主を師として侍ることにした。そして、私、イエスは、再臨主、すなわちメシヤの前で地上のある女性と夫婦の因縁を結んだ。今、新しい真理を明らかにされた真の先生に従うつもりだ。その方がほかでもない再臨のメシヤ、文鮮明先生であられる。その方は全人類の父母として来られたので、皆さんもその方を父母として侍らなければならない」と、とても強い語調で、そして、非常に真剣に語られたのち、痛哭の祈祷を神様に捧げられました。 「天のお父様、私、イエスの失敗が神様の心をそれほど痛めたとは想像さえできませんでした。再臨主を送るしかない状況で復帰摂理を経綸なさる天のお父様の寂しさが、どれほど大きかったでしょうか。そして、恨の多い歳月を再び収拾なさる再臨主の苦衷がどれほど多かったでしょうか。私、イエスと十二弟子全員が主なる神様に決意して誓います。地上で苦労される再臨主、文鮮明先生を私たちは、永遠の真の父母として侍ることを決意して誓いますゆえ、きょう私たちのすべての集いを祝福してくださって栄光を受け入れてください」と祈祷されました。この時、この姿を見て号泣する者、足をバタバタする者、胸を打つ者と、色とりどりの姿が現れました。私も頭をたたいて泣いていました。その時は、それこそ涙の海でした。 私たちは、全員知っていました。主、イエス様の痛みを誰よりもよく知っていました。その時は、イエス様お一人で主の道を歩んでいかれるには周囲の環境があまりにも難しかったということをよく知っていました。 そして、再臨のメシヤが来ざるを得ない摂理的曲折と、再臨主が歩まれた道を今回の教育を通してよく知るようになり、よく悟るようになりました。 私たちの主が侍る真の先生の道に、私たちは惜しみなく従うつもりです。今、イスカリオテのユダは、決して不孝な子の位置に立たないと何度も誓いました。イスカリオテのユダは本然の姿に帰りたいと思います。(二〇〇一年八月二十七日)
2024.06.19
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洗礼ヨハネ🌰いつも自分は不安で、誰かが自分を害するようなので人を選択して会う🍇霊界で会った人たち🌹李相軒先生🍇2024/06/17 #統一教会#文鮮明#韓鶴子#家庭連合#李相軒#霊界一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2024.06.17
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エバ🌹アダムに対する罪悪感🌸霊界で会った人たち🍎李相軒先生2024/06/09 #統一教会#文鮮明#韓鶴子#家庭連合#李相軒#霊界#エバ#アダム一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2024.06.09
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イエス・キリスト❤️霊界で会った人たち🍇 2024/05/22#統一教会#文鮮明#韓鶴子#家庭連合#イエス#李相軒#霊界一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2024.05.24
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祈っていてもイエス様に興味はない?2024/04/282024年4月27日(土)復活節第5主日ミサ説教in桜町共同司教座聖堂 より。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2024.04.28
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歌⑧ ♪ナイジェキドハリラ 나 이제 기도하리라♪前田つよし歌ってみた2023/12/14Tsuyoshi Maeda(前田つよし)前田つよし時速2キロで歩く真理の道一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓ 【関連動画】まるで魔女狩り 統一教会と政治家私は家庭連合に入るかもしれません。本気モード家庭連合○○教会に行ってきました【家庭連合前田つよしのYou Tube】緊張しました。教会員になりました。ありがとうございます。
2023.12.20
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【イエスの教え③】迫害される者は幸いです~2023/11/12 #ポッドキャスト #聖書 #信仰I am enough!平野耕一牧師のショートメッセージです。マタイによる福音書/ 05章 10~12節 義のために迫害されてきた人たちは、 さいわいである、 天国は彼らのものである。 わたしのために人々があなたがたをののしり、また迫害し、あなたがたに対し偽って様々の悪口を言う時には、あなたがたは、さいわいである。喜び、よろこべ、天においてあなたがたの受ける報いは大きい。あなたがたより前の預言者たちも、同じように迫害されたのである。使徒行伝/ 07章 52節いったい、あなたがたの先祖が迫害しなかった預言者が、ひとりでもいたか。彼らは正しいかたの来ることを予告した人たちを殺し、今やあなたがたは、その正しいかたを裏切る者、また殺す者となった。ガラテヤ人への手紙/ 05章 11節兄弟たちよ。わたしがもし今でも割礼を宣べ伝えていたら、どうして、いまなお迫害されるはずがあろうか。そうしていたら、十字架のつまずきは、なくなっているであろう。テモテへの第二の手紙/ 03章 12節いったい、キリスト・イエスにあって信心深く生きようとする者は、みな、迫害を受ける。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓ 全国弁連に牛耳られた岸田政権2023/11/13国際勝共連合(IFVOC)街頭演説 2023年11月10日街頭演説「このままでは日本は滅びる」からの抜粋です。
2023.11.13
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世界の平和GG鈴木チャンネル「信教の自由と解散請求権」2023/10/15文化庁が(旧)統一教会に対して散々質問をした挙句、やっぱり解散を請求することにしました、ということになった。行政権に自由に宗教団体を解散させる権限を与えてしまうとろくなことにならないから、行政からの請求があった場合に限り、司法がその可否を判断することになっている。今回の場合、宗教団体側は必ずその解散請求は、憲法20条の信教の自由を侵害するものなので不当な行政行為である、と主張するはずだから、これは最高裁にまで行き、そうなると有斐閣が発行する「憲法判例百選」に記載される事案であろうと思う。おそらくそのタイトルは、「信教の自由と解散請求権」というようなものになり、最高裁の判断が記載され、法律を学ぶ学生は誰しもそれを学ぶようなことになるだろう。その判断をする前提として、我々は、そもそも宗教とは何か、を知る必要がある。宗教についての自分の理解はこうだ。人はそもそも本来の自分の中に様々な(108個かそれ以上の)煩悩を抱えている。それは水中に油分が小さなしずくとして混入している、コロイド溶液状態であると言えよう。宗教は、このコロイド溶液状態から、「本来の自分」と煩悩という本来自分のものではない油分とを、はっきり分離するシステムであろう。そうして水と油を分離できれば、人は本来の自分という方を動機として行動することによって、行動を変容させることができる。コロイド溶液だった自分とは別人格の自分になれるのだ。かくして油分の方は行動が伴わなくなってくるので、自然に除去されることになる。これまでの宗教においては、そのプロセスはたいがいつらく、厳しく、痛くて、葛藤を伴うものだった。それでもその結果は貴重なので、人はそのつらい道を行く。その過程の中には、カネを捨てろ、というものもある。イエスは富める者が天国にはいることはらくだが針の穴を通るよりむずかしいのだ、と主張している。幸せになりたければ、まずカネを捨てろ、とのきびしいお達しだ。そして、家族を平和にさせるために来たのではなく、剣を投げ込むために来た、とも語っている。(旧)統一教会がかつてしていたことがカネを捨てさせ、家族を離反させることであると言うなら、それはまさに宗教の王道であったものだ、とも言える。そんな王道の宗教団体がメディアの目の敵にされていることの思い当たる理由としては、半世紀くらい昔にさかのぼる話だが、学生運動が華やかだったころ、共産党下部組織の民主青年同盟や全共闘などの反体制運動に対して正面切って立ちはだかった勢力が、(旧)統一教会傘下の原理研究会だったから、ではないかと思う。原理研究会のメンバーはその後、統一教会に入り、それはさらに家庭連合というものに進化した。民青だったメンバーは今でも日本共産党の中高年者として党を支えている。組織力が弱かった全共闘は大方が「挫折」し、その後大手メディアに入ったり、弁護士になったり、政治家になったりした。彼らは自分たちの青春時代に原理研究会にひどい目に会った仕返しをしないと、挫折した心の平安が得られないために、今(旧)統一教会つぶしに燃えているという、これは長い時間をかけた奇妙な復讐譚なのではないかと思う。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2023.10.17
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命がけのハンガー・ストライキで日本を守るこんな言葉が目に留まった。「ハンガー・ストライキ」いったいどういうこと?町田松夫氏 (73歳・長野県長野市在住) は、昨年から今年にかけて行われてきた政府による旧統一教会解散請求に向けた、質問権行使のマスコミ報道に触れ、解散請求への反対を表明するため、自分で何かできないかという衝動にかられた。「言葉や理論で何かをするのは難しいが、自分の足で歩いて人々に訴えることはできる」今年6月には長野県市内で1日20キロ以上の行進を30日間行った。垂れ幕には・・・「共産主義に屈した日本政府による宗教弾圧は国を滅ぼす」という訴えを掲げてきた。さらに、町田氏は、長野市から国会議事堂まで徒歩での200キロ単独デモ行進を決意。7月1日の朝8時に家族に見送られ、200km 以上離れた東京への単独デモ行進を開始した。途中の飲食店やネットカフェなどで休息し、7月6日の午前6時に国会前に到着。国会前では横断幕を掲げ3日間のハンガーストライキを行った。まさに命がけの国を守るためのハンガーストライキだハンガー・ストライキとはマハトマ・ガンディーにより始められた非暴力抵抗運動の方法の一つ。何らかの主張を世間に広く訴えるために、断食を行うストライキの一種。町田松夫氏と言えば・・・徒歩でアメリカ横断5,000キロ2回日本縦断2回・韓国縦断・台湾一周などの、単独デモ行進をしてきた。そのすべてが、個人の目的の為ではなく、アメリカ、日本、韓国、台湾の国を守るためのだった20歳で入教し信仰歴50年以上。ハレルヤ大行進 人類の真の父母・文鮮明韓[本/雑誌] / 町田松夫/著岸田文雄首相は、今年7月世界平和統一家庭連合(旧統一教会)について宗教法人法を一夜にして覆し、「自分が解散に責任を持つ」と失言した。そのため・・・政府は解散命令請求に向け質問権行使を教団側にした。しかし、2009年のコンプライアンス以降の教団には宗教法人法に基づく解散命令に値するような「悪質性、継続性、組織性」の犯罪が全く認められていない。にもかかわらず・・・政府は解散命令請求を10月13日にも行うという。岸田首相の支持率アップのためか・・・世論はそのように見ている。海外からも批判の声が上がっている。「旧統一教会問題に関して、政府は全国弁連(全国霊感商法対策弁護士連絡会)の働きかけにより、まさに偏った主義主張に日本政府は屈している」「法を無視した不当な解散命令は憲法違反だ」などと町田氏は抗議している。そのため、町田氏は、国会議事堂前で10月1日から無期限断食のハンガー・ストライキを開始している。本日10月9日で断食9日目。これまで、公園で野宿かネットカフェにて休んでいたとのこと。10月に入って東京も急に寒くなったため、昨日から国会に一番近い教会の一室で夜は休んでいただくことにした。… … …<続きはこちら>一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2023.10.09
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【完全密着】第4回シンポジウムの舞台裏|信者の人権を守る二世の会 2023/10/08 #シンポジウム #二世 #家庭連合信者の人権を守る二世の会では、先日、2023年10月1日(日)に第4回公開シンポジウムを行いました。今回はその舞台裏を大公開します!!(いつもPVを作ってくれる二世の子が作成してくれました!)▼「信者の人権を守る二世の会」ホームページはこちらhttps://www.2ndgen-rights.com/▼ 第4回公開シンポジウム「宗教学者と語る ~家庭連合の過去と現在と未来~」のご視聴はこちらhttps://youtube.com/live/2KpxHJIwgvI今回、第4回目となる公開シンポジウムでは、宗教学者の島田裕巳さんと家庭連合二世3名との対談を行いました。島田先生は、客観的な学者の立場で私たちにこう語りました。「『真実は何か』隠さず『オープン』にするでなければ、誰も納得しない」二世は、何を見て体験してきたのか。”旧統一教会”の「過去」、現在、そして未来…。”旧統一教会問題の全容” と ”宗教”について、真剣かつ率直に語り合います。家庭連合を擁護しない宗教学者と現役二世信者による、今までになかった新しい議論の場にご期待下さい。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2023.10.09
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X(旧twitter)からです。速報が出ました‼️#宗教法人審議会 は 先延ばしか…❓反対意見も多数あるとか… 内部は分裂状態か…❓それにつれて#解散命令請求 も 先延ばしか…❓法的根拠なく 安易に出せば国賠10億円が 想定される慎重に…慎重に… https://t.co/alZuc5WmeA pic.twitter.com/MAXe5vxG1h— 人権と宗教・信仰の自由を護る協議会(David999) (@888abyz) October 7, 2023一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2023.10.07
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家庭連合(旧統一教会)の教義書『原理講論』から、宗教史と国家興亡史について書かれた記述がありました。第三章 人類歴史の終末論 第二節 救いの摂理 第一に、文化圏発展史の立場から考察してみることにする。古今東西を問わず、いかなる悪人であっても、悪を捨てて善に従おうとする本心だけは、だれでも共通にもっている。だから、何が善であり、いかにすればその善をなすことができるかということは、知能に属することであり、時代と場所と人がそれぞれ異なることによって、それらは互いに衝突し、闘争の歴史をつくってきたのであるが、善を求めようとする人間の根本目的だけは、すべて同じであった。では何故、人間の本心は、いかなるものによっても取り押さえることのできない力をもち、時間と空間を超越して、善を指向しているのであろうか。それは、善の主体であられる神が、神の善の目的を成就するための善の実体対象として、人間を創造なさったからで、たとえ堕落人間がサタンの業により、善の生活ができないようになってしまったとしても、善を追求するその本心だけは、そのまま残っているからである。したがって、このような人間たちによってつくられてきた歴史の進みいくところは、結局善の世界でなければならない。 人間の本心がいかに善を指向して努力するとしても、既に悪主権の上におかれているこの世界においては、その善の実相を見ることができなくなってしまっているので、人間は時空を超越した世界に、その善の主体を探し求めなければならなくなった。このような必然的な要求によって誕生したのが、すなわち宗教なのである。このように、堕落によって神を失ってしまった人間は、宗教をつくり、絶えず善を探し求めて、神に近づこうとしてきたので、たとえ宗教を奉じてきた個人、民族、あるいは国家は滅亡したとしても、宗教それ自体は今日に至るまで、絶えることなく継続してそのまま残ってきたのである。それでは、このような歴史的な事実を、国家興亡史を中心として、検討してみることにしよう。 まず、中国の歴史を見ると、春秋戦国の各時代を経て、秦統一時代が到来し、そして前漢、新、後漢、三国、西晋、東晋、南北朝の各時代を経て、隋唐統一時代がきた。さらに、五代、北宋、南宋、元、明、清の時代を経て、今日の中華民国に至るまで、複雑多様な国家の興亡と、政権の交代を重ねてきたのであるが、今日に至るまで、儒、仏、仙の極東宗教だけは、厳然として残っているのである。つぎにインドの歴史をひもといてみても、マウリア、アンドラ、クシャナ、グプタ、ヴァルダーナ、サーマン、カズニ、ムガール帝国を経て、今日のインドに至るまで、国家の変遷は極まりなく繰り返してきたわけであるが、ヒンズー教だけは衰えずにそのまま残っているのである。また、中東地域の歴史を見れば、サラセン帝国、東西カリフ、セルジュク・トルコ、オスマン・トルコなど、国家の主権は幾度か変わってきたのであるが、彼らが信奉するイスラム教だけは、連綿としてその命脈が断ちきられることなく継承されてきたのである。つづいて、ヨーロッパ史の主流において、その実証を求めてみることにしよう。ヨーロッパの主導権はギリシャ、ローマ、フランク、スペイン、ポルトガルを経て、一時フランスとオランダを経由し、英国に移動し、それが、米国とソ連に分かれ今日に至っているのである。ところが、その中においても、キリスト教だけはそのまま興隆してきたのであり、唯物史観の上にたてられた専制政体下のソ連においてさえ、キリスト教は、今なお滅びずに残っている。このような見地から、すべての国家興亡の足跡を深く顧みるとき、宗教を迫害した国は滅び、宗教を保護し育成した国は興隆し、また、その国の主権は、より以上に宗教を崇拝する国へと移されていったという歴史的な事実を、我々は数多く発見することができるのである。したがって、宗教を迫害している共産主義世界の破滅の日が必ずくるであろうということは、宗教史が実証的にこれを裏付けているのである。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2023.10.07
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第4回公開シンポジウム「宗教学者と語る家庭連合の過去と現在と未来」「信者の人権を守る二世の会」ホームページはこちらhttps://www.2ndgen-rights.com/今回、第4回目となる公開シンポジウムでは、宗教学者の島田裕巳さんと家庭連合二世3名との対談を行います。島田先生は、客観的な学者の立場で私たちにこう語りました。「『真実は何か』隠さず『オープン』にするでなければ、誰も納得しない」 二世は、何を見て体験してきたのか。”旧統一教会”の「過去」、現在、そして未来…。”旧統一教会問題の全容” と ”宗教”について、真剣かつ率直に語り合います。 家庭連合を擁護しない宗教学者と現役二世信者による、今までになかった新しい議論の場にご期待下さい。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2023.10.01
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昨日(05/20)、ブログ『奇知外記』で多く読まれた記事アクセスについてです。注目されるのは過去記事、2015年9月日付の『[book]文鮮明評伝ー人類を愛した平和の聖者』(韓国語)を紹介したものでした。改めてリンクを下記に入れておきますので、関心のある方はお読みください。<新刊掘出し閲覧>文鮮明評伝ーー人類を愛した平和の聖者[Book] 文鮮明評伝―― 人類を愛した平和の聖者https://search.shopping.naver.com/book/catalog/32503845625<本の紹介>文鮮明、彼は誰なのか?時代の異端児であるかそれとも人類を愛した平和の聖者か?極と極の称賛と非難を一身に受ける世界人物、文鮮明、果たして人間としての彼の人生はどうだったの?- 最初に出版された文鮮明一代記 統一教会(世界平和統一家庭連合)教主文鮮明が2012年9月に聖和(他界)してから満3年が経った。生前の文鮮明の評価は両極端だった。これは韓国だけではなく、統一教が旺盛な活動をしている日本、米国、欧州、南米でも同じだ。文鮮明は1970年以降、日本の入国禁止令が下され、ヨーロッパの多くの国でも入国が禁止された。なぜ少なくない国で文鮮明の入国を禁止したか。 彼は生涯6回刑務所に収監されており、彼の言葉と言動はいつもマスコミの追跡対象となった。 6回の監獄生活にもかかわらず、彼はどのように企業、教育、芸術で驚異的な業績を遂げ、数多くの議論と非難にもかかわらず、光復後、韓国の新興宗教として初めて統一教を世界宗教に育てたのだろう? 文鮮明、その名前だけで - 彼の言葉のように - 世界はワイワイうるさくなる。なぜ、何が、どのような理由で、彼は常に議論の真ん中であったか彼のいくつかの言葉が彼をいんちき階層的に追い詰めて行き、彼のいくつかの教義が、キリスト教からの攻撃を受け、どのような行動が、1970年代以降、韓国と世界を騒がせたか。彼の名前を言う自体がなぜ冒涜とまで考えられているか統一教会に接したという理由だけで指弾を受ける理由は何ですか? この本は、1920年1月6日文鮮明の誕生から2012年9月3日に聖和(死去)するまで92年の間、彼が行なったすべてのもの、彼が主張していた教義、彼がしたスピーチ、彼が成し遂げた成果、彼が訪れたところ、彼は作った機関や団体、組織などを網羅して、取材して、探検し、綿密に分析した最初の本である。主観的立場と教義を徹底的に排撃しながら客観的資料で彼の行なったスピーチ、行動に基づいて、果たして文鮮明は、韓国と世界にどのような影響を及ぼしたかを綿密に探検した。<続きはリンク先にて>【中古】平和を愛する世界人として(単行本) 文 鮮明「1000円ポッキリ」「送料無料」「買い回り」一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2023.05.21
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文鮮明牧師の教えを勉強しろ❗️ジュアン・ケネディ司教❤️アメリカ聖職者協会1日修練会_ACLC Chicago2023/04/17 アメリカ聖職者協会1日修練会ジュアン・ケネディ司教ミルウォーキー・ウィスコンシン州霊界に行った時、地上での16分間の出来事一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2023.04.17
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2001/01/01 God's day event News 01「神の日」の映像です。2001/01/01 God's day event News 022001/01/01 God's day event Entertainment True Children's Singing一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2023.01.02
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【2夜連続 星空LIVE】届け!みんなの願い ふたご座流星群2022 茨城・常陸太田市からライブ配信TBSとしてふたご座流星群のYouTube配信は3年目になります。 今年の極大日は12月14日(水)の夜22時です。 超高感度カメラで撮影する綺麗な星空の様子を、寒空の下、体力の続く限りお届けします。 2夜連続で生配信です。 ▽2021年のふたご座流星群の動画はこちら↓ まとめ:https://www.youtube.com/watch?v=Q_6HDBdyh3E&t=0s配信:https://www.youtube.com/watch?v=Xyhl97qQ-hQ&t=0s一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2022.12.14
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以下は『ファミリー』(1996.3月号)に掲載された「巻頭言」からです。当時オウム真理教が騒がれたころのものであり、こんにちの国会での「被害者救済法」と類似した点を見ることが出来ます。宗教を迫害する国は滅び、保護し、育成する国は栄える世界基督教紘一神霊協会会長 桜 井 設 雄 宗教は本来、人間が堕落しなければ必要ありませんでした。神様と人間の関係が、堕落することにより切れてしまったので、その関係を回復するための一つの手段として生まれてきたのが宗教です。ですから、宗教が必要ない人は一人もいません。 このように、宗教は親なる神様と一体となろうとする、人間の本心の欲求から生まれたのです。その本心の欲求が満たされなければ、真の生きがいや真の幸福を得ることはできません。したがって、宗教を迫害することは、人間の本心を抑圧し、破壊させることになります。 歴史における国家興亡を深く顧みるとき、宗教を迫害した国は滅び、宗教を保護し、育成した国は興隆しました。また、その国の主催は、より以上に宗教を崇拝する国へと移されていったという歴史的事実を数多く発見することができます。 宗教は、木に例えれば根に当たります。根を持たない木は腐り、枯れてしまうように、宗教を持たない国は滅亡せざるを得ません。歴史上に数多くの宗教が生滅する中で、より影響力の大きい宗教は必ず文化圏を形成し、より劣等なものは優等なものに吸収、融合されてきました。現代化圏を形成していく趨勢を見せています。 では、なぜキリスト教が中心となるのでしょうか。キリスト教は人間の本心の欲求を一番満たしてくれる要素を持っているからです。キリスト教は、存在の根源、生命の根源であられる神様が「親」であることを説いています。いかなる人間も、親から人生を出発しない人はいません。親こそ生命の原点であり、人生の出発点なのです。 昨年、無差別殺人集団と化したある宗教団体の影響によって、わが国の世論や国民的意識は、宗教に対する見方が大きく変わりました。宗教に対する信頼や寛容な心から、不信と疑惑と警戒心を抱くようになったのです。 ここでもう一度、私たちが確認しなければならないことは、宗教とは何かということです。父母なる神様(※櫻井ファミリーは要チェック箇所です。)は、子供である人類のために犠牲と奉仕の道を歩んでおられます。ですから、神様を説く高等宗教であればあるほど、犠牲と奉仕を強調するのです。真の宗教は、自らを犠牲にして他を生かすものです。他を犠牲にして自らが生きようとするのは、真の宗教ではありません。 また真の宗教は、分裂しているものを一つにする責任を果たさなければならないのです。すなわち、個人の心と体を統一し、夫婦、親子を統一し、民族と民族、人種と人種を統一し、国家、世界を統一し、さらには霊界と地上界、神様と人間を統一するのです。このように、神様の愛、すなわち犠牲と奉仕の精神で人類を救済しようとするのが、真の宗教なのです。ですから、宗教と民主主義は相入れないどころか、宗教がなければ民主主義は滅んでしまうのです。 ところが今日、「宗教基本法(仮称)」なる法案が国会に提出されようとしています。このようなことを憂慮する有識者は、「これは国家による宗教管理規制法であり、これが通れば、たった五十年で日本の信教の自由が終わることになる」、「これは宗教弾圧基本法である」と述べています。 米国では、「米国憲法修正第一条」で、議会が宗教活動を禁止したり、その権利を制限することを禁止しています。また、日本国憲法第二O条の信教の自由も、多くの宗教者が代価を払って勝ち取った歴史の遺産ともいうべきものです。 今こそ私たちは、真の民主主義を守り、真の平和国家、道義国家を築いていかなければなりません。宗教の本質を知り、神様の心情と真理を知った先兵として、歴史的、摂理的使命を果たしていきましょう。<終>一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2022.12.11
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以前にもお花屋さんの家庭連合(旧統一教会)への不売運動(?)がツイッターで紹介されていましたが、今度はクロネコヤマトさんですか!!APTFの機関紙(世界家庭や真の家庭など)を配送する手段として、クロネコさんのDM便を使っていましたが、この度、契約が急遽打ち切りとなった為、日本郵便のゆうメールを利用するとのこと。こんな所まで偏向報道の影響が出ている。— 地球人俱楽部 (@mskz21k) November 16, 2022一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2022.11.17
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The Great Witch Hunt Against the Unification Church in Japan. 1. Bearing False Witness (bitterwinter.org)日本の統一教会に対する大魔女狩りーー 虚偽の証言をする2022 年 7 月 8 日、元日本の安倍晋三首相は、統一教会に関連する組織に協力したことを罰したいと主張する男に暗殺されました。 . Bitter Winter のシリーズが示したように、統一教会 (現在は世界平和統一家族連合、FFWPU と呼ばれる) は、安倍とともに、指導者の殺害を計画していた暗殺者の犠牲者でした。しかし、反カルトキャンペーンは、被害者と加害者の役割を見事に逆転させ、FFWPUが犯罪に責任があるとほとんどの日本および国際的なメディアを説得しました.魔女狩りは続いており、フェイク ニュースや、この場合はいつものように背教者の元メンバーによって支えられています。日本のメディアは、岸田文夫首相自身がそのような背教者の一人、「小川さゆり」という仮名を使う女性と会う予定であると報じている。彼女は安倍暗殺後、8月23日に日本の立憲民主党が主催した会議や10月7日に日本外国特派員協会で開催された会議を含め、統一教会に反対し、多くの点で明らかに誤りであると語った.小川が外国特派員クラブで講演したとき、彼女の両親とFFWPUの両方が、彼女が他の場所ですでに言ったことは虚偽で中傷的であるという事実と、イベントがさらに損害を与える可能性があるという両親の懸念の両方に基づいて、会議のキャンセルを要求しましたTwitterで「解離性同一性障害、うつ病、パニック発作」に苦しんでいると自分自身を説明した人の精神的健康。これは、FFWPU が勇敢な証人を威嚇しようとしていた証拠として、同じイベントで提示されました。しかし、小川の母親は、25 ページの文書を同封した 17 ページの声明に署名し、そのコピーは彼女の実話が語られた Bitter Winter に保管されています。外国特派員クラブでの小川記者会見の宣伝。これは、母と娘の間の単なる物語の対立ではありませんでした。母親は娘に、彼女のバージョンを裏付ける銀行記録などの別の書類を作成するように要求しました。母親の陳述のすべての主張は、対応する証拠によって確認されていますが、何も提出されていません。小川さんは一言で言えば、父が牧師、母が職員という統一教会で育ち、統一教会への献金で貧困に苦しんでいたという。彼女は学校で組織的にいじめられていました。彼女はまた、彼女が統一教会のメンバーではない男性と一緒に暮らすことにしたとき、彼女と決別した清教徒の両親からセックスについて恐怖を感じていました.彼女は、日本と韓国の両方で統一教会のイベントに出席し、彼女がさらされた教義と儀式の不条理の結果として、精神的問題を発症し、入院しなければならなかった. 学生時代にアルバイトで稼いだ金を親に没収され、入院を機に預金を引き出された。彼らはこのお金を統一教会への寄付に使いました。彼女は今、統一教会/FFWPU は悪の組織であると確信している、と彼女は言った。彼女はその解体と、フランスに存在するものをモデルにした反カルト法を日本に導入することを求めた.後述は、小川が反カルト運動によって指導されていることを証明している. 安倍暗殺の前に、彼女は「カルト」に反対するキャンペーンに関心を示したことはなく、確かにフランスの法律について聞いたことがありませんでした. 彼女の話で唯一真実なのは、彼女の両親が統一教会で奉仕していたということですが、彼女の父親だけが統一教会の牧師でした。彼女の母親は、彼女が学校でいじめられていたことを聞いたことがありません。母親は、彼女が賞を受賞し、才能のある学生のための全国大会に参加するために派遣されたことを証明することができます. 母親は、娘が結婚まで純潔を保つという理想について教えられたことを認めているが、統一教会の外で結婚することを決めた後、両親が彼女と別れたことは真実ではないと主張している. 写真には、彼女の結婚式で両親が笑顔で祝っている様子が写っている。彼女の家族は統一教会に法外な寄付をすることはできなかったと母親は言います。統一教会はいつも貧しいからです。両親と成人した子供との間の金銭問題は常に不快なものですが、母親は、娘が高校でアルバイトでいくらかのお金を稼いだときに、一度だけ小川から経済的援助を受けたと述べ、記録しています。母親は 160,000 円 (1,085 米ドル、現在小川が言及している数百万ドルではありません) を借りましたが、これは統一教会への寄付には使用されませんでしたが、兄弟の学費を支払うのに役立ちました。小川の主張に反して、彼女の父親と兄弟は後にその金額を払い戻し、彼女は受け取った、または尋ねることなく受け取った.最も重要なことは、安倍首相の暗殺と、7月12日の霊感商法に反対する弁護士の全国ネットワークの記者会見の前に、小川が統一教会を批判したことはなく、両親に愛情と愛の言葉を持っていたことを母親が証明したことです.2017 年 9 月には、彼女の説明によると、彼女が FFWPU を去った後、小川は FFWPU のイベントで歌い、教会に対する彼女の態度が敵対的ではないことを証明しました。小川が統一教会の活動家の元信者であると自己紹介し、虐待と被害の疑いに対する補償として両親に金銭を要求し始めたのは、2022 年 7 月以降のことでした。彼女の話は変わり続けました。彼女は、統一教会のグループリーダーからセクシャルハラスメントを受けたことがあり、その事件を母親に報告したと付け加えた.母親はそのような話を聞いたことがないと主張している. 彼女は、彼女の両親は明らかに、いわゆる「精神的な販売」またはFFWPUが非難されている高額の寄付の犠牲者であり、統一教会のメンバーが一時的に高値で販売するために使用したアーティファクトのいくつかを自宅で見たと主張した.彼らが多額の寄付をしたときに受け取っていた価格やその他の信者。しかし、母親は、彼女の家族が高価な買い物をするためのお金を持っていなかったことと、彼らは、亡くなった共宗教者から、お金を払うことなく、いくつかのアーティファクトを継承した。この両方を小川が知っていると主張している.小川はまた、一夜にして統一教会の問題の専門家になり、彼女が生まれるかなり前に彼が行った説教で、統一教会への寄付を増やすために日本の信者にお金を借りたり、身体を売ったりするよう勧めた文師を引用した. 文師はそのようなことを決して言わなかった。彼女が言及した韓国で行われた説教の中で、彼は韓国人の男性信者(日本人ではない)に、一般的な韓国語の表現を使って、明らかに何の関係もない教会の仕事に「身も心も」捧げるように促した。売春で。小川は 1988 年の説教に言及していたが、彼女は 1995 年に生まれた。動き。彼女は、父親が自分の説教でこれらの言葉を引用したと主張して、この反論に答えようとしました. 彼女の父親はそれをきっぱりと否定し、小川が寄付の問題がまったく議論されなかった子供と学生のための礼拝に出席したことも観察している.私は、小川が精神的健康問題の彼女の話で、彼女がメディアに広めた虚偽について部分的にしか責任を負っていないと信じています. 彼女の状態を利用し、彼女を統一教会/FFWPUに対するキャンペーンの武器として使用する人々は、より責任があります.物語が間違って語られているのは小川だけではない。安倍の暗殺者である山上自身の問題は、すべて彼の母親の統一教会への寄付に起因している. 彼女の親戚が抗議したとき、統一教会のメンバーは彼女の寄付の50%を彼女に返還し、山上哲也を含む親戚は、彼らがそれ以上の請求をしないというリリースに署名したことは決して言及されていません. また、山上の問題は、母親が統一教会に入る前に起こった父の自殺に由来し、それとは関係がないことにも言及されていません.配偶者が統一教会の会員であり、統一教会に寄付したために結婚生活が崩壊したと主張する他のいわゆる「被害者」の話は、しばしば家庭内暴力を含むさまざまな話をする同じ配偶者によっても矛盾しています。このシリーズの次の記事で説明するように、これらのフェイク ニュースはすべて、FFWPU の法的解散を目的としたキャンペーンを促進するために使用されます。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2022.11.08
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<日経新聞>に掲載された『誤解が多い「政教分離」 上野景文氏: 日本経済新聞 (nikkei.com)』(有料記事)を”アジアカトリックニュース”が英語訳し、さらに韓国ニュースとして紹介されたものを私の別ブログで拾ったのが「【韓国・カトリックニュースから】「政教分離」の概念の誤解」でした。上野 景文(うえの かげふみ、1948年2月18日生)は、日本の外交官。グアテマラ駐箚駐箚特命全権大使、バチカン駐箚特命全権大使を歴任した。退官後は杏林大学客員教授。「文明論考家」を称する。以下、ブログ記事からの転載:ーーーーー(記事の出典=UCANEWS)(上野景文)7月に安倍晋三元首相が暗殺され、安倍首相と世界平和統一家庭会(旧統一教会)との密接な関係に加害者が憤慨していたことが明らかになって以来、日本社会はいわゆる家庭連合(統一教会)に大きな関心を寄せてきました。このように、多くの日本の政治家、特に与党自民党の政治家が家庭連合と接触していたことが知られるようになりました。その結果、日本のメディアは「政治家と宗教団体の関係」や「国家と宗教の関係」などを論じた活発な記事を多く掲載しましたが、少し誤解され混乱していると感じました。まず、一部の評論家が「政教分離」を「政治家と宗教の分離」と誤解しているように感じました。明確にするために、「政教分離」の概念は「政教分離」から来ており、権力の組織化を目的としています。つまり、中央政府であれ地方政府であれ、政党や政治家一般ではなく、宗教団体や宗教団体に干渉すべきではないということです。こうした誤解のせいか、宗教家は政党の政策形成に影響を与えてはならない、宗教者や宗教団体は政党活動、特に選挙運動を支援してはならないという趣旨の意見を聞いたことがあります。繰り返しますが、政教分離の原則は、政治家と宗教家の間の交流や影響力を防ぐことを目的としていません。逆に、多くの西側諸国(政教分離の原則が守られている)では、政党と宗教団体は何の支障もなく密接に接触しています。たとえば、政治家と宗教家は、中絶やLGBTの権利などの問題について緊密に協力することがよくあります。また、2020年の米国大統領選挙では、多くの保守的なカトリック聖職者がトランプを支持し、リベラル派がバイデンを支持したこともわかっています。第二に、一部のコメンテーターが政教分離の原則を普遍的な原則として誤解していることにも気づきました。真実は、多くのイスラム諸国と同様に、他の国々と同様に、緊密な国家と宗教の関係、または「分離されていない」状態を維持しているため、日本や西ヨーロッパなどの少数の「別々の」国です。ヨーロッパでさえ、ロシアのような東方正教会諸国は通常「非分離」です。これに基づいて、ロシア正教会の長であるキリル総主教がプーチンのウクライナ侵攻を支持したことは驚くべきことではありません。第三に、著名な学者がテレビ番組に出演し、信仰の自由は原則として内なる人間にのみ適用されることを一度ではなく繰り返し強調しているのを見てきました。皮肉なことに、中国はその好例であり、中国は信仰を個人の心に限定し続けることを熱望しています。一方、自由世界のほとんどはそのような立場をとっていません。結局のところ、宗教活動は政治家や他の部外者との接触の後にのみ有効になります。この点で、そして何よりも、西洋では一般的に政治家と宗教家の間の相互作用は何の支障もなく行われることを知らなければなりません。(上野景文は日本の聖座大使を務めた;この記事はもともと<日経>に掲載され、その後、デジタル版に掲載されました 自分の言葉で見る日本の (JITOWこの記事で表明された見解は著者の意見であり、必ずしも<アジアカトリックニュース>の編集スタッフの公式意見と同じではありません)。原著記事:https://www.ucanews.com/news/misinterpretations-of-state-religion-separation/99206<カトリックニュースは今ここ http://www.catholicnews.co.kr>ーーーーー「政教分離」といっても中央政府や地方政府に限られたもので、政党や政治家次元まで掘り下げたメディアやそれに便乗した岸田総理の判断に誤りがあったといえると思います。一度抜いた剣でしたが「元の鞘に収まる」ことで事なきを得たでしょうが、その剣で旧統一教会を滅多切りにすればするほど、自民党内はもとより他宗教にも影響を拡大している有様です。その岸田総理ですが、多数党の自民党総裁という立場で「独裁政権」「独裁者一直線」ではないしょうか? 自民党員は全員「左に倣え」で「家庭連合(旧統一教会)や友好団体とは縁を切れ」、「従わなければ党を去れ」の横暴ぶりです。過去には党の方針についていけないからといって離党した議員もありましたが、現在の議員らは私の目から見れば「腰抜け」ばかりです。旧統一教会の友好団体からは、比例区のとある議員を応援するようにとのことで略歴を見れば誰もがやりたくないような「北朝鮮の拉致問題」に対して北朝鮮に直接行かれてその道を開いてきたといった行動力から、自分の信念を貫かれる方だと1票を投じましたが、それを裏切られた格好です。地方区の国会議員もまた、反共の立場から信徒が1票を投じていましたが、今は左傾メディア(偏向報道)や左傾弁護士の言うがままです。一方、中央のそれに反して意見を述べる地方議員が勝って見えます。【宗教と政治】共産主導の徹底調査意見書 相次ぎ否決 https://t.co/LEPRpVmgVC @The Sekai Nippo DIGITALより— tomy4509 (@tomy4509) November 2, 2022さて今回、私からの指摘は岸田総理の「政教分離」の誤認にとどまらず、「三権分立」の原則にもその壁を崩しておられるのではないですか? というものです。家庭連合(旧統一教会)の教義書『原理講論』ですが、宗教臭いものばかりとは一概には言えないことを紹介したいと思います。余談ですが、この『原理講論』はわざわざ書籍を買わなくても家庭連合HPにてweb紹介をしていますので、関心のある方は閲覧出来ます(https://ffwpu.family/library/divineprinciple)。核心部分から順に赤色、青色、黄色の三色のマーカーにて色分けしています。少なくとも赤色だけでも読んでいただければ概ねの理解が出来るようになっています。統一原理講座 第1講「序論 新しい真理の必要性とその使命」勅使河原秀行講師による統一原理講座です。初めて学ぶ人向けにわかりやすく統一原理を解説しています。話を元に戻します。『原理講論』にも「三権分立」について書かれた一文があります。【後編】第5章 メシヤ再降臨準備時代の第三節です。(以下に引用)。(二) 三権分立の原理的意義三権分立思想は、絶対主義の政治体制によって、国家の権力が特定の個人や機関に集中するのを分散させるために、啓蒙思想派の重鎮であったモンテスキュー(Montesquieu 1689〜1755)によって提唱されたが、これはフランス革命のとき「人権宣言」の宣布によって実現された。しかし元来、この三権分立は、天の側で成し遂げようとした理想社会の構造であって、復帰摂理の全路程がそうであるように、これもまたサタン側で、先に非原理的な原理型として成し遂げたのである。それでは、我々はここで、理想社会の構造がどのようなものであるかを調べてみることにしよう。創造原理で明らかにしたように、被造世界は完成した人間一人の構造を基本として創造された。そればかりでなく、完成した人間によって実現される理想社会も、やはり完成した人間一人の構造と機能に似ているようになっているのである。人体のすべての器官が頭脳の命令によって起動するように、理想社会のすべての機関も神からの命令によってのみ営為されなければならない。また、頭脳からくるすべての命令が、脊髄を中心として末梢神経を通じて四肢五体に伝達されるように、神からの命令は、脊髄に該当するキリストと、キリストを中心とする末梢神経に該当する聖徒たちを通じて、社会全体に漏れなく及ばなければならない。そして人体における、脊髄を中心とする末梢神経は、一つの国家の政党に該当するので、理想社会における、政党に該当する役割は、キリストを中心とする聖徒たちが果たすようになっているのである。肺臓と心臓と胃腸が、末梢神経を通じて伝達される頭脳の命令に従って、お互いに衝突することなく円満な授受の作用を維持しているように、この三臓器に該当する理想社会の立法、司法、行政の三機関も、政党に該当するキリストを中心とする信徒たちを通じて伝達される神の命令によって、お互いに原理的な授受の関係を結ばなければならない。人間の四肢が頭脳の命令に従い、人間の生活目的のために活動しているように、四肢に該当する経済機構は、神の命令に従い、理想社会の目的を達成するために実践する方向へと動かなければならない。また、人体において、肝臓が全身のために栄養を貯蔵するように、理想社会においても、常に全体的目的達成のために必要な貯蓄をしなければならないのである。しかしまた、人間の四肢五体が、頭脳と縦的な関係をもち、肢体の間で自動的に横的な関係を結びながら、不可分の有機体をつくっているように、理想社会においても、あらゆる社会の人々が神と縦的な関係を結ぶことによって横的な関係をも結ぶようになるので、喜怒哀楽を共にする一つの有機体をつくるようになるのである。それゆえに、この社会においては、他人を害することが、すなわち自分を害する結果をもたらすことになるので、罪を犯すことができないのである。我々はまた、復帰摂理がこの社会構造をどのようなかたちで復帰してきたかということを調べてみよう。西欧における歴史発展の過程を見れば、立法、司法、行政の三権と政党の機能を国王一人が全部担当してきた時代があった。しかし、これが変遷して国王が三権を掌握し、法王を中心とする教会が政党のような使命を担当する時代に変わったのである。この時代の政治制度は、再びフランス革命により、立法、司法、行政の三権に分立され、政党が明白な政治的使命をもつようになり、民主主義立憲政治体制を樹立して、理想社会の制度の形態だけは備えるようになったのである。このように、長い歴史の期間を通じて政治体制が変遷してきたのは、堕落した人間社会が、復帰摂理によって、完成した人間一人の構造と機能に似た理想社会へと復帰されていくからである。このようにして今日の民主主義政体は、三権に分立され、また政党が組織されることによって、ついに人間一人の構造に相似するようになったが、それはあくまでも、復帰されていない堕落人間と同じように、創造本然の機能がまだ発揮されずにいるのである。すなわち、政党は神のみ旨を知っていないのであるから、それは頭脳の命令を伝達することができなくなった脊髄と、それを中心とする末梢神経と同様のものであるといえるのである。すなわち、憲法が神のみ言から成り立っていないので、立法、司法、行政の三機関は、あたかも神経系統が切れて、頭脳からくる命令に感応できなくなった三臓器のように、それらは相互間の調和と秩序を失って、常に対立し、衝突するほかはないのである。ゆえに、再臨理想の目的は、イエスが降臨することにより、堕落人間一人の構造に似ている現在の政治体制に完全な中枢神経を結んでやることによって、神のみ旨を中心とした本然の機能を完全に発揮させようとするところにあるのである。このように、「三権分立思想は、絶対主義の政治体制によって、国家の権力が特定の個人や機関に集中するのを分散させるために、啓蒙思想派の重鎮であったモンテスキュー(Montesquieu 1689〜1755)によって提唱された」ものでしたが、こんにちの岸田総理の家庭連合へのそれは「独裁政権」そのものに足を踏み入れているといっても過言ではありません。家庭連合への異例とも言うべき「質問権」の発動もさることながら、刑事にとどまらず民事にまで枠を広げられたことは、一旦は現行法で判決を下した司法にまでそれに不服を唱えるものであり、立法(国会)でまだ審議中の案件までをそこに押し込もうとしています。文総裁は「三権分立」もそうですが、それに「言論」とかも入れて「4権分立」とも語られていた記憶があります。これを読まれた皆様は、果たしてどのように考えられますか?一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2022.11.06
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私の別ブログ「気まぐれさんコメント欄から--「高額献金要求の元祖? イエス様」、「初代教会時代」は?! | peaceのブログ (ameblo.jp)」(2022-08-20)でも献金について書いていましたが、こんにちメディア他が騒いでいる「高額献金」が果たして問題視される理由はどこにあるというのでしょうか?キリスト教の聖書を見ても(以下に引用)、家庭連合の献金問題について書かれるのであれば、まずは聖書のイエス様の献金に対して別の聖句もご存じでしょう。マタイ伝19章16節~です。ここで引用は省きますが、青年に「持っている財産すべてを売り払い(破産宣告をして)貧しいものに与えて、私に従ってきなさい」、でした。この聖句に関しては「「富んでいる者が天国にはいるのは、むずかしいものである。」(マタイ19-23) | 奇 知 外 記 - 楽天ブログ (rakuten.co.jp)」(2022.07.21)で既に挙げていましたし、文総裁夫妻も「富の平準化と技術の平準化を通して、 世界のすべての国が豊かに暮らすことのできる環境創造に尽力された」ことを紹介していました。イエス様十字架後のキリスト教の初代教会時代を見ても、すべての財産を売り払っては使徒に付き従う信者も増えていました。使徒行伝/ 04章 32節~37節信じた者の群れは、心を一つにし思いを一つにして、だれひとりその持ち物を自分のものだと主張する者がなく、いっさいの物を共有にしていた。使徒たちは主イエスの復活について、非常に力強くあかしをした。そして大きなめぐみが、彼ら一同に注がれた。彼らの中に乏しい者は、ひとりもいなかった。地所や家屋を持っている人たちは、それを売り、売った物の代金をもってきて、使徒たちの足もとに置いた。そしてそれぞれの必要に応じて、だれにでも分け与えられた。クプロ生れのレビ人で、使徒たちにバルナバ(「慰めの子」との意)と呼ばれていたヨセフは、自分の所有する畑を売り、その代金をもってきて、使徒たちの足もとに置いた。岸田総理ほか政治家は宗教の専門家ではありませんから、このような聖書の話(歴史)などにも全くの無知といっていいでしょう。ところが、このような観点から見たとき、こんにちのキリスト教発展の歴史(宗教自体)にも岸田総理は何らかの問題を提起しておられるということです(「政教分離」の原則は?)。家庭連合(旧統一教会)もこの初代教会のような歴史を経てきていました。財産だけでなく身も心も捧げて教会活動をする、いわゆる「献身(出家)」でした。ところが、ある時を期して「環故郷」して「氏族的メシヤ」(在家信仰)活動をするようにとの方向転換がなされました。これまでの献身生活を終えて故郷に帰りなさい、というものでした。また、仏教用語から「出家」「在家」を取り出しました。宗派によっても幅があるようですが、一般的に「仏教では本来、出家者は在家者を教え導き、在家者は出家者を経済的に資助(布施)する者」というように区分されているようです。「出家」ともなれば、自身の財産はもちろんのこと、心身までも捧げて尽くすということですから「高額献金」どころの話ではないはずです。「高額献金」がダメというのであれば、「出家者」はなおさらということになります。ありもしない「霊感商法」とかを振りかざしながら、家庭連合の宗教の礼節としての「献金」を「政治的」にとやかく言われるのであれば、出家者に対してはより厳格な態度で臨まれて然るべきが、こんにち岸田内閣がされて行かれるべきでしょう?政治家らの宗教無知ここにあり、です。初代教会もそうであり、文総裁夫妻の「富の平準化、技術の平準化」といっても宗教理念によるものです。多く持っているものは貧しいものに分け与え、また、平和世界を構築してきました。途上国へ行っては学校を建てたり、ワシントンタイムズを創刊しては、レーガン、ブッシュ政権を後押しするなどして冷戦終結に導いたのは、陰の立役者・文総裁夫妻でした。冷戦終結によるこんにちの日本の平和も文総裁夫妻の働きがあったことを知る日本人は少ないです。1971年12月、文総裁夫妻は米国へ渡りました。何故❓こんにちの自民党政権は何かを忘れてしまっていませんか?国も税金を集めては福祉の充実や安保へも尽力されているようですが、まだ十分とは言えません。宗教も政治も同じで、「税金泥棒」と言われないようにしたいですね。岸田内閣の支持率低下も、あるいは、ここ(左翼勢力の台頭)にあるのかもしれません。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2022.10.03
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「日本のフレーザー委員長、河野消費者担当大臣?! | 」の続きです。「消費者庁」の「霊感商法対策検討会」そのものがメディアの一方的な偏向報道に屈した状態であり、そこに登場する「紀藤弁護士」がその会の一人として河野消費者担当大臣から直接のご指名の起用がありました。家庭連合ホームページからは「光言社が新たにYouTubeチャンネル「旧統一教会報道に対する我々の視点」を開設|」(9月2日付)したということで、その第1弾「現代の宗教迫害① - YouTube」をすでにご覧になられた方もいると思います。以下はその中の一場面です。紀藤弁護士はこの「全国弁連」を代表するその一人であり、家庭連合とは裁判等の利害関係にあります。検討会の他メンバーについてはよくは存じませんが、それに類する方々と察します。国民の税金を使ってのそれですから、当然、河野消費者担当大臣はそれなりの証拠があって家庭連合を加害者として糾弾しようとしておられるのでしょうが、私個人の意見としてこれまでも申し上げてきたように、メディアで報じている元信者らの「買わされた」、それが事実なのかどうかです。書物(物質)としてみればその価値は数万円でしょうが、「非売品」です。純粋な「献金」によるものからであってそれを担当する所轄が違っていないですか。ところが、「消費者庁」が乗り出してきたともなれば「売買関係」を立証する契約書や領収書といった証拠物を河野消費者大臣は見られたということでしょう。また、メディアでも元信者らの証言だけでなく、然るべきものをどなたか見られましたか?映像一部(下部)からも最近の裁判で「全国弁連が敗訴」したとありました。詳細までは分かりませんが、たぶん、過去の「霊感商法」のような売買関係を立証する証拠物の提示の有無だと思います。このように、メディアのごく一部の元信者らの証言(物的証拠なし)のみで「家庭連合=加害者」と決めつける「日本のフレーザー委員会(検討会)」は、旧統一教会を「金儲け」の食い物にしてきた全国弁連(紀藤弁護士ら)にさらなる利便性を与えようとしていないですか。そのことのために日本国民の血税が使われるということです。「政教分離」を謳いながらも、家庭連合に特別な利益を与えてきたと言っては目の敵としている日本政府です。その反面で、逆の立場の全国弁連にそれを与えているといった反論は当然起こってきます。岸田総理、それにどのように対応されるのでしょうか。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2022.09.03
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いよいよ「旧統一教会問題など受け 霊感商法対策の検討会始まる 消費者庁 | NHK | 旧統一教会」と、政府が「宗教弾圧」に乗り出してきました。1980年代の米国では、統一教会を潰そうとして「コリアゲート事件」を調査するために「フレーザー委員会」なるものが多くの国税を投入した挙句にKCIAと統一教会との関係を確認することが出来ずに解散し、のちの選挙ではフレーザー委員長は失脚しました。今回の「検討会(消費者庁)」ですがこれって、まさに、日本における「フレーザー委員会」そのものともいえるものです。もちろん、日本のフレーザー委員長が河野消費者担当大臣ということになりますか。さて、「霊感商法」や「消費者庁」ということですが、過去の事例を見れば旧統一教会の信徒が経営する会社が物品の売買をしていたことが問題視されていました。当然、売買ということですからそこには金銭の受け渡しを証明する契約書や領収書とかもあったようです。ところが、ここ最近のメディアが騒いでいるところの「霊感商法」って何? でしょう。過去のような金銭の受け渡しを証明する契約書や領収書、どなたか見られたでしょうか? そういった類のものがあって「商法」とか「消費者(被害対策)」というものが討議されるべきものでしょう。ところが、「メディアの選挙支援報道、信仰者は「一票の選挙権」も許されないのか? | 」(2022.07.26)冒頭でも書きましたが、元信者らがメディア映像で騒いていた「天一国経典」は「非売品」となっていました。信仰者にとっては「み言」は生命の糧とも言うべきものです。ところが、この「非売品」を買わされたとか騒いでいるのは、その信仰を失われたか、あるいは、メディアの扇動によって「惑わされた」方々たちではないでしょうか。もちろん、「非売品」ですから金銭の受け渡しを証明する契約書や領収書などはありません。み言としての価値ではなく、世間一般の「書物」としか見ることが出来なくなったというのであれば、裁判ともなれば証拠がないのですから、「書物」とてしか見ることが出来なくなった原告側の価値相応に見合った額面(2,3万円?)の判決が妥当ということにならないですか。まずもって討議される所轄が「消費者庁」ではなく、別にあるのではないかというのが私の過去からの主張です。仮にも宗教法人が「非売品」を売買していたとメディアが騒いでいるのですから、当然、「宗教法人」としての資格が問われてきて当たり前ですが、政府は何を見当違いなことをしているのでしょうか。「霊感商法」さようなら! 「消費者庁」「河野大臣」さようなら!「紀藤弁護士」さようなら!です。にもかかわらず「霊感商法」にこだわる理由として考えられることは、やはり、「金もうけ主義」「視聴率UP」といった私利私欲に凝り固まった方々が主導・操作しているからでしょう。(再アップ)【旧統一教会】正義のジャーナリストと弁護士が彼らと戦う感動の理由! - YouTube安倍元首相の国葬にも、税金の無駄遣いだといった反対意見が拡散しています。消費者庁では結論が出てこない日本のフレーザー委員会もまた、「税金の無駄遣い」だという声が聞こえてきそうです。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2022.09.01
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[家庭連合]現役教会長が語る旧統一教会の裏側?ヤバイかも?一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2022.08.26
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現在日本のメディア報道は家庭連合(旧統一教会)潰しに躍起になっています。さらには、政治まで加担しては1980年代米国でのフレーザー委員会同様の宗教弾圧委員会を立ち上げたり、文総裁のダンベリー刑務所収監、誰かを刑務所に押し込まなけらばといった風潮です。米国における文師裁判とダンベリー収監--過去記事整理 | こういった中、反カルト立場ではまだあるかもしれませんが、家庭連合とメディア顔出しコメンテーターとは一線を引いておられる自称ルポライター・米本和広氏ブログ「山上徹也を救え (fc2.com)」に感謝の意を表します。かつては旧統一教会信徒らの拉致監禁・強制改宗、「是々非々の立場」で特には拉致監禁被害者らのPTSDを取り上げておられました。今回の異常なまでのメディア報道もまた、まさに、日本全体が「いまなお続く(旧)統一教会信者日本収容所列島」とも言うべき拉致監禁・強制改宗を目的とした宗教弾圧であることは言うまでもありません。中には信仰を失ったり、また、今後はPTSD被害の報告がないとも限りません。米本ブログ「山上徹也を救え (fc2.com)」に今後も期待しています。 2022.08.19by 自称ルポライターtomy4509 [書籍のメール便同梱は2冊まで]/日本収容所列島 いまなお続く統一教会信者[本/雑誌] (単行本・ムック) / 梶栗 玄太郎 編一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2022.08.19
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[家庭連合]教会内部向け、切り取り禁止の内容です。タイトルにもありますが「切り取り禁止の内容です。」のでご注意ください。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2022.08.07
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「私は、誇らしい「家庭連合」信徒です!!--[霊]石が叫ぶ奇跡(ルカ19-40) | 」でルカ伝を挙げていました。ルカによる福音書/ 19章 38節~ 「主の御名によってきたる王に、 祝福あれ。 天には平和 いと高きところには栄光あれ」。 ところが、群衆の中にいたあるパリサイ人たちがイエスに言った、「先生、あなたの弟子たちをおしかり下さい」。答えて言われた、「あなたがたに言うが、もしこの人たちが黙れば、石が叫ぶであろう」。以下の映像は子供のLINEからです。映像で語っている人は家庭連合信徒ではありませんが、「守護霊」によって語っているものです。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2022.08.02
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[書籍のメール便同梱は2冊まで]/日本収容所列島 いまなお続く統一教会信者[本/雑誌] (単行本・ムック) / 梶栗 玄太郎 編「メディアの選挙支援報道、信仰者は「一票の選挙権」も許されないのか? | 奇 知 外 記 - 楽天ブログ (rakuten.co.jp)」(2022.07.26)でも書きましたが、こんにち、世界平和統一家庭連合(略称:家庭連合)の何をもって「霊感商法」などと騒いでいるのでしょうか?メディアでは、あらかじめ○○弁護士連合会が準備した元信者が出てきては過去のそれらと併せて2013年以降の「天一国経典・天聖教」ほかを「数百万円で買わされた」とかですが、事実を語っているとは思えません。バックに過去のそれらしきものを並べ立てての映像ですが、であれば、その過去の統一教会からすでに縁切りされた方(すでに交渉、返却済のはずのもの)です。そのような方が再び2013年以降に出版された「天聖教」も購入したは、極めて可笑しな話で、「やらせ映像」としか見ることが出来ません。「やらせ番組」と言えば、降板させられたり、番組が打ち切られたりといった事例もあります。これを放映されたメディア関係者には再度のチェックをお願いしたいものです。さて、 書籍末にはハッキリと「非売品」と印刷されていました。万が一にこれを販売していたともなれば、家庭連合は法人として別のところからの追求も受けることになるでしょう。どなたかそのような話を耳にされたでしょうか?仮にも、こんにち騒いでいる「霊感商法」がこれであるとするならば、家庭連合サイドは毅然とした態度でこれを突っぱねるでしょう。万が一に弁護士連合会の口車に乗せられて裁判となったとしても、「購入履歴」(契約書とか領収書の証拠物)を提示しない限りにおいてはその結果もおのずと判断できるものと思います。とにかく「法人の名称変更について|世界平和統一家庭連合 (ffwpu.jp)」(2022.07.28)で「統一教会」から「家庭連合」へ名称変更した経緯の確認が「プレスリリース」として公開されています。昨今、一部のメディア報道では、当法人が「世界基督教統一神霊協会」から「世界平和統一家庭連合」に名称変更したのは、統一教会のイメージが悪くなっており、そのような世間の批判をかわすために、いわば〝正体隠し〟のような手段として、名称を変えたかのように報じています。に釘を刺していました。私からも「私は、誇らしい「家庭連合」信徒です!!--[霊]石が叫ぶ奇跡(ルカ19-40) | 奇 知 外 記 - 楽天ブログ (rakuten.co.jp)」にてそのことを書いていましたし、加えては、統一教会から「家庭連合」への名称変更によって大きく変化した一つの例を挙げることができます。それはこれまで異端、カルトを理由として統一教会信徒に対して拉致監禁、強制改宗といった「人権侵害」「信教の自由のはく奪」が数十年にわたって行われてきました。ところが、名称が「家庭連合」に変わってからはその拉致被害が「ゼロ」となりました。メディアがなおも「旧・統一教会」の名称を好んで使おうとする魂胆は目に見えて明らかです。過去の異端、カルトのイメージをそのままに宣伝して悪イメージを植え付けることです。統一教会の「異端」については統一教会創設当初からこれまでのキリスト教が批判理由としてあげてきたもので、その根っこを掘り下げていけば「嫉妬心」からであったことは言うまでもないことです。新参者の「統一教会」に信徒が次々と流れていくのを見て、それを食い止めるために張ったレッテルでした。カルトにしても本来の意味は「新宗教」くらいの軽いものでしたが、日本で紹介された「カルト」は反社会的集団といった意味合いを込めて人々に不安をあおる言葉となっていました。「カルト - Wikipedia」は時とともに変化していますが、ネット拉致被害者である私が過去に調べた限りでは、https://plaza.rakuten.co.jp/peace3world/diary/201606050001/米本ブログは統一教会を「カルト」といい、批判を繰り返している。以下、「カルト」とは(ウィキペディアからの引用)統一教会信者の奪回・脱会を目的とした弁護士らからなる反カルト集団により、総称的蔑称として、ないしはレッテル貼りを意図して日本に紹介された概念であり……と、特には、日本における統一教会員の拉致監禁を正当化するための「総称的蔑視として、ないしはレッテル貼りを意図して日本に紹介された概念」であった。と、これもまた「異端」同様に悪いイメージのレッテル張りを意図した(何ら学術的根拠もない)通俗用語でしかありませんでした。自称ルポライターtomy4509個人としては、こんにちの問題は「家庭連合」がこれまで「統一教会」名で批判されてきた ”異端・カルト” からの脱却するための大きな試練ではないかとみています。一例として、「これまで異端、カルトを理由として統一教会信徒に対して拉致監禁、強制改宗といった「人権侵害」「信教の自由のはく奪」が数十年にわたって行われてきました。ところが、名称が「家庭連合」に変わってからはその拉致被害が「ゼロ」」となった変化を挙げていました。統一教会は「個人の信仰」をベースとしていたのに対して、家庭連合は読んで字のごとく「家庭」をベースとした「二世代、三世代」といった違いがその結果として表れてきたものと考えられます。ところで、カルトと言えば海外一般には「新宗教」くらいの解釈(ウィキペディア)でしたが、日本ではそうでなかったこともあります。以下は、私の過去記事資料からですが、"神の教育と世界の道を" の著者であるSam Fleischacker--シカゴ-イリノイ大学の哲学教授、のご好意によって米国・家庭連合HPで過去に転載されたものでした(現在そのリンクは切れています)。◆「カルトと宗教、違いは何ですか? | 韓流サッカーをエンジョイ(過去記事資料) (ameblo.jp)」(2011-10-22)Cult vs. religion: what's the difference?http://www.familyfed.org/images/cult_vs_religion_what_difference_01.jpgCrucial distinction is whether a faith stands the test of time, as Mormonism clearly has|By Sam FleischackerA pastor supporting Rick Perry calls Mormonism a "cult." Is that untrue?Well, what's the difference between a "cult" and a "religion"? Not easy to say. Many people think they know the difference when they see it. Scientology and the Rev. Sun Myung Moon's Unification Church are cults — aren't they? And Judaism and Christianity are surely religions.But in fact, early Christianity was considered just a cult by both Jews and Romans; Islam was long considered just a cult by medieval Christians; and, of course, many Protestant groups, from the Baptists to the Quakers, were considered cults by other Christians.Moreover, if your definition of "cult" is a group with a charismatic and very odd leader who thinks he or she has direct access to the divine and spreads a theology that seems both heretical and confused to the established religions around it, then Christianity and Islam and Buddhism were certainly cults when they began — and no doubt the Jews were as well.Here, I suggest, is the real difference between a cult and a religion: about 100 years. Once a cult is able to establish itself for several generations, we call it a "religion." Before that, we dismiss it as a dangerous threat to real religion.(こんにちも)特定宗教を指して「カルト」と言う人がいる。では、「カルトと宗教の違いは?」 と聞かれたときに、そのラインが如何にも曖昧だ。カルト - Wikipediaの「3.4 日本」からは、 今では、「カルト」という単語は学術用語としてではなく、通俗用語として用いられる。 と書かれており、なんら学術的根拠のない日常会話に使われる俗語ということだ。また、上記の文中からも、初代キリスト教はユダヤ教やローマ人からカルトと考えられていたし、イスラム教や仏教もそうであったとしている。 そして、Sam Fleischacker氏は一つの提案をしている。 それが約100年の期間ということだ。時の試練に生き残ったものが「宗教」であると。 統一教会を考えれば、まだまだですか?統一教会創設(1954年)から68年が経過しています。100年期間には今一歩ですが、この峠を越えれば100年期間を超えたも同じです。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2022.07.30
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「私は、誇らしい「家庭連合」信徒です!!」、その私たちがこんにちメディア報道のイジメによって「人権」と「信教の自由」を甚だしく脅かされています。元信者とかの方が映像に出てきては、巨額の献金で「経典」を買わされているかのような証言も耳にしました。ところが、教会からのそれらは「非売品」となっています。一定の献金額(月々の献金の累計等)に対しての十分な説明を受けた上でのもので、決して「買わされた」とかのものではありません。 別には販売用の「経典」もあることを考えれば(光言社 ポータルサイト - 商品一覧|オンラインショップ (kogensha.jp))普通に「経典」を購入することも可能であり、元信者の語るそれらは明らかな矛盾です。通販でも販売されています(以下クリック)。天一国経典『天聖経』 普及版[本/雑誌] / 真の父母様み言編纂委天一国経典『平和経』 普及版天一国経典 真の父母経 分冊版セット[本/雑誌] / 天一国経典日本語版翻さらには、メディア報道は政治面へもその手が拡大している有様です。ハッキリ言わせていただくならば、「家庭連合」信徒である前に『日本国民』として憲法でそれら人権は保障されていなければなりません。もちろん、「一票の選挙権」も持ち合わせていますし、選挙活動をしてはいけないといった法律もどこにも存在しません。ところが、今日のメディア報道を見れば、家庭連合信徒は(日本国民として)その「一票の選挙権」も「選挙活動」もしてはいけないといわんばかりです。家庭連合に限らず、他宗教団体はどうなのでしょうか?「政教分離」と「政教一致」の狭間であいまいにされて今日まで来ているのが現状でしょう。それをいまさらに事立てて、メディアはどう結論付けているかといえば、信仰者には「一票の選挙権」も許されないと言っているようです。信仰者、宗教団体関係者の方々はこれをどのように受け止められますか?宗教を「心」とするならば、政治は「体」ということでしょうか。人間として「心」だけ、あるいは、「体」だけということを考えることはできません。人間は心と体が一致して平安・幸福等を感じられるようになっていますから。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2022.07.26
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マタイによる福音書/ 19章 16節~ すると、ひとりの人がイエスに近寄ってきて言った、「先生、永遠の生命を得るためには、どんなよいことをしたらいいでしょうか」。イエスは言われた、「なぜよい事についてわたしに尋ねるのか。よいかたはただひとりだけである。もし命に入りたいと思うなら、いましめを守りなさい」。彼は言った、「どのいましめですか」。イエスは言われた、「『殺すな、姦淫するな、盗むな、偽証を立てるな。父と母とを敬え』。また『自分を愛するように、あなたの隣り人を愛せよ』」。この青年はイエスに言った、「それはみな守ってきました。ほかに何が足りないのでしょう」。イエスは彼に言われた、「もしあなたが完全になりたいと思うなら、帰ってあなたの持ち物を売り払い、貧しい人々に施しなさい。そうすれば、天に宝を持つようになろう。そして、わたしに従ってきなさい」。この言葉を聞いて、青年は悲しみながら立ち去った。たくさんの資産を持っていたからである。 それからイエスは弟子たちに言われた、「よく聞きなさい。富んでいる者が天国にはいるのは、むずかしいものである。また、あなたがたに言うが、富んでいる者が神の国にはいるよりは、らくだが針の穴を通る方が、もっとやさしい」。弟子たちはこれを聞いて非常に驚いて言った、「では、だれが救われることができるのだろう」。イエスは彼らを見つめて言われた、「人にはそれはできないが、神にはなんでもできない事はない」。そのとき、ペテロがイエスに答えて言った、「ごらんなさい、わたしたちはいっさいを捨てて、あなたに従いました。ついては、何がいただけるでしょうか」。イエスは彼らに言われた、「よく聞いておくがよい。世が改まって、人の子がその栄光の座につく時には、わたしに従ってきたあなたがたもまた、十二の位に座してイスラエルの十二の部族をさばくであろう。おおよそ、わたしの名のために、家、兄弟、姉妹、父、母、子、もしくは畑を捨てた者は、その幾倍もを受け、また永遠の生命を受けつぐであろう。しかし、多くの先の者はあとになり、あとの者は先になるであろう。天一国経典・真の父母経より富の平準化と神の国宗教の究極的な目的は、すべての人が神様のもとで一つの家族となり、誰もが差別なく 生きていけるようにすることである。真の父母様は、多くの企業を起こし、海洋開発を通して飢餓で苦しむ人々を生かし、富の平準化と技術の平準化を通して、 世界のすべての国が豊かに暮らすことのできる環境創造に尽力された。特に、「裕福な人は、自分が取得した富を貧しい人に分け与え、裕福な国は貧しい国を助 けて、富の平準化を成し遂げなければならない」と強く主張された。このように、真の愛に基づいた共生・共栄・共義主義が実現された世の中をつくり上げるこ とが、すなわち神様のみ意であり、社会正義であると考えられ、一生涯、すべての人が幸せに生きていける神の国をこの地に定着させるため、渾身の力を振り絞 り、努力されたのである。14 人は、自分よりも低く、劣悪な立場にいる人を考えながら生きることができなければなりません。それだけでなく、自分よりも大変な境遇に置かれた人がいれ ば、その人を哀れに思い、自分の境遇に対して感謝しなければなりません。感謝するだけでなく、その人々を助けてあげなければなりません。そのように生きる 人は、自分の国だけでなく、他の国からも歓迎を受けることができます。今日、忠臣や聖人と呼ばれる人々を見れば、裕福な家の息子として、よく食べ、よく暮らしながら聖人や忠臣になった人は多くありません。彼らは、国や社会、家庭が混乱の渦中に追い立てられ、あすを見つめることができない暗澹たる混沌時代に置かれていても、その国に生まれたことを誇りとし、そのような父 母をもったことを誇りとしました。そうして、誰よりも国と父母を愛しながら、自分よりもさらにかわいそうな人を救ってあげようとしたのです。そのような思 いで同志を糾合し、より良い道をつくるようになれば、問題が広がるのです。そのような歴史は、国を愛した立場から出発し、父母を愛した立場から出発し、師 を愛した立場から出発しました。ここから、新しい歴史は横的に国家と国家を越え、世界的に伸びていくのです。このような人々によって、歴史は発展してきま した。裕福な人が、自分が豊かになったことに対して感謝することを知らず、お金をさらに集めることにばかり苦心していれば、その人は結局、滅びるようにな ります。「これくらい稼いだからもういい」と考え、国と民族に深く感謝しながら人を助ける裕福な人は、さらに裕福な人になることができます。裕福な人に なったのに、感謝することも知らず、一人で欲を張っていては、結局、自分が掘った穴に落ちて滅びるようになるというのです。15 聖書に、「富んでいる者が神の国にはいるよりは、らくだが針の穴を通る方が、もっとやさしい」(マタイ一九・二四)とあります。世界を愛し、国を愛し、民族を愛し、家庭を愛さなければならないのですが、裕福な人は、そのようにしないというのです。ですから、天国に行けないのです。その裕福な人のお金を、私がもってきて使おうというのではありません。私は今まで、借金を背負っている状況でも、国が「助けてあげよう」と言ってきたことに対して拒絶しました。国家の財産をつくるためには、個人の財産を天に捧げなければなりません。そうすれば、個人の財産の上に国家の財産がつくの で、その民族は滅びません。その家庭は滅びないというのです。精誠を踏み越えて大きくなっていくのです。そうして、統一的な国になります。天地のために、 自分の国のすべてのものを捧げなければなりません。世界を捧げなければなりません。16 世界が一つになれば、自分たちだけが良い所でよく食べ、よく暮らすようにはなっていません。平準化されなければならないのです。そのためには、裕福な人は 収入の七〇パーセント、そうでない人は三〇パーセントを税金として納め、バランスを取らなければなりません。そうすれば、不平を言う人は誰もいません。キ リスト教は十分の一献金を集めて発展してきましたが、次は十分の三献金をしなければなりません。世界を救うためには、裕福な人が資金を銀行に預けて、アフリカの未開の地に施設を建てられるようにしなければなりません。一度にすべてすることはできないので、抽選制で行うのです。抽選制で行えば、不平を言いません。17 地上の第一代の祖が完成したアダムです。真の父母です。真の父母の血統を受けて、今から入籍する順番になります。総生畜献納物を捧げることにより、神様が 「ありったけの私の愛だ」と言わなければなりません。今までは祭物を裂きましたが、これからは裂きません。総生畜献納物です。自分の収入の十分の三を捧げることにより、教会を越え、国を越えて、世界まで行かなければなりません。そのため、十分の一は教会発展のために、十分の一は国のために、十分の一は世界 のために捧げるのです。世界版図まで解放圏を連結させるためには、避けられないことです。自分のすべての収入の三〇パーセントを、一生の間、天国に入って解放される時まで、捧げなければなりません。この十分の三献金を捧げることにより、 十分の三が天の圏内に完全に連結されるのです。蘇生の上に長成があり、長成の上に完成があるので、完成基準を解決することにより、全体をすべて取り戻して くることができるのです。18 東西の文化の格差と南北の貧富の格差は、今世紀に必ず解決すべき課題です。それを、何によって解決するのでしょうか。お父様が教える「ために生きる主義」 によってです。「自分のために生きよ」という主義は堕落した世界のものであり、「他のために生きよ」という主義は、天の国のものです。ですから、北にいる 裕福な人は、南にいる弟、妹のために生きなければなりません。弟、妹のために自分の財産を売り払い、彼らが豊かに暮らせるようにしてあげなければならない というのです。自分の弟、妹を自分以上に豊かに暮らせるようにしてあげてから、自分の息子、娘にまた投入しなければなりません。そのような場に、永遠の理 想が宿ることができるのです。西洋の人々は、今に至るまで、自分たちが万世の主体国として永遠に続くと思っていますが、天はそれを願っていません。西洋文明は先導的な立場に立ち ましたが、未開の地域を開発するために、西洋文明の最高の基準を投入することには反対しました。ですから、終わりが訪れるのです。自分が損をしても、国に投入しなければならず、世界に投入しなければならず、天に投入しなければなりません。自分の気力が残っていて、投入できるこ とに感謝し、生きる余力をもっていることに感謝しながら、最後まで最低の立場で投入するとき、その人の子孫の中から、万国を治めることのできる富の相続者 が現れるというのです。19 地上で天の国を実現して暮らすことができなかった人は、天上世界の天の国に入っていくことができません。これが原理です。ですから、神様は、個人の家ょり も国の家を探し求めています。神の国をつくることのできる国を持ちたいと思われるのです。今日、社会主義の国家が私有財産を認めずに共有財産を願うのも、 蕩減復帰時代のプログラムによって、人間が知らない間に進めていくことなのです。裕福な人が思いのままに包みをもって歩き回っていては、それを保管するの が難しくなるのです。すべて、共有物に変えていかなければなりません。エデンの園では裸で暮らしたので、最後には、自分のものもない立場に立たなければな りません。自分が持っているものをいち早く清算して、天の宝物として返しておかなければならないのです。20 アベル国連が定着するようになれば、自分の不動産や動産を問わず、すべて同じ銀行に預けます。自分の財産を、指定した銀行に預金しておき、そこから出てく る利子の何パーセントかは、貧しい人に分けてあげるのです。お金がたくさんある人々は、貧しい兄弟たちに分配してあげ、助けてあげられるようにするので す。不正な財産をたくさんもっている人々は、どろぼうをしたのと同じです。それを分けてあげなければ、先祖たちが平準化されません。行く道が四方で塞 がっているので、これを開いておかなければなりません。地上で開いておいてこそ、霊界でも四方で解放されるというのです。ですから、解放、釈放です。地上 では解放されましたが、天上では釈放されていません。天が釈放され、解放が必要ない世界になれば、人間たちがすべて天国に直行できるようになるでしょう。21 皆さんが結婚するとき、父母が分け前を決めるのですが、そのような過程を経ずに物をもっていったとすれば、どろぼうした物になります。それは、十年であれ ば十年、百年であれば百年、利子までつけて、そっくり返還しなければなりません。そのようにして分け前をもらうとき、平準化されるのです。父母様も、神様 の許しのもとで、分け前を分けてあげなければなりません。そのように分けられた分け前をもたなければ、その一族が霊界で引っ掛かるのです。国が引っ掛かる のです。22 これから世界が一つになれば、移動が起きます。自分の祖国がありません。これから祖国ができるのです。砂漠になるか、どこになるか分かりません。豊かに暮 らしていた国の人は、ゴビ砂漠のような所に行かなければならないかもしれません。そのような所を平原地帯にしなければならないのです。自分の本国にある土 地と財産を売って、平準化させなければなりません。一つの場所で生まれ、死ぬようにはなっていません。皆さんの一生で、四ヵ国を経なければならないという のです。二十代と四十代、六十代、八十代に、一ヵ国ずつ通過するのです。四ヵ国を経て、東西南北に移動しながら暮らさなければなりません。そのような制度ができます。そのときには、自分の身内だけという意識はあり得ません。家庭単位で天に侍って、三代圏が組織化できる時代になるのです。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2022.07.21
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ウェブセミナーの案内・UPF &UTS - 「信仰、異宗教と平和の探求:ムニブ・ユナン司教との会話」UPF-INTERNATIONALホームページからのお知らせです。2021年11月22日(月)AM10:00 EST(New York)--日本時間:11月23日AM00:00--からZOOMにて、ムニブ・ユナン司教を交えてのウェブセミナーが開催される予定です。ZOOMに参加希望の方はこちらの下部「REGISTRATION」からZOOM登録してください。ウェビナー登録 - Zoom▲ムニブ・A・ユナンムニブ・A・ユナン司教は、宗教間の対話と和解が人間の平和の基盤であると信じて、生涯を宗教の調和に捧げてきた先駆者です。1950年にエルサレムでパレスチナ難民として生まれたユナン司教は、1976年にルーテル派の司祭に任命されてから40年以上にわたって宗教的調和の道を歩んできました。特に、 2010年から2017年までルーテル世界連盟の議長として、さまざまな信仰を持つ宗教指導者の幅広いネットワークを構築してきました。<主な業績>一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2021.11.22
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