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まさみ2240 @ 日本脳炎 三年前のワクチン積極勧奨中止のきっかけ…
Mar 12, 2009
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カテゴリ: マサの感じたこと
 空襲警報が出たら逃げるもの、と戦争を知らない世代は思っている。

 でも、戦時中の日本は違った。

 民間人も市街地の消火を受け持ち、持ち場を離れることは防空法で

禁じられていたのだ。

 とはいえ、雨あられと落ちる焼夷(しょうい)弾が火を噴けば、消

しようがない。

 六十四年前の三月十日、東京大空襲で約十万人が亡くなった。

 次いで十二日名古屋、十三日大阪、そして十七日は神戸が米軍の

無差別爆撃を受けた。



 長田警察署は山すそに高札を立て「戦列離脱の利敵行為者は厳罰

に処す」と警告した。

 空襲を生き延びた人たちの体験談に警防団がよく登場する。

 「山へ逃げようとして警防団に追い返された」

 「警防団に消火を強いられ、逃げ遅れた姉が死んだ」。

 こわもての“加害者”として語られるのだ。

 だが、兵庫県警察史をひもとくと、印象が変わる。

 殉職者名簿に警防団員の一覧もあり、空襲に起因する犠牲者を数

えると、百二十八人に上る。

 警防団員も“被害者”だった。

 警察官も殉職した。



 亡くなった二日後、逃げ込んだ防空壕(ごう)の暗がりで彼女は

誰かが夫の名を言うのを聞いた。

 「御崎の八幡様(さま)で井上巡査が声をからして世話していた

が、おかげで大分(だいぶ)の人が助かった」と。

 この言葉を支えに、彼女は戦後を生きた。



 市井の人々が“被害者”になり“加害者”にもなった。

 忘れてはいけない、と「神戸空襲を記録する会」の慰霊祭が今年

も十七日、神戸市兵庫区の薬仙寺で開かれる。






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Last updated  Mar 12, 2009 09:18:10 PM
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