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中華料理に紹興酒というのも好きなのだけれど、自分の好みは「温かい紹興酒にザラメ糖」なので冬向けだったりする。 寒い冬に辛い中華料理で、そこに甘温かい紹興酒っていうのが好み。 そこで、夏の中華料理に合わせるのがジン。 普通にジンソーダでも充分に合う。ビールとどちらが良いかという話になると「ビールのアルコールが邪魔なときには薄いジンが良い」となる。 いや、暑いときに冷たいビールは美味しいけれど、そこから一気にまた体が熱くなるじゃん。 ビールは美味しいけれど、あの酩酊感が要らないというか、アルコールが邪魔な時があって、でもノンアルビールじゃ物足りないってときがある。中年を越えてくると、酔うのは好きだけど、酩酊が邪魔っていうかね…そもそも危ない。 で、そんなときに、「ノンアルじゃないけど薄いジンソーダ」が美味しい。 ジンソーダだと身体が熱くなる感じとか酔っぱらう感じが適度にできるーまぁ薄く作るだけですが。 そして、Kovalのラズベリージン。 これが、「中華料理とコーラなジャンクな組み合わせ」に近くて美味しい。高校生のフードコートの安い中華+コーラみたいな組み合わせで、でもそれなりの美味しさのある組み合わせが可能なのが良い。実際に、いまフードコートの中華料理+コーラの組み合わせは無理…。 年齢に合わせたジャンクっぽいけど実はジャンクじゃないのが良いよね。
2024.05.31
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normalとcommonとpopularっていうのは、どのように違うのかねぇ? 普通と平凡っていうのは、響きが違うけれど、その発するひとの意識もまたあると思う。 「普通」という言葉に慈しみがあるときもあれば蔑みがあるときもある。 「平凡」という言葉に郷愁的な優しさを感じるときもあれば嘲りを感じるときもある。 若いときに、「普通じゃなくたっていいじゃないか」という想いや、「普通でなんかいたくない」という想いがあった。 しかし、いま思うのは「普通ってなんだったんだろうか」という想いであり、そして「平凡なひとなど何処にもいない」ということだ。もしくは「愛すべき特別な平凡」で、世界は構築されている。 17歳の彼が言う「平凡な人生」とはなんだろうか? 何を指して、彼は「意味のない平凡な人生」と「特別な人生」とするのだろうか? この世界にはひとつとして平凡な人生などなく、全てが愛し愛される特別な人生だ。
2024.05.30
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「仕事をしていると本が読めない」な本が売れてるらしい。 けれど、書評を読むと「内容は大したことがない」ってことで、読んでない。読んでないけれど、最近、読書量が減っている。 小説(物語)は、「だって創作じゃん」な思考が邪魔しててさ。そりゃあ、マンガも映画もアニメも小説もみ~んな絵空事の作り事なんだから、それを言ったらオシマイなんだよ。でも、やっぱりめんどくさいのが先にたつ。絵空事ならマンガで良いかなぁと。読みやすいよね、マンガは。「小説の良さ」なんかは説かれなくてもわかる。でも、めんどぃのよ。 この「めんどぃ」の理由は、仕事が「達成率100%を目標とする感情労働」だからだろうなぁ。仕事が終わっても、ぐちぐちと今日の業務を振り返って、「もっと寄り良い表現や選択肢はなかったのか」みたいな思考に囚われるから、絵空事を楽しむ余裕がない。 あと、「重い問いかけ」「重い命題」「どう向き合うのか」「どう生きるのか」みたいなことを書評に書かれると「どーでもいいかな」って思ってしまうんだ! 確かに、「世界の見え方が変わる著」っていうのはある。その本を読む前と読んだ後に、世界の在り方は何も変わっていないはずなのに、世界の見え方が変わるってやつよ。地動説を読む前も読んだ後も、世界は何も変わってないし、太陽は東から昇って、西への沈む。進化論を読む前も読んだ後も、目の前の世界の在り様は変わらない。自分の手の中にある1万円は、世界経済や世界の貧困を知ろうと知らなかろうと、同じ価値の1万円で、知識の有無によって金額以上の価値がついたり金額以下になるわけでもない。でも、読む前と読んだ後で、世界と自分の関係が変わってしまう本っていうのはある。 それはそれとして、「どーだっていいや」みたいな感じで読む気が起きなかったりとかさ。あぁ、あとは「誇大広告」「虚偽広告」がウルサイっていうのもあるか。そんなにポンポンと地動説や進化論みたいな本が出てたまるかっていうんだよ。リアルタイムで読んだものでは、「利己的な遺伝子」「銃・病原菌・鉄」くらいしかないぞ。 そこそこに衝撃的な読書体験をしてしまうというのも不幸なのかもしれないなぁ。 それでも、「あのときの書物への陶酔感」を味わいたくて、またなにか読もうとしてしまうのだけれど。
2024.05.29
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5月の連休が明けて、6月が顔を出しました。 この季節から、「最近、学校に行かなくなった」な子が小児科を受診します。 例年では、「朝に倦怠感がー」「朝にお腹が痛くなってー」「朝に頭痛がー」との修飾された主訴で受診して、こちらとしても身体疾患の否定から入りますから、血液検査,内分泌系検査に加えて必要があれば脳外科を受診してもらったりとしなくちゃいけないのです。最近は、「どうせ心身症でしょ」な対応をする決断力のある医師が増えてきたみたいですが、やはり身体疾患の見逃しは怖い。 それに比べると、先日の症例は潔かったー主訴「学校に行きたがらない」。 いいですね、素直で気持ち良い。 「学校には行きたくないから行かないのかな?」ー「そう」 「行きにくい症状があって、それを改善してくれたら行けるのにとかある?」ー「ない」 良い。もう、受診する必要ないじゃん。 病院っていうのは「頭が痛いのをどうにかしてほしい」「咳が出るのをどうにかしてほしい」「熱が高いのをどうにかしてほしい」っていう「改善して欲しい」って主訴があるから受診するわけです。「学校に行きたくないから行かない。特に困ってない」っていうのは受診する必要ないわけですよ。 まぁ、こちらも爺医まで足の親指くらいは突っ込んでるわけなんで、「じゃあ、さようなら」みたいなことはしません。「本人が気が付かなくても病気があるかもしれないから、診察と必要があれば検査しようね」的な流れで起立負荷ECGを施行しつつ、「まあ、異常はないだろうから、『学校に行かないデメリット』をちょろっと説明して終わるか」くらいの心づもりでした。それがまぁ、立ち上がると血圧がスルスルっと下がる。ドキがムネムネ。これはまぁ、朝はしんどいだろうなぁ…でも、本人は困ってないっていうから困ってないんだろう…。 で、所見を説明して、「朝からしんどくて学校に行きにくいとかあるかもしれないし、もしもそうだったらクスリを飲んで動けるかどうか試してもいいとは思うよ。でも、本人が行きたくなくて行かないんだったら意味ないし、無理に飲む必要もないけど、試してみたい?」って訊いたら「試したい」ってさ!なんだよ、自由意志をもって登校しないんじゃなかったのかよ!? でまぁ、起立性調節障害の日常の生活指導なんかをルーチンでやりつつ、次回受診の話をして終わったんです。 で、家で家内を喋ってたら「その子も、変われるキッカケが欲しかったんだよ」と。もしかしたら、クスリを飲んだらラクになって行けるようなるかもしれないとか、学校に行けなかったのは自分が悪かったんじゃなくて気が付かない体調不良のせいだったんだ、だからクスリを飲んだら行けるようになる!みたいなのが欲しかったんだよと。 あぁ、なるほど。話だけ聞いたらそうかもねーでも、そんな可愛げのある態度じゃないっていうか、「うっせーな、ほっといてくれよ。困ってねぇんだよ」感のある児だったんだけどね。 で。 そこから、家内の「起立性調節障害に対する学校教員の無理解への不満(思い出)」が訥々と…。 「いや、立ち上がったらしんどいから。起立とか言われて立ち上がるとちょっとクラっとするのに、それをしっかりしろとか鍛え方が足りないとかさ。いま、そーいう病気のことを知ったら、思い出すと腹立つんだよね。鍛えてどうにかなるとか、気持ちの問題じゃないだろうと。実際に、立っていると気持ち悪くなってしゃがむのは仕方がないってことでしょ。それを、普段の日常生活が悪いみたいに言うわけ。朝食を食べてないからだろとか、ちゃんと睡眠をとってないからだろとか、不摂生だとかだらしないとかさ。やっとうわ!ちゃんとご飯食べて、ちゃんと寝て、なんなら学校で常に5位以内の成績で、部活もきっちりやってたろーが。それでも、気持ち悪いもんは気持ち悪いし、それをこっちの生活態度が悪いみたいな言い方で解決しようとすんな!」 みたいなね。 あぁ、言われてみると起立性調節障害な症状の子供に対して、学校はー 「ちゃんと朝ご飯を食べましょう」 「しっかり寝ましょう」 「朝はやく起きましょう」 ーみたいなことを言うけど、それって「あなたの生活態度が悪いから、起立時に血圧が下がるのです。生活態度を改めれば、自律神経は整います」みたいな内容で、「思春期の自律神経障害の原因は、本人の性格と生活態度にある」みたいな子供を責める感じになってるのかもねぇ。 だからさ、クスリを飲んで指導(起き方,食事指導など)を受けることでラクになったひとは、もっとその情報を発信して良いんだよ。学校側の無理解への不平不満と一緒にさ。やっぱ、「ラクになった!」って体験談は、同じような症状の児への励みになると思うからね。不登校の子って、不登校から立ち直ると、やりたいこと,やらなきゃいけないことが山積みで、いちいち当時のことを振り返って発信しようと思わない。特に自律神経系の児は、立ち直るとすっかり無かったことみたいになってたりする。これがメンタルな不登校ー抑うつ,イジメ,不安症な児だと、ときどき発信してくれる。身体症状で登校難な児は「もう立ち直ったしー」「さぁ、これからこれから」な感じになるね。親のほうが「当時は大変だった」「このまま、どうなるのかと心配だった」みたいに覚えてる。 ちゃんと立ち直って、「あぁ、言われてみれば、あのとき大変だったかも?」なほうが健常で良いことなのは間違いないし、思い起こさせて語らせるのもなんだかなぁとは思う。
2024.05.28
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家事に対して労働の対価 爺ちゃん婆ちゃんの面倒をみるのは対価が支払われないヤングケアラー 障害児の兄弟がいたら対価が支払われないヤングケアラー 夜勤明けの母親の代わりに朝食を作れば、対価が支払われないヤングケアラー 子供の世話をしたら対価が支払われない無償労働者 同居の親の世話をしたら対価が支払われない無償労働者 ってことは、先進国な理想社会では… 老親はピンピンコロリでくたばるのが理想的な家庭 世話が必要な子供がいないのが理想の家庭 障害児なんか施設に預けて、いなかったことにして面会に行かないのが理想の家庭 そもそも、結婚なんかしないで、自分のことだけで自己完結するのが理想の家庭 つまりは… 自宅の敷地外の清掃なんて対価(報酬)がなければする必要はない 子供たちは学校の清掃なんかしない PTAで学校の草取りだとかしない 結論は… 報酬が支払われないことはする必要が無くて、自分のことだけ考えるのが、リベラルの理想社会。 対価なき労働をする者は愚者であり、社会に対する害悪ってこった。
2024.05.27
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【オレンジが不作でオタンジェットは?】 オレンジが不作で、円安でカカオが値上がりして、カカオの収穫量が減っているっていうと…オランジェット好きは不安になりますよ。 ということで、「とりあえず、値段が安定しそうなオランジェット」を考えてみる。 ・グランパラスの伊予柑ピール 「オレンジがないなら伊予柑を使えば良いじゃない」と亡国の王妃が言ったかどうかは定かじゃないけれど、伊予柑ピールならオレンジ不作と関係ないんじゃないかと。千葉県八街市のチョコブランドですが、通販もOK. ・山口県の「萩の夏みかんオランジェット」 「オレンジがないなら夏蜜柑を使えば良いじゃない」と亡国の王妃が言ったのは間違いないところ。個人的には「ホワイトチョコの夏みかんオランジェット」を推したい。グランパラスの伊予柑ピールはビターなチョコと伊予柑ピールが美味しい。「萩の夏みかんオランジェット」は、ブラックチョコとホワイトチョコの2種があるけれど、ブラックチョコが甘いのですよ。もっとビターなほうが夏蜜柑ピールに合いそうなのだけれどなぁ。それに対して、ホワイトチョコの「夏みかんオランジェット」はホワイトチョコが甘すぎず脂っぽすぎずに美味しい。ホワイトチョコ好きは「甘くて脂なのがホワイトチョコの美味しさ」と思うけれど、あっさりとした甘みのホワイトチョコと夏蜜柑ピールが良く合います。 ・柑橘王国のオランジェット 国産(愛媛県産)のブラッドオレンジのオレンジピールを使用しているので、海外のオレンジ不作に影響を受けにくいんじゃないかなぁと。ここのオレンジピールはちょっと塩味がするのが特徴。赤ワインにもよく合います。 そして、ここに合わせる飲み物ではUCCの「シトラスチル」を推したい。ホットでもアイスでも美味しい。日本の湿度の高い夏に合います。 オランジェット好きはお試しあれ。
2024.05.27
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かつて「安倍政権を支持しているが自民党を支持しているわけじゃない」という保守派が多かった。 いまは、「自民党を支持しているが、岸田政権を支持していると思われては困る」という保守派はいる。 静岡県知事をはじめとする自民党候補の連敗は、「自民党候補に投票しても良いんだが、それによって岸田政権が支持されていると勘違いされちゃあ困る」との有権者の思惑が反映されているのではないか。「自民党候補に投票することが岸田政権支持につながるならば、自民党候補には投票できない」「自民党支持が岸田政権支持とされるなら自民党候補以外に投票したい」「岸田政権を支持できないから自民党候補以外に投票する」という世論が確実に存在している。 TV,新聞は、自治体選挙の結果を政権支持に直結しようとするが、それは正しいのだろうか。その報道の在り方が、地方自治体選挙と国選(政権支持)を歪にしてはいないか。 「岸田政権を支持しないならば地方選挙においても自民党候補を支持しないことが当然だ」ということが間違っている。地方自治体選挙における候補者と岸田政権への支持を切り離さなければ、岸田政権が続く限り地方自治体選挙において自民党の勝利はないだろう。そして、それは東京都知事選挙においても同様だ。
2024.05.27
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感情労働が過剰に強いられる現代社会では、創造性,判断力,道徳的感度(共感力)さえも、搾取の対象となる。 達成感と次の成果とのLoopは国民を疲弊させるが、国民の疲弊を政府および官僚は「必要なコスト」としかみなさない。どれだけ苦労しているかを自分の価値とみなすように教育され刷り込まれた国民は、「疲弊するだけ自分の価値が社会的に向上する」という感覚に陥るのだ。 それは、「苦労している自分への称賛」を求めることとなり、「私がどれだけ苦労しているか」を訴え、世界に対して「私の苦労に対する正当な評価」を求めるために異議を唱えることになる。「苦労してきた私を評価しない社会」「私の苦労を評価しない社会」へ、異議を唱えるために行動することになる。拡大自殺もまた、彼らの社会への異議であり制裁なのだ。 いま、人々は「私が幸福になりうる資格があるかどうか」に囚われている。 現在の私が幸福であるかを問い、将来的に幸福を得る資格を満たしているかどうかを、世界に問う。すなわち「私は世間一般的な幸福条件を満たしているか」が重要なのだ。 「私の年収は世間一般的な幸福条件を満たしているか」 「私の社会的な地位は世間一般的な幸福条件を満たしているか」 「私の配偶者は世間一般的な幸福条件を満たしているか」 それは、あらゆることにその触手を伸ばし絡め獲り、私の住居は、私の子供は、私の教育方針は、周囲からみて、幸福条件を満たしているかを問い続けることになる。それは不安を生み、その不安は癒されなければならない。癒しとは賞賛だ。 国家は常に国民に、「幸福であるために称賛されるべき行動をとる」ように刷り込み続ける。 この束縛から逃れ、自由になるために、私たちは「賞賛」「達成感」から逃れる必要があるのだ。
2024.05.26
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【財務省と闘える宰相を!】 自民党総裁選でポスト岸田が誰になろうと、そも自民党政権が危うい。 上級国民や世襲を批判している共産党が国民階級制度を虎視眈々と狙っていたり、立民党に政権担当能力が皆無なために、消極的な自民党政権延命となっていた。しかし、岸田政権で行われていることは、立民党や共産党がやろうとしていたことだ。 立民党や共産党がおとなしいのは、自分たちがやろうとしていたことを岸田政権がやっているからだ。小泉Jr.や石破が持て囃されるのも同様だ。 【国の借金ってなんだ?!】 「借金」とはなんだろうか? 国の借金は、どうやって誰に返すのか? 「国の借金というのは国民に国が借りているので返す必要はないんです」とか「経済を回すには借金が必要なんです」とか、そういう中国人を娶った漫画家の話じゃなくてね。 「税金を借金を返すための財源とする」って意味がわからないなぁっていうのはもちろんなんだけどさ。 じゃあ、消費税を50%なり80%なりにして、国の税収がめちゃくちゃ増えたら、国の借金はゼロになるの?っていうかさ、「国に借金はあるから増税します」っていうのは、「増税したら国の借金が減る」ってことにいなるんだけど、そんなことありうるのかっていうね。 いま「税収(収入)がめちゃ増えてますけど、社会保障費(出費)がそれ以上に増えてるので借金が増えてるので増税しないと国がもたないの!」な理論がまかり通ってると思うんです。その論でいくと、「ガンガン税金を搾り取って、税収をあげると、国の借金がゼロになって、国力があがって、国民が幸福になる」っていうゴールを目指せるってことになるでしょ。でも、そんなことありえないじゃん。 一般家庭で考えた時に~国家を一般家庭に置き換えるのが間違いっていうのは置いといて たとえばビットコインに300万円投資したら3000万円になって、それが5000万円になって8000万円になって、そこから500万円になったという状況だと、300万円が500万円になったから儲かった、どこにも借金がない。って思ったら、税務署から「儲かった時の税金を納めてない」って言われて借金するはめになったと。損してるときは娯楽,趣味だけど、利益がでたら雑所得っていうね。そんでもって、払いきれなかったら、払えるような計画をたてて生涯かけて支払いましょうってなる。星新一は父親の税金を支払い続けたんだっけ?まぁ、そういう借金なら、生活を切り詰めるなり収入を増やすなりして、返すことができる。 でもさ、国は収入が増えたら、増えただけ予算を増やして使い切るー収入以上の予算案を出すのが仕事なわけで、どんなに収入が増えても借金が減るわけない。高齢者絶対殺すウイルスが日本に蔓延して高齢者の半数が死んで高齢者への医療負担が激減しても、国はその代わりにカネを使う場所を見つけるでしょ。なんか、「医療費がー」「社会保障費がー」って言ってるけど、じゃあそこが減ったら財政が健全化して、予算が余るのかっていえばそんなことはない。「IT促進事業」「少子化対策事業」「男女共同参画事業」「エネルギー政策」「地域格差是正」とか、いくらでも理由をつけて、なんとかカネを使い続けようとするわけじゃん。新しいなにかがあれば、そこに「●●事業団」「●●財団」をつくって、官僚の天下り先を確保するわけだし、そこに代議士センセイのご子息やらご息女が就職するでしょ。 結局、増税したって、官僚や代議士の懐が潤うだけじゃん。天下り関連企業やNPOやらNGOやら社団法人を潤わせるために、庶民を苛めてるだけで、共産党が庶民イジメとか言ってるけど同じ穴の貉じゃん。 自衛官や警察官の給料が増えるわけじゃない。 真面目に働くよりも、何処かにある自分たちに知らされない上級国民の巣窟にもぐりこんだほうが幸福になれるっていうお隣のウリナム社会を岸田が作り上げているっていうのは言いすぎですかね?
2024.05.25
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なんか、近所で北海道フェアが続いてる。 夏休みに向けて北海道アピールなのか、GWで思ったほど北海道旅行者がいなかったのか。まぁ、今年のGWは物価高で、全国的にあまり旅行に行かなかったらしいけどね。 そんな北海道フェアでは、バターサンドや恋人もしくはハスカップが定番。でも、なぜかガラナが目立った気がする。 普通のガラナに加えて、ガラナハイボールなるものも売っていたので買ってみた。 うん、なかなか美味しい。こういうドクターペッパーみたいな味が割と好き。 ってことで、コーヴァルのクランベリージン。 これが、ハイボールにするとかなりガラナハイボール。レモンをちょっと垂らすとドクタペッパーハイボール。 ジンとしての美味しさとか、ハイボールとしての美味しさじゃなくて、「コーラっぽぃ薬品臭のする飲み物」として美味しい。 ジュニパーベリーとか感じない。針葉樹っぽさとかない。無いわけじゃないけど、無い。 ガラナ好きなんだよねーとかドクターペッパーハイボール好きなんだーみたいなひとは、ぜひともお試しを。
2024.05.24
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女性と女性偏重者だけでうまいことやれるんなら、そうしてくれれば良いんだよなぁ。 病院内って、看護師とか医局秘書とかいろんなところに女性がいるんだけど、妙な住み分けがある。 重いモノは、男性看護師が運ぶのが当然なところがあるのは普通になってるし、「乱暴な口調の患者は男性看護師」「パワー系気狂いは男性看護師」になるじゃん。医者のあいだでも、女医がちょっとツライと「お願いという強要」があり、そこに上級医女医の「男なんだからやったげなよ」なパワハラも加わる。「私、女なのに当直するんですか?」な女医もかなりいる。 学校という閉鎖的な職場でも、「パワー系ガイジ」は男性教員のクラスに放り込まれるか、もしくは特別学級の担任は男性教員になる。運搬系業務は男性教員がやらされるのが当然になる。うちの子の小学校が、昨年まで特別学級の担任が女性だったんだけど、今年はパワー系ガイジが加わったので男性教員になってさ。めちゃ疲れてるんだよね…。いや、アレは女性教員には無理だと思うけど、でもあのパワー系ガイジが6年間学校に在籍するならば、「若くて体力のある男性教員」が担当するしかなくて、それもおかしな話だよなぁと。 男女平等っていうんなら、透視下での処置は男女平等にやるべきだし、当直もオンコールも男女平等に割り振って、アタマのおかしな患者の担当も男女に関係なく割り振るはずじゃん? キチフェミの言う「女性だけの理想社会」にも、パワー系ガイジ女児とかいるわけですよ。それと取っ組み合って押さえつけるのを女性同士でやってくれよと。ルンバールや採血に男を呼ぶのをやめたら良いんじゃないですかね? 現実では、女性は既に優遇されていて、男性は冷遇されていて、危険な作業や厳しい環境での作業は男性がやってるわけですよ。男性が自分の仕事をそのままにして女性へ手助けするのは飽くまでも善意なのに、それを当然の男性に課せられた義務であるかのように受け止めてちゃいかんよ。
2024.05.23
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エッグドシャが美味しい卵明舎から、ガレットが発売されたので、お取り寄せしました。 送料がかかるし、ガレットは1缶に10個しか入っていないので、ガレット2缶+エッグドシャ1缶でお取り寄せ♪ 缶はいつもの可愛らしいデザインで、商品名は「エッグトンヌ」。 缶を開けると「おぉ、これは確かに10個だ」な大きさ。 大きくて…そして分厚い…。 「すごく…大きいです」 「それは ガレットと言うには あまりにも大きすぎた. 大きく ぶ厚く 重く そして 美味しすぎた。 」 って、まぁそこまでじゃないけど、厚くて大きい。 食べるとホロホロ。 ガレットの食感ですけど、アマゾンの「訳ありガレット」のレビューが面白い。 ・味はサクサクしてて美味しいと思います。ただ思ってるよりずっとボロボロとこぼれます。 ・食感がサクサクというかポロポロで期待と違いました ・サクサクというよりホロホロ ・ザクザクした食感が好み ・サクサクでもなくホロホロに近いくらいの柔らかさ ・ぼそぼそです ・パサパサしていて美味しく無かった この訳ありガレットも比較対象として購入してしまった…まだ届いてないけど…。 卵明舎のガレットブルトンヌは、めちゃ美味しい。卵が強い。ザクホロで食感が良い。 紅茶でも珈琲でも良い。 ガレット好きはぜひ。
2024.05.23
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【「休む」こともできますけど?】 http://workingnews117.com/blog-entry-18984.html 学校健診の日に欠席したら、「病院を受診して健診を受けてくださいね」って通知がくるだけです。 どうしても、学校で健診を受けることに抵抗があるのならば、その日は欠席してかかりつけ医のところで内科健診を受けてください。女医が希望なら、女医のところを受診したら良いんじゃないですかね? 個人的な感情で、周囲を振り回すのって楽しいかもしれないけど、迷惑なんです。 いまの学校健診って、開業小児科医がいなかったり、やろうとしなかったりで、大変なんですよ。内科医ならまだしも、脳外科医や整形外科医がやったりとか…。整形外科医が「聴診なんてずっとやってないんだけど…」とかいう状況でも、その周囲に医者がいなかったら受けざるを得ない。 そんな状況なので、開業医のボランティアとか言ってる場合じゃなくて、病院勤務医でも普通に学校医になってる。まぁ、保育園とか小学校低学年とかを脳外科医や整形外科医にやってもらうわけにはいかないしさ。そして、そんな状況でも、「うちのクリニックは繁盛してるから、そんなことやってる時間はない」みたいに平気で学校医を断る小児科開業医もいたりと、まぁ無茶苦茶…。 「自分のクリニック休みにして収益落としてまで健診ボランティアやる金銭的体力がない」っていうけど、繁盛していれば「患者が来るのに休診になんかできない」っていうわけで、夜間診療輪番も同じ理由で断ってる人物だったりとかさ。 でもまぁ、10歳以上の女子は上半身胸部を視診しなくちゃいけない理由はかなり乏しいとは思う。その一方で、「うちの子は恥ずかしいから見せたくないんです!」って言ってくる親こそが、虐待している可能性もあるから難しい。早発乳房は10歳以上なら正常発育(厳密には7歳)だし、漏斗胸,鳩胸みたいな胸郭異常くらいかなぁ。13歳までに乳房発育がないと遅発乳房なんだけど、実際にみたことはない。思春期遅発症が学校健診でみつかる気はしないかな…。陰部の診察まではやらないしさ。 男女一緒でクラス単位で健診するのは保育園までかなぁ。 小学一年生でも、いまは男女別々で内科健診だね。体操着をどうするかは、養護教諭にお任せ。いまは、男児でも中学校健診で上半身裸は恥ずかしい子がいる時代。「恥ずかしい中学生男子は服を着たままで良い」から「恥ずかしい男子だけ特別扱いだと、その子が可哀想だから公平に男子も女子も服を着たまま」もあるし、「女子が服を着たままで、男子が上半身裸はおかしいから、男女ともに服を着たまま」とか言い出す養護教諭もいるー養護教諭の判断じゃなくて、保護者の圧かもしれない。 ちなみに、自分が学校医をしているところはー ・保育園は芋洗い式というか、職員室に10人単位で並んで上半身裸で診察。仕切りやカーテンはなく、男女ごった。 ・小学校は、男女別々で、男女ともにカーテンで仕切ったところへ1人ずつ入って診察。服に関しては、養護教諭にお任せ。脱げばちゃんと診るし、脱がないなら「見えないものは診えない」。 ・中学校は当然だけど、男女別。カーテンで仕切って、1人ずつ診察。男子は上半身裸で診察が基本だけど、仕切りの中に入るまでは服を着てる。女子は服の下から聴診器で聴診。ブラジャーはあらかじめ脱いでる状態。 ーで、まぁ時間はかかる。 時間はかかるけど、いまの学校って1学年1クラスとかもあるので、「人数の割に時間がかかるなぁ」とは思うけど、終了時間そのものが延長してる感じはしない。 やっぱ健診でひっかけた子が治療対象だと、「お、やるじゃん自分」って思う。養護教諭が「昨年、先生がひっかけた子で●●で〇〇病院フォローになりました」とかを、健診のときに報告してくれるんだよね。で、自分がひっかけた子が健常範囲のときは、「お。病気の子はいなかったか。良かった」って思うのだ。
2024.05.22
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医者の転職が一般的になって、うちの病院でも出入りがかなりある。 来る医者,去る医者と話をすると、「給料は大きな問題じゃない」と感じる。もちろん、収入は多いほど嬉しいけれど、病院が報酬を増やしても税金が増えるだけで、可処分所得はたいして増えない。そして、診療科や年齢では、どこの病院でもそれほど大きな変わりはない。 いまの雇用側である病院の差別化は、就労時間によるところが大きい。週5日勤務から「週4日勤務でも可」というものが増えたが、オンコールなし,当直なし,病棟業務なし,など、拘束時間で差別化を図っている。傾向としては、「あまり働かずに高い収入」をアピールしている。まぁ、それが良いこととは思えない。似非コンサルの言うがままにやっているのだろう。現実には、医者の多くは「自分の価値観にしたがってしっかり働きたい」と考えているのだ。 では、選ぶ側となった医者は、転職する際になにを重視すると失敗しにくいのか。 職場を転々と動くことを厭わないひともいるけれど、家庭のことを考えれば一か所で長く働きたいことが多いのだから、転々と引っ越しはしたくないだろう。居住地に関する事柄ー子供の教育,買い物,公共交通機関などの利便は、それぞれに重視するものが異なると思うので、「病院に下見を兼ねた面接にきたとき」を考えてみる。 「病院までの移動」は、意外と慣れるものらしい。自分は、「移動時間は短くてラク」というのが重要なのだけれど、来る医者,去る医者と話すと、「それは慣れるでしょう」というひとが多い。クルマの運転が嫌ではないというのは普通に聞く。「駐車場がなくて公共交通機関を利用するように指示されたら困るけれど、自分で運転してくる分にはあまり気にならない」と。 では、何を原因に「失敗した」「より良い職場を求めて」と去って逝くのか。 漠然とした答では、「雰囲気」「居心地」「自分が求められているか」ということになる。給料や拘束時間を理由に辞めるというのは少ない。元々、そこに不満があれば就職してこないからだろう。 この漠然としている「居心地」「雰囲気」ーつまりは「気持ちよく働けるか」について、具体的なチェックポイントがあれば病院と医者のミスマッチが防げるのではないか。 病院は、下見や見学にきた医者に「来てもらったら、あとは先生の要望で変えられるところは変えていきます」「先生の希望で、何かあれば変えますので」ということが多い。しかし、そんなことはない。これまでやってきたものを、そんなに簡単に変えない。病院事務が変えるつもりでも、看護部,薬剤部,検査科が「それは無理」といって変えられない。基本的に、下見にきた環境のままで働くことになる。 まず、診察室だ。「どこの病院でもそれほど変わらない」と思って、「まぁ、これまでやってこれてるのだから問題ないだろう」と軽くみて終わることが多い。しかし、ひとによって気になるところはあり、それが少しずつストレスになる。正面玄関に近いか離れているか。医局から近いか離れているか。診察室の扉は広いか狭いか。待合との距離は気にならないか。1診察室と2診察室のあいだは防音がどうか。看護婦はすぐに来れる場所にいるか。水場(手洗い)は近いか。物品はそろっているか。処置する場所と診察室の場所はどうか。 科によっては、「処置は処置室で看護婦がやる」のが普通だったり、「処置は診察室or診察室の近くで医者がやる」のが普通だったりと、「普通」が異なっている。正面玄関から近いほうがやりやすい医者もいれば、奥まった場所がやりやすい人もいる。 診察室の場所が変わることはなかなかないので、「病院のなかの診察室の場所が何処であっても、診察室に入ってしまえばやることは変わらない」と軽視しないほうがいい。 次に医局だ。 勤務時間内では、診察室の次に過ごす時間が多い場所で、リラックスできるほうが良い。しかし、その「リラックスできる環境」がひとによって違う。大部屋で全ての科が混合だったり、内科,外科などの科によって4-5人ほどの小部屋に分かれていたり、もしくは個室があったりと、病院の規模によって違う。部長クラスは個室だが、その他は全て大部屋という病院もある。各個人の机の間隔などの気になる人はストレスになる。 見学で「ここが医局です」と言われたら、「自分が来ることになったらどこになるのか」を確認して、実際に座ってみたほうがいい。休むための医局で休まらないひとは、かなり早期に辞めていく。 まぁ、勤務医でいる限り、カネは稼げば稼ぐほど政府に搾り取られるんだよなぁ。
2024.05.21
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開業に向いているかいないかって話題が、医師掲示板で話題になることがある。 開業に向いている科,年齢,地域などが中心となる。 基本的には、「都市部で若いうちに」が正解で、そこから継承したほうが良いかとか縁のある地域(地縁,血縁,学閥)が良いかとか自由診療はどうだとかが加味される。人口減少は確定的に明らかで、いまから開業を検討している年齢の医師が現役のうちに人口が回復することはないのだから、先細っていく地方よりも都市部が良いのはわかりきっている。「都市部は競争がー」「都市部にはもう開業する隙間がー」と盛んに牽制し合ってはいるけれど…。 で。 開業に向いているかどうかは開業していない自分にはわからないけれど、「開業に向かないパーソナリティ」ならば言えることがある。 『ひとの悪意に鈍感なら開業すべきでない』 勤務医をしていると、合わない職員もいれば、性格の悪い職員もいる。けれど、医者が気が付かないような悪意を排除していることに気が付く。 看護師にしても事務系職員にしても、お人好しな医者からみたときに「そんな接遇をしなくても…」と思うことはある。しかし、あれは「弱者のもつ悪意」に敏感なのだと思うようになった。 医者は、医師免許を取得し医者として勤務するようになるまでに、「患者は弱者であり、弱者に寄り添うのが良医である」ということを刷り込まれ続ける。しかし、弱者であることと、悪意を持つことは矛盾しない。「患者は弱者だが、善人ではない」ことに、医者は目を背けるよう刷り込まれている。疾患としての悪意ー虐待,ヒステリー反応,心因性疾患,ミュンヒハウゼン症候群などは、「医師の目からみた鑑別診断としての悪意」なので職業意識として気が付くこともできる。しかし、基本的に医者は患者の言うことを受け止め、患者によりそう医療を理想としている。 開業となれば、医者ー患者間だけの悪意ではなく、職員からの悪意もある。発注した覚えのない物品が納入されたことになっているが見当たらない,隙あれば休憩をとろうとする,などといったものから、詐欺的な行為を働く職員さえもいる。ここで必要なのは、「他人の悪意に気が付く」という能力だろう。 他人から向けられる悪意に鈍感であるならば、開業には向かない。
2024.05.20
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【自死する医師たち】 患者に奉仕する精神を求められる医師、もしくは自発的に幼少時代から患者に奉仕の精神をもって医師となったひとたちは、「患者奉仕の精神」をもって職務に従事する。彼らは、目の前の患者の主訴に即応し、臨床的な判断と患者個々人の環境に適合した判断とを求められる。内服可能かどうか、自己注射などの指示を理解できるかどうか、入院の適応は病状と経済的な問題と患者環境として可能かどうかなどだ。患者の求めは際限がない。 「錠剤が内服できない」「粉薬が内服できない」「規則的な内服を守れない」「自己注射の器具の使用法を理解できない」「経済的に入院できない」「自分が入院したらペットの面倒をみるひとがいない」「自分が入院したら子供の面倒をみるひとがいない」「現状は入院の適応は低いが、患者の人格からいずれは入院することになることが予測される」など、医学的な臨床判断以外の要素を考慮し検討する。 患者の訴えに耳を傾け、精神状態を予測しながら、アタマのなかでは病棟の空き状況や、紹介先の専門医療機関の検討をし始める。かつて頭脳労働と言われていたホワイトカラーは、今や小売店の店員のような感情労働となり下がった。 就労時間が終わっても、その日の就業内容を振り返り、検討し、次回へのアセスメントプランを組み立てる。非番であっても、医師としての振る舞いを求められているような気分のままで過ごす。街中などでの不測の事態に対応できるかを含めてだ。非番であっても医師としての振る舞いを気に掛けるという意味では、小児科医がL.O,FANZA,DLsite,薄い本などに近づかないようにすることも含まれるかもしれない。もしも、私が通販だから問題ないだろうと、ペドフィリアな分野の商品を購入したとして、それに気づいた家族の反応などは想像するだけで恐ろしい(33歳独身女騎士隊長をヘラヘラ読んでいることは許されるのだ)。 さらに、医師には「自己研鑽」「オンコール」などという不可視の拘束時間が当然のように課せられている。老医のいう「当たり前」と現在の当たり前は異なっているとしてもだ。 自己研鑽は、医療の進歩だけでなく、社会文明の進歩によっても、過重な要求となった。以前であれば、「寡聞にして知らなかった」ことが、ネット機器の進歩によって「知らないことが許されない」「知っていて当たり前」なことが莫大な量となった。日常の臨床業務が終えてから、情収集し、判断しなければならない情報量が異常な速さで増大し続けている。専門分野はもちろんのこと、専門外であっても、常に情報が書き加えられ続けている。電脳空間におけるフォアグラだ。情報提供サービスは、簡単に入手できるシステムを構築し、情報を提供し続ける。理事長,院長,教授,上級医は、24時間365日の自己的なガバージュを要求する。研修医たちは、自ら情報の入った鉄パイプを自分の口に差し込むのだ。 以前は、学会の準備と言えばスライド画面を作り、写真を現像し、業者にスライドの作成を依頼するものだった。「業者に提出したら修正ができないぞ」と上級医に圧をかけられながらも、業者に渡してしまえば「終了」「解放」だった。原稿とスライドの作成に時間がかかるため、学会発表の件数も限られていた。いまは全く状況が違う。 パワーポイントで作成する資料は、学会発表日の前日まで‐発表の数時間前まで修正が可能で、WEB学会は移動時間も旅費もかからないため、教授や上級医は気軽に学会発表を求めてくる。老医たちは、「この資料をここに入れて、この数値はグラフにして、このスライドとこのスライドは順番を入れ替えて、この検査結果は表示したあとに肝機能だけ色が変わるようにして」などといつまでも指示を出し続ける。もちろん、彼らはソフトの使い方など理解しておらず、指示を出すだけだ。彼らは専門医であっても、アプリ使用法は専門外なのだから。 そこそこ器用な研修医などがその要求に応えたならば、彼らは「いまの若者は簡単にできるものだ」と思い込む。思い付きで、「この地方学会にも発表しよう」「前回の発表に、先日のこの症例を加えて発表しよう」などと言い出す。「いまの若者は便利な機器を使いこなしているのだから、これくらいは簡単なのだろう。恵まれた環境でラクをしているなぁ」などと考えているのだ。 就業時間に行われる感情労働に加え、就業後にも拘束され、さらに自己研鑽という名目で私的な時間を削られ続ける。その結果が、鬱であり自死なのではないか?
2024.05.19
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銀河鉄道999のー特に目新しくもない感想 劇場版999→さようなら銀河鉄道999→劇場版999と観た。 当時に、リアルタイムに観たひとたちならわかると思うが、「さようなら銀河鉄道999」は評価が低かった。 後付け設定,金儲け主義,模倣(パクリ)など、映画そのものの質よりも周辺事情で評価されていた。これは、「さらば宇宙戦艦ヤマト→TV宇宙戦艦ヤマト2→宇宙戦艦ヤマト:新たなる旅立ち」という一連の出来事のせいでもある。ヤマトに関しては、さらに「完結編」なるものもあるのだけれど…。 いま、999を見直すと、よく練られているなぁと。 後付けの黒騎士や生命の灯など、当時は胡散臭いというかご都合主義としか感じなかった。しかし、いま見直すと「劇場版999(1作目)」では哲郎の父親が死んだとは言ってない。「お父さんがいたらねぇ」というが、「死んだお父さんがいたら…」「お父さんが生きていたら…」ではない。まるで、黒騎士の登場を予定していたかのようだ。そして、鉄郎の「父さんが付けてくれた名前なんだ」というのも、「さようならー」を観た後でもう一度観ると、感慨深いものがある。プロメシュームにしても、劇場版1作目のときから「さようならー」の制作が決まっていたかのようだ。 そして、劇場版999(1作目)が後の作品に与えた決定的な影響は、「限りある命だからこそ、ひとは優しく強くなれる」だろう。いまとなっては、珍しくもなく、ありふれた主張だが、当時のインパクトは強かった。ヤマトシリーズの 「男なら戦って、戦って、戦い抜いて、1つでも多くの敵をやっつけて死ぬべきじゃないんですか」ー「男なら明日のために泥水をすすり、草を噛んでも生きるんだ」 「お前にはまだ武器が残されているではないか、戦うための武器が。命だよ。お前にはまだ命が残っているじゃないか。」 と共に、強く刻まれたんだ。 もう、今は戦後の生命の重さと軽さー生きる重さと死んでいく軽さーを知っている創作者は、なかなかいない。ちばてつや氏くらいなのだろう。 阪神淡路大震災や東日本大震災のような天災による死と、ひとが自ら突き進む悪意と愛の死は異なっている。いまの少年少女に訴える力を持った生命賛歌が生まれると良いのだがなぁ。
2024.05.18
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【クソ医者死ね】 学校医をやってるんだけど、バカなクソ医者のせいで、いろいろと迷惑をこうむっている。 小児科医でもバカなのはいるんだけど、内科医で学校医になってバカなことをするのがいたじゃん。 あれで、「女子の胸の視診はしなくても良い」みたいな傾向になってるんだよ。 まぁ、「診なくていいってんなら、それならそれで結構だ」って気持ちもある。そもそも、学校医のほとんどは「やりたくてやってるわけじゃない」みたいなところもがあるからね。でもさ、大人の社会で「診なくて良い」って教育者側が言うのは、「子供を守るため」でもある。保護者が「無理に観ないで貰えますか?!」っていうのも、医者に嫌がらせをしたいわけじゃなく、「子供を守りたい」から言ってるんであって、結局はクソ医者のせいなんだよ。 学校医の講習とかで、「最近は、保護者もうるさいので、無理に胸部の視診はしなくて良いです」みたいなことを言うんだけど、保護者がうるさくなったのは医者側の責任だからね。医者の信頼が落ちたから、保護者は医者を信用できなくなったんだよ。それを「無理解でバカな保護者がくだらないイチャモンをつけるから、無理にみるのはやめましょー」みたいな言い方をするのはおかしい。ペン型カメラを仕込んで児童の健診をするなんていうのは前代未聞のおかしな医者だけど、あの医者は医師免許をはく奪されてないんだ。医療従事者として医療を続けてるんだ。そんな恥知らずな医療界を変えようともせずに、「最近の保護者はうっせーな」みたいなことを言うのはどうかと思うよ。 健診では、心雑音や側弯が重視されがちだけど、肥満とか低身長とかもチェックする。太りすぎても痩せすぎても、背が高すぎても低すぎても、チェックする。そのなかに、早発乳房もある。まぁ、見せたくなければ無理に見ない。でも、ここで「周囲に比して乳房の発育が良いから見せたくない」っていう心理がある。虐待でもそうだけど、「見せたくないのは見せたくない理由がある」ってこと。虐待の痕は恥ずかしいから見せたくない。虐待の痕が見つかると、更に虐待されるから見せたくない。そんな心理で、肌を隠すのを「本人が嫌がってるから見なくて良いでしょう」って服の上から聴診して、皮膚状態を診ないっていうのはどうかと思う。そりゃ、現場にいて女子児童が見せるのを嫌がったら「そっか、じゃあ良いよ」ってしたほうがラクだ。揉めないし、健診が終わってから教室で「無理に見ようとしたスケベ爺」みたいな陰口をいわれることもないしさ。 こっちだって、クソガキが教室に帰ったら「スケベ爺」とか「無料で胸とかみて、カネ払えって言うねん」とか言ってるんだろうなぁとか思うわけよ。もう、できれば学校医なんか女医だけでやれば良いのにとかさ。でも、そういう感情とは別に、ちゃんと適切な年齢で適切な治療へと繋げなくちゃみたいな真面目な気持ちも普通にあってね。 結局のところ、子どもが悪いわけでも、保護者が悪いわけでも、教育委員会が悪いわけでもなく、信用を堕としてそれを回復しようとしない医者側が悪い。「最近は五月蠅いのが多くなってー」「最近はなにかと面倒でー」みたいな、「医者側は悪くない」みたいな話をしてちゃあイカンですよ。
2024.05.18
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転生モノって、「前世では最低の人生だったから、生まれ変わって幸福になります」って陰キャが主人公じゃん。 あれって矛盾してない? 自分は陰キャだけど、「前世の最低の人生の記憶」とか持ってたら、そこで挫ける…。「どうせ今世でも幸福になんてなれない」みたいに考える。 転生モノで「裕福な貴族に生まれてーだけど、●●な不幸が起こりそうになる。今世では幸福になりたいので、前世の記憶を駆使して立ち向かう」っていうのが定番だけど、もうその時点で「あぁ、どうせ今世でもダメなんでしょ。ハイハイ」って投げ出すね。 「今度こそ、幸福になってやる!」って立ち向かえるだけ陽キャじゃん。 古代中国王朝生まれには無理な設定なんだよ(殷キャ)。 って、殷キャって言いたいだけでした。
2024.05.17
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かつての大日本帝国には、ABCD包囲網が敷かれ、日本を孤立させ干上がらせようとしていた。 それに比べたら、いまのサウジアラビアはイスラエルに石油を輸出しているし、エジプトもイランもイスラエルに配慮している。 そりゃあ、イスラエルだってガザ殲滅をしても、国際的な非難に強気でいられるだろう。 WW2では、日本国内に無差別の絨毯爆撃を加えた米国だが、日本軍は軍事施設への重点的な攻撃に徹した。 ムスリムがカミカゼ特攻隊を真似たとしている特攻攻撃は、民間人も含めて攻撃対象としているが、日本軍の目標はあくまでも米軍だった。 なぜ、韓国料理には「名店」がないのか。 韓国料理の知名度に比して、いわゆる「名店」がない。美味しい韓国料理というのは存在するのに、名店や有名シェフがいない。 レトルト食品でいうところの「行列のできる韓国料理店」「韓国料理名店巡り」「新大久保韓国料理グランプリ」「噂の名店」みたいなものがない。カレーやパスタソースのようにレトルト食品にしにくいというのはあるだろう。しかし、韓国モノを無理やりにでも取り扱おうとするコンビニでも、「名店」「有名店」というものがない。ダッカルビまん,ビビンバ丼だのという商品は扱っても、「新大久保名店のクッパ」というレトルトはない。参鶏湯が韓国料理かどうかの判定は本筋ではないけれど、「有名店シェフによる参鶏湯」というレトルトはみかけない。コンビニで扱いにくい背景があるのかは知らないが、中華料理の名店は、オンライン通販や百貨店の通販で扱っている。 原因は、韓国料理の底の浅さというか懐の狭さではないかー工夫の余地がない。「チーズを入れてみました」から発展が無い。「キムチにもいろんな種類があるんですよ」と言われても「だから?」としか言いようがない。更に美味しくしようという料理人の気概が足りないのだろう。そして、そこには「工夫をしても盗まれる。だったら他人が工夫したものを盗んだほうがラク」という韓国根性みたいなものがあるのではないか。 また、個人的な感想だが、「水準を維持できずに下がっていく」。韓国料理店や韓国居酒屋に通ったこともあるが、なぜか流行ったあとに美味しくなくなり、店が汚くなり、最後には閑古鳥になる。そして居ぬきになったり、潰れたり…。最初は丁寧に作っていて「旨いなぁ」と思った店が、それを維持できない。まぁ、繁盛するといろんなひとが寄ってきて、「いまのままで充分」となるとか、いろんな事情があるのだろう。しかし、韓国料理店で「歴史のある名店」をみることがないのは、その辺の事情ではないか? 日本で経営している韓国居酒屋のような店が、日本人を嫌うということはない。まぁ、日本人客のほうが多いのだから当然だが。「マッコリなんかよりも、ドライのほうが合うよ」「ハイボールと韓国料理は相性が良いよ」と親し気に話しかけてくることもある。しかし、繁盛しだすと韓国人コミュニティが重視される雰囲気が醸成され、足が遠のく。暫く行ってないなと思って見に行くと、寂れてる。そんなことが韓国料理店では多々ある気がする(コロナ禍を機に外食をしなくなったが)。
2024.05.17
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地図にない場所とは何処なのか。 地図にない場所が示すものはなんなのか。 コハクとユートは、なにを見つけることができるのか? 自分が特別だと思っていたユートは、進学後に凡人にすぎない自分と直面する そんなユートは、「特別から普通に堕ちた隣人のコハク」に関心を寄せる。 二人が探し求める地図にない場所ー彼らはいったい何を探しているのか。 安藤ゆきの「地図にない場所」を、繰り返し読んでしまう。 以前の「町田君の世界」は、わかりやすく、メディア作品にしやすく、実写映画化された。それに対して、「地図にない場所」はわかりにくい。最終話の最後になって、ようやく二人が探していたのは二人にとっての居場所だったと示唆される。全五巻を読み直しても、「イズコとは居場所」的な示唆はない。なんとなく読者が「もしかしたらー」と感じるとしても、直接的な場面や台詞はない。作者は最後まで言うつもりはなかったのかもしれない。 「地図にない場所」を考えるときに、対比となるのは「地図にある場所」だ。私たちは、地図を見て、自分が何処にいるのかを確認して安心する。自分の立ち位置を確認し安堵し、次の目的地を地図から探し出して、そこに向かう。最適で最短距離を進むのが、「コスパの良い」移動だろう。もちろん、地図を見てから遠回りをしたり寄り道をしたり、その前に寄ってみたい新たな目的地を見つけたりと、必ずしも最適最短を選ぶわけではなくーできるだけ時間をかけて到着時間を遅らせたくなる目的地もあるわけで。 いずれにしろ、地図というのは「居場所を確認するために使う」ものだ。海街ダイアリーで直人が「地図にない場所を探すのに地図を出した」と笑っていたが、地図にある場所で私たちは安心する。 コハクとユートが、「地図にない場所を探す」ということにのめりこんだのはなぜだろうか。 ユートは就職を機に1人暮らしのために引っ越そうとするが、彼は「自分が1人暮らしするのと、コハクが転居してしまうのは違う」と感じる。そこには、コハクが転居してしまったら会えなくなるかもしれないという現実的な問題とは別に、「コハクの戻ってくる場所がどこかに行ってしまう」ということもあるのではないか。ユートが1人暮らしをしても、戻ってくる場所は両親の住む実家だ。自分の居場所がないと感じていたユートは、それでも戻ってくる場所があった。コハクは1人で生活をし、1人で住む場所が戻ってくる場所だ。 鉄郎は地球に戻り、アムロはみんなのいる場所が戻れる場所で、直人は地図にない場所が戻れる場所となった。コハクはどうなのか? 「地図にない場所」は、30代のオバサンと10代中学生の物語としてメディア展開が難しいだろう。加えて、読者に直にテーマを明示しない。 「町田君の世界」のように、出版社や作者の懐を潤すことはないだろう。 しかし、良作だ。 【the botanist】 これ、フレーバーウォーターに近い感じで、料理にも合うなぁ。 最近は、ビールよりもこればっかり飲んでる。うっすいジンソーダにして、ガブガブ飲んでしまう。脂ものとかがサッパリ食べれる。 脂ものとビールの組み合わせも良いけれど、いまの季節にはジンソーダが気持ちよく飲める。 不況から、ビール→発泡酒→ハイボールときたけど、ウイスキーも品薄&値上げ傾向となったので、これからはジンソーダになるんじゃないか?
2024.05.16
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【米国の友はハマスではない、イスラエルだ】 http://workingnews117.com/blog-entry-18957.html イスラエルが、米国を攻撃したことがあっただろうか。 イスラエルは米国の友人だ。 日本にとってはどうか? かつて、日本人は、日本赤軍というテロ組織をもって「アラブ赤軍」などと名乗り、パレスチナの計画に則ってテロを行った。しかし、イスラエルは実行犯を「日本を代表する人間ではない」と冷静に判断し、反日行為などを行わなかった。きわめて、冷静に対応をした。アラブ-イスラエルと全く関係のない日本人が、空港テロを行ったにも関わらずだ。 日本に対して、攻撃せず害意すらも示さないイスラエルと比して、イスラム教徒はどうか? ISISによるアフリカテロでは、アルジェリアで多くの日本人がムスリムによって殺された。 バングラデシュのダッカでは、JICA職員が殺された。 アフガンでは平和活動をしていた日本人医師が殺された。 では、海外でイスラエル人による組織的なテロが行われているだろうか? 海外で、イスラエル人組織によって日本人が殺される事件があっただろうか? いま、日本人にとって友人として手と手を握ることができるのは、イスラエル人なのかムスリムなのか。 冷静によく考えるべきだ。
2024.05.16
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サッパラパーなひとたちが、「日本は外圧がないと変われない」って日本の悪口を言うじゃん。 でも、「外圧を受けて改善していける」なら良いじゃん。 中国や露西亜や北朝鮮みたいに、どんなに外圧を受けても意固地に非を認めず、自分たちの独裁体制を貫く国があるでしょ。あんな国よりも、外圧によって、少しでも学んで変われるならマシだよ。小泉Jr.みたいに、外圧に媚びを売るようなのは論外だけどさ。あぁ、コンビニ袋も太陽光パネルも「僕のせいじゃないモン!」でしたっけ? イスラエルだって、国連でシュレッダーパフォーマンスをしたりとか「変わらないイスラエル」を演出してるけど、外圧を受けても変わらない国なんてたくさんあるわけで、変わろうとしていくだけマシだと思うんだ。 「外圧によってしか変われない」ってひとたちは、「外圧を利用して、自分たちに都合の良い社会」にしたいひとたちがかなり含まれてるっていうのを忘れちゃいけない。「日本は孤立する論」を展開するひとたちや、「海外出羽守って言われるひとたちや、「日本の女性は地獄」なフェミさんたちね。 「このままじゃ日本は世界から孤立する」って騒いで圧をかけていたら、「あなたの言う世界って何処?」って指摘を受ける。「このままじゃ日本はアジアから孤立する」って言ってたら、「あなたの言うアジアってどこ?」って言われる。「このままじゃ日本は東アジアで孤立する」となり、「日韓は協力するべき」「日本は朝鮮半島の安定に努力する義務がある」って、馬脚を露したっけね。 「海外ではー」って論で外圧を演出しようとしたひとたちは、冷静に「現実の海外」を突き付けられて黙る。ちょっと黙っては、何もなかったかのように、新たな「海外ではー」を持ち出して、また現実を突きつけられて黙るの繰り返し。 「海外は女性天国、日本の女性は地獄」なフェミさんたちは、最初から論理破綻してる。 そして、外圧に屈したり、外圧によって混乱する国もたくさんある。アフリカの政治が安定せず、アフリカの多くの国家が発展しないのは、仏国をはじめとした外圧に振り回され、屈しているから。そして、外圧を利用して私腹を肥やす竹中の極悪版みたいなのがゴロゴロしてるから。中南米で治安が悪く、政治が安定しない国は、外圧っていうものに利用されてきた歴史を抱えている。「外圧に振り回されない国家」の基礎は、「国家の芯」が必要で、「外圧に振り回されない芯のある国家」であればあるほど、変化しにくい国家なんじゃないかなぁ。 いまの日本は、「外圧が無ければ変われない」ことを危惧するよりも、「外圧を利用して私腹を肥やす経済界」「外圧を演出して私腹を肥やす政治家」のほうに注意をしなければいけない。経費のかかる正社員を減らして派遣で補う経営方針や、簡単に解雇できる仕組みを導入しようとする経済界や、個々人のプライベートな時間を喰い尽くすための仕組みを導入しようとしている社会にこそ注意すべき。そもそも、海外諸国をみて「明らかに日本よりも生活がしやすくて、便利で幸福な社会を維持している」って国は見当たらない。それなのに、「外圧で日本は改善される」なんていうのは前提がおかしいんだよなぁ。
2024.05.15
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軍事的武力的な解決をハード路線とするならば、antial-Islmなソフト路線も活用したほうが良い。 イスラム権威の失墜をする情報戦だ。 イスラエル軍に武力的に踏みにじられている状況では、ムスリムに対する同情的な論調が強くなるのも仕方が無い。しかし、現実として、世界各国で傍若無人に自分たちのルールを押し付けるムスリムにはウンザリしている人々は多くいる。豚肉を食べず、ハラルという食文化を押し付け、その国の宗教シンボルを破壊し、冠婚葬祭に独自の慣習を教義的正しさで押し付けようとするムスリムにはうんざりだ。女性蔑視と多宗教への攻撃性を隠そうとせずに振る舞うムスリムに対して、同情的なのは一時的なものだろう。 イスラエルは、イスラム教徒の真の姿を世界に晒す情報戦を、軍事的行動と同等に重視したほうがいい。 マホメッドを登場人物として描き、イスラム社会の偏狭性を描き出そう。 ガザ地区への支援物資に、豚肉などを使用し、拒否,拒絶,憤怒する彼らの姿を世界に紹介しよう。 ガザの子供たちに、肉まんや月餅やピロシキを与えよう。 トンカツや豚骨ラーメンを味わってもらおう。 ヒト型玩具を与えて遊ばせよう。 ムスリム女性に、社会に参画する喜びを与えよう。 そして、女性を虐待し、子供を兵士にし、子供に爆弾を巻き付けるというイスラム教徒の価値観を世界に理解させよう。 イスラエルが無かったとしても、イスラム教徒は女性を家に閉じ込め、学を与えず、迫害し、虐待するのだ。 イスラエル軍がなくとも、イスラム教徒は世界中で多宗教の偶像を破壊するのだ。 ISISを忘れるな。 彼らは民間人を殺し、その映像を娯楽のように拡散させた。 イスラエルのすべきは、イスラム教の危険性を世界に理解させることだ。
2024.05.15
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子どもって、エレベーターがエベレーターになったり、ウェットティッシュがウエテトティッシュになったりするじゃん。 まぁ、そんなんで自分もペドロヒメネスがペヒドロヒメネスって思い込んでたりとかがある。pxをペドロ,ヒメネス,って分けて覚えるときに、xだけどヒなんだなぁって思いが強くて、ペヒドロって覚えちゃったんだよね。 で、クリーピーナッツを、クリスピーナッツって覚えてた。 子どもに、「クリーピーだよ、クリスピーじゃ美味しそうじゃん」とか言われてしまったけど、あれは「気味の悪い」「悲鳴を上げる」ナッツってことかぁ。クリスピーナッツじゃカリカリ豆じゃんね。駄菓子みたい…ってあれはカリカリ梅か。 なんで、クリーピーナッツなのかと思ったら、元にクリーピーパスタってネットスラングがあって、コピーペーストがコピーパスタになって、コピペで拡散する怪談話ー電脳百物語がクリーピーパスタっていうなかなか面白い話だった。 R指定「どもー。クリスピーでーす」 DJ松「ナッツでーす」 R&松「2人合わせて、クリスピーナッツでーす!」 R「いやぁ、今日もお客さんがいっぱいで嬉しいね」 松「僕らも有名になったからね」 R「そーだよ、街を歩くと『あ、ブリンバンバンだ』とか『マッシュルのひとだ』って子供に言われるからね」 松「微妙な有名具合だね」 R「他には、クリーピーナッツだとか…」 松「クリーピーナッツって…悲鳴上げてどうする。どうしたらそんな勘違いになるの?」 R「勘違いと言えば、こないだね… 」 R指定とDJ松永って、どっちがクリーピーでどっちがナッツなの?
2024.05.14
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純米吟醸酒の甲子林檎が美味しかった。 日本酒のアップルタイザーというか、白ワインな日本酒というか、甘い日本酒で美味しい。 白ワインのように飲めるので、オムレツや卵料理に合う。 逆に、生魚(刺身など)にはちょっと合わないー合わないっていうと語弊があるけれど、刺身や寿司ならもっと合う日本酒がいくらでもあるからなぁ。 でも、カルパッチョみたいな洋風刺身には良く合いました。 流通量は多くないので、みかけたらぜひ。
2024.05.14
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最後の審判 私は、生前に善く生き、信仰篤く生きました。 「善き人間である」 私は、不信仰者であるイスラエル人を私の生命をかけて殺戮しました。 「善き人間である」 私は、家を守らず社会参画している不信仰者である女性を凌辱し斬首しました 「善き人間である」 私は、不信仰者である異教徒を斬首し、その映像を世界に配信しました 「善き人間である」 私は、子供に爆薬を仕掛け、不信仰者の組織を壊滅させました 「善き人間である」 私は、異教徒の街を破壊し、邪神の偶像を破壊しました 「善き人間である」 私は、コーランを汚した人間を殺しました 「善き人間である」 私は、生前に善く生き、信仰篤く生きましたが、死後に私の死体は火葬されました。 「ジャハンナムへ」 私は、生前に善く生き、信仰篤く生きましたが、ラードの入ったちんすこうを食べました。 「ジャハンナムへ」 私は、生前に善く生き、信仰篤く生きました。女性でありながら、社会活動に勤しみ、ヒジャブを脱ぎ捨て、女性への教育普及のために邁進しました。 「ジャハンナムへ」 碌な神様じゃねぇなぁ。
2024.05.14
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「土葬じゃないと天国に行けない」 「火葬じゃ天国に行けない」 って、アッラーは生き様や信仰よりも、そのひとが死んだあとに、どのように埋葬されるかを重視するんですね! おっもしろーぃw 普通はさ、神様って「そのひとがどのように生きてきたか」を重視すると思うんだよね。 どのような信仰をしてきたか。 どのような行いをしてきたか。 それをもって、そのひとを判じるのが普通の宗教とか神様ってやつだと思うよ。 それがさ、アッラーさんは、「どのように生きてきたかよりも、どのような信仰をもってきたかよりも、死んだあとの肉体の処し方が重要だぁ!」って言ってるんでしょ。変わり者だなぁw。死んだあとの、魂が抜けた後の肉体なんか、ただの物体にすぎないみたいなことは言わないんだね。 「私のお墓に私はいません」みたいな歌を絶賛してた文化人は、「ムスリム文化に配慮しましょう」に転じてるけど、その矛盾には気が付かないの?「うるせー、宗教は理屈じゃねぇんだよ!」な思考なの?生き様より信仰より魂の在り方より、死んだ後の肉体の処し方で天国の門が開いたり閉じたりするっておかしなもんだなぁ。 それじゃあ、ムスリムは献体とかどうするの?臓器提供に関してはどんな考え方なの? いま、日本は「臓器提供は正義!」な論調を広げようとしてるけど、ムスリムの「死後の肉体の処し方が優先される」みたいな思考はどう考えてるんだろうか? 豚肉食べたことがあるかとか魂が抜けた後の肉体の処理方法で天国の門が閉じたり開いたりするシステムっていうのは、なかなか興味深くはあるけど、くだらねぇなぁw
2024.05.13
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SNSとかハフィンとかで「母がいない子もいるんですよ!」な母の日批判をしてる。 でもさ、母親ってほぼ子供より先に亡くなるわけで、世の中には「母を亡くした子」っているわけでしょう。 だから、「母のない子に気を使って母の日を自重する」「母のない子に配慮して母親のいる幸福を祝わない」っていうのはおかしいよ。 まぁ、やりたいことは「子供を持てない女性に気を使って、子どものいる幸福をアピールするな」的なことなんだろうけどさ…。 「いつの日か母親がいなくなるのだから、母親と過ごせる幸福に感謝する」ってことを意識するのは良いけれど、「母親のいない子もいるんですよ!」って、そんなの言い出したらきりがない。 そして、木の股から生まれたのでなければ、全ての人間には母親が存在するわけですよ。いま、現時点で母親がいなくとも、亡き母に感謝をするってことでも良いでしょう。まぁ、自分の年齢になると、現実に母親はいない。日々の生活のなかで、「孝行をしたいときに親はなし」を感じるときがある。せめてなぁと思い、配偶者の生きている母親にいろいろ気遣いをしたりとか、母親が存命でなくとも、母親の存在を感じるときはある。母の日にも、「もっと母の日にいろいろしたら良かったなぁ」とか思うしさ。 ハフィンポストは「母親のいない可哀想な子に目を向ける優しい自分たち」「世間が意識しない可哀想な子を気遣う自分たち」を演出するのが楽しいかもしれないけれど、そんなに懸命に「可哀そうな存在」を探さなくても良いんじゃないの?
2024.05.13
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【何度か修正した…禁忌登録された単語を回避しなければ投稿不可だったさ】5月5日の読売新聞で「地球を読む」欄に‐先進国で進む教会離れ‐との論が載っていた。「若い世代で思想や宗教への関心が弱まっているが、いまの若い人は宗教や信仰に割くための時間も思考も失われている」的なお話し。まぁ、それだけでなく、いろんな分析も為されていて、教会への不満もその一因と。教会税なるものがあり、所得税の9%ほどが教会税として徴収されているのだとか。まぁ、日本では政府がカネを宗教団体にばら撒くのではなく、宗教団体は宗教法人という優遇を与えているのだから、何処の社会でも宗教に対して優遇があるのだろう。つまり、宗教団体という政府への圧力団体に対して、政府が優遇処置をすることで、反政府的な思想,言論,行動を慎んでいただくということではないか。古今東西においてあらゆる宗教が、国家への圧力団体となってきたことを考えれば、仕方がない面があると思うー公明党は潰れたら良いと思ってはいるが。この宗教団体への優遇は庶民からの搾取という面があり、それを不満に思う人々は、宗教から離れている。また、教会の不祥事ー神父や牧師による幼児への同性愛的な嗜好による性的な搾取を行っていたーからも、人々は教会から離れているという。などと書いたのは、大阪大学名誉教授の猪木氏だが、イスラム教に関しては徹頭徹尾に触れようとしない。まぁ、独善的かつ偏執的な精神のムスリムは、自分たちの信仰にケチをつけられると、大学教授だろうが平気で殺そうとするー殺しているーイスラム以外は悪だと凝り固まった反社会思想の原理主義なので、触れずに済ますのは間違いじゃない。昔から言うじゃない~触らぬ狂信者に災いなしってね。「イスラム教徒の信仰離れは、攻撃的で排他的な精神異常集団から離れたいという思いによるもので、至極当然のことなんですよ」とか書いたら、読売新聞に爆破予告が届いて、猪木氏には殺害予告が届いて、「そんな反社会的なムスリム移民は追い出せ」的な反応へと発展しそうですしね。おっと、こんなことは自明の理で、今さら事立てて言うまでもないことでした。で。ムスリムが原理主義による独裁的指導者から離れられなかったり、モスク離れしなかったりするのは、殺される可能性があるからで、別にイスラム教が優れているからでもないし、イスラム教に不祥事がないわけでもない。歴史的には「イスラム社会の世俗化」みたいな流れもあったけれど、「平穏に宗教色を薄めて世俗的なー現代社会に合理的なものへの改革」は、「過激で攻撃的な原理主義」に殺されちゃったわけですよ。「女性も社会参加して、豚肉料理も食べて、お酒も飲んで、平和に信仰しよう」ってひとに心の中で賛同しても、殺されちゃったら元も子もない。女性の社会参画を推進するフェミだって、ムスリムには関わらないでしょ。下手に関わると凌辱されて、生きたまま火をつけられて、殺されちゃうからね。そんなわけで、キリスト教圏(カトリック,プロテスタントおよびユダヤ教)で起きている信仰離れは、自由な社会の反映でもある。イスラム教圏でモスク離れが起きないのは、下手に批判すると殺されるから、従うしかない。じゃあ、日本はどうか。日本でも生臭坊主が脱税したり、拝観料への課税に対して強硬に反対したり、お賽銭は貧乏くさい小銭だと手間賃がかかるから要らないと言い出したり、腐敗臭はプンプンですよ。公明党が政権与党になっていたり、聖教新聞は池田大作を不死のように扱ってたり、池田大作の相続税疑惑を何処の週刊誌も扱えなかったりしてるわけで。もちろん、被搾取層の庶民は、爪に火を灯して日銭を稼いで糊口をしのぐのが精いっぱいですから、信仰だの神だの生死だのに割く余裕はない。信仰離れが起きていても不思議じゃない。更に言えば、お地蔵様や道祖神の祭っている土地に関して固定資産税がかからないのはおかしいだの、お盆という行事は特定の宗教行事を国民に強いているからやめろだのと、雑音が酷い。米国でクリスマスがハッピーホリデーになったように、お盆も名称変更される日が来るかもしれない。けれど、現時点では「生臭坊主が増えたから大晦日にお寺に行かない」「信仰を強制されるように感じるから、お萩,ぼたもちをお彼岸に食べない」「正月の初もうでは天皇制を支持するものだからしない」とかって言い出すひとはいないわけです。これは、日本に暴力的で過激な狂信者がいるわけでもないし、日本人が敬虔な信仰を有しているわけでもない。信仰や教義と、生臭坊主は別物と理解していて、宗教が限りなく文化として根付いているからでしょう。民主制と宗教を考えるならば、宗教国家(イスラム教を中心とする)は民主制(信仰の自由を含む)であるかというのは避けられないにも関わらず、西側諸国を中心としたキリスト教圏のみに焦点を当てている猪木氏は、逃げているなぁと思うのです。
2024.05.13
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【何度か修正した…禁忌登録された単語を回避しなければ投稿不可だったさ】5月5日の読売新聞で「地球を読む」欄に‐先進国で進む教会離れ‐との論が載っていた。「若い世代で思想や宗教への関心が弱まっているが、いまの若い人は宗教や信仰に割くための時間も思考も失われている」的なお話し。まぁ、それだけでなく、いろんな分析も為されていて、教会への不満もその一因と。教会税なるものがあり、所得税の9%ほどが教会税として徴収されているのだとか。まぁ、日本では政府がカネを宗教団体にばら撒くのではなく、宗教団体は宗教法人という優遇を与えているのだから、何処の社会でも宗教に対して優遇があるのだろう。つまり、宗教団体という政府への圧力団体に対して、政府が優遇処置をすることで、反政府的な思想,言論,行動を慎んでいただくということではないか。古今東西においてあらゆる宗教が、国家への圧力団体となってきたことを考えれば、仕方がない面があると思うー公明党は潰れたら良いと思ってはいるが。この宗教団体への優遇は庶民からの搾取という面があり、それを不満に思う人々は、宗教から離れている。また、教会の不祥事ー神父や牧師による幼児への同性愛的な嗜好による性的な搾取を行っていたーからも、人々は教会から離れているという。などと書いたのは、大阪大学名誉教授の猪木氏だが、イスラム教に関しては徹頭徹尾に触れようとしない。まぁ、独善的かつ偏執的な精神のムスリムは、自分たちの信仰にケチをつけられると、大学教授だろうが平気で殺そうとするー殺しているーイスラム以外は悪だと凝り固まった反社会思想の原理主義なので、触れずに済ますのは間違いじゃない。昔から言うじゃない~触らぬ狂信者に災いなしってね。「イスラム教徒の信仰離れは、攻撃的で排他的な精神異常集団から離れたいという思いによるもので、至極当然のことなんですよ」とか書いたら、読売新聞に爆破予告が届いて、猪木氏には殺害予告が届いて、「そんな反社会的なムスリム移民は追い出せ」的な反応へと発展しそうですしね。おっと、こんなことは自明の理で、今さら事立てて言うまでもないことでした。
2024.05.13
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ムスリムが原理主義による独裁的指導者から離れられなかったり、モスク離れしなかったりするのは、殺される可能性があるからで、別にイスラム教が優れているからでもないし、イスラム教に不祥事がないわけでもない。歴史的には「イスラム社会の世俗化」みたいな流れもあったけれど、「平穏に宗教色を薄めて世俗的なー現代社会に合理的なものへの改革」は、「過激で攻撃的な原理主義」に殺されちゃったわけですよ。「女性も社会参加して、豚肉料理も食べて、お酒も飲んで、平和に信仰しよう」ってひとに心の中で賛同しても、殺されちゃったら元も子もない。女性の社会参画を推進するフェミだって、ムスリムには関わらないでしょ。下手に関わると●●されて、生きたまま火をつけられて、殺されちゃうからね。そんなわけで、キリスト教圏(カトリック,プロテスタントおよびユダヤ教)で起きている信仰離れは、自由な社会の反映でもある。イスラム教圏でモスク離れが起きないのは、下手に批判すると殺されるから、従うしかない。
2024.05.13
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日本でも生臭坊主が脱税したり、拝観料への課税に対して強硬に反対したり、お賽銭は貧乏くさい小銭だと手間賃がかかるから要らないと言い出したり、腐敗臭はプンプンですよ。公明党が政権与党になっていたり、聖教新聞は池田大作を不死のように扱ってたり、池田大作の相続税疑惑を何処の週刊誌も扱えなかったりしてるわけで。もちろん、被搾取層の庶民は、爪に火を灯して日銭を稼いで糊口をしのぐのが精いっぱいですから、信仰だの神だの生死だのに割く余裕はない。信仰離れが起きていても不思議じゃない。更に言えば、お地蔵様や道祖神の祭っている土地に関して固定資産税がかからないのはおかしいだの、お盆という行事は特定の宗教行事を国民に強いているからやめろだのと、雑音が酷い。米国でクリスマスがハッピーホリデーになったように、お盆も名称変更される日が来るかもしれない。けれど、現時点では「生臭坊主が増えたから大晦日にお寺に行かない」「信仰を強制されるように感じるから、お萩,ぼたもちをお彼岸に食べない」「正月の初もうでは天皇制を支持するものだからしない」とかって言い出すひとはいないわけです。これは、日本に暴力的で過激な狂信者がいるわけでもないし、日本人が敬虔な信仰を有しているわけでもない。信仰や教義と、生臭坊主は別物と理解していて、宗教が限りなく文化として根付いているからでしょう。民主制と宗教を考えるならば、宗教国家(イスラム教を中心とする)は民主制(信仰の自由を含む)であるかというのは避けられないにも関わらず、西側諸国を中心としたキリスト教圏のみに焦点を当てている猪木氏は、逃げているなぁと思うのです。
2024.05.13
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蒸し暑くなってきて、ジンの美味しい季節になりました。 昨年はジャパニーズ・ジンをいろいろと試しましたが、今年は海外のジンを楽しもうかと…。 まずは、スコットランドのジン。 レミーコアントローから販売されている、スコットランド,アイラのブルックラディ蒸留所で作られてるジンーthe botanist. ジンとしてはちょっと高いけど、美味しい。 「ジンなんて、どれも同じようなもんでしょ」って思うかもしれないけど、飲んでみたらちゃんとそれぞれに個性がある。 そして、ウイスキー好きには興味を抱かずにいられないカクテルが…。 アイラ・ジントニック 材料 ザ・ボタニスト 40ml トニックウォーター 100ml ポートシャーロット 10年 1/2tsp レモン 1/8カット 作り方 氷を入れたタンブラーにザ・ボタニスト、トニックウォーターを注ぎ、レモンを絞り入れる ポートシャーロット 10年を静かにフロートする ブルックラディのジンとウイスキーをカクテルにするっていうね。 ちょっと飲んでみたいけど、まだ試してない。 いま飲んでるウイスキーが空いたら、ポートシャーロットを開栓して試してみようかなぁ。
2024.05.12
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先日、「地図に無い場所」についていろいろ書いた。 やはり、いつものように書いた後は脳内会議が始まって、「あの表現はちょっと違うんじゃないか」「別の見方ができたんじゃないか」と反芻する。 安藤ゆきの「地図に無い場所」は、「地図にある場所には自分の居場所がない」というー居場所がわからなくなった2人の旅路なのだろう。そして、それぞれは自分の人生の地図に従って生きていれば決して出会うことのない2人なのだ。中学生のユートは、普通に生活できていれば、隣人の社会不適合なリタイアしたバレエダンサーと出会わずに生きていった。コハクは、順調に天才バレリーナとして活動を続けていたら、不登校一歩手前な挫折中学生男児と出会わずに生きていた。フツーに(幸福に)生きていけたならば、それぞれの人生の地図にお互いが出てくる場所はなかった。しかし、自分の居場所を見失った2人は、地図にある場所には自分の居場所がなく、そして2人で「地図に無い場所ー自分の居場所」を探すのだ。 物語の終盤では、「いま、自分のいる場所こそが地図に無い場所だった(地理的物理)」というー「青い鳥は既に身近にいた」ーという方向へ向かう。ユートの地図に無い場所(居場所)はコハクのところにあり、コハクの地図に無い場所(居場所)はユートのところだったーという結末に向かうかと思いきや、二人はそれぞれの居場所を無くしてしまう。 メーテルリンクの青い鳥からの影響を多分にうけた松本零士の銀河鉄道999では、永遠の命という青い鳥を求めて旅をする。最初の結末では、「永遠の命なんか要らない。限りある命を精いっぱいに生きる」という結末をもって少年の旅路は終わる。そして2つ目の結末では、「親から子へとつながることが永遠の命だった」という結末を迎える。「永遠の命は、最初からあったんだ」という結末だ。 さて、安藤ゆきの地図に無い場所では、「今いる場所が地図に無い場所だった」ー今いる場所こそが自分の居場所だったーとならない。ユートもコハクもお互いを失う。そして、その後にユートはすずと付き合うが、別れる。コハクは、青石と付き合うが別れる。ユートの居場所はすずのところではなく、コハクの居場所は青石のところではなかったということだろうか? しかし、「自分の居場所」とは不変なのか? ひとは理想郷を求めーシャングリラを,エルドラドを,ユートピアを,アルカディアを,常世の国を,ニライカナを求める。きっと、それは永遠に変わらぬ自分の居場所なのだろう。そして、その理想郷は地図にない。永遠に変わらずに自分を受け容れてくれる理想郷は、「地図にない場所」だ。 ユートとコハクの2人は、お互いが自分の居場所だった時間を確かに共有した。それが永遠ではなく、失われるものだとしても。 ユートの居場所がすずだった時間もあっただろうし、すずの居場所がユートだった時間もあっただろう。 コハクの居場所が青石だった時間もあっただろうし、青石の居場所がコハクだった時間もあっただろう。 それぞれの存在が、「地図に無い場所ー自分の居場所ー理想郷」だった時間があった。しかし、それは永遠ではなかった。 コハクと再会し和解したユートは、またそれぞれの生活に戻るときに「理想の終わりじゃないか」と思う。互いを理想郷と思ったときは既に終わっていた。 物語の最後にユートは、「地図に無い場所はー自分の居場所はこれからも思わぬ場所にあるだろう」と。 自分の居場所というのは、生きていく中で、思わぬ場所に現われ、そしてその場所が永遠だとは限らない。 そして、既に失われたと思われた居場所が、再び自分の居場所ー地図に無い場所になることもあるのだ。 安藤ゆきの「地図に無い場所」について、他の考察を読もうと検索したけれど、全くひっかからない。あまり人気が出なかったのだろうか?5巻で終わりなのは打ち切りなのか? まぁ、個人的には「全3話くらいーもしくはコミック全1巻くらいだったものが、人気が出て全5巻まで引っ張った」ような気がする。楽しく読めたけれど、もっと凝縮して濃密な物語にしても良かったかもしれない。けれど、コハクの雰囲気に引っ張られると、全5巻にしかならない気もする。 最後に、ヨシタケシンスケの「ぼくはいったいどこにいるんだ」を読むことをお勧めしたい。 地図があれば、自分が何処にいるのかわかるのだろうか。 自分だけの地図には、自分の居場所ー現在地が書かれているだろうか。すなわち、「僕の家」がぼくの居場所であるとなんの疑問もなく思っていられる幸福な時間は永遠だろうか。 スマホの位置情報をみても、自分の居場所を示してくれることはない。せっかくみつけた自分の居場所が永遠ではない。以前に書いた「自分の役割が変化する」というところにも通じるのだが、自分の役割が変われば自分の居場所も変わる。そして、地図に無い場所は、思わぬところにあるのだ。 子供として、幼児として、小学生として、中学生として、高校生として、大学生として、社会人として、父親として、自分の居場所は成長とともに変わる。失われることもあれば、居場所が増えることもある。 地図に無い場所ーぼくはいったいどこにいるんだ。
2024.05.11
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【ユーハイム+UCC】ユーハイムのオンラインショップメンバーになると、/0の日とかで割引クーポンがメールで来るのだけれど、クーポンの使える商品がめちゃ限定されてる。限定されているのだけれど、ついオンラインショップをみて、割引クーポンの使えない商品を買ってしまうのだなぁ…。ってことで、ユーハイムの「北海道 とろけるチーズケーキ」を購入してしまった。さて、チーズケーキを食べる際に、飲み物は何するか?初めて食べるチーズケーキなら、冒険はせずに紅茶なら間違いがないって思うよね。そういえば、こないだ買ったマールブランシュの缶に京都紅茶があったじゃん、あれなら美味しいだろうってことで合わせたら、ちょっと違う…。チーズケーキが予想以上に、しっかりしたチーズと甘さだった。ここまで甘いと、珈琲のほうが合いそうだなぁと珈琲を入れようとして…UCCのCafe@Homeに「チーズ系スイーツと」ってあったじゃん!「チーズの旨みが引き立つコーヒー」ってやつね。カフェ@Homeは、「クリーミーなチーズ」「塩気のチーズ」とは別に「チーズ系スイーツ」な珈琲があるんですよ。今がその時だよ!ってことで、ユーハイムのとろけるチーズケーキと、UCCのカフェ@Homeチーズ系スイーツを合わせたんだけど、めちゃ美味しい♪カフェ@Homeのチーズ系スイーツ珈琲は、最初の一口はしっかり酸味があって「ん?これで合うか?」って思うんだけど、チーズケーキを一口食べた後に飲むと美味しい♪えー、珈琲が美味しいというよりも、チーズケーキを引き立てる珈琲の美味しさ。チーズケーキを食べてから珈琲を飲むと、その後味にチーズケーキの美味しさが口のなかに蘇えるみたいな美味しさ。これはお勧め。贅沢な時間を過ごすことができます。
2024.05.09
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「地図にない場所」ってマンガが完結しました。 この【地図に無い場所】という言葉は…「ここではない何処か」に近い響きを持っているのだと思います。 「地図に無い場所で眠りたい」という言葉の持つ響きは、誰にも知られずにこの世から消え去りたいと語りかけてきます。 「地図にない街」という響きは、憧憬と郷愁をもって心の奥底をくすぐります。 そこには、「透明になりたい」という想いと通じるものがあるかと思うのです。 何処か知らない街の細い路地の先には、地図に無いー誰にも知られないー場所があるのではないかという誘いがあるのです。 海街ダイアリー6巻では、金沢の直人が「地図にない場所」について語ります。 学校で虐められて、辛くて、自分の居場所が何処にもないように感じた直人は、地図にない場所へと消えてしまいたいと考えます。地図に無い場所とは、「いま、自分の居場所が世界の何処にも存在しない」と思い込んでしまった人間が、それでも何処かに自分の居場所があるに違いないと自分の生存と存在を求める場所なのでしょう。 つまり、「地図にある場所」は、既にどこかの誰かの場所なのです。この世のどこにも自分の居場所がないというところまで追い詰められたひとは、自分の居場所=地図に無い場所を追い求めるのです。直人が見つけた「地図に無い場所」とは、自分だけが知っている自分だけの居場所なのです。地図にない場所とは、誰にも知られていない、自分しか知らないー誰も自分を否定したり攻撃したりしないー自分の居場所なのです。 で。 安藤ゆき著の「地図に無い場所」。 私立中学受験したら進学校に合格したけど、そこがピークだった少年を主人公にしたお話し。んー。これがまぁ、うちの大学生息子と重なる。自分は公立中学から公立二流進学高校へと進学して、三流私立医大にひっかかったので、いわば「世間的には落ちこぼれてないけど、その界隈では下にみられてる」な位置にいて、その場所で生きてきたわけです。家内は、小学校のときから優秀で真面目で、進学校から国立大学の無償奨学生の座を維持して、「何事も本気でやればどうにかなる、どうにかならないのは本気で生きてないから」みたいな、昭和ヒトケタ思考で生きてきたひと。そして大学生息子は、素地は悪くなくて、中学受験では進学校に合格したのだけれど、そこから伸びなかったんだなぁ…。まぁ、悠人っぽぃ感じ。世の中には、そんな子どもはたくさんいて、「小学校のときは、クラスの中心で明るくて自信のある感じだった。中学受験して良いところに合格したって聞いたけど、その後に見かけたら別人みたいに暗かった」な話はよくきく。これって、「役割を失った子ども」だと思うんだよねー自分が勝手に言ってるんだけどさ。 小学校時代に限らないけど、なんとなくその子の居場所,立ち位置,振る舞い,役割みたいなのがあるじゃん。RPGのジョブみたいなね。ドラクエやFFで、戦士,白魔導士,格闘家みたいなジョブがあって、そのジョブに合った行動をするように、子供たちは子供社会のなかで、自分の役割をしている。クラス委員長に選ばれる子,ギャグを言って面白い子,運動の得意な子,大人しくて本を読んでる子,粗暴な子っていうジョブがあって、そのロールプレイをしている。 「真面目で先生から信用されてる子≒アイツは先生に贔屓されてる」 「ギャグを言って面白い子≒アタマは悪いけど、面白いからバカにされない」 「運動の得意な子≒運動会,体育祭では期待される。学業がいまいちでもクラスでは中心にいる」 「粗暴な子≒悪人ではないけど、近くにいると楽しくないから避けたい」 とか、そういうRPGをしていて、それは言い換えると「誰かが描いた地図に自分の居場所が振り分けられている」んだよね。 これが、中学受験や高校受験をしていくと、「クラスでアタマの良い位置にいた個体の集合」になるわけで、「アイツ、アタマ良いよな」ってロールプレイをしていたのが、「クラスで普通」もしくは「クラスで下位」に振り分けられる。 運動が得意で特待扱いで進学したならば、「あの子、すっごい運動得意で、あの子がいるクラスは体育祭で優勝」って場所を地図で割り当てられていた子が、「普通に運動できる」とか「まぁまぁ運動できる」って場所に移動させられちゃう。 「空気を読めないけど悪い子じゃない」とか「忘れ物とか多くて班に迷惑をかけることもあるけど悪気はないからフォローしてもらえる」ってところに心地よく居座っていた子は、「アイツ、バカじゃね」「空気よめねー」「バカで迷惑なんだよ」って扱いになって、「自分は何も変わってないのに、居場所がなくなった」ってなったりする。 つまり、今まで持っていた地図に、自分の居場所が消えてしまう。 でまぁ、うちの子もー父親からみれば単に努力不足とみてしまうのだけれどー居場所がない時期があって、そのときに「地図にない場所」を読ませてみようかなと思ったけど、親が紹介するっていうのはちょっと違うなと思って読ませてない。大人目線で言わせてもらうなら、「居場所っていうのは自分で作るもの」だし、「自分は何も変わってないのにー」は「周りが成長して変化してるのに、お前だけ変わらんかったら、そりゃ居場所がなくなるだろ」って言いたくなるわけでね。「居場所がないとか言ってないで、居場所を作る努力をしろ」「周りが成長してるのに気が付かずに、『自分は変わってないのに周りが変わっていく』なんて愚痴でしかない」って言いたくなるわけですな。 安藤ゆきの「地図に無い場所」の結末は、ひとによっては「よくわかんないところに落ち着いたな…?」って思うかもしれない。でも、悠人は「何処(地図にない場所)」を見つけることはできなかったけど、自分の居場所を見つけることができたんだ。これって、アムロレイの言う「帰る場所がある。こんなに嬉しいことはない」に通じるものなんじゃないかなぁ。 ひとは「個々ではない何処か」に行きたくなったり、「帰れる場所」を求めたりしながら生きるしかないんだ。
2024.05.08
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キルホーマン・サナイグが美味しかったんだけど、いま買おうとすると1万円近い…。 以前は6000円代で売っていて、アマゾンの定期便になっていたのになぁ。 なにか安くて美味しい酒はないかと探していたら、「ポッチゴーがお手頃で美味しい」みたいな記事をみたのでアマゾンでみたら7000円超え…。 2020年の記事では安かったらしい。 タリスカーを主軸にしたブレンデッドということで、美味しそうで興味があるのだけれど、7000円超で試す気にはならないなぁ。 クラウド(蔵人)なるところから、ミルクリキュールやほうじ茶リキュールを購入しているけれど、それとは別にウイスキーが飲みたいので、貯蓄分から「タリバーディン ソーテルヌカスク」を出してきました。こちらは、現行でも4000円代で購入できるのでお勧め。 貴腐ワイン樽での熟成なので、甘い香りがして美味しいです。香りはブドウだけど、後味はリンゴな感じ。 ハイランドというとピートな辛口の印象ですが、これは甘い香りでした。 2022年でも4800円なので、値上がり幅がほぼないのも魅力。 楽天なら、送料を含まない価格で4100円くらいからあります。 こういうのを探して見つけたいなぁ。
2024.05.07
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「嫌んなっちゃったなぁ」で、生活している。 子育てとか嫌んなっちゃうよなぁ 結婚とか嫌んなっちゃうよなぁ。 仕事とか嫌んなっちゃうよなぁ。 GWが終わったら7月まで祝日が無いんだよ、嫌んなっちゃうよなぁ。 保育園の健診とか嫌んなっちゃうよなぁ。 小学校の健診とか嫌んなっちゃうよなぁ。 救外当直とか嫌んなっちゃうよなぁ。 給料が増えずに嫌んなっちゃうよなぁ。 物価が上がって嫌んなっちゃうよなぁ。 人生は、「嫌んなっちゃうよなぁ」で出来ている。 嫌になる気分から活力をもらって、嫌になりながら呼吸して、嫌になりながら自分を回してる。 SSRIは「嫌んなっちゃう」感情を排する。「嫌んなっちゃう」を殺す。 生きるのがラクになるけど、「嫌んなっちゃうエネルギー」が喪われる。 だから、blogを書かなくなるし、酒も飲まなくなるし、穏やかに生きていける。 酒は、「嫌んなっちゃうよなぁ」って思いながら酒を飲める。 自分が、ピートでスモーキーなウイスキーが好きなのも、「嫌んなっちゃうよなぁ」をいい具合に和ませて馴染ませるからだろう。 これが、甘くてトロリとしたウイスキーだと、「癒される」感じで、「嫌んなっちゃうよなぁ」を解消してしまう。 適度な「嫌んなっちゃうよなぁ」が、人生のスパイスに必要だ。
2024.05.06
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他人のために医療を受けるというのは、どこまでが許容されるのか。 精神疾患で、本人が特に困っていない場合だと、本人のためではなく、周囲との人間関係や社会のために受ける医療であったりすることが想像できる。 アルコール中毒や薬物中毒では、本人はこのままで良いと思っている場合が多々ある。 自殺企図における救命救急では、救命を含む医療を本人は望んでいない場合もある。 将来的に高脂血症や心筋梗塞を発症することが予測される肥満への治療で、本人が「今はなにも困っていない」という場合では、誰のために医療になるのか明確にしにくい。 しかし、知的な問題で病識がない場合に「本人からの訴えがない」との理由で放置することが正しいとも思えない。 さて、自分の家庭環境に於いてだが、SSRIを治療量で内服していたときのほうが、平穏だった気がしている。 SSRIでは患者が「多幸感」を期待している場合があるが、内服した実感としては「あるかないかの幸福感」だと受け止めている。 多幸感を「パーリーピーポーな幸福」とするならば、SSRIによる幸福感は「アルカイックな幸福感」ではないか。 アルカイックな幸福感が不正確ならば、いわゆるChillな幸福感だと思う。 ちなみにアルカイックスマイルは「あるかないかのような微笑」と表現されることが多いが、アルカイックに「あるかないかのような」という意味は無い。アルカイック美術における微笑をアルカイックスマイルと称しているのであって、アルカイックには「古典的な」「古風な」という意味しかない。「アルカイックな幸福感」は不正確だが、ここでは「アルカイックスマイルを浮かべるような幸福感」として使わせてもらった。 この穏やかな幸福感では、攻撃的にならず、穏やかでいられる。つまり、人間関係に波風が立たない。 いま、自分としてはSSRIは必ずしも必要でなく、日常生活に支障はないと思っている。しかし、SSRIを内服している方が人間関係が円滑であるならば、内服治療の対象なのだろうか。もしそうであれば、それは誰のための医療ということになるのだろう。
2024.05.05
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日本全国民にカネがないんじゃなかろうか。 あぁ、お手盛りでいくらでも増やせる政治家と、天下り先を確保してる上流官僚だけは別か…。 税金を自分たちの自由にできる財源だと勘違いしてるから、増税に熱心なんだろう。 若者は、投資を推奨されて、いま使えるカネがない。 子育て世代は、子育てにカネがかかるのに、給与は天引きで目減りしてカネがない。 老人は、ふんぞり返って指示を出すための若者がいなくて、カネがない。 小学生男子の同級生は、関東からUSJに行ったという話でしたが、我が家は旅行なし…。 まぁ、USJに行ったご家族も、頑張ってクルマで行ったという話で、みなさん苦労している。しかも、超混雑だったと。 不動産価格はあがってるけれど、日本は借主保護で家賃が上げにくくてカネがない。 いや、本当に不動産投資の利率が悪い。 売買したらちょっと儲かるけど、実際には「売った収入で買える物件がない」。不動産価格だけ上がってるのは、買主が日本人じゃないからだよね。日本の法的な仕組みとして、家賃が上げにくい。家賃をあげても、庶民が貧しいから部屋が埋まらない。不動産価格だけはあがってるから、売ればカネになるけど、売っても次の物件に手が出ない。 カネがないから、ふるさと納税に使うカネもない。 これまでは、「ちょっと手が出にくい贅沢品」っていうのがふるさと納税だったけど、今は「生活必需品を少々」くらい。総務省が返礼品にケチをつけてから、あまりお得でもなくなった。 あぁ、最近のお勧めは「種子島バター」。北海道の雪印バターが返礼品見直し(という改悪)のためにストップしていたので、種子島バターを試したけれど、美味しい。あっさりしていて、柔らかくて使いやすい。冬の味噌ラーメンには、北海道のバターがベストマッチで鉄板だけど、これからの季節にパンに塗るなら種子島バターも美味しい。よつ葉のバターも美味しいけど、それぞれに違いがあって楽しい。 それにつけてもカネの欲しさよ…。
2024.05.04
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収入が増えずに物価高になれば、年収減少ってことなんだよなぁ。 そんな当たり前のことだけど、いまは直撃して実感してる…。 外に出ればオカネが飛んでいくんだよなぁ。
2024.05.03
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【SSRI→減量→グランダキシン】 SSRIを内服していたけれど、かなり改善したので中止の方向でお願いした。患者としては、SSRIはよく効くけれど、やめるのが面倒というか、さっさとやめさせてもらえないのがなぁ。処方するほうとしては、どうなんだろうか?よく効くから使うだろうけど、効いたら「いつやめれますか?」「いつまで飲むんですか?」とか訊かれることが多くてウンザリじゃないんだろうか? で、減量したけれど、減量してみると日常生活のなかで「あ、減量してるなぁ」と感じる。貧乏ゆすりとかため息が戻ってきた。酒の量が戻ってきた。SSRIを飲んでるときは、ため息をついたり、昔のことを思い出してイラっとしたりとかなかった。あと、貧乏ゆすりもなかった。酒に関しては、「呑む気が起きるようになった」「呑んでて楽しい」という…まぁ、そこまで悪くもないかなと。SSRIを内服しているときは、「べつにお酒とか飲まなくて良いか」って思ったし、飲んでも1杯だった。減量を進めるにつれて、「帰ったら酒のむか」「お酒、美味しい♪」「もう一杯!」な気分になるね。あと、減量するにつれて、blogを書く気になった。読書に関しては、一時期は読む量がすごく減ったけど、治療で戻って、その後もまぁ読めてる。 で、減量したまま中止できそうだけど、ちょっと不安。減量→中止も、急いでやってもらったしさ。そこで、相談して、グランダキシンを飲んでいる。弱いし、やめやすいってことでね。グランダキシン+就寝前にアタラックスPで、ソフトランディングできそうな感じになってます。 で。 アタラックスPは、意外と使い勝手が良いなと。 13歳から15歳くらい(中学卒業)まで診ていて、かなり良くなった児がいたんだけど、大学受験を控えてまた増悪しちゃってね。もう高校生だから小児科じゃないけれど、心療内科を受診する際に紹介状を求められて受診。その際に、紹介状と一緒に甘麦大棗湯+アタラックスPをとりあえず処方した。紹介先の返書に、「そちらの処方の甘麦大棗湯とアタラックスPで症状が改善したため、継続としました」ってなってた。 あと、入眠前に過呼吸になる小学生がいて、まぁクラス替えや新担任とかでストレスなんだろうけど、入眠前のアタラックスPで改善してた。頓服的に使えるのが良いね。始めやすく、止めやすい。効果はそれなりだけどさ…ポララミンと変わんないじゃんな気もする…。 そういえば、ブロンとかパブロンでODする若者が話題になってたけど、普通にトラベルミン(クルマの酔い止め)を飲めば良い気がするんだけどなぁ…?彼らの求めるものとは違うんだろうか。 高いカネ出してドリエル飲むなら、トラベルミンのほうが安くない?
2024.05.02
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【蛆tvと蔑まれていた頃がマシだった…?】 https://news.yahoo.co.jp/articles/3e13cadc8e1b7de15696d6cb1303aa9500ed75fa 「そして誰も観なくなった…」なフジTV。かつて、蛆TVと呼ばれていた頃は、それでも存在感があったけれど、今では「フジTVっていま何を放映してるの?」って訊かれてもわからない。存在を忘れられて、disられることさえない。 うちは、小学生男子がTVに夢中で、中年男性から見ると「なにが面白いのかサッパリ…」なんだけどね。観ているのは、「突破クイズ」「世界丸見え」「所さんの目が…」「所さんのお届け物」「笑ってコラえて!」とか。あと仰天ニュースみたいな世界のいろんな事件を流す特番みたいなの。まぁ、まさに「小学生男子」って感じ。自分が観ても面白くないのは、基本的に「以前と同じもの」だからだろう。 以前は、鉄腕ダッシュも面白がっていたけど、TOKIOが出なくなって(揃って出なくなって)つまらないらしく、観なくなった。 自分はTVをつけることはなく、「誰かが観てるものを酒を飲みながら一緒に観る」くらいで、面白くなければ自室に籠るんだよね。家内はマツコの出てる夜の番組をよく観てるなぁ。 フジTVはさ、落ち着いて観られないんだよね。五月蠅い。言葉がキツイ。高音で騒ぎすぎ。大した事でもないことを延々と番組出演者が面白がる。 めざましテレビは、女子アナの声が本当にダメになった。耐えられない。まぁ、ZIPと棲み分け出来てるんだろうし、蛆TVが信じる正しさを進めば良いと思うけどね。 蛆TVって、「めざましテレビが好きな層が楽しく観る」「とんねるずとかが好きなひとたちが観る」「キツイ,エグい,五月蠅いのが好きな人向けのTV局」って印象がある。いや、そういうひとたちがいて、そういう需要があるだろうから、良いと思うよ。 日テレに関しては、夕方のニュースエブリィがキツイ。聞き取りにくい。藤井アナの確かな実力が懐かしい。聞き取りやすいし、五月蠅くない。声が大きいわけでもなく、声を張り上げるわけでもなく、高音で騒ぐわけでもなく、本当に静かに落ち着いて聞けていた。 いま、ニュースゼロに出てるけど、嵐櫻井が相対的に邪魔。「あれ?櫻井ってこんなに口ごもって喋ってたっけ?」「なに言ってるのか聞き取りにくいんだけど」って感じる。藤井アナの話は耳を傾けなくても、集中しなくても、酒を飲みながらでも普通にアタマに入る。櫻井が喋ると、ちゃんと意識を向けて画面を観ないと、なにを言おうとしてるのかわからん。先が読めないし、疲れる。全部、藤井アナで良いじゃん。邪魔。酒の手が止まる。酒を味わって、ツマミのほうに視線がいっても、藤井アナの話は理解できる。櫻井の喋りは、酒の手を止めて、画面を観ないと、アタマに入らん。 まぁ、それでもフジの夕方のニュースよりはマシ。夕方のニュースだと、内容や偏向は別としたら、TV朝日もTBSも聞き取りやすいんだよなぁ。意外とTBSが聞き取りやすくて、エブリィから移りそう…。いや、夕方のニュース番組は、日テレから視聴者を奪うチャンスだと思うよ。ニュースゼロは、藤井アナのプラス効果と櫻井のマイナス効果で相殺か?いっそ、中丸クンと櫻井を入れ替えてみたらどうよ?休日の朝なら櫻井でも困らない。中丸クンも実力的にニュースゼロに挑戦してみたらどうかな? 蛆TVは、元から「コンプライアンスのギリを攻めます」なTV局のイメージが強いのに、最近はソコが厳しくなって持ち味が活かせない。実際にコンプライアンスが厳しくなったのもあるし、視聴者の見る目が厳しくなった。蛆TVの持つ魅力というか蛆TVのセールスポイントと、いまの視聴者が合ってない。以前から蛆TVが好きだったひとは、いまの蛆TVを観ると「大人しい」「刺激がない」「求めているものと違う」「思ってた蛆TVじゃない」「つまんない」ってなる。蛆TVがいまのコンプラに合わせて攻めると、一般視聴者は「うざ」って離れる。連続TVドラマでジェットコースターな展開は求めてないんじゃないかなぁ。だって、観てて疲れる。 葬送のフリーレンってあるじゃん。あれって、もう終わった物語をやってる安心感があるんだよ。いろんな出来事があるけど、過去の回想で、勇者が死ぬことはないし、フリーレンが死ぬこともない。だって、冒頭でわかってるからね。そのうえで、いろんな出来事を観るのって安心感あるじゃん。うちの家内とか小学生男子は、物語の結末をチラ見するんだよ。「結末がわかってると安心して読める」んだってさ…。自分は絶対に知りたくないし、時間と体力が持つなら「一気読み」したい。物語に入り込んで、最初から最後まで読み通したい…んだけど、最近は目が疲れるし、脳も疲れてて、眠くなっちゃう。それでも、「えー、展開が気になるから終わりのほうを先に読んじゃお」とは思えない。 いまの若い人は、これまでの蛆TV的な番組作りって、疲れちゃってストレスなんじゃないかなぁ。 小学生男子のTV事情としたら、ポケモンを観なくなった。「サトシがいないとつまんない」らしい。あと、男子は主人公が男じゃないとつまんないんだなぁ。女主人公で喜ぶのは大きなお友達だけっしょ。 で、そんな彼が楽しみにしている番組は「シンカリオン」! いや、ちょっと幼すぎないか…?YouTubeの「シンカ シンカ シンカリオン(チェンジ)」の頃から大好きだったけどさぁ。主人公の年齢が中学生になって、ちょうど面白く観ることができる年齢なんだろうけどさぁ。中学生が主人公のロボットアニメに夢中っていうのは幼いよ。学校でも観てる同級生とかいないでしょ。 んー。 TVなんか観てないとか言いながら、意外と観てた。
2024.05.01
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