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うなのあるじ @ Re:根性焼き、卒業♪(09/25) ご卒業おめでとうございます。 (^^; …
萬望 @ Re[1]:三度、液体窒素の根性焼き(09/15) suzukin2さん、こんにちは。 >肉芽腫…
萬望 @ Re[1]:三度、液体窒素の根性焼き(09/15) うなのあるじさん、こんにちは。 >今…
suzukin2 @ Re:三度、液体窒素の根性焼き(09/15) 肉芽腫ってどんなの?と思って皮膚科のh…
うなのあるじ @ Re:三度、液体窒素の根性焼き(09/15) 今回も根性焼きの刑にあったのですね……。 …
2004.06.03
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テーマ: 在宅介護(1585)
カテゴリ: カテゴリ未分類
夕べ、主人と主人の友達とのみに行き撃沈…。と


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

昨日は祖母の病院へ。
もう、この病院に1年以上お世話になっている。

私にとって祖母は、母がフルタイムで働いていたので第2の母のような存在だ。
気は強い人だが、とても心配性。
いつまでも私は幼稚園児のままらしく、実家にいるときはうっとうしくって
よく喧嘩をした。

実家に遊びに行っていた。

それが、3年ほど前、実家の母から突然『おばあちゃんが変なの』と電話が掛かってきた。
あわてて実家に主人といってみると、いつも気丈な母が小さくなって泣いていた。
本人に話しかけると、受け答えはしっかりしているが『目が見えない』といっている。

母に事情を聞くとこうだった。

仕事から帰った母が家に着くと家が真っ暗だった。
祖母は出不精な人なので、一人で出掛けることもなかった。
ましてや、夜家を空けることなどなかった。
よく母と二人で『おばあちゃんが出掛ける先って、病院と美容院くらいだよね』と
笑うくらいだった。
家に入っても真っ暗で、祖母はベッドで寝ていた。


置いて行くのだが、それも手をつけずにそのままだった。
それで驚いた母は、私の家に電話をかけてきた。

そのことがおきる3ヶ月ほど前から兆候はあった。
『泥棒が入ってママ(私の母・祖母の娘)の通帳だけ盗まれた。』と母に
言ったり、『ママがどっかに泊まって一晩帰ってこなかった(昼夜逆転していた)』と


その当時は、ゆっくり話せば『あら、勘違いしちゃったわ』で済んでいたのだが
今回はそれどころではないと感じていた。

すぐに救急車を呼ぼうと言ったが本人が嫌がるので、とりあえず主人だけ家に帰り、
私はそのまま実家に泊まった。

翌朝、母と私は憔悴しきっていてはっきり言って食事も摂りたくなかった。
が、病院にいってどうなるかわからないのでコーヒーでパンを流し込むような
食事をしていた。
が、本人はいたって元気で目も見えているよう。
『一体何なんだ?????』が母と私の頭にぐるぐる回っていた。

とにかくかかりつけの病院に行こうと、タクシーで病院に連れて行った。
本人の訴えていた目のほうはなんでもなかった。
元々緑内障を持っていたので心配していたのだが、ほっとした。
でも、検査をしてもらうためにとりあえず入院となった。

入院して2週間ほどは本当に言動がおかしく、完全に病室を自宅と間違えていた。
主人とお見舞いに行くと、『お寿司でもとってあげて』などとまじめな顔で言われてしまった。
後から、言動がおかしかった2週間ほどは頭にもやがかかったような感じだったらしく、
記憶がまったくないと祖母が言っていた。

検査の結果、『多発性脳梗塞』。
細かい血管の先が詰まっているとの事だった。痴呆の程度も、年相応と言うことだった。

突然、介護が現実の事として私たちの上に落ちてきた。そんな感じだった。
『日中独りになってしまう祖母を在宅で介護するのか?出来るのか?
どこかにお願いしたほうがいいのか?』

この日から毎日お見舞いに行った帰り、実家に寄る度に母と毎日泣いて過ごした。
何をしていても、頭の中でループしてこのことばかり考えては眠れなくなった。
しばらくして私自身、体調を崩し病院で点滴を受けたこともあった。

結果、『やれるところまでやってみよう。』と言う結論になり、色々資料を集めて
在宅介護のプランを考え、ケアマネさんと話し合った。

そして在宅介護が始まった。
月・水・土の日中は、ディサービスへ。
月~土の夕方と火・木・金はお昼と夕方にヘルパーさんに入ってもらい、
火曜日は叔母が、木・金は私が実家に介護に通うことになった。
月1回の通院も私が付き添うことになった。

最初はトイレの介助程度で済んでいた祖母も、坂を転がるように悪くなっていった。

その年の12/24、手を引いてもらえれば歩けていた祖母を夕食だからと
食事の席に着かせようとしていたときに、祖母がバランスを崩し母の上に倒れて
しまった。
祖母もそこから立ち上がることが出来なくなり、母がやっとの思いでベッドに戻したが、
これをきっかけに祖母は完全に寝たきりになってしまった。
本人いわく『人を巻き込んで転んだのが初めてだったから歩くのが怖くなった』そうだ。

何とかヘルパーさんの手を借りて、車椅子に乗せてディサービスには
連れて行っていたが、本人の体調が悪くなることが多くなった。
家で介護していてもてんかんのような症状を起こし、救急車を1ヶ月に1度は
呼ぶようになっていた。

『もう限界』と言う母に私はもう一度だけ家に戻したいと食い下がった。
ヘルパーさんも増やし、訪問看護も入れた。ケアマネさんも『これ以上はない』と
言うくらい万全なはずだった。

が、2週間しか持たなかった。
また、救急車を呼ぶ羽目となった。しかも意地を張ってつれてきた私自身が、
救急車を呼んだ。
『もう限界』と言った母の気持ちが痛いほどわかった。毎日一緒にいたからこそ
言えた一言だったんだと痛感した。

こうして1年半ほどで在宅介護にピリオドが打たれ、ここから、療養型の病院に
お願いすることとなった。

今の病院は3箇所目。
週5回は母が、週2回は私が夕食を介助しに行き、週1回は叔母が昼食の
介助をしてくれている。

今、本人は本当に寝たきりになってしまい言葉もほとんど発しない。
たまに体を動かすと『痛い』と言うくらいだ。

今、祖母が毎日何を感じて何を考えて生きているかは私たちにはわからない。

でも、私が今祖母に対して思っている気持ちは、小さかった私を心配していた
祖母の気持ちと同じなのかもしれない…。最近そう良く思うようになった。
ある意味、『介護』と『子育て』の感情って似ているのかもしれない。

ただ、母に言われたのは『子育てだと毎日成長して昨日出来なかったことが、
今日は出来るけど、介護は昨日まで出来ていたことが今日は出来なくなる。
逆だから余計悲しくなるのかもしれない』と。

人を支える。
その責任で少しは大人になれたのかなぁとおもう今日この頃です。

またとりとめがなくなっちゃったのでこの辺で。





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Last updated  2004.06.07 16:51:27
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